また、負けちゃったの。
せっかく勝てそうだったのに、なにしてたんだ。
世界各地の見物人から届くメールは、ひっきりなしに今の戦いの良し悪しを語っている。
それを淡々と読み上げる光子郎さんに、太一さんが激昂する。光は俯いたまま、顔を上げない。通信の先のヤマトさんとタケルもまた、沈黙を保ったままだ。
「光子郎、このやろうっ」
ついに太一さんが光子郎さんの胸倉を掴み上げ、睨みつける。
『いい加減にしろ! ケンカしてる場合じゃねーだろ!』
そこに、ヤマトさんの一喝が入る。
その声に太一さんは少し、我を取り戻したのだろう。光子郎さんをおろし、けれどそれでも不貞腐れたようになにがメールだよ、と悪態をついて座り込んだ。光がそこへ近寄って、寄り添うように隣に座る。なにも喋らないけれど、太一さんもそれを拒否したりはしなかった。
沈黙が、俺たちを包み込む。
そこに届いたのは一通のメールだった。
――――トケイ ヲ モッテイルノハ ダーレダ?
メールファイルを開くと、あの新種デジモンがコピペされていくウィンドウとタイマーが表示されているウィンドウとがディスプレイに写される。。
零コンマ刻みで、どうやら十分後に、数字はゼロを刻むようにセットされているようだった。
「時計……?」
思わず疑問が口に出てしまったところで、黙々と自分のノートPCと向き合っていた光子郎さんが飛び上がった。
「た、大変です!」
「どうしたん、ですか……?」
太一さんの隣でうつむいたまま、光が問いかけた。
「今、ペンタゴンに潜り込んだ台湾の中学生が教えてくれたんですが……」
詳細はこうだ。
あの新種デジモンがネットを介して入り込んだ場所は多岐に渡る。なかでも今回極めつけに物騒だったのは、アメリカの軍事基地のネットワークに侵入し、ミサイルの発射管制装置を誤作動させ、発射させてしまったことだ。
しかも、その弾頭は核。核ミサイルが、今、世界のどこかを飛んでいるのだ。光子郎さんによれば、その射程距離はほぼ地球一周。つまり世界のどこにだって届かせることができるのだ。
「核ミサイル、名前をピースキーパーというそうです……。おそらく、そのタイマーはそれが目的地に到達するまでの時間を示しているんでしょう……」
絶句だ。
俺も、光も、太一さんも、ヤマトさんも、タケルも。
頭が真っ白になっている。核ミサイルだなんて聞いて、どうしたらいいのかわからなくなっている。
なんとかあの敵を倒して。
あなたたちしかあの怪獣を倒せない。
頑張って。お願い。
先ほどまで一様にこちらの落ち度をつくような内容のメールばかりだったのだが、今はまた応援するような内容のものが届く。
ピースメーカーが発射されていることを見物人たちが察知したのだろう。
「倒せったって、こんなの、倒しきれるわけねえじゃん……」
コピペによって増えていく新種デジモンを前に呆然と呟く太一さんに、光子郎さんは言葉を続ける。
「核ミサイルは信管さえ作動させなければ爆発しない仕組みになっているそうです。もし、これがあのデジモンの用意したゲームだとするならば、そのコピペのなかの、時計持ちの一体を倒すことが、クリアの条件なのでしょうね……」
光子郎さんは冷静なまでの分析、考察。太一さんは新しくどんどん入ってくる知識に飲まれ気味だ。光は俺と太一さんの手を両手につないで、ただ不安そうにしている。ヤマトさんとタケルは呆然と立ちすくんでいる。
俺は。俺はどうすればいいんだ。
戦うなんて、できない。
あの新種デジモンをどうにかすることも、核ミサイルをどうにかすることも、あまつさえ今この状況、雰囲気を変えることすらできない。
そう、なにもできないのだ。マスティモンの危機にそばにいてやることさえ。
「っ……」
唇を噛む。
なにが、不屈の紋章だ。折れる以前に、貫くことさえさせてもらえないでいるこの俺は、いったいなんなんだ。
『――――要』
ふと、声が聞こえた。
たおやかな、けれど鈴の転がるような声。けれど今は、苦しげに、搾り出すような声だ。
『要、大丈夫』
ニャロモンだ。
マスティモンの際に受けた損耗の影響か、幼年期にまで退化してしまったクロだ。
『私たちがまだ、ここにいるわ』
クロのその声に、ウォーグレイモンが、メタルガルルモンが目を開ける。
『太一。大丈夫、任せておけ』
『やつの位置はわかるか?』
無残なまでの姿で、けれどのその声には万倍の闘志を込めて、二体が立ち上がる。
「ウォーグレイモン……」
『メタルガルルモン……』
二体のその様子に、感化されたのか、太一さんとヤマトさんを中心に、空気が蘇る。
ああ、思い出した。この空気。デジタルワールドを旅していた頃の、逆境のときに感じていたものと同じだ。
「ニャロモン」
『ええ、大丈夫。きっとなんとかなるわ』
不屈の心。その意味を俺は改めて、思い起こした。
「やっぱり、俺、お前がいないとダメだなあ」
『バカ言ってないで。ニャロモン、いける?』
クロが、傍らに伏していたもう一体のニャロモンに声をかける。
それと同時に、俺の手を掴んでいた光が立ち上がった。その目には強い輝きが宿っている。
「いこう、ニャロモン」
『ああ。舐めないで、クロ。まだまだこれからよ』
ああ、そうこなくちゃ。
それでこそ、俺たちだ。
『――――超進化!!』
『レディーデビモン!!』
『エンジェウーモン!!』
黒と白の二体は、ウォーグレイモンとメタルガルルモンのあとに続いた。
*
三度、ネットのなかを走り抜け、目的のアドレスへと辿りつく。
「な、なんだこれ……」
太一さんが、思わず呻く。
とてつもなく広い空間の四方八方が、すでに新種デジモンのコピペで埋まっていた。ものがものならば悪夢にでもなりそうなものだ。いや、すでにじゅうぶんトラウマチックか。
「きますよっ」
そのなかの一体が俺たちの存在に気づいたことで、それが他の個体にも伝わっていく。
いっせいに新種デジモンたちの目がこちらを向く。そして降り注ぐ、光弾の雨霰。そのひとつひとつが究極体の必殺技である。言葉すら出ない。それほどの圧倒的な数。
『ウォーグレイモンたちの動き、変だよっ』
通信の先で、タケルが言う。
それに光子郎さんは頷いて、不安に揺れる声で説明した。
「世界中から送られてくるメールによってウォーグレイモンたちの処理速度が追いつかなくなって、スペックが落ちているんです……! 世界中のみんな、メールを送らないで! お願いだから!」
けれど、メールは止まることはなく。
そして、ウォーグレイモンたちにも限界が訪れた。
一発目が着弾し、それを皮切りに避けられなくなった光弾が次々とウォーグレイモン、メタルガルルモン、エンジェウーモン、レディーデビモンを襲った。蜂の巣だ。爆炎による煙が収まる頃には、四体は見る影もなく、無残な姿になっていた。
「ああ……ウォーグレイモン……」
太一さんが、無意識だろう、手をディスプレイに向けて伸ばしていく。
俺も、光も、似たようなものだ。目の前で、画面を隔てた先で、近いけれど、でも決して自分の隣ではない場所でパートナーが傷ついている。そんな状況に納得できているわけがない。
一緒に戦いたい。
そばにいたい。
もっと。もっと。もっと。
「俺も、そっちへ行くから――――」
ふと口から一人でにこぼれた言葉が、たぶんその奇跡を起こした。
*
気づけば俺は、レディーデビモンのそばにいた。
太一さんも、ヤマトさんも、光までもがこっちへ来ていた。皆一様に、一心不乱にパートナーへ言葉をかけている。
その様子を尻目に、俺もレディーデビモンのさらに近くへと寄り添った。
「無理させてるよな」
綺麗な顔、頬についた傷から滴る血を拭う。
「ごめんな」
開かれない瞳を胸に抱く。
「でも、もうお前だけじゃないぞ」
煤けた銀糸の髪を指で梳く。
「俺も、ここで一緒に戦うからさ」
だから、悪いけど、もう一回だ。
「レディーデビモン」
瞬間、奇跡は集約された。
ウォーグレイモンたちに次々と送られてきていたメールから、人々の思いが具現化しはじめたのだ。
それがウォーグレイモンとメタルガルルモン、レディーデビモンとエンジェウーモンたちのもとへそれぞれ集い、形を成した。
人の思いの力を借りたジョグレス進化。
左腕にウォーグレイモンの頭を、右腕にメタルガルルモンの頭を持つ騎士のようなデジモン。その肩には太一さんとヤマトさんが乗っている。
そして、マスティモンの肩には、俺と光が。
『ウォーグレイモンとメタルガルルモンまでもが……』
『ジョグレス進化しちゃった……』
光子郎さんとタケルの驚愕の声を背に、およそ十万は超えるであろう新種デジモンの群れへ視線を向ける。
手始めの攻撃は、先ほどと同じ光弾の嵐だった。ほぼ面の攻撃といっても差し支えのないその攻撃を、騎士デジモンは、左腕のウォーグレイモンの頭から出でた剣をもって、打ち返す。それだけで、新種デジモンのコピペは大量に消えた。
次に、騎士デジモンは右腕のメタルガルルモンの頭より出でた砲をもって、攻撃を行った。新種デジモンが放つそれよりもさらに大きなその光弾は、その一撃で幾千もの新種デジモンを屠った。
「光」
「要くん」
『二人とも、行こう』
その圧倒的なまでの戦いを横目に俺たちもまた、攻撃を行う。
「闇の力を」
俺の声とともに、左腕にまとい、
「光の力を」
光の声とともに、右腕にまとい、
『邪悪なる者よ、黒白の一撃を受けよ。カオスディグレイド!』
相反するエネルギーを合わせることで威力を何倍にも増したその攻撃もまた、騎士デジモンが放つ一撃と同じように、新種デジモンの数を減らした。
騎士と天使が、悪魔を焼いていった。
『いました! あれが時計を持っているやつです!』
そして、最後の一体。光子郎さんの声を頼りに、その姿を捉えようとするのだけれど、ぜんぜん捕まらない。
騎士デジモンも、マスティモンでさえもやつの位置を把握しきれていない。
見つけることができていなくても、タイマーの針は無情なまでに進んでいく。
刻一刻とタイムリミットが迫る。
緊張と焦燥。苛立ち。そのなかで、またも、光子郎さんがなにかを閃く。
『そうだ、このメールぜんぶ、やつのアドレスに転送してしまえば、やつの処理速度を遅らせることができるはずだ!』
どたんばでの閃き。しかし、光子郎さんは戸惑いなく実行する。
『いっけえええ!』
エンターキーを鋭く叩く音。
瞬間、空間を縦横無尽に逃げ回っていた気配が一箇所で停止する。
「マスティモン!」
『わかってる!』
今度こそ、だ。
動きを止めた新種デジモン目掛けて、飛び出した騎士デジモンよりもさらにはやく翔る。
左腕を弓びく。闇の力が増幅され、黒い輝きを増す。
「決めて、マスティモン!」
光もまた、叫ぶ。
『ダークディスパイアァァ!』
闇の力をまとった腕が新種デジモンを貫通し、そして、内部に埋め込まれていた時計を掴みだし、破壊した。
*
「まっ、ま……!」
「間に合ったああ」
よりにもよって、家の近所の河川に落下してきた核弾頭を太一さん、光子郎さんは項垂れながら、眺めていた。
「よかったね、要くん」
光が、俺の存在をたしかめるかのように手を強く握ってくる。
その手を強く握り返しながら、俺はつい先ほどまでの出来事に思いを巡らせた。
デジタル機器からのデジタルワールドへの進入。新たなジョグレス進化。そして、人の思いが成す進化。
裕子さんの言うとおり、ああ、今日は本当にいろんなことが起こる日だな、なんて。
「ああ。うん、よかったよ」
「うん。テイルモンも、クロも頑張ったね」
『光のおかげだ。一緒に戦うことができて、私も嬉しかった』
『テイルモンに同意するわけじゃないけど、ふん、光もまあまあ頑張ったわよ』
「あはは、まあまあか」
『……その、光も、要も。えっと、ありがとね』
「ふふふ」
「おう、どういたしまして」
『なによ、もう……』
照れてそっぽを向くクロがかわいくて。
それをからかうテイルモンが愉快で。
そんな二人を見て微笑む光に幸せを感じて。
うん、大変な一日だったけれど、一件落着。これにて終幕。
――――そんな、俺たち選ばれし子供たちの春休みの一幕。
*
「そういえば、お兄ちゃんは空さんと仲直りできたのかな」
「あー、どうだろうな。新種デジモンのせいで滞ってたネット回線も復旧したはずだし、そろそろ太一さんのメールが空さんに届く頃じゃねえかな」
「……メールも止まってたの?」
「だろうさ。だって、空さんが太一さんのメールを無視なんて、それはさすがにないよ。いくらケンカ中でも」
「そうかな?」
「そうさ。あの二人、もう付き合っちゃえばいいのにな」
「うん、私もそう思う」
「だろ?」
「ふふふっ」
いかがでしたでしょーか。
賛否両論、誤字脱字、解釈違いなどいろいろあるとは思いますが、デジモンを楽しんでいただければ幸いです。
ありがとうございました。