「初めまして。私は行商人のクラフト・ロレンス、こっちは妻のホロです。村長殿の家はこちらだと聞きましたが、お間違いないでしょうか?」
「おやおや、夫婦の商人さんですか。初めまして。──いかにも、私がこのカルネ村の村長を務めているものです」
ロレンスの訪問に応対した見るからに善良そうな中年の男性は、この村の村長だと名乗った。ロレンスは会釈をしつつ、頭の端に『カルネ村』という名前をメモしておく。
「それはよかった。お会いできて光栄です、村長殿。お聞きしたいことがあるのですが、少々お時間を頂いて構いませんか?」
「……ふむ、お二方は朝食をお済ませになりましたかな?もしそうでなければ、お話のついでにうちで食べて行ってください。この村には食事処がありませんので、旅の方には我が家で料理を振る舞うことにしているのです」
ホロが鼻をひくつかせ、村長に見えないようにロレンスの膝を蹴った。しかし、ロレンスは商人だ。ただただ好意に甘んじているわけには行かない。
懐から巾着袋を取り出すと、中の銀貨を数枚手に取って村長に見せる。
「申し訳ないのですが、今は手持ちがこの貨幣しかないのです。支払いを十分に出来るとは思えません」
「……見たことのない銀貨ですな。交易共通貨ではないということは、ロレンスさんたちは南方から遥々行商を?」
村長の言葉に、ロレンスは落胆しながら銀貨を巾着袋にしまい込む。
「ええ、まぁそんなところです。……この銀貨に価値を見出すことはできますか?」
「天秤を使って重さを測ればおおよその価値は判別できます。ですが、うちで出すような簡素な朝食でお金を取ろうなんて考えていませんよ。どうぞ上がってください」
「それはありがたい。では、お邪魔させて頂きます」
村長について2人が家に上がると、用意を始めていたらしい朝食のいい匂いが漂ってくる。村長は妻らしい女性に話を通すと、ロレンスとホロに席を勧めた。
「──それで、聞きたいことがあるとか」
「ええ。この村とその周辺の地理をお教え頂きたいのです」
行商人にとって旅先の情報は命だ。特に地図は、場合によっては金貨にすら勝る強力な武器になる。
村長は苦い顔をするも、「大体の方角と距離しかわからないのですが」と前置きをして、一番近い大都市のエ・ランテルをロレンスに教えた。加えてカルネ村が属するリ・エスティーゼ王国の王都、戦争中の相手国であるバハルス帝国との国境付近にある、年中霧が絶えないカッツェ平野なども。
「カッツェ平野には近寄らない方が良いかと思われます。霧が深いですし、何せ魔物が湧きますから」
「魔物……。それは狼とか熊の類ですか?」
「ご冗談を。狼や熊なんかよりずっと恐ろしい奴らですよ」
村長がおどけて言った言葉に、ホロは目つきを鋭くした。そして初めて口を開く。
「村長様よ、わっちはあの狼どもよりも恐ろしい奴らに出会ったことがありんせん。そ奴らというのは、一体どのような連中かえ?」
「アンデッドです。生者を憎み、死を与える魔物ですよ」
「…………はい?」
ホロとロレンスは顔を見合わせ、村長の言葉を飲み込んだ。
「……詳しく、お話を聞かせていただきたいのですが」
「分かりました。ですが、もう朝食の準備ができたようです。食べながらでもお話の続きを致しましょう」
村長夫人がいくつかの皿を持ってやって来て、机の上に食事を置いた。
焼きたてのパンとカブのスープ、それに付け合せが少々。いくつかに割かれたパンの中は目も眩むような真っ白で、湯屋を営んでいたロレンスをして驚かせる。燕麦やライ麦などの安価なものではない、純粋な小麦の香りが漂った。
ホロの目が大きく開き、よく利く鼻で匂いを嗅ぎながらそわそわし始める。
「……そ、村長様よ?これはもしや、わっちらのために特別に焼いて貰ったというわけなのかや?」
「いえ、そういうわけではないですよ。うちは家内と2人暮らしなので、パンがいつも余るんです。お二方に食べていただけるのなら、明日の今頃に冷えた硬いパンを齧らずに済みます」
「しかし……、小麦というのは貴重なものではありんせんか?領主に教会に、あくどい連中が掻っ攫っていくものと相場が決まっておるものでありんす」
二人の記憶には、十分の一税というものがある。教会の教えが広まっている範囲で、教会は農民からその年の収穫の十分の一を搾取できるという決まりだ。そのせいでどんな土地においても、農民たちはギリギリの生活を強いられていた。
しかしホロの問いに、村長は首を傾げる。
「この村はリ・エスティーゼ王国の領土ですので、スレイン法国の教会が税をとるというのはありませんね。税吏の方は年に一度、エ・ランテルの方から来られますが……、我々農民が一年食べる分はきちんと残していかれますよ」
「──ということは、この国には教会が無いと!?」
「大きな街に行けばあるかもしれませんが……、少なくとも村の近辺にはありませんね」
「それは興味深い……!」
ロレンスにとって、教会が税を取らない国があるというのは衝撃だった。彼自身、旅の道中で教会の側を通る時には通行税を幾度となく払ってきている。1回1回は大した金額にならないが、塵も積もれば山のような大金になっているはずだ。
「ささ、冷める前に召し上がってください。妻も感想を欲しがっています」
「おっと、つい話に熱を入れてしまいました。それでは──頂きます」
「いただきます」
教会の教えが広まっていないという以上、食事の前の祈りなどを取り繕う必要は無い。ロレンスとホロは軽く手を合わせると、眩く輝く小麦の白パンに手を伸ばした。簡単に手でちぎれるパンを見るのはかなり久しい。ニョッヒラは寒冷地だったため、時たま行商人が運んでくる小麦を割高で買う時位しか白パンを食べることは無かった。
恐る恐るかじると、ふわっとした食感が口の中を満たす。咀嚼せずとも溶けていくような柔らかさの後に追ってくるのは、甘酸っぱい果実の風味だ。
「──ベリーが練りこんであるのですか?」
「そうです。これは、この村の裏にある森に自生している小さな赤い漿果を練って入れたパンです」
「わっちが今まで生きてきた中で、一番に美味い。これほど美味いパンがこの世に存在するとは……」
「それはそれは、お世辞でも嬉しいことです」
「お世辞ではありんせん。本当に美味しいのじゃ」
果実類は足がつくのが早い。それはパンに練りこんでも同じことで、長持ちさせたければ変な工夫をせずにただパンを焼けばいい。しかしこのパンは、長持ちをさせる前提で作られていない。二、三日で食べきることを考え、そのために美味しさを求めることが出来ているのだとロレンスは思い至る。
では、カブのスープはどうか。ロレンスはスプーンを使って1口すくい、またもや感動する。
色素の薄いスープだが、味はしっかりと濃い。鶏や牛からとられているであろう出汁は塩っけが多く、すぐにカブが食べたくなる。釣られて口に入れたカブは、しょっぱいスープの中での一時の止まり木だ。きっと採れてからさほど時間が経っていないのだろう。しっかりとした食感を残しつつ、味も染みている。
横目でホロを見ると、今にも尻尾を振って耳をひょっこり出してしまいそうなほどに興奮しながら舌鼓を打っていた。
「いやはや、この程度しか用意できませんでしたが申し訳ない」
「あまり謙遜なさらないでください、村長殿。突然押しかけてしまったのにこんな素晴らしいもてなしをして頂けて、妻も私も、とても満足しています」
「そう言って頂けると、一人の農民として救われた気になります──では、先程のお話の続きを」
村長曰くアンデッドは、生者を憎み命を奪おうとする化け物らしい。ロレンスとホロにとってにわかには信じがたいが、きちんと弔われなかった死者を放っておくとアンデッドへと変化してしまうことがあるそうだ。そしてカッツェ平野では毎年のようにリ・エスティーゼ王国とバハルス帝国の戦争が起きているため、そうしたアンデッドの大量発生を呼び起こしているらしい。
そして村の裏の森、その奥深くには森の賢王と呼ばれる大魔獣が住んでいるそうだ。良くも悪くも縄張りに入る者を軒並み殺しているため、小型の魔物がカルネ村に出てくることを防いでくれているのだと言う。アンデッドと比べ、こちらの方は多少なりとも受け入れることが出来る。何せ、巨大な体躯を持つ賢狼がここに存在するのだから。
「──それでは、銀貨の重さを比べるとしましょう。ロレンスさんのお持ちの銀貨と重さを比べて、おおよその価値を測れるはずです」
「助かります。では、お願いできますか」
「ええ。では、これをこうして……」
そうして銀貨の重さを計ろうとしたとき、遠くから地響きが聞こえた。村長は夫人と顔を見合わせ、ロレンスはホロの耳打ちを聞く。
「馬の蹄音じゃ。それも一頭や二頭ではなく、十を軽く超える。乗っておるのは鎧を着た者達じゃな」
「殺気は感じるか?」
「まぁ、穏やかでは無さそうじゃが──心配せんでもよい。ここまでぬしを巻き込んだのはわっちじゃ。何があろうと、ぬしはわっちが守り抜く。それに、一宿一飯の恩義のあるこの村もじゃ」
「……無理はするなよ。何が起きるかわからないんだ」
「ぬしはわっちに振る舞うぶどう酒の手配を気にかけておればよい。……では、行ってくる」
ホロは村長宅から出ると、遠方に見える騎馬の集団を視界に捉える。うろたえる村人を尻目に朝に目を覚ました小屋へと飛び込むと、手早く服を脱ぎ、首にかかっている袋から麦の粒を手のひらに転がす。そのまま口の中に放り込み、噛み潰した。