スバルは暇を持て余していた。
四畳ほどの狭い牢屋の中では、暇を潰すようなことがあまりない。
石壁をげしげしと蹴ったり、硬いベッドでゴロゴロと寝転がるだけだ。ご飯もまずいし、一日の楽しみがあまりない。せいぜい看守と駄弁る程度が遅々とした時間の進みを紛らわすものだった。
「お前、気楽なもんだな」
約二十四時間が経っただろうか。
暇が極まりすぎて石壁を使って倒立の練習をしていたスバルに、看守の男は声をかけた。
「明日にはお前、処刑されるんだろ? ここの看守歴も長いが、処刑前日に倒立してる奴なんて見たことねえ」
「んなこと言われてもやる事がねえからな」
スバルの取れる行動はあまりに少ない。
手錠や足枷は外してもらえた。クルシュの温情だという。そのおかげで多少の自由は利くが、牢屋の鍵はがっしりかけられてあるから拘束されていてもあまり変わらない。
自由に動くものと言ったら口と頭だけである。
「なぁおっさん」
「おっさん言うな」
看守のおっさんとは、それなりに仲良くなった。
日の光の届かないこの監獄は、ただいるだけでも気が狂ってしまいそうになる。囚人は多いが、そのほとんどが静かに閉じ込められているだけだ。どうやらこの国の治安はあまり良いとは言えないらしい。何か時期や景気が悪いのかもしれないが、コソ泥や恐喝なんかの軽犯罪者が後を絶たないらしく、牢屋はそんなケチくさい不良じみた輩でいっぱいだ。
そんな中で丸一日仕事をしている看守のおっさんは、犯罪者の中でも比較的まともなスバルのことを気に入ってくれたらしい。犯罪者の中でもって自分で言うの、なかなかにロックだと思う。
おっさんには妻がいて、娘はもうすぐ10歳になるらしい。看守にあるまじきデレデレと緩んだ顔で話していたもんだが、心底どうでもよかった。だが、そこまで口を滑らせるくらいには気を許せているのだ。
「聞きたいことあるんだけど、魔女教って何?」
魔女教というワードは、クルシュの口から初めて聞いた。宗教の一種だとは思うが、見当がつかない。
そもそもの話、スバルはこの世界についての知識が乏しいにもほどがある。
世界地図の形すらわからないし、文字も読めない。通貨も触ってはみたものの、正確に扱えるとは思えない。
およそ生きるための術を有していなかった。
今は情報が欲しい。初見の言葉はできるだけ知っておきたい。もし現在、
そのためのおっさんの懐柔でもある。おっさんに懐かれてから思いついたことだが気にしない。策士スバルである。
「魔女教も知らねえとは、お前どこから来たんだよ?」
「大瀑布の向こうから……って言ったら笑うか?」
クルシュに戯言だと一蹴されたことを言ってみる。大瀑布がどんな所で、その先がどうなっているかを見たことはないが通常であれば行き来できる場所ではないのだろう。
「笑いはするが馬鹿には出来ねえな。宮廷筆頭魔術師兼辺境伯のメイザース様は、魔法で空を飛べるらしい。飛べば大瀑布を越えることもできるんじゃねえか?」
「魔法! 魔法があるのか! まああるよな! 異世界だもん!!」
「いきなりどうしたよ……。大瀑布から来たなら魔女の封印の祠も知ってるだろうに」
「魔女の、封印の祠……?」
「なんだよ、まったく何も知らねえのか?」
魔法、魔女、封印の祠。
久しぶりにファンタジー的な単語が出てきたことに、スバルは投獄中の身であることを忘れて興奮する。
「今の時代で魔女っつったら、『嫉妬の魔女』のことだ」
「嫉妬の魔女って怖えな。魔女に嫉妬されるとか恐ろしいにもほどがあるぞ」
萌え的な魔女なら良いんだけど、と心の中でつぶやく。意中の男の子の彼女に嫉妬して、彼女の飲み物に調合した毒薬とかを入れるお姉さん系の魔女だ。やっぱり怖いな。
「嫉妬の魔女は四百年前、世界の半分を飲み込んだ最低最悪の魔女だ。そんでそれを初代剣聖レイドと神龍ボルカニカ、賢者シャウラが討伐しようとしたが、封印するだけで精一杯だった。今は大瀑布の近くの封魔石の祠に四百年間ずっと封印されてるんだと」
剣聖。神龍。賢者。
また新しいワードが増えてきた。それもこれまで以上にファンタジー色の強いものだ。心が躍るな。
そして、話が大きく飛躍したように思える。
まず『嫉妬の魔女』とやら。
世界の半分を飲み込んだと言うが、その所業はあまりに信じ難い。地球規模で考えても、世界の半分を占めた国に心当たりはない。スバルの記憶の範疇で史上最も大きい国は、モンゴル帝国やロシアなどだろうか。しかしそれでも、世界の半分には遠く及ばない。個人で世界の半分を飲み込んだ嫉妬の魔女、恐ろしいとしか言えないだろう。そしてスバルの認識している、この世界の個人レベルの力量の水準もさらに引き上げられた。
『神龍ボルカニカ』とは、単純に考えれば龍のことだろう。……いや、まさかなとスバルは心の中で否定する。いくらファンタジー色の強い世界だと言っても、さすがに龍が出てくるとは思え……ないよね?
そして『剣聖』。
字面から考えるにたぶん、剣がめっちゃ強い人。だいたい合ってると思う。
「そんで、その嫉妬の魔女を信仰してるのが魔女教ってことか?」
「そうだ。そして奴らには目的がある」
「……それは?」
「嫉妬の魔女の復活らしい。まったく、頭がイカれてるぜ」
「魔女の復活って……まじか!」
四百年前からずっと封印されているというのも眉唾だが、そんな恐ろしい存在の復活を目指してるとは何ともおかしな連中である。たとえ魔女が復活したとして、自分たちが襲われるとは思わないのだろうか。
「魔女教徒はまじでイカれてるぜ。頭のネジが飛んでるなんてもんじゃねえ。まるで何かに操られてるみたいになっちまう」
「宗教ってよりも、集団催眠みたいだな……。見方によっちゃ宗教も似たようなもんだけど」
あまりこの辺りの問題は突かない方がいいのかもしれない。宗教の話がタブーの国は多い。日本が特殊というだけだ。
「あいつらに限って言えば、催眠てのは正解かもしれねえ。というのも、ある日突然、魔女教徒になる見込みのある奴に『福音』っつー真っ黒な本が届くらしい。それには魔女の意思があるらしくてな、自分の未来の道筋が書いてある。そんでそれが届いたら最後、敬虔な魔女教徒の出来上がりってな具合よ」
「おい、ちょっと待て、『福音』だって?」
新しい知識ばかりが蓄積されていく中で、一つだけ聞いたことのあるキーワードが飛び出してきてスバルは仰天する。
スバルが死んだと推測しているほんの少し前、
そして『福音』とは、真っ黒な本だという。あの看守もどきが懐から出した本は、真っ黒だった。つまりあの本こそが『福音』で、あの看守もどきが『福音』を所持していたということは、あの男の正体は『魔女教徒』だったということになる。
そして開いたページには半分だけしか記述がなく、半分は真っ白だった。
未来の記述がされているというのならば、彼の『福音』はおかしい。未来が記されていなかった。
「まさか、未来が無くなった?」
彼の未来が白紙と化した……と考えるならつじつまが合う。
なぜならスバルはあの瓦礫の雪崩に巻き込まれて、身体が粉々になったはずだ。それならばすぐ近くにいたあの男も、同じような末路を辿ったに違いない。
あの時点で彼の未来は詰んでおり、『福音』によってそれは示されていた。そして新たな未来を探すために、スバルに対して『福音』を要求したということだろうか。
「いや、でもおかしい。何で俺が『福音』を持っていると思ったんだ? 俺は魔女教徒じゃないぞ」
持っている物を持っているだろうと指摘される分には納得できる。だが持っていない物を持っているだろうと言われたところで、意味がわからないし、その物のことを全く知らなかったのだから、意味不明を通り越して相手の神経を疑う。
魔女教徒にとって、スバルは魔女教徒だろうという確信に近い何かがあるのだろうか。
クルシュや嫉妬の魔女、魔女教徒の話を聞いた後なので一般人代表を表明したいスバルは、自分に変なステータスが付くことを嫌っていた。
しかし問題にすべきは、あの時この場所に魔女教徒がいたことだ。ここがどこかは正確にはわからない。だがルグニカ王国というどこかの国、その首都的存在である王都という場所らしいことはわかっている。王城からそれなりの距離を徒歩で移動したが、地図で見れば少しのはず。つまりここはルグニカ王国の中枢でなのだ。
そんな場所に、明らかに頭のおかしい奴、それも複数人潜んでいる可能性があるとはぞっとしない。
「魔女教の襲撃……。なんでだ? どうしてそんなことをする……?」
王城を落として王国を魔女教のものにするためか、それとも玉砕覚悟で成し遂げなければならないことがあるのか。
「くそ、情報が足りなすぎる……」
スバルはあまりにも事を知らなすぎると実感する。
王国の常駐戦力。
魔女教の襲撃規模。
互いの全容がわからないスバルには、どのような対策を取るべきなのかがわからない。
「魔女教の襲撃だって? おいおい、何言ってんだよ、ここに魔女教が来るってか?」
「……っ! そうだ! 詳しくは言えねえが、ここを魔女教徒が襲うんだ!」
「ははっ、何言ってんだよお前。王城にゃ王国近衛騎士団が常駐してるし、当代『剣聖』だって今は王都にいるんだぜ? そんなところを襲うだなんて、相当イカれてるぜ」
「当代『剣聖』?」
「初代『剣聖』の末裔さ。一度だけ見たことがあるが、ありゃ人間というよりバケモンの類だな」
初代がいるのだから、今代の剣聖がいるのも道理だ。
そして『剣聖』とやらは、力量の個人差が大きいこの世界でもトップクラスにいるらしい。
嫉妬の魔女を封印した内の一人の末裔らしいので、なるほどそれは納得できる。そんな奴がいるのなら安心できるが、スバルは魔女教が奇襲を仕掛けてきて、それに『剣聖』が間に合わないことを確信に近いレベルで推測している。
「おう坊主。おしゃべりはここまでだ。じゃあな」
「……ん。あ、ああ。ありがとな、おっさん」
「おっさん言うな」
看守のおっさんは見張りの交代の時間らしく、新しくやってきた看守と少しだけ言葉を交わして去って行った。
新しくやってきたおっさんは気難しい感じで、こいつの心を開かせるのはなかなか骨が折れそうだと嘆息する。
それにもう時間はあまりない。
明日にはスバルの処刑の日がやってくる。それと同時に、魔女教の連中が奇襲を仕掛けてくるはずだ。
王城内でそれを知っているのは、おそらくスバルのみ。
クルシュに忠告はしたがそれは証拠も何もなく、結局はクルシュの加護とクルシュの判断に任せるところが大きい。
ならばスバルも、自分で考えて何か手を打ちたいところである。
何か、何か使える手はないだろうか。
この牢屋から手の届く範囲でできることはないだろうか。
目を瞑って、あらゆる記憶を沼の底からさらう。
王城。侵入。投獄。牢屋。騎士。クルシュ。加護。看守。連行。看守の偽物。福音。瓦礫。雪崩。そして、死。
「クキキ……」
ぐるぐると多くのキーワードが頭の中で踊っていると、小さく奇妙な笑い声が聞こえてきた。
「クキキ……」
卑しい笑い方だ、とスバルは思った。いや、笑い方や笑い声じゃない。この笑い声を出している人物が卑しいと直感できる。
声の聞こえる方に目を向ける。
スバルの入れられている牢屋から、通路を挟んで斜め前の牢屋から笑い声は聞こえたきた。
『クキキ……。カルステン家に見放されたガキか。良い気味だぜ。だがあんな小娘の飼い犬になるくらいなら、おりゃあ死を選ぶね』
その姿を見た途端、記憶がフラッシュバックされる。
あれは看守の格好をした魔女教徒に連れ去られる直前のことだ。
牢屋から処刑場まで連行されるはずのスバルを、嘲笑うように見てきた気持ち悪い笑い方をしたおっさんだ。
しっかしおっさんばっかだな。
おっさんのセリフ。下卑た笑い方。
……なるほど、と口を歪ませながら小さく呟く。
スバルは新たな看守が見回りに出て牢屋から離れた瞬間を見計らって、斜め前のおっさんに声をかけた。
「なあ、おっさん。俺と手を組まないか?」
頭の中で幾つかのピースをつなぎ合わせる。
そうしてようやく、一つの案が完成した
幼稚かつ稚拙な案だが切羽詰まったスバルにはそれが、それしかないと思わせるような名案に感じられた。
「おっさん、クルシュに恨みがあんだろ?」
「クキキ……よくわかったな」
「おっさんに機会をやるよ。チャンスってやつだ。俺と一緒にレッツ脱獄と行こうぜ」
「……良いだろう」
おっさんはおそらく、スバルの誘いを待っていた。
おっさんがクルシュに恨みを持っていることは、先の発言からそれとなくではあるが推測はできる。
そしてスバルは、クルシュに認められず捨てられたという形を一応は取られている。スバルがクルシュに恨みを持っていてもおかしくはないはずだ。
互いの共通の敵を想定することで、協力するというやり口だ。おっさんもこれを狙っていたはず。
王城への侵入を果たした、ということになっているスバルに、それなりの技量を持っていると誤解を持ってもらえるとさらに楽だ。
おっさんを利用して、脱獄する。
王城から逃げ出して、なんとか生き延びる。
それが最優先だ。
出来るならば『剣聖』とやらを呼びつけて、どうにかして襲撃を食い止めてもらう。
「作戦「D」、開始だ!」
高らかに作戦開始の合図を上げよう。
作戦会議すら始まっていないあたりに、スバルの先走り感が出てしまっていたりする。
脱獄のDだぜ。