「幸せになりたかったら」から始まる有名な格言に従い、幸せを謳歌するため釣りに興じているカミル・ド・アルテシウム、11歳の夏です。
例によって釣り糸を垂らしているのは「トリステインで避暑地と言えば」でお馴染みのラグドリアン湖。
あのミツハさんとの衝撃の出会いからもう3年も経つかと思うと時の流れの早さを感じずにはいられません。
小舟に揺られながら見た目に似合わずそんなお年寄りみたいな回想をしみじみとしていると暇を持て余している様に誤解されてしまいそうですが、これでも今回の来訪の目的であったお仕事は事前にきっちり終わらせてあります。
一つは、ヴァリエール公爵がカトレアさんの治療の報酬として約束してくれた王様との謁見です。
ワーカーホリックな王様を公爵が説得して避暑に連れ出し、引き合わせてくれました。
そこまでして謁見を希望した理由は、カトレアさん同様、ミツハさんの分霊を体内に宿してもらうためです。
どこまで効果があるか分かりませんが、トリステインの平和のために出来ればアンリエッタ姫が結婚して子供を産むまで長生きして欲しいと思っています。
その際、王様から当然の様に報酬の話をされたのですが、長生きして国に尽くしてもらう事が報酬の様なものでしたので、迂闊にもこれに関しては全くのノープラン。
かと言って断るのも勿体ないと欲を出してしまうのが小市民な私なわけですが、しかし王様の前でアタフタと醜態をさらしてしまったのは忘れたい記憶です。
アンリエッタ姫と同い年なせいか非常に生暖かい視線を向けられてしまいました。
そんな恥を忍んで得た報酬はと言うと、現金やお酒の取引、大きく出て領地なんて即物的な考えもありましたが、最終的にはフッと降りてきた天啓に従い、未来への布石を打つ事にしました。
ただこれは五分五分よりも勝算の低い賭なので、内容に関しては伏せさせてもらいます。
期待せずに待つ事にしましょう。
話が一段落した所で大変名誉な事にアンリエッタ姫と会って行く事を許されたのですが、情報の漏洩を防ぐという大義名分を盾にやんわりと、しかししっかりと固辞させてもらいました。
変なフラグは立てないに越したことないですからね。
二つ目のお仕事は、こちらも避暑に来ていたカトレアさんの検診です。
全なる一のミツハさん相手なので実際は何処にいても様子を聞く事が出来るのですが、ミツハさんは基本的に私以外とコミュニケーションを取ろうとしないので、端から確認しようとすれば必然的にその相手は私という事になってしまいます。
とは言っても、ミツハさんの分霊を体内に宿してから既に目安としていた半年が経過している現状において、カトレアさんの主治医である水メイジの調べによって体内の水の流れが正常に戻っている事は確認されており、本人の自己申告でも体調に問題はないそうなので、この検診は最終的な確認作業以上の意味はありません。
実際に質問してみても、
「ミツハさん、カトレアさんの体の中の流れはどうですか」
「問題ない」
「どこから淀みが発生するかは分かりましたか」
「循環の起点である心の臓から濁りが出るのはわかるが、それだけだ」
「濁りが出る頻度はどのくらいですか」
「日にもよるが、多くても日に数度といった所だな」
「その回復に問題はありますか」
「ない」
といったように、心臓から送り出される血液に問題がある事は分かってもその原因は不明。
しかし体調を正常に保つ事に問題はないという治療前に予想していた通りの結果でした。
それを告げると公爵は喜んだり難しい顔だったりと忙しそうでしたが、後は公爵が医療の研究に踏み切るかどうかですので、私が今回のように検診を頼まれる事はもうないでしょう。
研究については、カトレアさんと似た症状の被験体の選別や術後のモニターをミツハさんにお願いするくらいなら吝かではありませんが、解剖に関わるのは断固拒否の方針です。
臓器は標本でも見たくありません。
許容範囲はぎりぎり白黒スケッチまでですね。
さておき、検診が終わると当然の流れのように夕食に呼ばれてしまい、今度こそ断ろうとしたのですが、次の日に顔を合わせる予定のモンモランシ家も呼ばれているとあっては強く出る事もできず、連敗となってしまいました。
ただ大変有り難いことに、私が私的な交流を避けている事に気付いているフシのあるカトレアさんがルイズ嬢とモンモランシー嬢を女性で固まるという自然な流れでリードしてくれ、私は公爵や伯爵と仕事面の話に終始する事が出来ました。
察しが良い上に、優しくて気の回る方って素敵です。
ちなみにエレオノールさんはまだお仕事があるとかで合流はまだ数日先なのだとか。
アカデミーの研究員も大変ですね。
最後になる三つ目のお仕事は、お母様が進められていたものの最終確認を任された形で、モンモランシ伯爵と顔をつきあわせて書類整理に勤しみました。
これは姉様に関わる昨年からのあれこれの結果、ガリア・アルビオン両方面への販路拡大が決まったため秋の収穫シーズンを前にお母様はアルビオンへ、私はモンモランシ領へと打ち合わせに足を運んでいる次第です。
ちなみに、お父様は自領でお留守番しながら輸出入品の調整をされています。
研究者肌のお父様は細かい数字の処理や合理的なシステム作りに強いですし、自分の研究に使えそうな物を吟味するという公私混同趣味丸出しな面もありますから、自領にこもっていますが別に貧乏くじを引いたというわけではありません。
私としては家族旅行が出来ないのが少し残念ですが、新しい経済流通のスタートを中途半端に出来ないのも理解していますから、次期当主として我が儘を言うわけにはいきません。
そんなこんなで来訪の目的であるお仕事は全て片付けてありますから、誰にはばかる事なく釣りに興じているわけです。
それにイズナさんとミツハさんと一緒ですから寂しいという事もありません。
しかもミツハさんのお陰で快適なんですよ。
ミツハさんが小舟の床に湖から水の流れを作ってくれているので私は裸足になって涼を得、イズナさんは流れるプールのように小舟の周りや私の足下を流れて楽しんでいて、それを見るミツハさんの表情も柔らかい。
そんな心穏やかな昼下がりの一時。
こういうのを幸せと言うんですね。
なんて思ったのが失敗でした。
そのセリフはフラグです。
案の定、空から降ってくる様なアクシデント。
いえ、文字通り空から降ってきました。
何が?
女の子がです。
ふと見上げた青空に突如映り込む天使と見紛う程の綺麗に光り輝く金髪。
裾の広がったワンピースから女の子と判断。
身長は私と同じくらいでしょうか。
そこまで確認した所で、彼女が自分に向けて落ちて来ている事を認識するも呪文を唱えている暇はなく、とっさに受け止めようとしますが不安定な小舟の上という事もあって押し倒される形になってしまいます。
運の良い事に舟は転覆せず、イズナさんも潰さずに済みました。
「いたた……」
言うほど痛くはありませんが、とりあえず様式美として口にし――――――――――
「カミルっ」
「は?」
思考を中断するように名前を耳元で呼ばれ、気付けば抱きしめられている様子。
急展開に思考がフリーズしそうになりますが、
「カミル、カミル」
と呼び続けている声に聞き覚えがありました。
「テファ?」
半信半疑でその名を口にすると、今まで押し倒すように抱き付いていた女の子がガバッと勢い良く体を上げ、
「久しぶり、カミル。寂しくて会いに来ちゃった」
と可愛い笑顔で可愛い事を言ってくるのは、間違いなくアルビオンで出会ったハーフエルフの少女ティファニアでした。
◇◇◇◇◇
目の前にいるのは間違いなくテファです。
未だ四つん這いで覆い被さられている状態ですが、そこから感じる肌の温もりや、お日様に干した後のお布団のような心休まる匂いは、彼女が夢まぼろしではないと告げています。
それを認めた上で、ではどうやって彼女は空から降ってきたのか。
風系統の魔法であるフライをテファは使えませんが、誰かにレビテーションで運んでもらった可能性はあるでしょう。
でも、いきなり視界に現れたのが私の錯覚でないとすれば……。
「テファ、おめでとうございます。虚無に目覚めたんですね」
「ありがとう、カミル。そうなの。カミルに会いたいって思いながらオルゴールに触ったら頭の中に呪文が流れてきて。カミルが教えてくれた中にあった好きな場所に一瞬で行く事ができる魔法でテレポートって言うみたいなの」
この前打ち解けてくれた時よりも饒舌なのは、初めての魔法にテンションが上がっているせいでしょう。
落ち着かせるように頭を撫でながら柔らかい髪に指を通します。
「ありがとうございます、テファ。会いに来てくれて凄く嬉しいです」
「えへへ」
「でも突然空から女の子が降ってきた時は天使かと思いましたよ」
「て、天使だなんて」
「太陽の光でキラキラと輝くテファの綺麗な髪は、きっと本物の天使の髪より綺麗ですよ」
「そ、そんな、褒めすぎだよ」
身を起こして四つん這いから馬乗りの状態になり、真っ赤になった頬に手をあて照れているテファは凄く可愛いです。
この下から見上げる体勢というのは、一部の成長度合いがよく分かりますね。
既にレモンちゃんを越えています。
ついつい視線が行ってしまうのは男の本能として仕方ないと自己弁護してから、私も上半身を起こし再度顔の距離を縮め、左手で体を支えながら残った右手をテファの頬に当てられた左手に重ねます。
「照れてるテファも凄く可愛いです」
「も、もう」
「こんなに可愛かったら天使よりも妖精さんの方が似合ってるかもしれませんね」
「知らない」
イジメ過ぎたのかそっぽを向かれてしまいました。
「テファ」
名前を呼ぶとチラッと視線をくれますが、また逸らされてしまいます。
その態度にちょっとゾクゾクとクルものがありますが、人目のある所ではこのくらいにしておきましょう。
「良かったら、友達を紹介させてもらえませんか」
「えっ」
自分たちしかいないものだと思ってましたね。
びっくりして素の表情に戻っていますよ。
「ミツハさん、イズナさん」
呼びかけるとミツハさんは私の背後に立ち、イズナさんは腕を伝って私の肩に登ります。
「ミツハさんとは前回会っていますけど改めて、水の精霊様であるミツハさんと、エコーという種族のイズナさんです」
「血の混じりし者よ、カミルへの無礼、先ほどは油断したが次はないと思え」
「は、はひっ。ご、ごめんなさい」
ミツハさんは相変わらず過保護ですね。
テファが怯えてるじゃないですか。
「ミツハさんミツハさん、さっきのはちょっと過激な愛情表現ですから勘弁してあげてください。そうですよね、テファ」
「え、えっと、はい、あ、愛情表現、です」
「ふむ、そうだったか。血の混じりし者は過激なのだな。覚えておこう」
お茶目な冗談だったのですが素で乗っかってきますね、ミツハさん。
そんな羞恥プレイに「あぅあぅ」と真っ赤になったテファが見られたので、むしろグッジョブです。
「イズナさんも仲良くしてあげてくださいね」
「(僕、イズナ、よろしく)」
「頭の中に声が……。えっと、ティファニアと言います。気軽にテファって呼んでね」
「(テファ)」
「うん、イズナ、よろしくね」
イズナさんは小動物の可愛らしさ満点ですからね。
テファの表情も自然と笑顔に戻ったようです。
「ところで、テファ」
「なに、カミル」
「いきなりこちらに飛んできてしまって大丈夫なんですか? 国宝である指輪とオルゴールに触っていたのなら大公かマチルダさんが一緒にいたと思うのですが」
「あっ…………えっと、うん、大丈夫、だと思う、きっと」
視線逸らしてますし、駄目そうですね。
「テファ、疲れていませんか? さっきのテレポート、もう何度か飛べそうですか」
「うん、特に疲れたりはしてないよ。テレポートも大丈夫」
エクスプロージョンみたいな規格外な威力でも、ワールドドアのような異世界に無理矢理ゲートを開くわけでもありませんから燃費が良いのかもしれません。
「私が一緒にアルビオンへ行ってそのまま滞在するのと、一緒にアルビオンに挨拶と説明に行ってからまたこちらに戻ってきて滞在するのと、どちらが良いですか」
「いいの?」
「はい、テファともっとお話したいですから」
「うん♪ 私も。じゃあ、えっと、どっちにするかちょっと考えさせてくれる?」
「いいですよ。好きなだけ悩んでください」
ああでもないこうでもないと悩んでいたテファでしたが、最終的には前回がアルビオンだったので今回はトリステインという事に決まりました。
一緒にアルビオンへ飛んで戻ると、心配していた大公・シャジャルさん・マチルダさんに詰め寄られ、まずは心配かけた事をテファが謝ります。
落ち着いた所でテレポートの魔法の説明をし、私の方へ遊びに行く許可をもらったのですが、魔法学院が夏期休暇中という事もあってマチルダさんも同行する事になりました。
大公とシャジャルさんは、久しぶりの二人だけの時間を楽しむそうです。
私たちはそれからラグドリアン湖でのんびりまったり一週間ほど羽を伸ばし、手紙を書く約束をして二人はアルビオンへ帰っていきました。
テファの最初の虚無魔法がテレポートだったのには驚きましたが、自衛のための魔法として忘却を使っていた事を考えれば、平和的かつ便利なテレポートに目覚めた事は、それだけ今のテファの生活が平穏である事のあらわれのようで嬉しく思います。
もしものための緊急避難マニュアルの改訂が必要ですが、安全に逃げられる手立てが増えた事も喜ばしい事ですね。
各国にダミーも含め、隠れ家を複数用意できれば完璧でしょう。
そこはまぁ大公の懐事情次第ですけれど。
さておき、テファが今後どんな虚無魔法に目覚めていくか楽しみです。
テファをヒロインにしようと思った時に最初に思い付いたのがこの展開でした。
親を殺されたり、街でエルフとして迫害されていないテファは原作より明るくお茶目なイメージです。
でも今話で一番気に入っている部分は、流れているイズナさんだったりしますww