「光、頼む。戻ってくれ」
受話器を耳にあて、声を絞り出す。
正直なところ、現状が不安で仕方ない。
レディーデビモンがやられるのを、いつも俺は後ろで見ているしかない。そのことが、嫌でたまらなくなる。
『……でも、えっと』
先ほども太一さんからの呼びかけを拒否していたことから、堀さんの誕生日会とやらが光にとっては大事なことなんだろうと予想はつく。それでも、俺は今、彼女にここにいてほしかった。
「悪い、堀さんに代わってくれるか……?」
だから、まず、筋は通すべきだろう。
光は俺の言葉に戸惑った様子ながらも了承してくれ、そして、電話口の相手が代わった。
『……もしもし』
誕生日という一年の中でも特別な日に水を差されていることから棘のある調子で、堀さんは電話に出てくれた。
「もしもし。こんにちは、俺、双葉要です。えっと、同じクラスの堀さん、だよね?」
挨拶と自己紹介から入る。
名乗ると、電話口から息を呑むような音が聞こえた。
『ふ、ふ、双葉くん!?』
次いで、大きな声で名が呼ばれる。
「あ、うん。双葉です」
『ど、どうしたの? えっと、なにか用事……?』
「そこに光、いるでしょ? 八神光」
『いるよ。光ちゃんがどうしたの?』
「今すごく、光の力が必要なんだ。だから、悪いけど、光のこと少し借りてもいいかな……? お願い」
要点だけを、とにかくシンプルに要望を伝える。
堀さんはわかってくれるだろうか。誕生日会に水を差すのは悪いと思うけれど、やはりこちらの用も重要ったらこの上ないのだ。
『お、お願い……双葉くんからの、お願い……』
ボソボソと、向こうの音がノイズのように聞こえる。
堀さんがなにか言っているのだろうか。
「ごめん、なにか言った?」
『う、ううん! 光ちゃんね。いいよ! で、でも、そのかわり、その、要くんって呼んでもいい……?』
照れくさそうに、堀さんが交換条件を提示する。
「うん、大丈夫だよ。ありがとう、堀さん」
『ぜ、ぜんぜんいいの! じゃあ!』
ドタバタワーキャーカナメクーンキャーなどと騒々しい音がしたあと、光が電話口に戻ったようだった。
『……じゃあ、今から戻ります』
つん、とした口調。
なにかあったのだろうか。しかし、戻ってくれるならそれ以上はない。
「うん、ごめん、助かる。……えっと、なんか怒ってる?」
『要くんのバカ』
大きな音とともに通話が切られる。
耳に響いたそれに顔をしかめながら、苦笑を漏らす。
「太一さんのこと言えねえかな、これじゃ……」
「すまん、要、電話かしてくれ!」
一人ごちていると、太一さんが横からすばやい動きで受話器をかっさらっていく。
かける先は、残る選ばれし子供たちだろう。しかし、なぜか話し中の状態が相次ぎ、誰にも連絡がとれない。
「くそっ、どこにもつながりやしねえ!」
悔しげに、眉をひそめる太一さんに、光子郎さんが見やる。
「空さんにはかけたんですか?」
「うぐっ」
露骨に反応を示す太一さん。
「空さんのところには俺がかけましたけど、やっぱり話し中でした」
「そう、ですか……」
ん、とだけ言って突きつけられた電話に俺はすべてを察して番号をプッシュしたのだが、先ほど堀さん宅にかけて以降、どことも電話がつながらない状態になっていた。
その異変の真相に気づいたのは、やはりというべきか光子郎さんだった。
「やつは今、NTTにいます!」
そして、電話交換機に潜り込み、現存する番号にかけまくっているのだという。
「そんなの、回線がパンクしちまう!」
太一さんが叫ぶ。
続けて、もう一度。
「ネットだって、電話回線からつながってんだろ!? つながらなくなっちま、」
そして、その瞬間、PCのネット回線がダウンし、ハイカラな機械はただの箱になってしまう。
「切れちゃい、ました……」
「うぇぇ」
ひきつったような、力の抜けたような、名状しがたい表情で俺のほうを見やる太一さんと光子郎さん。
そんな顔で俺を見られても、しょうがないじゃないですか、これ……。
*
――――ちょっとだけ、いったん家に戻ります!
険しい表情でそうとだけ告げ、光子郎さんは八神家を後にした。
「もう、ダメだぁ……」
太一さんは戦っているときの興奮がどこかへいってしまったのか、完全にソファに伸びきっている。
裕子さんが隣のソファから、テレビのニュースを眺め、今日はいろいろ起こる日ねえ、なんて呟いている。
『全国で、電話が一時的に通じにくくなるといった――――』
さっそくニュースになっているんだな、あの新種デジモンが引き起こした事態が。
けれど、その原因に辿りつく人は少ない。大人たちがまず、それに気づいていないのだ。気づいているのは、先ほどの戦いを様々な手段で野次馬していた世界中のPCユーザーのみ。それも、たぶん俺たちと歳もそう変わらない少年少女だ。実際、メールがきた。
あれがデジモン? 初めて見たよ。
三対一なのに、負けるなんて弱すぎる。
ちくわ大明神
グレイモン、カブテリモン、特にレディーデビモン、大丈夫だろうか……。
言いたい放題にいう彼らのみが、この事態を把握しているのだ。
ネット上に現れた正体不明の生物、デジモン。彼らにとっては、世界の、ここではないどこかのおもしろおかしい物語。当事者たる俺たちにすれば、たまったものじゃない。
PCのおいてある部屋に戻って、座り込む。
考えるのは、クロのことだ。
普段ならきっと、さっきのような負け方はしなかった。俺が動揺しすぎたんだ。それが彼女にまで伝わって、焦らせてしまった。プワゾンなんていう隙の大きい技を逆手にとられ、墜とされた。
それに、少しだけ、気が抜けていたんだ。クロが、レディーデビモンがいれば大丈夫だなんて、思ってしまって。そう思うのは、きっと悪いことじゃないけれど、でも、そのせいでなにも見えなくなるのではそれは意味がない。
「くそ……」
デジタルワールドにいるときは、傍に立って、一緒にいてやれた。
でも、ここでは画面を隔てて、あっちとこっちだ。遠い距離。わかたれた世界。その壁が、邪魔くさかった。
俺も一緒に戦いたいんだ。隣に並び立ちたいんだ。
そうすればきっと、俺たちは誰にも負けないから。
「――――また、難しい顔してるの?」
そのとき、耳元でふわりと声が舞った。
振り向くと、そこには少しだけ息のあがった光の姿がある。今朝に見た余所行きの服のまま、彼女ははにかんだ。
「ごめん、お兄ちゃんからぜんぶ聞いた。今度は私も一緒に戦うよ」
その言葉が、今はなにより俺を励ます。
*
「衛星電話! 光子郎さん、ナイス!」
光子郎さんが、自宅から持ってきたのは日本の電話回線を介さず、衛星通信からダイレクトに外国のアクセスポイントにつなぐことができるという代物だった。
「これで回線の問題はクリアです!」
復活したPCで再び、ゲンナイさんにコンタクトを図る。
クロたちもいったん戻っており、体を休めていたそうだ。
そして、朗報は続く。
太一さんがニュースで知ったという災害用伝言ダイヤルを用いて、ヤマトさんとタケルから連絡が入ったのだ。
「これで、まだ戦える――――」
闘志が、湧いてくる。
そうだ、俺たちはまだやれる。
「クロ、もう一度だ」
『わかってる。今度は外さないわ』
「要くん、気負わないで」
固めた俺の拳が、光のてのひらに包み込まれる。
クロの横には、テイルモンが並び立った。
『そうよ。私もいる』
『……フン』
『あら、つれない』
『……バカ。今度は、ちゃんとついてきなさいよ?』
『ええ。今度は私も一緒よ』
みんながいれば、大丈夫だ。
どうにかPCを見つけることができたらしいヤマトさんとタケルから連絡が入り、クロ、テイルモン、アグモン、テントモンにガブモンとパタモンが合流した計六体のデジモンを決戦の地へ導く。
データの道を駆け抜けて開けた場所へ出ると、そこには新種デジモンが待ち構えていた。成長期のときとは違い、こちらに完全に気づいている。
――――コッチダヨーン
その上で、さらに挑発してくるという丁寧なまでのケンカの売り方。
カッとなりやすいことに定評のある我らがトップツーは、それを見てすぐさま自身のパートナーにワープ進化の指示をくだした。
『アグモン――――、
『ガブモン――――、
『――――ワープ進化!!』
『ウォーグレイモン!!』
『メタルガルルモン!!』
完全体を上回る力を持つ究極体が、二体、姿を現す。
竜人と機械狼が、連なって新種デジモンに向かっていく。必殺技を使わないただの物理攻撃だが、新種デジモンのスペックを遥かに超えるその攻撃力に、やつは完全に翻弄されている。
「いいぞ、ウォーグレイモン!」
『やれ、メタルガルルモン!』
太一さんとヤマトさんが咆える。
『パタモン、僕たちも進化だよ!』
タケルもまた、自身のパートナーであるパタモンに進化を指示した。
しかし、またもやつは、その隙を狙った。新種デジモンは、究極体二体の攻撃の間隙を縫って、飛び出し、進化中のパタモンに攻撃を加えた。ついでとばかりにテントモンも鷲掴みにされ、パタモンと同じように叩きつけられる。
「進化!? はやすぎる!」
しかも、その際にやつも究極体に進化するというオプションつきだ。
たしかに、はやい。そして、しなやか。凶悪残忍にして、強力なデジモンだ。
脅威だ。けれど、恐怖はない。
「よくも……よくもパタモンを……」
「やりやがったなあ!」
ヤマトさんと太一さんの叫びに応えるように、メタルガルルモンとウォーグレイモンが飛び出す。
『グレイスクロスフリーザー!』
メタルガルルモンがその全身から射出したミサイル、氷結のエネルギーを内包した強力無比なそれが、新種デジモンに突き刺さる。爆発する代わりに凍りつくその一撃を食らってなお、やつは反撃をする。放たれた一撃はメタルガルルモンに直撃するも、その爆炎を影にウォーグレイモンが飛び出す。
それを視認したやつは、片腕をあたかも先ほどのメタルガルルモンの攻撃のように、射出した。
鋭利な爪が光るそれをウォーグレイモンは両腕に装着されたドラモンキラーで弾き、突貫を続行する。ドラモンキラーを弾かれた素手の拳を振りぬき、やつに一撃を見舞った。
「クロ!」
「テイルモン!」
『合わせなさいよ、テイルモン!』
『わかってる!』
この隙だ。
気を失っているパタモンにはテントモンがついている。
ウォーグレイモンとメタルガルルモンの猛攻によって、新種デジモンは少しずつではあるが、追い詰められている。
ここで、完全に叩く。
『ブラックテイルモン――――、
『テイルモン――――、
『――――超進化!!』
『レディーデビモン!!』
『エンジェウーモン!!』
天使型デジモンと堕天使型デジモン。
相反する力を秘めるこの二人は、本来ならどこまでいっても平行線の、決して交わることのない二人だ。
しかし、ときとして進化とは、奇跡を起こす。
「光、いいか?」
「うん、きて」
願う。力あれと。
祈る。強くあれと。
望む。奇跡を。
デジヴァイスが今までにない光を放ち、俺と光の紋章、不屈と光の紋章の力が極限まで輝きはじめる。
『レディーデビモン――――、
『エンジェウーモン――――、
『――――ジョグレス進化!!』
黒と白が溶け合い、混ざり合う。
そして、そこから生まれてくるのは新たな個としての姿だ。
モノクロのコントラストに、天使の翼と堕天使の翼。
対極の力を一身に秘めたその存在こそが、俺と光の切り札だ。
『マスティモン!!』
俺たち選ばれし子供たちの中で究極体になれるのは、ウォーグレイモンとメタルガルルモンを除けばこのマスティモンだけだ。
つまり、最大戦力がここに集まっている。
ここで一気にやつをぶっ飛ばす。光と頷きあい、マスティモンへと叫ぶ。
「いけ、マスティモン!」
「やっちゃっえ!」
『任せて』
マスティモンの気配を察したのだろうか、ウォーグレイモンとメタルガルルモンが射線から退いた。
その先にいる新種デジモンは、ダメージのせいかいまいち動きが鈍い。
『無邪気にして邪悪なりし者よ、聖なる光に消えろ! ホーリーディザイア!』
マスティモンの右腕から射出された光のエネルギーが形作る聖なる矢の一撃が、新種デジモンを穿つ。
苦痛にまみれた咆哮。効いている。究極対の、それもジョグレス体の力は計り知れないものを持つ。それを受けてただですむはずがない。
「ウォーグレイモン!」
『メタルガルルモン、いけえ!』
それを好機とみたのか、太一さんとヤマトさんがそれぞれのパートナーに指示を飛ばす。それを受けた二体は、同時に必殺技を放った。
『ガイアフォース!』
『コキュートスブレス!』
炎と氷、こちらも相反する力が混ざり合い、溶け合い、威力を増す。
それをさすがにマズいと見てとったのか、新種デジモンは今までにも増してすばやい動きで技の着地点から退いた。
「ちぃっ!」
盛大な舌打ち。
太一さん、行儀悪いよ。
「いけ、そこだっ」
盛り上がる太一さんの横で、俺は顔を青くしている光子郎さんの異変に気がついた。
「か、要くぅん……も、むり……」
「え」
青ざめた顔で腹をおさえ、内股を擦り合わせているその様子に、最悪の考えが頭をよぎる。
「……太一さん! ぼく、ちょっと! いったん、トイレ! かります!」
波があるのだろうか。それに合わせるかのようにトーンの上がる妙な調子で俺たち一同にそう告げた光子郎さんは、部屋を辞した。
「くそったれ!」
思わず毒づく。最悪の予想が的中した。
そういえば、光子郎さんは烏龍茶をこれでもかというほど口にしていた。緊張で喉が渇いていたのか、烏龍茶がこれでもかというくらいに好物なのか、どっちでもいいが、この状況はマズすぎる。
太一さんは光子郎さんの背中に見向きもせずに、PCの画面に写し出される戦いを一心不乱に追いかけている。おかげで俺と光が覗き込む余地がない。
幸い、マスティモンは強い。声だけは届けているが、彼女は俺たちなしでも戦えてしまうのだ。
「要くん、これ、大丈夫だよね……」
自分に言い聞かせるかのように、光が呟く。
「大丈夫だ」
俺もまた、言い聞かせるように返す。
「くっそぉ!」
その瞬間だった。
戦いに夢中になり、熱くなりすぎた太一さんが、PCのディスプレイを叩いてしまう。結果起こるのはフリーズだった。
頭が真っ白になる。
パートナーデジモンたちは、八神家のPCを介してネット回線に進入している。つまり、これがフリーズしてしまうと、デジモンたちのスペックがほぼゼロにまで下がり、つまり身動きのとれない状態になる。
「太一さん、どいて!」
うろたえるばかりの太一さんを押しのけて、PCに再起動をかける。
待機画面が続き、その途中で光子郎さんが戻ってくる。心なしかすっきりしたその表情が、部屋を覆う雰囲気の異変に気づき、歪む。
「太一さん! なにしたんですか!」
しょっぱなから犯人を決め付けていくスタイル。だが、正解。
「お、オレはなんもしてねえよ! なんか、勝手に!」
「要くん!」
「はい、今再起動かけてます」
「代わってください。僕がやります」
「了解」
わきへどいて、光の隣に座り込む。すると、光が不安そうに俺の手を両の手で握った。
現在、戦闘の様子がいっさいわからない状態だ。マスティモン、ウォーグレイモン、メタルガルルモン、テントモン、パタモン。みんなは無事なのか。新種デジモンはどうなったのか。マスティモンたちが動けない今、メタルガルルモン一人でどれだけ戦えるのか。負けることはない、と思うのだが。
「要くん……」
「ん、大丈夫だ」
「マスティモンは、みんなは無事かな……」
「きっと、無事でいる」
確証はない。けれど、今このときだけは信じるしかないのだ。
「復帰します」
光子郎さんが太一さんと言い合いながらも復帰させたPCのディスプレイには、戦塵の舞う光景が写し出されていた。
襤褸布のように成り果てたウォーグレイモン、メタルガルルモンの二体。
『太一! お前ら、なにしてたんだよ! バカヤロー!』
悲痛の色に満ちたヤマトさんの声。タケルはその後ろで声すら出せずに固まっている。
光が俺の手を握る力を強めた。
「か、要くん……」
光の視線の先を追うと、未だ気を失うパタモンを庇うテントモン、そしてその二人をさらに庇っているマスティモンがいた。
相対しているのはやはり新種デジモン。やつの胸の中央が開き、砲塔が覗いている。銃口には禍々しいエネルギーが充填されており、それは今にもマスティモンたちへと発射されようとしていた。
「マスティモン……!」
気づいたら、叫んでいた。
クロが。テイルモンが。マスティモンが。今、危機に瀕している。
彼女の戦いを、見ていることすらできなかった俺は、いったいなんなんだ。
『要、光……』
俺の声が届いたのか、彼女はテントモンとパタモンをさらに腕の中に抱き込んで、俺たち目を合わせた。
『――――きっと、大丈夫だから』
上半面のマスクの下で、きっと彼女は微笑んだのだろう。
瞬間、新種デジモンの必殺技に、彼女たちは呑まれた。