「わぁ~、ここがカミルが言ってた湖なのね」
「はい、ラグドリアン湖とは比べるべくもない手狭な所ですけれど」
「ううん、ここはこの小ささが絵本から飛び出してきたみたいで凄く可愛くて素敵だと思う」
「ありがとうございます、テファ。そう言ってもらえると嬉しいです。ここにはミツハさんとイズナさん、三人の思い出が詰まっている大切な場所ですから」
「いいなぁ、そういうのちょっと羨ましい」
「何言ってるんですか、テファ」
「えっ?」
「これからはテファもそれに加わるんですよ。これからこの湖は私たち四人の場所です」
「うん♪ そうだね」
初めてテファを連れてきた際、そんな会話をしたいつもの湖ですが、改めてどんな所にあるかというと、トリステインの北側国境沿いにある領地の一つであるアルテシウム領において、さらに北側に広がる森の中にあります。
この森は一応隣国ゲルマニアとの国境という事になっていますが、その規模は隣接してるとは言い難いほど広大で、そこは亜人や幻獣の跋扈する未開の地でもあります。
当然奥に行けば行くほど命の危険は増していきますが、そんな森でも入り口付近は比較的安全で、ミツハさんと魔法の訓練に励み、それをよそにイズナさんが気持ち良さげに泳いでいる、そんな子供の頃から慣れ親しんだ憩いの場がいつもの湖です。
しかし今ではそこでの過ごし方に新しいエッセンスが加わっています。
それは、時に眠りに誘う日だまりの様な優しい音色であったり、またある時はついつい踊り出したくなってしまう様な陽気な音楽が流れるのです。
その旋律に誘われる様に小鳥たちを始め、リスにウサギにシカにキツネにクマなどなど、動物たちも集まるようになりました。
そんな今までの日常に変化をもたらしたのは、新しく日常に加わった私のパートナーであるティファニアです。
ティファニアはアルビオンの大公家では平民のお妾さんとの子供という微妙な立場に加え、世継ぎにはしないというスタンスを明確にするために貴族令嬢のするような教育を受けさせる事ははばかられ、そのため昨年開かれた園遊会の後始末が落ち着いた夏頃からアルテシウムの家に花嫁修行に来ています。
湖に連れて行ったのはティファニアがこちらに来て最初の虚無の曜日でしたから、もう1年ほど前になりますか。
息子の婚約者が花嫁修行に来るという異例の事態に対して、我が家の反応ですが、姉様がお嫁に行ってしまって幾分寂しそうにしていたお母様は大喜びで迎え入れ、執務の合間に時間を合わせて一緒にお茶をする程です。
使用人たちは当初、未来の伯爵夫人という事でかしこまっていましたが、今ではティファニアの愛くるしい人柄にすっかり気を許しています。
元々田舎貴族という事で、ウチはその辺が緩いですからね。
最後にお父様ですが、これはまぁいいでしょう。
研究職の人間に研究以外の場面で社交性を求めてはいけません。
しかも相手が子供で異性で息子のお嫁さんときては対応に困るのは火を見るより明らかというものです。
さて、話を湖に戻しますが、最初は使い魔契約の時に降って沸いたオカリナの練習でした。
それを聴いたティファニアがハープを奏でる様になり、私も幼少の頃から習っているバイオリンを持ち出し、新しい音を求めて軽快なテンポが出せて、かつ自然に調和する音色という事から木琴を用意したりもしました。
さらに一緒に演奏したいと言うイズナさんにはカスタネットとタンバリンをプレゼントし、ミツハさんは音楽に合わせて水を飛ばしたりと視覚的に楽しんでいます。
思いがけず悔しい思いをしたのは、イズナさんが後ろ足と尻尾でバランスを取って立ち上がった姿勢で、ぷにぷにした肉球の小さな手で楽器を叩く可愛さ爆発の姿を写真に残せなかった事で、「ガッデムっ!! カメラさえあればっ」と思わずキャラを忘れてネタに走ったほどです。
ミツハさんの方ですと、水を使った楽器という事でグラス・ハープに挑戦した時は大変喜んでもらえた事が印象的でした。
そんな賑やかになった湖での一時ですが、原作でムツゴロウ王国を作っていたカトレアさんとは違い、私の方で食物連鎖のヒエラルキーが無視されている現状にはしっかりと種も仕掛けもあります。
それは右手の甲に刻まれたヴィンダールヴ改のルーンとオカリナの力です。
あらゆる幻獣を操るというヴィンダールヴですが、『改』となった事でオカリナの音色に意思を乗せる事で幻獣以外の生物、動物や昆虫なども操る事ができるようになりました。
文字通り『操る』事もできますが、基本的には無条件に好感度MAXな状態から『お願い』するといった仕様です。
ちなみに湖で音色に込めている想いは「湖から見える範囲では仲良く」です。
そんなおとぎ話の1ページの様に動物たちに囲まれながらハープを奏でるティファニアの姿は、妖精やお姫様といった美しさがあり、ついつい見とれてしまいます。
「カミル? どうかしたの」
「ん、何がですか」
「なんだか、ずっとこっちを見てるみたいだったから」
「すみません、邪魔しちゃいましたね」
「う、ううん、そんな事ないよ」
慌てて否定するティファニアの可愛らしい素振りに頬がゆるんでしまいます。
「絵の授業の次の題材に、湖での一時、動物たちに囲まれてハープを奏でるテファを描いてみようかなと思いまして、その構図を考えていました」
「えぇっ!? そんな、は、恥ずかしいよ……」
慌てるティファニアも可愛いですが、照れるティファニアの方が破壊力は上です。
「私の画力ではテファ本来の可愛らしさや美しさを十全に表現するのは難しいですが、全力で事に当たる事を約束しますので、ぜひ許可をください」
芝居がかった仕草で恭しく礼を取ります。
「えっとね、カミル」
「はい」
「その絵は湖での一時なんだよね?」
「はい」
「なら、カミルも一緒に描かれてなきゃ駄目だよね?」
「えっと……」
「だからカミルも一緒に、出来れば、その、私の隣りに描いてくれるなら、恥ずかしいけど、い、いいよ」
指を成長著しい胸の前でモジモジさせながら上目使いのコンボは反則です。
何度見てもその可愛らしさに胸が高鳴ってしまいます。
「分かりました、テファ。私だけと言わず、イズナさんにミツハさんも加えた、みんなの絵を描きますね」
「うん♪ 楽しみにしてるね」
自画像は絵画の基本ですから構いませんが、向こうが透けてるミツハさんは難しそうですね。
全力で頑張りましょう。
◇◇◇◇◇
カミルの母イレーヌです。
息子のしでかした案件に頭を痛めている今日この頃です。
早熟だった息子は、使用人や家庭教師を困らせる事なく育ち、礼儀をわきまえ、無体な事もせず、勤勉で努力家、研究や領地経営にも意欲を示し、残念ながら他を圧倒するような才能に恵まれているわけではありませんが、逆に苦手な事もなく、このまま成長して行けば手堅く堅実な領主となる器だと、親の贔屓目なしに思っていました。
実際、姉であるジュリアの結婚に際して、行動を起こす前にはきちんと私たちに相談を持ちかけ、モンモランシ家、ヴァリエール家との交渉も無難にまとめる手腕を見せました。
しかし、いくらしっかりしていようと息子はまだ10を過ぎたばかりの子供。
どこかで失敗するかもしれないと注意はしていたのですが、まさか他国とはいえ自国の王の兄弟でもあるモード大公のご息女を婚約者として連れて来るとは思いもしませんでした。
しかもその娘さん、ティファニアさんは伝説の虚無のメイジで、息子がその使い魔になるなど想定外にも程があります。
水の精霊様に気に入られているだけでも情報の取り扱いには注意が必要だというのに、虚無の系統などというブリミル教絡みの問題は一歩間違えれば大惨事が待っているのは火を見るより明らかです。
せめてもの救いは、当事者を含む両家において問題意識を共有できている事と、息子の持つ虚無の知識でしょうか。
知らなければ対処のしようもありませんから。
ただ、息子いわくヴァリエール家との交渉で得たお金を使ってブリミル教の司祭から本国ロマリアの研究機関の情報を得ていたそうですが、説明している際の様子から何か誤魔化している雰囲気が感じられ、追求はしませんでしたが、後ろ暗い事があるのかもしれません。
貴族の当主としては、時に物事を円滑に進めるために、または大を生かすために必要に駆られて、手を汚す選択に迫られる機会は何度となく訪れるでしょうし、人命がかかっていれば避ける事はできません。
そのため清濁併せ呑む度量があるのは望ましい事なのですが、今回のそれはその片鱗なのか、小心ゆえの誤魔化しなのか……。
とりあえず、こちらが断りづらい状況で婚約者を紹介した事は評価できます。
息子の初の実戦であるオーク鬼討伐の作戦中に、不可抗力とはいえ命を助けられるというアクシデントを逆手に取って、あちら側の根回しを済ませた段階で命の恩人として紹介する。
さらに、あちらの家庭問題を解決し、夏には一週間ほど一緒に過ごした実績を引き合いに出す。
他国とはいえ自国の王の兄弟でもある大公家との話を断るのはそもそも難しいと言うのに、ティファニアさんは平民との妾腹で跡継ぎは他に養子を取るため極力しがらみは無くしてある事や、オックスフォード家・サウスゴータ家との経済協定の裏には大公家とは表立って繋がらないというアピールがあった事など、細々としたものまで挙げられてしまえば、最早こちらには頷く以外の選択肢はありません。
我が息子ながら「お見事」と言わざるを得ませんが、アルビオンでの我が家の外交戦略はトリステインとは違う路線になるのは諦めるしかありません。
そして、その事がトリステインにどう影響するかは未知数です。
と、長々と説明させていただきましたが、息子の成長を嬉しく思いつつも、その結果に頭を痛めている現状というわけです。
そんな私に癒やしを与えてくれるのは、新しく出来た娘のティファニアさんです。
嫁ぎ先に花嫁修行に来ている以上、それはもう嫁と同義。
使用人たちにもその様に言い含めてあります。
彼女は問題の中心でもありますが、それはそれ、これはこれ。
純真可憐という言葉を体現しているティファニアさんは、『理想の娘』の一つの形と言ってしまっても過言ではありません。
貴族としての教育を受けていないため現時点では貴族の嫁として落第点ですが、それは後から覚えればいい事で、その優しい心根、柔らかい物腰、好奇心と行動力に見られる純真さ、くるくると変わる愛くるしい表情、美しい金の髪、ちょっとたれ目なのが愛嬌のある大きな瞳、スッと通った鼻筋、可愛らしい小さな口元、シミ一つない白い肌、スラッと伸びる四肢、成長著しい女性の象徴、聴く者に安心感を与える美声など、母親としての立場から見て、息子の嫁としては申し分ない所か、むしろお釣りが出てしまいます。
本人たちも至って仲むつまじい様子で、午前中は天気の許す限り毎日一緒に森に出掛けていますし、午後は政務だったり授業だったりと別々になってしまいますが、その分夕食後に今日はこんな事をした、こんな事を習ったと会話に花を咲かせています。
子供のそういう所は見ていて大変微笑ましく、このまま何事もなく時が過ぎる事を祈らずにはいられません。
もちろん祈るだけではなく、そのための努力は惜しみません。
いざとなれば泥も被りましょう。
親として出来るだけの事はしてあげたいですからね。
気が早いですが、元気な孫の顔も見たいですし。
まずは結婚式が先ですが、魔法学院の入学前か卒業後かは迷う所ですね。
ティファニアさんにベタ惚れな息子が心変わりするとは思いませんが、その場の勢いというものもありますし、変な虫が付いても困ります。
ティファニアさんを入学させるかは、息子いわく幻覚を見せる魔法を覚えれば問題ないそうですが、今の所は保留、情報漏えい等の安全を取るなら却下。
我が家としては外聞的に見栄を張る必要はないので、魔法学院を出ていなくても嫁として問題はありません。
ただ3年間の寮生活で離れ離れになるのは、若い2人にとっては少々酷かもしれませんね。
かといって、入学したらしたで互いの部屋に入りびたりそうで心配ですが……。
これについては相手側の問題でもありますし、よく相談しておきましょう。
色々大変ですが、家族の幸せのためです。
頑張りましょう。
テファの事情について、カミルの実家にはエルフである事は伏せられています。
ミツハさんしか外せないマジックアイテムで耳を隠しているので、感覚としてはもう人間と変わりません。
テファは先住魔法使えない所か、虚無メイジですしね。