「右手という事はヴィンダールヴ…………なんでしょうけど、最後に漢字で『改』って付いているのはなんですか?」
いつも落ち着いた雰囲気のカミルが嘘みたいに痛がったと思ったら、右手の甲に刻まれた使い魔のルーンを見て首を傾げている。
「カミル、凄く痛そうだったけど、もう大丈夫なの?」
「え、あぁ、大丈夫ですよ、テファ。でもちょっと待ってもらっていいですか」
「う、うん、じゃあ私お茶入れてくるね」
私はそう言って部屋を出て台所に向かいながらさっきの事を反芻する。
カミルと私、キ、キキキキスしちゃったんだ。
思い出すと頬が自然と熱くなってくる。
男の子の唇が柔らかいなんて知らなかった。
繋いだ指先よりずっと熱いなんて知らなかった。
無意識に指先が唇をなぞり、その事がとても恥ずかしい行為のようでさらに頬が熱くなって、そんな顔を誰にも、ううん、カミル以外には見られたくなくて俯いてしまう。
マチルダ姉さんのアドバイス通りにカミルの事を考えながらサモンサーヴァントして良かった。
痛い思いをさせちゃったのはごめんなさいだけど、これでカミルとずっと一緒にいられると思うと現金なもので素直に嬉しいと口元がゆるんでしまう。
そ、それにプ、プロポーズされちゃったし。
もちろんお家の事とかあるし、いきなりは色々、うん、色々無理だろうけど、その約束ができた事が嬉しい。
そんな顔も見られたくなくて、そっぽを向きながらお母さんに火をつけてもらい、薬缶で湯を沸かす。
それを待っている間、頭に浮かんでくるのはやっぱりカミルの事…………。
◇◇◇◇◇
カミルと初めて会ったのは今年の春。
お父さんが慌てた様子で「すぐに出かけるから準備しなさい」なんて言うものだからお母さんと一緒に大急ぎでお洋服だけ鞄に詰めて、まだ外も明るいから耳がスッポリ隠れる帽子をお母さんとお揃いで被って馬車に乗って向かった先は、静かな森の中の一軒のお家。
エルフは人間にとってオバケみたいな怖い存在だから周りの人を怖がらせないためにお屋敷ではこっそりしていなくちゃいけなかったけど、ここなら危なくない範囲でならお日様の下でも自由にしてていいって言われて嬉しかった。
最初お父さんは心配事があるのか難しい顔をしていたけど、お母さんが何か魔法を使ったら少し安心できたみたいで肩の力が抜けて私たちに笑顔を見せてくれた。
その三日後、私、ううん、私たち家族にとって運命の日がやってくる。
家の裏の切り株の所で懐いてくれたリスにご飯をあげていると、何かが一瞬駆け抜けた感じがして、次いでバタンというドアが勢いよく開いた音がしたので見に行ってみると、お父さんとお母さんの前に透明な女の人が立っていて二、三言葉を交わすとパシャンと地面に消えてしまった。
驚いてお母さんに尋ねると水の精霊様だと教えてくれた。
私はハーフエルフだからお母さんと違って精霊を見る事はできない。
それをちょっと悲しいと思っていた私は、出来れば私もお話してみたかったなと思っていると、これからマチルダ姉さんとその水の精霊様のお友達が会いに来るからお出迎えしましょうと言われ、そのお友達という人、人? もしかしたらエルフかもしれない相手に興味を持った。
でも肩に置かれた手で私を抱き寄せるお母さんが珍しく緊張しているみたいで少し不安を感じたのをよく覚えてる。
待つ事20分、時間が経つほどに不安は大きくなっていき、仕舞いにはお母さんの腰に抱きついて待っていると、馬に乗ったマチルダ姉さんと私よりちょっと上くらいに見える男の子がやってきた。
カミルの第一印象は、予想外でびっくりしたって言うのが本音。
だって精霊様とお友達でお母さんが緊張するほどの相手が普通の人間の男の子とは思わなかったんだもの。
チラチラ見ていると優しそうな笑顔で手を振られてしまい、慌てて挙動不審になっちゃったけど何とか振り返すと、その柔らかそうな金髪に綺麗な青い瞳の男の子は顔を真っ赤にして俯いてしまって、何かちょっと可愛いと思ってしまった。
マチルダ姉さんがお父さんに怒ってるみたいだったから、私たちは先に家に入り、まずは自己紹介。
そこでカミルが同い年だと知ってまた驚いてしまった。
だって凄く落ち着いていて、しゃべり方も丁寧で、どうしても年上に見えてしまうんだもの。
そんなカミルはお母さんと難しい話を始めてしまったけど、私はカミルの前のカップにピョコンと現れた水の精霊様の可愛らしさに目を奪われていたので気にならなかった。
うん、自分の事だけど改めて思い返してみると、どうかと思う。
でも難しい話はちょっと苦手。
お母さんと一緒に毎日の献立を考えるのなら得意なんだけど……。
その後もカミルは大人顔負けの態度でお父さんたちと話を続けているけど、蚊帳の外の私は精霊様とにらめっこ。
それが一段落した所で、カミルが私とお母さんに誕生日にはまだちょっと早いけどお揃いの凄く綺麗なイヤリングをプレゼントしてくれたの。
そのイヤリングは今も私の耳から下がっていて、多分一生外さない私の宝物。
このイヤリングのお陰で私とお母さんは誰を怖がらせる事なく気兼ねなくお日様の下に、外の世界に出て行けるようになった。
ずっと行けないと諦めていたマチルダ姉さんが話してくれた可愛い小物屋さんやお洒落なケーキ屋さんにも行けるようになった。
月を見上げながら外の世界を想像するのも好きだったけど、やっぱり自分の目で見て、手で触れて、足で歩いてみるとその満足感は比べ物にならないくらい素敵なものだった。
そう、私の狭くて不自由な世界を広げてくれたのは、暗く先の見えない未来を明るく照らしてくれたのはカミルだった。
それにカミルは私の爆発しかしない危なくて嫌だった魔法の、想像もできないような可能性を教えてくれた。
まだテレポートしか使えないけど、私の外の世界に対する憧れと、それを叶えてくれたカミルに対する想いが形になったみたいで、私はこの魔法が大好き。
いつかはもっと色んな魔法を使えるようになりたいけど、カミルの説明によると、必要に迫られたり、使いたいぞ~って強い想いがないと難しいみたい。
今が幸せな私にはきっとそういうのが足りないんだと思うの。
難しい話が全部終わった後は、カミルが一泊してから帰るまでの時間、色んな話を聞かせてもらった。
家族のこと、領地のこと、魔法の特訓やお稽古なんかの普段してること、精霊様ともう一人のお友達のイズナのこと、カミルが行った事のある他の領地のこと。
もちろん私の事も話したけど、私の話せる事は家族とマチルダ姉さんの事くらいしかなくて……。
でもそんな私にカミルは「じゃあ、テファはこれからどんな所に行って、どんな事がしたいですか」て聞いてくれて、話が途切れたり暗い雰囲気にならずに済んだ。
こういうちょっとした優しさや、さり気ない気遣いが出来るからカミルは大人っぽく見えるんだと思う。
「テファ」
「ん、なにお母さん」
「お湯、沸いてるわよ」
「あ、本当だ。ありがとうお母さん」
いけないいけない、また考え事に夢中になっちゃった。
マチルダ姉さんは、塔にこもって一人で遊んでいた時間が長かったせいだろうって言ってたけど、どうも私は自分の世界に入ってしまうと周りの事に気が回らなくなってしまうみたいで、お母さんにも今みたいによく注意されてるし、街中だと危ないから早く直したいと思っているんだけど経過はあまり芳しくない。
「カミルさんのこと?」
「え、な、何が?」
お母さんの鋭い指摘に思わずとぼけてしまう。
「考えてたんでしょう?」
「う、うん…………そんなに分かり易いかな?」
「赤くなったり、口元がゆるんだりしていれば、ね?」
「は、恥ずかしい……」
気をつけないと変な子だって思われちゃう。
「とりあえず、早くカミルさんにお茶を持って行ってあげたら。起きたてなら喉も渇いているでしょうし」
「う、うん、じゃあ行ってくるね」
お盆を持ってカミルの待つ部屋に戻る。
同じ屋根の下にカミルがいると思うと、つい嬉しくなっちゃう。
思い返いてみると、春にカミルに出会ってから夏に私が押し掛けるまでの3ヶ月の中で、虚無に目覚めるまでの1ヶ月くらいは本当に寂しかった。
最初の頃は急に広がった私の世界に笑ったり驚いたり喜んだり感動したりと忙しかったけど、それが落ち着くと今度は私を連れ出してくれたカミルに、私が見た物、聞いた物、嗅いだ物、触った物、食べた物、それに対して私が思った事、感じた事を話したくて話したくて仕方がなくなってしまった。
「私はあなたのお陰でこんなに幸せな気持ちになれたんだよ」
そう言って、いっぱい「ありがとう」て伝えたかった。
その気持ちに私の虚無は『テレポート』という形で応えてくれたんだと思う。
そのお陰でカミルと一週間も一緒に過ごせて、話したかった事もいっぱいおしゃべりできたし、カミルの後ろに乗せてもらって遠乗りもしたし、ボートで湖にも出たし、カミルに教えてもらって釣りも覚えたし、釣った魚をその場で焼いて食べたのも初めてだった。
あの一週間の事は、きっと一生忘れないと思う。
だって、私が初めて恋をした一週間だったんだから。
最初は感謝だったり憧れだけだったんだと思う。
でも一緒に過ごす内に「もっとおしゃべりしたい」「もっと一緒に色んな事をしたい」て気持ちが大きくなって、ふと「あぁ、私はカミルの事が好きなんだ」て凄く自然にストンと胸に気持ちがおさまった。
でも私には、みんなに怖がられるエルフの血が流れてる。
耳を隠してもその事は変わらないし、もし私が子供を産んだらその子もまた耳が長いかもしれない。
そう思うと、この気持ちを伝える気にはなれなかった。
でも、アルビオンに帰ってから練習したコモンマジックの最後の締めくくりに使い魔召喚を行う事になって、マチルダ姉さんに「カミルの事を強く想いながらサモンサーヴァントすればカミルを喚び出せるかもしれないよ」てアドバイスされて、その気になってしまった。
恋人や結婚は無理でも使い魔としてならずっと一緒にいられるかもしれない。
そう思ったら、自分を止められなかった。
そして召喚は成功。
でも魔法陣から飛び出してきたカミルが壁にぶつかって、そのまま気絶しちゃったのにはびっくりしたな。
慌ててお母さんに回復魔法をかけてもらってベッドに運んだ。
そして今私が立っているドアの向こうには、一生を伴にする契約の口づけを交わしたカミルがいる。
私は使い魔契約でいいと思った。
でもそんな私にカミルはプロポーズしてくれた。
嬉しかった。
本当に凄く凄く凄く嬉しかった。
カミルは私がハーフエルフだからって気にしない。
私をちゃんと見てくれている。
そう思うと胸が熱くなって、鼓動が早くなる。
さっきは痛がるカミルにびっくりした後で逃げるみたいに出て来ちゃったけど、もう私たちはこ、婚約者なんだから、えへへ、うん、私のせいで痛い思いさせちゃったんだからちゃんと看病してあげないと駄目だよね。
ひ、膝枕とかしてあげた方がいいかな。
そんな事を考えながらカミルの待つドアをノックした。
テファにとっては当初白馬の王子様だったわけですが、一緒に過ごす事でそこに実感が加わり、正しく恋心となったわけです。
と、読者様に伝わればいいなぁ~~と思い、テファ視点で書いてみました。
夏の記憶にマチルダ・ミツハ・イズナが出て来ないのはご愛嬌ww
なんて、ちゃんと覚えていますが今回はカミルの事を回想しているので省いただけです。