愛しているわと女神は言った。   作:エターなる

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にー

 この世に発現した瞬間から。

 フレイヤという女神はこの上なく美しいモノの一つとして存在する運命にあった。

 

 具体的になにが、あるいは、どこが美しいのか。

 

 ある者は彼女の美貌をたたえるかもしれない。

 ある者は銀眼の妖艶さをほめそやすかもしれない。

 蠱惑的な声、銀糸の長髪、官能的な肢体、細く儚げな指。

 

 どこが、ではなく、どれもが、というのが答えと言えば答えである、と、そのようなあやふやな回答を許されるくらいには、フレイヤは紛れもない美しさの極地だった。

 

 「女性的な美しさ」という概念を抽出し、凝り固めたかのような美。

 

 彼女は、こと他者との関係において、この生来の美を抜きにしては語ることが出来ない存在だった。

 

 美しいがゆえに愛される。美しいがゆえに畏れられる。美しいがゆえに敬われ、美しいがゆえに妬まれた。

 

 彼女は美しかった。誰も彼もが彼女を見て、その美に意識を奪われた。男も女も、種族さえ関係なく。

 

 その美に絡めとられた者たちの行き着く先は、彼女の数億年の生の中で、ずっと二つだ。

 

 彼女に魅了され、彼女を羨望、あるいは崇拝し、傅く者。

 同じく魅了され、しかし嫉妬、あるいは反発し、敵対する者。

 

 凡庸な者たちはすべからく前者だった。

 フレイヤの美貌に言葉を失い、声を聞くだけで腰を抜かす。何かを「お願い」しようものなら、命をすりつぶす勢いでその「命令」を遵守した。

 彼女にとっては戯れの行動が、多くの者にとっては至上の命題に等しい重さを持っていたのだ。

 

 それ故、彼女にとって「凡人」というのは意志を持たない人形と同じだった。

 そこら中に転がっている、愛すべき木偶。気まぐれに拾い上げ、気まぐれに愛でては、気まぐれに投げ捨ててしまえる、その程度の存在だった。

 

 悠久の時の中、人形遊びに飽いた彼女は、次いで、凡庸ならざる者を欲するようになった。

 

 強い輝きを放つ魂。彼女の美に魅了されても、自意識を喪失しない者たち。

 そういった人々の中には彼女を嫌厭する者もいたが、彼女の「美」にわずかなりとも抵抗しうるそういった存在たちだけが、自身の世界に新しい色を与えうるのだと彼女は直観した。

 

 それだから、彼女は輝きを放つものを集めた。人形ではない者、英雄の器を持つ者を、だ。

 

 色んな英傑を見て来た。天界で過ごした幾星霜、下界に降りてからの幾年月、数え切れない魂の輝きを彼女は見通してきた。

 

 彼女の美に魅了されながらも、無条件に命を捧げない程度には強い輝きを放つ者たち。猪人の大男、猫人の兄妹、その他の眷属……、かき集めた英雄、あるいは、英雄の卵たち。

 

 望んだ通りの結果を彼女は手に入れた。

 

 欲しいと思った物は全て、彼女の手の中に納まってきたのだ。

 

 何もかも、そう、ナニモカモ――。

 

 

 

 ――だというのに。

 

 

「なんだか、たいくつだわ……」

 

 塔の最上階。バルコニーにて。

 どうにも奇妙な倦怠を感じ、フレイヤはため息をついた。ここ最近、彼女はそうすることが増えていた。

 

 時折、虚無感に襲われる。

 例えば、眷属との語らいのふとした沈黙に。例えば、贅を凝らした食事の合間に。例えば、燃え上がるような褥の最中に。

 そして、今のような、何気ないひと時に……。

 

 彼女の居る場所、塔の最上階からは街の様子がよく見えた。

 曇天の街はしっとりと湿り気を帯びていて、雨の気配を感じさせる。地上を行きかう人々は心なしか足早だ。

 バルコニーから地上を見下ろしつつ小さく吐息をこぼした彼女に、背後から声が掛かる。

 

「いかがなさいましたか」

 

 振り返ると、岩のような大男が立っていた。さび色の短髪。猪の耳がその間から覗いている。

 

「……オッタル」

 

 フレイヤは小さく男の名を呼び、それから嫣然として首を振った。

 

「……いいえ、なんでもないわ」

 

 すると、オッタルは執事のごとく一礼し、口をつぐんで傍らに控える。

 

 寡黙な男だ。愛すべき子供たちのうちの一人。不屈の意志と強者としての自負を隠さぬ強い眼差し。

 若く、たくましく、活力に溢れた肉体を持った男。

 

 彼は、彼女の眷属の中でもひときわ強い輝きを内包する人物だった。

 

 出会ったころから輝きは少しもあせない。生まれながらにして英雄たる資質を持つ者、大昔からそういう存在は居て、オッタルはフレイヤの知るそういう者たちの中でも群を抜いていた。

 

 彼を自身の手元に招き入れたときの感慨は今でも覚えている。甘美な感覚だった。下界に降りて来た甲斐があったと、そう確信を持ちもしたものだ。

 

(けれど、この子も……)

 

 この子も……? その続きはなんだというのだろう。

 

 別段オッタルに不満があるわけではなかった。

 彼は良く仕えてくれている。彼女の言葉に逆らうことはないが、それは決して無知蒙昧で盲目的な服従というわけではない。

 

 オッタルの献身は、敬いと慎みの産物なのだ。

 私心を殺して王に仕え、忠義に殉じる騎士のような。身分違いの女主人を愛してしまった、哀れで健気な侍従のような。

 

 フレイヤはもう一度ため息をつき、頭を振って思考を切り替えた。

 

「少し、外に出るわ」

「は。護衛は」

「どうとでも。貴方に任せるわ」

「では、私が」

 

 オッタルはすぐさま紺色の長いローブを彼女に差し出した。

 

 全身を覆い隠すに足る十分な大きさのローブだった。フレイヤが市井に出るとき、いつも羽織っている物だ。

 物腰、気品、そういう類の、匂い立つ美しさまでは抑えきれずとも、直接的な視覚的要素を隠してしまえば、むやみやたらと人間を「魅了」してしまうこともない。

 

 逆を言えば、そうまでしないと出歩くこともかなわないのが、彼女の日常だった。

 

 フレイヤは傍に立つオッタルを見上げた。視線が合う。無表情な大男の瞳の中に映るのは、どこか気だるげな表情の女だ。息をのむほどの、そして、そのまま息が止まってしまうほどの美貌がそこに映っている。

 

 この白い肌の女が日の光を何の憂いもなく浴びたのは、一体いつが最後だろう。下界に降りてから、そんなことがあっただろうか。

 

 フレイヤはふとそんなことを考えたが、その制約を面倒とも辛いとも思いはしなかった。重力に引かれ大地に縛られていることを人間が苦にしないように、彼女にとってそんなことは当たり前で、普通のことだった。

 

(わたしは美の女神だもの)

 

 フレイヤはオッタルの瞳に映る銀髪銀眼の女にうっすら微笑んで見せる。狂おしいほどの艶めかしさが彼の瞳の中で咲き乱れた。

 

 オッタルの仏頂面がわずかに歪む。敬愛する女神に笑いかけられた歓喜からか、それとも、女神の笑みの奥にある無聊の気配を察知したがゆえか。

 

 どちらでも、フレイヤには関係ないことだった。

 

 差し出されたローブを受け取り、袖を通し、フードを目深に被る。

 もう一度オッタルを見上げれば、彼の表情はもとの無感動なものに戻っていた。

 

「行きましょうか」

 

 返事を待つこともせず彼女は足を踏み出した。オッタルの重たい足音が少しだけ後ろからついてくる。

 

(外へ、とはいったけれど。さて……、どこへ行こうかしら)

 

 退屈しのぎのための外出だ。どこか面白みのある場所が良い。

 

(そうね……。歓楽街を冷やかしにでも行きましょう)

 

 

 曇天。

 円形都市オラリオはどんよりとした分厚い雲に覆われていた。

 

 フレイヤは供にオッタルを従え、ゆうゆうと歓楽街の通りを行く。昼となく夜となく騒々しいこの場所は、陰気な空模様の日であっても変わらぬ熱気を帯びている。

 

 一挙一動が過剰なまでに美しい彼女を認め、道行く者たちはそろって色めき立つ。けれども、その背後に番犬のように付き従うオッタルを確認すると声を掛けるまではしてこない。

 

 フレイヤはフードの中からそんな周囲を流し見ていた。

 フレイヤの目には、普通の人間が目にできる世界と重なるように、もう一つ別の景色が見えている。それは光の世界だ。生きとし生ける全てのものが放つ輝き、魂の光に満ちた世界。

 

 全身を紺色の布で覆うことで、顔も体も隠しているフレイヤ。そうまでしても彼女に見とれる者は後を絶たない。

 

 そんな連中の多くは、彼女の特別な目にはなんとも小さく弱弱しい光を発しているように見える。

 将来性の感じられないくすんだ小さな光ばかりだ。中には比較的透き通った魂もあるが、外の農村にいくらもいる程度の純朴さでしかない。

 

 もしもこの場でフードを外しでもしたら、これらの見物人たちは残らずフレイヤの虜となるだろう。後々の面倒を考えれば、そんなことは出来ないし、しようとも思わないけれども……。

 

「やっぱり、こんなものよね」

「……どうかなさいましたか」

 

 ぽつねんとこぼした呟きをオッタルが耳ざとく拾い上げる。

 フレイヤは後ろの護衛を肩越しに振り返り、その魂の輝きに目を細めた。

 

 まるで太陽のようだ。純粋に強く、さらに言えば、未だ成長の限界が見えない。

 

「別に……。貴方のような子は少ない、それだけのことよ」

 

 フレイヤはまたゆっくりと足を進めた。オッタルも変わらずその後に従う。

 

 すれ違う通行人はフレイヤに見とれ、声を掛けるか思案するもオッタルを見てそれをあきらめる。

 結局は立ち尽くしたまま、美しい――と思われる――ローブの女を遠目に見送るだけだ。

 今までのところ、そんな光景がずっと繰り返されていた。

 

 小さく凡庸な光を宿した魂たちがフレイヤの視界を埋め尽くし、彼女の歩みと一緒に後方へ流れていく。

 

 単調な風景。フレイヤは変わりばえしない状況に、また一つため息をついた。

 

 

 

(……もう、良いわ)

 

 さらにしばらく進んで、歓楽街の中央部もほど近くなったころ。

 フレイヤはぴたりと歩みを止め、おもむろに振り返った。

 

「帰りましょう、オッタル」

「満足なさいましたか」

「……満足……、そうね」

 

 彼女は気だるげに鼻を鳴らした。

 

「暇をつぶすという意味では、十分だったかしら。

 それに、これ以上進むとイシュタルが怒りそうだわ。今も必死に監視の子を飛ばしているみたいだし……。貴方も気づいているでしょう?」

 

 オッタルは否定も肯定もせず無表情にフレイヤを見下ろしている。

 

 歓楽街はフレイヤを敵対視するとある女神の支配領域だ。

 少し前から、フレイヤは視界の端を強い光がちらつくことに気づいていた。その光の持ち主らがこの女神とお付きの冒険者を監視していて、おそらくは手荒な歓迎の用意をしているであろうことも、理解していた。

 

(別に怒らせても構わないけれど……。

 いえ、さすがにわたしを守りながらでは、オッタルもやりづらいでしょう)

 

 今現在、オッタルはフレイヤの知る限り下界の誰よりも強い。

 だが、彼とて手足の数は普通と同じだ。得手不得手、可能不可能は存在する。

 

 とはいえ、仮にオッタルが苦戦したとしても、フレイヤがフードを脱いでしまえば……、つまり、相手を「魅了」してしまえば、それで終わりだ。

 

 いまフレイヤに見とれている凡愚ども。彼らを完全に支配してけしかけるだけでも、多勢に無勢、イシュタルを攻め落とすことは不可能ではない。

 

 結局は、フレイヤの胸先三寸ですべてが決まってしまうのだ。

 

(――すべて……、なにもかも……。ええ、そう、なにもかもが……)

 

 そこで、フレイヤはふるふると首を振った。舌打ちをしそうな自分に気づいたからだ。

 

 微笑むだけで望んだものが手に入った。手を差し出すだけで、いかなる英傑も跪いた。

 願望は瞬く間に叶えられ、気が付けば、オラリオで一、二を争う勢力が彼女の掌の中に収まっている。

 

 満足……満ち足りるということ……。

 

 フレイヤの今の状況はたしかに満ち足りたものではあるのだ。だって、欲しいと思ったものは全て彼女のものになったのだから。

 不満など持ちようがないはずで、それなのに皮肉な考えを抑えられないのは、なぜなのだろう。

 

 神々が――もちろんフレイヤも含め――下界に降臨したのは、真新しいナニカを求めたから、だった。

 それがどうして、こんなにも変わりばえしない日々を送っているのだろう。

 

 フレイヤは無表情のオッタルをまた見つめた。

 魂の世界に意識を集中する。熱量すら感じるほどの猛々しい光が、目の前にある。

 

 この男は、自分のモノだ。これ以上ないと思えるほどの大器が、彼女の手の中にあるのだ。

 

(ああ、なるほど、だから……)

 

 フレイヤは唐突に納得した。

 

(そういうこと。これを……、太陽を手に入れてしまったから……。だから、他のすべてが色褪せて見えるのね……)

 

 強すぎる光は他のものを霞ませる。

 

 この最高の眷族を我が物にしてしまったから。

 この男を越える誰かがずっと現れないから。

 もう下界で得るものはないであろうと、頭のどこかで気づいてしまったから。

 

 だから、こんなにも……。

 

「……ねえ、オッタル、貴方はどうして、わたしのものになったのかしら」

「……」

「……どうして貴方は、わたしを愛したのかしら」

 

 オッタルは応えない。フレイヤが応えを求めていないことをこの従者はよく承知していた。

 彼はただ黙したまま、美の女神の前に立っている。

 

(どうしてわたしは、こんなにも簡単に、貴方を手に入れてしまったのかしら……)

 

 ぽつり。

 

 曇天から水滴が落ちてきた。一つ、また一つ、雨はすぐに勢いを増し、フレイヤのローブに染み込んでいく。

 

 健気な従者が女神を雨から守ろうと動いたが、フレイヤはそれを片手で制した。

 

 濡れてもいい。そういう気分だった。

 

 一方で、徐々に激しくなっていく雨に周囲の見物人らは正体を取り戻し、雨粒を凌ごうと近場の店に飛び込んでいく。

 

 フレイヤはフードを被ったまま、水を垂らす天を仰いだ。少なからず美貌がさらされたが、周囲にはもう彼女を凝視する目はない。

 

 雨が女神の顔を伝う。冷たさが刺さる。水滴が弾けるわずかな痛み、それがどこか心地好かった。

 

「……帰りましょう」

「は。馬車を呼びますか」

「いいえ、歩きましょう。すぐそこだもの」

「濡れてしまいます」

「……いいの、歩くわ」

「しかし、風邪を召されるやも」

 

 フレイヤはじっと天を仰いだまま、大男に言葉を返した。

 

「……ねえ、オッタル。私に、三度も言わせるの?」

 

 問答の末、オッタルは頭を下げて主の意志を尊重した。

 

 二人は来た道を戻る。フレイヤが前を行き、その少し後ろにオッタルがつき従う。

 

 フレイヤは自身を満たす気だるさの原因にようやく気づいた。

 それは彼女が天界で感じていたものと同じだったのだ。万能であるがゆえの退屈と、そこからくる倦厭だった。

 

 あらゆるものが手に入る。だからこそ、それらを欲しいと思えない。

 

 降臨したばかりの頃はこんなことはなかった。未知が生まれることへの期待と、未知に翻弄されうることへの不安が、たしかに胸の中にあったはずだ。

 

 神の権能を封じた下界でなら、あるいは、この身に余るナニカとの出会いもあるかもしれない……。あの頃は、そう思っていたのに。

 

 しかし、彼女に宿った「美」が、権能ではなく本質であるそれが、あまりにもすんなりと最上(オッタル)を連れてきてしまった。

 

(天界も下界も、わたしにとっては、何の違いもない。

 すべてが……、ええそう、すべてが、かんたんにすぎる)

 

 雨にけぶる視界に、無数の魂の瞬きが重なる。

 歓楽街に屯する盆百の徒、背後の従者の輝きとは、比べるべくもないものばかり。

 

「……なんだか」

 

 フレイヤは誰にも聞こえないほど小さな声で、雨音に紛らすようにして呟いた。

 

「なんだか、もう、飽いてしまったわ……」

 

 

 

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