それから私は、瀬田さんの元で力一杯働き始めた。どんな悪い事をさせられるのかと思ったら、最初にやった運びに始まり、買い出しや電話対応、書類の整理に掃除と、やる事は普通の事。丁寧な言葉遣いに苦労して電話対応は大変だったが、やっていくうちに私のような者でも慣れてきた。
社内の雑務や事務作業に慣れていくと同時に、瀬田さんからはもう一つ必ずやっておくように言われたのが、バトルの練習だった。試合形式のバトルというよりは、いかに相手をポケモンと一緒に叩き潰すか、その技術を高めろとの事だ。何に使うのか分からないが、言われた事なので私は素直に従った。
瀬田さんが私に与えてくれた仕事ややりがいは、それまでの私を変えてくれる。自分がこんなにも人のために動ける人間だとは思わなかった。言ってしまえば、瀬田さんに心酔し始めていたと言っていい。
「どうだ調子は」
いつも通り事務所で作業を終えアパートに帰ろうとしていると、瀬田さんが声を掛けてくれる。調子はいいですよ、瀬田さんのおかげです。なんて言葉がスラスラと出るくらいに私は変わっていた。
「飯でも食いにいくか」
黒のコートを着て事務所を出る瀬田さんの背中に、はい! の一言で着いていける。自分より身長も低くて細い人だが、私にはその風格ある背中が頼もしくて仕方がなかった。
町のチンピラや酔っ払いによく絡まれていたものだが、瀬田さんを前にタマムシを歩くと、誰にも絡まれない。肩で風を切って街を歩くというのはこういう事なのかと、爽快な気分である。
瀬田さんはいつも何件かある行きつけの店に連れていってくれる。居酒屋やバー、キャバクラもそうだ。タマムシでどうのむか、どう歩くか、一から教えてくれる。
今日はいないのだが、カイも一緒に連れ歩く事が多かった。他の若い衆を引き連れる事もあるし、私にとっては最早あの事務所は家だ。ただ、勘違いしそうになるが、私が特別だという事は決してなかった。
「肉でも食うか」
瀬田さんはいつもの行きつけではなく、入った事のない焼き肉屋に私を連れて入った。ここもうちがケツを持つ事になったんだとの事だが、私には細かい事は分からなかった。
一番奥の個室に通されて席に着くと、瀬田さんは直ぐに大量の肉を注文して、テーブルに並べた。
「好きなだけ食えよ」
これも瀬田さんが若い衆含めみんなにやっている事だった。金はもらっているが、それでもこうやって飯を食わせてくれる。
「そういえば、バトルの調子はどうだ?」
てんこ盛りのごはんに肉を乗せて頬張っていた私に、瀬田さんはビールグラス片手に話を始めた。
「少しずつ勝てるようになっています。チンピラや不良相手くらいなら、結構やれますよ」
はっはと笑い、お前も真面目になったもんだな、とグラスのビールを飲み干して瀬田さんはもう一杯頼んだ。
言いつけられていたのは、バトルに強くなる事。差し当たって、町の不良やチンピラ、サイクリングロードの暴走族相手に吹っかけ始めた。瀬田さんはそこまでやれとは言ってねえよと笑っていたが、私にとってはあいつら相手に張り続ける事は結構大切な事だった。私の様な者は、タマムシで甞められては生きて行けない。張り続けて力があると思わせておくのは大事だ。
しかしまだ圧倒的な力を示す事なんて出来ず、進化したラッタやゴルバット共々、ひどい顔で帰ると瀬田さんやカイ、仲間達は大笑いだった。
「ポケモン達とはしっかりうまくやっておけよ。いざとなった時、物を言うのはいつもやってる事だ」
そんな命ぎりぎりの仕事なんていつあるんだ? と思いつつ、瀬田さんはきっとそういう仕事をしているんだろうと思った。私もそういう仕事を任せてもらえるようになりたい。あんなチンピラ共とやり合っているようでは、まだまだという事だろう。
「ポケモン達とはいい感じですよ。進化もして、前以上に頑張ってくれてます」
頑張れる間は頑張れ。死にそうになったら助けてやるからな。と言いながら、細い目を緩ませて瀬田さんは笑っていた。助けられるよりは助けたい。もっともっと強くならなければ。
変わった私に呼応するように、ポケモン達も応えてくれている。いい感じだ。楽しい。こんなにも人生が楽しいなんて思った事がなかった。
やれる事をもっともっと増やしたい。
勉強だってしてみたい。漢字だってまともに書けない私がそう思える。
私は、本当に変われたのだ。
最近仕事が忙しい。事務所から人が出払ってしまって、残った仕事を少ない人数で片づける事になる。事務所には、私のような一番下っ端数人と、先輩が一人残っているだけ。
「一体何が起こってるんです?」
私達に仕事を任せ、ソファで寝転がっている先輩に駄目元で聞いてみる。
「ドンパチやってんだよ」
どうせ答えてくれないのかと思いきや、あっさりと回答が得られた。しかも、そんな眠そうに、暇そうにしながら言うような言葉ではない気がする。
「戦争、って事ですか」
「まあ、そういう事だな。この町の勢力図が大きく塗り替わるぞ。うちらのシマがデカくなる」
瀬田さんから細かい話は聞いていないが、うちは親組織から見たら三次団体の枝組織との事だ。
彼の働きで、うちは昇格出来そうだなんて話を先輩達がしていたのを盗み聞きした。私にはなんの事だかさっぱりだ。瀬田さんのその上、さらにその上で偉そうにしてる奴がいて、このタマムシの全てを掌握しようとしているらしいが、話が大きすぎて理解出来なかった。
「あの、本当によく分かってないんですけど、瀬田さんはその、今回優勢な方に所属しているって事なんですよね?」
「まあ、そういう事だな」
「瀬田さんはその、一番上の人に従っているって事ですか?」
「細かい事は俺にも分からん。だが、あの瀬田さんが入れ込む程の人がトップには居るらしい。その人の為に今は動いているらしいからな」
俺ら下っ端に、確かな情報なんて回ってこねえよ。と悪態気味に言うと、大あくびを一つ。
また事務所は静かになる。皆が外で暴れているのに、私は何をやっているんだ。
かなり戦えるようになってきた自負はあるが、肝心な時に役に立てない自分に腹が立ったし、何故自分にも任せて貰えないんだろうと、瀬田さんを恨めしく思った。
私はそんなに頼りないのだろうか。事務所は任せたぞ、なんて言ってはいたが、要するに役に立たないから置いていくぞという事なのだ。きっとそうに決まってる。私は一人悔しがったまま、勢いに任せて仕事を片付けた。
ラッタやゴルバットは、私が事務処理をしている間も忠実に言いつけを守っていたようだった。ゴルバットは事務所回りの偵察。ラッタは扉の前に陣取って、番ラッタだ。
二匹とも、昔より随分快く言う事を聞いてくれる。私との関係性が良くなっているのも勿論そうなのだが、あいつらは瀬田さんのヘルガーに入れ込んでいるらしい。バトルに勝利した時の、耳が裂け、裂傷を刻んでも涼しい顔をする渋い姿に憧れたようだ。それ以来、私が瀬田さんや先輩達には従うように、ヘルガーや先輩ポケモンの言いつけだけは守る。
同じとば口に立っている者として、私とあいつらはライバルのようで、横に並び立つ戦友のような気持ちだった。
私がこんな風にポケモンと接する事が出来るようになるなんて、思いもしなかった。
鍛えておくように言われていたバトルの腕も順調に上がって、街の不良やチンピラなどはだんだんと敵ではなくなっていた。カイと一緒に暴走族の集団に乗り込んで行った時、ボロボロにはなっても勝つことは出来た。二人とポケモン達で祝杯を挙げた。
今まで先輩達や瀬田さんにさんざんしごかれたかいがあるって物だ。
思い返してみても、十分に腕を上げたように思える。まだ足りないのだろうか。どうやったら瀬田さんに認めてもらえるのだろうか。
「……頼られてみてえなあ」
独り言ちた言葉が、質素な事務所へ空虚に消えた。
お前行って来い。
やっとそう言って貰えるようになった。とは言っても、やる事は鉄砲玉か面倒事の処理だ。
うちのシマで、うちがケツを持っているキャバクラで暴れている奴がいるとの事だった。相手は違うシマでのさばっている連中で、簡単に言葉で言うよりも厄介な事態だ。
要するに甞められている。うちのシマだったら適当な事をやっていても問題ないと思われている。メンツに関わる。ということで私が出動だ。
店での揉め事をどうにかするというレベルではない。良く分からせてやる必要がある。
瀬田さんの顔を潰しやがって、と息巻いて店に向かう。店の一番奥で黒スーツ姿の男と柄シャツ姿のチンピラが飲んでいた。先輩とその舎弟という感じだ。机の上に足を乗せて、大声を出している。店員に話を聞いてみれば、店の女の子に手を出し、嫌がられたので不貞腐れて暴れているらしい。
私は問答無用で勢いそのままスーツ姿の男と柄シャツの男を上からぶん殴り、胸倉を掴んで凄んだ。こういうのは先手必勝が鉄則だ。我ながらガタいもよくタッパもあるので、男達は大いにビビっている様子だった。
「うちのシマで何やってんだテメえら。分かってんだろうな」
胸倉を引き寄せ、睨みつけてやっと分かった。こいつら、ついこの間までチンピラをやっていた奴らだ。繁華街の外れにあるバトル場に屯している奴らで、昔は私もよくこいつらと喧嘩したものだ。
「なんだお前等かよ……」
うちに甞めた態度取るなんてどんな奴かと思いきや、とんだ小物で冷めてしまった。
「おら、立てよ」
私の後ろで睨みを効かせているラッタとゴルバットの鋭い視線も手伝って、二人は殴られた顔を抑えて、砕け腰のままよろよろと立ち上がる。
「お前等、チンピラやめてあっちに入ったのか」
「そ、そうだ。俺らを殴って、た、ただで済むと思うなよ」
顔を抑え、怯えながらそんな事を言われても何も怖くない。
「お前等みたいな下っ端がぶん殴られたくらいで、上が動く訳ねえだろ。むしろお前等がここで暴れたおかげで、上に迷惑かけてる事がわかんねえのか?」
いつまで経ってもチンピラ時代のままだ。私も瀬田さんに会っていなかったら、これくらい無知で、もっと馬鹿やっていたんだと思うと恐ろしい。
「もういいから、金置いてさっさと行け。これ以上お前等殴りつけていても何も面白くない。おっと、ポケモンを出そうなんて血迷った事考えんなよ。お前のポケモンの事はよく知ってるよ。後ろのこいつらに半殺しにされたくなかったら、さっさと消えろ」
二人は言われた通りの金額を置いて、すごすごとその場を立ち去った。勝てなくても向かって来るくらいの意地見せろよな、と小さくてみすぼらしい二人の背中を見て思うが、初めて瀬田さんに会った時にびびって固まっていた事を思い出すと、私も似たようなものだ。
本当に瀬田さんと出会って良かったと思う。無知で教養のない私に、本当に色々な事を叩き込んでくれた。生きて行くための事、文化的な事まで馬鹿な私に仕込んでくれた。「親」とはこういうものなのかもしれない、と私は思う。
私の親は、あの人だけだ。
瀬田さんに呼び出された。
事務所の会議室で、パイプ椅子に座って向かい合う。
瀬田さんが煙草をくわえれば、私がすぐに火を付ける。言葉遣いと共に最初に叩き込まれた動作だった。
「どうしたんですか急に」
「お前、うちに来てどれくらいだ?」
「三年くらいだと思いますけど」
「そうか、もう三年になるか」
瀬田さんは沈黙し、煙だけが虚空に立ち上る。
何か迷っている様子だったが、私の顔を真正面から見て、よし、と片腿を叩いた。
「お前に、任せたい仕事がある」
この雰囲気で、任せてもらえる仕事。大きいやつだ。ゴクりと唾をのんで、私は震えた。
嬉しい。やっとチャンスが回って来た。きっちり熟せれば、瀬田さんに本当の意味で認めて貰えるかもしれない。
フロックだなんて思われたくない。きっちり自分の実力でやり切れる事を証明するんだ。私は両の拳を握り占めて、内容も聞かずに
「やらせて下さい」
と答えた。
息巻いた私だったが、まあ話を聞けよと冷静な瀬田さんに躱され、一呼吸。肩透かしを食らった気分だが、それだけ慎重な仕事なのかもしれないと思い、私はまた唾を飲み込んだ。
「仕事っていうのは、護衛なんだ」
「護衛、ですか。瀬田さんのですか?」
「俺じゃない。対象は、幹部達とボスだ」
私にとってのボスは瀬田さんで、その上なんて知った事ではない。そんな訳の分からない奴の護衛なんて正直嫌だったが、瀬田さんに言われるのならば仕方がない。
「ボス、というのは?」
「細かい事はまだ言えない。とてつもなく大きな野望を抱えたお方だから、敵も多い。そこで、腕が立つお前にこの仕事を任せたい」
いつか先輩が言っていた、瀬田さん程の人が入れ込む奴がいる、という話を思い出した。
「分かりました。瀬田さんのお話であれば、もちろんやらせていただきます。ですが、どうして俺なんですか?」
私みたいな下っ端に任される仕事ではない。瀬田さんや先輩の護衛ならまだしも、それより上の人の護衛を私がやるなんて、先輩達の頭を飛び越しているみたいで、気が引けるところもあった。
「正直、今うちで一番腕が立つのはお前だ。若くて勢いもある。この三年間でポケモンもお前も急成長したし、仕事もよくやっている。何より、お前は俺を慕ってくれる」
認めて貰えている。その事が嬉しすぎて、仕事の内容など最早どうでもよくなりそうだった。先輩達は好きだ。仲間も大事だ。でも、私はこの人だからついて来た。そう再確認出来る瞬間だった。
「何でも言って下さい。どんなことでも、やり遂げてみせますよ」
瀬田さんは何も言わず、私の目を真っ直ぐに見た。私の勢いとやる気を受け取ってくれている。それは伝わる。
だけど、だけど違う。なんとなくいつもと違う。
瀬田さんのあの飄々とした様子がない。仕事を与えてくれて、説明があって、ほら行ってこい。
そういう感じではない。それほどまでこの護衛の仕事というものが大事だという事だろうか。
何でもやる気ではいるが、瀬田さん自身ではなく、私を送り込む必要があるというのはどういう事だろう。本当であれば、瀬田さん自身がその上の人間を護衛すればいいのだ。うちで一番腕が立つなんて言って貰ってはいるが、そんな訳ない。瀬田さんの力は圧倒的だ。それは私が一番良く分かっている。
それでも、私に行かせようとする理由。私の事を認めてくれている以上の何かがあるように、私は思った。
「瀬田さん。俺は瀬田さんのためなら何でもやりますよ。その覚悟もありますし、大きな恩を少しでも返して行きたい。でも、まだ何か、何か隠してるんじゃないですか?」
瀬田さんは、煙草を吸うのも忘れ、ポカンとした顔で私を見た。灰が落ちそうで、私は慌てて灰皿を差し出す。
あ、ああ、すまん、と灰を落とし、そのまま煙草を押し消す。
私は真っ直ぐに瀬田さんを見て、答えをじっと待つ。明らかに驚いた様子の瀬田さんは、参ったなあ、とぼりぼり頭を掻いて、虚空を見上げた。
「俺もまだまだだな」
「……どういう事なんです?」
「腕が立つ奴を行かせたいのは本当だ。だが、あの人の元に行かせる。それは後戻りが出来ないって事だ。うちみたいな下部組織の三次団体、その構成員だったらまだ俺の力で何とかしてやれる。だが、今回の仕事をお前が受ければ、もう後戻りは出来ない。”ロケット団”からの正式な仕事をお前にやらせる事を、俺は躊躇している」
ロケット団、という言葉は、ここに来てから噂レベルでは聞いていた。どういう組織で、誰が組織していて、という事はまったく知らない。
名前だけがふわふわ浮いている。靄のような組織だ。
だが、瀬田さんの言うボスが誰なのか、それは分かった。
「ボスというのは、そのロケット団のボスなんですね?」
「そうだ。あのお方のために、私は動いている」
「何故です?」
「お前と同じだ。私もボスに拾われ、鍛えられ、今この地位にいる。自分の力で上がって来いと、その言葉だけを頼りにな」
「だったら、俺だって瀬田さんのために働きたい。何を躊躇する事があるんですか。その仕事を受ける事が瀬田さんのためなら、俺はやりますよ」
「今ならまだ引き返せるかもしれないんだぞ。まともな働き口を紹介してやってもいい。お前は随分立派になった」
「ふざけないで下さい。もう俺は話を聞きました。是非、やらせて下さい」
ロケット団とは一体何なのか、私には分かっていなかった。瀬田さんが担ごうとしている相手がどんな奴なのかも、私には分からない。
何も分からない私には、タマムシの一番深いところに足を突っ込んで行く怖さなど、微塵も感じていなかった。
だから私は瀬田さんに説明を求めなかった。彼が求めるのなら、それについて行けばいい。ただそう思っていた。
瀬田さんは、私の真っ直ぐな物言いにいくらか迷いを見せながらも、
「……分かった。お前に任せる」
と最後には決断した。
瀬田さんの言葉が嬉しくてたまらない。仕事の内容などやはり二の次。この瞬間のためにやって来た。ただ、そう思えた。