『それでは、よーい…スタート!!!』
司会からの号令と共に、スタートラインに並んでいた自転車に乗った人達は一斉に走り始める。
たった今始まったのは、ミラクルサイクルという自転車販売会社が主催するサイクルレースだ。参加費を払えば手軽に誰でも参加できるだけでなく、優勝すれば賞金だけでなく貴重なひでんマシンが商品として貰えるからなのか、参加者達は力の限り自転車のペダルを漕いでいく。
その中で赤い帽子を被った少年――レッドは、この前知り合ったポケモン大好きクラブの会長から貰った引換券を使って手に入れた自転車に乗ってレースに参加していた。ところが、彼が乗っている自転車はタダで手に入れた安物だからなのか、幾ら漕いでもスピードは出なくて順調に加速した周りの選手達に次々と抜かされて行く。
「あぁ~、これじゃ優勝どころ上位に入賞することも出来ねえよ」
優勝賞品であるひでんマシン欲しさに、勢いで参加費三千円を払って出場したことをレッドは後悔し始める。仮に優勝出来なくても入賞することが出来れば賞品は貰えるが、これでは参加賞止まりだ。そんな若干意気消沈気味の彼に、後ろから追い付く自転車があった。
また抜かされるのかとレッドは思ったが、その自転車は追い抜くどころか彼と並走する様に逆にペースを下げた。
「随分と離されたなレッド」
親しげに声を掛けられたレッドは、漕ぎながら相手の顔を窺うとすぐに驚いた様な表情に変わる。ヘルメットを被っているが、話し掛けてきたのは大分前にカスミの屋敷で別れたアキラだったのだ。
「久し振りだなアキラ! 怪我はもう大丈夫なのか?」
一緒に途中まで旅をしたかったのだが、直前に負った怪我の所為なのや待とうとする自分を彼が予定通りに行く様に勧めたので、止む無く彼は先に一人で出てしまった。なのでまた会う機会は大分先になるだろうと思っていたので、まさかの再会に興奮しない訳が無かった。
「あぁ、ほぼ完治している」
ブーバーに殴られた腹部に多少跡は残ってはいるが、後遺症は無いので完治したと言っても過言ではない。元気そうな彼の姿を見ることが出来て、ようやくレッドは頭の片隅で気にしていた肩の荷が降りた。
「にしてもお前も参加しているとは思っていなかったぜ」
「まあ俺も上位に入賞した時の賞品が目当てで参加しているけど」
本当はレッドが参加しているかを確認するだけのつもりだったが、上位に入賞した時の賞品を見て急遽参加を決めた。六位にまで入れば参加費を取り返せるだけの賞金が手に入るが、彼が参加を決めた決め手となったのは、三位から二位までに入れば賞品としてわざマシンをランダムに一つ貰えるからだ。
ただ、良い技が覚えられるわざマシンだと良いが、あまり期待し過ぎてガッカリするかもしれないのであまりハードルは上げないようにしていた。
「でもさアキラ」
「なんだ?」
「上位に入れたらそりゃ嬉しいけど、今の俺達じゃ無理じゃね?」
こうしてのんびりと話しているが、既に二人の周りに他の選手はいなく置いてけぼり状態だ。それもその筈、参加人数が多い上にプロまで混じっているのだ。素人が市販の自転車で飛び入り参加をしても、
そう普通なら、幾ら賞品が欲しくてもアキラは参加する決意はしなかった。
参加するのを決めたのは、原作でこの先に逆転のチャンスがあるのを知っているからだ。上手くやれるかは別ではあるが、今の手持ちなら十分に可能な筈だ。その事をレッドに教えても良かったが、進んでいけば彼は自ずと自然に対応出来るので敢えて今は教えなかった。
純粋な自転車レースと信じ込んでいたレッドは、参加したことを半分後悔しながらも知っている友人と再会出来ただけでも満足なのか、旅は道連れと言わんばかりに一緒に行くことにした。
しばらく二人は一緒に果てしなく続く一本道を進んで行くが、コースの先に人だかりが出来ているのが徐々に見えてきた。
「皆どうしたんだ?」
「さあ」
理由がわからずレッドは尋ねるが、アキラも知らないと言わんばかりの返事を返す。
勿論原作を読んできた彼は、人だかりが出来ている理由は知っている。
人だかりに追い付き、様子を窺うと一本しか川に掛けられていない橋を選手が一人ずつ順番に進んでいた。
「なんだ、川くらい順番待ちしないで渡ればいいじゃん」
「そういう訳にはいかないみたいだよ」
今にも川に飛び込みそうな友人の肩を掴み、アキラは川を指差す。
川の中には、本来なら海にいるはずのドククラゲが大量にウヨウヨと泳いでいたのだ。
「え!? 何でドククラゲがこんなところに!? てか、レースなのにこんなのアリ?」
「そのとーり!!!」
まさかのレースの障害にレッドは驚くが、直後に水泳帽にゴーグル、海パンを履いた男が意気揚々と二人に、さっきの司会の説明には無かったこのレースの本当の姿を教えてきた。
突然始まった解説に、レースの本当の姿を知らないレッドと知っていたアキラもあまりの唐突さに驚きを隠せなかった。
一通り説明し終えると、海パン男は満足したのか連れていたヤドンの背中に乗ってドククラゲに襲われること無くあっという間に川を渡って行った。
「――速いなあのヤドン」
鈍足であるはずのヤドンが、見ていて速いと思えるスピードを出しているのにアキラは感心していたが、今の説明からヒントを得たレッドはニョロボンを出す。
後の流れは、アキラが知っている通りだ。
ニョロボンが放つ”れいとうビーム”で川に氷の橋を掛けて、その上をレッドは駆け抜けて川を渡り切ったのだ。
「先に行ってるな!」
向こう岸に残っているアキラに大声でそう伝え、レッドは再び走り始めた。
ここに来るまでに何回も漫画で知っている場面を目の当たりしてきたが、やっぱり何度見ても凄く感じられるものだ。
「よし。俺も行くとするか」
アキラも続こうとしたが、レッドが新しく作った氷の橋に他の選手達が殺到して来て、渡ろうとした彼は弾かれた。折角のチャンスを横取りにされた気分だったが、弾かれたことは逆に良かったのを彼はすぐに知ることとなった。
レッドは簡単そうに渡っていたが、彼が作った橋は氷で出来ている。つまり滑りやすいのだ。
実際に先に渡ろうとした何人かの選手は、不注意でタイヤを氷で滑らせて川に落ちてしまう。
そこにドククラゲ達が毒入りの触手を伸ばしてくるので、川に落ちた選手達から悲鳴が上がる。
しかも悪いことは重なる。
急繕いなので耐久性が無いのか、橋の上を渡ろうとする選手達の重量に氷が耐え切れず、氷の橋は崩れてしまったのだ。
結局レッド以外誰も氷の橋を渡ることが出来ないまま状況は振り出しに戻り、大半は元々あった橋で渡る順番を待つが、何人かは連れていたポケモンの力を借りて川の先へと向かった。
「――さて、どうしようか」
一連の流れを見届けて、アキラは自分はどうするか考え始めた。
最初はレッドと同じ様にミニリュウの”れいとうビーム”で橋を作って貰おうと考えていたが、今の結末を見る限りでは壊れたり滑らない保証は無い。ひこうタイプのポケモンが欲しいが、他にも手はある。
ならばと思い、彼はゲンガーをボールから出した。
「スット、”サイコキネシス”で俺を川の向こうに運んでくれないか?」
基本的に念の衝撃波を放つ形だが、”サイコキネシス”は相手を持ち上げたり、遠くの物を動かしたりすることも可能だ。攻撃以外にもイタズラなどにゲンガーは何時も応用していたので、アキラはこの力を利用して自転車ごと自分を運んで貰おうと考えた。
しかし、面倒なのかゲンガーは露骨にやる気の無さそうな様子だった。
「頼むスット。お前の力じゃないと解決出来ないから困っているんだ」
アキラは縋る気持ちでゲンガーにお願いする。もしこれでダメなら、大人しく橋の順番を待つしかない。しばらく間を置くと「やれやれ」と言った表情で、ゲンガーは自転車に対して”サイコキネシス”を発揮した。
浮かせるだけでも少し時間が掛かったが、ゆっくりと川の上を浮遊させて無事にアキラの自転車は川を渡った先に運ばれた。
「ありがとうスット。次は俺を運ぶのもお願い」
続けて頼むが、自転車を運ぶだけでかなり消耗したのかゲンガーは疲れた様子で仰向けに倒れ込む。もう少し頑張って欲しかったが、珍しく肩で息をしている姿を見るとかなり無理な事を強いてしまっていたのだろう。
「ご苦労スット。戻っても良いよ」
アキラは労いの言葉を掛けつつ、ゲンガーをボールに戻す。
ゲンガーがダウンしてしまった為、彼は他に移動する手段は無いか知恵を振り絞る。
中々妙案が浮かばなかった時、急にミニリュウが入っているボールが揺れ始めた。珍しいと思いつつ、妙案があるのかと期待してアキラはミニリュウを召喚する。
「どうしたリュット。何か考えがあるのか?」
体を屈めて、アキラはミニリュウと向き合った。
しかし目の前のドラゴンは、彼の尋ねることには何も反応せず尾に力を入れて構えた。今までの経験から嫌な予感がするのを感じ取った直後、覚えのある強烈な衝撃と共に彼は宙を舞っていた。
突然ではあったが、何とか体勢を安定させて地面に叩き付けられてから勢いが弱まるまで、彼は無造作に転がった。
ようやく体が止まり、全身の至るところから感じるズキズキとした痛みをアキラは堪えながら体を起き上がらせる。転がった影響で目は回って視界は安定しなかったが、周囲を見渡すと近くにさっきゲンガーが運んだ自分の自転車があった。
「――随分と…荒っぽいな」
確かに荒い手段だが、もしミニリュウに叩き飛ばされなくても自分はこれに近い手段を取っていただろう。痛い目に遭うことに慣れたこともあり、これはこれで有りだとアキラは思う。何より、ミニリュウが不器用且つ荒っぽくも向こう岸に送ってくれたのだ。手持ちに加えたばかりの頃を考えれば大きな進歩だ。
フラフラしながら立ち上がったアキラは、服に付いた葉や土を叩き落とす。
打ち付けられた体の所々が痛むが、頭はヘルメットを被っていたおかげで少し痛む程度で済んでいた。今の出来事を目の当たりにした他の選手達はざわめいていたが、彼は気にせず川の向こう側に残っているミニリュウをボールに戻すと、レッドの後を追うべく自転車を走らせた。
「う~ん、やっぱり痛いな」
慣れてきたとはいえ、やっぱり痛いのを感じることは辛い。
結局アキラは、体に気を使って少しゆっくり走ることにする。
ペースダウンしたことで、折角順位を一気に上げれたのに橋を渡り切った選手達にまた追い抜かれて行く。
何も知らなかったら焦るところだが、この先にさっきの川と同じ様に一気に順位を上げるチャンスがあることを彼は知っているので焦っていなかった。
しばらく進んでいると、徐々に今大会の正規コースの一つであると同時に近道である大きな森が見えてきた。先に進んでいた選手達は軒並み遠回りの道を選んでいくが、レッドが森を通るのに用いた方法を知っているアキラはそのまま直進し続け、腰に付けていたボールを手に取った。
「エレット、出てくれ」
原作でレッドは、ピカチュウの電撃でむしポケモンを蹴散らしながら森の中を進んでいた。それを再現しようと彼は同じでんきタイプであるエレブーを後ろの荷台に座らせる形でボールから出したのだ。
ところが――
「重…ぃ…」
突然ペダルが固くなって、アキラは大きくペースダウンすることになった。
この時アキラは、標準的なエレブーの体重は30kg程なのを忘れていた。体を痛めている今の状態ではとてもではないが二人乗りの形で森の中を駆け抜けるのは無理であった。
彼は一旦自転車を止めて、プランB「道を切り開く作戦」に変更する。
作戦の要であるサンドパンを出すが、残念なことにエレブーと大して重さは変わらなかった。それに道を切り開かせたいのなら、エレブーの様に後ろの荷台に乗せていては意味が無い。ポケモンを自転車に乗せるのが無理なら並走させることも考えるが、彼らのスピードでは自転車と並んで走るのは難しいだろう。
さっきの川を渡る辺りから尽く目論見が頓挫していくのに、アキラは頭を抱える。
手持ちの力を借りれば上位入賞くらいは出来るだろうと思っていたが、やっぱり知っているだけでは、レッドがやったことを真似るのは色々無理があるらしい。
仕方なくアキラは真似では無く、今の自分でも可能な方法を考え始めるが、中々解決策が浮かばず時間だけが過ぎていく。こうして足止めされている間に彼は他の選手に抜かれて行くが、腰に付けているボールの一つがまた揺れ始めた。
ミニリュウかと思ったが、ボールを揺らしていたのは普段は動かないブーバーだった。さっきの流れを考えると不穏な空気が感じられたが、藁にも縋りたい気持ちだったアキラはブーバーをボールから出すのだった。
「アキラ、大丈夫かな?」
作戦が頓挫してばかりでアキラが足止めをされていた間、レッドは途中でスピアーに襲われるハプニングに見舞われる以外は問題無く森を抜けてトップを目指していた。
カスミの屋敷を出た時の様に置いて行った友人が何をしているのか気になるが、あの時とは違って彼は元気だ。
時間は掛かってもゴール地点にいれば会えるはず。
そう考えて、レッドは自転車を漕ぐスピードを上げる。
参加している選手達を阻む数々の障害を乗り越えた今なら、順位はトップを目指せる程に上がっている確信が彼にはあった。
「よし、このまま行けば――ん?」
気を取り直して自転車を加速させようとした時、目の前に大きな何かが見えてきた。
近付いてみると、さっき会った海パンの男と虫取りの少年が行く手を阻まれているのか、立ち往生していた。
「どうしたの?」
「おお、君か我々はもうダメだ」
「ここを通れなきゃゴールできないよ」
事情を尋ねると、会った時は自信満々だった彼らは何故か諦め気味の様子だった。
確かに目の前にコースを丸ごと遮る障害物はあるが、数々の障害を乗り越えた二人ならこのくらい問題ない筈だ。一体何故と思い、レッドは巨大な岩の様な障害物を観察するが、すぐにこれが岩では無いことに気付いた。
「あっ! カビゴン!!」
耳を澄ますと聞こえるいびきに噂で聞いたことのある巨体から、レッドは目の前の障害物がいねむりポケモンのカビゴンであるのを悟った。
「来たら寝てたんでーす。動きやしない、もう!」
海パンの男が呆れた様子で経緯を説明するが、正体がわかったレッドはすぐにこの障害の解決策を閃いた。
確かに巨大だが相手はポケモン。バトルで弱らせてからボールに入れてしまえばすぐに解決だ。
ニョロボンを繰り出していざ勝負――と言うタイミングで、彼らは自分達が通ってきたコースから轟く様な音が聞こえてきた。
振り返って見ると、遠くから物凄い量の土煙が舞い上がっているのが見えた。
「あれはなんですか?」
「誰かが来たってことだろうけど」
あれだけの土煙だ。恐らく尋常では無い何かが起きているのだろう。三人の視線は、土煙を巻き上げている元に向けられる。
徐々に自転車が見えてきたから、他の選手が追い付いたのだと片付けようとしたが、レッドは自転車に乗っているのが見覚えのある人物なのに気付いた。
レッドが気付くと同時に、悲鳴にも似た甲高いブレーキの音を響かせながら猛スピードで走っていた自転車は一気に減速する。ところが勢いを殺し切れず、自転車に乗っていた人物は投げ出された。
「受け止めるんだニョロボン!」
すぐにレッドは自転車から投げ出されて宙を舞っていた人物を助けるのをニョロボンに命じる。ニョロボンは跳び上がると、地面に叩き付けられる前に投げ出された人物を受け止めてそのまま着地する。同じく勢いで宙を舞っていた自転車の方は、これもまたレッドが良く知るポケモンであるブーバーがしっかり抱えた状態で着地したことで傷一つ付かなかった。
「た…助かった…」
「何をやっているんだアキラ?」
すっかり腰を抜かしているアキラに、レッドは事情を尋ねる。
あの後、要望通りにブーバーを出したアキラは、言われるがままに自転車に乗った状態で言い出しっぺのひふきポケモンを荷台の上に座らせた。その直後、後ろ向きに座っていたブーバーは口から”かえんほうしゃ”を一気に吐き出したのだ。
凄まじい勢いで放たれた炎によって、強力な推進力を得た自転車は常軌を逸したスピードを実現、一気に森を突き抜けてここまで来たのだ。
「すげぇな…」
経緯を説明すると、レッドから称える様な眼差しを向けられたが、正直言ってあの状況からここまで来れたのは奇跡に近い。辛うじて自転車を最後まで安定させられたが、あんな転んだら大怪我間違いなしのスピードを出すのはもうごめんだ。
体に力が戻ったのを確認して、アキラは自転車に寄り掛かっていたブーバーをボールに戻す。突然の登場に海パンの男と虫取り少年は唖然としていたが、アキラとレッドは気にすることなく目の前のカビゴンに目をやった。
「レッド、これは…」
「カビゴンだ。これから俺が退かしてやるから待ってな」
レッドは意気揚々に、今度こそニョロボンをカビゴンに突っ込ませる。
ニョロボンは、みずとかくとうの二つのタイプを併せ持つ。特にかくとうタイプを有しているおかげで、接近戦での打撃攻撃は強力だ。
ところが幾らカビゴンに攻撃を仕掛けても、ニョロボンの攻撃は「ボヨン」と言った擬音と共に尽く弾かれる。ゲーム的に考えるとカビゴンの防御力は低いはずだが、現実は見た目でもわかるこの分厚い脂肪がゴムの様な弾力を実現して打撃攻撃を和らげているらしい。
「なんだこいつ。ブヨブヨした体のクセに」
「落ち着いてレッド。物理的な攻撃がダメなら特殊な攻撃に切り替えたらどうだ?」
アキラの尤もな意見にレッドは納得すると、ニョロボンに”れいとうビーム”を放たせる。
しかし、この攻撃も体の一部が凍り付くだけで効いているとは言い難かった。
「全然効かねえぞ。本当に倒せるのか?」
「おかしいな」
カビゴンは特殊防御が高いので、この展開は容易に想像出来ていた。けれどゲーム的に最も有効であるはずの攻撃でダメージが与えられないのでは、打つ手が無い。
ポケモン図鑑を開き、レッドは目の前のカビゴンの能力値を確認する。図鑑に表示されたカビゴンのHPは一応削れてはいたが、ニョロボンの攻撃が止まると目に見える速さで回復していく。
「僕達もあの手この手と散々やってみたんだけど」
「この通り、寝ているから攻撃してもすぐに回復してしまうのでーす」
「”ねむる”か…」
状態異常を含めて体力の全てを回復する技である”ねむる”は、確かに使われると面倒だがここまで厄介だっただろうか。取り敢えずカビゴンの様子を見る限りでは、一撃でHPを0にするか、回復し切る前に絶え間なく攻撃を与え続ける必要があると言うことだ。浮かび上がった方法の前者に、アキラは心当たりがあった。
いや、恐らくこの四人の中では自分しかできない。
「レッド下がって。今度は俺がやる」
レッドを下がらせて、アキラは腰に付いている五つのボールを全て展開する。
出てきたエレブーとサンドパンはやる気満々だが、ミニリュウとゲンガー、ブーバーは如何にも面倒そうな雰囲気で、今にもボールに戻りそうだった。
だけど三匹にはやる気を出して貰わなければ困るので、彼は提案する様に尋ねた。
「”合体攻撃”をやってみないか?」
アキラの提案にエレブーとゲンガーは目を輝かせ、ブーバーも興味を示し、サンドパンは名案と言いたげな表情を浮かべ、ミニリュウもブーバー程ではないが興味あり気だ。
”合体攻撃”とは、彼らが見ていた番組で度々出ていた必殺技だ。
やったことは無いが、能力値が高く技の威力に恵まれた彼らが協力すれば必殺の一撃を繰り出せるだろう。手持ちがやる気になったことを確認した彼は、手始めに強力な飛び技が乏しいサンドパンに”ものまね”でミニリュウの”はかいこうせん”を真似させて準備させる。
それから少し距離を取り、五匹はカビゴンを見据えて何時でも技が出せる様に構えながら一列に並ぶ。
「今だ!」
合図を出すと、”かえんほうしゃ”、”でんきショック”、”ナイトヘッド”、”はかいこうせん”、”れいとうビーム”などの光線技が一斉に放たれる。
放たれた五つの光は互いに絡み合い、正に”合体攻撃”と呼ぶに相応しい鮮やかな輝きを放ちながらカビゴンに命中する。直後に激しい爆発が起こり、生じた衝撃波や振動が周囲に広がる。一見やり過ぎだが、これくらいやらねばカビゴンを戦闘不能には出来ない。相手は将来レッドの手持ちになるポケモンなのだから、手加減無用と彼は考えていた。
しかし、今放った”合体攻撃”は見た目こそは派手ではあったが、煙が晴れるとカビゴンがさっきとは変わらず寝続けていた。
「くっそ~、ダメか」
事態が好転しないのにレッドは悪態をつくが、アキラは冷静だった。
一撃で倒すのがベストだが、これ程の攻撃を叩き込んだのからかなりHPは減っているはずだ。
回復し切る前に次で仕留める。
技を放った後の反動で動けない時間を利用して、アキラはレッドのポケモン図鑑に表示されているカビゴンのHPを確認するが、映っていたデータに目を疑った。
「へ、減っていない!?」
何とカビゴンの体力は半分以上減っているかと思いきや、その半分も削れていなかった。
こうして確認している間にもカビゴンのHPは回復していき、遂には完全に回復してしまった。
正真正銘、今連れているポケモン達が平時で出せる最大級の技をぶつけたにも関わらず、こんな結果で終わってしまうことにアキラは動揺を隠せなかった。
「ちょっと待って、幾らなんでもおかし過ぎる! どうして!?」
「それはこいつが寝ているからでーす。試しに何か続けて出せる技を仕掛けてみてくださーい」
寝ているから回復しているのはわかっていることだが、一体どういうことなのだろうか。
試しにアキラは海パン男の言う通り、サンドパンに”どくばり”、エレブーに”でんきショック”を可能な限り浴びせ続ける様に命じた。どちらも威力は低いが、出し続けることが出来る技だ。それを同時に与え続ければ、ある程度のダメージは期待できる。
二匹が攻撃を始めたのを見届けて、もう一度レッドのポケモン図鑑からカビゴンのHPの減少具合を確認する。威力は低いので、HPゲージの減る速度が遅いことは承知している。
だけど、あまりにも鈍過ぎる印象を受けた。
まるでダメージと同時に他の処理をしている様な――
「もしかして……ダメージを受けると同時に回復していませんか?」
「その通りでーす。ですから回復率を大きく上回る攻撃でもしないと無駄なのでーす」
「な、なにそれ」
明らかになった理不尽な事実に、アキラは驚愕する。
ダメージを受けてから回復ではなく、寝ている間は常時回復状態。しかもダメージを受けると同時に回復も進むとなると、倒すのは一苦労だ。
ましてや相手は耐久力に優れたカビゴンだ。
普通に倒すことも難しいのに、さっきの”合体攻撃”やかくとうタイプがあるニョロボンでもまともにダメージを与えられなかったのだから、これでは今の自分達で倒すのは無理だ。
「倒すんじゃなくて動かすってのはどうだ?」
倒すことを諦めたレッドはカビゴンを動かすことを提案するが、こんな巨体を動かせるのなら苦労はしない。一応力づくでは無い解決策をアキラは知っているので、そろそろ言い出そうと思ったが、出していた手持ちが各々自分達なりにカビゴンを退かそうと行動を起こし始めた。
「あの…ポケモン達が勝手に動いているんだけど、良いの?」
「何時ものことですので」
「完全に慣れたなアキラ」
あの様子では止めても無駄だろう。
状況によっては、激流に身を任せて同化した方が負担は少ないことを学んだ事もあって、アキラは彼らの気が済むまで好きにやらせることにした。
ミニリュウやブーバーは”たたきつける”や”ほのおのパンチ”で攻撃するが、ニョロボン同様にカビゴンの分厚い脂肪に阻まれて手応えは感じられなかった。
ゲンガーは”サイコキネシス”で動かそうとするが、対象が重過ぎてビクともしない。
サンドパンとエレブーも攻撃したり、体を押したりと奮闘する。
しかし、これだけ手を尽くしてもカビゴンは起きることは無かった。
唯一変化があったとしたら、ただ背中を掻く為だけに寝返りを打ち掛けたくらいだ。
動いた時は皆期待感を抱いたが、背中を掻き終えたカビゴンは再び道を塞ぐ形に戻り、変わらず大いびきを唸らせ始めた。
「ダメか…」
残念な結果にアキラ以外の三人は肩を落とす。
エレブーとサンドパンも自分達では無理だと悟ったのか、疲れた様に座り込む。そろそろ頃合いだと、アキラは手持ちをボールに戻す準備に入ったが、他の三匹はカビゴンの舐めた態度に完全に頭にきたのか意地でも退かそうと攻撃を続ける。
いい加減諦めて欲しいものだと見守っていたが、攻撃を続ける内にカビゴンの顔が幸せそうな寝顔から苦しそうな表情に変わった。流石に執拗な攻撃に耐え兼ねて起きるのかと思ったが、それは大間違いだった。
誰だって心地良く寝ているのを邪魔されると不機嫌になるものだ。
そしてそれは、時に逆鱗に触れる様なものでもある。
我慢の限界に達したのか、般若の様な顔付きになったカビゴンは、横になっている体勢であるにも関わらず三匹を纏めて殴り飛ばす。
「ギエプッ!」
不幸にも飛ばされた先にアキラは立っており、突然の事に何もできないまま彼は飛んできた三匹に巻き込まれて一緒に水しぶきを上げて川へと落ちる。
すぐに浮き上がるだろうと何人かは楽観的に考えていたが、レッドだけは違っていた。
「ニョロボン急いでアキラを助けるんだ!」
切羽詰まった勢いで、レッドはニョロボンを川に落ちた彼らの助けに向かわせる。
他の二人は何故そんなに焦っているのか良くわかっていない様子だったが、アキラと共に数日を過ごしたレッドは、彼には旅をしていく上で致命的とも言える苦手なことがあるのを知っていた。
彼はカナヅチなのだ。
「あ~、死ぬかと思った」
服が吸った水を絞りながら、アキラは自分がこうして生きていられるのを有り難く感じていた。
川に落ちてから泳げないことも相俟ってすっかりパニック状態に陥っていたが、助けに来たレッドのニョロボンのおかげで無事にゲンガーと一緒に戻って来れた。
ちなみにミニリュウは普通に泳いで戻り、ブーバーは野生以来久し振りに”テレポート”を使用したことで先に川から出ていた。
「全く、お前まだカナヅチ治っていないのかよ」
「無茶言わないで…」
呆れるレッドにアキラは勘弁してくれと言わんばかりの様子でやんわりと流す。
カスミは彼のカナヅチを治そうとはしていたが、アキラ自身が乗り気では無かったのや怪我の治療、エレブーの持ち込んだトラブル解決に専念していたのですっかり忘れられていた。
「泳げないと聞こえましたが、ワタクシがご指導してあげましょうか?」
海パン男の提案に、アキラは粗方絞り終えた上着をブーバーの熱で乾かしながらちょっと真剣に考える。彼からすれば泳ぎの練習に時間を割くくらいなら他の事をやった方が良いと思っていたが、今回の事を考えると真面目に治さないと命が危うい。
だけど、やっぱりどう足掻いても勝手に沈んでいく自分が泳げる様になれるのかは懐疑的なままだった。
その後、結局カビゴンは原作通りレッドが蜂蜜まみれになったフシギダネを餌に釣ることで、ようやく退かすのに成功した。
信じられないスピードで追い掛けるカビゴンと逃げるレッドの姿を後ろから眺めながら、アキラは三位の成績でゴールをして何とかこの大会に参加した目的であるわざマシンを手にした。
ところが――
「わざマシン31って、”ものまね”?」
賞金と一緒にアキラが手にしたわざマシンは、以前カスミがサンドパンに覚えさせてくれたわざマシン31、つまり”ものまね”だったのだ。
幸い”ものまね”は、手持ちの誰でも覚えられるしその有用性は理解している。
けど別のを期待していただけに、少々ガッカリだった。
「お~い、君ちょっと待って」
表彰式を終えて引き揚げ様としたアキラを、二位でゴールした虫取り少年が呼び止める。
「えっと、何かな?」
すぐに自転車を止めて、彼は少年に呼び止めた用件を尋ねる。
「――出来れば俺のわざマシンと君が貰った賞金を交換してくれないかな?」
「え?」
思わぬ申し出にアキラは戸惑う。
何故なのか話を聞けば、彼は元々賞金が目当てで出場したのでわざマシンはいらないという。
このままショップで売っても良いのだが、手にした賞金よりも幾らか安いので誰かの賞金と引き換えにわざマシンを譲る方が良いらしい。
「――わざマシンの中身は何でしょうか?」
「わざマシン39、覚えられる技は”スピードスター”」
「良いですよ」
覚えさせられる技の名前を聞いたアキラはすぐに了承した。
カスミの屋敷で滞在している間に、この時代のわざマシンの種類と中身を覚えている。”スピードスター”なら使い道はあるだろう。それに彼も賞金よりわざマシンの方が欲しかった為、この申し出は丁度良かった。
これでわざマシンは二つ、レッドは無事に優勝してカビゴンも手持ちに加えた。
順調にこの世界が自分の知っている通りに進んでいる事に安心感を抱きながら、新しく手に入れたわざマシンを手持ちの誰に覚えさせるべきか、彼は思いを馳せるのだった。
アキラ原作イベントに参戦、またレッドと再会。
原作ではポケモンの力を借りれば簡単な様に見えるけど、結局上がって来れたのはあの三人だけだから、結構あの大会ハードだと思う。
”ねむる”の仕様は、この小説のオリジナル設定です。”つるぎのまい”で防御と同様にこんな感じで一部の技を都合の良い解釈をしたりオリジナル要素を加えたりします。
後、地味にアキラが手持ち関係でもう悟りの領域に至っちゃった気がする。