真剣で私に恋しなさいZ ~ 絶望より来た戦士   作:コエンマ

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お久しぶりであります。

さて、早くするつもりがお待たせする結果となってしまいました。

まだまだ内容的に未熟な部分もあるやも知れませんが、その辺りはみなさまの寛大なお心でどうかご了承のほどをお願いいたします。

それでは、第二話です。


第2話  武士娘と不思議な青年

「孫、悟飯……孫くんね! よろしく!」

 

 互いの自己紹介が終わると、彼女……川神一子は人懐っこく笑った。こちらのことを信用しているのか、それとも人を疑うことをしないのか。いずれにしろ、彼女の笑顔には含みのようなモノは一切見受けられなかった。

 

 いきなりのことに若干警戒していたオレも飾り気のないその笑みに毒気を抜かれてしまい、彼女に言われるままベッドに背中を預けなおす。

 

「でもよかったぁ。あなたもう五日間も眠り続けてたのよ? お医者さんは命に別状はないって言ってたけど、そのときは本当に危ない状態だったんだから」

 

「五日間も…………もしかして、君が助けてくれたのか?」

 

 問いかけるオレに少し顔を赤くして、まあねと答える川神さん。恥ずかしいのかモジモジしている。

 

 オレが改めて感謝の意を述べると、「別にいいわよ、お互い様だもん」と朗らかに笑った。つられてオレの顔にも笑みが浮かぶ。

 

 だが、突然その笑顔が曇った。

 

「でも……えっと、その……」

 

 こちらをチラチラと見ながら、彼女は言いにくそうに視線を彷徨わせる。脈絡のないその態度を不思議に思ってその視線を探ると、ある場所に集中しているのがわかった。

 

 ――――左腕。正確には遮るものがなくて風に揺れている、オレが着た病院服の左部分だ。

 

 ああ、そういうことかと納得する。優しい子だなと思いながら、心配させないように微笑んだ。

 

「気にしなくて大丈夫。コレは元から……ええっと、事故によるものだから」

 

 オレが軽く手を振って答えると、川神さんは微妙な表情をしながらも一応納得したらしい。少し心配そうにこちらを見つめる彼女に笑いかける。

 

 そうだ。別に真実を告げることでもない。人が悲しい顔をするのはもうたくさんだ。

 

 たとえ彼女にウソをつくことになろうと、自分を助けてくれた恩人にそんな顔はさせたくない。黙っていれば、これはオレ一人の問題で済むのだから。

 

 もしかしたら、彼女だって何かされているかもしれないんだ。まだ知り合って間もないのに、あの人造人間なんかの話題を出されたくは――――、

 

「ッ!? そ、そうだ、人造人間ッ!!」

 

 ハッとして、オレはベッドから反射的に身を起こした。同時に脳裏を稲妻のように記憶が駆け巡っていく。

 

 何故、いまの今までこんな大事なことを忘れていたんだ!? 彼女との出会いですっかり頭から飛んでいたが、もしかしたら今このときも危険が迫っているかもしれないのに!!

 

「川神さん、ここはどこだ!?」

 

 オレは痛みも忘れて傍の椅子に腰掛けていた川神さんの肩をつかんだ。いきなりのことによほど驚いているのか、川神さんは目を見開いたまま口をパクパクさせている。

 

「え、え……? あの、孫くん、ちょ――」

 

「西の都なのか!? それとも違う街か!? ここにはどれぐらいの人がいるんだ!? あいつらは、人造人間はいったいどこに行ったんだ!? まさかとは思うが、まだ近くにいるとしたら急いで逃げ――」

 

「ちょっと待ってってば! 孫君、あなた一体何を言ってるの!? じんぞー人間とか、一体何のこと!? そんなの聞いたこともないよ!?」

 

「そんなこ――…………え?」

 

 オレは反射的に動きを止めた。耳を疑う言葉を彼女から聞いた気がしたのだ。

 

 ようやく動きを止めたオレにため息を吐いた彼女は、オレの内心に気づかない様子で続ける。

 

「はぁはぁ……いきなりどうしたの? じんぞー人間って何? 何をそんなに取り乱したのか知らないし、さっきも言ったけど、そんな名前の人聞いたこともないわ。それに、ここは川神市にある葵紋病院。日本語が通じるから孫くんは日本人みたいだけど、西の都なんて名前の街、たぶん日本にはないと思うわよ? 少なくとも私は知らないし」

 

 今度こそ、時が止まる。オレは早まっていく動悸を抑えながら独り呟いた。

 

「そ、そんなバカな……西の都が、ない……それどころか、人造人間も知らないだって……!?」

 

 あり得ない。どんな田舎だって、東西南北にある四つの都の存在は子供でも知っているものだ。パオズ山という辺境で生まれ育ったオレでも子供のころから知っている。

 

 それにこの時代において、人造人間を知らぬ者などいないはずだ。物心つかないような子供ならまだしも、彼女はおそらくトランクスよりも年上。そんな年齢になる人間が、あの悪魔の存在を知らないはずがなかった。

 

 極度の混乱で視界がグラグラと揺れる。オレはなんとか状況を分析しようと、必死に頭を巡らした。

 

「か、川神さん。この世界、いやこの国の歴史の教科書と地図を見せてくれないかな? できれば世界地図とかあるといいんだけれど」

 

「え、ええ。ちょっと待って」

 

 川神さんは訝しげな表情をしながらも、横においてあった鞄を取る。今まで気づかなかったが、よく見ると服装からして学生であるらしい。目当てのものはすぐに見つかったようで、彼女は二冊の本を中から取り出した。オレはそれを半ばひったくるようにして受け取るとすぐに目を走らせる。

 

 違いは歴然としていた。字の文体や使い方などはオレの知っているものと似通っているが、表現の仕方や見慣れない文字もある等、細部が異なっている。

 

 それに、歴史もオレが知っているものとはまったく違っていた。この国、日本がたどってきた道筋もそうだ。年号や元号もそうだが、歴史上でもそんな名前になった国など記憶にない。

 

 そして一番の違いは世界地図だった。小さな島国である日本のほかに大小様々な、百を超える国々が点在している。そしてその地理も六つの大きな大陸に分かれた陸地と、広大な海によって成されていた。オレが知っている地球の地理では大陸もひとつだけ、そして国もキングキャッスルの国王が治めるものしかなかったはずだ。

 

 もしかしたら別の星に来てしまったのか、という疑問はない。なぜならその世界地図の隅には、大きく目立つようにこう書かれていたからだ。

 

 

 

【地球:The Earth】

 

 

 

 体から力が抜け、ベッドに寄りかかる。そしてもう一度、ベッドの脇に立った川神さんを見た。

 

 オレの様子が気がかりなのだろう、心配そうにこちらを見つめている。とてもじゃないが、からかっているとは思えない。オレは天を仰いだ。

 

 ここは、本当に地球だというのか。だとしたら、自分の知っている何もかもと食い違っているこの状況はいったいどういうことなのだろうか。

 

 聞いたことのない国、日本。そして他国の存在。

 

 歴史や地理の大きな差異。

 

 そして、人造人間が存在しない事実。

 

 わからない。どうしてこんなことになってしまったのか。どうしてこんなところに来てしまったのか。何もかも、目覚めたばかりのオレにわかるはずもなかった。

 

「だ、大丈夫? なんだか深刻そうな表情をしてるけど……」

 

 その声を聞いてハッとする。見ると、川神さんが慮るような視線でこっちを見つめていた。

 

(話すべきか?)

 

 オレは一瞬迷った。ここが自分の知る地球とはまったく違うものだとするのなら、オレを知っている者はこの世界に誰もいない。元の世界に戻れる手段があるかもわからないのだ。ならば一人くらい、事情を知っている人間を作るべきじゃないのか。

 

 もう一度彼女を見つめた。こちらを心配している気持ちが強く伝わってくる。

 

 オレは雨の中に傷だらけで倒れていたと聞いた。身分証など持っていなかったから、その扱いは身元不明の不審者と似たようなものだったはずだ。それでも彼女は助けてくれた。きっと助けた後も気遣ってくれていたのだろう。そんな優しい少女を、オレは自分の世界の事情に巻き込みたくはなかった。

 

 訳の分からない重荷を背負わせたくはない。そう考え抜いたオレは、

 

「…………あ、あは、あはははは!」

 

 彼女に隠し通すにした。オレが経験してきた世界のすべてを。

 

「ゴメン、川神さん! け、怪我のせいか、いつか見たテレビの中のことと一緒になって勘違いしてたみたいだ! さっき言った事は気にしないで! は、ははははは……」

 

 我ながら苦しい言い方だ。あれだけ取り乱していた相手に気にするなと言われても、はいそうですかと納得するわけがないとは思ったが、自分にはほかに手が思いつかない。

 

 だが幸いなことに川神さんはただ心配なだけであったようで、オレの言葉にため息を吐くだけだった。

 

「そ、そう…………まあ、あれだけの怪我ならそういうこともあるかも。それにしても孫くんって面白い人ね。いくら頭がスッキリしてないからって、テレビの内容とごっちゃになるなんて。それもあんな必死になって……ぷっ、あはははは!」

 

「あ、あははは……ま、まぁそうなの、かもね……」

 

 力なく返答する。優しくしてくれた彼女に対し、心苦しいものはあった。できることなら、誠意を持って彼女に打ち明けたいと今でも思っている。

 

 だが、巻き込むことはできない。これはオレだけの、オレの世界の問題だ。

 

 知っているということはそれだけ事実に近い場所にいることになる。当然、それに付随するあらゆる要素、危険も付きまとう。しかも、オレの世界のそれは常軌を逸していた。

 

 もし万が一にも彼女にまでそんなものが降りかかってしまったら、そのときオレは自分を許せなくなる。

 

(……すまない)

 

 オレは心の中で彼女に詫びた。川神さんはオレの葛藤には気づかない様子で部屋の隅に歩いていった。

 

 視線でその先を追っていく。と、見慣れない部屋の片隅、その机の上に唯一見慣れたものがあった。

 

「オレの道着……取っておいてくれてたのか」

 

「当たり前じゃない。武道家にとって道着や武具は自分そのものよ。粗末に扱ったら罰が当たるわ」

 

 当たり前のように言う川神さん。迷いなく言えることが、彼女の根のまっすぐさを物語っていた。

 

「そうでなくても、誰かのものをぞんざいに扱うなんてできないわよ。私にとってはなんでもないものでも、その人にとっては大切なものかも知れないんだから……っと、はいこれ。あなたが身に着けていたものよ。倒れてた周りにいくつかあって大きいものとかは他の場所に置いてあるけど」

 

 そのような経験でもあるのか、どこか含みのあるように言いながら川神さんが道着を差し出してきた。ついで質問を飛ばしてくる。

 

「その道着を見たときもしかしたらって思ってたけど、孫くんって武術の心得があるの?」

 

「ああ、うん。四歳の頃からね。ほとんどは父さんとピッコロさんから習ったものだけど。あ、ピッコロさんっていうのはオレの師匠に当たる人で――――!?」

 

「? 孫くん?」

 

 そこまで言ったオレは目を見開いて硬直する。オレは川神さんを見て完全に言葉を失っていた。正確には、川神さんが持ってきた道着といっしょにあったものを見て。

 

「か、川神さ、それ……ぐっ!?」

 

「あっ!? まだ動いちゃダメよ! さっきも言ったけど、助かったのが不思議なくらいの怪我だったのよ!? なんかさっき動いてたような気もするけど、本当なら指一本だって動かせないような状態なんだから!」

 

 川神さんがオレの体を支えながら言う。

 

 確かに少し無茶をしすぎたかもしれない。いくら自分が地球人より遥かに頑強な種族だとしても、死ぬ一歩手前からたった今目覚めたばかりなのだ。おかげで先ほどまで比較的大丈夫だった右腕にも激痛が走り、痛覚以外の感覚がほとんどなくなっている。

 

 それでもオレは痛みに顔をしかめながら口を開いた。

 

「か、川神さん……き、君が持っている道着と一緒になっている、小さな袋……その中に、何か入っていないか……?」

 

「ふ、袋? で、でも今はそれどころじゃ……」

 

 狼狽する川神さんは何故そんなことを今言うのかと胡乱な表情を見せた。しかし、いいからと目で諭すと、彼女は渋々ながら中を調べる。すると、その中には果たしてオレが思ったとおりのものが入っていた。

 

 それを取り出した彼女の顔は晴れない。こんなものどうするのかと言いたげな表情だ。

 

 もしオレが事情を知らなかったら同じことを思っただろう。指示した自分自身も、それが今ここに存在することを信じられないのだから。けれど、もし本当に予想通りのものならば――――。

 

 オレはそれを受け取ろうと手を伸ばした。だが先ほどまでの無理がたたったのか、体が思うように動いてくれない。仕方なく、オレはまたも川神さんに視線を向けた。

 

「ぐっ……か、川神さん、それを一粒だけで、いいから……オレの口の中に、放り込んでくれ……」

 

「わ、わかったわ」

 

 言われるまま、川神さんがそれを食べさせてくれる。口の中に無機質な、だがどこか懐かしい味が満ちていく。噛むたびに体中に走る凄まじい痛みに耐えながら、オレはそれを懸命に咀嚼し、

 

「…………んぐっ」

 

 飲み込んだ。そして川神さんが固唾を呑んで見守る中、

 

「…………ふぅううう、危なかった……よっと!」

 

「へっ!?」

 

 ベッドから飛び起きた。激変したオレの様子に、川神さんは飛び出そうなくらい目を真ん丸にする。

 

 まあ、さっきまで面会謝絶一歩手前だった大怪我人が一瞬で飛び起きたのだから、その驚きも相当なものだろうが。

 

「な……な……なな……ななななな!?」

 

「やっぱり仙豆だ……もう無くなってしまったはずなのに、それがどうしてここに……」

 

 固まったままの彼女の手に乗った仙豆の袋を受け取る。こいつには長く世話になっていたが、人造人間との戦いで消費してしまい、トランクスに使ったものを最後にして尽きたはず。それも入っている数が軽く30粒以上見受けられる。元から持っていたよりもずっと多い。

 

「どうなってるんだ……」

 

 この世界で目覚めてから疑問ばかりが募る。だが言ってしまえば、それは自分がいまここにいること自体がそうなのだ。何一つわかっていない状態では、考えるだけ寧ろどつぼに嵌ってしまうだろう。

 

 だからオレはとりあえず頭からそれらを除外する。問題を先送りにしているようなものだが、いまはこれしか取り得る手段も持っていないのは事実だった。考えたって仕方のないモノは、どうしたって変わらないのだから。

 

(こういう時、父さんなら『まぁいっか』で済ましてしまうんだろうけど)

 

 そのいつでも大らかだった笑顔を思い出し、オレは含み笑いをする。そこで先ほどまでフリーズしていた川神さんがようやく再起動を果たした。

 

「そ、そそそ、孫くん!? え!? な、なんで!? どうして!? お医者さんは、ぜ、全治七ヶ月だって…………ええええ!?」

 

「あー……それはこいつのおかげだよ」

 

 話そうかどうか少しだけ迷い、だが手に携えた袋を彼女に向かって掲げた。本当に仙豆なのか確かめる意味も込めて食べたのだが、結果は紛れも無く本物であった。それはいいことではあったが、こうして治ってしまった人間が目の前にいる以上、下手な誤魔化しは逆効果だ。

 

 ならばいっそのこと、仙豆については正直に話してしまったほうが余計な拗れを生まずに済む。それに視線が移るのを見届けてからオレは話を続けた。

 

「これは仙豆って言って……ええと、何て言ったらいいかな…………そう! オレの家に伝わる秘蔵のアイテム、ってところかな? 食べればどんな怪我も一瞬で治せて失った体力も全快するし、一粒食べれば十日はお腹が持つっていうありがたい豆なんだ。もっとも全部が全部再生するわけじゃない。この腕みたいに、完全に無くなってから時間が立ってしまったものは治せないみたいだけど」

 

「こ、この豆が……ほ、本当に治ってる……けど、全部じゃないのね……顔の傷はそのままだわ……」

 

 確かめるように体に手を当ててくる川神さん。目の前で起きたことがよほど衝撃的だったのか、その手つきにはあまり遠慮がない。ペタペタと触ってくる感覚がくすぐったかった。

 

「本当に治っちゃった……信じられないけど、川神にも川神水とかあるから無いとは言い切れないわね……それに、いま触って分かったことだけど、孫くんの体、すごい引き締まってる。そういえばさっき言いかけてたわね、武道家なんだって」

 

「あ、ああ、うん。そうだけど。というか、川神さんもそうだよね」

 

 彼女の問いに対して、答えと共にこちらからも問いを投げかける。川神さんは驚いたようにこちらを見た。

 

「分かるの?」

 

「うん、まぁ。歩き方とかからね。なんとなくだけど」

 

 本当である。彼女がただの少女でないことはすぐに分かった。部屋に入ってきたときはそんなことを確認する余裕はなかったが、その立ち振る舞い、仕草、何より彼女に支えられたときに感じとった、年不相応な力強さを感じさせるあの感覚は、間違い無く武芸者のそれだ。

 

 それともうひとつ、彼女の力を見抜いた理由がある。それは彼女が纏っている『気』の強さだった。

 

(川神さんの気は、どう見ても一般人の大きさじゃない。武天老師様の半分、いやそれよりちょっと下ぐらいのパワーだけれど、それでもこの年でコレなら相当な修行を積んでるはずだ。気のコントロールはまだできてないみたい、というか知らないのかもしれないな)

 

 彼女の実力に大体のあたりをつける。体を覆っている気の感じからして、この子なら修行しだいでまだまだ伸びることは間違いないだろう。もしかしたら修行の内容しだいでは化ける可能性も――、

 

「そっか。ホントならいけないことなんだろうけど、怪我も完全に治ってるみたいだし、いいよね」

 

「ん?」

 

 一人考えていたオレの耳に川神さんの独り言が届く。なんだかこちらを見て何かを考えているようだ。少し嬉しそうな、どこか期待をした表情がそれを物語っている。

 

 どうやら彼女は考えていることが顔に出やすい人物のようだ。たぶん性格的にウソはつけない人でもあるのだろう。

 

 その川神さんはひとしきり考えるような仕草をした後、こちらをにんまりと見据えた。悪戯を思いついた子供のような笑顔。それに対して聞き返そうとするより先に、川神さんが口を開いた。

 

 

 

「――――ねぇ、孫くん。あたしと勝負してくれない?」

 

 

 

 ‐Side change‐

 

 

「勝負、勝負。ひっさびびさの、しょ、う、ぶ~!」

 

 満面の笑み。そう表現するのが最も的確な様子を見せる川神さん。嬉しそうに鼻歌まで歌っている。

 

 対するオレはというと。

 

「ど、どうしてこんなことに……」

 

 病院服から彼女が持ってきた作務衣に着替え、病院の屋上にて嘆いている。そのすみっこでうずくまりつつ、完全に頭を抱えていた。彼女を見ているとなんだか懐かしい気持ちになるが、今はそれどころではない。

 

 事の発端は数分前、川神さんによる提案からだった。

 

 

 

『あなたと手合わせしたいの。武道家としてね』

 

 

 

 そういった彼女の目は真剣そのものだった。きっと戦うこと自体、いや己を磨くことが純粋に好きなのだろう。同じ武道家として、非常に好感を持てる志と言える。

 

 だが、状況が悪かった。

 

 オレははじめ病み上がりを理由にして断ろうとしたが、彼女はそれを一刀両断した。

 

 

 

『怪我は仙豆でバッチリ治ったんでしょ? 問題はないじゃない』

 

 

 

 取り付く島もないとはこのことだった。こちらが説明してしまったことだが、それがまさか裏目に出るとは。そういうこともあり、オレは彼女と戦うことを了承するしかなかったのである。

 

 聞けば、彼女は実家の道場にて修業中の身だという。日々、鍛錬を欠かさずにこなしてきたが、最近少しばかり自分の周りに強敵が出てきて、よりいっそう精進することを決意したらしい。

 

 そうして毎日こなしてきた日課だけでなく様々な方面に力を入れてきたが、いくら修行してもただの練習では限度がある。実家でも住み込みの修行僧を相手に組み手はするが、ほとんどが約束組み手のようなものであり、試合をすることはあまりなかったらしいのだ。これには事情があるらしいのだが、要は戦うことに飢えていたということらしい。

 

 そこにタイミングよくオレが現れた。しかも武道をたしなむ者で、なおかつ自分の所属する川神流とは違う流れを汲んだ武芸者。そこまでくれば、もう彼女の答えはたった一つしかなかった、というわけである。

 

「わくわくするわ~! あの道着を見たときから、孫くんが武道家だったらいいなって思ってたの。それで、もしそうだったら、一体どんな戦い方をするんだろうってずっと考えてたんだもの!」

 

「お、お手柔らかに…………」

 

 オレはぴょんぴょん跳ね回る彼女に引きつった笑みを零す。正直なところ、オレは乗り気かと問われれば微妙なところだった。彼女とは歳も数年ぐらいしか離れていないようだが、オレとの間に圧倒的な力の差があるのはわかっていたからだ。

 

 彼女が特殊な能力を持っているというのであれば状況は違ってくるが、力を隠しているという様子は見られず、話を聞く限りでも彼女はただの武道家だ。戦い方もそれに準じたものになるだろうし、戦いとなればまず勝敗は動かないだろう。

 

 彼女が負けたことをグジグジ言ったり、挫折するような人間であるとは思っていない。

 

 だが、ここはおそらく自分の知っている世界とはまったく別の世界。むかし量子力学の本で読んだパラレルワールドと呼ばれる存在なのかもしれない。そしてオレはその世界の出身、この世界にしてみれば完全なるイレギュラーだ。

 

 もちろん、オレだって元の世界へ戻る方法がそう簡単に見つかるとは考えていない。むしろ、そんなものは端から存在すらしないと考えた方が自然だ。そうなればどうしたってこの世界に足をつけねばならないし、場合が場合である以上、戻る方法を探るには事情を知る協力者だって必要になる。

 

 だが、できれば深入りするのは避けたかった。彼女が今のオレの世界と関わっても、良いことなどないのだから。

 

「――――っと。体操終わりっ! さあ、私は準備オッケーよ!」

 

 そうこうしている内に川神さんの準備が整ってしまったようだ。戦いたくてうずうずしているのだろう、小刻みにステップを踏んでいる。本当に楽しそうだった。

 

 彼女に尻尾があったなら、嬉しさでぶんぶん振っていたに違いない。時折、そんなものが犬耳と一緒に見えたような気がするが、きっと幻覚だ。まぁ初対面でかつ不審者同然のオレにここまでフレンドリーに接するあたり、犬っぽく人懐っこい性格ではあるだろうが。

 

(はぁ……やるしかないか……)

 

 こうなってしまってはもうどうしようもない。オレは覚悟を決めると、作務衣の帯を締めた。

 

「オレも大丈夫だ」

 

「オッケー。じゃ、ルールの説明に移るわね。勝負は一本、相手の体に有効打を打ち込んだほうが勝ちよ。あたしは普段武器を使ってるけど、そこまで本格的なものじゃないから、今回はお互い武器はなし。急所攻撃も禁止ね。あ、孫くんは片手だから、ハンデとかどうしよう……?」

 

「その必要はないよ。昨日今日失ったものじゃないんだ。この程度、普通の人と変わらないさ」

 

 気遣いをやんわりと拒否する。彼女は一瞬何か考えるような表情をしたが、それを否定するようなことはしなかった。これ以上の気遣いは逆に失礼だと思ったからであろう、すぐに不敵な笑みでこちらを見据えてくる。

 

「……そう。でも、手加減はしないからね」

 

「望むところだ」

 

 五メートルほどの距離を開けて対峙する。川神さんは一度大きく深呼吸をした後、静かに腰を落した。

 

「――――スゥ……」

 

(……気配が変わった。無駄が無い洗練されたいい構えだ。まだ多少荒削りのようだけど、一朝一夕でできるものじゃない)

 

 まっすぐにこちらを見据えてくる瞳。その体に静かに満ちていく闘気。先ほどまで優しげだった眼差しは、相手を鋭く射抜くものに変わっていた。

 

「―――――――ハッ!!」

 

 気合一閃。一足飛びで川神さんが駆けてきた。速い。どうやら彼女はパワーよりスピード重視の戦い方をするようだ。五メートルの距離を一息で詰め、勢いをそのままにしてオレに飛び掛かかる。

 

「はぁあああッ!!」

 

「――――ふッ!!」

 

 正中線を狙った右正拳。

 

 威力も申し分なさそうだ。日々の修行の賜物だろう。

 

 迷いのない一撃に少し驚きつつ、腕で右側に威力を殺しながら捌く。と、受け流された威力をそのままに、左足の後ろ回し蹴りが飛んできた。かわされるのは計算の内だったのだろう。

 

「せぇいっ!!」

 

 風を切る一撃を上体を状態をそらして回避する。すると踊るように姿勢を低くした彼女から続けざまに右足でもう一撃、今度は下段を狙った足払いが繰りだされた。見事な流れ技だ。

 

 しかし、それを半歩だけ下がって避ける。さすがにコレを避けられたのは予想外だったのか、一瞬だけ彼女の動きが鈍くなる。オレはすかさず無防備だった彼女の左腕を掴むと、キックによる回転の勢いに重ねるようにして自分の後方に向かって放り投げた。

 

「っととと!?」

 

 驚きの声を上げる川神さん。だが、頭はいたって冷静だったようで、空中で三回転半ほど錐揉みしつつもタイルの上に着地した。

 

 まるで猫のような軽い身のこなしだ。いや、彼女はどちらかといえば犬っぽくはあるが。

 

「っく! やるわね! でも、こっちもまだまだ行くわよっ!」

 

 川神さんが再び地を蹴る。数秒前に投げ飛ばされたことなど気にもしていないのか、実に積極性が感じられる攻め方だ。

 

 拳の右。左。半回転しつつ右のエルボー。

 

 三連撃のフィニッシュを同じく右で受け止めると、今度はオーバーヘッドキックのごとし蹴りが飛んできた。こちらの右腕を封じつつ攻撃するつもりだったようだ。

 

 右半身をずらして回避し、続けざまに来る右裏拳をガード。さらに上半身を狙った左のワンツーを左右に捌く。

 

 だが、彼女は捌いた左手をすばやく下げると、腰溜めに構えていた右拳を打ち放った。

 

「――――川神流、蠍打ち!」

 

 ずっと顎や肩など、上半身の上部を狙っていた彼女が目標を下げる。ここまでの攻撃は、どうやらこの時のための伏線だったようだ。

 

 ボディを狙った一撃。どうやら内臓にダメージを与える系統の技のようである。

 

 普通の人間がまともに食らえば、昏倒するのは免れまい。オレはすばやく思考を巡らせると、迫り来る彼女の拳を見据えてからその右手首を絡め取るようにして掴み、

 

「はぁあッ!」

 

「へ!?」

 

 上に向かって投げ飛ばした。その高さ、およそ五メートル。

 

「う、わぁああっ――――……あぅっ!?」

 

 落下した彼女がべちんという音を立てる。ちゃんと受身は取ったようだ。こちらも投げる際にかなり気を遣ったのだが、それでも五メートルの高さからの落下は殺しきれなかったようで、川神さんは若干涙目になっていた。

 

 川神さんが怪我をしていないことを確認してすばやく距離を取る。倒れていた彼女も、ほぼ同じタイミングで体勢を立て直しながら後ろに飛びさすり、構えを取った。こちらを油断無く見据えながら、荒いだ息を落ち着けている。

 

「いたたた…………す、すごいわ……今の、かなり自信があったんだけど……まさか、全部止められた上に放り投げられるなんて……」

 

 こちらに若干恨みがましい目を向ける川神さん。オレは視線だけを向けたまま、構えを説いて笑みを見せた。

 

「いや、すごくいい動きだったさ。これでも本当に驚いているんだ。川神さん、かなり修行を積んでるみたいだね」

 

「まあ、それなりには……ね。でも、孫くんに言われるとなんだか嫌味に聞こえるわよ? あなた、戦いが始まってからほとんど動いてないでしょ。しかもそっちからは一度も攻撃していないわ。あたしがそれに気づいてないとでも思ってたのかしら。本命だった蠍打ちは完璧に捌かれちゃったし、あれだけの連続技を防いでるあなたは息ひとつ乱してない……まるでルー先生、ううん、お姉さまやおじいちゃんを相手にしてるみたいだわ」

 

(バレてたか……それにしても驚いたな。川神さんの言葉から推測すると、話にでた二人はおそらく彼女の姉と祖父……この街に強い気が集まっていることは分かっていたけど、ならさっきから感じる二つの凄まじい気は、まさかその二人なのか? クリリンさん達には遠く及ばない程度だが、地球人としてはかなりの使い手だ)

 

 柵の外に見える街に目を向ける。穏やかな町並みがそこに広がっていた。

 

 もう見ることはできないかもしれないと諦めていた光景。そこに大きな安らぎと平和を感じる。まさかそれを異世界で拝むことになるとは思わなかったが。

 

(それに、その二人以外でもいくつも強い気を感じる……川神さんにも……だが、なんだ? 彼女、パワーもスピードも気の大きさも、外にいる二人やほかの気に比べれば大した事は無い。けど、何かが他とは違う……戦っていて感じる、この妙な違和感はいったい……)

 

 考えがまとまらないまま視線を戻す。すると、しばらく放って置かれたことに拗ねているのか、川神さんがぶぅと頬を膨らませ、こちらを睨んでいた。だが、余所見をしていた時に不意打ちをしないあたり、彼女にも武道家としてのプライドがあるのだろう。

 

「孫くん、街を眺めるのもいいけど、今は勝負の最中よ。ちゃんと集中して。それに孫くんからも攻撃してもらわなきゃ困るわ。防いでばかりじゃ試合にならないじゃない」

 

「あ、ああ。すまない」

 

 だがこのままでは平行線だ。恩人である彼女に攻撃するのは気が引けているのは事実。それならばと彼女のスタミナ切れを待とうと考えたのだが、どうやらそうもいかなくなってしまった。

 

 できれば直接攻撃はしたくない。だが気による攻撃などできるはずもない。と、しばらく考えていたオレの頭に電球が灯った。

 

 彼女を見据えて少し挑発するような口調で言う。

 

「じゃあ、今からオレが一撃だけ攻撃を仕掛ける。それに対応することができたら、君の勝ちでいい」

 

「ふぅん? なんだか見下されてるみたいで癪だけど、いまのあなたの方があたしより強いのは確かだし……分かった、それでいいわよ」

 

 こちらの提案を受諾し、川神さんが構える。そこには恐れも不安も見受けられない。一撃程度ならなんとかなると考えているのだろうか。

 

(……いや、違う)

 

 頭に浮かんだ考えをその表情を見て否定する。

 

 こちらを見据える川神さん。その口元には不敵な笑み。そしてその瞳は歓喜に満ちていた。

 

 彼女は純粋に喜んでいるんだ。オレがやっと自分と向き合ってくれたことに。

 

「行くぞ――!」

 

「――来い!!」

 

 鋭く光る両者の気迫。言葉にできぬ緊張感が辺りを包み込んだ。

 

 屋上から、周囲から、音が消える。オレは一瞬だけ気を高めると、

 

「――――フッ!!」

 

 相互の距離を一瞬で詰め、彼女に正拳を放った。その鼻先一センチほどの距離まで。

 

「――――ッ!?」

 

 彼女は目を見開いたまま、寸前で止まった拳を見つめている。予想もしなかった展開に言葉も無いようだ。

 

 絶句している彼女をよそに、オレはゆっくりと拳をおさめた。途端に緊張感が解かれ、音が戻ってくる。

 

 そうして時間が再び流れ始めた、その刹那。

 

「―――――――へぶっ!?」

 

 妙な悲鳴を発しながら、川神さんがふっとんだ。いや、比喩ではなく三メートルほど後ろに。

 

「いい―――っ!?」

 

 予想外の出来事にオレは慌てに慌てた。彼女に拳は届いていない。だが、どうやら寸止めしたときに発生した衝撃波までは完全に殺しきれなかったらしい。それが時間差で命中したのだろう。

 

 相当に加減したから威力はごく低レベルのものだとは思う。とはいえ、女の子の顔面に拳圧をお見舞いしてしまったことに変わりは無い。彼女もまったく対応できていなかったからか、衝撃をモロに受けてしまったようだ。

 

「し、しまった! 久しぶりだったから、つい加減が…………だ、大丈夫、川神さん!?」

 

 ひっくり返った彼女にオレはすぐさま駆け寄った。

 

 川神さんはしばらくのあいだ唸っていたが、ようやく痛みが引いてきたのか、鼻を押さえながらゆっくりと立ち上がった。その顔を恐る恐る見る。

 

「あ、あの……川神さん、へ、平気?」

 

「…………ぐすっ、べ、べいき……」 

 

 涙目。半分ベソをかいていた。

 

(お、女の子を泣かせてしまった……)

 

 生まれてから同年代の女の子と関わってこなかったツケが、ここに来て仇になった。初めての経験にどうしてよいか分からない。当然ながら泣き止ます方法もわからなかった。

 

 数分前の自分の行動をひどく後悔する。いまだ鼻をさすっている川神さんをオレは黙って見守るしかなかった。母さんに怒られてばかりだった父さんってこんな気持ちだったのかなぁ、などと考えながら。

 

 そうこうしている内に彼女が落ち着きを取り戻してきた。そしてずびびびっと音を立てて鼻をすすると、こちらを鋭く視線を向けた。

 

「決めたわ……!」

 

「な、何を…………?」

 

 なんだかいやな予感を感じながらも、得体の知れない気迫に包まれた彼女に尋ねる。川神さんは、まだ赤みが残る鼻をすすりながら、

 

 

 

「孫くん……いえ、孫先生! あたしに戦い方を……修行をつけてください!!」

 

 

 

 その顔を最初に見せた満面の笑みに変える。そして、オレを力いっぱい指差した。

 

 なんだか話が余計にややこしくなってしまったようだ。近年まれに見なかったドジを踏んでしまったと言える。

 

 これも偉大なる父の血が成せる業か。

 

 オレはこのとき、生まれて初めて少しだけ父さんを恨んだ。

 




第2話でした。

今回は一子と悟飯の顔見せ回になります。

同時に今作初となる戦闘シーンを書いてみましたが、いかがでしたでしょうか?

スピード感が感じられないという方は申し訳ないです。がんばってはいるのですが・・・やはり一筋縄ではいかないものですね。

感想など、いつでもお待ちしております。よろしければ、評価の方もしていただけると今後の励みになりますのでよろしくどうぞ。

それでは、また次回でお会いいたしましょう。

再見(ツァイツェン)

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