若い頃、私はロケット団員だった事がある。
あまり良い環境には恵まれず、分かりやすくグレていた頃だった。物を盗んで売りさばいたり、賭けバトルでズルをして相手を負かす事だけを考えたり、機嫌が悪いからとポケモンと一緒にチンピラ相手に喧嘩を吹っかけたり、とにかく自分が気分良くなれる事しか考えず、楽してたくさんの金を稼げればそれで良かった。
タマムシは悪い事をするには絶好の場所だ。一見華やかに見えるその裏には、犯罪や暴力が蔓延っている。多くの人が行き交い、金やモノ、情報が流れているこの町には、それを食い物にする黒い人間達が集まる。
ただ無計画にグレているだけの私が、そんなタマムシの裏側に足を突っ込んでしまうのは時間の問題。一緒に盗みをやっていた奴から、もっとうまく金儲けが出来るぞ、と誘われた事が始まりだった。
噂には聞いていたが、本当に存在するかどうか怪しい眉唾ものの組織が当時のタマムシにはあった。私が知らなかっただけで、深く入っていけばいく程その名前も知らない組織の認知度は高そうで、深いところで根付いている、底の見えない末恐ろしいものを噂レベルで感じていた。
誘われた先がその組織に関係しているかどうかは分からない。簡単に聞いた限りは、端的に言えば危険な気がしていた。そんな黒い靄のような組織との接触だ。
盗み仲間から時間と場所だけ指定され、着古したTシャツに穴の開いたジーンズという小汚い恰好で向かった。緊張はしていたし、やばそうな所だというのはなんとなく分かっていたが、本質的に私がどういうところに向かおうとして何に手を出そうとしているのかは理解出来ていなかった。気の抜けた格好から見て取れる通りだ。
場所は繁華街から少し外れたところにある、細長い雑居ビルだった。一階のエントランスに着けば、カタカナで名前の覚えづらい、いかにも胡散臭い名前が案内板の三階の欄に書かれていた。
狭いエレベータで三階へ上がり、ドアを叩く。受付けなんてものはなく、ドアの音で人が来た事に気付いた、目つきの悪いチンピラみたいな男が私を案内する。簡易なパーテーションで仕切られたその先に居たのは、顔の長細い狐目の男。スラックスにワイシャツ姿だったので、私は間違えたかなと思ったものだが、もちろんそんなきちんとしたものを私は持っていなかった。
机と椅子の前に立たされ、上から下まで品定めでもするかのように見られたかと思えば、名前と年齢と住所を私よりもスラスラと、呪文のようにその男は唱えた。
「合ってるか?」
「は?」
私は素直に狼狽した。別に調べれば簡単に分かる事なのだが、うすら寒さを覚えた。
「合ってるのかって聞いてんだ」
私より小さくて細見な男なのに、私にはない凄みや怖さがあった。直立不動で、その視線に怯えつつ軽く返事をすると、男は小さく舌打ちをして、顎で私に座れと指示を出した。
すぐ人に喧嘩を吹っかけるような粗暴な私だったが、この時ばかりは大人しかった。自分があまりにもイレギュラーな場所にいるんだという不安感と、靄のような黒い組織の人間かもしれない奴を前にして、私は竦み上がっていた。自分の庭で調子に乗っていただけで、こんなにも私は小さくて弱いものなんだと痛感した。実際に掴みかかれば私の方が強いのかもしれないのに、それをさせない何かがこの男にあった。こういう強さがあるもんなんだとびびって縮こまっていた一方で、この男に対する興味が湧きつつもあった。
「持ってるポケモンはズバットとコラッタだな?」
「ああ」
「ああじゃねえよ。口の利き方からだなお前は」
また舌打ちして、狐目の男は身を乗り出して私の頭を叩くと、端に置いてあった灰皿を引き寄せて、煙草に火を付けた。
私にはもう頭をひっぱたいてくれる人も、口の利き方からだな、なんて言ってくれる人もいなかったから、なんだか久しぶりで、変な感覚を覚えた。
火を付ける仕草、立ち上る煙。なんだか恰好いいなと思ってしまう。
「で、履歴書は?」
寄こせ、とばかりに手を差し出して来るが、当然そんなもの持っていない。持ってこいなんて言われていないし、書いた事もなかった。
「ある訳ないか。手ぶらだもんな。まあいい、それで、タマムシは長いのか?」
「外に出た事ない」
また頭を叩かれる。
「で、出た事ない、です」
「この町には詳しいんだな?」
詳しいから何なんだと思ったが、理由を聞いたらまた頭を叩かれそうで、「は、はい」とぎこちなく返答する。
「それならいい。明日から、うちで働けるな?」
「は? ここで?」
ハっとして反射的に防ごうとしたが、手は飛んでこない。
「何だお前、そのつもりじゃないのか?」
「いや、何か仕事をくれるっていうから」
狐目の男は頭を掻くと、カイの奴、とぶつぶつ呟き始める。カイは、私の盗み仲間だった。
「あいつからそれしか聞いてないのか。じゃあ、仕事だけ貰う気だったのか?」
「いや、まあ、そう聞いてたから……」
「そんな虫の良い話はない。どうするんだ?」
どうするって言われても、と考えたが、答えは自分の中で決まっていた。叩かれてヒリヒリする頭の痛みが、なんだか嬉しくて、ここに居ていいんだと言われた気がして……。
「何ニヤついてんだよ気持ち悪いな。さっさと決めろ。嫌ならとっとと帰れ」
「や、やります!」
突き放されるのは嫌だ。そんな気持ちを自覚して、思わず立ち上がって返答した。
「ならいい。明日の朝、また来い」
不器用だけど、笑えたのはいつぶりだろう。居場所が出来た。そんな事を考えつつ、明日着ていくスーツが無い事を心配し始めた自分がいた。
私の最初の仕事は運びだった。
中身のわからないリュックを渡されて運ぶだけ。確認は禁止された。
スーツを用意した方が良いのかと聞いたら、私服の方が都合が良いとの事だったので助かった。
リュックを背負って町を歩くだけでお金が貰えるだなんて、なんて良い仕事なんだ。私は本当にそう思える程に馬鹿で楽観的だった。よく考えれば、こんなものリスクがあるに決まっている。
ただ、今は居場所を与えられて役割がある事の方が私にとっては大事だった。
私の機嫌が良いのを分かってか、コラッタとズバットもスキンシップが激しい。いつになく嬉しそうに私の回りをちょこまか動く。初仕事に気分が良いので好きにさせた。
腐った町だと思っていたタマムシが、随分と華やかに見える。盗みをやっている時も、夜中に喧嘩をした時も、バトルで汚い手を使っている時も感じられなかった色が、音が、感じられる。
嘔吐物とゴミの混じった臭いや、鬱陶しい程に明るい街のネオン。宵を待てずに酒をかっくらって絡んでくるホームレスだって、今なら受け入れられる気がした。単純だな自分も、と自嘲混じりの苦笑する。
目的地はゲームコーナーだった。私の行きつけである。台を叩いて怒られて、客と喧嘩して怒られて、出禁寸前の店だ。顔だってばっちり覚えられている。そんな私が行って大丈夫なのかと少しだけ不安だった。
言われた通りいくらか遠回りをして、近づく程にその不安は強くなる。失敗したら追い出されるんじゃないか、なんて考えが頭をよぎった。
コラッタとズバットがちょろちょろするのをやめて、僕の身体に心配そうにしながらまとわり付く。大丈夫だから、と声をかけて、モンスターボールに戻す。看板を見上げると、目的地だ。
「行くか。別に今日は喧嘩をしに来た訳じゃないんだ。普通にしていればいい」
自分に言い聞かせ、大音量の波に足を踏み入れた。
ゲームコーナーの中はいつもと何も変わらない。昼間からパチンコやスロットを打つ老人、授業や仕事をサボっている大学生とサラリーマン。主婦や夜の仕事をしている男性女性に、ゴロツキ……。
いろんな人間がごった返していて、店は賑わっている。総じて皆まともではない。そう言い切りたくなる程に皆機械に金を突っ込み続けている。
ただ、今日に限って言えば自分はこいつらとは違うんだと胸を張れた。役割があるんだ、仕事なんだと鼻高々。しょうもない話だ。
「おいお前、次何かやらかしたら出禁だからな」
店内を歩いていると、早速顔見知りの店員に絡まれる。甞められないように適当に凄んで睨みつけておいて、店の奥へ。今日は出ているのか出ていないのか、そんな事に構っていられる余裕はなかった。見た事のある一番位が高いであろう店員に近寄り、
「加崎さんに会いたいんだけど」
と一言。そう言え、と言われていた。
この店員に絡まれた事はなかった。他の奴らに指示を出し、こいつが店を仕切っているのは私も良く知っていた。狐目の男に似た凄みを感じていて、関わり合いになっちゃまずいのは直感的に分かっていた。
ごつい身体に似合った強面が私を怯ませる。怪訝そうな顔をして、耳元のインカムのスイッチを切って、私に身体を寄せて来る。
「なんだ?」
「か、加崎さんに会いたい、の、ですが」
咄嗟に敬語らしきものが出てしまう。一体何をされるのか、背中のリュックを引き渡せば終わりなはずなのに、緊張してしまう。
男は私の腕を引っ掴み、奥のスタッフルームへと私を引き込んだ。肝が冷える。温かみのない色をしたロッカーに、茶色の長机にパイプ椅子。味気ない部屋が余計に怖い。男はパイプ椅子に腰掛けると、
「寄こしな」
と手を出して来る。
瀬田さんからだろ? と言われ、何も言えずに首を縦にぶんぶん振る。瀬田さんは、あの狐目の男の苗字だ。すぐにリュックを下して手渡すと、男は中身も確認することなく、無造作に床に置いた。
よかった。これで無事に仕事を終えられる。
初仕事で何事もなくて良かった。私は素直に胸を撫で下した。
「ただのチンピラだったお前が、あの人の下に付くとはな」
瀬田さんにやられたみたいに、男は足を組んだまま棒立ちの私をじっくりと見た。
「あ、あんたが加崎さんなのか?」
「そんな事はどうでもいいんだよ。お前は知らなくていい。言われた事だけをやってりゃいいんだ」
ムっとしたが、反論出来る空気ではない。
「今後はお前が来るんだな? 瀬田さんの顔に泥を塗らないようにせいぜい頑張んな」
「瀬田さんとは、どういう関係だ?」
「だから、お前はそんなこと知らなくていい。……だけどまあ、一つ言える事があるなら、お前と一緒だ。瀬田さんには恩がある」
強面の男もまたタバコを吸うようで、胸ポケットから煙草を出して、綺麗な動作で火を付けた。
「お、俺は別にあいつに恩なんて……」
「なんだ、じゃあまた町のチンピラに逆戻りか?」
「やめるなんて言ってないだろ」
「だったら恩があるじゃねえか。お前等みたいな街の屑が使って貰っているだけありがたいと思え。身にこびり付いたその手癖やひん曲がった根性を叩き直してもらうんだから、少しでも役に立てよ」
ま、お前みたいのがこの世界でどこまでやれるかは甚だ疑問だがな。と強面の男はボソっと漏らし、煙草の灰を灰皿に落とした。
何となく分かってはいたが、そういう事なのだ。タマムシの闇に、足を突っ込んでしまった。これは、そういう事なのだ。
「とりあえず、今日の仕事はクリアだ。瀬田さんにはそう伝えといてやる。ただ、口の利き方はなってねえな」
瀬田さんの顔に泥を塗るなっていうのは、そういうところからだぞ。と強面の男からは念押しされた。
帰ったらまた頭を叩かれそうだ。ちゃんと覚えなきゃな、と思いつつ、簡単な仕事を終えられた事に達成感を覚えた。
初仕事を終えて事務所に戻ると、瀬田さんからは案の定頭を叩かれた。てめえ言葉遣い直さないんだったら叩きだすぞ、と凄まれる。
もう怖がって委縮するというよりは、ちゃんと頑張ってみようという気持ちの方が強かった。お前は何も知らなくていい。言われた事をやればいい、というのが少し悔しかったのだ。この人の信用を勝ち取ってみたい。頼られてみたい。そんな気持ちが強い。
生まれて初めての感覚だった。こんなにやる気があるのもいつ以来だったか。
「まあ、最初の仕事だから大目に見てやる」
そう言って、事務所の黒皮のソファにどっかりと腰掛けた瀬田さんが、サイフから札を出して私に差し出した。
「昼飯でも食ってこい」
「え?」
すいません、ありがとうございます。なんていう風に、直ぐに受け取れるような教育は受けて来なかった。
「え、じゃねえよ。昼飯でも食って来いって言ってんだ」
瀬田さんは無理矢理私に札を握らせ、さっさと行けと私を追い払った。
一階に降りて外に出てみると、右手に握りしめたお金が、物凄く大事な物のように思えた。綺麗でもまともでもなんでもないのだが、私には感激だった。