ポケモン色の本棚   作:@早蕨@

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キレイハナの噂

【一】

 時計の針が進まない。

 教授の話が退屈で、バレないように顔を隠した欠伸は何回目か。配られたレジュメには何のメモもなく、配られたそのまま。

 話など何も入って来ない。

 退屈だ。次の授業は昼休み後なので、更けてどこかで昼寝をするのもいいかもしれない。

 ふわあ、とバレないように首を横に向けてもう数も数えていない欠伸をし、キャンパス内の原っぱに目を向ける。

 授業中だというのにチラホラ日向ぼっこをする姿が見える。あの内の何割が授業をサボッているのだろうか。

 そんな風にぼうっと眺めていると、一匹のポケモンが目に入った。原っぱの真ん中に立つ大きな桜の木の下で踊っているキレイハナが一匹。

 退屈な光景の中にあるその姿に興味を引かれ、僕の視線は集中する。

 何故あんなところで踊っているのだろう。周りには誰もいないが、誰かのポケモンだろうか。近づいたら嫌がられるだろうか。

 いろんな事を考えている間に、気づけば授業も終わりを迎えそうだった。

 物を考えていると時間が過ぎるのは早いものだ。

 退屈な授業が、やっと終わった。

 

【二】

 

 授業の後、学食で昼食を取りつつ友人に聞いてみると、どうやらあのキレイハナは有名らしい。

「え、お前知らなかったのか?」

 などとさも皆知っているかのような口ぶりである。大学の事にも大学という場所自体にもあまり興味が持てないので、あまり校内時事に詳しくないのは間違いない。

「知らなかった。それで、何なの? あのポケモンは」

「去年の末くらいかな。定期的にあの桜の木の下で踊っているところが目撃され始めてな。野生ではないようなんだが、トレーナーは一向に現れないんだ」

 友人はさも得意気に、それでな、これがまたぐっとくるいい話なんだよ、と続ける。

「あのキレイハナは、自分を捨てたトレーナーを待っているって噂なんだ。クサイハナだった当時捨てられ、進化して綺麗になったから、ああやって一番目立つ場所で踊っていればいつかは迎えが来るかもしれない。それを信じて踊り続けているんだってよ。健気なやつだよなあ」

 とってつけたような感動話に胸やけしそうだったが、友人はぐっとくる話だよなあと染み入っていたので何も言わなかった。

 自分を捨てたトレーナーを待ってる? クサイハナである自分を捨てて、綺麗になったら戻って来てくれるだろうと思い、踊り続けている?

 胸やけするには十分すぎる話だ。都合が良すぎる。あまりにもポケモンを度外視し、人間側が感動出来る話に偏り過ぎている。

 さっき教室で上から見たキレイハナの姿と今の話を重ねて思い出しても、僕にはどうにもピッタりと嵌らない気持ち悪さが残った。

「ちなみに、そのキレイハナの話ってどこで聞いた?」

 出所が気になった。こんな噂話の元は一体誰なのか。

「誰からって……誰からだっけなあ。サークルの奴からだったかなあ」

 一発で噂の出所が分かる訳ないか。

 こういう噂に詳しい友人はいたかな、と頭の中で友人をスライドさせていくが、そんな奴は思い当たらない。調べるのは難しそうかなと頭に思い浮かべた最後の一人。友人ではない……のだが、何か知っていそうな人間だった。

「あいつに聞くのかあ……」

 嫌だなあ、と思いつつも、自分の好奇心には勝てない。

 この後は昼寝ではなく、図書館へ行くとしよう。

 奴に合うのは気が進まないが、この際仕方がない。

 

【三】

 

 この大学の図書館は広い。地下二階、地上四階の建物である。

 地上は人が多く、レポートを仕上げに来たり、雑誌を読んだり小説を読んだり論文を読み漁る人で一杯だ。それに比べて地下は、文献や資料がまとまった保管庫のような扱いだった。資料を読むスペースはあっても、そこに留まろうという人はあまりいない。人のいない静かなスペースが好きでチラホラ作業している人がいる程度。

 地下二階ともなれば更に人は少ない。もっとコアな歴史的資料やデータ集のようなものも多く、資料集めにやってくる人間がたまに来るだけだ。今ではネット上でデータも論文も拾えるため、地下二階まで下りてくる人間はほとんどいない。

 そんな誰もいない場所を好んで使い、そこを根城としている奴がいる。

 僕の高校の同級生であり、腐れ縁の女、トキコ。

 彼女は自分だけの場所として、地下二階最奥、資料を読むスペースとして用意されているであろう小さな個室を自分の根城としていた。

 更に言えば、彼女がそこに常駐している事は恐らくあのキレイハナよりも有名だ。

 彼女に関する噂はこうだ。

 常に地下二階をうろつき、ひたすら資料を読み漁る変わり者女。彼女と目が合った者は卒論がうまく書けなくなる。挙句の果てには彼女と目が合った者は卒業出来なくなると来たもんだ。

 まあひどい言われ様である。

 どの噂も完全に的を外していて、平たく言えば彼女は自分だけの空間を作っているだけだ。

「やあ、久しぶりじゃないか。こんなところまで来るなんて一体どうした?」

 地下二階最奥のドアを開ければ、彼女はそこにいる。

 机には資料や論文を広げ、ノートパソコンの前で何やら文章を作っている。

「ちょっと聞きたい事があってね」

「いやあ、君が私に聞きたい事があるだなんて珍しいじゃないか。嬉しいね、何だい?」

 すぐに自分の作業を中断し、トキコはドアの前に立つ僕の方へ身体を向けて座り直した。

「ちなみに報酬は? どんな礼を払ってくれるのかい? 私と付き合ってくれる気にでもなったかな? ん?」

 相変わらずよく喋る。変わらない奴だ。

 男をとっかえひっかえし続け、それでも僕の前では私と付き合ってくれる気になったか? などと軽口をたたき続ける。幼馴染でもなければアホかと張り倒しているところだ。

「今度飯でも奢ってやるよ。それで手を打ってくれ」

「内容次第かな」

「キレイハナの事だ」

 ははん、と何かを悟ったかのように得意気に笑ったかと思えば、人差し指を僕の方に向けて

「君、桜の木の下で踊るあの子の事情が知りたいんだろう?」

 とあっけなく言い当てる。

 勘の良い奴というか、流石付き合いだけは長いというか。

「そうだよそう。お前の言う通りだ。凄い凄い。それで、何か知ってるか?」

 トキコは、地下二階に住んでいる幽霊のような扱いを受けてはいるが、それはほんの一面でしかない。ただ勉強のため地下に潜り続けているだけで、僕よりもずっと友達は多いし、つてもある。授業は休まないし、勉学には熱心だ。大学の時事にも詳しければ、とりわけ大学構内に住み着いたポケモン達の事に詳しい。

 携帯獣学を極めんとするその意気込みで、フィールドワークに出ている事も多い。外で会えば溌剌とした人当たりの良い奴にしか見えないし、何故図書館幽霊のレッテルを張られているのか正直僕も良く分かっていなかった。

 長い黒髪の女がずっと地下二階をうろうろしているというだけで、そこまでの噂が流れるなんて事があるのだろうか。

「私、そのキレイハナのトレーナーである男を知っているからね。単純に事実を知ってるよ」

「おいおい。お前まさか」

「君の想像している通りかな? 心配してくれるのか? そうか心配か。いいなあ心配って。心配されるって楽しいな」

 けらけら笑いながら足をバタバタさせる。僕をおちょくってなにが楽しいのか。

「そういうのいいから、それで、何なんだあのキレイハナは」

「噂通りさ。クサイハナだった時に捨てられ、キレイハナになってからあの場所でよく踊っている。客観的に見ればそれだけだね」

「トレーナーを待っているって話は?」

「私にもポケモンの気持ちまでは分からないさ。だけど、話をした感じ噂通りとは思えないね」

 やっぱりそうか、と小さく漏らした僕の言葉に、トキコは鋭く反応する。

「何故やっぱりそうだと思うんだい? 彼女がトレーナーを待っている訳ではないと判断する根拠があるとでも?」

「根拠はないけど、でも、そう思えなくて」

「そう思いたくないだけだろう? 君は人から決めつけられる事を嫌うし、自分を出すのが下手だからね。他者が勝手に決めつけて話すような口ぶりが不服なだけなのさ」

 知った風に言いやがって、と言いたいが、その通りなので閉口してしまう。

 僕はあのキレイハナがトレーナーを待っていると、そう決めつけられているようで良い気分がしなかった。 

 得意気な顔に腹が立つ。流石によく知っていやがる。

「そうだな。気に入らないんだ。人の事を決めつけてかかってくる奴が」

「まったく君は変わらないなあ。決めつけられるのが嫌なら、さっさと本当にやりたい事をやればいいじゃないか。今ある殻を破って外に飛び出した君を見てみたいよ」

 そう簡単に出来れば苦労はしない。

 だが、単純に自分の覚悟が足りないだけなのだから、やっぱり何も言い返せない。

 いつもそうだ。トキコは僕よりも先にいて、焦らせてくる。一人さっさと将来を見据え、携帯獣学を学び続けている。

 対して僕は、ただ大学に通っているだけの学生。将来も何も考えていない。というよりは、何となく周りと同じ流れに乗っかろうとしているだけ。

 トキコが度々ぶつけてくる正論は、僕を狼狽させるには十分過ぎるものだった。

「分かってるよ。お前に言われなくたって」

「私も、君がそう言うと思っていたよ」

 相変わらずけらけらと笑って僕をおちょくる。

「君と私の関係は、他者から見たらどう思うのかな? 恋人? 友達? どうなんだろうねえ。付き合ってるのかな? という風には見えてもいいと思うんだけどなあ」

 トキコはおふざけを続けながらも、でも、と真面目な顔をして声高らかに間を置いた。

「私だって、他者に決めつけられるのは好きじゃない。君とどういう関係か決めるのは、私達自身だからね」

「だったらもう決まってる。お前との関係は、知り合いだ」

「ふふふ。そうだね、知り合いだ。合っている。私と君は、友達でさえない。悲しい。悲しいね。君自身が、どうしようもなくそれを決めつけてしまっているのだから」

「それはお互い様だろう。それより、どうなんだ。キレイハナの噂を流している奴は誰なんだ?」

 トキコはまたおちゃらけた顔に戻って、けらけらと笑った。

「噂の出どころを突き止めるのは、とても難しい事だよ。ほぼ不可能と言っても良い。でも君は運が良い。たまたまあのキレイハナのトレーナーと私は、とっても親密な関係だったんだから」

 うふふ、とぶりっ子するトキコを無視する。

「まったく君はノリが悪い。それで、噂の話だね? まあ、確定とは言えないが恐らく彼だろうね。捨てたあいつが桜の木の下で待ってやがる。もう迎えになんて行かないのに。これは彼が笑いながら言っていた言葉さ」

 とんでもない野郎がいたもんだ。自分のポケモンを大学に捨てて、進化した姿で桜の木の下で踊っている事を知っていてその物言い。

 胸糞悪いなと思うのは、本当にキレイハナがそのトレーナーを待っている場合だ。

「それで、君はこれを知ってどうするんだい? 彼を説得しにでも行くのかい?」

「まさか。そこまでする義理はないよ。ただ、あのキレイハナがどう思っているのか、それを知りたいなとは思う」

 うんうん、と頷いたトキコは椅子の上に立ち上がると、両腕を腰に当てる。ビシ、と人差し指を突き出し、行こう! と宣言した。

「行くって、どこに?」

「キレイハナの元だ。花見デートと洒落こもう」

 

【四】

 

 トキコと図書館を歩くと、僕まで一緒に変な噂を流されそうだ。図書館内ですれ違う人が皆避けていく。別に見た目は悪くない。むしろ目鼻立ちしっかりしていて、一見清楚に見えるくらいだ。その容姿よりも噂の印象が強いのかと思うと、こういう噂も馬鹿に出来ない力を持っているなと感じた。

 トキコの隣を歩くのは、久しぶりだった。

 こんな噂など流れていない高校時代、家も近くお互い帰宅部だったので、一緒に下校していた時期もあった。

 何気ない話やくだらない話をする相手としては申し分ない。

 そんな僕達は、幼馴染というファンタジックな関係から、ただの知り合いという関係に変わっていった。

 トキコは突然男を連れ出して、僕の前に現れた。それは良い。好きな人が出来たのは良い事だ。

 だが、何故だかトキコは度々男を連れて僕の前に現れ、見せびらかして去って行く。一体何をやっているんだと思いきや、しばらくすると男が変わって、同じ事を繰り返す。

 そんな事が一年程続くと、トキコはすっぱり男を隣に連れ歩くのをやめた。

「まったく君は、私が男を連れて歩いていてもなんとも思わないのかい?」

 そう言って何事もなかったかのように再び一緒に下校し始めたトキコに引いた。当て馬軍団を作っていただけだったのだ。

 それ以来、距離を置いて接するようにしている。そんな人間は信用ならない。

 とはいえ、目的があれば手段を選ばないトキコのやり方は、何か物を成し遂げるには時に必要な事なのかもしれない。僕にはないもので、トキコはそれを素で出来る。羨ましく思う反面、そこまで出来ない自分を自覚する。

 僕とトキコの関係は、かくして友達でさえない知り合い止まりとなった。

 その気がないのははっきり伝えているが、トキコの性格だといつ何をしでかすか分からないのが怖いところだ。

「さあ、あそこにいるのが例のキレイハナだ」

 キャンパス内の中央にある原っぱに着けば、遠くからでも桜の木の下にいるのが見えた。 

 授業中に見た時と同じだ。今は踊るのをやめ、木の幹に寄り掛かっていた。

 ずかずかと歩を緩めず草の上を歩き、キレイハナに近づいていく。

「何をする気だ?」

「はっきりさせようと思ってね。知らない仲じゃないし」

 答えになってない。また何かしでかすんじゃないかと、少しひやひやする自分がいる。

 噂を知った学生達が、キレイハナに近づいていくトキコに気付いたようだ。遠巻きに傍観する様子が見える。

 僕もあっちに混ざりたい。何かやるなら僕のいないところでやって欲しいところだ。

「やあ、久しぶりだね。元気していたかい?」

 桜の木の下まで着いて早々、トキコはポテンと幹に寄り掛かるキレイハナに声を掛けた。

 うとうとしている様子だったキレイハナは、眠たそうな目を開けて目の前の人間に焦点を合わせたかと思えば、はっと気づいて飛び起きて、トキコに抱き着いた。

 相変わらず人懐っこいな君は、とキレイハナをこれでもかと撫で回して、抱きかかえたまま幹を背に座った。

 ポケモンと仲良くなるのがうまいのは、昔から変わっていない。

「とてもかわいいキレイハナになったねえ。頭の花がとても鮮やかだ」

 立膝で幹に寄り掛かったトキコの中にスポンと収まって、キレイハナは満足気だった。

「知っているかい? より強い臭いを放つクサイハナであればあるほど、鮮やかで綺麗な色の花をつけたキレイハナに進化するんだよ」

「知ってるよ。キレイハナに進化させたいトレーナーが、臭いのを我慢してクサイハナを育てるのは一番の醍醐味だ」

「お、詳しいねえ。流石育て屋志望」

「やめとけ」

「まだ諦めてないんだろう?」

「そうだけど、今はそんな事じゃないだろう? どうするんだ?」

 ああ、そうだったそうだったと呟きつつ、トキコはポケットから携帯を取り出し、何やらどこかへ電話している。

 携帯を耳に当てつつ、キレイハナを撫でていた。

 どこに電話しているのだろう。

 何のためにここに来た? 僕はキレイハナがどう思っているのか知りたいと言った。それを聞いたトキコは桜の木の下へ行こうと言った。

 キレイハナがどう思っているか、それを確かめるために一番手っ取り早い方法はなにか。

 はっとして、瞬時に思いついておい、やめとけ! と言う暇なく、電話は繋がったようだった。

 やあ。から始まり、トキコは一気に畳みかける。

「久しぶりだね。元気していたかい? ん? よりを戻したいのかって? 馬鹿言っちゃいけないよ。用があるのは僕じゃなくて彼女だ。分かるだろう? 君の大切なパートナーであるキレイハナさ。迎えになんて行かないって君はそう言っていたけど、そうもいかなくてね。私も知らない仲じゃない。ここらできちんとケリを付けさせてくれないかと思ってさ。いいかい。これは命令だ。お願いじゃない。立場を分かった方が良い。人間関係だけで大学生活を過ごしているような君にとって、それを崩されるのはきついだろう? いいかい。早く来るんだ。君が彼女を捨てた事は、紛れもない事実。証拠? あるんだなあ。君と私とキレイハナのスリーショットさ。頭の花びらが赤と青のとても珍しいキレイハナだ。誰がどう見ても一発だろうねえ。さあ、どうする? 君がとんだくそ野郎だという噂をたっぷりこれでもかと盛りに盛って流してあげてもいいんだよ? これでも噂を流すのは得意なんだ。おかげで図書館ではいい個室を使わせてもらっている。そんな風に怒ったって意味ないよ。まだ分かっていないようだね。君は来るしかないんだ。分かるかい? 今すぐだ。今すぐに中央の桜の木の下に来るんだ。それだけの事だ。それくらいの事は出来るだろう。いいね? 今すぐだ。私達が花見に飽きる前に来るんだ。十分以内に来なかったら、分かってるだろうね?」

 一気に言い切って電話を切ると、またキレイハナを愛で始めた。上を向いて桜を眺めつつ、綺麗だねえと呟き、のんびりとしたものだ。

 突っ込んで質問したい事は様々だが、今はこれから迫る事態の方が重要だ。

「なあ、トキコ。一応聞くんだが、そのキレイハナのトレーナーがこれから来るんだな?」

「そうだよ。これで君の知りたかった事が分かるね」

「過激だ」

「そうかな。じゃあ君はこれ以上早くキレイハナの気持ちを理解する方法が出せるかい?」

「無理だ」

「無理だろうね。そういう事だ。君はもっとズバっと切り込んでいく力を付けた方がいいかもしれないよ?」

 その勢いを、少しだけ分けて欲しい。面と向かって目の当たりにすると、素直に凄いなと思わされる。

 僕も決断しなければいけない。ぐずぐずしていたら時間だけが過ぎていく。こんな形でいつまでも過ごしていたら、いつまでも僕はこのままだ。

 一番早い方法は、僕だって分かっている。

「わかってるさ。そんな事、言われなくたって」

 桜の木の下では落ち着かない時間が流れる。何故僕がこんなにどきまぎしていて、こいつらはこんなに落ち着いていられるのか。

 キョロキョロしていると、周りの人間の目も気になって来てしまう。来るなら来るで早くしてくれ、とその場で腕組みしながらウロウロしていると、トキコがほら来た、と呟いて指を刺す。

「見てみな。自分の保身のためとなったら身のこなしの速い男だね。この時間は大体大学にいると思っていたけど、案の定だよ」

 ちらほらと、遠巻きにこちらを見ながらヒソヒソ話しをしている人達が囲む中、その男は現れた。

 

【五】

 

 話を聞く限りどんなやばい奴が現れるかと思いきや、至って一般的な服装の、どこにでもいそうな大学生だ。僕と背格好も変わらない。トキコより少し背が高い程度。

 男は気まずそうにしているが、呼び出した本人は一言も発さず黙っていた。

 ポカンとしていたキレイハナは、やがてトキコから離れて、男と対峙する。

 これが修羅場か。いたたまれない空気感が場を包んでいる。どうしよう。僕は何か喋った方がいいのか、何かしないといけないかと逡巡していた。そんな僕の不自然な様子に気付いたトキコは、口に人差し指を当て、静かにしていろと僕を制した。

「ひ、久しぶり、だな。随分、可愛くなったじゃないか」

 馬鹿だな、と思った。

 素直に謝るしかないだろう。きちんと関係が出来ていればクサイハナはトレーナー相手に嫌な臭いは出さないし、うまく関係を築けなかったこいつが悪いのは間違いない。

「でも、もう俺お前とは一緒に居られなくてさ。ほら、色々目立ってるし。こんな状態だし」

 キレイハナがどういう態度で、どんな気持ちでいるのか。それは一目瞭然だった。噂通りの可哀想なポケモン。捨てたトレーナーを綺麗な姿に進化して待つポケモン。

 そんな様子はどこにもない。頭に二枚の花を飾りつけた可愛らしい姿はどこへやら。絶対に許さないとばかりの怒りの表情がそこにはあった。

 男の言葉など最早聞く耳持たず。

 軽く助走し、身軽に飛び上がったと思えば、男の頬に向かって強烈なビンタをかました。あれは痛い。

 まさかの物理攻撃。キレイハナといえど、ポケモンはポケモンである。思いきりビンタをかまされればじっとしていられる強さではない。

 いてえと叫んで蹲った男は、頬を抑えつつ今度はキレイハナに敵意を向けた視線を送る。この! と怒りの声を挙げて、腰についたホルダーのボールを掴んだ。

 寄り掛かって傍観を決めていたトキコが、それを見逃さず立ち上がる。

「そのボールの中のポケモンを出すつもりなら、私が相手だよ」

 その言葉に一瞬怯んだ男は、先にボールを投げたトキコに先手を許してしまう。

 中から出て来たのは、大型のウインディ。僕もよく知る一番手だ。キレイハナの後ろで男を威嚇し、視線を外さない。

「この子に向かってくる気概があるなら、やろうじゃないか」

 男は頬を抑えつつ、何なんだよ。何で俺がこんな目に、とぶつぶつ呟く。この後に及んでまた謝罪の言葉が一つも出ないか。

 男を引っぱたいてスッキリしたのか、キレイハナはスッキリした顔で桜の幹に寄り掛かり、満足気だ。

「分かったかい? 君はキレイハナを捨てたつもりかもしれないが、君なんてこっちから願い下げだという事さ。これで彼女の気も晴れただろう。これに懲りて、きちんと自分のポケモンともう一度向き合う事だね。分かったらさっさとこの場を離れてくれ。いや、これは君のためを思って言うんだ。これ以上その面を見せていたら、次はソーラービームでも打たれかねないよ?」

 トキコの言葉に加え、グルル、と牙を出してウインディが威嚇する。

 男に残された選択肢は、ただその場を去るのみ。痛むであろう頬を抑えつつ立ち上がり、さっきよりも周りに増えてしまったギャラリーに気付き、来た時よりも気まずそうに去っていった。

 トキコはありがとう、とウインディを撫でてからボールへ戻し、再びキレイハナを抱きかかえて幹へ寄り掛かった。

「いやあ、これでスッキリ解決だ。やっと全てが終わったね」

 分かった気がした。

「何か読めて来たぞ。トキコ、キレイハナがどういう気持ちでここで踊っていたか、ちゃんと分かってただろ」

「まあね。あの噂を広めたのは私だから。彼があんまりひどい事を言うもんだから、ちょっと懲らしめてやろうと思ってね。後はどのタイミングでこの状況を作ろうかと思っていたんだが、君がこの子の事を聞きに訪ねて来たもんだから、丁度いいかなと思ってさ。噂のキレイハナとそのトレーナーが対峙して力いっぱい殴られる。そんな光景を見ていた人達はどう思うだろうね。噂の対象はキレイハナじゃなくて今度は彼さ。もちろん私が喋るつもりも広めるつもりもないよ。でも、この状況を見ている人は、結構いるからね」

 ニヤリと笑ったその顔は、何かを確信していた。やっぱり過激だ。

 それでも、キレイハナがきちんとトレーナーとの関係を絶てた事は良い事だ。今後あのトレーナーがキレイハナに手を出そうものなら、周りの人間が許さないだろう。

「嘘は言っていないだろう? 噂の発信源は彼だし、私はこれ以上彼を追い詰めない」

「凄い凄い。流石はトキコ様だよ。まったく、やる事が過激なんだよ本当に」

「そうかな。私は、私のやりたいようにやっているだけだけどね」

 あっけらかんとしたトキコは、そのままキレイハナと一緒に桜を見上げ、既に花見を楽しんでいる。

 今年の桜は遅咲きだねえ、などと既にのほほんと花見気分。

 この切り替えの早さ、幼馴染にして恐ろしい。

「これで君の知りたかった事は分かっただろう? 約束通り報酬を貰おう」

「分かってる。ちゃんと飯は奢るよ」

「言っておくが、大学の食堂とか、そういうのは無しだ」

「もちろん。そんな訳ないだろ。それに、食堂の飯はもう奢れないな」

 僕の言っている事が分からなかったのか、珍しく不思議そうな顔をして、どういう事だい? とトキコは首を傾げた。

「大学を辞めるよ。トキコの言った通り、育て屋志望なんだからその道に進むわ。ズバっと切り込んでいく力が大事、だろ?」

 はっはっは、と随分嬉しそうな笑い声を上げるその隣に、僕もそっと腰掛ける。

「そうかそうか、決めたか。いいじゃないか。応援するよ」

「サンキュ」

 トキコの言葉に喜んでいる自分がいる。

 キレイハナが健気なポケモンだと思われていたように、僕はこのまま卒業して給料の良さそうなところへ務めるもんだと、両親も友人も皆そう思っているだろう。だけど、たまには過激にやってみるのも良い。

 噂というのは、どこまで行っても噂でしかないのだ。

「また、会いに来てくれるかい?」

「飯奢るんだろ? 店が決まったら、連絡する」

 僕等の関係は”知り合い”だが、これもまた決めつけである事は間違いない。少しずつ積み上げていったら、友達くらいにはなるかもしれない。

「とても高い肉が食べられるお店を希望しよう」

「善処する」

 トキコの嬉しそうな顔を横目で見つつ、まずは飯でも食いながら、久しぶりにきちんと話をするのがいいだろう、と僕は思った。

「あ、手持ちのポケモン皆が入れる店にしてくれよ。もちろん、キレイハナも一緒に」

「破産するわ」 

 

 

【了】

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