愛しているわと女神は言った。   作:エターなる

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ろく

 ――――

 

 白木の丸テーブルに、一組の男女が向かい合って座っている。

 男は白髪を肩口辺りで切りそろえ、女は伸びるに任せた緑の長髪を背で軽くまとめている。エルフの証である笹穂形の耳がそれぞれの髪を割いてぴんと凛々しい。

 

 どちらも美しい容貌だ。中でも瞳の翡翠色がとても良く似ていて、その部分が二人の血の近さを証明しているようであった。

 

 男の名をスバル・ヴリシャン、女の名をリヴェリア・リヨス・アールヴと云った。

 

 彼らは古い知り合いだった。その出会いは数百年を遡る。

 その経緯については、多くは余談だ、ここでは簡単に触れるに留めよう。

 

 外の世界に憧れを抱いていた少女の前に、彼女らの常識とは異なる価値観を持つ旅人が現れた。

 少女は当然のように外界のことを知りたがり、旅人は拙いながらもそれに応えた。

 結果少女は憧れを強くし、旅人は最後に旅に戻った。

 

 どこぞの冒険譚の序文にありそうな話である。

 叔父姪の血縁にあたる二人であったが、このような交流の末、かつて彼らは近しい友としての関係を築いていた。

 

 ――しかして。

 スバルが里を離れ、以来、ヒューマンの世でいう数世紀が過ぎた。

 長い時間だ。少なくともスバルの中では、リヴェリアとの交友は記憶の彼方に仕舞われていた。

 

 交わした言葉は朧に霞み、はっきり思い出せるのは、まだ幼さの残っていた顔立ちと、確かに友人として在ったという事実のみである。

 きっと、僅かに風化したこの記憶が往時の鮮明さを取り戻すことは、もうないのだろう。そう思えるくらいには昔の出来事だった。

 

 彼女と顔を合わせ深く想い出を語らえば、あるいは蘇る物もあるかもしれないが、そもそも、話が出来るかどうかも不確かだった。

 というのも、一部の関係者を除いて、スバルが王族の出であることを知る者は居ないのだ。

 対外的には、リヴェリアは王家の姫君であり、スバルは出生も定かならぬ流離い人である。二人は、つまり、あまりに離れた身分なのだった。

 

 いずれにしろ、いつかもう一度エルフの里を訪れるその時まで自分と彼女の道が交わることはあるまい、とスバルは考えていた。

 いつ野垂死ぬとも知れぬ風来の身を鑑みれば、ともするとこのまま、終生、二度と見えることもないかもしれない。そんな覚悟さえしていたほどだ。

 

 それがまさか、である。

 まさか、里も遥かに遠く、このオラリオの地で……。

 

「正直、信じられん。お前とこんなところで会おうとは」

 

 スバルは目を細め、素直に心境を吐露した。懐かしさや驚き、良く分からぬ感慨、様々な思いが胸中を満たしている。

 数百年ぶりの再会は、彼にとってまことに信じがたいことであった。

 

「自分の眼を疑うようだが……、お前、本人か?」

 

 小さな笑い声が向かいの女から漏れた。

 紅茶のカップが二つ並んでいる。

 細い指先がその一つの縁を緩くなぞっていき、ハンドルに触れた。優美な動作だ。カップを口元へ運びながら、リヴェリアは言葉を返した。

 

「ふふ、眼を疑ったというなら、それは私もだ。珍しい白髪頭に古い友人を思い出して見てみれば、それが懐かしの当人ときた。思わず気取った挨拶をしてしまった。叔父御どの、などと……」

 

 リヴェリアは自らの言葉を思い起こして、涼やかに頬を緩めた。カップを傾け、口の中を湿らせる。

 

「まあ、お前はあちらこちら行く男だ、オラリオに居るのも考えてみればそれほど不思議なことでもないか。それで、いつこの街へ?」

「少し前だ。たしか、雨が降った日だった」

「雨……、ということは、まだ一週間も経っていないのだな。いつまで留まるかは決めているのか?」

「否。だが、しばらくは見物するつもりだ。他に探し物もある。なに、何百年と生きてきた、数年くらい今さらどうということもない」

 

 そうか、とリヴェリアは頷いた。

 それからまた一口紅茶を含み、カップをソーサーに戻す。彼女は少し思案するように片目を閉じ、残ったもう一方の瞳でスバルを見つめた。

 

 考え事をするとき、五感を幾らか制限して集中力を増す、というのは多くの人に見られる行為だ。

 癖というほどあからさまではないにしろ、スバルは昔にもリヴェリアのこの仕草を見たことがあった。

 

「思い出話も、旅の徒然も、色々と話したいことはあるが……。数年は留まるというなら、それほど急ぐことでもないか。それで、スバル、宿はどこを?」

「バベル近くの安宿だ」

「名前は?」

「痩せ馬の肋骨亭」

「ほう。痩せ馬に、肋骨とは。いかにも貧相な名前だな」

 

 たしかに、とスバルは頷いた。

 店の名前の由来は初代の亭主だろう。確認したわけではないが、宿に控えめに飾ってある肖像画を見れば聞かずとも分かった。

 

「貧相な名だが、美味い朝食を出す。魚介がお勧めだ」

「ほう、魚介なのか。馬のあばら肉ではなく?」

「痩せ馬だからな。食う場所がないのだろう」

「……くく。それもそうだ」

 

 スバルは口下手だ。冗談もつまらない。それでもリヴェリアはくつくつと肩を揺らした。

 それを見て、スバルはまた穏やかな気持ちになる。

 

「懐かしい。エルフの里でも、こうして他愛ない話をした」

「ふ、老人のような口ぶりだ」

「老人だとも。ハイエルフとしては若輩だが、ヒューマンの世において、俺などは朽ちるも間近の老木に等しい」

「お前が老木なら、里の長老どもは腐れて土になっている頃だろうな」

「そういうお前も、年だけならクソの付く婆だぞ。ヒューマンにとっては、百年も経てばカビの生えた骨董品だ」

「クソの付くババ……。おい、怒るぞ」

 

 リヴェリアがわざとらしく顔をしかめ、スバルは心持ち楽し気に目元を緩めた。

 

 エルフの里で、普段のリヴェリアは完璧すぎるくらいに洗練された姫君だったが、仏頂面で作法を知らない白髪のエルフの前では、こんな風に、面白いくらいに表情を変えた。

 特に、里の外のことについては、好奇心の塊のようになって色々な話をせがんだものだ。

 砂の海の話だの、水上の村の話だの、凍った大地の話だの。

 緑の瞳に星々の輝きを混ぜて、いいないいな、私たちも見てみたい、と言っていた。

 

「本当に懐かしい。また三人で話をしたいものだ」

 

 スバルはそう呟いた。記憶が少しずつ色を取り戻し始めている。

 私たちも見てみたい、とかつて少女は言い、三人で、と今スバルは言った。

 これらの言葉通り、実は以前こういう語らいの場には、もう一人別の少女が居た。

 

「アイナのことだな」

「それだ。茶髪で緑眼、お前の親友だった。彼女がどうしているか、知っているか?」

「あれとはつい先日も手紙をやり取りした、だいたいの近況は分かっているつもりだ。そうだな、話してやろう。聞いて驚け」

 

 リヴェリアは勿体ぶるように紅茶を飲んだ。

 

「お相手はヒューマンだった。もう二十年は前の話だな。エイナという女の子もいるぞ、今頃は何歳になるか。式の日など、幸せいっぱい、といった風情だったな」

「……なんだと?」

「ふふん。カビの生えた婆にも春は来るということだ」

「……」

 

 スバルも愚かではない。事情を察するくらいできたし、どうやら嘘でないようであることも理解できた。

 沈黙を選んだのは、何とも言いようのない気持ちになったからだ。

 

 リヴェリアは、珍しくも、大きく口元を歪めている。見るからに得意げで、にやり、という擬音が聞こえてきそうだ。

 

 しばらく黙っていたが、彼女はスバルの反応を待つつもりらしく、優雅にカップを揺らすばかりである。

 仕方なく、スバルは口を開かざるを得なかった。

 

「……結婚したのか」

「結婚したのだ」

「……子供もいるのか」

「子供もいるのだ」

「……そう、なのか」

「そうなのだ」

 

 自分より何百歳も年下の、可愛い妹のようにも思っていた友人たち。

 出会ったころ、エルフの里の掟上では成人すらしていなかった二人の少女、あの小娘どもの片割れが、なんと結婚し、更には娘まで産んだらしい。

 

 結婚! 子持ち!

 

(……なんだ、この叩きのめされたような感覚は……)

 

 スバル・ヴリシャン、男、独身。

 つい最近ようやく結婚願望を持ち始めたばかりのくせに、彼はなぜか言いしれない敗北感を味わっていた。

 

「エイナは可愛かったぞ。私も何度か抱かせてもらったものだ。アイナによく似た翡翠の瞳でにっこりと笑ってな、舌っ足らずに私の名を……。

 おい、どうしたスバル、驚くとは思っていたが、なぜ落ち込んでいる? むしろ喜ぶべきことだろう。失恋したわけでもあるまいに、何をどんよりと……。

 ……ん? おい、違うよな。え? 図星か? 失恋したのか? まさかお前、アイナのことを好いて……。それはその、何と言えばいいか……。え? いや、待て待て、お前、そんな素振り見せたことなかっただろう。冗談だよな? んん?」

 

 リヴェリアがおたおたしている。何故か勝手に盛り上がって、たわけたことを言っている。少女時代でもこんなに疑問符を連呼することはなかった。

 

 とりあえず、勝手な妄想をするな、とスバルは言っておいた。そんなわけがあるか、とも。

 とはいえ、別にそう思われて害が有るわけでもないので、スバルは熱心に弁明することはなかった。誤解がどうなったかは、リヴェリアのみぞ知る、といったところである。

 

 妹分が自分より先に所帯持ってて絶望しました、彼女欲しいです、などとは、兄貴分として口が裂けても言えないことであった、などという情けない理由ではなかったような気もしないでもないこともないようなウンヌンカンヌン。

 もはや訳がわからないが、スバル本人にもよく分かっていなかった。

 

 それからしばらく会話し、再度きちんとした席を設け、ゆっくり語らおう、ということになった。

 

「私も少し忙しい身でな。そろそろ帰らねばならん」

「そうか」

「時間が出来たらお前の宿に手紙を出す。都合をしたためて返事をくれ。迎えの者をやろう」

 

 諾、とスバルは頷く。リヴェリアが懐から財布を出したので、彼は要らんと突っぱねた。

 

「ならご馳走になろう。では、またな」

「……ああ、少し待て、リヴェリア。最後に問いたいことができた」

 

 別れしなに用件を思い出すというのは良くあることだ。

 では、と席を立った彼女に、スバルは疑問をぶつけた。

 

「まさかとは思うが、お前も実は結婚していた、なんてことはないだろうな」

 

 死活問題(?)である。スバルは、じっと、真剣な眼差しを送った。

 リヴェリアの口元が動くまで、どれだけ時間が過ぎただろうか。戦場に臨むような無駄に高い集中力を発揮したスバルには、まるで数分間も沈黙が続いたような気がした。

 

「……いや。そんなことはないが」

「本当か、嘘ではないな」

 

 マジだな、絶対だな、嘘ついてたらお前酷いぞ、ヒドいかんな。

 スバルは眼光鋭く念押しした。必死である。一切の虚偽は許さぬ心算であった。

 

「まあ、里を抜けたとはいえ身分の問題もあるからな……。

 ……というかスバル、何故そんなに食い下がる?」

 

 リヴェリアが呆れた表情をしている。

 この表情で嘘でないことが分かった。もう十分である。スバルは彼女を急かして追っ払った。

 納得いかない、という表情をしていたリヴェリアであったが、時間はいいのか、と言うと、不承不承、雑踏の中へ混じって消えた。どうやら本当に忙しい身の上であるようだった。

 

「……うむ。良し」

 

 一人になり、スバルはぽつり呟いた。

 何が、うむ、で、何が、良し、なのか。

 スバル本人ですら全くこれっぽっちも分からなかった。分かりたくもないことであった。

 

(とりあえずは、あれだ。出会いの場を得なくては)

 

 つい先刻、数年くらいどうということもない、などと言っておきながら、彼は焦りを感じていた。

 

 もちろん、落ち着いて考えれば、焦る必要など全くない。しかし、落ち着けるだけの余裕がないからこそ、焦ってしまうわけである。

 彼が自分を取り戻すのは、もう少し先のことであった。

 

 

 ――――

 

 出会いの場、とは言ったものの。

 では、例えばどういった場所があるだろうか。

 

 スバルはそういう事柄にあまり詳しくなかった。

 

 女性関係を避けていたせいであり、また、ずっと長いこと一人旅をしてきたせいである。

 

 そもそも旅人にとっての出会いは一期一会が基本で、その場限りのものだ。

 酒場で出会った誰かと一夜の恋に溺れたとしよう。しかし、翌朝には、きれいさっぱり赤の他人だ。

 旅の途中で親しく語らう友人ができたとしよう。しかし、しばらくすれば、それぞれ別の目的地へ旅立つことになる。

 時には長く道連れとなることもあるだろう。しかし、それでもやはり、いつかは離れる時が来る。

 出会っては別れ、出会っては別れ、そしてまた、どこかで出会いと別れを繰り返す。

 

 そういう風であるから、彼らの心の中には、いつもどこかに無常がある。別れの予感が出会う前から存在していて、そのすぐ隣に死の覚悟もひっそり佇んでいる。

 

 風の向くまま、気の向くまま、行きたいところへ、行きたいように。

 死ぬときは何をしたって死ぬと考えているし、生きていられたならそれはそれ、またどこで息絶えるとも分からぬ旅が待っているのみだ。

 誰かを縛るでもなく、誰かに縛られるでもない。誰も彼もが好き勝手に生きていて、てんでばらばらの方向を目指している。

 

 旅を目的とする旅とはそんな物であり、それこそが醍醐味であるのかもしれない。

 

 とどのつまり、根無し草のスバルには深い関係の作り方というのが良く分からないのであった。しかも夫婦と言えば親密さの極地にある間柄である。

 

 どうすれば良いだろうと悩んでみても、一向に思い付かない。

 そうこう考えるうち、スバルはとある帰結に辿り着いた。

 

 分からぬことは、経験者に聞くべし。

 

 

「……と、いうわけだ。どう思う、女将」

「うーん。というわけだ、と言われてもねえ」

 

 スバルの問いに、痩せ馬の肋骨亭の女将は苦笑いで返した。

 場所は宿の中の小さな食堂である。日が暮れてしばらくが経ち、夕餉も終わって、そろそろ片づけに取り掛かろうかというところであった。

 

「え、ナニ、つまりスバルくん、婚活中なの?」

 

 まだ若い小人族の男子が頓狂な声を上げた。

 

 この小人は磊落闊達な性根の持ち主で、一月ほど前、冒険者になるために上洛したという身の上だった。今この場には居ないが、同郷の少女と痩せ馬の肋骨亭に泊まっている。二人で仰ぐ神を探している最中であった。

 

 痩せ馬の肋骨亭は小さな民宿である。朝と夕とに食事が提供されるが、亭主らの都合もあって、どちらも決まった時間に行われる。

 

 食堂にはテーブルが二つばかりしかなく、必然、宿で食事を取る者が三名以上いると、見知らぬ同士で同じ卓を囲むことになった。

 

 人間とは不思議なもので、飲み食いを同じくすると、よほど馬が合わぬでもない限り、顔見知り以上にはすぐ成れるようだ。

 

 スバルと少年もほんの数日来の関係だったが、何度か顔を合わせ来歴や目的を語り合ううち、友人と言って良い仲になっていた。とはいえ、スバルは自分から話しかけることは少ない男だから、おそらくは少年の物怖じしない気質のお陰であった。

 

「なんで結婚したいの? 独りはツライヨとか、そんな感じ?」

 

 あけすけな問いであるが、実に正鵠を射ている。

 身を乗り出す少年に、スバルは深く頷いた。

 

「最近、(とみ)に独り身の寂しさを痛感するのだ」

「ふうん、へえ、そうなんだ……なんかスバルくん、じじくせーなっ!」

「こらこら、そういうことをお言いでないよ」

 

 けらけらと笑う少年を女将がやんわり叱っているが、当のスバルは気にも留めず受け流した。

 爺だのなんだのを気にするような年でもない。

 月の巡りを数えること、万を超えた。ヒューマンを基準とする外の世界では、彼はもはや老若どうこうの次元を超越した存在であった。

 

「良いのだ、女将。それよりどうだろう、心当たりは」

「うーん。だから、心当たりとか、そういうことを言われてもねえ」

「良いじゃん良いじゃん、何か言ってよ。オレも興味ある。面白そう!」

 

 エルフの真剣な眼差しと小人の好奇心溢れる視線を一身に浴びて、壮年の彼女は困り顔だ。

 女将は助けを求めるように視線を巡らしたが、生憎と、小さな食堂には彼ら三人しか居なかった。

 他に四名居るはずの宿泊客は、風呂に入ったり部屋に戻ったりと、銘々に過ごしているのだろう。宿の亭主は厨房で朝食の仕込みをしていて、助けになりそうもない。

 もう一度、うーん、と唸り、女将はしぶしぶ口を開いた。

 

「あたしなんかは、うちの主人とは幼馴染でね。出会いもなにも、気づいたらこうなってた、みたいな感じだからね」

「というと、亭主とは長いのか」

「そうだね。初代のお爺さん、あの絵の人だけど、あたしの祖父母と友達でね。子供のころから何かと面倒を見てくれて、ここにも何度も泊めてもらったよ。主人とは、その頃からの付き合いだね。……だから、そう大したことは言えないよ」

 

 そう予防線を張って、女将は考える素振りを見せる。

 そこで少年が口を挟んだ。

 

「な、な、おばちゃん。気づいたらこうなってたって、プロポーズとかもなかったの?」

「いや、そりゃあ、まあ、あったよ。一応、結婚は一大事だからね」

「どっちから? やっぱおっちゃんから? そっかあ。へーっ、うわー、なんかムズムズすんねっ。なんて言われたの?」

「ちょっと、やめとくれなよ。小っ恥ずかしいったら」

 

 そう言いながらも女将は幸せそうな面持ちである。

 彼女はヒューマンである。年のころは壮年、四十少し手前であろうか。平々凡々とした見た目だが、笑うと目じりに愛嬌がある。

 若いころは美人の陰に隠れ注目されないが、年老いて内面が外見に滲み出るにつれ、少しずつ人目を引くようになる、そんな類いの女性であると思われた。

 約まるところ、性根のキレイな、安心できる雰囲気の人である。

 

 世の中、こういう女性ばかりならもっと平和だったろうに、とスバルは思った。

 

「亭主は幸運だ。良き伴侶を得た。俺も、あやかりたいものだな」

「あら、やだよ、あやかるだなんて。スバルさんなら、あたしみたいなシコメじゃなくて、もっといい子を捕まえられるよ。それこそ、すんごい美人な子でもね」

「いや、美人はいい……気が休まらん」

「あはは、まあ、たしかに大変かもね。可愛いと周りが放っとかないから、ちゃんと守ってあげないと」

 

 守る守らない以前の問題である。割と真剣に美女はお断り願いたい所存だ。近寄るのもあまり好ましくないのである。

 なのだが、無口な性質のスバルが言及することはなかった。彼は女将が先を話すのを黙って待った。

 

「それで、出会い、だったっけ。そうだねえ……、普通は馴染みの相手と結婚するもんだけど、行き遅れたりしたら、知り合いに頼んで見合いとかしたりするね」

「見合い! 貴族みてえ! オレ知ってるぜ、愛のないセイリャク結婚、とかいう奴だろ?」

「あんた、変なことだけ知ってるねえ。平民の見合いはそんなすごいもんじゃないよ。でも、行き遅れるのにも理由があるはずだから、愛がどうこうっていうのは、何とも言えないけどね。容姿だったり、性格だったり、色々と厄介な事情があったり。まあ、たいていは、性格だろうね。顔は、ほら、あたしも結婚できたくらいだから」

 

 女将は笑って続ける。

 

「後は、そうだねえ、そのへんで引っかけて良い仲になったりとかいう話も、時々聞くけど……。でも、これはムリそうだね。スバルさん、見るからにぶきっちょだもの。……ああ、貴族と言えばだけど、社交界なんかは出会いの場そのものじゃない? 良くは知らないけど、南地区でよくやってるらしいよ、そういうの。他は……ちょっと思いつかないねえ」

 

 女将はてきぱきと食卓を片付けていく。

 スバルはぼんやりとそれを眺めつつ、女将の言葉を心内で反芻し、ぽつり呟いた。

 

「……、どれも、難しいな」

 

 彼は無頼の旅ガラスであり、かつ、愛想もない男である。

 古馴染みの相手など居るわけもなく、見合いを取り付けてくれそうな伝手もない。軟派行為は女将の言う通り無理があるし、貴族の社交界などは、何をか言わんや、論ずるまでもないことだ。

 

 結論、どれもこれも現実味に欠けた。

 

「元も子もないこと言うようだけど、やっぱり、旅人さんに結婚は大変なんじゃないかねえ。腰を落ち着けて、手に職つけてさ、少しずつ知り合いを増やしていったら、そのうちいい人も出て来るもんだと思うよ」

 

 最後にそう言って、女将は重ねた皿を厨房へと持って行った。隣の部屋、壁一枚隔てた向こう側がそうだ。

 開けっ放しにされた扉を通して夫婦のやり取りする声が小さく聞こえてきた。

 

 ――食器、ここ置いとくよ。

 ――おう。

 ――仕込み、まだ掛かりそう? 手伝うことある?

 ――いや。もう終わる。それより、お前、もう休んでいいぞ。明日も早え。風呂でも入って来いや。

 ――ん……、まだいいよ。それ終わったら、洗い物すませちゃおう。一緒にやればすぐだもの。

 

 何気ないやり取りだ。しかしてそこには互いへの惜しみない労りが隠されている。

 スバルは、ぐぐ、と眉をひそめた。そういうところが、無性に羨ましいのであった。

 

 小人族の少年がスバルのしかめ面をにやにやと訳知りげに眺めている。何となく小憎らしい思いがして、スバルはその額を指でぱちんと弾いてやった。

 この日は、そうして終わった。

 

 

 ――さて、話は翌日に移る……が、場面を次へと移す前に、少しばかり、もしもの話をしよう。

 

 この一日、スバルが思いがけず焦慮の念に囚われてしまったことは、上述の出来事から理解できる通りである。

 しかしながら、彼は、元来、賢い男である。衝動に任せた行動が非生産的であることくらいは十分承知している。

 

 もし、このあとしばらく、例えば一日二日ほど、何事もなく過ごすことが出来ていたとしたら。

 そうでなくとも、現状を見つめなおす何かしらの機会が、スバルに与えられていたとしたら。

 

 そうしたら、柄にもなく焦燥に駆られていた彼も、普段の平静を取り戻すことができていただろう。

 

 平静に戻りさえすれば、数年くらい、と自身で言ったように、あるいは、腰を落ち着けて、と女将が言ったように、地道に交友を広げようとしたかもしれない。

 そうすれば、時間はかかっても、彼の求める『物好き』な女性と出会うことがあったかもしれない。

 

 しかし、現実問題どうであったかというと、冷静に立ち返るに十分な時間は、スバルに与えられなかった。

 

 これは、もしも、の話である。たら、れば、かもしれない、そういう言葉を用いて表される仮定の話なのだ。

 

 ほんの一日、二日。数百年を過ごしたスバルにとってみれば、瞬きほどの時間である。されど、その須臾ほどの時間の有無が、彼の今後を大きく左右することになるのである。

 

 

 ――時は進み、翌日。

 事が起こったのは、黎明、空が青みを帯び始めたばかりの、朝も早い時分であった。

 バベルの塔付近でさえ閑として静けさの目立つ早天時に、どこの誰とも知れぬ人物が、スバルを尋ねてやって来たのである。

 

 スバルさん、お客さんだよ。

 そう女将に呼ばれ、安宿の玄関口へ向かったスバルを待ち受けていたのは、どこか陰のある――あるいは深みのある――雰囲気の、怜悧そうな女であった。

 

 ちなみに、これまた美しい面立ちだったので、スバルが朝っぱらからげんなりした気分になったり、勘違いした女将にキレイな知り合い居るんじゃないのと揶揄されたりしたが、それらは今は置いておこう。

 

 ここで問題となったのは、この女がスバルに渡した一通の封書であった。

 ソニアと名乗り、さるやんごとなき御方の使者であると自称した女は、やけに恭しい態度でスバルにそれを手渡した。

 

 封の中には、とある食事会への招待状が入っていた。会の日取りは、本日の午後と記されている。女が言うには、あちこちを旅したスバルに、宴の席で一つ二つ話をしてほしいのだそうである。

 

 あまりに急な誘いであるし、人前で話すのも得意ではない、当初はそう難色を示したスバルであったが、(あるじ)の達ての希望であるから、と何度も頭を下げるソニアに、それならば、と了承することにした。

 

 この一見自然な決定こそが、彼の焦りの何よりの証明であったろう。

 

 どうやって彼のことを知ったのか。

 なぜ頭を下げてまで彼を招こうとするのか。

 そもそも、数多居る旅人の中から彼を選んだのは、どういう理由故なのか。

 疑問の余地は多くあったし、なにより普段の彼であれば初対面の美女の誘いをそう易々と受けるはずがなかった。

 

 ともあれ、彼は招待に応じた。

 食事会。やんごとなき身分。これらの言葉から、貴族の社交界を連想したためである。それは丁度、昨晩に女将が枚挙した出会いの場のうちの一つであった。

 

 焦っていたところへ期せずして好機が巡って来た、渡りに船だ、そのような思いがなかったかと問えば、間違いなく在ったと答えるだろう。

 

 しかるに、早晩、スバルは実感することになる。急いては事を仕損じるとは、よく言った物である、と……。

 

 ――――

 

『白のおぐし 翡翠のひとみ の エルフさま

 

 涼風の肌に心地好い日よりがつづきます。オラリオに来られたばかりのあなたさまは、いかに感じていらっしゃいますでしょう。

 

 この地に暮らす者として、少しでも住みよく思っていただけたなら、それ以上の喜びはありません。

 

 さて、この度は、お願いしたい儀があって、筆を取らせていただきました。

 

 本日、日の入りごろより、わたくしの館にて、ささやかな宴の席を催したいと思っております。

 身内だけの、まことに小さく、つまらないものではありますが……。

 

 つきましては、この席に彩りをくわえるため、あなたさまの旅の一幕などをお話しいただけないかと愚考する次第です。

 

 諸事ご多用の折、不躾な申し入れであるとは存じますが、何卒ご来臨賜りますようお願い申し上げます。

 

 どうぞ、無聊にむせぶわたくしを、慰めるとでも思って――。

 

  記

 

 日時  本日 午後五時~

 場所  南と南東の間 フォールクヴァングにて

 主催  フレイヤ・ファミリア主神フレイヤ 』

 

 封蝋の印璽には、戦装束の乙女の側面図が用いられている。

 

 ――――

 

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