紅色をしたピカピカの蒸気機関車がプラットホームに停車していた。毎年9月1日11時にキングズ・クロス駅を出発するホグワーツ特急だ。
「それじゃあ気を付けるのよ。私達はホグワーツの卒業生じゃないから詳しくはないけれど、魔法学校での生活は貴方の人生をきっと彩ってくれるわ。」
出発時間に十分に間に合うように駅に着いていたフラメル夫妻とサフィロスは、ゆっくりと言葉を交わしていた。
「はい、ペレネレさん。…お手紙を書いても宜しいでしょうか…?」
サフィロスがそっと窺うように尋ねたその言葉にフラメル夫人は破顔した。
「えぇ、ええ!勿論よ!ちょっとしたことで構わないわ。貴方が何を思ったのか、聞かせてちょうだい。」
夫人の嬉しそうな様子を見て、フラメル氏は感慨深そうに目を細めていた。
「サフィロス…君と出逢ったあの日のことを思い出すよ。学生生活というのは、人を何倍にも大きくしてくれる。私とペレネレも学生時代に出逢ったしね。君の学生生活が満ち足りたものになるように、祈っているよ。」
「はい、フラメルさん。」
ここまで育ててくれた二人に暫しの別れを告げて、サフィロスはホグワーツ特急に乗り込んだ。
列車内の人は疎らで、まだまだ空きのある個室から彼は端のコンパートメントを選んだ。自然と先頭車両の喧騒から離れる。彼自身が自覚を持ってその席を選んだのかは分からないが、彼は人々の騒ぎに慣れていなかった。
コンパートメントに自分の荷物を運び終えると、列車の窓からホームにいる夫妻が見えた。最後まで見送ろうと追ってきてくれたらしい。
サフィロスは閉まっていた窓を開け、窓枠に手をついた。
「僕、一所懸命勉強します。お二人が誇りに思えるように、懸命に。」
列車の出発を告げる笛が鳴った。汽車はゆっくりと滑り出し、フラメル夫妻はサフィロスに手を振る。
「「いってらっしゃい。」」
「行ってきます!」
あまり表情を動かさないサフィロスにしては珍しい晴れやかな笑顔だった。
ホグワーツで学ぶ為の道具を全て揃えてくれたフラメル夫妻に胸を張れるようにサフィロスは勉学に励もうと思った。早速、コンパートメントに戻り、一年生の教材を取り出して予習を始める。
「ここの席、空いてるかしら?」
サフィロスが教本を読み始めてからどれ程経っただろうか、声が掛けられた。顔を上げると、少女が扉を少し開けサフィロスの方を窺うように見ている。幼い容貌にサフィロスは同じ新入生かと思い、空いている向かいの席に掌を向けた。
「どうぞ、空いていますよ。」
「ありがとう!」
少女は嬉しそうに笑みを浮かべると弾むように向かいの椅子に腰かけた。その動作を見届けるとサフィロスは再び膝の上の教本に視線を戻す。
「私は__」と少女は愛らしい笑顔を見せて名乗った。
「あなたの名前は?」
「サフィロス・アストラです。」
ぷつり、と会話が途切れた。
「…それはなんて本?」
「基本呪文集です。」
ぶつり、と音が聞こえるような会話の途切れ方だった。サフィロスは初対面の相手とどの様に会話をするのか知らなかった。
「…ふーん、そうなんだ。」
向かいの席に座っている少女は既にサフィロスに興味を無くした様子だった。ぷつりぷつりと途切れる会話は彼女にとって全く面白いものではなかっただろう。
今の彼は言葉の文字通りの意味しか読み取っていない。
フラメル夫妻とは出逢い方も特殊であったし、比較的長い時間を共にしていた(夫妻が大人で幼いサフィロスにも分かりやすいように丁寧に話していたこともある)ので日常会話で困ることはなかったが、相手は同い年の女の子だ。サフィロスは「つまり何が言いたいんだ。」と思うことさえない。ただ機械的に聞かれたことに答えることはできるが、質問の意図を汲み取る能力がないのだ。圧倒的に経験値が不足していた。
少女は若干気まずそうに移りゆく車窓の外を眺めている。
「あ…あの…」
その時、中を伺うように控えめに扉が開けられた。
「あら?貴方も席が見つからなかったのかしら、どうぞ掛けて下さいな。」
少女はこの状況を打開する糸口を見つけたように喜んで扉を開けた少年を中へ招いた。
サフィロスよりも取っ掛かりやすいと思ったのか少女は少年に積極的に話し掛ける。ぎこちないながらもそれに応える少年。サフィロスの目の前では会話が弾んでいた。
「一年生の諸君!ホグワーツにもうすぐ到着する!それまでに制服に着替えておくように!」
上級生が親切にも通路を巡回しながら一年生に聞こえるように言い回っている。
「あら、着替えなくちゃいけないみたいね。先に着替えても良いかしら?」
「あ、うん。勿論さ。」
サフィロスとその気弱そうな少年は通路で少女が着替えるのを2人して待つこととなった。
「あ、あの…」
「はい。」
「えと、そうだ。名前は何て言うの?」
「サフィロス・A・アストラといいます。」
「そうなんだ……」
再び少年にとって気まずい沈黙が訪れる。
「君はどの寮に入りたいとか決まってるの?」
「寮…特に決まってはいません。」
少年も聞かれていないことをベラベラと喋るタイプの人間ではないらしく、サフィロスの回答を聞くと、そうなんだ、と言い会話は途切れてしまう。お世辞にも愛想が良いとは言えないサフィロスの態度も影響して、少年は拒絶されているのだろうか、とも思い話し掛けるのを躊躇してしまう。
「お待たせ!どうぞお二人共!」
2人して着替えている間はもう会話などしようとする気さえ起きなくなっていた。
列車は無事にホグズミード駅に到着した。荷物は学校へ届けてくれるというアナウンスがあった為、彼等は手ぶらで列車の外へ出る。
1年生はボートを利用してホグワーツに向かうということを先導の男が告げると、暗い道を歩き始めた。
急に道が開けた。ほぅ、と息を吐く。夜気が頬をかすめた。満点の星空と大きな城の窓からの光が生徒たちの目に飛び込んでくる。他に光源が無い為か、それは随分と光り輝いて見えた。
彼は、母も同じ景色を見たのだろうか、と湖のほとりから星空を背景に浮かび上がるホグワーツを眩しそうに眺めた。
ホグワーツの大広間では在校生徒と先生方が一年生の到着を首を長くして待っていた。サフィロスはこんなに大勢の人間を収まることのできる部屋を見るのは初めてで、目を丸くしている。
汽車を初めて見た時も驚いたが、その時はフラメル夫妻が優しく説明してくれた。これからは、未知の経験をしても頼りになる人は隣には居ない。サフィロスは少しばかり不安に思った。
寮の組分けをするという。背凭れの無い、1人用の椅子に随分と年季の入ったとんがり帽子が置かれていた。
「アストラ・サフィロス!」
組み分けはアルファベット順で行われるようで、Aから始まるサフィロスは早々に名前を呼ばれた。
椅子に腰掛け、帽子を被る。
「おや、珍しくも懐かしい気配だ。」
耳の中で声が聞こえるような感覚だった。
「母を知っているのですか?」
「あぁ、何てったって私は組み分け帽子。このホグワーツで学ぶ全ての生徒に行くべき寮を教えた帽子だ。さて、君の組分けを始めよう。」
サフィロスは母の寮を聞こうとしたが止めた。今は時間が無いと思ったからだ。帽子の闇で見えないが、彼の後ろには組分けを待つ多くの生徒がいる。
「賢く、誠実で、臨機の才やいざという時に踏み出せる勇気を持っている。資質は十分だ。私は君をどの寮へも送り出せる準備がある。」
帽子はウンウンと悩み始めた。
「しかし君の本質はまた別の所にある。実に個人主義だ。周囲や世間には流されず、自分というものをしっかり持っているんだね。」
固定的な人間関係の中で育ってきたサフィロスは、帽子の言うことを「そうなのか」と受け入れた。自分の本質など考えたことが無かったため、反発することも納得することもない。
「君はこの学校で友を得るべきだ。そうすることで君は飛躍的に成長できるだろう。同胞意識の強いあの寮ならば、良き友人が出来るんじゃないだろうか…スリザリン!!」
大きな拍手が起きる。
サフィロスは帽子を脱ぎ、ゆっくりとスリザリンの席へと足を進めた。
上級生が寮を代表してか、握手をしてスリザリンに選ばれたサフィロスを歓迎してくれる。サフィロスもあまり動かない表情のまま「ありがとうございます。」とだけ告げた。
さてさて、組分けが終われば交友を深めるための歓迎会があるのだが__
自分が優秀であることを少し鼻にかけた様子の青年がサフィロスに声を掛けてきた。
自分の容姿が優れているという自覚がありそうな可愛らしい少女が話し掛けてきた。
これからの生活に胸をふくらませ、興奮した面持ちの少年が語りかけてきた。
その全ての結果から言えることは、彼の魔法学校での生活は決して順調なスタートを切れなかったということ。それだけは確かだった。
誤字脱字報告歓迎いたします。
後書き
ホグワーツ特急は1892年時点で既に存在していると考えています。
『以前は、親の責任で生徒たちは学校まで向かっており、毎年最大で全校生徒の1/3が学校にたどり着けないことがしばしばであったため、1692年の国際機密保持法制定以降、魔法大臣オッタライン・ギャンボルが、マグルの移動手段である汽車を用いて全校生徒をホグワーツまで運ぶ計画を主導する。
ホグワーツ特急がどこで作られたかは明確ではないが、英国国内で167回に及ぶ忘却術と隠蔽の呪文による工作が行われたとする記録が魔法省に残っている。』→参考文献"https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ホグワーツ魔法魔術学校"