「おやおや、珍しい客人ですね。
「…………なるほど。スバル殿、あなたも相当良い性格をしておられる」
額にブワッと大量の冷や汗が浮かぶ。
柔らかな言葉ではあるが、言葉を発した両者の感情が大きく乱れていることを感じ取れないほど鈍感ではないつもりだ。
それを意図して引き起こしたのは他でもないスバル自身ではあるが、今すぐこの場を逃げ出したい衝動に駆られるほどだった。
(いや、分かっていたことだ……)
ヴィルヘルムに憎しみを持つ亜人の看守長とその本人。この程度のことは、想定内のことだった。むしろ出会い頭にこの場が戦場になることすらも想定していたのだ。
看守長には魔女教徒になる
垣間見た看守長の心の闇。
兄弟を殺したという剣の鬼。
その鬼に対する激しい憎悪。
それこそが看守長の内に存在する、魔女教徒の素質なのだろう。
だからこそ、この場にヴィルヘルムを連れてきた。
二人が出会うことで、何かが変わることを期待して──────―。
「おそらく貴方は私のことをご存知ないでしょう。ルグニカ王国王都地下牢看守長、ヤコブ・アッテルベリと申します。クルシュ様には以前から良くしていただいております。以後、お見知り置きを」
丁寧に、至極丁寧に、恭しく、まるで王族の御前であるかのように看守長もといヤコブはこうべを垂れた。そこにどんな感情が渦巻いているのか、ピンと立ってわずかに震えている犬耳しか見えないスバルには想像することしかできない。
「ご存知のようですが、ヴィルヘルム・トリアスと申します」
反対に簡潔に名乗るヴィルヘルム。
流石に緊張を感じているのか、言葉尻が固いように思える。
「姓は……失礼。聞き及んでいたものと違うようでしたので」
若干、棘を含んだ言い方。わざわざ口に出す必要のないこと。剣鬼の身に起こったことは、王都に住まう者のほとんどが知っているはずだ。
「私にその姓を名乗る資格はございません。いえ、それよりアッテルベリとは……。もしや……」
ヴィルヘルムは何かを思い出すように目を瞑った。遥か遠い記憶に手を伸ばすように、思考を巡らせる。
「おや、心当たりがございますか」
「私が……以前に……。そのような領主がいたような記憶が……あります」
思い出せるか出せないか、そのくらいの曖昧な記憶なのだろう。
二人の接点はおそらく亜人戦争。40年以上前の話だと聞く。家名だけ聞いて思い出せるほど容易な年月ではないはずだ。特に、さして気に留めていない者にとっては。
「間違いないですよ。あなたが数え切れないほど作った死体の山と、その数と同じ数の武勲を受けた亜人戦争。その一山は私の家の私兵団と兄弟の死体で作られたものでした」
淡々と、今までとなんら変わらぬ調子で告げたものだったため、スバルは一瞬聞き逃しそうになった。やはり看守長の心中には、ヴィルヘルムへの怨念が積もりに積もっている。それは日常から感じており、忘れず、磨いて、肥大させてきたものなのだろう。だからこそ、挨拶のようにすらすらと出てきているのだ。
「それは……そうでしたか」
「ええ、こうしている間にもあなたを殺したくて殺したくて……しかし王国の法に縛られていてそれができない私自身を一番殺したくて仕方がないのです」
沈痛な面持ちのヴィルヘルムと仇を前にして平然としている看守長。
対照的な二人だったが、再び目を開いたヴィルヘルムも気を取り直したように表情を変えた。
「立ち会いならば受けましょう。あなたにはその権利がある。私には受ける義務がある。しかし殺される義務はありません。私にも為さねばならないことがある。あなたが私を殺したいように、わたしも殺したくて仕方がない輩がいるのです」
「そうですか。では、死ね。ドーナ」
「ヴィルヘルムさん!」
突如せり上がる土柱。
その予想外の初撃は、あの伝説の剣鬼の右肩を力強く打ちつけ、顔をかすめた。
カランカランと地下の洞窟に高く響く剣の音。
ヴィルヘルムが思わず落としてしまったものだ。
「くっ……」
「ああ、ああ。卑怯だとはおっしゃらないでください。あなたの殺したい相手は知っていますとも。白鯨でしょう? ここ何年も嗅ぎ回っているとか。どうやってあの理不尽な魔獣を倒すのでしょう。もしや神出鬼没のあの白鯨の出現場所を特定して、出現と同時に討つつもりなのでしょうか」
服の上からでもわかるほどの出血。だらんとだらしなく下がった右腕。骨折していることは一目瞭然だった。これでは剣もまともに握れない。
「まじかよ……!」
「憎き相手が出現する瞬間に、用意周到に準備した攻撃で一気呵成に畳み掛け、墜とす。あなたがしようとしていることと同じです。私にとっては、あなたが白鯨なのですよ」
誤算だった。
看守長にとって、ヴィルヘルムとの戦闘は何度も頭の中でシミュレートしたものだったのだ。
だから、突然ヴィルヘルムが現れても平然としていられた。攻撃の算段も付いていた。効果的な初撃を放ち、見事に命中させた。
以前のループで看守長を一太刀で斬って捨てたヴィルヘルムならば、手こずることはないだろうとタカをくくっていたスバルの責任だ。
(どうする? どうすればいい?)
剣が握れないとなると、おそらくヴィルヘルムの戦力は半減する。
その状態でこの看守長に勝てるのかどうか。スバルにできることは何かないか。無い頭を回せ。せっかくクルシュが与えてくれたチャンスなのだ。この程度で諦めるようでは、元より立ち上がってなどいない。何か、何か──────────―。
「剣鬼、ヴィルヘルム」
片膝をついていたヴィルヘルムが呟いた。
「参る」
血に染まった瞳が赤く光った。