「サインください善子さん」
「はぁ?」
朝飯を食べている最中に色紙とペンを差し出すと、善子はあからさまに嫌そうな表情を浮かべて怪訝そうに目を細めた。「何言ってんだこいつ」と声には出さなくても表情が物語っている。常に俺に対する当たりが強い堕天使様ではあるけれど、今回はさらに一段階上の辛辣さを帯びていた。なかなかに辛い視線である。
だが、津島善子のファンとして覚醒した俺はそれくらいでめげやしない。昨晩Aqoursのライブ映像で元気を貰った今の俺は最強と言っても過言ではないのだから!
「家宝にするんでサインください! できればツーショットもお願いします!」
「敬語やめてよ気持ち悪い。後、そのキャラなんなの? テコ入れ? 従順キャラがモテるのはテレビの中だけって分かってる?」
「ごめんちょっと泣きそうになってるからこれ以上は勘弁してくれ」
「アンタが急にわけの分からない豹変っぷり見せるからでしょうが。なに? 急に気持ち悪い反応するのやめてくれない?」
俺のリアクションが気に入らないのか、機嫌が悪そうにふんと鼻を鳴らす。少々強引すぎただろうか。別に善子を怒らせたいわけではないので、一旦気持ちを落ち着けると、昨晩の事を彼女に話す。
「昨日善子達が飯食っている間にさ、Aqoursのライブを見たんだよ。善子や国木田、黒澤や梨子さん達が歌って踊って……こんなこと言うのも変な話なんだけど、初めて何かで泣いちまって。高校まで人生の大半を勉強に費やした挙句に国立大学の受験に落ちた時も泣かなかったのに、感動したんだ。今更だけど……ファンになりました」
「ふぅん……まぁ、そういうことなら分からないでもないけど。でも、もう昔の話だし、私はもうAqoursの津島ヨハネじゃなくて、ただの津島善子なの。ミーハーよろしくギャースカ騒ぐのだけは、本当にやめて」
「うん、それは確かにその通りだな。昨日の高揚感が抜けなくて舞い上がっちまった。ごめんな善子」
「分かればいいのよ、分かれば」
「でも最後に言わせてほしいんだけど」
「あによ」
目も合わせず味噌汁を啜り始めた善子。傍に置いていたスマートフォンのロックを解除すると、そんな彼女に見せつける様に待ち受け画面を開いて突き付ける。
「Aqoursの中では津島善子推しになったんで、そこんとこよろしく!」
「ふぶぅ―――――――っ!」
「俺のスマホが――――!」
何に驚いたのか絵に描いたようなモーションで味噌汁を吹き出す花の女子大学生。射線上には先程突き出したマイスマートフォン。綺麗な放射状を描いた味噌汁(with善子の唾液)が見事にスマホを直撃し、暗転する画面。
「な、何すんだテメェ――――ッ!」
「う、うるっさいわバカ! このバカ! ききき、急に意味の分からない事言い出すアンタが悪いんでしょうが! なぁにが私推しになったよ! ふざけてんのか!」
「大真面目だよバカタレ! 堕天使キャラとか、追いつめられた時に見せる素の顔とか! ちょっとハスキーな声とか、そういうの一切合切含めて大ファンです! だからサインだけでもくれ!」
「ななな……!? しょ、しょんな恥ずかしいこと堂々と目の前で言わないでよ! い、意味わかんないし! もうバカ! 春彦のバカー!」
「語彙力もうちょっとどうにかしろ堕天ぶげぇ」
ブラックアウトかましたスマホをタオルで拭きながらなんとか蘇生を行っているところに飛来する空になった茶碗。さすがに陶器を食らって無事でいられるほどの耐久力はない俺はすんでのところで投擲を回避したものの、続けて投げられた顔つき団子のクッションをモロに顔面に受けてしまう。肉体的なダメージはないが、さっきまで善子が座っていたせいか彼女の匂いを間接的に嗅ぐ形になってちょっと羞恥心と理性へのダメージが入った。いい匂いしてんじゃねぇかコンチクショウ……。
名残惜しいけれども、クッションをどかしてスマホの蘇生再開。なんとか致命傷だけは避けていたらしく、水気を取ると正常に動作してくれた。心配は残るから、時間を見つけて携帯ショップに持っていくとしよう。
予定が一つ増えたな、とか思いつつちらと善子に視線を飛ばす。
「……なんでそんな顔真っ赤にしてほっぺた押さえてんの、お前」
「わ、私だって分からないわよっ。うぅぅ、なんなのこれ……なんで私が、アンタの馬鹿みたいな妄言で一喜一憂しないといけないのよ……」
「はっはっは。なんだ善子。俺に恋をしているのなら最初から言ってくれれば」
「それはない。断じてない。ずら丸が食欲を無くすくらい有り得ない」
「断言やめろよ傷つくだろ!」
そこだけは真顔&ジト眼で言ってくるのだから始末に負えない。いや、俺だって同棲相手から好意向けられているとかいう事態はアニメや漫画だけの話だって分かっちゃいるけどさ。いくらなんでもそこまで真っ直ぐ否定されるとさすがの俺もショックを受ける。いいんだけどね? いいんだけどさ! 釈然としねぇ!
なんか落ち込んでしまうが、そんな俺の肩をポンと優しく叩く善子。一縷の望みをかけて顔を上げると、そこには――
――見るも腹立たしい程の笑顔を浮かべた、自称堕天使の姿。
「まぁ、いつかアンタにも素敵な恋人が見つかるわよ」
「おいやめろ。文面にしたら『w』が大量に生えているであろう語調で俺を見下すのはやめろ。ていうか! お前だって彼氏いない歴=年齢だろうが! 人のこと言えんのかよ!」
「な、なにおぅ!? 私は作れないんじゃなくて作らないの! あえてよあえて! 高校までは女子高だったし……アンタだって私のモテ方は知っているでしょう? 本気を出せば男の一人や二人ちょちょいのちょいなんだからね!」
さっきとは違った意味合いで顔を真っ赤にする善子ではあるけれど、確かに彼女の言う通り、大学での善子のモテ方は常人の比ではない。登校すれば必ず手紙を渡され、先輩や同級生に声をかけられることなんて日常茶飯事。そもそも美形な顔立ちだからか、女子からもナンパされる始末。一応は俺の事を形式上の彼氏だと紹介して事なきを得てはいるらしいが、コイツがマジになればすぐにでも相手が見つかるというのはあながち嘘でもないだろう。身代わりにされている俺はいい迷惑である。善子の彼氏とかいう肩書のせいで、俺に彼女ができる確率がほぼゼロだからだ。おかげで出会いも何もねーよ!
けれど、善子に彼氏か……。
そう遠くないであろう未来を脳裏に浮かべつつ、彼女を見やる。
「なによじろじろ見て。気色悪いわね」
「ひどいな? ……いや、なんというか」
「なんというか?」
「……お前がどこの馬の骨とも分からない男の彼女になっている光景は、なんかヤだわ」
「…………What?」
「流暢すぎる発音」
外国人もびっくりなイントネーションに全俺が驚く。やっぱアイドルってのは外国語の練習もしているものなのだろう。洋楽や英語の歌詞歌う時に使うだろうし、発音練習は大切だ。さすがは善子、そこら辺の特訓も抜かりはないようだ。
なんか納得いかないとばかりに首を傾げている堕天使女が若干一名目の前にいる。
「なんなの……なんなのこの田舎者は……。天然だとしたら相当のアホよコイツ……」
「台詞の八割以上に誹謗中傷まぜるのやめろよな」
「ちょっと黙ってなさい南国人。何も考えてないアンタの発言は、ときに人を殺めるわ」
「誰の言葉が殺人兵器だオラァ」
「はぁ……そうやって馬鹿言ってるだけなら何の問題もないのに……」
「よーし分かった。そろそろお前とはケリを着けないといけないと思っていたところだ。表に出ろやァ!」
「やだこわーい。暴力的な男の人、ヨハネ苦手ぇー」
「キモッ」
「タイマンじゃゴラァーッ!」
ヒートアップの末に互いの胸倉を掴み合う。起床してからそれなりの時間が経過しているが、幸い本日は二人とも講義は午後からなので時間的には問題ない。なので、後顧の憂いなく目の前の怨敵をぶちのめせるということだッッッ!
「茅野津島ルームシェア鉄の掟第五条!」
「諍いが起こった際に決着を着ける方法は……」
『対戦ゲーム、三本勝負で執り行うッッッ!』
叫ぶと同時に準備を開始。善子がテレビの電源を入れ、俺が本体とコントローラーをセット。用意するのは格闘ゲーム、レースゲーム、リズムゲームの計三種。それぞれ種類の異なるゲームを用意することで勝負に公正さを求め、結果にも文句を付けられないようになる。ネチネチと引きずるのは俺も善子も嫌なので、こういうのはスッパリと決めてしまった方が良い。
「降参するなら今の内だぜヨハネさんよぉ……」
「アンタこそ、恐怖で縮み上がってんじゃないの? リズムゲームで私に勝てる道理なんてないんだから」
「この一か月間で勝率はまったくの5分のくせによく言うぜ。そんな大口叩いている暇があるなら、レースゲームで俺に勝つんだなぁ!」
「絶対ぶっ飛ばす! 吠え面かいても知らないわよ春彦ぉ!」
「そういうのは負け犬の台詞なんだよ、善子ぉ!」
最初に始まるのは格闘ゲーム。これに関しては実力がほとんど拮抗しており、逆に言うとここが勝負の鍵とも言える。この性悪女に土下座させるためにも、絶対に負けられない……!
タイトルコールの後に、ファイター選択画面へ移る。俺が選ぶのは搦め手を得意とするトリッキーなキャラクター。対して、善子が選択したのはパワー重視のゴリラキャラだ。どちらもこのゲーム内では不人気キャラであるものの、そんなのは関係ない。しかしながら、あまりに同じキャラばかり使い続けるためにお互いの戦法がバレているというのが問題ではあるけれど。
勝負を始める前に、一つ提案を行っておく。
「善子、提案だ。この勝負に勝った方は、負けた方の言う事をなんでも一つ聞くってのはどうよ?」
「春彦にしてはいいアイデアじゃない。いいわ、その勝負受けて立つ!」
「言ったな? 俺は『なんでも』って言ったんだから、負けて泣きを見ても知らねぇぞ! 男子大学生の下心甘く見るなよ!」
「ふんっ。そんな素人童貞の下心なんてタカがしれているわよ!」
「在庫女に言われたくないけどな!」
「…………」
「…………」
しばしの沈黙の後、にっこりと笑顔を浮かべ合い、
『ぶっ殺す!』
俺と善子による、仁義なき戦いが幕を開けた。
今回も読了ありがとうございます。
冬コミ足を運んでくださった方は感謝です。