『彼』は神々に決してサイコロを振らせようとはしないが、神々の振るうサイコロに導かれる冒険者たちもいる。そんな彼らの冒険を、少し見てみようではないか。
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『華々しくもなくありふれた泥臭い冒険のお話』

 冒険者(アドベンチャラー)、という職業がある。

 もしくは、生き方、と言っても良いかもしれない。

 

 光と秩序と宿命の神々と、闇と混沌と偶然の神々が長い長い戦いに明け暮れたこの世界で、「言葉持つ者(プレイヤー)」と怪物ども――「祈らぬ者(ノンプレイヤー)」もまた、長い長い戦いを続けている。

 そんなご時世、職業組合(ギルド)に管理された傭兵のような役目を担う者たちは、「冒険者」と呼び慣わされている。

 安定した生活を飛び出し――あるいは食っていく為に仕方なく――困難と危険、そして好奇心そそる未知に溢れた生き方へ挑む者達は、確かに、冒険をする者と呼ぶに相応しいだろう。

 宿命と偶然に左右されたりされなかったりする冒険者たちは、日々生まれ、冒険に繰り出し――時にあっけなく死に、そしてまた生まれる。

 今日も、辺境の街の冒険者ギルドにて新たな冒険者が生まれていた。

 

 これから物語るのは、神々が新たな冒険記録用紙(アドベンチャーシート)を綴り、サイコロを振って生まれた冒険者たちのお話である。

 

 

 

 異臭、腐臭、刺激臭。

 滞留して淀んだ大気の中、それらが綯い交ぜになった臭気が足元の濁った水流から這い上がってくる。

 薄暗く、しかしところどころ一定間隔で細い光が上方から落ち込んでくる石造りの空間を、隊伍を組んで進む者たちの姿があった。

 松明を灯すほどではない暗がりに、光を受けて落ちる人影は四つ。

 一つは、足首ほどの嵩の水流を踏み、蹴立てて先頭を行く全身鎧を身に付けた大柄な重戦士(ヘヴィファイター)

 一つは、重戦士の斜め後方を歩き、物珍しげに視線を彷徨わせる東方風の服と鎧を着込んだ小柄な武者(サムライ)

 一つは、短弓を握って重戦士の背後に位置し、身体の線に沿った動きやすい狩人装束の上に、獣皮のベストを羽織った野伏(レンジャー)然とした姿。

 最後方の一つは暗色の衣を纏い、前方の小柄な武者の足音を辿るように、しかし自らは水音小さく足を進める盗賊(シーフ)で御座いと述べるかのように、脇の石壁へ黒い輪郭を揺らしていた。

 只人(ヒューム)四人で構成された、冒険者一党(パーティ)であった。

 

 不意に、うんざり、という調子で重戦士が声を上げた。

「しっかし臭ぇなー……いい加減、鼻がもげそうだ……」

 鞣し革の籠手を嵌めた重戦士の左手には、穂先が二叉に広がった長柄――刺叉の中ほどが握られ、行く先を威嚇するように緩く突き出されている。

 反対の右手はおどけるように鼻を摘む動作を顔前でしているが、右腰に提げた片手剣の柄にいつでも手をやれる……そんな程度に警戒の威を放っていた。

「鼻で呼吸しなさいって言ったでしょ。繰り返す内に慣れるわ」

 重戦士の後ろ、灰色髪の野伏の少女が溜息混じりに窘める。

 彼女は弓手の握りを一度確かめ、背の矢筒から引き抜いて右掌に保持していた矢へ視線をやった。

 いつでも滞りなく矢筈を弦に番え、引ける構えだ。

 ベストごと腹回りを締める革ベルトにはいくつかポーチが括られており、短筒(ピストル)も一挺差し込まれていた。

 後ろ腰には、大振りな鉈が革の鞘に収まってベルトから提げられている。

「地下にここまで堅牢な水道が造られてるなんて……余の住んでいた所とは大分違うね」

 のんびり、と形容して良さそうな声音で、見回していた景観の感想を述べたのは小柄な若武者である。

 しかし、彼の右肩に担がれた得物は、重量感と共にいくつも棘を備えた黒鉄の金砕棒であり、中々に剣呑であった。

「頑丈で、色々な物が降って流れてくるこの空間。根城にする者が出てくるのも道理だな」

 そう笑声混じりに言うのは、浅黒い肌と、頭の後ろで一つ括りに結い上げた夜色の長髪が目を引く盗賊の女。

 彼女は腰帯に差していた短剣(ショートソード)を鞘から引き抜き、白刃を暗がりの僅かな光に照らして続けた。

「……どうやら、そろそろ訪問客の我らを歓迎してくれるようだ!」

 夜目が利く事と耳が良い事は、腕の立つ盗賊の条件のような物だ。

 暗がりの向こうに遭遇(エンカウント)の気配を察知した盗賊の言葉に、各人は口を噤んだ。

 重戦士は長柄に右手を添えて刺突に備え、若武者が金砕棒を正眼に構えて一歩踏み出す。

 重戦士ら前衛二名の中間に射線を確保した野伏が、矢を番えた弦を半ばまで引く。

 後方を預かる盗賊は背中を石壁に向けるように九十度身を回し、一党の後背に迫る影がないか広く目を巡らせている。

 素早く迎撃態勢を整えた彼らは、目をこらし、耳を澄ませた。

 目の前に広がるのは、冒険者が汚水を踏む足音の絶えた薄暗がり。

 光の届かぬ向こう側から、軽くない水音を立て、低い位置に濁った光を浮かべた影がいくつか接近してくる。

「DUUIIIIII!」「DUUU!!」「DU! DUDU!!」

 ヂュ、とか、キィ、とか、そんな金切り声を上げて突進してくる薄汚れた毛むくじゃらの怪物の正体は――鼠だ。

 ただし、「特大の(ジャイアント)」という枕が付くのだけれど。

 巨大鼠(ジャイアント・ラット)が、彼ら冒険者達の討ち取るべき今日の獲物だった。

 

 彼らが進んでいるのは辺境の街の地下――下水道である。

 

 

 

 冒険者、という職業がある。

 秩序の神と混沌の神が相争う事長きに亘り、魔神やら悪魔やら、他にも種々様々な怪物が世に溢れて久しいこの世界では、それらに対処する事を生業とする冒険者の需要は絶えない。

 そして需要に見合った供給も、それなりに絶えないのだった。

 今もまた、冒険者となる事を思い定めた者が一人、辺境の街の冒険者ギルド前へと辿り着いていた。

 

 街門を潜ってすぐの所に建つ冒険者ギルドの支部。その入口前に仁王立ちし、

 ――ついにやって来たわね。

 口中で小さくそう呟く少女は、野伏然とした格好をしていた。

 狩人装束の上に熊の毛皮を加工して作ったベストを羽織り、腹に革ベルトを回した姿。

 左肩に掛けた短弓と矢筒、後ろ腰に吊るした鉈の柄が、彼女が狩人であろう事を補強していた。

 少女の右肩には、替えの衣類などの生活用品の詰まった頭陀袋が背負われており、武具と旅具を携えて冒険者ギルド前に立つ姿から、道行く者からは「ああ、冒険者だな」と物珍しくもないものと判断され、特に注視されるような事はなかった。

 

 よくある話かどうかはわからない。

 山林に近い農村で狩人を生業とする家に生まれて育ち、十五歳の誕生日を無事に迎えて成人した少女は、辺境の街へ出て冒険者となる道を選んだ。

 三つ年上の兄が村内の農家から嫁を迎え、父から家長を継いだのが一月前の事だ。

 少女には選べる道が少なくとも二つあった。二つより多かったかどうかは、彼女にはわからないのだけれど。

 一つは、兄の嫁に来た義姉のように、家格の釣り合う男の所へ嫁に行く事。

 もう一つは、父から習い継いだ弓矢と短筒の腕を頼りに、冒険者として生きていく事。

 少女――エリカが選んだのは、後者の道だった。

 弓、鉄砲共にエリカの技量は狩人暮らしの父兄に勝るとも劣らない物であり、彼女に冒険者の道を人生の選択肢として挙げさせるのに、大いに寄与した。

 一月掛けて私物の整理と旅具の調達、村衆へのお別れの他、細々としたあれそれを済ませ、家族に見送られて村を出たのが今日の朝の事だ。

 今頃、家でエリカの使用していた空間は義姉がそっくり受け継いでいるだろう。

 

 エリカは、明るくない灰色髪を手で軽く背に払い、ついでに肩や袖、身体の前をはたいて埃っぽさを落とす。

 地元の村から朝一番の乗合馬車に乗り続け、太陽が夕の色を得て水平線の向こうへ去ろうとし始める頃、ようやく辺境の街へ着いたのだ。

 風に舞って馬車の荷台へ届いて付着していた微細な砂や埃が、エリカの衣服から力なく地面へと落ちていった。

「よしっ」

 手早く身綺麗にしたところで気合を入れるように拳を作り、深呼吸を一つ。

 改めて目前の建物を見るに、村にあるどんな家屋敷よりも大きなギルドの威容に驚かされる。

 と、阿呆のように見惚れている場合ではない。エリカは首を振った。

 ギルドの受付窓口の閉まる刻限が迫っているのだ。

 急ぎ足で入口を通ってロビーに入ると、依頼帰りや食事に来ただろう冒険者たちでごった返す人波に、思わず飲まれそうになった。

 大きな宿屋に酒場、そして冒険者を管理する役所のような施設を組み合わせたのが冒険者ギルドであり、流石の賑わいと言ったところだろうか。

 エリカは冒険者たちの間を縫ってぶつからぬよう進み、受付を目指す。

 業物だろう槍を担いだ鎧姿の只人の男に、肉感的な肢体をローブで煽情的に包んだ呪文遣いの女。

 歩いていく中で、性別種族年齢職業様々極まる彼ら、彼女らの姿が目に入ってくる。

 あるテーブルで杯を打ち合わせている只人達を見たと思えば、またあるテーブルの一つに座すは、狩人装束を纏って酒杯を高々と掲げる長い耳の森人(エルフ)の女、矮躯に見事な太鼓腹をこさえて彼女を囃し立てる鉱人(ドワーフ)の男、人の頭ほどの大きさをしたチーズ塊に大顎でかぶりつく鱗肌の蜥蜴人(リザードマン)と来た。

 異種族をこれほど間近で目にしたのはエリカにとって初めての事である。

 森人と鉱人は仲が悪い、という話を耳にした事があるが、互いに上機嫌に酒杯を揺らしているとは。

 何ともはや。

 世の中には、田舎の村にいた時には知りようもない物や事がたくさんあるのだ、とエリカはびっくりさせられっぱなしだった。

 未知と擦れ違った高揚感に胸を弾ませながら、ロビーの奥、よく磨かれた木目の天板を備えた受付まで辿り着く。

 ちょうど人がはけたところだったらしく、エリカは待つ事なくギルド職員に応対された。

「はい、本日はどうなさいましたか?」

 担当してくれたのは、小振りな提灯袖の白シャツに、黒地のラペルに白のパイピングが施された菫色のベストを重ねた、清潔感のある制服姿の女性。

 首元の黄の飾り布を発声で微かに震わせ、毎日毎回述べているだろう決まり文句を、受付嬢は揺らぐ事のない柔らかな笑顔で告げてくる。

 これが自分の仕事だ、と思い定めて臨んでいるが故の自然な物腰なのだろう。

「あっ、えっ……と……」

 ただ、左肩に流した丁寧に三つ編みされた彼女の淡い茶髪や、洗練された服を着こなしている姿に、思わずエリカは気後れしてしまう。

 舞い上がっていた心に冷や水を垂らされ、萎れてしまうような気分になった。

 己と彼女を心中で見比べてしまったのだ。

 伸び過ぎたら切っていただけの髪に、野趣の溢れ過ぎている熊皮のベスト、所々に継ぎを当てた着古しの狩人装束。

「田舎者が街に出て来たぞ」と思われたら嫌だな、と感じてしまう。

 もっとも、目の前で応対してくれている女性の笑顔に、そんな疑いは無用だと理解しているのだが。

 咄嗟に言葉が出て来なくなってしまったエリカに助け船を出すかのように、受付嬢が口を開いた。

「本日はギルドにご依頼ですか?」エリカの装備と荷物を一瞥して続ける。「それとも、冒険者登録でしょうか?」

「は、はい! 登録の方です」

 緊張たっぷりに受け答えするので手一杯だったエリカには、受付嬢が一瞬笑みを解いて眉を寄せた表情になった事に気付けなかった。

 一瞬の内に笑みに戻った受付嬢が、定型であろう問い掛けをしてくる。

「わかりました。では、文字の読み書きはできますか?」

「えっと、少しなら……ほんとに少しですけど……」

「では、こちらに記入をお願いしますね。わからない箇所があれば、聞いてくださったら大丈夫です」

 そう言って受付嬢が受付カウンターの向こうから天板に差し出したのは、一枚の薄茶の羊皮紙。

 金の飾り文字が躍っているそれは、冒険記録用紙(アドベンチャーシート)と呼ばれる代物だ。

「技量点と冒険履歴の所は空けておいてください。そこは私たちで査定しますので」

 補足するように付け加えられる受付嬢の言葉を聞きながら、エリカは羊皮紙を眺める。

 記入事項の部分には、名前、性別、年齢、職業、髪、目、体格、技能、呪文、奇跡とある。

 羊皮紙に綴られているのは、簡素極まりない項目の集まりのみ。

 だが、取り立てて学があるわけではない田舎の農村育ちには中々に難易度が高い。

 一頻り用紙と睨めっこしたエリカは、天板に置かれたペン立てに筆先をしまっていた羽根ペンを恐る恐る手に取った。

 緊張と不安を唾と一緒に飲み込み、

 ――いざ!

 尖った筆先を軽くインク壺に浸し、固く荒っぽい筆致で簡単な文字を綴り始める。

 ペンを握った手が震えないよう、息を止めて筆先を進ませる。

 ――名前はエリカ。性別、女。年齢、十五。職業は……野伏、かしら。

 一度息を吐いて吸い、再び止める。

 ――髪は灰色。目は、薄青色。母と同じ色。家のくすんだ鏡じゃよく見えなかったけど……うん、母は同じと言った。

 息を吐き、吸い、止める。

 ――背は確かこれくらいで、技能は弓矢と、短筒、獣の解体ってところね……記入方法間違えてたら言ってくるでしょ。

 そこまで書き終え、は、と安心の吐息をする。

 ペンをペン立てに戻し、金の飾り文字の近くに己の拙い字がのたくる紙を改めて見やった。

 ――ちゃんと読み書き習った方が良いわね、多分……。

 呪文と奇跡は持ち合わせていないので空白のままだ。

 えっちらおっちら書き上げた記録用紙を受付嬢に差し出すと、彼女は素早く確認を始めた。

 爪の切り揃えられた、けれど業務中にインクで化粧された細い指先が一つずつ記入項目を撫でていく。

 全ての項目を確認し終えたかと思うと、受付嬢は銀の尖筆を手に取り、白磁の小板に何やら刻印を始めた。

 迷いと無駄のない受付嬢の筆運びに見入ってしばし、加工を終えたそれがエリカに手渡される。

 見れば、己と比べ物にならぬほど優美な、それでいて細かな文字で記されたるは、先ほどの冒険記録用紙の内容である。

「冒険者としてのあなたの身分証も兼ねていますが、いわゆる能力査定(ステータス)というものです」

 小板と睨めっこを始めそうなエリカの姿に、受付嬢は小さく笑んだ。

 そして笑うのはそこまでに留め、彼女は僅かに険しい顔と声で告げた。

「何かあった時に身元を照合するのにも使いますから、決してなくさないようにしてください」

 思わず、固い唾を一つ飲んだ。

 受付嬢の思うところを、エリカは直感できていた。

 何かあった時。

 昔、自分と同じように村を出て冒険者となり、色こそ違えど、今己の手の中にある小板だけが村に帰ってきた者がいたと、彼女は旅立つ前に聞かされた。

 身体の残る死に方さえできない事もあると、そういう事だ。

 自然、一度背筋が震え、熱のない息が吐き出された。

「……わかりました」

 僅かに声を上擦らせ、思わず睨み付けるかのように瞳に力の籠もったエリカの返事は、どうやら受付嬢を満足させたらしかった。

 最初の柔らかな笑顔に戻った受付嬢が、仕上げだと言うように声を上げる。

「では、これで登録は終わりです。今後の活躍をお祈りしています」

 小さく礼をくれた受付嬢に一拍遅れ、慌てたようにエリカも頭を下げた。

 そして貰ったばかりの白磁の認識票――最下級の新人冒険者の証を首から下げたエリカに、受付嬢が小さく頷く。

「冒険者への依頼内容の紙は、あちらに張り出されています。等級に見合ったものを選ぶのが基本ですね」

 白い掌で示された先には、壁の一面を占領せんばかりの巨大なコルク板が据え付けられている。

 多くの者が一日の営みを終えようとする夕刻故か、掲示板に残る紙は端っこに疎らにあるだけだ。

「それと、依頼の方は毎朝決まった時間に張り出されます。早い者勝ちで取っていく決まりですので、備えましょう!」

 良い笑顔をした受付嬢から、エリカは冒険者として最初の講義(レクチャー)を受けた。

 こうして一人の新たな冒険者が誕生したのである。

 

 無事に登録を済ませ、晴れて冒険者となったエリカは受付嬢に礼を言って受付を離れた。

「さあ冒険へ!」……などと、いきなり飛び出すつもりはない。

 既に夕刻。

 直に夜が訪れようとしているし、駆け出し冒険者一人でできる事はたかが知れている。

 ギルドに来ている多くの冒険者も、既に今日の仕事を終えての食事と酒盛りが目的だろう。

 まずは今日の寝床の確保と、次に冒険の仲間を得る事が当座の目標だ。

 そう考え、エリカの足はギルドの二階にある下等級冒険者向けの宿屋へと向かおうとしたのだが。

 宿屋に通じる通路の近く、酒場の隅っこの方。

「ええっと……」

 大振りな椀を抱えて視線を右往左往させる小柄な少年と、

「お、俺に構う事ぁねえ……一思いにやってくれ……」

 大剣を壁に立て掛け、床にへたり込んだ大柄な全身鎧の男が繰り広げる寸劇もどきに遭遇(エンカウント)した。

 通行の邪魔だし、無視しようかとも思ったのだが、少年の背中につい声を掛けてしまった。

「ちょっと、何してるのよ。通行の邪魔なんだけど」

 背後から突然掛けられた棘のある声音に、わぁ、と小さく驚声を上げて少年が振り返る。

「ご、ごめんなさい!」

 首後ろで纏め、背中に下ろした長い黒髪と東方風の広いズボン裾が揺れ、少年が抱えていた椀の中身が見えた。

 大振りの椀にたっぷりと盛られているのは、湯気を立てる麦粥だ。

 賽の目に小さく刻んだパンと粗く挽いたチーズが振り掛けられ、木製のスプーンが添えられている。

 麦粥の熱で溶けたチーズ、それにパンの風味が混じった湯気の香りがエリカの鼻を擽ると同時、座り込んでいる男の腹から虫の鳴き声が特大で発せられた。

「ぐ、うぅ…………腹、減った……」

 情けない事極まりない調子で鎧の男が窮状を訴える。

 何となく事情を察したエリカは、お節介と知りつつ口を挟んだ。

「……何となくわかったけど、麦粥のあなたは、そこの腹ぺこ鎧男が気になって食事ができないってとこかしら?」

「うん……良かったら半分どうぞ、って言ってるんだけど……」

 聞き入れてくれないのだ、という雰囲気を醸す少年に、鎧男が精一杯厳かに声を上げた。

「気持ちは有り難ぇが、騎士は食わねど何とやらって奴だ……さあ、食ってくれ、一思いに……!」

 しかし、その精一杯の威厳も、腹の虫が即座に台無しにする。

 またぞろおろおろし始める少年の姿に、エリカの唇から溜息が漏れた。

 少年の背中と俯いている鎧男の姿からは判然としなかったが、二人の首から白磁の認識票が下がっているのが今ではわかる。

 冒険者に付き物なのは、依頼と報酬だろう。

「――折角の麦粥が冷めたら勿体ないわ」

 そして、食べ物を粗末に扱って良い道理はない。

「麦粥のあなた、そこの男に半分食べさせてやんなさい」

「おい! だから俺は」

 突如仕切り始めたエリカに食って掛かる鎧男の反論を、叩っ切るように彼女は言った。

「これは『報酬』よ、冒険者さん。本来冒険者への報酬は後払いらしいけど、この場では前払いで貰っておきなさい。その代わり、あなたは麦粥のこの人がしてくる『依頼』を達成する……それでどう?」

 粥を食わせる食わないで押し問答していた両者を、エリカは確認するように見回す。

 その手があったか、と感心するように頷いた少年が笑みを浮かべた。

「……うん! 余はそれで構わないよ。ねえ、報酬は払うから、受け取って貰えないかな?」

「む、む、む……」

 鎧男は短い間唸って思案していたようだが、エリカの詭弁に自らを納得させたか、あるいは腹の虫に勝てなかったか、

「……わかったっ! 有り難く食わせて貰う! 食った分は働かせて貰う! ……それで良いか!?」

 涎を拭うように口元を手の甲で拭き、了承の意を発した。

 そうして胡座を掻いた鎧男の前に膝を着き、椀を手渡している少年を尻目にエリカは宿屋に向かおうとし……呼び止められた。

「なあ、あんた!」「狩人さん!」

「……何よ?」

 やっと宿に行けると思った矢先に呼び止められて何だか朝からの疲れが吹き出てしまい、不機嫌丸出しの声が出てしまった。

 が、少年と、粥で頬を膨らませた鎧男は気にした風はない。

「あんたも白磁の冒険者だろ? 一党(パーティ)はもう組んでるのか?」

 鎧男の問い掛けに、エリカはゆっくりと首を横に振った。

「さっき登録が済んだところ。他の冒険者の伝手もないし、そうね。今は単独(ソロ)よ」

「君が良かったらなんだけど、一党を組まない? 余も冒険者になったばかりで一人なんだ」

「俺もまだ一人でな……。これも何かの縁って事で、どうだ?」

 鎧男は見ての通りの重戦士。

 少年の方ははっきりとはわからないが、先ほどからの足運びや体幹の定まった立ち振る舞いから見て、がちがちの後衛とは思えない。

 打たれ強さのない野伏の自分が一党を組むに当たっては、前衛担当は必須だ。

 いつの間にか顎に手を当てて思案していたエリカに、少年がはっとしたように口を開いた。

「……あ、いきなり言っても判断材料が足りないよね……。余の名前は(あずま)。職業は侍……こちらの方で言うところの戦士(ファイター)だよ」

 東は、首に下がる白磁の小板を摘んでエリカへ向けて掲げるようにした。

「武器は金砕棒と護身用の短刀。身体賦活と癒しの術を、どちらか日に一度使えるんだ」

 東に続き、鎧男が自らの認識票を掲げる。

「俺は直継(なおつぐ)ってんだ。重戦士で、夢は騎士になる事! 壁役(タンク)なら任せろ。ついでに俺の剣術でばっさばっさと怪物を薙ぎ倒してやるぜ」

 親指を立てた笑顔で調子の良い売り込み文句を言う直継をしげしげと眺めていたエリカだったが、不意に小さく噴き出した。

 彼の頭に付いていた木屑と、麦粥以外に強く香ってくる乾いた木の匂いの正体が知れたからである。

「ふっ、ふふ……そうね、修めた剣術流派は『お宿薪割り一刀流』ってとこかしら?」

「なっ!」

 からかうようなエリカの言葉に、一瞬顔を赤らめた直継だったが、すぐに若干肩を落として疑問した。

「……何でわかったんだよ! 宿代減免の代わりに薪割りしてたって……」

 鼻先に人差し指を当て、エリカは悪戯っぽく言った。

「髪に木の屑が付いてるから一度洗った方が良いわよ。あと、薪の匂いは嫌いじゃないの」

 手持ちのない武装無頼漢を路上生活させるギルドもなかろう、という事で、何かしら救済措置はあると思っての推理だったが、当たっていたようだ。

「……街に来て浮かれて、いきなりギルドの武具店で中古の大鎧と大剣買って素寒貧になっちまうような奴は、やっぱり駄目か?」

 俯き気味に自問するような直継に、エリカが断言した。

「少なくとも計画性がないとは判断するわね」

 岩でも落とされたかのように直継の頭が前に落ち込む。

「でも、薪割りを延々遂行して宿代に換える真面目さは、一党を組むに当たって評価できる点だわ」

「「じゃあ!」」

 直継が勢い良く顔を上げ、東が目を輝かせた。

「ええ、これも何かの縁……私で良かったら一緒に一党を組みましょう。言い忘れてたけど、私はエリカ。職業は見ての通り野伏。弓矢と短筒の腕は村一番、後は動物の解体もお任せよ!」

 こうしてエリカは宿に部屋を取る前に、冒険の仲間を得たのだった。

 

 

 

 エリカの冒険者生活初日は、明朝依頼の張り出し前に酒場の壁際に集合、と約束して東らと一旦別れて終わった。

 

 翌朝。

 日が昇り始めてしばらくした頃、ギルド二階の宿泊施設、その手狭な個室の簡素な寝台で彼女は目を覚ました。

 夢から(うつつ)へ移り行く意識の中で、

 ――もう(うち)じゃないんだ。

 と、窓から差し込む朝日を見つめて思う。

 ふと胸の底に去来した一抹の寂しさに夢の方へと気を引かれたが、振り切るようにエリカは身を起こした。

 身体に掛けていたシーツを払い、両腕を上げて胸を張り、大きく伸びを一つ。

「んん……ぐ……ふー」

 枕に掛けていた手拭いを取り、昨日の内に部屋に持ち込んでおいた水入りの手桶の方へと歩く。

 板張りの床に膝を着き、夜の空気に冷やされていた水を少し掬い、寝惚け眼の顔に軽く打つ。

 すると、はっきりと目が覚めていくのがわかる。手拭いで顔を拭いて覚醒完了だ。

「さて」

 エリカは装束を整え、壁に立て掛けたり頭陀袋にしまっていた装備の具合をてきぱきと確かめていく。

 ――鉈、研ぎ、油良し。弓、弦、弭良し。矢筒、筈、羽根、鏃良し。短筒、燧石(フリント)、弾薬良し。

 一通りの確認を終え、一息吐いたところで朝食である。

 頭陀袋に手を突っ込んで引き出したのは、村から持ってきた干し肉と少し萎びた林檎。

 寝台の脇に腰掛け、固い肉を少しずつ噛み千切り、口中でふやかしてまた噛んで飲み込んでいく。

 あまり甘さのない林檎はデザートだ。

 今日挑む初めての冒険への想像に胸を膨らませながら、エリカは手早く肉と林檎を平らげていった。

 ――もうそろそろ、一階の酒場に下りていっても良い頃だろう。

 弓を引くのに邪魔にならないよう、髪を適当に頭の後ろに集めて紐で括っておく。

 頭陀袋を部屋の隅に置き、代わりに細々とした物品を詰めた雑嚢鞄を背に回した。

 革ベルトの横に短筒を差し込んで後ろに鉈を吊り、弓と矢筒を肩に担いで準備完了だ。

 

 そうしてギルド一階に下りたエリカが見つけたのは、壁際のテーブルで何やらローブの女に朝食の麦粥を分け与えている東だった。

 相違点と言えば、東が胴と腰、腿周りを守る鎧と鉢金を身に付け、金砕棒を手繰っている事だが、昨夕の既視感がエリカの胸中を満たす。

 頭痛を堪えるように掌を額に当て、軽く頭を振ってからテーブルへと歩みを進めていく。

 彼らの近くまで到達し、エリカはごく平坦な声で朝の挨拶と問い掛けを行った。

「……おはよう、東。何をどうしているのか聞いてもいいかしら」

「おはよう、エリカ。ええっと……朝ご飯を食べてるんだけど……?」

 突然の問いの意図を汲みきれない、という風情を漂わせながら半疑問系で答える東。

 ――そうね、私の問いにそう答えるのは字義の上で必ずしも間違っているとは言えなかったわね。

 言い方を変えよう。

「そこの人にどうしたのか言ってみなさい」

 ほら、怒らないから。多分。

 エリカの表情を見て萎縮してしまった東に代わり、麦粥を堪能していた浅黒い肌に夜色の長髪をした女が問いに答えた。

「いやはや……昨日、出物の短剣(ショートソード)を見つけて金子に羽が生えて行ってしまってな。空きっ腹を抱えて唸っていたところにここな御仁が声を掛けてくれたのよ」

 唇の端に付いていた麦粥の食べ滓を、親指の腹で拭い取った女が続ける。

「聞けば冒険者になったばかりで、昨日新人三人で一党を組んだところだと言う。私も似たような身空故、一飯馳走して貰った縁と恩に依りて一党に加えて貰いたき次第」

 彼女の切れ長で涼やかな両の目が、エリカと東を見据えた。

「東殿、如何に」

「うん、余は良いと思うよ」

 逡巡なく応じる東だったが、

「ちょっと! 返事する前に何ができるかくらい聞きなさいったら」

 エリカの鋭い視線と声が東を窘め、次いで女を捉えた。

「……はっは! 道理さな」

 不躾とも言えるエリカの物言いに、女は楽しげに笑みを零す。

「私の名はハサン。盗賊(シーフ)の職でギルドに登録した。斥候(スカウト)の真似事もできるが、本領は罠やら錠前の解除、それと怪物の死角からの暗殺(アサシネイト)……と言ったところだ」

「………………」

 しばらくエリカはハサンを見つめていたが、やがてそっぽを向き、わざとらしく溜息を一つ。

「直継にも相談して、あいつが許可したら異存はないわ。私たちは、一党だから」

 東と自身に言い聞かせるようなエリカの言葉に、柔らかな笑みの東は何度も頷いた。

 ほどなくして合流した直継にも東が事情を説明した結果、ハサンの一党への加入は恙なく為された。

 実際、三人では戦闘に際して頭数として不安が残る数ではあったし、器用な働きのできるハサンの加入は一党の総合力を上げてくれる出来事でもあるのだが。

「……東、あなたって捨て犬や捨て猫拾って帰った事あるでしょ」

 四人一同でテーブルを囲んで依頼の張り出しを待つ中で、エリカが不意にそう切り出した。

「へ? えと、うん……凄いね、エリカ。どうしてわかったの?」

 感心したように頷き、それから不思議そうに小首を傾げる東をエリカは半目で見やる。

 わからいでか。

 出会って丸一日と経たぬ内にでかい犬と艶の良い黒猫を餌付けしているとは。訳がわからない。

 まあ、傍から見れば、侍を自称するこの少年は一日で一端の一党をこさえてみせたのである。

 術と武を併せ持った本人と、鉄火場で頼もしく並び立ってくれる重戦士。

 後ろから援護をくれる村一番の射手。それに警戒から罠除けまで何でも御座れの盗賊。

 世間知らずとまではいかないが、坊ちゃん育ちの感が見えるこの少年、人を呼び込む才があるのかもしれない。

 そんな事をつらつら考えていると、昨日エリカを担当した受付嬢のよく通る声が、多くの冒険者でざわめくロビーに響き渡った。

「――はい! 冒険者の皆さーん! 朝の依頼張り出しのお時間ですよー!」

 その一言の後にざわめきは段々と途絶え、冒険者たちから発せられる虎視眈々、という空気がロビーを満たしていった。

 ギルドに寄せられ、冒険者に委託される依頼には、冒険者を冒険者たらしめる要素が詰まっている。

 一つには、彼らの日々の食い扶持。また一つには、社会的信用度、冒険者としての評価がある。

 仕事をきちんとこなして報酬総額と社会貢献度を積み上げていけば、ギルドの認める等級が上がっていくのだ。

 下級の白磁や黒曜では信用が足りず、重要な依頼は受けられない。

 しかし、逆を言えば等級が上がれば、高報酬に加えて名も上がる依頼が、どうぞ受けてください冒険者様、と待っているのだ。

 冒険者の多くは、自らの首に下げる認識票が輝きを放つ色になる日を夢見て、日々依頼に吶喊するのである。

「よいしょ、よいしょっと」

 受付を出た彼女は身体の前に書類を山と抱えており、それをコルク板の前まで運んでいく。

 脚立に登って待っていた他の職員の手に書類が渡されると、瞬く間にコルク板へと上から順に張り付けられていった。

 受付嬢はと言えば、一仕事終えたという表情で額を手の甲で拭い、受付の自席へと戻っている。

 そして、いっそ芸術的なまでの手付きで依頼書でデコレートされた掲示板の前から、職員が脚立を担いで退去した瞬間。

 お、とか、わ、という意気の沸き上がりが、ロビー全体で弾けた。

 熱に浮かされるように、冒険者たちが我先にと掲示板の依頼目掛けて殺到し始めたのである。

 エリカらの一党からも直継が、

「俺たちの白磁デビュー戦に相応しい依頼を取ってきてやるぜ!」

 と、大口を叩き、勇んで押し合いへし合いの巷に飛び込んでいったのだが。

 ぐはぁ、なんて言いながら押し退けられて尻餅をついてすごすごと戻ってきた。

 広い肩をすぼめて椅子に座る大型犬に続いて、

「ねえ、余も行ってみても良いかな!?」

 と、無駄に目を輝かせた小犬が掲示板の前へと走り出していった。

 その成果はと言えば、鎧った尻まで人混みに押し込んだところであえなく返り討ちに遭っていた。

 うわぁ、なんて言いながら押し出されて尻餅をついた東に、エリカは戻ってこいと言うように手招きする。

 目を弓にしたハサンは、喉を鳴らして仲間の勇姿を眺めていた。

「大丈夫? 東」

「うん……冒険者ってやっぱり大変なんだね」

 心配するエリカに対して、どこかずれているような事を息を切らせた笑顔の東が言う。

 多分、掲示板の依頼を確認するのに良い位置を確保するには、戦略が必要なのだとエリカは思った。

 直継の巨体で東とエリカを隠して道を拓き、エリカと直継で他の連中を間仕切り(スクリーン・アウト)し、その間に東に依頼を取らせる、とか。

 ハサンに関しては紙切れでも通すように身を進めてしまいそうである。

 が、仲間の奮闘を「笑」励している今の彼女に、期待を掛けるのは正解ではなさそうだ。

 少なくとも今日のところは無策で突っ込まず、残り物の新人向けを漁ってみるとしよう。

 その方針が一党で言葉少なく同意された。

「この依頼は俺が先に取ったんだ!」「違う、ボクたちだよ!」「押すんじゃねぇー!」

 見れば、いい歳をした成人たちの怒号と悪罵が渦巻く掲示板前から、めいめい依頼を剥ぎ取った冒険者たちが受付の方へと転び出てくる。

 耳を澄ませば、ドラゴンがどうの、トロルがどうのと依頼内容を受付で協議しているのが漏れ聞こえた。

 依頼争奪戦の勝者第一陣、第二陣が成果の紙を片手に受付へと列を成していくと、掲示板前の人だかりは大分疎らになった。

 掲示板の依頼の残りも疎らになってはいる。が、零ではない。

「見に行きましょう」「うん!」「おう!」「承知」

 エリカの掛け声に続いて各々席を立ち、気持ち足早にコルク板の前を目指す。

 残り少ない依頼を吟味しているのは、自分たちのように押し退けられた新人一党だったり、完全に出遅れた感のあるベテランだったり。

 ――残った依頼は何々……山深い洞窟に巣くったドラゴンの調査。……無理!

悪魔(デーモン)を擁する邪教団の討伐か……」

 依頼を読んで満更でもなさそうに唸る直継には悪いが、エリカの見る限り白磁には受けられない依頼だ、それは。

 東たちの方はどうだ、と見やれば、

「へぇ……ドブさらいも冒険者への依頼なんだね」

「東殿、下水道の害獣駆除もあるぞ」

「ほんとだ!」

 白磁の自分たちの手の届く依頼を見つけてはしゃぐ東に、それを囃して楽しんでいるハサンがいた。

「ドブさらいも鼠退治も、悪くはないんだけどね……」

 小さく肩を落とし、エリカが呟く。

 ギルドは冒険者の仕事をしっかりと評価する。ギルドを通す以上、地味で汚い駄賃仕事も立派な依頼だ。

 でも。

 どうせならちょっとしたもので良いから、初依頼は冒険がしてみたい。

 そんな気持ちが声と溜息に乗って漏れ出る。

 何かないかしら、と彼女が再び首を巡らせると、隅も隅の方に一枚の依頼書があるのに気が付いた。

 その紙に書かれていた依頼内容は――ゴブリン退治。

 気になったのは、用紙の真新しくなさだった。

 記述され、張り出され、いくらか日が経っている――紙のよれた感がそんな印象をもたらしている。

 実際、よく見れば受け付けた日付が昨日、一昨日ではきかない。

 ふむ、と顎に手をやったエリカは依頼を睨みながら考えを巡らせた。

 ゴブリン。小さな鬼。数だけが取り柄の、人間の子供程度の知恵と力しか持たぬ、最下級の怪物。

 駆け出し冒険者の最初の「冒険」として選ばれる事が多いのが、巣穴に潜ってのゴブリン退治だ。

 ちょうど良いかもしれない、と思ったエリカの手がゴブリン退治の依頼書に伸び――取る事は能わなかった。

「このゴブリン退治はやめておけ」

 不躾、無骨、無遠慮。

 それらを押し固めて鋳ったような声と共に、横合いから伸びた革籠手の掌が紙を毟り取っていったから。

 横から依頼をかっ攫われる格好になったエリカは、むっと顔になって吠えた。

「……ちょっと! その依頼は私が狙ってたんだけど!」

 横取りしてきた腕の方へ身体を向け、腕の主の全身を認め――息を呑んだ。

 それは異様な風体の……恐らく、只人の男だった。

 薄汚れた鉄兜と革鎧、鎖帷子を身に纏い、所々が赤黒く染まった全身。

 中途半端な長さの剣を腰に帯び、小さい円盾を腕に括り、雑嚢鞄を腰に吊った姿。

 顔色どころか瞳も見通せない面頬の奥に、不安を感じながらもエリカは鋭い視線を射掛ける。

 未来の白金等級冒険者を夢見て田舎から出て来た駆け出しの若者の方が、まだしも見られる装備をしていそうなみすぼらしい格好ではないか。

 横からいきなり偉そうな事を言うこの変な奴を、鼻で笑ってやろうかと思った。

 しかし、この冒険者と対峙した事でエリカは否応なく異様さを、文字通り嗅ぎ取った。

 薄れてはいるが、赤錆び、汚れた臭気。村で狩りをしていた時に己も纏ったもの。

 ――この臭い……生き物の返り血と獣臭。あの赤いの、もしかして、全部……!?

 そして何よりエリカを驚かせたのは、どこまでも薄汚れた全身の中でただ一点輝きを放つ、首元の銀の小板。

 十ある冒険者の等級の内、最上位の白金は伝説扱いで、それに次ぐ金は国家級の事業に携わるような雲の上の存在だ。

 白金、金と続き、銀等級が第三位に来るのだが、それは事実上の在野冒険者の最上位と言える。

 ――この薄汚れた戦士が、ギルドの認めた銀等級の冒険者……。

 咄嗟に言葉が出ないエリカに、鎧の男はしばらく黙して待ち、

「……依頼は、早い者勝ちだ」

 と、的外れなのか的を射ているのか判別しにくい言葉を残して去ろうとする。

 背を向けようとした男の挙動を目にし、やっと喉が動くようになったエリカが突っ掛かった。

「ま、待ちなさいったら! 依頼は早い者勝ちかもしれないけど、どういう事よ、やめておけって!」

 そこまで言ったところで、東らが騒動の気配に気付いてエリカの後ろへとやってきた。

「どうかしたの、エリカ?」「何をしたんですか、ゴブリンスレイヤーさん!?」

 一党がいたのは向こうも同じだったようで、白と青を基調とした神官衣に身を包んだ少女が錫杖を鳴らして小走りに駆け寄ってくる。

「……何もしていないぞ。依頼を横から取るような形になったが、俺の方が早かった」

 女神官(プリーステス)の半ば断定的な声に、男――ゴブリンスレイヤーと呼ばれた者は、淡々とそう言った。

 つまみ食いを見咎められた小僧のように言い繕うゴブリンスレイヤーの姿は、先ほどまでエリカの感じていた異様さを、幾分打ち消したように見えた。

「……あなたが、この人と一党を組んでいるの?」

 上から下まで、エリカは女神官を眺める。

 口には出さなかったが、物凄く普通の冒険者だ。

 直近の比較対象がおかしい、というのはさておき。

 地母神殿に仕える者の神官衣に帽子、足元は丈夫そうなブーツ。

 過度な武装を戒める教えに則っただろう錫杖と……衣擦れに紛れた金鳴りから、服の下に鎖帷子でも着込んでいるのだろうか。

 首から下げる認識票は、白磁の一つ上の黒曜。白磁を卒業した身近な先輩と言える。

「えと、はい! ゴブリンスレイヤーさんとは一党を組ませていただいています!」

 ゴブリンスレイヤーの一種陰気な受け答えと違い、はきはきとした女神官の言葉は会話相手の喉を絞め付けない。

「その、ゴブリンスレイヤー、さんに依頼を持ってかれたのは癪だけど、早い者勝ちだからしょうがないわ。でも、この人……人?『やめておけ』って言ったのよ。ちゃんと理由を聞かなきゃ引き下がれないの」

 ゴブリンスレイヤーとの会話未満のやり取りで溜まった言の葉を、エリカは女神官に向かって捲し立てるように押し出していた。

 浴びせられる言葉の流れに僅かに仰け反るようになった女神官だが、しっかりと受け止めていた。

「えぇと……何か、理由があるんですよね、ゴブリンスレイヤーさん?」

 一通りエリカからの訴えを聞き届けた女神官は、今度は黙って依頼書を読み込んでいる隣の薄汚れた戦士に水を向けた。

「依頼は何だったんですか?」

「ゴブリンだ」

 何を当たり前の事を、とでも言いたげなゴブリンスレイヤーが、握り締めたせいでしわくちゃになった依頼書を女神官に向かって示す。

「見ろ」

 思いやりだとか優しさと言ったものが欠片も感じ取れない命令形の彼の言葉に、女神官は素直に応じた。

 もしかしたら、言葉にしているだけでも彼なりの誠意が表れているのかもしれないが。

「うーん……」

 小さく唸り、ゴブリン退治の依頼書と睨めっこする女神官。

 しかし、すぐに何かに気付いたように彼女は声を上げた。

「これは……確かに白磁等級の一党一組では、難しい、ですね……」

 眉を寄せ、唇を僅かに噛んだ女神官の表情が曇りを得る。

「それで、何がいけないのか、教えて貰えるかしら?」

 薄汚れた変な戦士と、それに似つかわしくない清潔な乙女の奇妙な二人組の姿に、エリカはすっかり毒気を抜かれていた。

「はい、余たちも聞きたいです!」

 そこに東たちが場に寄せてくる。

 銀等級の大先輩と黒曜等級の先輩からの忠告とあっては、聞き逃すのは損というもの。

「じゃあ、ゴブリンスレイヤーさん、説明をお願いしますっ!」

「俺がするのか」

「新人冒険者さんたちの冒険を少なからず遮った事に、説明する責任はあると思います」

「そうか」

「そうです」

「……そうか」

 至極真っ当な女神官の理詰めに、ゴブリンスレイヤーは一度頷き、エリカたちへと向き直った。

「この依頼は、巣穴の発生から時間が経って規模が大きくなっている可能性が高い」

 金床で鍛冶師が鋼を打ち鍛える鎚を振るうように、一定の調子で言う。

「認識票から、お前たちは新人だと判断した。一党で連携できるかも未知数だろう、と」

 感情の絶えた声とは、こういうものを言うのだと、新人冒険者は聞き知った。

「ゴブリンどもとて連携してくる。奴らの数と狡猾さを上回れなければ、惨めに死ぬ」

 顔を伏せた女神官は、錫杖を抱くようにして握り締めていた。

「だから、このゴブリンは俺が皆殺しに(スレイ)する」

 そう決然と言い切った男の名は、確かに小鬼を殺す者(ゴブリンスレイヤー)だろう。

 何某かの言葉を発する者は、誰もいなかった。

 彼は、これで説明は済んだ、と言わんばかりに依頼を持って一人受付へと歩き始めた。

「あっ、待ってくださいゴブリンスレイヤーさん! 私も行きますから!」

 遠慮ない足取りで進むゴブリンスレイヤーに呼び掛けながら、女神官は平謝りするように幾度も頭を下げた。

「いつもああなんです、悪気はないんです、はい……最初の頃は巨大鼠狩りとドブさらいでお金と経験を溜める事を勧めます! では――」

 そうして彼女が去り際に祈ってくれたのは、地母神の名だ。

 あなた方の冒険に加護あれ、と。

 女神官はゴブリンスレイヤーの背を追って小走りに駆けていった。

 粗方禿げた掲示板の前に取り残される格好となったエリカたち。

 何か変なのと遭遇(エンカウント)し、ゴブリン退治について忠告を受けるという、あまりにも突発的な出来事(イベント)に何も言えないでいると、彼女らとゴブリンスレイヤーらのやり取りを窺っていたらしい受付嬢が、何やら誤魔化すように叫ぶ。

「はーい! はいはいはい! 冒険者登録してすぐの方には巨大鼠退治や下水の清掃をお勧め、お勧めしますっ! お金を稼げてギルドで評価もされますよー!」

「……大人しく鼠を狩るか」

 色々と濃い出会いがあって回転の鈍った頭で、エリカは呟く。

 鼠、鼠の依頼はどこに行った、と掲示板に目を巡らせていると、東が皺を伸ばした依頼用紙をエリカに掲げてきた。

「そう言うと思って、はい」

 笑顔の東に彼女が目を瞬かせていると、直継が若干声を震えさせて言う。

「いきなりゴブリンの大群ってのも勇気があるが、ま、まずは装備と経験だよな」

「エリカ殿。先達の教えは有り難く聞き入れておくべきだと考えるが、どうか」

 笑みの抜けたハサンの真剣な顔付きを見て、やっとエリカの頭が冷静さを取り戻しつつあった。

 深い溜息を一つ吐き、吸い込む。

「……うん。じゃあ、私たちの初めての冒険は、下水道の巨大鼠狩りよ」

「おお!」

 と、威勢良く返事した直継であるが、彼には少しばかり走って貰わねばならないわねとエリカは思った。

「東は受付で依頼を受けて来て」

「了解!」

「その間に私とハサンは解毒剤(アンチドーテ)と飲み水を調達。薬のお金は一旦私が出すわ」

「心得た。水汲み程度はお安い御用だとも」

「直継は今すぐ走って剣を買った武具店に返品してきなさい、未使用ですって言って。そのお金で下水道で巨大鼠相手に使える武器を買ってくる事。いいわね?」

「ええ!? 何で俺だけぇ……」

 ぶうたれる大柄な重戦士に、エリカは遠慮なく言い募った。

「……あなたねぇ、狭くて暗い下水道でその段平振り回して、鼠が仕留められるの? 失敗しない自信ある?」

「…………行ってきまぁーす」

 直継は渋々、と言った風に、けれど駆け足でギルドの一区画に入っている武具店へと向かった。

 

 

 

 冒険者、という職業がある。

 冒険者とは、華やかで勇壮、腕次第で金も名声も思いのまま……そんな夢のある職業と語られる事もある。

 しかし、華やかさとも唸るような金の匂いとも無縁な下水道の暗がりに、今彼らはいる。

 なぜなら、彼らが白磁の認識票を下げた、駆け出し冒険者(ルーキー)だからである。

 

 事前の打ち合わせと装備を整える事の大切さ、そして連携する事の強さを新人冒険者一党は各々噛み締めていた。

「前方、数は四! 一番手前のを押さえる! 東、ドタマかち割ってやれ!」

 汚水の上を跳ねるように先頭を進んできた巨大鼠の背に目掛け、重戦士の手元から素早く刺叉が突き出される。

 背中を剛力の籠められた二叉の穂先に押さえ付けられ、鼠は抗議するように甲高い鳴き声を吐いてもがいた。

 そこへ、

「チェストォォォ!!!」

 裂帛の気合で斜め打ちに振り下ろされた武者の金砕棒が、鼠の頭蓋と顔面を砕いていった。

「DU……II」

 濁った金切り声を末期の叫びとし、脳漿と目玉を飛び出させた巨大鼠が息絶える。

「東、直継! 射るから射線注意!」

 野伏が言い放ち、前衛が体勢を整えたのを視界の端で確認。

 狙い定めていた鼠の頭部へと矢が風を切って飛び、狙い違えず射抜く。断末魔さえ上げられず即死した鼠に構わず、野伏が次の矢を番えて叫んだ。

「次!」

 重戦士と武者、野伏が水路前方で会敵した鼠を相手取る中、後方で警戒していた盗賊が口の端を上げた。

 二頭の巨大鼠が暗がりから忍び寄らんと、ゆっくりと進んできていたのだ。

「ほう……鼠が我らを袋に閉じ込めようとするとは。そんな知恵もあるのか。後方に鼠二匹出現! 私が仕留める!」

 情報を共有する為に大きく声を上げると同時、盗賊の腕は振り抜かれていた。

 彼女の手指に挟まれていたのは、短い白刃が二本。

 次の瞬間、片方の鼠の頭と背中に投げナイフが突き立ち、汚水へと縫い付けるようにして絶命させていた。

「DU?! IIIII!!」

 隣にいた同族の突然の死に、もう一頭の鼠が泡を食ったように金切り声を上げて盗賊へと突進を始めた。

 けたたましい水音を立てながら、懸命に鼠は走った。

 あと少しで盗賊のしなやかな足に、汚れた歯を突き立てられる。

 だが、そんな絵図面は、文字通り盗賊ごと掻き消えた。

「DUI!?」

 鼠の黄ばんだ上歯と下歯が音を立てて噛み合わされたが、捉えたのは空だ。

 当てのまるで外れた鼠は、突進跳躍の代償として無様に汚水へとすっ転ぶ。

「危ない危ない……。噛まれては敵わぬ。痛くて不潔そうだ」

 鼠と入れ替わるように水路に着地した盗賊が、小さく肩を竦めた。

 鼠の歯が迫ったその瞬間、盗賊は身を軽々と飛び退らせて背後を取ったのだ。

 金子を費やした出物の短剣が、寸分の狂いなく巨大鼠の背中から延髄を切り裂く。

 ごく短い痙攣をし、鼠はそれきり動かなくなった。

 盗賊が後方の鼠に対処を終えたところで、前方でも決着したようだ。

 

 各人、初めての戦闘で昂ぶった心と息を整える為に革水筒から一口、二口と水を呷りつつ、戦果を確かめる事にした。

 下水道の前方では、頭蓋を一撃で砕かれた鼠の死骸が二つ、矢で射抜かれた死骸が同じく二つ。

 後方では投げナイフで串刺しにされた死骸と、致命の(クリティカル)小さな傷の死骸が一つずつ。

損害なし(ノーダメージ)で六つ……。上出来ね」

 水筒の口を締めて口元を拭ったエリカの自讃に、東が頷きを加えた。

「近い敵は直継が押さえて余が叩くのが基本で、遠い敵はエリカが射抜く。矢で仕留められなくても落ち着いて叩く……。最初に作戦を決めておいて良かったね」

 混乱なく攻撃を続けられたのは、作戦会議のお陰だろう。

「大剣じゃなくて良かったぜ、マジで……」

 太く息を吐く直継は、どうやら鼠のすばしっこさに驚かされたようだった。

「あーでも、やっぱ大剣使いてぇなぁ……。刺叉じゃビビっと来る絵面にならねぇよなー」

「はいはい、大剣が振るえる敵を相手取れる等級になったらね」

 ぶつくさ言う騎士志望の重戦士に、エリカは律儀に答えた。

 一方的に言いつけて最初の装備を手放させた手前、若干負い目があるのだ。

「業物とまではいかぬが、やはり良い武器は手にしっくり来るな。どんどん狩ってどんどん稼ごう」

 己のペースを崩さず、目を弓にした笑顔でハサンが何やらやる気、もとい殺る気を見せていた。

 息が整うと、四人の新人冒険者は探索行を再開する。

「今日の目標は、依頼書に書いてあった頭数を仕留めて下水の入口に持ち帰って、無事帰還する事で良いかな」

 確認するように述べた東の言葉に、三人は「異議なし」と揃って応じた。

 巨大鼠は下水道に巣を作って塞き止めたり、繁殖して食料が不足すると餌を求めて市街に這い上がって畑や民家を荒らす。

 それ故、初心者の鍛錬を兼ねて駆除が奨励されている怪物である。

 

 そして、四人の新人冒険者の泥臭い初冒険は、成功を収めた。

 

 

 

 ゴブリン。小さな鬼。人間の子供程度の知恵と力しか持たない、最下級の怪物。

 駆け出し冒険者の最初の「冒険」として選ばれる事が多いのが、巣穴に潜ってのゴブリン退治だ。

 そして、少なくない駆け出し冒険者がゴブリンどもの塒で躯を晒し、彼ら彼女らの冒険をそこで終えてしまう。

 しかれども、冒険者の多くはゴブリン退治を一度か二度ほど成功させて生還し、より報酬の多い、華のある仕事へと足を向ける事となる。

 

「武器良し、防具良し、水薬と解毒剤良し、情報良し、体調良し」

「じゃあ、行こうか。――ゴブリン退治へ!」

 

 彼らの冒険がどうなるのか。あるいはどうなったのか。

 その行方は、神の振るサイコロのみぞ知る。

 

     Fin.


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