「あー、それで、これから俺はどうなるんすかね?」
少年は鉄格子越しにこちらを見下ろす騎士に、自分の進退を聞いた。この身の処断はどう下されるのだろうか。この場所がまたしても少年の最悪の想像を再現していたのだとしたら、それはもう絶望でしかないのだ。
少年……菜月昴はありきたりな男子高校生と言っても差支えがないと自負している。
少々……いや、まあまあ……というよりなかなかの登校不良であることも自負しているが、それはそれである。そのことさえ抜いてしまえば、そう、普通の男子高校生なのである。本来であれば大学受験を控えた高校三年生。受験勉強のために部屋に閉じこもってなければいけないような身分でありながら、現在スバルが閉じ込められているのは冷たく暗い、地下の牢獄であった。
先刻、何やら偉そうな人たちが集まる、偉そうな会議の真っ最中に堂々と侵入してしまったスバルは、さすがに持ち前の空気の読めなさを発揮することもなく、顔を青くしたまま大人しくお縄についた。
そしてあの部屋からこの罪人用の牢獄まで連行されていく間、この世界が元の世界とは全く別の異世界であることは、疑念から確信に変わった。
会議をしていた部屋にいた連中は、そのほとんどが見たことのないローブを羽織った人間であったが、甲冑を着る目の前のいかにもな騎士や、入り口で軽く顔を合わせた牢獄を取り締まる看守長を見てしまえばわかる。
看守長は……犬だった。
いや、『犬』と一言で言ってしまうのは適切でない。
人に限りなく近く、『犬』の要素を取り入れた人物だった。
シルエットはほぼ人だし、服もちゃんと人用のものを着ていた。しかし頭部からは犬の耳がちょこんと乗っかっているのが見え隠れしていた。制服のお尻の部分には尻尾用の穴が空いているようで、可愛らしい小さな尻尾がぴょんと出ていた。唯一悲しい点があるとするならば、顔がブルドッグ混じりの人間なことか。ブルドッグはブルドッグの可愛さがある。愛嬌と言った方が近い。しかしそれに人間らしい鼻筋や目つきが少しでも入った瞬間に、なんだか不細工な顔つきになってしまったようだ。看守長という職業も相まってか、常に険しい表情をしているようにも見える。
モフリストを自称するスバルではあったが、彼をモフモフしようとは思わなかった。
しかし重要なのはモフれるか、モフれないかではない。スバルとしてはそこも重要ではあるが、優先度としてはそれ以上に前に持ってくるものがある。
ずはり、看守長はスバル風に言うのならば『獣人』であるということだ。
『人』という括りで考えて良いとは思うが、犬としての性質がよく出ているのがわかる。
元の世界にも『犬のような顔をした人』ならいるだろうが、こんなにも犬の血が入っているのだろうと分かる者はいないはずだ。
恐らくそういった人種が存在するのだ。
スバルはその看守長を前に約三十秒もの間、唖然としながら立ち尽くしてしまい、看守長を不快にさせてしまった。
そのため、ここが異世界であることは間違いなしであると判断できたものの、牢獄内ではあまり囚人としての印象は良くないらしい。
目の前の騎士も、俺の質問には答えずにムスッと見下しているだけだ。
「おーい、騎士さーん。てか、なんで騎士さんがここにいんの? 見張りって看守さんがやるもんだろ?」
「……」
「えー! シカトかよー! 無視は辛いぞ! 俺レベルになっちゃうと無視されてもしゃべり続けちゃうけどね!」
空気の読めなさならナンバーワンと誇れるだけの、いっそドブに捨ててしまえばいいくらいの矜持なら持ち合わせている。
しかしスバルは、わざわざそんなものを引っ張り出さなければならないほど、状況が切羽詰まっていると理解していた。
「騎士サマって気楽なもんなんだなー。ただ突っ立ってるだけだなんて。国民の血税を貰っておいて、やってることは誰にでもできることだもんなー」
騎士をバカにしたような言葉を白々しく並べていく。端から見たらただの安っぽい挑発行為だというのは容易に分かる。ただこういうものは、相手の地雷を踏んでしまえばどれだけわざとらしくとも機能してしまうものだったりする。
「あっ、ごっめーん! こーんなぼろっちい屋敷に勤めてる騎士サマの給料なんて、そんなに気にすることないかー!」
「……黙れ」
スバルを見下していた騎士は、ついにその重たい口を開いた。その口からは怒気が目に見えて溢れてくるようで、スバルは自分がけしかけたことながら、冷や汗を一つかく。
しかし同時に、かかった、と内心ほくそ笑んだ。
スバルの目的、それはこの騎士の口を開かせること。
現状、手が縛られ、立つことはできるが閉じ込められている身である分歩き回ることもできない以上、自由に動くことができるのは口と頭だけだ。
ひとまず情報が欲しいと考えたスバルは、目の前の見張りの騎士の口を開かせることにした。
「口を慎め! ここはルグニカ王国王都、その中枢だぞ!」
最初の一言を吐かせてしまえば、後は勝手に出てくる。この世界について無知同然のスバルにとって、これほどの情報源は無い。
スバルはにやり、と僅かに口を歪める。
「本来であれば、貴様のような下賎な者が足を踏み入れることは許されんのだ! 私は王城に常駐することを許された王国騎士団の……」
「そこまでだ」
火に油を注いだかのように、勝手にヒートアップしていく騎士様の言葉を一言一句聞き逃すまいとすましていた耳に、凛と牢獄内を反響する声が響いた。
そのたった一言で饒舌になっていた騎士は我に返り、開いていた口を慌てて閉ざした。
スバルはチッと小さく舌打ちを打つ。
ちょうどベラベラと色んなことを漏らし始めようとしていたところで、邪魔が入った。
スバルは眼を凝らして介入者を目視しようとするも、小さな蝋燭一本しか無い灯りの中では、新たに現れた声の主は見当たらない。しかし、その声の質には聞き覚えがあった。
先ほどの部屋。
その部屋で最初に聞いた声。
女性の声ながらも芯がしっかりと真っ直ぐ入っていることが感じられ、歪んでばかりいるスバルはあの後からその声をひどく羨ましく思ったものだった。
コツコツ、と靴の音を響かせながらこちらに歩いてくる者の薄く伸びた影が牢屋内に映る。揺れる長髪の影に、来訪者の推測を確信に変える。
「王国騎士団の者がそうペラペラと自国のことを話すものじゃないだろう」
澄んだ声と同時に、蝋燭に照らされた麗人はその姿を見せる。
目を瞠るほどの美しさを軍服のような男装が包み込む様は一見ミスマッチのように思えるが、スバルが建造物と自分を見て感じたそれとは全く異質なものだ。
彼女は女性らしい格好をすれば、それこそ深窓の令嬢のような印象を持つ雰囲気が出るはずだ。
着こなし方が違うのだ。
生じる違和感を際立てるのではなく、普通とは違う装束が引き出してくれる彼女の美しい一面が強調されている。
「っクル」
騎士が彼女のことを視認するなり、最敬礼の構えをとった。そして何かを口にしようとした瞬間、それを遮って、
「ほら、口を閉じろ。それも自国のことだ」
突風が吹いたかのように、騎士の言葉に突き刺さる。
「……はっ」
「もう良いぞ。下がっていてくれ。私はこの男に話がある」
彼女がそう言うと同時に、騎士の足が優しく風に押されたように自然と後退するように動く。
騎士が完全に消えたことを確認してから、彼女はスバルのことを見下ろした。
「はっ、なんだ。人生最後の会話が美少女になるなんてな。冥土の土産ってやつ?」
「……自らの置かれている状況は理解できているようだな」
彼女がスバルを見下ろす目はあくまで冷ややかだ。そこに温情だとか、そんな生温いものはない。
「一応聞いとくけど、俺を釈放しに来たとか、期待しても?」
「ない。貴様の処遇はすでに決定している」
「ですよねー」
淡すぎる期待はすっぱりと切り捨てられる。もとより望みの薄い期待だ。落胆することもない。
スバルは自分の置かれている状況を、冷静に分析することができていた。それゆえにこの先の展開も粗方読める。
まずスバルは気付けばこの異世界に飛ばされていた。この時点が問題にすべき最大の点には間違いないのだが、状況は変わってしまった。
スバルの見張りをしていた騎士が口を滑らせた結果、この豪華絢爛な建造物は聞いたこともない王国の王都、その中枢であるはずの王城であることを理解した。
ただでさえ一般人でも入ることはできない王城内に、突如現れたのは珍しい黒髪に珍奇な格好をした男。
そしてその男は、王国内でも権威あると思われる者たちが集う会議室にふらっと介入してしまう。
王城内の侵入。この時点でスバルの身はこの国の法を犯している可能性が高い。その上、わざわざ罪を犯した身を、その場で裁ける者たちの前に晒したのだ。
ここが異世界だと言うのならば、社会的に保護されているはずの学生という身分を主張したところで意味はないし、この身に価値は無いと即決できるほどの一般人だ。どうせこの後、打ち首あたりが妥当なところだろう。あの場で騎士に切り捨てられなかったことが唯一の救いだ。貴族風の彼らに返り血が飛ぶのを嫌がったか、王城を血で汚すと後々の始末が面倒になったとか、そんなところだと思う。
「それでも俺は諦めが悪いことで地元じゃ有名でね。君がこの場にわざわざ現れたことの意味を知りたい……とか思っちゃったり?」
「ふむ。頭の回転は悪くないな」
断頭台へのカウントダウンを待つスバルの元へ、こんな高貴な人間が時間を割いてまで会いに来る必要があるだろうか。何か意味があるのではないだろうか。彼女の来訪はスバルにとって一つの光明であった。
「当家は今、人と物を集めている。貴様は大胆にも親竜王国ルグニカの王城に侵入した挙句、賢人会の会合へと介入するだけの豪胆さを見せた。私が罪人を匿うという、家名を汚すことも辞さないほどの価値を貴様が見せることができれば、賢人会との交渉も検討している」
「なーるほどね」
スバルは目の前の麗人の言葉の間違いを指摘するほど阿呆ではない。
まず第一に、スバルはこの王城に侵入したのではなく、気づいたら召喚されていたこと。
第二に、スバルはあの部屋が『賢人会』という大層立派な集まりの会合の場であったことなど知らず、ノックも忘れ扉を開けてしまっただけで、大きな覚悟があって開けたわけではないのだということ。
しかしスバルの行動が相手の勘違いで高評価されたのなら、これを活かさない手立てはない。
「確認だ。君には既に決定された俺の処断を覆すだけの発言力があるのか? 悪いんだけど、俺とそう年が変わるようには見えない」
「当然の疑問だな。もちろん私の一言で全ての決定が覆るわけではないが、賢人会に一考させるだけの力は持っていると自負している。……王都に住まう民草であれば、私の名も知られているものと思っていたが。まだまだだな、私も」
「なに、有名な人なの? 俺田舎もんだから分かんねえんだよ」
少しだけ肩を下げて落胆する彼女に、スバルはあまり意味のないフォローを入れてみる。
目の前に立つ人物が有名人だとしても、それを知る術はスバルには無いし、なんならこの世界については何も知らないまである。例えばここが王城だとするのなら、この城に住む人間は誰なのかだとか。
「カルステン公爵家当主、クルシュ・カルステンと言えば通じるだろうか」
スッと、少しだけ背筋を伸ばして名乗り上げた彼女からは、何か言葉にできないような圧倒を感じた。背丈はスバルとそう変わらない。それなのに、スバルには彼女が自分よりも大きな存在に思えてしまう。
「……すまん。公爵ってのが偉いのはわかるんだけど」
とは言え、家名と名前を言われてもいまいちピンとこない。公爵……というのは貴族の位か。王族に次ぐほどの高位だとは思うのだが、現代日本に暮らしていたスバルにとって貴族制度などそれこそ創作の中での話なので、ほぼ無知である。
「……貴様、生まれは何処だ。王国生まれだとしても、かなりの辺境出身だろう」
「テンプレ的な答えだと、たぶん、東のちっさい国からだな!」
待ってましたとばかりに顔を輝かせて答える。異世界転移したならやりたかったことの一つだ。異世界のお約束として、極東の島国にはカタナとかタタミとか、日本風の物が独自の発展を遂げていることがある。この世界にも、そんな展開がきっとあるはずだ。
「……ここルグニカは大陸の東の端の国だが」
「まじかよ! ここがキョクトウ!? 全然ジャパニーズ感無いよ!?」
「ここよりさらに東となると、大瀑布の向こうから来たということになる。あの滝の向こうに土地があるのならばだがな」
ファンタジーのテンプレ中のテンプレを外されてスバルは項垂れる。騎士、王城、獣人、貴族、男装美少女とこれだけ垂涎もののファンタジー要素を揃えておいて、日本風極東の国が無いとは神も残酷なことをしたものだ。
「えーっと、じゃあその大瀑布の向こう側ってことでいいや」
「大瀑布の向こうからやってきた、と嘯く輩はたまに居る」
「ほっ、本当か!?」
夢のジパングは実在するのか!
「しかし、そのすべては妄言者だ。言葉を交わす時間が無駄。取り合う必要は無い輩だ」
「ーーっ。お」
クルシュはスバルが大瀑布の向こうから来たと言った瞬間に、わずかに瞳に残していた好奇心の色を失わせ、嘆息をついた。
「……何かあるとは思っていたが、あの豪胆さもただ気が触れていただけか」
スバルに背を向けたクルシュは、そのままツカツカと暗い牢獄の中を歩き始める。
「おい! 待てよ!」
スバルは離れゆく光明を掴まんと手を伸ばすが、それは堅牢な鉄格子に阻まれる。無情にもこちらを一瞥もせず、クルシュは救いの手を求めるスバルに一言呟いた。
「貴様は罪人だ。公爵家当主、そして此度の王選、その王候補に働いた不敬。公的に王城侵入の罪に被せる気はないが、十分にその身の罪を洗い流せ」
「おい! 待ちやがれっ! 勝手に期待して、勝手に失望してんじゃねえよ! 俺の名前も聞かねぇで、お前の物差しで計ってんじゃねえよ!!」
「貴様の名など、覚えておく必要は無いだろう」
最後の一言を漏らして、クルシュは完全にその場から姿を消した。
入れ替わるようにこちらに歩いてくるのは、今度こそ騎士ではなく看守だ。
スバルは見えていたはずの糸を手繰り寄せることができず、切り落としてしまった。クルシュは、異世界転移をして早速詰んでいたスバルに千載一遇の救いのチャンスを与えたが、スバルはそれをつかむことはできなかった。おそらくこれが最後の機会だった。
あの場で、クルシュに対し己の価値を叩きつけ、匿ってもらうことができたのなら、スバルの運命も大きく変わっていたかもしれない。
しかし現実は、クルシュのお眼鏡にはかなわず、断頭台へゆっくりと向かうことに当初の予定から変わりは無い。
突然の変化に次ぐ変化。
それについていけなかったことを、スバルの事情を知るものであれば咎めることはできない。だがその中で機転を利かせなければならなかったのは事実だ。
「ああ、もうダメだ……。終わった。死んだ。どうしようもない。クソだ。世の中クソばっかだ」
結果、スバルは延々と石の牢屋に頭をぶつけるだけの機械となっていた。
悔恨に次ぐ悔恨。己の無力をここまで呪ったことは他に無い。
時間が経つにつれ、スバルは結局のところこういうような流れを汲むのだと理解した。
クルシュの望むものを理解し、自分を売り込もうとしたところで、スバルには他人に自慢できることはこれといってない。手先が器用であることや、木刀をちょっとばかし振れることを自慢したところで、小学生のそれとなんら変わりない。芸のない犬……それも曰く付きなのだから、スバルがどんなアピールをしたところでクルシュが拾い上げることはない。
つまるところ、異世界召喚された時点で、スバルの異世界生活は詰んでいたのだ。
「くそっ、くそっ」
牢屋の隅の石壁をただほじくるようになったスバルは、悪態を吐く元気だけが残っていた。自分を省みる前に他人のせいにすることに定評のあるスバルは、異世界召喚されてから最も長く言葉を交わしたクルシュに対し、恨みつらみの数々を述べていた。
「あいつ……ちょっと偉いからってなんだよ。人を小馬鹿にしたような言い方しやがって。少し顔が綺麗だからって調子乗りすぎなんだよ。
それになんだ? 俺が妄言者だってか? そりゃあ一端の男子高校生ですし? 妄想のいくつかはするだろ。あいつも俺の妄想の中で何やかんやしてやろうか」
スバルは時折顔を赤らめながら、そうやってクルシュに対する恨み節をブツブツと呟いていくのだが、その一つ一つに覇気はない。
ナツキ・スバルはクルシュ・カルステンを恨めしく思っている。
このことに間違いはないのだが、もう一つ、ナツキ・スバルを悩ましていた一つの思いがその心にはあった。
クルシュ・カルステン。
彼女とナツキ・スバルは全く違った人種であった。
彼女は生まれながらにして高貴な血の下に生まれ、天賦の才に恵まれていた。そして決してその才能に溺れるようなことはなく、自らの信じる道を努力しながら進んできた。実直かつ誠実な人柄で人民を従えるカリスマを持つ彼女の歩む道は、まさに正道、王道だ。
一方のスバルはというと、一般家庭に特に才能もなく生まれてきた。しかしその点に関しては不満はなく、それどころか菜月家の子供として生まれてきたことは、クルシュに負けないほどに誇りに思っている。
しかしスバルは大いに失敗した。
その失敗は実は、つま先をひっかけて転んだ程度のものだ。
もしクルシュ・カルステンが同じような失敗をしたとしても、すぐさま立ち直り、目の前に続く道を歩き始めるだろう。
しかしナツキ・スバルはその道に背を向けた。
その場でうずくまり、団子のように丸くなって動こうとはしなかった。
その道は乗り越えることが困難な障害がいくつもあるはずだ。しかしスバルはその障害の中の一つ、それも小さな小さなものに躓いただけで進むことをやめた。
堕落に浸り、惰眠を貪り、それを自覚しようとも何かをなそうとはしなかった。それがナツキ・スバルの17年のすべてである。
己の信ずる道を確固たる自信で歩き続けるクルシュ・カルステン。そのことを仔細に理解することはできないが、スバルには彼女の才能と努力と裏打ちされた自信に感じ取った。
そして、自らの人生と比較してしまったのだ。
クルシュと自分に対する悔恨、羞恥、羨望、嫉妬などありとあらゆる黒い感情が渦巻くのをスバルは感じた。
そうしてナツキ・スバルは斬首の時を待ち続けた。