護衛の仕事とやらを受ける前に、一度顔を出して挨拶をする運びとなった。
先輩達やカイ、後輩からも私が何やら瀬田さんから凄い仕事を請け負ったとの噂は流れているらしく、事務所はざわついている。
ただ、私の事をやっかんで絡んで来る人や、嫌がらせをしてくる先輩なんていない。皆瀬田さんからの仕事だったら、きっちりやって来いよと背中を押してくれる。お前が成功すれば、うちの評価は更にうなぎ上りだとばかりに背中をばんばん叩かれる。
そんな状態なものだから、いつもの仕事を熟しながらもなんだか落ち着かない。挨拶は一体何時になるのか。詳しい日程を聞かされていないから、それ目掛けて心の準備をする事も出来ない。
ボスは忙しいお方だ。突然日程が決まるかもしれないから覚悟はしておけ、と瀬田さんが言うものだから余計にどぎまぎしてしまう。
その日も一日、特に何の変哲もない一日が過ぎ去ろうとしていた。
「この後空いてるよな。ちょっと着いて来い」
瀬田さんからそう言われ、仕事を終えた私は瀬田さんと街へ繰り出した。
「飯でも食いに行くんですか?」
「いや、飯じゃない」
隣を歩く瀬田さんは、私に行く先も告げずに歩いて行く。言われればついて行くが、例の仕事の話もあって、妙な緊張感がある。
「そういえばお前、親、いるよな」
タマムシの雑踏を進みながら、私をちらりとも見ず瀬田さんは言った。
「何ですか突然」
「いいから。確か父親が居たよな」
「いますけど」
「どうなんだ?」
「どうって、ただ飲んだくれてるだけの糞親父ですよ。もう何年も合っていません」
親とも呼びたくない男の顔が、私の頭には思い浮かぶ。
「それでも、お前の親父だろ?」
「俺の親は瀬田さんだけです」
私はそう言い切った。
「でも、どうして突然親の話なんかを?」
「皆は俺の事を慕って親だ親だと言ってくれるが、俺には親の記憶がなくてな。親らしい事、何て良く分かんねえんだ」
「俺も小さい頃に母が逃げてから、親らしい事を親からされた記憶はありません。それに瀬田さんは、今の瀬田さんのままで十分です」
「俺はな。結局どこまで行っても本当の親じゃないんだ。お前をここで引っ張り出したら、本当にこの世界の人間だ。お前の親父は、それでいいのか? 本当に、もう後戻りは出来ないかもしれないんだぞ」
瀬田さんは、私の事を心配してくれている。それが良く分かる。この人は身内に対して異様に優しいのだ。数年一緒にいて、それが良く分かった。やってる事は悪どいが、仲間や部下への面倒見の良さはピカ一だ。とても良くしてくれる。私だけではなく、皆にそうだ。
だから慕われるし、この人について行こうと思える。
親の記憶がないと言っていたが、皆に親だ親だと慕われるものだから、そういう風にしなきゃと、瀬田さん自身もいろいろ大変なのかもしれない。
「いいんです、親父の事は。家を飛び出した時にもう無いものと考えていますから。俺の居場所はここだけです」
瀬田さんの足が止まる。分かった、もう何も言うまい、とだけ言って振り向くと、最初に会った時のように私を上から下までなめまわすように見た。
「親っていうのがこういう事をするもんなのかは分からんが、今後もその一張羅だけっていうのは恰好付かないからな」
うちに入って少し経った時に買ったスーツを、私はずっと着ていた。こんなもんに金を掛けるのがもったいなくて、サイズだけ合った安物だ。
もう随分草臥れている。
「門出という訳ではないが、ここからが勝負どころだ。ビシっと決めとけ」
瀬田さんが足を止めたのは、タマムシでも有名なブランドのスーツショップの前だった。
「行くぞ」
店に入っていくその背中に、私はついて行く。
日程が決まった。言っていた通り急遽決まって、明日二十五時、指定の場所へ来るようにとの事だった。
予定が決まると実感が湧いて来て、皆や瀬田さんの期待が重くのしかかるような気がした。でも、嫌な重さではない。光栄だ。自信もある。でも、自惚れている訳でもない。
良い状態だと思う。
仕事を終えてワンルームのアパートに帰った私は、ゴルバットをボールから出した。すぐに部屋の隅にあるゴルバット用の止まり木にぶら下がって、落ち着いている様子。続いてラッタも出してやると、同じく隅のクッションに身体を預けた。
買い置きのポケモンフーズをゴルバットへ投げつつ、ラッタには皿で出してやる。二匹は本当によくやってくれている。タマムシの小さなトーナメントにこっそり出た時も、我ながらこの道でやっていくのも悪くないんじゃないかと思える成績だった。二匹はバトルという競技が性格的に合っている気もする。やる気もありそうだ。
そんな簡単なもんじゃない、なんて言われそうだが、今までの私の人生を考えれば、何か目標を持って生きて行くのもいいかもしれない。
こんな事今まで考えた事もなかった。その日暮らしみたいな生活が常だったので、どうやって生きていくかなんてまともに考えた事もない。
今は瀬田さんの元に身を置き、それが生きがいになっている。それが全てだとも思っているが、いろいろ勉強させてもらえばもらう程、世の中にはいろんな選択肢がある事に気が付く。
瀬田さんがこのままで良いのか、と聞いてきたのは、きっとこういう事なんだろうと思う。お前の人生はこの道でいいのか、この道でなければ、いつか親父との関係性だって何か変わるのかもしれないぞ、
とそう言われた気がした。
よく見透かされている。今の生活は瀬田さんのおかげで得ているし、やっぱり一番は彼のために頑張りたいという気持ちだ。だが。
「……なんてね」
と独り言を呟く。二匹は反応せず、ポケモンフーズを食べている。次を待っているゴルバットにポケモンフーズを投げてやった。
一人家にいると余計な事を考えてしまうが、私は彼の元から去る気はない。このまま腕を磨いて、彼の役に立つ事を優先する。
「これでいい。このために頑張って来たんだ」
一人決心し、明日の事を考えた。
敬語も、入った頃に比べれば随分まともになった。言われた通りラッタやゴルバットと一緒に鍛えてきたし、事務仕事だって問題ない。
瀬田さんの顔に泥を塗らないよう、せいぜい頑張れ。いつだったか誰かにそう言われた。明日こそ、きっちりしなければいけない時だ。
「頼んだぞ」
それ以外の言葉は無く、また私も何も求めなかった。デスク越しの瀬田さんに力強くそう伝えられ、私は指定された場所へ向かった。
行先は何故かゲームコーナーだった。そこで待ち合わせてから、どこかへ行くのだろうか。どこかの店で会食という事なのかもしれない。
一番最初に貰った仕事の事を思い出しながら、夜のタマムシを歩く。楽な仕事だと思いながら歩いていた頃が懐かしい。「加崎さんに会いたいのですが」の意味は、未だに分かっていない。
私が街のチンピラをやめてからも、町にはずっと何等かの揉め事で溢れている。それと同時にただ華やかで楽し気なタマムシの雰囲気も変わらずそこにあった。
この町は変わらない。シマを取り合っても、店が変わっても、人が変わっても、本質的なこの町の姿は変わっていなかった。うちのような組織と、華やかなタマムシが表裏一体である事はずっと続いている。
私はこの街でのポジションを変え、あの頃はズバットやコラッタだった二匹も、今や立派に進化している。ゴルバットはもう一つ進化を残しているが、時間の問題だろうと思う。
私達は変われた。この町の根っこに届く程に変われたと言ってもいいのかもしれない。
この数年を噛みしめながら、前と同じように少しだけ遠回りして、時間に余裕を持ってゲームコーナーの前に到着する。店の明かりは落ちており、閉店後の作業をする店員さえいないだろう。
それらしき人影はない。一体こんなところでどうしようと言うのだ。
「とりあえず、待ってみるか」
誰もいない暗がりで一人待つ。人の往来はまだある。
あの人か、この人か、と注意深く一人一人見ていたって、分かる訳がない。瀬田さんは時間と場所しか教えてくれなかったから、この先どうすれば良いのかはまったく分からない。
まだ約束の時間には少し早い。焦らなくても良いのかもしれないが、新調したばかりの慣れないスーツとコートが、妙に落ち着かない。身体が緊張を感じているのが分かる。
一体どんな人だろう。もの凄く大柄で、瀬田さんよりも風格ある人物かもしれない。それならすぐに見つかりそうだと思い、背の大きな人を探して見回すが、そんな飛び切り大きな人間はいない。
わざと私に教えなかったのだろうから突っ込んだ事を質問しなかったのだが、やっぱり聞いておけば良かったなあ、と半ば後悔したところで私の携帯が震え出した。
二つ降りの携帯を取り出して、相手を確認する。
知らない番号。
このタイミングだ。無関係だとは思えない。三回、四回とバイブレーションが続く。深呼吸。ゆっくりと通話ボタンを押し、耳に当てる。
「はい」
私の声が向こうに届く。相手の返答に構えたと同時に、背中に薄ら寒さを覚えた。
瞬間的に振り向く。ラッタとゴルバットが飛び出す。
最大限の警戒を持って、自分の後ろに立ち、携帯電話を耳に当てて立っていた男を睨みつけた。
「君が、瀬田が寄こした人間だな?」
「は、はい。そうです」
太い声が、耳元から聞こえてくる。間違いない。目の前に居るのが、目的の男だ。
ダブルの黒コートに、黒ハット。マスクをしているところを見ると、露骨に素性を隠している。
片手で少しだけハットを上げ、私をじろりと見た。僅かに確認できたその鋭い眼光は、確かにただものではないのかもしれない事を思わせる。
「良いだろう。着いて来なさい」
男はそう言って、ゲームコーナーの脇にある小さな路地へ入っていく。隣にはペルシアンを連れていた。
突然後ろに立たれた事に気付いて、咄嗟に反応した私達だったが、完全に反応が遅れた。
あの状態からだったら、何をされてももう遅い。
これはテストだったのだろうかと考えると、やってしまったと言わざるを得なかった。
貫禄あるペルシアンに睨まれた二匹も、必死に威嚇をする事で精一杯。やられた。唇を噛むくらいしか出来ず、ラッタとゴルバットと同じように警戒を解く事なく後をついて行く。
ゲームコーナーの裏側に回ったかと思えば、そのまま裏口のドアを開け、男は中へ入って行った。ゲームコーナーの関係者? ここのオーナーか? いろいろ考えつつ、恐る恐る中へ入って行く。
スタッフ専用のバックヤードだろう。雑誌や新聞、テレビにロッカーと、多少生活感のある休憩所に違いない。ここで腰を落ち着けるのか? と思いきや、男はそのまま休憩所を通り過ぎ、ホールへ出て行った。中は暗い。非常口を示す蛍光灯の明かりでわずかに照らされてはいるが、目が慣れて来るまでは歩き辛い。こんなところに来てどうしようと言うのだ。
躓かないように後ろへついて行く。今度はどこへ行くのかと思えば、すぐに足を止めた。コイン交換カウンターの脇。いや、壁?
「覚悟はいいかな?」
なんだ。どういう事だ。
まったく意味の分からない行動。何を覚悟すれば良いかも分からない。
訳が分からない故に恐ろしい。私は最早警戒なんて忘れてただ硬直していた。
「覚悟は、いいかな?」
再度男は壁に向かいながら呟いた。
「はい」
私の喉からはかろうじて掠れた声が漏れる。
男は壁、いや、壁に貼ってあるポスターを剥がしたかと思えば、その後ろの壁を手のひらで押した。一体何をやってる。何が起こるんだ。
シンと静まり返る店内に、ガッチャンと大きな音が響く。家のドア鍵を開けるかのような、ただ、音の大きさはそんなレベルではない。
ゲームコーナーにこんな仕掛けがあるとは。昼間だったら台が織り成す大音量でこんな音は掻き消える。店の隅にあるポスターの裏をちょっと押したからって、誰も気にしない。
「さあ、着いて来なさい」
男はポスターを戻すと、再び歩き出した。
今いた位置とは逆側。コイン交換カウンターを跨いだ反対側へ男は歩いて行く。
何かが開いたかのような音だった。このゲームコーナーから、一体どこへ行くというのだろうか。
待ち合わせて会食、などと悠長な事を考えていたが、全然足りていない。瀬田さんが心酔する程のボスの護衛なのだ。何が起きてもおかしくない、くらいの心構えでいなくてはいけなかったのかもしれない。
男はまた壁の前で止まった。目が少しずつ慣れてきて、着いて行くには苦労しなくなっていた。
次は何をするのかと思えば、今度は何の言葉もなく壁を押した。
雑に剥がされたポスターの跡が残っていて、そこが目印のようだった。鈍い音と共に、扉となっていた壁が開く。
奥は暗く、その先は見えない。
ラッタとゴルバットも、最早警戒しているというよりは、状況と雰囲気に飲まれているようだった。
私達は、タマムシの最奥部に足を踏み入れようとしている。