おあがりよ!
本作は――――、
ほっぺたが落ちそうになる(ウソ
いや、涙が落ちそうになる(ぇ
いや、首が落ちそうになる(オヤ
作品です。
冗談はさておき、
テンションはたぶん落ちます。
でも、なにか救われるものがあればいいな、と思って書きました。
では、どぞどぞ。
夢を見ていた。
様変わりすることのない夢を。
もう幾度となく―――
くりかえし、くりかえし――――――――”それ”の夢を。
いつから”それ”が自分の中でただの作業に成り果ててしまったのかは明確だった。
永遠にも思える一瞬に苦悩し、悲嘆し、絶望した過去。
しかし、そんな感情すら時間が腐らせてしまった。
人としての尊厳を捨て去ることがまず肝要だった。
僕にとって、”それ”を行い続けるために必要なことだったから。
さもなければ、僕は狂ってしまっていただろう。
僕は”それ”を見つめる彼ら彼女らと同じにはなりたくなかった。
彼ら彼女らはどうしようもなく狂っている。
かの国が抱える病魔そのものだ。
今か今かと、
今も脳裏に張り付く、興奮と期待と狂気に満ちた目。
その目がたまらなく嫌いだった。
まるで自分が見世物の道具にでもなったかのような錯覚を起こす。
いや、本当に錯覚だろうか。
”それ”を取り行うこの場において、自分は一介の道具に過ぎないのではないか。
あの下卑た目をこちらに向ける≪観客≫を楽しませるための歯車のひとつではないか。
では、やはり僕も彼ら彼女らと同じなんだ。
同じように―――――狂っている。
彼ら彼女らが≪観客≫で、僕は≪役者≫で。
そこには、舞台の上にあるか、下にあるかの差異しかない。
”それ”の中の役割を受け入れてしまった時点で、同じ穴の
ただ、それでも。
しがない脇役を舞台上で演じていただけに過ぎない僕に、物を言うことが許されるのであれば。
脇役には脇役なりの想いがあった、と。
どうかそう弁解させてほしい。
作業のようになってしまった”それ”の中にも僕の意思はあった、と。
欠片かもしれないが、確かに存在していた、と。
だからこそ、僕の口から語らねばならないだろう。
今回の夢について。
それが僕のせめてもの意思の証明だ。
恐れ多くも、脇役のシャルル=アンリ・サンソンが紹介を務めさせていただく。
―――――この夢の主役は、マリー・アントワネット。
そして、この
脇役である
”
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
『人は生まれながらにして 自由であり 平等である』
そんな謳い文句こそが”自由”や”平等”というものから対極に僕たちを追いやった。
今からしてみれば、そう言う他ない。
アンシャン・レジームの例を上げるまでもなく。
人類史の中で幾度か地上に顕れた地獄そのもの。
べつに不幸自慢をする気などないし、今さら犯人探しをしようというのでもない。
不幸なんていうものはあの時代、あの場所にいた者、全員に均一のものだろう。
そもそも相対的に評価せざるを得ない幸福か否かの問題は無意味だ。
隣りの芝は青く見えるもの。
それが18世紀のフランスでは、より顕著だったというだけのこと。
誰が悪かったのかという話をすれば……、
それは立場によりけりといったところか。
強いて言うなら、時代が悪かった。
敢えて言うなら、運が悪かった。
彼女はそういったものに殺された。
咎人には情け容赦ない粛清が下される。
これは、なるほど道理だろう。
しかし、かつてのフランスにおいて―――道理は捻じ曲がっていた。
誰も彼もが隣人よりも甘い汁を吸うことを考えた結果。
罪無き人にであろうと、罰が与えられた。
与え続けられた。
それが正義とされた。
―――――故に死刑執行人などというものが存在していた。
皆、どこかで理解していた。
あの時代、あの場所において罪の有無は然程の意味を持たないことに。
罪科無き者であろうと、処刑台に
それが死刑執行人の仕事。
我が手に在るは正義の刃と思い込むことで剣を振るい、
それに重ねて。
僕が手にかける罪人がどうか――――、
――――――――どうか、神の憐憫を以ってしても救いようのない悪人でありますように。
日々、そう祈り続けた。
死刑執行人とは正義の代行者などではなく。
つまるところは貧乏籤を引かされた汚れ仕事、それ以上でも以下でもない。
――――――――絞首刑
――――――――斬首刑
――――――――火焙りの刑
――――――――車裂きの刑
――――――――八つ裂きの刑
死刑執行人はあらゆる
処刑が終わった後の死体を解剖し、医学的見地から人体を観察かつ実験を行い、
その後の刑の執行に役立てるといったこともあった。
社会が必要悪として認めてしまったがためのサンソン家。
この家に生まれついてしまったがために
『悪魔』
『死神』
『死体に
と呼ばれ、あらゆる人の謗りを受けた。
忌み嫌われ、軽蔑され続けた。
――――およそ人間的な扱いを受けた覚えはない。
どこへ行っても醜いものを見る目で迎えられ、
声をひそめて噂され、後ろ指を指される。
仮にも国に認められた仕事であるために生活に窮するといったことはなかったが、
命を糧に自らは生かされているのだという純然たる事実をこれ以上なく直接的に突きつけられる。
悲痛な叫びが耳を打ち――――
鮮血の香りが鼻腔をくすぐる――――
肉を断つ感触が手の中に残る――――
胴体から離れた首の目がこちらを睨む――――
何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、
何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、
何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、
何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も――――――――
ギロチン。
この処刑道具が作成されたのは、
死刑そのもの、その残酷性を和らげるため。
死刑囚と死刑執行人の肉体および精神的負担を軽減するため。
表向きの建前はそういうことになっている。
事実として残酷性や負担が軽減された面があることは間違いない。
ただし――――、
刑の準備から執行まで、あらゆる工程が
一日に一人の処刑が限界だったものが
何人、何十人という数の人間を一日で処理できるようになってしまった。
結果として、死刑執行人はより大きな苦痛と咎を背負うこととなった。
だが、この苦しみは喜びでもある。
まだ僕が正気であること、正常であること――――――
狂っているのは僕の周囲であること――――――
この痛みがなによりの証明だ。
そうしてまだ僕は
罪人の命と罪を分かつ。
己が使命と誓い続けた。
――――だから、僕はその日を迎えることになる。
第三者として抵抗のしようもなく観覧させられる視覚映像。
白黒の活動写真のように、蘇るのは僕の過去。
色褪せたその舞台の中において、スポットが当たるのはもちろん……。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
王妃の姿は明確にやつれている。
髪に艶はなく、血色がいいとはとても言えない。
かつての美貌は見る影もない。
それもそうだろう。
裁判の内容は伝え聞いている。
足掛け3日続いた裁判は初めから判決が決まっていた。
見せかけだけの下らない裁判だった。
――――故に、僕がここにいる。
「マダム」
そう王妃に呼びかける。
「この度、貴女の死刑執行人を務めさせていただくことになりました
――――――シャルル=アンリ・サンソンです」
努めて冷静に、書かれている台本を読み上げる人形となることに徹する。
今までに何度もこなしてきたことをなぞるように。
自分の感情が決して表に出ることがないように。
囚人の反応はここで大体がパターン化される。
ひとつはこちらを無視して沈黙を貫くか。
ひとつは錯乱して暴れ出すか。
ひとつは命乞いをするか。
人が追い込まれたときに取る行動というものは高が知れているものだ。
だから、王妃の行動は僕の予想の外にあったと言っていいだろう。
僕の声を受けると、椅子に腰かけた体制のまま
大きな反応を示すことなく、悠然とした動きで首をこちらに向けた。
双眸がこちらを捉える――――
正直に言って、驚いた。
その落ち着いた様子に―――ではない。
外面を装うことなど、王妃にとって造作もないことだろう。
以前に似たようなリアクションを返す囚人もいた。
しかし、目。
王妃の目は輝きを失ってはいなかった。
窓に布があてがわれた薄暗い部屋の中、鉄格子を隔てた距離にいてなお
はっきりとこちらに視線を寄越すことがわかる二つの瞳。
鋭い輝きを湛えて来訪者を見据えている。
心は死んでいない。
一言も言葉を発することなく、それを証明した。
――――――その有様、素直に美しいと感じた。
と同時に生まれる畏怖にも近い感情。
この場においての支配権を放棄する気はないという意思の表れ。
死刑囚と死刑執行人、この絶対的な関係性の優劣をものともしない姿勢。
死の間際においても揺らぐことのないその精神性。
これを畏れずにいられるだろうか。
この方は紛れもなく異常だ。
異常な状況下において常態でいようとする心構えは、なるほど素晴らしい。
だが、それを貫き通し体現できるとなると話は変わってくる。
その領域は、その頂きは、およそ人の考える理想のままであるべきところで、
辿り着いてしまうことは想定されていない。
そこまで至った人間を僕は他に知らない。
「…………そう」
貴方が―――――『ムッシュ・ド・パリ』
長い沈黙を破って、王妃が漏らしたのはそんな言葉だった。
決して大きくはない独り言のような呟き。
が、凜と空間を揺らし、深く強く僕の耳朶を震わせる響き。
それは、死刑執行人としての僕を指し示すもの。
サンソン家がフランス王家に与えられた栄誉ある称号であり、
人々が侮蔑と嫌悪、嘲弄の感情をもって口にする忌み名。
王妃はどんな思いで――――、その名を口にするのだろうか。
挨拶が済めば、もうここにいる理由は存在しない。
速やかにここから立ち去るべきなのだ。
彼女がこちらに対して、どんな反応を示そうと関係は―――ない。
―――――理性が警鐘を鳴らす。
国王の妃である方に対して、最低限の筋は通した。
普段、心掛けているように刑を処す者に対して深入りをしてはならない。
そのはずだ。
―――――ここにいてはならない、と。
動悸が激しくなり、自ずと息が浅くなってしまう。
足がガクガクと震え出す。
腰から下がなくなったかのごとく、感覚が希薄だ。
―――――お前はなにをする気なんだ、と。
踵を返すための足が動かないどころか、この場から去るための意思が消失していた。
彼女の声を聞いた……いや、彼女の目に見入られたときには既に。
こちらが魅入られていたわけだ。
それどころか。
ここにこうして足を運んだ時点で。
彼女の処刑の知らせを受けた時点で。
―――――今のこの状況を理解していたんじゃないのか。
まさか、ここに来るということがどういうことなのかわからなかったとでも言うのか。
―――――彼女の大きな瞳に映る僕がそう訴えるかのようで。
……ああ、そうだとも。
わかっていた。僕はそれを承知でここに来た。
国王をこの手で処刑した者が――――
王妃の元に来る理由……。
”僕はようやく死に場所を見つけられたんだ”
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「怖くは、ありませんか――――――――」
震える体を無視して、そう訊いてしまった。
数時間後にはこの世から去ることを運命づけられている彼女に。
自分でもありえないことを尋ねていると承知の上で。
後ろに控える監視兵も驚いたのか、他に動く物のない空間に物音が響いた。
ただ、
この質問は――――
―――――僕が本当に訊かなければならないことは別にある。
意気地がないと思われるかもしれない。
実際にその通りだ。
それを訊かないことには意味がないのだから。
時間は有限なのだ。
遅かれ早かれ、僕は
ならば、なぜこの場において、事ここに至って、はぐらかすのか。
僕がそう訊かれたならば、”怖いからだ”と。
そう答える他にない。
なによりも優先して彼女に問いかけなければならないのに、
僕は彼女の口から発せられる答えをどうしても聞きたくない。
それが故の先延ばし。
そして、そんな僕をまるで叱咤するかのように、
「――――人を殺すのは、どんなお気持ち?」
声色は柔らかいものの、矢のように鋭い返答が飛んでくる。
―――――びっくりした。
後ろの監視兵がすっころんだのではないかと思うほどの雑音を立てる。
聞きようによっては「怖くはないか」という質問よりも酷い質問じゃないか。
……さほど大差は無いのか。
いや、むしろこちらが先手なのだから、謝罪すべきなのは僕だろう。
「お気を悪くされたのでしたら謝罪いたします、マダム」
「謝罪を求めたのではないわ。わたしは質問をしました、サンソン」
ぴしゃり、と。
これもまた優しい声色の
余計なおもねりは不必要らしい。
「……できることなら…こんなことはやめたいと、思っています」
それは僕の偽らざる本音であり核心を掠るような言葉ではあったが、
彼女にとっては大して重要な問いではなかったようで、
「ふーん、そう。…わたしだって、できることなら死にたくないわ」
と今度は気のない嫌味が返ってくる。
こちらの配慮のない初めの問いかけに対して、
咄嗟に出た言葉が先ほどの返答だっただけで
内容には最初から意味がなかったのかもしれない。
それを裏付けるかのように
「ねぇ、サンソン。わたしとしばらくお話をしてくださらない?」
彼女はそう言った。
特別強いわけでも弱いわけでもないトーンの呼びかけ。
あくまで選択権はこちらに譲る、と。
背後の監視兵もあまりの予定外の出来事に我慢ならなくなったのか、
こちらに寄ってこようとする気配がある。
背を向けたまま、
僕は言った。
――――控えろ、と。
その場に立ち止まった兵に、続けて、
――――席を外してくれ、と。
反対の意を述べる兵に向けて、理屈をこねるのは面倒だったし時間が惜しいと思った。
だからだろうか、
―――――――『ムッシュ・ド・パリ』の言葉がわからないか。
静かな怒気を含んだ台詞が口を衝いて出た。
振り返らずとも押し黙った後ろの人物がどのような顔をしているかなどは想像に難くない。
その記号は否が応にもサンソン家の所業を人々に想起させるのだから。
僕自身も嫌っていたはずなのにまさか威を借りることになるとは……。
僕の胸中を知ってか知らずか――――、
目の前の女性はまるで少女のような微笑みを浮かべていた。
それはそれは、とても楽しそうに。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「―――――ありがとう」
先刻までとは打って変わって別人のような無邪気さを表にして、彼女はそう言った。
直後、扉の外からはなにやら騒ぐ音がするが、それもすぐに収まる。
大方、追い出された兵が手近な物に当たっているのだろう。
「いえ、大したことではありませんよ」
「うーん、まあ、それもそうね」
「…一応、謙遜のつもりだったのですが……」
僕の行動は間違いなく規則に引っ掛かている。
死刑囚と死刑執行人が刑の執行前に密談など――――誰がどう考えても怪しい。
こんなことは前例にない。
一国の王妃が相手となれば尚更のこと。
おそらく先ほどの監視兵は、事のあらましを外に控えている本隊に報告しているころだ。
「貴方の事情なんて、知りません。わたしに残された時間は残り少ないのだから
最後の時までの時間をどう使おうと文句を言われる筋合いは誰にもないでしょう?」
「いえ、お言葉ですが、マダム。貴女に与えられた時間はそれほどありませんよ。
先ほどの兵が本隊にこのことを通報すれば、本隊から応援が寄越されるのは道理です。
なにぶん突拍子もない事態ですから説明に手間取るかもしれませんが、大した時間稼ぎ
にもならないでしょう」
「―――それは、たしかにその通りだわ。
でも、それは外の兵に通報が届けば、の話になるわね?」
「……?」
「
大仰に語る。
いかにも自信たっぷりに。
「と、言うと――――?」
「わたしが牢に閉じこもったまま、ただ
時間を無為にしたわけではないということね」
彼女の回りくどい語り口に若干辟易した内心を感じながらも、辛抱強く続く言葉を待つ。
いくらかの時間的余裕はあるのだろう、彼女のよくわからない自信を信用するならば。
「わたしにはね――――――外に協力者がいるの」
「!! それは…、驚きですね……」
「そうでしょう? ねぇ、サンソン、誰だと思う……? 貴方にわかるかしらー?」
と言って、くすりと笑う彼女はとても死刑を待つ身には見えない。
いよいよ気をおかしくしてしまったのかと普通の者ならば思うのだろうが、
―――――狂人は見慣れている。
彼女のそれは明らかに性質が異なるのだ。
……だから、純粋に会話を楽しんでいるとしか思えない。不思議なことに。
さながら木陰でティータイムを満喫しているかの如く。
ここは牢獄であり、紅茶もなければティーセットもないのだが。
”わたしがいれば、それで十分”
そんな具合だ。
であれば、僕がここで返すべき答えは――――、
「皆目、見当もつきませんね」
こうして彼女の用意した流れに乗るのが適当だろう。
案の定、
「あらー、そんなことでは駄目じゃない。
『ムッシュ・ド・パリ』の名が泣いてしまうのではなくて?」
などと言いながらも小気味よく笑う。
「生憎と、探偵ではありませんので」
「そうね。貴方はしがない――――首切り役人だものね」
また、あまりぞっとしないことを。
こちらの反応をいちいち伺うようにする目が小憎らしい。
「それなら仕方ないわ。では、正解発表ね!」
少し時間は飛んで――――
結論は以下の通り。
「それを聞いて、わたしはひとつお願いをしたわ――――――」
「彼女はよく力仕事をしていて腕っぷしには自信があると言っていたから。
『ムッシュ・ド・パリ』が本当にここに来て、二人で話をする機会を
得られたときには、時間稼ぎをお願いと言ったの」
僕は思わず息を呑んだ。
そして、こう尋ねずにはいられなかった。
「それから、その娘はなんと……?」
「? えー、たしか…”貴女のお願いなら、いいよ”と
そう言ってくれましたけれど、それが――――?」
「……そうですか。いえ、特になにがあるというわけではないのです」
僕の言葉に怪訝そうな顔をしながらも彼女は口を
そう。
これは、
要は、彼女の理解者が外にいて、その者が足止めをしてくれている。
だから、こうして悠長に最後の会話をすることが叶っている。
ここで僕が理解すべきことはそれだけだ。
後のことはコンシェルジュリーを出たときに考えればいい。
頭では、そう理解していても、その協力者の娘について考えずにはいられなかった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
彼女の言葉を脳内で反芻する。
まず、
解答を提示するにあたって、彼女はたしかこう切り出した。
「自慢じゃないけれど、わたし――――身の回りのことなんて全くできないのね」
「食事の準備はできないし、着替えだって一人では満足にできないわ」
「そういうものなんだと。それが恥ずかしいものだなんて思いもしなかったの」
「もちろん自分が特権階級にいるってことはわかっていたけれど、
自分が少数派だとは知らなかった。
身分の差はあっても、みんなどこか似たような暮らしをしているんだって……」
「こうして、死刑囚という立場になって初めて理解したわ。
みんなが一体なにに対して怒っているのか」
「それも自分で、自分の力で思い至ったわけではなくて…、
わたしの世話係、牢の中での付き人が教えてくれたの」
「若い娘さんでね。年のころは15か16ぐらいかしら。本人は知らないみたいなの。
両親がいなくて、ずっとこの監獄で働いているらしくて……」
「言葉遣いが少し乱暴で、文字が読めないって言ってたけれど、
とても心根の優しい子なのよ」
「最初こそわたしのことをよく思ってなかったみたいなのだけど、すぐに打ち解けたわ。
諦めずに何度も声を掛けたからかしらね。
彼女とは短い時間かもしれないけれど仲良くなりたかったの」
「そうして、毎日少しずつ教えてくれたわ」
「彼女のこと、民のこと、それから―――――フランスという国のこと」
「わたしが知っていた、いいえ、わたしが見ていたものとはまるで違った」
「視野が狭かったのね。わたし、なにも知らなくて、知ろうともしなくて。
お飾りの王妃だったから、なんて言い訳もできない―――――」
「無知なわたしに、本当にたくさんのものを教えてくれた彼女は言ったわ」
―――――――――――こういうわけだから、貴女は死ぬことになるんだ。
「その言葉には気を衒ってやろうとか、言い負かしてやろうとか、
そういった気持ちは全くなくて」
「ただ純粋に。それが物の道理だから、と。
呼吸ができないなら死ぬ他ないでしょう、といった具合に」
「あまりに残酷で、恥ずかしくて、申し訳なくて―――――」
「でも、だからこそ――――――――優しくて」
「わたしに対して、こんなにも真っ直ぐに忌憚なく言葉を届けてくれた人はいなかった」
「王妃としての暮らしの中でも。牢のなかでの暮らしの中でも」
「みんな、どこか腫れ物に触るみたいに扱いだったから」
「喪失感と虚無感に潰れそうな毎日の中で彼女に感情をぶつけてしまったこともあったのに」
「彼女はずっと変わらずにわたしに接してくれたわ」
「それで感極まってしまったのね……」
「自分よりもはるかに歳が下の女の子の胸を借りて、恥も外聞もなく喚いて泣いたわ」
「―――――”死にたくない”と慟哭して」
「―――――”王妃として生きただけなのに”と
「―――――”ごめんなさい、ごめんなさい”と謝罪して」
「その間、ずっと彼女は抱きしめていてくれていたの――――」
「おひさまみたいに温かくて、おひさまみたいな香りで」
「彼女の存在がすごくありがたかった」
「おしまいにはどうして自分が泣いているのかもわからなくなって」
「泣き止んだころには、ずっかり時間が過ぎていて」
「”夕食にしましょう”と彼女が言って、運んできてくれたパンとスープを食べたの」
「お腹が膨れたころには夜が更けて」
「寝床を整えてもらってから、ひとり仰向けに寝転んで天井を見ていたわ」
「灯りもないし、本当になにも見えない――――――真っ黒」
「それを長いこと、じっと見てた」
「なにがあるわけでもない、なにか変化するわけでもない暗闇を」
「そのまま朝になるんじゃないかしらってぐらいに」
「気が付いたら、彼女の顔が目の前にあったわ」
「朝になっていたのね。いつの間にか寝てしまったみたい」
「挨拶をしてから、朝食の用意をするという彼女をベッドに座ったまま見送って」
「しばらくぼんやりとしていたの」
「そうしてから、ようやく――――理解できたわ」
「なにか劇的な事件があったわけでもなく」
「不意に、自分の中ですとんと」
「……納得できてしまったのね」
「―――――ああ、わたしは、死ぬんだな、って」
「そして」
「朝食を持ってきた彼女が」
「”もうすぐ貴女の死刑執行人が来るかもしれない”と言ってね」
「”『ムッシュ・ド・パリ』がここに来る”って」
「それを聞いて、わたしはひとつお願いをしたわ――――――」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「―――――ン、―――――――――ソン」
僕の記憶違いがなければ、これが彼女が語った顛末。
おそらく……否、間違いなく自分がなにをしたのかということをわかっていない。
それはある意味で致し方ない、どうしようもないことである。
ならば、問題は彼女ではなく
「―――サンソン!」
少し苛立ちを孕んだ僕を呼ぶ声に面を食らう。
「すみません、マダム。少々、考え事をしていたもので……」
僕は本当に阿呆だ。
”特になにがあるというわけではない”と言いながら、考え込んでしまうなんて。
とにかく、この場は誤魔化すことに徹するべきだ。
「――――先ほど、外からの物音を聞きましたか?」
「物音……?」
「ええ。ここにいた兵を外に出した直後、たしかに物音がしました。
僕はてっきり兵が仕事を奪われた腹いせに物に当たっているのではないかと
思っていたのですが、もしかすると――――」
「ああ……、そういうことね。そうね、きっとあの子だわ。
たしか”フライパンで奇襲をかけるよ”と言っていたような。
貴方、そんなことを考えていたの?」
……………………。
……………。
その奇襲の結果が今というわけか。
まあ、今それは置いておこう。
どうやら、誤魔化せたようだし。
「もう。でも、いいわ。これ以上、時間を無駄にできないもの。
――――では、改めて。お話をしましょう? サンソン」
そう。
前置きが長くなってしまったが、ここからが彼女の本題。
純粋な笑顔が僕には……、とても眩しい。
「……わかりました。――――ええ、僕でよければ」
いろいろと思うところはあるが、彼女につられるようにしてそう答える。
――――――――さて。
ここからの話が彼女にとっての本題である、とは言ったものの。
残念ながら、ここからの内容を僕は
例外なく、誰であろうとも。
なぜならこれは世界で唯一、僕だけに向けられた物語だから。
それに。
それほど価値がある話でもない。
そこからの話は本当に他愛もないものだった。
―――――――記録に残ることのない彼女視点の物語。
仮に上辺だけのものを語るのであれば。
彼女がなにを好ましく思い、なにを嫌がるのか。
食べ物や衣服、社交界の様子、家族のこと、牢の中での生活。
付き人の娘の話も非常に多かった。
そんなにも些細なことにこだわるのか、ということを喜怒哀楽おりまぜながら。
正直なところ、聞かされたって困るだけの話もあった。
――――だが。
このときほど、彼女が死刑囚であることを忘れた時間はない。
このときほど、僕が死刑執行人であることを忘れた時間はない。
そういう
……………………。
…………………。
………………。
……………。
…………。
………。
……ああ、そうだ。
たったひとつだけ情報を開示しよう。
これはべつに誰に聞かせたところで惜しくはない。
むしろ、誰かしらに明かして、胸の内をすっきりとさせてしまいたい。
好きな音楽の話になった際―――――、
幼いころに
それまで心中穏やかに彼女の話を聞いていたのだが。
その話題にはなぜだか無性に腹が立った。
その話をするときの彼女の顔にも腹が立った。
なぜなのかは、あまりよくわからない。
さて。
永遠に続くように錯覚しそうなこの時間は、
唐突に終わりを告げる。
彼女の語り口はまだまだ熱を失わないといった具合なのだが―――――、
――――――トントントン、と。
室内にノックの音が響いた。
僕と彼女、二人の邂逅の結末としては、なんとも味気無い。
……なによりも。
僕はその音を聞いてようやく。
タイムリミットが知らされてようやく。
――――――自分がここに来た目的を失念していたことを思い出した。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
酷く動揺した。
こんなはずでは、と。
一方で、ああ……、そうかとも思った。
彼女と対面したときから止まらなかった体の震えもいつの間にか止まっている。
自分がいつ自らの目的を見失ったのかすら判然としない。
完全に参った。
機を失ってしまった。
その瞳に、仕草に、声に、微笑みに。
これほどまでに僕は彼女に魅了されてしまっていたのだ。
違和感を覚えることもないほど、自然に。
自分がどうすべきなのか、考えをまとめる間もなく――――、
扉が開かれる。
「もうそろそろ時間だけど、話は終わった? マリー?」
よく通る若い娘の声。
誰であるのかは明らかであった。
彼女に対して、こんなにも気軽に声をかける者など決まっている。
今しがた話を聞いたばかりなのだから。
彼女こそが協力者であり、理解者。
この牢獄において、マリー・アントワネットをあらゆる面で支え続けた張本人。
「――――そう。もうそんな時間なのね……」
―――いや。
―――待ってくれ。
―――まだだ。
「うん。まだ外の兵が来る様子はないけれど、時間の問題かな」
―――僕はまだなにもしていないんだ。
―――なにもできていなんだ。
「わかりました。ええ、もう十分よ」
―――なにが十分なものか。
―――始まってすらいないんだ。
―――この時間を終わらせてたまるものか。
「王妃……いや、
咄嗟にそう叫ぶ僕は酷く哀れだったろう。
いくらでもチャンスはあったのに。
他でもない彼女を理由にして忘れていた、だなんて。
しかも、この期に及んで食い下がろうとする。
どうしようもない。
真実、救いようのない愚か者だ。
そうだ愚か者なんだ、
だからこそ。
僕は死を――――――、
「サンソン―――――」
断ずるように僕の名を呼ぶそれはこれまでの時間をなかったものとするかのようで。
先ほどまでの少女のような女性は跡形もなく立ち消えていた。
そこに毅然と佇む女性は紛れもないフランス国王の妃。
「まず、質問に質問で応じてしまった非礼を
「―――――もちろん、怖いわ」
それは不用意に投げかけることになってしまった僕の発言に対する回答。
そして、もう時間切れだという宣言。
死刑囚と死刑執行人。
元の関係に戻る時がきたのだ、と。
「貴方もわたしと同じなのでしょうね」
「生まれついて選択肢を得られなかった歯車」
「与えられた役割をこなすことでしか生きることを許されなかった哀れな演者」
「それでもね」
「貴方はフランスによく仕えてくれました」
「本当に大儀でした」
「貴方の苦悩、悲嘆、絶望――――わたしなどには計り知ることができないものがあるでしょう」
「こうして簡単に口で形容してしまうことには申し訳なさを覚えますが」
「わたしは貴方の忠誠を心の底から嬉しく思います。ここに最大限の感謝を」
違う。
そうじゃない、そうじゃないんだ。
そうじゃないんだよ。
労いの言葉が欲しいんじゃない。
僕は……僕は―――――――――――――!!
「貴方は、今日というこの日に――――」
「わたしを処刑することで貴方の信の刃の置きどころを見失うことになります」
――――――。
……。
そうか。
知っていたのか。
この人は最初からわかっていたのか。
僕がここに来るだろうこと。
僕の目的がなんなのかということ。
「言うなればフランスの名の下にサンソン家は処刑を行っていたわけですから」
「国王亡き今、わたしを処刑するという意味がわからない貴方ではないでしょう」
「だから、貴方はわたしに―――――」
―――――――――罪を裁いて欲しかったのでしょう?
―――――――――罰を与えて欲しかったのでしょう?
「そして、自らの生に終止符を打つつもり。違うかしら―――――?」
「だって、貴方の目にはまるで生気がなかったもの」
「――――まるで死刑囚みたいに」
ああ、この場から消えてしまいたい。
何から何まで見通されている気分だ。
その通りだ。
僕は王妃に対して、こう聞くつもりだった。
”僕を恨んでいますか”
陛下を殺した僕を――――――
これから貴女を殺す僕を――――――
――――その答えを聞くことができたなら、僕はきっと。
けれど、もうその必要もない。
既に想いは伝わっている。
ならば、後は言葉を待つのみ。
フランス王妃の言葉を。
「シャルル=アンリ・サンソン」
「わたしの命を以って―――――」
「―――――貴方のこれまでと
な―――――――――――――――――――!?
「フランスという国がわたしの命を欲するのなら」
「わたしはこの国に命を捧げましょう」
「それがわたしの役割。フランスの白百合として生きると決めたわたしの務めです」
「……でも」
「わたしは――――、
わたしの命を礎としたフランスの行く末をこの目で確かめることができないから……」
「その代役を果たす命を『ムッシュ・ド・パリ』に与えます」
「それを確実に遂行するまで――――――」
「貴方が死ぬことは許されません」
…………………………………………。
………………………………。
……………………。
…………。
「――――あまりに残酷だ、と?」
「もうこれ以上、処刑を行いたくない、と?」
「
「言わなかったかしら?」
「わたしは貴方を恨んでいるのよ―――――――?」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「そうね。では――――行きましょうか?」
これが最初であり、最後だった――――――。
死刑囚から刑場への道行を促されるのは。
死刑執行人として、ありえてはならないこと。
……最低で、最悪だ。
しかし、このときの僕はそんなことにも気づきもせず。
王妃からの言葉に完全に思考を停止させてしまった。
馬車でコンシェルジュリーを離れる直前――――、
気がついたときには、断頭台の傍に僕はいた。
髪を乱雑に短く切られ、
後ろ手に縄をかけられた王妃が背後に控えている。
「ギロチンだ! 早くギロチンにかけろ!」
「首を刎ねろ! これまでの悪事を思い知らせてやれ!」
「赤字婦人め……お前のせいでこんな苦しい思いをすることになったんだ!」
聞くに堪えない誹謗中傷、怨嗟の声の数々。
広場に集まる民衆は増える一方。
罪状を読み上げる声もまるで聞こえない。
興奮と期待と狂気に満ちた無数の目がこちらに向けられている。
ありとあらゆる内臓が口から飛び出してきそうな感覚に襲われる。
頼む。こんな馬鹿げたことはもうやめてくれ。
お前たちが
お前たちはなにも知らないじゃないか。
口を開くな。その目を向けるな。
ここから消え去れ。
野次馬共、お前たちから処刑してやろうか―――――。
そうやって叫び散らしてしまいたい。
それができたなら、どれほどいいか。
しかし、
背後の
あの時間は、それに足るものだった。
だからこそ、否定されたことが
こんな気持ちで彼女を殺せというのだろうか。
こんな気持ちを抱えて生きろというのだろうか。
そして、
ついにその時はやってきて。
終わりを告げる鐘が鳴る。
王妃が歩き出す。
それを固唾を飲んで見つめる民衆。
一歩一歩を踏みしめるようにして。
階段を上る。
十三段を上り切ったとき――――、
ふらりと。
よろけるようにして。
断頭台の側にいた僕の足を王妃は踏む形になる。
どよめきが起こる。
その際に、
「ごめんなさいね、わざとではないのよ」
そう言った。
事実は異なる。
――――本当は、
「わたしはわたしの役割を全うします。貴方は貴方の役割を全うしなさい」
そう静かに呟いた。
体勢を立て直し、断頭台に向き直った王妃はそのまま二の句を告げる。
「わたしは先に行きますが、貴方のことを忘れたりしませんから。
必ず待っています。たくさんお話聞かせてね。約束よ?」
それが僕と彼女が交わした最後の言葉。
残念なことに、
そう言ったときの表情がどんなものだったのか――――
こればかりは想像するより仕方ない。
こちらに向けられた背が徐々に透明に塗りつぶされ、
輪郭が失われていく。
今まで複雑に編まれていた糸がほつれていくように、
この世との繋がりが無くなっていく。
その姿はなにものにも犯されることのない清らかさを感じさせるもので。
この場に集まった誰もがその様相に心を奪われたのか。
僕の脳が認識を歪めてしまっているのか。
一瞬の静寂がもたらされる。
あらゆる全ての準備が整えられ―――――、
ギロチンの紐を軽く持ち上げるようにして、やさしく握る。
既に死刑囚とこの世を結ぶ糸はただの一本きり。
僕が、残ったそれを、断ち切るのだ。
この役目から誰よりも逃れたいと思っている―――――
と同時に、
この役目を誰にも渡したくないと思っている―――――
ギロチンの紐を握った僕は、
最後に見ることが叶わなった表情を想像しながら、
王妃の人生に幕を下ろす。
涙は零さなかった。嗚咽は漏らさなかった。
僕にそれは許されないから。
しかし、そんなちっぽけな矜持は意味を持たなかったかもしれない。
幕が下りた舞台上の脇役なんて誰も気にも留めない。
今や彼ら彼女らは自らのスタンディングオベーションに酔いしれいている。
ギロチンが落ちる瞬間。
「
という声が微かに聞こえたように思われたが。
その直後―――――、
「共和国万歳! 自由万歳!」
という地を揺らす歓声が響き渡ったのだ。
――――――――皮肉にしても、あまりに出来過ぎている。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
…………意識が覚醒する。
――――我ながら、なんて夢だ。
医学に携わる者として、こんな夢を見るなんて話をされようものならば、
まず精神異常を疑う。
だが、こと彼女に関しては誰に異常と言われようがなんら構わない。
本人に言われたって甘んじよう。
いいや、かえって褒め言葉と受け取るぐらいだ。
そんな呆けた頭で時刻を確認すると、かなりの時間寝ていたことになるようで。
特に出撃要請があるわけではないものの、あまりに休み過ぎるというのも考え物。
おそらく、この時間ならば――――、と思い
部屋を出ると、案の定、不愉快なピアノが聞こえてくる。
「レクイエム」より、
彼にとってもご機嫌な曲というわけではないだろうに。
いったいなにを考えているんだか。
僕の部屋とサロンは離れているのにも関わらず、確固たる強さを持って
響いてくる音色はまるで自分のうちから湧き出てくるもののように
誤想してしまいそうになる。
―――――ああ、本当に鬱陶しい。
優しく語りかける、慰め諭すような響きがまとわりついてくる。
今の僕が欲しているものだから、また性質が悪い。
重たい気分を抱えながら、サロンに辿り着く。
既に部屋の中にはいつもの三人がいる。
マリーとシュバリエ、あとヘンタイ。
一番近いところにいるピアノの前のヘンタイはこちらを一瞥することなく、
鍵盤を叩いているので素通りをする。
ティータイムを楽しんでいるらしい、二人に近づく。
「あら、サンソン。おはよう。……珍しくお寝坊さんね」
「そうだね、君にしては珍しい」
「おはよう、二人とも。そうだな、この前に変なやつの変な昔語りを
聞かされたからかもしれない」
「妙な言いがかりはやめてくれないか―――――」
離れたところのヘンタイから言葉が飛んでくる。
楽器を演奏しながら、器用なものだ。
「流石に良い耳をしている。だが、盗み聞きが音楽家に必要な技術だとは
知らなかったよ、アマデウス」
「馬鹿を言え、盗み聞きをとやかく言うなら、そちらが先にしたことだろう」
「おいおい、あんな歌うように昔話をしていて、盗み聞きもなにもないだろう」
と、いつものやり取りをしていると。
「はいはい、二人ともケンカしないの。ほら、ピアノの続きを聞かせてちょうだい?
サンソンは紅茶を飲んでね、はい」
「そうだ、せっかくのティータイムなんだ。マリーに手間をかけさせるな」
と、いつもの仲裁の声が入り、シュバリエが淹れた紅茶を受け取る。
そう、普段通り。
大丈夫、僕はいつも通りだ。
なんら特別なことはない。
繰り返し見た夢じゃないか。
「ところで、サンソン」
「―――――今日、夢を見た?」
「ッ―――――――――――!?」
カップを落としそうになりながらも、どうにか堪える。
「……どうして、そんなことを?」
「ん……、少し恥ずかしいのだけれど、昨夜見た夢の中に貴方が出てきたから、
貴方はどうなのかしらと思って」
「―――なんだと?」「―――なんですって」
―――マリー、それは本当かい?
―――王妃、そんな、え、いや、えぇ?
と、外野がやかましいけれど、それを気にしていられる余裕は僕にない。
―――え? あら、もちろん貴方たちの夢だって見るのよ?
そう言って、周囲をなだめる彼女。
少しの時間的余裕が生まれたことに安堵する。
だが、どう答えたものか。
思えば、彼女と初めて会ったときからこんなやり取りばかりだ。
当然と言えば、当然ではある。
初対面からして、死刑囚と死刑執行人。
このカルデアにおいて、そういう因縁めいたものは珍しくもなんともないらしいが、
自分が当事者となるとなかなか落ち着いていられるものではない。
彼女は”全ては過去のこと”と口にしてはいるが、そう簡単に割り切れるものなのか。
少なくとも僕には難しい。
だから、いつも彼女には調子を狂わされる。
僕はそっと紅茶に口をつけて浅く息を吐き出してから、
「そうだね。夢を見たよ。マリー、君の夢を」
…………。
ああ、もう外野がまたうるさい。
それは今どうでもいいんだ。
僕は正直に答えた。
それを聞いて、
「そう。……良い夢だった――――――?」
彼女は再び問いかける。
僕は―――――、
「ああ、良い夢だったよ」
と返答する。
言葉に嘘はない。
「そう、それは――――――よかった」
彼女はやわらかく微笑む。
それは
たとえ、あんな夢であろうと―――――、
――――――君が出てくる夢なんだ。
――――――良い夢に決まっているだろう。
口にはしない想いを秘めながら、僕も彼女に微笑みかける。
1793年 10月16日 12時15分
マリー・アントワネットの命日に捧ぐ。
あとがき
こんなエピソードがあります。
シャルル=アンリ・サンソンがある死刑囚を処刑しようとしたとき、
刑を執行するための助手が完全には揃わず、刑を延期せざるを得ないという
状況になってしまった。
その様子を見ていた野次馬のひとりがこう言った。
「お前は、国民の敵を助けようと言うのか。助手なら周りにいるじゃないか」
それを聞いたサンソンは、
「わかった、貴方に手伝ってもらおう」
と言った。
野次馬Aは動揺したものの、自分が言い出したことだからと引くに引けず、
サンソンの手伝いを務めることになった。
長い間、待たされていた死刑囚は錯乱状態に陥り暴れ出していたが
野次馬Aの協力もあり、なんとか断頭台に縛り付けることができた。
「君は素晴らしい愛国心を見せてくれた。一番大事な役を譲ってあげよう。
やってみるといい」
その言葉とともにサンソンの手から野次馬Aに渡されたのは、ギロチンの紐。
がくがくと体を震わせ、青い顔をしていたが勇気を振り絞って、紐を引く。
見事に斬首してみせた野次馬Aに対して、
「よくやった。最後に斬った首を皆に見せる決まりなのだが、無理をする必要はない。
嫌ならば、他の助手にやらせよう」
と言うサンソン。
「それぐらい、やってやる……」
と言い放ち、首を持って見えやすいようにかざそうとしたところで、
野次馬Aは卒倒。気絶してしまったと、周りの者が急いで近づいてみると、
―――――野次馬Aは死んでいました、とさ。
ただ人を殺すというだけでも相当にストレスがかかるだろうに、
衆人環視の中でそれも継続的に殺さなければならないのってどんな心労なのかしら。
というのを想像して書いた本作。
ちなみに作品の中ではできるだけ”殺す”というワードを使わないように心掛けました。
あくまで処刑と殺人は違うのだというスタンスを守ろうとしながら、
でもそれってなにが違うんだ…って懊悩するサンソンが描けてよかったですね。
さて、マリー・アントワネットについてですが――――、
え? なに? ”彼女”はどうなったのかって?
いや、だからマリーの解説については今から……、
あー、はいはい。わかってます、わかってます。”彼女”ですね。
短い話にはなると思いますが、きちんとサンソンが語ってくれます。
【次回作】
『彼女の知らない物語』
をどうぞお楽しみに。
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よろしければ、仲良くしてください。