『栄冠は君に輝く ~ギロチン・ブレイカー~』の裏話。
―――知らないほうが幸せなこともあるけれど、
―――――知らないと進めない道もあるんだよ。
そんなお話。
サンソンとの絆レベルが100の人、お読みください。
夢なんてものは所詮、都合のいいもので。
自分の見たいものにしか焦点が合わないようになっているものです。
”あの夢”を見るとき、スポットは必ずマリー・アントワネットに向けられる。
僕がシャルル=アンリ・サンソンである限り、それはどうしようもない。
ですが、あれは僕の経験が視覚的映像として形になったものであり、
現実として起こった過去の出来事の話。
そこには僕とマリー以外にも登場人物が――――確かに存在していました。
人の数だけ物語があると言います。
そして、僕には話さなければならない物語があるんです。
他の誰でもない僕が――――、
”彼女”のために。
いや、
正直な胸の内を明かすと、結局のところは自己満足以外のなにものでもないのでしょう。
僕以外にも”彼女”について覚えている、知ってくれている人がいるというのは
それだけでいくらか―――救われる。
だから、マスター。
どうか聞いてもらえないでしょうか。
僕の夢に触れたあなたにどうか聞いてもらいたい。
これを聞けば、あなたは僕に対して失望し、軽蔑するかもしれない。
――――それでも構わない。
……ただ、どうか。
話を聞いてもらう立場でありながら、図々しい申し出であることは重々承知していますが。
どうか、この話は他の者に話さないでいてもらいたい。
特にマリーの耳にこの話が入るようなことはくれぐれもないように。
マリーには笑っていてもらいたいんです。
なにもここに来てまでマリーを苦しませることはないですから。
「出会いの時期もばらばらだったあなたたちと、こうして一度に会えている。
それはね、とても特別だし、素敵なことだと思うの」
そう言って、マリーは本当に嬉しそうに微笑むんだ……。
心の底からそう思っていることがありありと伝わってくるんです。
そんな顔を曇らせるような真似を僕はしたくない―――――。
すみません、半ば強制のように頷かせてしまいましたね……。
でも、ありがとう、マスター。
あなたのような人に巡り会えたことを僕は幸運に思います。切実に。
だからこそ、この話をしなければと思ったというのもあるのですが。
もう察しがついているかもしれませんね。
今から話すのは―――――、
―――――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
マリー・アントワネットの処刑が終わり――――――、
人々の目から逃れるようにして、付近に用意させていた宿舎の部屋へ。
自らの吐瀉物に塗れた洗面所は見慣れているが、
もう吐き出すものがないにも関わらず、いまだに痙攣が収まらない内臓には
大層苦労させられる。
―――――ここまでの状態は初めての処刑以来だろうか。
あれは酷いものだった。
死刑囚の頭をうまく捉えることができず、鈍器による殴打を数十回行ってもまだ息があった。
顔の輪郭が完全に潰れ、周囲一面には鮮血と脳漿が広がり――――、
それでも”振り上げては振り下ろす”をでたらめに続けた。
不意に肩を強く捕まれるまで、
処刑後、サンソン邸で激しい嘔吐を繰り返す僕に対して”指導”という名目で繰り返された虐待。
――――全てはサンソン家当主として相応しい
悲惨だったのは、うまく処刑ができるようになってきたころ。
家族に褒められることが嬉しく感じるようになった。
処刑後に出される食事がおいしく食べられるようになった。
自室の鏡と対面して、思わず吊り上がっている口角を見たとき――――
食したものをまた全て吐き出した。
頭の片隅で自らの過去を振り返りながら、また胃液を吐き続ける。
止まらない胃の収縮には難儀するが、外から響いてくる尋常ではない歓声と喝采に
気を取られなくて済むことは助かる。
―――――――思考が
過去の惨憺たる記憶を掘り返す程度なら、まだいい。
逃げられるうちに逃げておくべきだ。
今の精神状態で肝心なことを受け止めようとすれば……、僕は確実に潰れる。
だから、今は余計なことを考えるべきなんだ。
広場の民衆がまばらになったころ。
ある程度の部屋の処理と諸々の手続きを済ませ、自宅へと向かう馬車を寄越させる。
裏口に馬車の用意ができたとの知らせを受け、腰を上げる。
出口と接するようにして待機している馬車に乗り込もうとする直前――――、
―――――耳元で声が聞こえた。
しかし。
咄嗟にあたりを見まわしたところで、不審な顔が返されるのみ。
誰かが口を開いたという様子はない。
この場の誰も声など発していない。
だとしたら、今聞こえたのは―――――
あまりにもはっきりと聞こえたそれは――――
そんなことわかりきっている。
改めて確認するまでもないことだ。
僕は相当に取り乱しているらしい。
いや、
処刑のことに意識を取られていたからか。
とはいえ、なぜ今の今まで思い出さなかった。
なぜ―――――――――思い出せなかった。
またマリーのときと同じ失敗を繰り返すのか、僕は。
脚が動く。馬車の横を抜けて、通りに出る。
後ろから呼ぶ声を無視する。
こちらの肩がぶつかった者の呻き声を無視する。
遠巻きにこちらを注視する目を無視する。
走る。走る。走る。走る。走る――――――――――
待て、待て、待て、待て待て待て待て、
待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て。
待ってくれ――――――――!
誰に向けられた言葉でもない。
そんなものは全く役に立たないことは知っている。
今は一分でも、一秒でも、一瞬でも早く”彼女”の元へ。
間に合うかどうかなど、わからない。
それでも走れ、と
ああ、嘔吐を繰り返して、減衰している体力が恨めしい。
また逆流しそうになる胃液をなんとか飲み込む。
息を整えている間すら今は惜しい―――――。
そう、馬車に乗り込む直前に聞こえたのは”彼女”の声。
先ほどの場にはいない、あの娘の声。
僕は”彼女”の『あの言葉』を確かに聞いていた。
馬車でコンシェルジュリーを離れる直前――――、
後ろからかけられた言葉は、
――――――――「 」
残酷でも、これ以上ないやさしさと慈愛に満ちた響きだった。
マリーに対する心からの敬愛の念がほろほろと染み出してくるかのような。
二人はそれほどまでの信頼関係を築いていたんだ。
それなのに、マリーに自らの想いを否定されたことでそのとき頭が一杯で、
ろくな返事もできなかった。
謝罪しなければならない。
そして、感謝の言葉を伝えなければ――――。
マリーを支え続けてくれた”彼女”に。
―――――――――だが、もう遅いかもしれない。
薄々、予感はあった。
マリーの話を聞いていたときから。
”彼女”がマリーのお願いを聞く。
「『ムッシュ・ド・パリ』が本当にここに来て、
二人で話をする機会を得られたときには、時間稼ぎをお願い」
その意味がわかっているのだろうか。
それは、重罪だ。
僕が死刑囚と長時間に渡り対談していたというのも問題ではあるが。
ただの下人が兵に手を出すことの意味。
「ええ。ここにいた兵を外に出した直後、たしかに物音がしました。
僕はてっきり兵が仕事を奪われた腹いせに物に当たっているのではないかと
思っていたのですが、もしかすると――――」
「ああ……、そういうことね。そうね、きっとあの子だわ。
たしか”フライパンで奇襲をかけるよ”と言っていたような。
貴方、そんなことを考えていたの?」
あのとき。
僕はマリーを前にして、優先順位を見誤った。
マリーのと会話を断ち切ってでも部屋を出て”彼女”に真意を問う必要があった。
その後にも
ノックが響いて”彼女”が姿を見せたとき。
別れ際に声を掛けられたとき。
僕はいったいなにをしていた―――――――!
これは僕の完全なるミスだ。
気がついていたのが僕だけなのだから、予測し得る最悪の事態を防ぐことが
できるのもまた僕しかいなかったはずなのに。
なのに。
僕は。
やるべきことを怠った。
その結果――――――、
遠目に見えた複数の人影のうち、
ひとりが
僕の脚は。
その放り捨てられたものの目前で止まる。
【赤黒く汚れた軍用手袋】
上と下の歯が意識せず動き、ガチガチと音がする。
寒気が止まらない。
全身に鳥肌が立っている。
下半身が痙攣を起こしたかのように震える。
立っていることが困難になり、両膝からくずおれる形で倒れ込む。
いきなり地面に倒れ込んだ者を心配してか、声をかけようと近づいてくる者もいるが、
僕の正体を察するやいなや、踵を返す。
通りに残されたのは手袋に土下座するようにして
言うまでもなく、僕のことだ。
――――――――――あの中のひとり、手袋を捨てたのは知っている顔だった。
遠距離であり、しかも去って行くときの横顔が見えたのみだったが、
間違いない。
―――――――『ムッシュ・ド・パリ』の言葉がわからないか。
あのとき扉から退出していく際、
恐怖と苛立ちのために歪む横顔を僕はしっかりと見ていた。
マリー・アントワネットの監視兵がこの手袋を捨てていった。
この血に染まった手袋を。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
いいや、まだだ――――――――!
完全に手遅れなのかはまだわからないだろう。
ヒトの全血量はおよそ体重の13分の1。約8パーセントが血液。
40キロの体重ならば大体3リットル。
この3リットルのうち、3分の1を出血などで失うと生命が危険な状態になる。
まして、”彼女”のような身分の人間がすこぶる健康体であるとは考えられない。
到底、余裕などあるはずがない。
文字通り、一刻を争う。
倒れ込んでいる時間はない。
「ぐっ、はぁはぁ……はぁ…がぁぁぁあああああ―――――――」
酸素と休息を要求している全身に鞭を打って上体を起こす。
手袋をそっと拾い上げ、懐から取り出した清潔な布で包む。
目にしていてわかっていたことだが、
実際に触ってみるとおびただしい量の血液が染みこんでいるようで、重さがある。
懸念材料は頭の隅に追いやって、”彼女”の元へ。
両脚にありったけの力を籠め、地を蹴る。
不格好に手を振り回して一心不乱に。
あの監視兵が来た道を逆行していく。
コンシェルジュリーの方向へ。
肺が悲鳴を上げている。心臓が破裂しそうに脈を打つ。
人通りが多い街道に出てからは、右に左に人を躱しながら全速力で進む。
――――どうか、お願いだ。
――――――間に合ってくれ。
くそ。
人を避けてはいるが、それでも何度もぶつかる。
これでは思うように進めない。
進行方向で縦横無尽に動く障害物というものはこれほどまでに煩わしいものか。
「邪、魔……だっ、はぁはぁ、ぐがぁ…あづ……道を、開けろっ――――――――――――!」
たまらなくなってそう叫び散らす。
通りを歩く人は、僕がシャルル=アンリ・サンソンであることを理解して避けるようにする。
……いいや、もしかすると、ただならぬ獣のような様相に慄いているのかもしれない。
なかには悲鳴を上げる者もいる。
なんだっていい。構うものか。
そのまま幾分か進みやすくなった道を駆け抜ける――――――――――。
過剰なまでの負荷に軋む体を度外視して、一歩また一歩を力強く踏み出す。
脚を残して体の部位がバラバラになってしまうかもしれないという勢いで
周囲の景色を後ろへ後ろへと追いやっていく。
朦朧とした意識のなかで記憶が蘇ってくる。
思えば、”彼女”は――――――、
僕に対して、よく話しかけていた。
ノックが響いて、”彼女”が部屋に現れてから……、
「…え、貴方が『ムッシュ・ド・パリ』なの!? さっき遠目に見ただけだったから。
思ってたより……、いや、なんでもないっ! ちょっとマリー、冷やかさないで」
音声としては耳に入っていても、そのとき知覚できていなかった言葉。
「ショックなのはわかるけど、あんまりうじうじしてたらみっともないよ。
今にも倒れそうな顔してるし…、そんなので処刑なんかできるの?」
今ごろ、それを思い出してどうしろと言うのか。
「最初はさ、正直マリーのこと嫌いだったよ。フランス国王の王妃、赤字婦人だなんて、
コウマンチキな女に違いないって。―――でも、違った。
付き人として世話をしているうちに、くだらないことで一緒に笑い合ってるうちに、
私となんにも変わらないんだなって。くだらないことで怒りもするし笑いもする。
泣くときは泣くしね! …いやだ、マリーちょっとからかったぐらい怒らないで」
”彼女”にどんな顔をしろと言うのか。
「あー、あんまり話してたら、本当に時間がなくなっちゃうね。
そろそろ出ようか。またやかましい兵がぞろぞろ来てうだうだと言われるのも癪だし。
鍵は……貴方が受け取ってるよね」
あんな場所で働いているというのに、底抜けに明るい娘だった。
「はいはいはいはい! さっさと歩いて。ちゃんとマリーをリードしてあげてったら。
男でしょう!? ぐずぐずしないの」
こんな具合に、マリーに否定されて悲嘆に暮れていた僕に声を掛け続けてくれていた。
そして、コンシェルジュリーを離れるために
馬車に乗り込もうとする直前――――、
――――――――「やさしく、ころしてあげてね」
”彼女”はそう言ったのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
コンシェルジュリー正面に着いたとき。
入り口は当然のようにぴったりと閉め切られていた。
裏の方へと周り、裏口から侵入を試みる。
それができなければ、どこか適当な窓を割ってでも―――――。
無論、『死の牢獄』あるいは『ギロチン控えの間』と揶揄される、囚人を収監するこの建物に
それほど簡単に侵入できるはずもない。
しかし。
結論から言えば、その必要はなかった。
適当な侵入口を探している間に、
―――――――血の匂いがすることに気がついた。
場所を考えるなら特段珍しいことではないのかもしれないが、これは
壁面や床に古くからこびりついた匂いではない。
死刑執行人の僕が
急がなければならないはずなのに、足運びは自然と緩やかなものになる。
対照的に心臓の鼓動が早鐘を打ち始める。
外側を周回するように奥へ、奥へと。
進む先は徐々に陽の当たらない空間へと変化していく。
このまま進んだ先にはゴミの廃棄場があると記憶している。
直感的にそこには見たくないものがあるのだ、と。
確固たる根拠もないはずなのだが、徐々に強くなっていくゴミの
馴染みある匂いがそう警告している。
腋を伝う汗が腕を這い、指先から滴り落ちる。
気がつかないうちに、ゴミから染み出した汚水を踏んでいたらしく、
足元でぴちゃぴちゃと音がする。
そこからほとんど間もなく―――――、
今、踏んでいる液体が、赤みを帯びていることを認知したのと
ゴミ廃棄場の手前に、まるで崩れ落ちたかのように捨てられている大きな物体が
――――――――ヒトの形をしていることに気がついたのは同時だった。
「ぅうぐづヅァァァァァァぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
予期していた通りの――――――最悪の光景がそこにある。
おびただしい量の出血。
服はズタズタに引き裂かれ。
外からわかる創傷として、打撲、擦過傷、噛み跡、刺し傷、裂傷、その他。
人として女性としての尊厳を奪われ尽くされた上で遺棄されている。
心優しい”彼女”が―――――――――――。
僕が、僕の精神が弱かったばかりに。
”彼女”のことを思い出すのに時間がかかったばかりに。
もう少し早くここに辿り着けていたなら。
僕はどうして……、いつもいつもいつもいつも。
膝から崩れ落ち、池のようになった血溜りの中に手をつく。
ちょうど断頭台に固定された死刑囚と同じような格好。
血溜りに反射するのは僕の顔。
その後ろに今まで処刑してきた死刑囚の顔が浮かび上がる。
大罪人の顔もあれば、なんの罪もなかった人の顔もある。
皆、同じく。
なにも口にすることなく。
黙して僕を睨み続けている。
「オマエハ、ナゼ、イキテ、イル」
ひとつひとつの目がそう語っている。
―――――苦しい
―――――悲しい
―――――辛い
―――――痛い
こちらにお前も来いと怨嗟の声を上げている。
血溜りに反射して、
人々の顔のさらに奥にはギロチンが見える―――――――――。
鈍く光るギロチンが丁度僕の首の真上に。
そうだ。
元々、王妃の処刑が終われば。
ギロチンを片付けた後、
今回の手入れは僕がする、と助手に言って、
そのまま人知れず自ら命を絶つつもりだった。
だから、これはその再現なのだろう。
一度は王妃によって壊された
またこうして目の前に現れた。
無論、これは幻であり、僕の肉体を殺すことはできない。
でも、心は死ぬ。確実に。
そうなれば、遠くない将来に僕がギロチンにかかることは疑いようもない。
僕に恨みを持つものは多いのだから。
彼ら彼女らは非の打ちどころがあれば、容赦はしないはずだ。
……………………………………………………………………………………。
…………………………………………………………………………。
………………………………………………………………。
……………………………………………………。
…………………………………………。
………………………………。
……………………。
…………。
――――――――というわけだ。
いい加減に。
終わらせるとしよう。
この絶望を。この地獄を。
『悪魔』
『死神』
『死体に
そんな名で呼ばれることも、もうない。
シャルル=アンリ・サンソンはここで終わる。
このギロチンですべからくおしまいになる。
あるはずもないギロチンの紐を僕は掴み。
それを思い切り、引く―――――――――――。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――――――――――その直前に。
微かな声が聞こえた。
声というには酷く頼りない、小さな穴に空気が通ることで自然と漏れ出したような音。
それから。
ぴくりと。
視界の端で”彼女”の指先が動いたように見えた。
ただの心肺停止後に起こる生体反応かもしれない。
だが。
確認せずにはいられなかった―――――――――。
弾かれるように動く。
脈は。
かろうじてではあるが、まだある―――――――――!
しかし、この出血量……。
ならば、せめて。
なにかひとつでも。
”彼女”の最期の言葉を。
生きた証を――――――。
――――――残してやりたい。
医者として、死刑執行人として。
――――――――――――”彼女”のためにできることを。
少しでも物を話しやすいように上体を抱きかかえるようにして支え、
口の中の汚物を丁寧に取り除く。
可能な限り痛まないように、顔も綺麗に拭う。
その作業が終わることを待っていたのか。
「あ、ぃ……ぁ、と―――――う‟」
弱々しく感謝の言葉を”彼女”は発した。
言葉を聞き逃さないようにできるだけ彼女の口元に耳を近づける。
本来であれば、男性に暴行を加えられた女性に対して直接的な接触など言語道断なのだが、
状況が状況であるだけに耐えてもらう他ない。
”彼女”もそれは理解しているようで、
文字通り懸命に――――、様々な恐怖と戦いながら言葉を口にする。
まず、
――――――――うまく、ころせた?
という言葉から始まり、
―――――――私、一生懸命に貴方に話しかけたのに、ろくに反応してくれなかった……。
などと憎まれ口を叩いたり、
―――――――マリーのこと好きだったの?
からかいの言葉をぶつけてきたり、
―――――――あー、死にたくないなぁ。
もう手遅れであることを承知しているのだろう、自虐的に恐れを口にすることもあった。
残りが限られた時間、余計な口を挟むつもりはなかったが、
「これで、よかったのか――――――――?」
そう聞かずにはいられない。
学はないとのことだったが、聡明な”彼女”のことだ。
マリーのお願いを聞けば、果てにはどうなってしまうのか理解していたはずなのに。
この結末は”彼女”にとって……。
――――――――だって、ほら。マリーは私がいないとなんにもできないから。
――――――――そばにいてあげないと。
――――――――でも。
――――――――マリーは、本当に死なないといけなかったのかな。
ここに至っても親愛の情を忘れてはいなかった。
”彼女”は腕を上げようとしているためか、苦悶の表情を浮かべる。
すかさず上げようとしていた腕をとり、どうしたいのかと尋ねる。
――――――――握ってて、ほしい。
そっと
こんな状態であろうと少し照れているらしい。
既に虚ろな”彼女”の目を見つめながら、ウィ、マドモアゼルと言って、掌をやわらかく包む。
「――マ、リー……ぅぐ――――は、ね」
必死に口を動かして、
ゆっくりと、少ない命を噛み締めるように言葉を紡いでいく。
――――――――マリーは貴方に嘘をついた。
――――――――貴方のことを恨んでなんかいないんだ。
――――――――言葉こそ厳しかったかもしれないけれど。
――――――――貴方に「生きろ」と言ったんだよ。
――――――――貴方なら、わかるでしょう?
――――――――だから、死んじゃだめ。
――――――――絶対に。
――――――――どんなに苦しくても、辛くても、心が折れそうになっても。
――――――――生きて。
それだけのことを言うと、途端に力を失ったように”彼女”の重みが増していく。
そんな、そんなことを最期の言葉にするのか。
僕のことなんていいんだ――――!
まだなにか、なにか言い残すことがあるんじゃないのか。
主よ、どうかどうかどうか、どうか。
どうかお願いします。
この他人へ思いやることができる無垢な娘をまだ連れて行かないでくれ。
目の奥からこみ上げてくるものが次々に流れ出してくる。
たとえそれが彼女を余計に苦しませることになったとしても。
願わずにはいられない。
願いが届いたのかどうか定かではないが、
握っていた掌がまた少し力を取り戻す。
「あ、な……たの、はぁはぁ―――な…っまえ、うくぅ…き、か……せて」
――――――――『ムッシュ・ド・パリ』としか聞かされてなかったから。
ああ、いいとも、と頷いて。
「僕は、シャルル=アンリ・サンソンと言うんだ」
――――――――良い名前ね。
人々から忌み嫌われている名を”彼女”はそう言ってくれた。
それから、
――――――――私は、ずっと、ひとりで寒いところで死ぬんだと思ってたから。
――――――――シャルルに看取ってもらえることが嬉しいよ。
――――――――すごく、あたたかい。
僕の生涯でまさかそんなことを言われる日がくるとは思いもしなかった。
申し訳ない――――――――
ありがとう――――――――
そんな気持ちを籠めながら、”彼女”の瞳を見つめ続けた。
それに満足したのだろうか。
「はぁはぁ、んぐ、あ……ねぇ、シャ…ルル」
僕の名を読んでから、
――――――――私はマリーのお願いを聞いてあげたから、
――――――――今度は私がお願いしても、いい?
”彼女”の掌を強く握り返し、
「なんでも言うといい」
そう返答する。
”彼女”はよかったと、薄く微笑み―――――、
正真正銘、人生最期の言葉を述べる。
――――――――もう、これ以上、
――――私みたいな人が
――増えな
……最後まで言い切ることなく、”彼女”は事切れた。
最後まで聞かずとも、十二分に思いは伝わっている。
やれることをやれ、と。
僕にならできる、と。
やはり最後の最後まで、その命を以ってして――――、
背中を押してくれたんだ。
僕に生きる理由をくれたんだ。
本当にこの娘は………………………。
生涯の終始に渡り、一寸の隙もなく”彼女”は”彼女”らしくあり続けた。
矜持と心根にこの上ない敬意を。
そんな”彼女”は命を落とし、僕は今もなお生きている。
”彼女”をこのような目に遭わせた人間もまた生きている。
許されることではないだろう――――――――。
もはや僕の罪は簡単に死んで許されるようなものではない。
それだけの数の人間をこの手で
どんなに苦しくても、辛くても、心が折れそうになっても僕は生き続けよう。
半狂乱になりなって、そんな資格はないと自らを呪いながら罪人を
正義を執行する――――必要悪の道具であることに徹する。
それが僕の罰。
許されることではないだろう――――――――。
”彼女”を害した人間がこれからものうのうと生きていくなど。
どんな手を用いてもあの者たちを断頭台に必ず据えてやる。
幸いにして、この時代だ。
罪もない人間ですら掃いて捨てるほど死んでいく時代。
断頭台の十三階段を上る理由なんて簡単にいくらでもできあがる。
”彼女”のような人がこれ以上増えないために。
これが僕に与えられた役割。
マリー、これでいいのだろう?
羽織っていたローブで”彼女”をくるみ、持ち上げる。
丁重に葬ろう。せめてもの償いとして。
立ち上がる際にちらっと目に入った血溜りの中―――――、
もう僕の後ろにはなにもない。
――――――――僕の真上に再び現れたギロチンは”彼女”が壊してくれた。
暗がりのうち反射して映ったのは、僕の顔だけ。
その顔はどこか―――――――、
暗殺者が笑っているように見えた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
以上、
ご清聴いただき、ありがとうございました。
概ね、語るべきことは語りました。
もちろん、記憶している限りのことを僕の視点からお話ししたにすぎません。
細かいところでの思い違いや、矛盾点等あるかもしれないが。
シャルル=アンリ・サンソンの最も深層にある部分を詳らかにしました。
この道を歩み続けた結果、僕は人類史上2番目に多くの人を処刑した人物となったんです。
――――なぜ話をしたかって?
最初に言ったじゃないですか、自己満足ですよ。
……それじゃあ、納得できないと言われましても。
さて、どうしてなんでしょう。自分でも不思議な心地なんです。
でも、あなたにはやはり知っておいてほしかった、たとえ失望し軽蔑されても。
つまるところはそういうことなのだ、と思います。
他にも、あなたに自らの根源とも言える話をしたサーヴァントたちがいるでしょう?
……その顔は、図星というところか。
べつに誰がどんな話をしたかなんて訊くつもりはありません。
それはまた別の機会に僕ではない、誰かが触れる物語なのでしょうから。
でも、あなたは――――、
どうしてサーヴァントたちにそんな話を聞かされたのか、深く考えなければならない。
その答えを見つけなければならない。
解答が必要になる場面が今後必ずやってくるでしょう。
―――――そのときに後悔しないように。
―――――そのときに正しい道を選べるように。
まあ、特にどうしたということもありませんが、
先人のアドバイスとしてひとつ受け取っていてもらえれば。
さて、そろそろ休息は終わりですね。
マリーたちも待っていますから、先に行きます。
マスター、あなたは僕にとって信の刃の置きどころだ。
――――――このギロチンはあなたの進む道を開くために、血に染まりましょう。
≪了≫
あとがき
マリー・アントワネットについて調べると、なるほど彼女に同情的な趣旨の記述が多いです。
当然と言えば、当然で。
なぜならマリーが処刑されてから後年のフランスにおいて、彼女についての扱いはあまりにも
不当なものであったということで、名誉回復が積極的に行われた姿が今の彼女のキャラクター
として確立されているためです。
彼女の生い立ち、王妃としての扱い、最期の死。
悲劇のヒロインとしての要素がてんこもり。
しかし、まあ。
それだけじゃないだろう、と。
彼女の瞳で、仕草で、言葉で――――
無理やり運命を変えられてしまった人もかのフランスにはいただろうと思います。
それも決して少なくない数の人が、彼女の意識していないところで。
なので、月並みな表現ではあるんですけれど、光があれば影がある。
きらきらしてる面があれば、どろどろしてる面がある。
もちろん、それが王妃というものなのだとは承知しておりますが。
あまりにも神聖視されすぎると、どこか浮世離れした地に足がついていない
とんでもキャラクターと化してしまいますから。
彼女はあくまでも史実に存在した人間なんだよってことが描きたかったのです。
そのために”彼女”というオリジナルキャラクターに登場してもらいました。
プロット段階では実は”彼女”はデオンくんちゃんでした(じゃじゃーん)というのも
案として準備されていたのですが、そうなるとほんとにボカロ曲の「悪ノ娘」オチに
突っ走るしかなくなるので、あえなく没案に。
また、”彼女”の名前はナナシ。
生まれが生まれ、育ちが育ちのために名を持っていないということにしていますが。
マリーとコミュニケーションをしているうちにマリーの元の名であるマリア(ドイツ語)
という名をもらったというエピソードを組み込もうかと思ったこともありました。
結局、それはやりすぎ感が出てしまうね、ということで没。
哀れではあるものの、賢く心優しい娘。
歴史に名が残らないけれど、シャルル=アンリ・サンソンの中には深く刻まれた役回り。
こちらのほうが自分の意図するものが伝わりやすいだろうという判断もありました。
ssを書くってのもいろいろ考えるものです。
(前から指摘を受けますが、こうなってくると二次創作の枠から
本当に大きく外れてる気がしなくもない)
以上、長々と脱線を含めて語りましたけれど。
「被害者面が気に食わねえっつってんだよ、お嬢ちゃん」CV:櫻井孝宏(プロトアーサーマダァ)
というところを動機に書き始めた物語です。
いや、待って。マリーが好きな人は怒らずに先を読んで。
「彼女が知らない物語」「被害者面云々」と書きましたが、
はてさてこのマリー・アントワネットという人が本当に知らなかったのか、
被害者面をしていただけなのか、というのは今後―――――――、
歌場ゆきがこのssを書き続けたらわかるやもしれません。
本人すら知りません。
というのも拙作を全部読んでくださっている人には薄ぼんやりと感じ取ってもらえている
かもしれないのですが、書いているssはどこかしらがちょいちょいと繋がっています。
ですから、このまま書いていくと、そういうお話をしなければならないときがくるかも。
そうそう、
本当に最後に。
サンソンが最後に意味深なこと言ってますけれど、これからどうなるんでしょうねぇ。
こんなところまで読んでくださって誠にありがとうございました。
――――――――――――――――――――――――
Twitterをやっています。
@katatukiNISIO
FGOのことを主体に、アニメ、マンガ、ゲームについて雑多に呟いてます。
よろしければ、仲良くしてください。