「もし――…」
木戸の入口から奥間の方へ声をかけてみたが、応ずる者はいない。人の気配はするのだが……。
「どなたかおられぬか」
再度声をかけてみたが、応えはなかった。ふう、と小さくため息をつくと、剣心は諦めてその場から立ち去った。すると、
「…やれ、行ってくれたか」
と言って、奥間で顔を覗かせた家の主がほっと息をついた。
「悪い奴には見えんが、刀を差している者など、ろくなもんじゃない。おい、おまえ、あいつが来ても家から出るんじゃないぞ」
「ええ、おまえさん…」
気の弱い返事をした若妻は、遠く立ち去る剣心の後ろ姿を見ながら、少しだけ罪悪感の残る顔つきで見送った。
つい先日、村外れの小さな茅葺き家に越してきたという、若い男女の夫婦連れ。
小さな村落なだけにその噂が広まるのは早かったが、余所者には警戒しか寄せない彼ら村人は、極力付き合いを避けていた。
剣心は持て余しぎみに細いあぜ道を歩く。この村に口入れ屋はないだろうか、と人に尋ね歩いているのだが、あちらこちらで避けられてしまい、もう二日も経つというのに、村人と誰も言葉を交わしていない。
そんなに怪しい者に見えるのだろうか……、と自分の身なりを省みた。
だが、いくら見直してみても、まるで腫れ物でも触るように避けられてしまう理由が、皆目見当もつかなかった。
(とにかく仕事を探さねば……)
口入れ屋があれば世話をしてもらおうと思ったが、ないとなると、自分で職を見つけるほかあるまい。だが、自分にできる仕事などあるだろうか。人斬り以外で……?
深くため息をついたそのとき、背後から駆け足が聞こえてきた。
「…ん?」
振り返ってみると、小さな男の子が自分めがけて走ってくる。まるで憎い仇でも見るかのような目つきだった。
「なんだ?」
「やぁーーっ!!」
手に持つ木刀を大きく振りかざして、剣心めがけて襲いかかってきた。何がなんだかわからずに、とりあえず避けると、再び殺気を帯びてかかってくる。
きりがなく、その子供の木刀を片手で振り落とした。
「…くそっ!」
「いきなり危ないじゃないか。どうしたんだ、訳を言ってくれ」
「うるさいっ! 侍なんてみんな死ねばいいんだっ!!」
屈んで子供を見下ろす剣心のふいをついて、腰に差していた脇差を鞘から引き抜かれた。
(しまった…!)
「死ねっ!!」
ためらわず突き刺してくるのを見て、剣心は避けることをせず、そのまま右腕で脇差を受けた。
――ズッ……
鈍い音が肉を突き破る。とっさに腕をかざして胸を突き刺されることだけは避けたが、深く骨のあたりまで刃が貫いた。激痛を顔に出さず、真剣な顔で子供に向き直る。
「そのまま抜くな」
「あ……」
「訳を言ってくれ。なぜ俺を襲った。恨みがあるなら聞いてやろう」
「う…うわあああっ」
腕から流れる血を見て耐えきれず悲鳴をあげ、突き刺さったままの脇差を引き抜こうと力を込めた。
だが、いくら力を込めても刀は抜けなかった。
「な、なんで…」
「傷に力を込めてるからな。お前には抜けないよ」
「どうしていつまでも刺したままでいるんだよっ! 痛くないのかよ!」
「痛いさ。だが、訳を話してくれるまでは、いつまでもこのままでいるつもりだ」
「…………」
観念したように、子供は刀から手を離した。へなへなと力が抜けたように座り込む子供を見て、安心したかのように、剣心は脇差を引き抜いた。
傷口は深かったが、致命傷には至っていない。下袖を口で裂いて、細長く結ぶと、溢れる血をとりあえず止血した。
「悪いが手伝ってくれないかな。片手じゃうまく結べない」
真っ青になっている子供に優しく笑いかけて、口で持った裂けた布を右腕にあてがった。それを見て、すまないような顔をした子供が布を幾重にも巻いた。
「ちゃんと手当てしたほうが…」
「それよりも、まず話してくれないかな。侍がどうとか言ってたけど、死ねとはまた、穏やかじゃないな」
剣心は道際から少し離れた大きな銀杏の木の下に腰を下ろすと、その側に来るように子供を促した。
「名前は?」
「…|暢≪とおる≫」
「暢か。俺は…ええと…検心、だ。知ってると思うが、つい先日、この先の農家に越してきて…」
「誰も近寄ろうとしないんだろ。よそ者にはうるさいんだ、みんな。この間の洛中の火災で浮浪者があふれてこっちまで来るからな。あんたのことだって、みんなが、町から火災で逃れてきたならず者だって警戒してるよ」
「はは…そうか…」
(やっぱり……)
なんとなくそんな気はしていたが、当たらずとも遠からずなので、否定することはできなかった。
「それで、なんで俺を襲った? まあ、襲われても仕方ないかもしれないけど…」
「あんたが刀を差してるから」
「刀?」
普段は意識することもないが、ただなんとなく慣性で身につけている大小を、剣心は不思議そうに眺めた。
「この刀がどうした?」
「俺の兄貴は、通りがかった侍と肩がすれ違っただけで、その侍に因縁をつけられて殺されたんだ」
「…………」
小用で京へ出た兄と一緒に、五條大橋を通りがかったとき、その二人組の侍と擦れ違い、ほんの少しだけぶつかった肩先に、相手が言いがかりをつけてきた。どんなに謝っても、酔っていたらしく耳を貸そうとせずに、問答無用で斬り捨てたという。
「俺の兄貴を斬ったあげく、『いい試し斬りができた』って笑いながら去っていった……。刀を差している奴なんて、みんな同じだ。あんな奴ら、死ねばいいっ!!」
「そうだな」
「…? あんたのこと言ってるんだぞ!」
「ああ、わかるよ。刀を差してる奴にろくな奴がいないことも、良く知ってる。身に染みてよくわかってるよ」
「だったら…!」
「それでどうしたいんだ、暢? 復讐するのか? そしてお前に殺された者の近しい人が、またお前と同じように復讐するかもしれない。恨みは恨みを呼ぶだけだ。そんなことをしてもお前の兄は浮かばれない」
「お前に何がわかる! 兄貴が…兄貴が殺される理由なんて、これっぽっちもなかったんだっ!」
「その通りだ。だが、お前が人を殺す理由も、どこにもないんだ。お前が兄のために無念を晴らそうとするのは、自分の悲しみをすりかえているに過ぎない。そんなことをしても辛いだけだろう?」
「つ、辛いもんかっ」
「ならなぜ、さっき手を離した?」
「う…」
図星をさされて、暢は言葉をつまらせた。
今でも剣心の右腕から、止血しきれない血が真っ赤に布を染めている。早く治療をせねば致命傷にもなりかねない。こんなふうにゆっくり話してる場合ではないはずなのに。
自分が傷つけたその深い傷を、暢は目を伏せて見つめていた。
「本当に殺したいのなら、この刀をお前にやろう。これは人を殺すための道具だ。それをよく承知のうえで欲しいというのなら、もう何も言わないよ」
「なっ…」
「俺の命でよければくれてやる。さあ――…」
腰の大小を取り外すと、左手で二つを差し出した。おそるおそるそれを手に取ろうとした暢だったが、ふいに目にとまった右腕の傷を見て、伸ばしかけた手を止めた。
「……悪かった、ごめん」
「暢」
「あんたの言うとおりだよ。馬鹿なことした。もう少しで取り返しのつかないこと、するところだった」
ごめん、と再び謝ると、暢は剣心の刀を地面に置いた。
「でも、あんただって悪いよ。そんなもの差して、村の中歩くなよな。みんな怖がるだろ」
「ああ……そっか。悪かった」
今ごろやっとかもしれないが、この平和な田園の中でこんな刀は必要ないのだと、ようやく剣心は気づいた。
そうか、見かけをまず変えないとな――と自らの装いを見下ろす。黒の上下の袴着だが、攘夷志士のいでたちのままだった。
身体を動かしたのが傷に響いたのか、剣心は顔をしかめて右腕を抑えた。
「つ…」
「だ、大丈夫なのか、おい」
「ああ。これぐらいの傷なら、簡単に縫うことができるよ。巴にも手伝ってもらわないといけないけどな」
「縫う? あんた医者なのか?」
「いや…。そういうわけじゃないけど、そうだな、急場の傷はいつも自分で手当てしていたから。薬草とかも調合してたんだ」
「ふーん…。巴って……あの、えらく綺麗な女の人?」
「ああ…まあ…」
「奥さんなんだ?」
「ああ」
「いったいどーやって口説いたんだ?」
ボカッ! と思いっきり暢の頭を殴った。
「子供が余計なこと考えるんじゃないっ」
「…ってーな。あんただって似たようなもんじゃないか…」
ブツブツ、と不満そうに呟く暢を見ながら、剣心はふと不安になった。
(やっぱり祝言は早すぎたかな……)
師匠に知られたら殺されるかもしれない。その場の勢いで、いわばなりゆき上、求婚したようなものだが、はたから見ても夫婦というのは少し無理がある……のかもしれない。
(まあ、いいか…)
なるようになるだろう。
「じゃあな、また」
といって立ち上がった剣心の袖を、暢は軽く引っ張った。
「暢?」
「ごめん、腕…」
「ああ、大丈夫だよ。怪我が治ったら、一緒に遊ぼうな」
にこっと笑う暢の頭を剣心は軽く撫でた。さっきまでの暗い表情はかけらも見えない。まだほんの十かそこらの子供だが、立ち直りは早かった。
「さて…」
立ち去る暢の後ろ姿を見送って、剣心はやっとこの地に少しだけ根を下ろすことができたような気がして、やわらかく微笑みを浮かべた。
そしてさしあたって当初の問題だけが残った。
「仕事どうしよう……」
はあ、と怪我をした右腕をため息まじりで見つめる。
新妻の待つ家路へと辿りながら、新生活の期待とは裏腹に、日々の糧だけが次第に不安を募らせていった。
―― 了 ――