昼間の日差しは暖かく、夜風で凍える事もなくなった初夏のある日、景勝地として名高いここラグドリアン湖では、一年越しで計画されていた各国の王侯貴族を招いた大々的な園遊会が開かれています。
開始の挨拶は、主催側であるトリステイン王国から国王自らが立たれ、水の精霊との新しい交渉役の誕生を発表し、新任の交渉役であるモンモランシー嬢が実際に水の精霊を呼び出すデモンストレーションが行われました。
このデモンストレーションは、他国の王を筆頭に、ハルケギニア中から集まった有力者の前で行われる手前、自国の威信にかけて絶対に失敗は許されません。
プレッシャー、半端ないですね。
そんな文字通り一世一代の晴れ舞台を任された若干11歳のモンモランシー嬢は、可哀想なくらい緊張しているのが傍目からも容易に伝わってきましたが、そこは腐っても水の名門モンモランシ伯爵家のご令嬢といった所で、涙で潤む瞳、震える指先、ぎこちない所作と危なげは多分にありましたが、 見事大役を全うしていました。
嫌だからと言って逃げられる状況ではありませんでしたが、それでも最後までやり遂げた所が凄いですね。
ちょっと尊敬してしまいます。
小耳に挟んだ噂話によると、今回の功績で彼女には国から精霊勲章が授与されるのでは、という事です。
この精霊勲章というは、こういった荒事ではない功績に対して贈られる事の多い褒賞で、貴族にとってはお小遣い程度の金額ですが、受賞した本人が死ぬまで毎年200エキューが国から支給されます。
これが世間一般でどの程度の金額かというのを具体的な例を挙げて説明すると、平民の兵士に支給される標準的な剣一本や軍馬一頭、貴族の子女が仕立てるドレスの一着から二着、野山で普通に採れる材料から作られた水の秘薬の中でも良質なものを小瓶でといった所になります。
国からしてみれば、金額よりも名誉で働きに報いるといった感じでしょうか。
裏を返せば、功績をあげるだけの実力や立場にいる貴族の忠誠を雀の涙ほどの金額で買う、または強いるといった見方もできますし、名誉を魚に本人または周囲のモチベーションアップも狙えます。
一見すると良い事尽くめのようにも見えますが、出し過ぎては効果が薄れてしまいますし、ちりも積もれば何とやらという事もあって、実際は加減の難しい、バランス感覚が求められる案件だと思います。
さて少し話の風呂敷を広げすぎましたが、モンモランシー嬢のデモンストレーションが終わると、あちらこちらでポンっポンっというシャンパンの封が開けられる小気味良い音が聞こえます。
我が領の特産品ながら、お祝い事には欠かせませんね。
モンモランシ家との事前の取り決め通り、今回の園遊会の飲み物についてはウチが全面的に任されています。
全体量が多かったり、義理やしがらみもあってウチ以外の商品も並べられていますが、割合でいったら新商品を主軸に三割くらいはウチが占めています。
宣伝効果はもちろんですが、売り上げの方でもなかなか美味しい事になっているとか何とか……。
しかし個人的には非常に残念な事があります。
私の秘密兵器であるブランデーが、量が足りないという事で御披露目できなかったのです。
えぇ、未だに細々と作ってますよ。
諦めません、勝つまでは。
いつの日かきっと日の目を見ると信じて。
我が野望は不滅なのですっ!!
と、まぁそんなわけで園遊会の方は滞りなく進んでいますから、私は私で同年代の顔繋ぎの旅に出ようと思います。
学院入学前の貴重な機会ですからね。
個別に当たるのは効率が悪いので人だかりに特攻しようと思いますが、さて……。
「モンモランシー、大役お疲れ様でした。大変でしたね」
「ありがとう、カミル。でも貴方に言われると労いの言葉も皮肉に聞こえるのは私の気のせいかしら」
まずは本日の主役と言っても過言ではないモンモランシー嬢の所へ。
モンモランシー嬢とは同じ水メイジであり、家の事で顔を合わせる機会も多く、互いに跡取りという事で色恋を気にしなくていい気楽さから、良い友人関係を築けています。
「酷い言いぐさですね。気のせいですよ」
満面の笑顔で応えると、モンモランシーの笑顔に青筋が浮かび、距離を詰めたかと思うと、すっと耳元に顔を寄せられます。
「(水の精霊とコンタクト取るの大変なんだからね。何かって言うとカミル、カミルなんだから。感謝は、してるけど、本来なら貴方がやる役だったんだから、その辺分かってるの)」
「(え~っと、そこは、ほら、お家のために頑張ってくださいという事で)」
「(そんなの分かってるわよ。ただそれじゃ不公平じゃない。貴方も何か苦労しなさいよ)」
「(無茶苦茶ですね……)」
今、友人関係に苦労してますよ。
ちなみに、私たちが話している間もモンモランシー嬢の周りの人だかりはなくなったわけではありません。
つまり衆人環視の中、私たちはファーストネームで呼び合い、顔を寄せ合って、これ見よがしに親密さをアピールしてるわけですね。
完璧に不可抗力ですが。
そして案の定、女性陣からは黄色い歓声が上がり、逆に男性陣からは唸り声が響きます。
何やら予想外な状況になっていますが、まぁ何とかなるでしょう。
「ミス・モンモランシ、宜しければそちらの殿方を紹介していただけないかしら」
「え、彼? 別に構わないけど」
恋バナが大好きといった好奇心で瞳を輝かせた同年代の女の子が声をかけ、それに対して一瞬訝しげな表情を浮かべるモンモランシー嬢。
その反応が二人の時間を邪魔した事に対する不満と受け取られ、周囲の勘違いは加速されていきます。
面白そうですが、時間は有限ですし、わざわざ傷を深める必要もありませんから、この辺で止めておきましょう。
「(モンモランシー)」
「(なによ)」
「(きっと周りは私たちの事を恋人か何かと勘違いしてますよ)」
「はぁっ!? 何よそれ。有り得ないわ」
「有り得ないって……。そこまで言われると、さすがに傷付くのですが」
「あ、ごめんなさい。でもだってそういう目で見た事なかったし」
「まぁ、それは私もそうですが、とりあえず誤解を解きましょう」
「そ、そうね」
モンモランシー嬢は女性側に、私は男性側に釈明をするのですが、後ろはワイワイキャーキャー楽しそうですね。
さて、こちらはどう説明しましょうかと思っていると、
「失礼。ミスタ、ちょっと聞きたい事があるのだが」
妙にキラキラとめかし込んだ同年代の男が前に出てきます。
「構いませんよ。私はカミル・ド・アルテシウム。そちらは」
「おっと、声をかけたこちらが先に名乗るべき所を失礼したようだ。僕はギーシュ・ド・グラモン。よろしく頼むよ」
おぉ、胸元が開いていなかったので気付きませんでしたが、確かにこのヒラヒラ具合は面影がありますね。
「それでミスタ・アルテシウム」
「年齢も近いようですし、カミルで構いませんよ」
「そうかい? では、僕の事もギーシュと呼んでくれたまえ」
友達一人ゲットでしょうか?
「それで、カミル。単刀直入に聞くが君はミス・モンモランシと恋人だったりするのかい」
「いえ、お互いに家の跡取りですからね。それはありません。だからこそ気安い関係で、私にとっては大事な友人ですよ」
「本当かい♪ それは良かった」
周りからも安堵のため息が聞こえます。
モンモランシー嬢は、家の跡を継げない次男三男にしてみれば正にドストライクですからね。
高嶺の花であるアンリエッタ姫やルイズ嬢よりも、もしかしたら人気は上かもしれません。
ただ、ギーシュ君。
水の大家であるモンモランシ家のお婿さんは水メイジの方が有利かもしれませんよ。
少なくとも土のドットが不利なのは確実です。
しかも原作と違いモンモランシ家には財政的に余裕がありますから、逆に財政難なグラモン家には良い印象を持たないかもしれませんよ。
まぁ頑張ってくださいとしか言えませんが。
その後は、モンモランシー嬢を狙うなら安牌でありながら彼女と仲の良い私とはお近付きになっておいた方が得だろうと算盤を弾いた方々に自己紹介され、同じようにモンモランシー嬢から説明を受けた女性陣も加わって、お見合いパーティーのようになりました。
爵位の低いご令嬢から見れば、伯爵家の跡取りである私もなかなか優良物件なので、少なからず声をかけられます。
ま、私にはテファがいますから徒労になってしまうので申し訳ない限りですが。
ちなみに、そのテファは残念ながら会場にはいません。
いくらモード大公の娘でも平民のお妾さんとの子供では場違いというわけです。
一緒に過ごせないのは残念ですが、テファに変な虫がつかないという意味では、歓迎すべき事かもしれません。
テファと使い魔の契約を結んだ後の話はまた後で話すとして、今は顔を売る事に精を出しましょう。
◇◇◇◇◇
園遊会も無事に終わり、日が落ち、後2時間ほどで日付が変わろうかという時刻。
個人的な用事までまだ少し時間のあった私は湖畔を散歩しながら時間を潰しています。
『園遊会』『ラグドリアン湖』とくれば、アンリエッタ姫とウェールズ王子の密会に思い至ると思いますが、あれは原作開始の3年前、私と同い年のアンリエッタ姫が14歳の時ですから、今から2年後なので遭遇する危険はないはずです。
逢い引きの邪魔をするほど野暮ではありませんからね。
と思っていたのですが、
「止まりなさい」
「はい」
なぜ、目の前にピンク頭がいやがりますか。
「この先は今、立ち入り禁止よ……って貴方、ミスタ・アルテシウム」
「ご無沙汰してます、ミス・ヴァリエール。何やら事情がおありな様なので、私はこれで」
「待ちなさい」
逃亡は失敗したようです。
「ちっ…………なんでしょうか」
「今、舌打ちしなかったかしら」
「気のせいでは」
スマイル、スマイル。
「こほん、まぁいいわ。ところで、こんな時間にこんな場所で何をしているのかしら」
そっくりそのままお返ししたい所ですが、そちらの事情はむしろ知りたくないので流します。
「散歩ですが、何か」
「散歩ぉ?」
「それもそろそろ帰ろうと思っていた所ですので、失礼します」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ」
「なんですか」
「少し付き合いなさい」
「え~~」
「『え~~』って何よっ!!」
姉様やテファに関するあれこれや変なヴィンダールヴのルーンのせいで、もはや原作なんてあってない様なものですが、だからこそ私はアルテシウム伯爵家のスタンスとしてヴァリエール公爵家のルイズ嬢に必要以上に関わらない方が良いと思うのですよ。
「前から思ってたけど、貴方、私に対して隔意を持ってないかしら。今日の園遊会でも顔を見せなかったし」
「嫌ですね。何を言っているんですか」
「本当かしら」
「当然持ってますよ」
「持ってるのっ!?」
自分から言っておいて、何を驚いているのやら。
それにしても意外とショックが大きいみたいですね。
上げて落としたからですか?
まぁ、ちやほやされるのがデフォルトの公爵令嬢では耐性がまだないのでしょう。
「そ、そうなんだ。よ、良かったら理由を教えてもらえないかしら」
「構いませんよ。ではまず、ミス・ヴァリエールはトリステイン1の大貴族、ヴァリエール公爵家のご令嬢ですよね」
「そ、そうよ」
「しかも、恐れ多くもアンリエッタ姫殿下のお友達でもある」
「えぇ、大変名誉な事だわ」
「だからです」
「へ?」
「我がアルテシウム伯爵家は嗜好品の輸出を主産業としています。そのため交友関係は広く浅く、権力者には近付かない事を基本としていて、貴族間の権力争いには特に関わらないようにしています。不買運動でもされたら困りますからね」
「で、でも貴方はちぃ姉様の病気を治してくれたし、モンモランシーとは仲良しじゃない」
「カトレア様の治療については善意からでもヴァリエール家と繋がりが欲しかったからでもなく、交渉カードとして行った事です」
「…………どういう事よ」
「公爵から聞いていませんか」
「えぇ」
「それなら公爵が伝える必要がない。伝えるべきではないと判断したという事でしょう」
「何よ、それ」
「それを私から伝えるのは適切ではというのは分かってもらえますね」
「…………まぁ、いいわ」
「モンモランシーについては秘密の共有、家同士の繋がり、家格、メイジの系統、跡取り同士といった様々な要素が奇跡的に噛み合った上に、友人として馬が合った結果ですね」
サラッと説明してしまいましたが、これは本当に奇跡的な確率で、モンモランシーと友人になれた事は私にとって嬉しい誤算です。
「つまり家のために、あえて私には近付かないようにしてるって言いたいのね」
「そうです。ヴァリエール公爵家は王位継承権を持つお血筋。公爵にその気がなくても王に不満があれば必然的にその勢力は公爵に集まる事になるでしょう」
「王家に逆らうような不遜な輩にお父様が唆されるわけないわ」
「私もそう思いますが、この場合公爵の振る舞いはあまり関係ありません。王家から見て不穏分子が公爵に接触している事実さえあれば、警戒し対処する口実になります」
「そんな…………」
「今のは悪い可能性の話でしたが、こんな可能性もあります。例えば、アンリエッタ姫がアルビオン王家のウェールズ王子に嫁いだとします」
ルイズ嬢が背後を気にする素振りをしますが、そっちに誰がいるかなんて私は気付いたりしませんよ。
「その場合取り決めとして、お二人の第一子の性別に関わらず、第二子以降はトリステイン王家に養子に出す約定が交わされると思います」
「そういうものなの?」
「えぇ、そうすると恐れ多い想像ですが、人の命が有限である以上避けられない事態として現トリステイン王がお隠れになった際は幼い王子または王女が王位に就く事になり、当然それを宰相が支える事になりますが、さて誰になると思いますか」
「マザリーニ枢機卿、ではないのね」
「はい。その可能性も否定はしませんが、彼は他国の人間です。それは誰も舵取りをしなかった際の非常手段でしょう。というわけで、もうお分かりですね。第一候補はヴァリエール公爵です。ミス・ヴァリエールのお父上が引退していた場合は、三姉妹の内のどなたかの伴侶が宰相の地位に就き、実質的にトリステインを引っ張っていく事になります」
「普通に考えたらエレオノール姉様の結婚相手ね」
結婚できればですが、言わぬが花でしょう。
「そうですね。しかしこの話にはまだ先があります」
「まだあるの?」
「はい、この手の流れで行くと、幼い王子または王女の結婚相手は有力貴族を味方に付けるためにヴァリエール公爵家から選ばれるのが普通です」
「それって…………」
「条件は厳しいですが、もしアンリエッタ姫とウェールズ王子の第二子が女児で、もしエレオノール様とカトレア様のお子様も揃って女児で、もしミス・ヴァリエール、貴女のお子様だけが男児だった場合、トリステインの王位に就くのは貴女のお子様という事になるでしょう。そうすると貴女も王家の仲間入りという事になって、アンリエッタ姫とは極近しい親戚という関係になりますね」
ルイズ嬢は驚きの余り口をパクパクさせて言葉もないようですが、そこに追い討ちをかけるように背後の茂みから人影が飛び出してきます。
失敗しました。
少し時間をかけ過ぎたようです。
「なんて素晴らしいんでしょう♪」
「ひ、姫様っ」
「私がウェールズ様と結婚すると、ルイズと親戚、ううん、子供同士が夫婦になるならそれはもう家族だわ。私たち家族になれるのよ♪」
「ひ、姫様、離して、離してください。目が、目が回ってしまいますぅぅぅぅ」
クルクル回る二人に苦笑を浮かべながら同年代の美少年が私に歩み寄って来ます。
もうどうにでもなれですね。
「随分と面白い話をしているみたいだね」
「可能性の話ですよ」
「可能性か……」
「ちなみに自己紹介は勘弁してください。ミス・ヴァリエールはまぁ知り合いですから仕方ないですが、この後大事な予定が控えていますので面倒事は避けたいのですよ」
「あっちで姫とか言っているが」
「何のことやら聞こえませんね」
「ふふ、それじゃあ仕方ない」
目の前で笑っている美少年とは、テファと結婚すると平民の妾腹という設定ですが、形式上は一応親戚という事になるのでしょうね。
まぁ気にしたら負けなので、そこはスルーしておきましょう。
「それでは後の事はお任せして私はそろそろお暇させてもらいます」
「そうだね。僕たちもこれ以上長居している余裕はないし」
そこで言葉を切った美少年はおもむろに手を差し出します。
「僕はウェールズ。ただのウェールズだ。良かったら君の名前を教えてもらえないだろうか」
一瞬言葉に詰まりますが、こう言われてしまっては引き下がれません。
「カミルです。よろしく、ウェールズ」
「あぁ、カミル」
握手を交わした私たちは笑顔で別れました。
うん、何て言いますか、カリスマを感じてしまいましたね。
これが王家のオーラでしょうか。
小市民の私には持ちえないものですね。
さて、いい感じに時間も潰せた事ですし、そろそろ用事を済ませるとしましょうか。
「ミツハさん」
「うむ」
「湖の対岸までボートで運んでもらえますか」
「分かった」
テファと早々にくっついた辺りに批判的な感想をいただきまして、自分としてももっと慎重に進めるべきかとも思いましたが、幼いテファの純粋な憧れと恋心で一気に押さない限り、いつまでたっても使い魔になれなさそうだったのでこのまま行く事にしました。
テファの思惑無しに運命だけで主人公を喚び出し、キスまでしておいて恋愛感情なしという展開もおさまりが悪い。
かと言って、魔法学院2年目まで引っ張るのは論外と、まぁそんなわけです。