『――――それではこれにて入学式を終了致します。明日から新入生の皆様は各種オリエンテーションがございますので、要項を確認した後……』
「やっと終わった……大学に入ってもこういう行事は長ったらしいもんなんやなぁ」
「そりゃそうでしょうよ。でもリリーが言うには入学式と卒業式くらいしかこういう行事ないらしいから、安心していいんじゃない?」
「卒業式すら簡易的でいいと思っている俺は異端なのだろうか」
「異端ね、間違いなく」
即答ではっきり言われると少し傷つくぞ善子よ。
長時間にわたる入学式とやらで心身共に疲弊しきった俺の愚痴を見事に切り捨てる善子に無情なものを感じながらも、堅苦しく締まったネクタイを外しつつ人で溢れかえる体育館を後にする俺達。スーツなんて着慣れないから落ち着かないの何のって。革靴も疲れるし、もう就活まで絶対に着ないと誓おう。俺にはこんな格式ばった服装は合わない。
それに比べて、隣でだらしなく欠伸している堕天使は……、
「腹立たしいくらいスーツ似合ってんのな、お前」
「当然でしょう? 私は素材が良いから、何を着ても似合うのよ。この世界で私に合わない衣装なんて存在しないわ」
「今日も元気にポジティブで何よりだ。というか、衣装だなんて、まるでアイドルみたいな言い方しよるね」
「みたいな、ね……」
「どうした?」
「なーんでも。それよりさ、せっかくだからキャンパス内を見て回りましょうよ。入るつもりはあまりないけど、どんなサークルがあるのかも気になるしね!」
「おいちょっ、分かったから腕を引っ張るな! なんかあらぬ誤解を受ける気がする!」
俺のスーツの袖を掴んで駆け出す善子を慌てて止めるが、彼女は聞く耳持たない様子で走る。先程一瞬だけ見せた表情……どこか遠い記憶を懐かしむような顔が気にはなったものの、余計な詮索はやめておいた方が良いだろう。まだ出会って半月ほどしか経っていない俺が彼女の内情をとやかく言うのもおかしな話だ。これから長い付き合いになるとはいえ、そんなに急いて行動する必要もないだろう。おいおい知っていけばいい。
善子に連れられてキャンパスへと向かう。そこまで大きな大学でもないから、見て回る分には時間もかからないだろう。問題はといえば、道中にサークルや部活勧誘のブースが群を成していることくらいか。俺はともかくとして、控えめに言っても美少女な善子に勧誘が殺到する未来が見えている。
実際、一歩進むごとに勧誘のビラを持った先輩達がずらずらずらっと彼女に声をかけまくっていた。
「そこのキミ! テニスサークルとか興味ないかい?」
「結構よ」
「演劇部は!」
「間に合ってます」
「旅行! 旅行サークル楽しいよ!」
「友達と行くので」
「とりあえず今日の新入生歓迎花見だけでも……」
「遠慮します」
某無双ゲームを見ているような錯覚を覚える状況だ。わらわらと湧いて出る勧誘員達を片っ端から切り捨てていく善子の潔さたるや、見ていて思わず拍手を送りたくなるほどである。そして、あそこまで完璧に周囲が断られているのに、我こそはと飛び込んでいく先輩達も凄まじい。なんだここは。いつの間にか戦場と化しているぞ。
「春彦」
「おう、どうした」
「……やっぱり、帰りましょう」
「賢明な判断だ」
既にグロッキー状態の善子が疲れ切った顔で行った提案を二つ返事で了承。俺もあまり人混みが得意な方ではないので、サークル勧誘でひしめき合っているこの場から一刻も早く立ち去りたかったところだ。この感じだとキャンパス見学なんてできそうもないし……それに、善子が下心丸出しな男の先輩達に声をかけられている姿を見るのは、なんか嫌だった。
さっさとここから抜け出してしまおう。門に向かって歩き出そうとする俺達だったが、ここで何を思ったのか、善子は急に俺の腕に抱き着くとそのまま歩を進め始める。
「……おい」
「どうしたの?」
「どうしたじゃなかよ。この体勢は色々とマズいっちゃない? 恋人か何かと勘違いされるばい」
「方言出てるけど、もしかして動揺してる? 初心ねぇ」
「うっさいわ。ほら、周りの視線も凄いことになってるから」
「これは作戦よ、作戦。男がいるように見せれば、これ以上私が声をかけられることもないでしょ? スムーズに帰れるし、一石二鳥じゃない」
「そうかー?」
「そうよ。いいからキビキビ歩く」
一応反論はしてみるものの、有無を言わせず歩き出す善子にそれ以上何も言い返すことはできなかった。彼女の言う通り効果は抜群のようで、俺の腕に抱き着いている状態の善子に迂闊に声をかけてくるような猛者が現れる様子はない。むしろ、怒りの籠った視線の矛先が俺に向いていることが問題ではあるけれど。入学初日から随分と敵を増やすことになったようだ。はぁ。
溜息を漏らしつつも隣の善子に視線を向ける。さっきから妙に大人ぶった発言が目立つが、こいつに初心呼ばわりされるのはなんか腹が立つ――――
「って、顔真っ赤じゃんかお前。恥ずかしいなら無理するなよ……」
「は、恥ずかしいですって? 馬鹿を言いなさい。私は人知を超えた大いなる存在、堕天使ヨハネよ? これくらいの羞恥、屁の河童よ!」
「羞恥って言ってんじゃねぇかボロ出てんぞヨハネ」
「う、うるさいうるさーいっ! 男の人に抱き着くなんて慣れていないんだから仕方ないでしょ! でもこれが一番良い方法なの! 茶化す暇があったら早く学校から出るわよ!」
「はいはい……」
善子は俺の指摘にすっかり素を出して取り乱してしまっていた。相変わらずのポンコツっぷりである。コイツがこういう性格だから、危なっかしいことをされていちいちドキドキする自分が馬鹿らしくなるのだ。未だに抱き枕扱いされている夜中もそうだが、まるで俺が一行的に善子を意識しているみたいで腹が立つ。なんなんだ本当。
やけにもやもやした気持ちを抱えながらもようやく大学構内からの脱出に成功。必要以上に精神力を浪費した気がするのはおそらく気のせいではあるまい。やけに胸が高鳴っているのは先輩達からの怨み辛みを一心に受けたからだろう。そうに違いない。決して、善子が押し付けてくる身体の感触にざわついた訳ではない、絶対に。
「な、なんか妙に疲れたわ……」
「奇遇だな。俺もまったく同じ感想だ」
「アンタはそんなに声かけられてないじゃない」
「……お前のせいだっつうの」
「は?」
「なんでもない。それより、もう脱出したんだから腕離してくれてもいいんじゃねぇの?」
「っ!? そっ、そうね! ま、まぁ、春彦にしては快適なエスコートだったわ!」
「なんで声裏返ってんだ善子」
「うっさい! なんでもないわよ!」
「怒られ方が理不尽すぎる!」
ものごっそい逆ギレを受けた俺を誰かフォローしてくれ。
顔を真っ赤にしたままそっぽを向く善子。原因不明の不機嫌に俺としては首を傾げるばかりであるのだが、このままこいつが不貞腐れたままというのは少々面倒くさい。変に意地っ張りな面がある為、どこかで折れないとなかなか修繕しないというのがこの半月で学んだ彼女の特徴だ。俺もあまり人の事を言えた義理ではないけれど、不器用な奴だと思う。
上京したばかりでバイトもしていないし、少し心許ないが……仕方ないか。
一つ肩を竦めると、ぶすっと頬を膨らませていた善子の頭に財布を乗せる。
「……なによ」
「悪かったよ。昼飯奢ってやるから、機嫌直せよな」
「ふん。このヨハネが金銭で釣られるような安い女だと思っているのかしら?」
「何が食いたい?」
「……苺のチョコレートケーキ」
「デザートじゃねぇか!」
「うぐっ……じゃ、じゃあお昼は担々麺! そんでもって、食後のデザートも奢って!」
「図々しいなこの堕天使は!」
「ふんっ、このヨハネに貢げる幸せというものを存分に噛み締めるといいわっ」
「このアマ……」
すぐに調子に乗るのはこいつの悪い癖だと切に思う。たぶん治らないだろうし、治す気もないだろうから指摘もしないけど。というか、善子が聞き覚えの良い優等生になったらそれはそれで違和感バリバリだ。我儘で自分勝手で、それなのに根が素直とかいうアンバランスな残念美人が彼女らしい。それでこそ、堕天使ヨハネというものだ。
腕を組んでチラチラとこちらを見てくる善子。大人びたスーツ姿をしているにもかかわらず、その行動のせいでなんともチグハグな印象を抱かせる。だけどまぁ、変にスマートな彼女よりも、こういう等身大な善子の方が取っ付きやすいから大歓迎だ。
「分かったよ。お望み通りしっかり貢がせていただきますわ」
「やったー! そうと決まれば善は急げね。早速お店に向かうわよっ。前にリリーが教えてくれたお勧めの担々麺屋さんがあるの! そこに行きましょ!」
「テンション高いな」
「当然! 楽しみだもの!」
「そーかい」
「うんっ!」
先程の様子からは考えられないくらいの輝かしい笑顔で善子が頷く。ヨハネで誤魔化したのではない、純粋な善子としての表情に少しだけ見惚れてしまったのはここだけの話だ。本人に知られたら滅茶苦茶煽られるに決まっている。善子にからかわれるとか、末代までの恥だ。
キラキラと子供のように目を輝かせる堕天使の姿に思わず苦笑を浮かべる。とても同い年とは思えない純粋無垢な表情すぎて、異性間どうこうの気持ちよりも保護者的な感情が湧いてきている俺がいた。堕天使のくせになんだこの溢れる後輩感は。梨子さんがあれだけ目をかけるのも分かる気がする。腹立たしいが、これは反則級の可愛さだ。
「ほらーっ! 早く行くわよー!」
「分かっとるって……」
なんかもう、堕天使というより完全に天使な件について。
ぶんぶんと手を振って俺を急かす残念美人は、今日も元気に俺の心を惑わしていた。
今回も読了ありがとうございます。