オーバードッグ 名犬ポチ《完結》   作:のぶ八

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名犬と爪切り(挿絵あり)

 

「わん(ちょっとまったー)」

 

 

ブリタは困惑していた。

 

突然、その鳴き声と共に現れた謎の白い小さな生き物が自分達と野盗との間に入ってきたのだ。

そしてそれが何者かはすぐに分かった。

それは昨晩、宿屋で冒険者を軽く吹き飛ばし、自分にポーションをくれた魔獣だった。

忘れるはずがない。

 

 

「わん(こいつら俺の獲物だから手ぇ出すなや)」

 

 

名犬ポチは野盗達に語り掛けるがもちろん通じるはずもない。

 

 

「んだぁコイツ?」

 

「ただの小動物でしょ、ほっときましょうよ」

 

「そうですぜ、良く見たら可愛いですし」

 

「オレ持って帰っていいかな? 餌ちゃんとあげるから」

 

「ふざけた事言ってんな! 俺ぁそういう軟弱なの嫌いなんだよ!」

 

「そんなぁ…」

 

 

騒ぎ出す野盗達。

それに辟易した名犬ポチは自分から仕掛けることにする。

 

 

「わん(話通じねぇみたいだからもういいわ)」

 

 

名犬ポチが一番近くにいる男の頭上へと回転しながら飛び上がる。

そしてその勢いをつけたままカカト落としを繰り出す。

正確には肉球落としだが。

 

その一撃を喰らった男は頭から地面に突き刺さり動かなくなる。

 

 

「なんだコイツ!?」

 

「この野郎! 可愛いからって調子にのりやがって!」

 

「ぶっ可愛がってやる!」

 

 

それを見た野盗達がやっと敵意を出し名犬ポチへと襲い掛かる。

 

 

「わん!(面白ぇ! そっちがやる気ならやってやんよぉ!)」

 

 

そして名犬ポチは向かってくる野盗達へ魔法を放つ。

 

 

「わん!(喰らえ!《ミートボール/肉団子》!)」

 

 

《ミートボール/肉団子》。

名犬ポチにとっては低位の魔法ながらも連射が効くため使い勝手はいい。

効果は体を丸めた子犬を召喚し相手にぶつけるという魔法だ。

喰らった相手はその柔らかさと温かさに驚くだろう。

 

 

「あびゃあああぁぁあぁぁ!!!」

 

「ふわっふわ! これふわっふわぁぁ!」

 

「そ、そこらめぇぇぇえ!」

 

「んほぉぉぉおおおぉぉぉおお!!!」

 

 

直撃した男達が叫びと共に倒れ伏す。

その顔は優しい笑みに包まれていた。

 

 

「な、なんだっ! 何が起こった!?」

 

「わ、わからねぇ! 前にいた奴らが倒れちまった!」

 

「構わねぇ! 俺らでやっちまうぞ!」

 

 

残った野盗達の一部が名犬ポチへと襲い掛かるが隙は無かった。

 

 

「わんっ!(《シェイクテイル/尻尾振り》!)」

 

 

《シェイクテイル/尻尾振り》。

尻尾を振り乱し相手を混乱へと導く魔法。

抵抗力が無い場合、直視してしまうと正気を失うことになる。

 

 

「うわぁああぁぁあ!! 俺は、俺はこんな生き物になんてことをしようと!!!」

 

「なぜ俺はすぐ暴力に訴えてしまうんだ! 心はそんな事言ってないのに!」

 

「あああ、トキメキが止まらねぇえええ!!!」

 

「母ちゃんごめん! 俺こんな可愛い生き物を斬ろうとしちまった!」

 

「天使降臨!」

 

 

名犬ポチを視界に入れていた男達が次々と腰を抜かしていく。

泣き出す者から放心する者、笑顔で震える者まで存在する。

 

そしてあっという間に野盗達の半数以上が大地に沈んだ。

 

 

「うわぁぁあぁぁああぁぁ!」

 

 

残った野盗達が恐慌状態へと陥りその場から一斉に逃げ出す。

 

 

「わん!(バカが! 逃がすか!《マス・ホールド・スピーシーズ/集団全種族捕縛》!)」

 

 

だが名犬ポチの魔法で残りの全員が一瞬にして捕縛される。

一応、普通の魔法も使えるのだ! さすが名犬ポチ!

 

 

「ああぁあぁぁぁあああああ神ぃぃぃぃい! 何たる魔力の奔流! 素晴らしいぃぃぃいい! 私が何かする前に全て終わらせてしまうとは!」

 

 

頬を紅潮させたニグンが名犬ポチへと駆けよってくる。

 

 

「わん(しかし計画と狂っちまったな。どうするか…)」

 

 

「いいえ、問題はないかと。むしろ予定よりは上々の成果といえるのではないでしょうか?」

 

 

(え!? 何が!?)

 

 

理解が追い付かない名犬ポチ。

だが横で冒険者達からニグンへ感謝の言葉が告げられ始める。

 

 

「あ、ありがとうございます! ありがとうございます!」

 

「まさかあの状況から助かるなんて…」

 

「貴方は命の恩人です!」

 

「しかしなんという強さ…! このような魔獣を従えるとは…!」

 

 

ニグンは冒険者達に「違う、私じゃない」と何度も告げるが冒険者達からの感謝は止まらない。

むしろなんて謙虚な方なのだと株を上げていく始末である。

 

だがそこでただ一人、ブリタだけが名犬ポチの前へと歩み出る。

 

 

「あ、あの…、ありがとう。貴方が助けてくれたんだよね…?」

 

 

「わん(わけわかんねぇこと言わなくていいから俺とPVPしろや。ぶっ殺してやる)」

 

 

物騒なことを言う名犬ポチだがブリタには伝わらない。

 

 

「ありがとう、本当にありがとう…。私だけじゃなく皆まで殺されるところだった…! 本当にありがとう…!」

 

 

感謝のあまり名犬ポチの前で泣きながら頭を地面に擦り付けるブリタ。

飼い主の命令かもしれないが自分達を救ったのは紛れもなく目の前にいる魔獣なのだ。

伝わらなくともブリタは感謝を示したかった。

言葉に言い表せぬ程の感謝の気持ちが止まらないのだ。

 

 

「わ、私にできることなら何でもするから…。って言ってもわからないか…。でも本当に感謝してるんだ、ありがとう…!」

 

 

「くぅーん(えー、何この空気。全然PVPするテンションじゃないじゃん。マジ萎えだわ。テメーも馬鹿みてぇに頭下げてんじゃねぇよ)」

 

 

そう言って名犬ポチはブリタの頭を掴み起き上がらせる。

 

 

「あっ…」

 

 

「わん(急に頭下げるとか何考えてんだよ。意味わかんねぇ。感謝される筋合いもねぇし…。って! あぁ! なんだコレ! なんだコレ!)」

 

 

ブリタの頭を掴んだ名犬ポチだがその感触に驚きを隠せない。

ゴワゴワした髪の毛、強く弾力とコシがあり独特の感触をしている。

命名するなら「鳥の巣」だろうか。

その感触に名犬ポチの手は止まらない。

 

突然、自分の頭を撫で始める名犬ポチにブリタは驚く。

そしてきっと慰めてくれているのだと判断すると胸の奥からこみ上げてくるものを感じ嗚咽した。

ブリタは二度、救われた。

 

 

(これやべぇよ…、これすげぇ…)

 

 

名犬ポチはブリタの頭へと乗り、体を預ける。

 

 

(すげぇ! マジすげぇ! 予想通り体を程よく包む込み、そして常に楽な姿勢をキープできる! これは天然のソファーや! 歩く高級ソファーや!)

 

 

ブリタの髪の毛があまりにも心地良すぎてテンションが上がる名犬ポチ。

 

突然のことに困惑しながらもブリタははっと気づく。

 

 

「そ、そうだ! ま、まだ仲間がいるんです! 助けて下さい、お願いします! 皆ボロボロなんです!」

 

 

ブリタは立ち上がりニグンへと懇願する。

それを聞いた他の冒険者達も次々とニグンに頭を下げる。

しかしニグンは考えている。

 

 

(しかしまさかこんなところで冒険者が野盗に襲われているとはな…。これはモンスターを狩るよりも有益だったな。むしろギルドに恩を売れるな…。はっ! まさか神はここまで見通されていたのか…。なんという御方だ…! ふむ、ここまで来た以上こいつらは最後まで助けたほうがいいか)

 

 

「分かりました皆さん。私たちがお仲間を助けに行きましょう。案内してもらえますか?」

 

 

ニグンの言葉にブリタが答える。

 

 

「はっ、はいっ! こっちです!」

 

 

そしてブリタの案内の元、ニグン達は瀕死の状態の冒険者の場所までたどり着く。

見張りに野盗が2人ほどいたがもはや戦力では負けるはずもなく鉄級冒険者達によって縛り上げられた。

 

そして瀕死の状態の冒険者達の様子を見てニグンが言う。

 

 

「これは予想以上に酷いな…、このままだと死ぬぞ」

 

 

その言葉にブリタ達冒険者は打ちひしがれる。

ブリタが逃げ出した時より顔色は悪く、意識はない。

体の下に出来た血だまりもかなり広がっている。

時間の問題、というよりも彼らのレベルで考えればこれはすでに手遅れであった。

 

 

「そ、そんな…」

 

「ど、どうにかなりませんか!?」

 

「お願いします! お金なら一生かかってでも払いますから!」

 

「どうか仲間を助けて下さい!」

 

 

冒険者達の言葉にニグンもバツの悪そうな顔をする。

 

 

「私は信仰系の回復魔法を使えます。ただ、ここまで酷いと保障はできかねます。それでもよろしいですか?」

 

 

ニグンの言葉に頷かないはずがない。

皆、反射的に顔を上下させた。

 

そして魔法を唱えるニグンだが予想した通り、間に合いそうになかった。

傷はかろうじて塞がっていくものの生命が零れ落ちていくのを感じる。

最悪、傷は治っても植物状態だろうか。

後少しでも早ければ間に合ったかもしれないのに。

あるいはニグンの魔力がもっと高ければ助かったかもしれなかった。

 

諦めたニグンは頭を左右に振る。

 

その意味を悟ると冒険者達は崩れ落ちた。

 

 

「わん(なにチンタラやってんだよニグン。《マス・ターゲティング/集団標的》《ヒール/大治癒》。)」

 

 

ずっとブリタの頭にいた名犬ポチが魔法を唱える。

 

 

「わん(ほらこれでいいだ…ろ…? ど、どうした…?)」

 

 

ニグンが目を見開き名犬ポチを凝視していた。

 

そう、ニグンは名犬ポチが回復魔法を使えることは知らなかったのだ。

もちろんニグンは神ならなんでも出来るだろうと思ってはいたが、実際に目にすると違う。

少なくとも彼の知る中であの状態まで陥った冒険者達を助けることができるのは法国の神官長クラスによる高位回復魔法ぐらいだ。

しかも名犬ポチはそれをいとも容易く複数人同時に行ったのだ。

人知の及ぶところではない。

まさに神の領域。

そして人を死から救うその姿は彼が夢想した神の姿そのものだった。

ただでさえ限界突破していた信仰心が決壊する。

 

 

「あああっぁっぁああぁぁ!!! か、神、神ぃぃぃいいいいぃぃいい!!!!!」

 

 

名犬ポチの足を舐めようと近づくニグンだが傍目にはブリタを襲おうとしているようにしか見えない。

 

 

「きゃあっ!」

 

 

思わず手が出るブリタ。

ニグンの顎にクリーンヒットし脳を揺らす。

その場に倒れ、白目になりながらもニグンは神の名を呼び続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「い、一体何だったんだ…」

 

「まぁ天才って変人が多いとも聞くから…」

 

「悪い人ではないよな? そもそも命の恩人だし…」

 

「それに回復魔法で死にかけの仲間を全員救ってもらったしな」

 

「あれが英雄ってやつかもな…」

 

「英雄…」

 

「変態でさえなければ…」

 

「馬鹿っ! 恩人になんてことを!」

 

 

ニグンについて語り合う冒険者達。

敬意と感謝の念は凄いのだがそれと同時に別の気持ちも存在していた。

なんて残念な人なんだ、と。

 

 

その頃、脳揺れから回復したニグンは捕えた野盗の一人からアジトの場所を聞き出していた。

 

 

「神よ、この近くに野盗共のアジトがあるそうです。どうせですから根絶やしにしてしまいましょう」

 

 

「わん(そうするかぁー)」

 

 

会話するニグンと名犬ポチ。

だがこの二人以外に至近距離に存在する者が一人いる。

ブリタである。

彼女の頭を気に入った名犬ポチがそこから動こうとしない為だ。

そのため彼女は必然的に二人の会話に立ち会うことになる。

 

 

「あ、あのぉー…」

 

 

ブリタがそぉーっと手を上げる。

 

 

「どうしたんだ?」

 

 

問いかけるニグンにブリタは恐る恐る質問する。

 

 

「さっき野盗からアジトの場所聞き出すときにブレイン・アングラウスがいるって言ってた気がするんですけど…」

 

 

色々と情勢に疎いブリタでもその名は知っている。

王国最強の戦士長と互角の強さを持つと言われる男のものだ。

 

 

「だ、だから攻め込むのはちょっとマズイんじゃないかなーって…」

 

 

「なんだ、お前。本当にブレイン・アングラウス本人がいると思ってるのか?」

 

 

「へ?」

 

 

「こんなとこにあのアングラウスがいるはずないだろう。常識的に考えたまえよ」

 

 

「そ、そっか、そうですね、確かに…」

 

 

ニグンの言葉にブリタは納得する。

あのブレイン・アングラウスがここで野盗と共にいるなど信じられない。

野盗の嘘、あるいは名を騙っている者がいるのだろう。

 

 

「わん(とりあえず早くアジト行こうぜ)」

 

 

「そうですね神よ。では女よ、仲間達にはここで救援を待つように言ってくれ。アジトへ向かうのは我々だけで十分だ」

 

 

「あ、はい。分かりました」

 

 

そうしてブリタは仲間の冒険者達へ説明する。

冒険者達も肉体の傷は癒えたとはいえ精神的には参っている。

このニグンの申し出には正直助かっていた。

それにあの強さなら問題ないだろうという信用もあった。

 

 

「それじゃあ行ってくる」

 

 

そうしてアジトに向かうニグンを全員が見送るのだが…。

ニグンはブリタを見つめたまま動かない。

 

 

「あ、あのどうしたんですか…?」

 

 

「いやお前も来るんだよ」

 

 

「えっ!? な、なんでですか!?」

 

 

「いや、神がお前の頭から動かないからしょうがない」

 

 

そう、未だ名犬ポチはブリタの頭から動く気配はない。

困惑するブリタをニグンは無理やり連れていくことにする。

よくわからないままニグンに手を引かれていくブリタ。

 

この時、それを見ていた冒険者達はテンション上がりっぱなしだった。

 

 

「英雄様はブリタみたいなのが好みなのか!?」

 

「あいつにもやっと春が来たか…」

 

「玉の輿だな」

 

「帰ったらパーティ開いてやろうぜ」

 

「俺、実はブリタのことが…うぅ…」

 

「諦めろ、英雄が相手じゃ分が悪い」

 

 

後にニグンとブリタが付き合っているという噂が立つが本人達は否定したという。

 

 

そして野盗のアジトに到着した名犬ポチ一向。

 

 

「わん(入口に罠あるぞ、気をつけて)」

 

 

「うおっ! 助かりました神よ」

 

 

名犬ポチのファインプレーによって罠をことごとく回避していく。

 

この時アジトにいた野盗は10人程。

遭遇した者は片っ端から狩られていった。

 

そして残ったのはこの野盗の中では格が数段違う強者。

 

ブレイン・アングラウスのみであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

騒音が彼の耳に飛び込んできた。

与えられた個室で自らの武器の手入れをしていた手を止め、耳をそばだてる。

喧騒、複数の走るどたどたという音。微かな悲鳴。

襲撃なのだろうが錯乱しているというか、相手の人数やどの程度の腕前のものなのか。

そういったものがまるで掴めない。

 

傭兵団『死を撒く剣団』の中には彼ほどの腕は持たないまでも、戦場を駆け生き残った古強者はいる。

だが今日はそのほとんどが仕事に行っておりこのアジトにはいない。

予定ではとっくに帰ってきていいはずの時間だ。

 

 

(まさか、やられたか…?)

 

 

あり得る、と考える。

そしてそのままアジトまで攻めてきたと考えるのが自然か。

やがて静寂が洞窟を包んだ。

恐らく自分と共に留守をしていた他の者もやられたのだろう。

さて、どうするかと考える。

人数が多ければ間違いなく逃げるのだが聞こえてくる音からはそれを感じない。

せいぜい2人といったところだろうか。

 

 

(冒険者か)

 

 

少数かつ戦闘力のある存在だとしたら、それが妥当だろう。

彼はゆっくりと立ち上がり、自らの武器を腰に下げる。

個室から飛び出し、洞窟の本道ともいうべき場所に出る。

 

敵は間違いなく強者であろう。

ブレインは自分の持つアイテム、指輪とネックレスによって自身を強化する。

最大限の準備をしたブレインは再び動き出す。

そしてその視線の先に侵入者を捉えた。

 

 

「おい、おい。楽しそうだな」

 

 

「あんまり楽しくないな、どいつもこいつも雑魚ばかりだ」

 

 

ブレインの目の前にいる人間は2人。

女は前衛職のようだが弱すぎる、恐らく相手にならないだろう。

対して男は違う。

魔法詠唱者(マジックキャスター)か何かのようだが強者の気配をプンプン感じる。

 

 

「そいつは済まなかった。だが俺ならアンタを退屈させずに済むぞ?」

 

 

ブレインは未知の強者との邂逅に興奮を抑えきれない。

 

相対するニグンの顔には緊張が色濃く出ている。

 

 

(むぅ、この圧力…。まさか本物か…)

 

 

ブレインの気配にわずかに押されるニグン。

 

 

「神よ、この者本物かもしれません」

 

 

急に横にいる女を神扱いしだしたニグンにブレインは驚く。

だがその答えは女の頭から返ってきた。

 

 

「わん(え? マジで? こいつが最強クラスの剣士なの? じゃ俺やるわ)」

 

 

そうして女の頭にいたであろう謎の小さい生き物が飛び降りると、ブレインの元に歩み寄る。

 

 

「おい、なんだこの生き物は?」

 

 

「神だ、この御方がお前の相手をする」

 

 

「ふざけるなっ!」

 

 

ニグンに一喝するブレイン。

 

 

「下らん冗談を聞くつもりはないんだ。俺は久しぶりに強者と出会えて嬉しいんだぜ? 頼むから水を差さないでくれ」

 

 

「下らん冗談だと? お前も真の強者が理解できない口か…? 愚か者め。お前の目の前にいるこの御方こそ我々が信仰を捧げる神。お前如きでは手も足も出んだろうよ」

 

 

徐々に冷静さを失っていくブレイン。

溢れ出そうな怒りをかろうじて押さえつける。

 

 

「…わかった、いいだろう。お前がそう言うのならこの獣を切り伏せてお前を戦いの場に上げてやる」

 

 

そう言ってブレインは刀を抜き、名犬ポチへと向ける。

それを見ていたブリタは呼吸が止まりそうなほど震えていた。

自分はまだまだ未熟であり人の強さの判断も自信がないがこれだけは言える。

この男はやばい。

ブリタの経験上で最も危険な男だ。

エ・ランテル最高の冒険者であるミスリルのチームでも勝てないかもしれない。

恐怖に染まるブリタを他所にブレインが動いた。

ブリタは咄嗟に目をそらす。

名犬ポチが斬られるところを見たくなかったからだ。

 

だが聞こえてきたのは予想外の声だった。

 

 

「ば、ばかなっ…!」

 

 

それは先ほどまであれほどの殺気を放っていたとは思えない男の情けない声だった。

 

 

「な、何かの間違いだ、こんな…!」

 

 

ブレインはそう言うと再び名犬ポチへと斬りかかる。

今度はブリタもそれを見ていた。

 

名犬ポチは刃を手の肉球で止めていた。

 

弾くでも摘まむでもなくただ正面から受け止めていたのだ。

 

ブレインはその感触に驚きを隠せない。

なぜなら全く止められたという感触が無いのだ。

その刀を振っても特別何かに当たったという感触なく、自然に止まるように、勢いが完全に吸収されるのだ。

悪い夢でも見ているようだった。

意味がわからない。

なぜ斬れないのか、なぜ刃が食い込まないのか。

何か、優しい何かに包まれるような不思議な感覚。

それを振り払うかのように刀を懸命に振る。

 

 

【挿絵表示】

 

 

真向斬り――包まれる。

横払――包まれる。

斜払――包まれる。

斜刀――包まれる。

縦刀――包まれる。

横刀――包まれる。

 

 

「あ、あぁぁ…、あ…」

 

 

ブレインは理解できない。

目の前の小さな生き物に、片手で簡単に捻り潰せそうなほど脆弱そうな生き物に刃が届かない。

だが認めない。

認めてなるものか。

自分は最も最強に近い存在だと言い聞かせる。

そして奥の手を出すことを決意する。

 

ブレインはゆっくりと息を吐きながら腰を落とし、刀を鞘へと戻す。

 

抜刀の構え。

 

息を細く長く。

意識の全てが一点に集中するように狭まっていき、その極限に達した瞬間、逆に莫大に膨れ上がる。

周囲の音、空気、気配。

全てを認識し知覚できる、そんな世界に達する。

それこそ彼が持つ1つ目の武技――『領域』。

それは半径3メートルとさほど広い範囲ではないが、その内部での全ての存在の行動の把握を可能とするものだ。

 

そして――

 

刃物が急所を叩き斬れば生物は死ぬ。

ならばそれだけを追求すればよい。

汎用性よりも一点特化。

相手より一瞬でも早く、致命的な一撃を正確に叩き込む。

その過程で生まれたのは、それは今だ誰もが学んだこと無い、彼のみの武技。

 

武技の1つ――瞬閃。

高速の一撃を回避するのは不可能だが、彼はそこで鍛えることを止めなかった。

その鍛錬は並みのものではなかった。

数十万、いや数百万にも及ぶだろうかという瞬閃の繰り返し。

刀を握る手がそれだけに特化したタコを作り、握りの部分が持つ手の形に磨り減るほど。

それを極限までも追求した上で生まれた武技。

振り切った後、その速度のあまり血すらもその刀身に残らない。

まさに神の領域に昇ると感じ、彼が名づけた『神閃』。

それは一度放たれれば知覚することすら不能。

 

この2つの武技の併用による一撃は、回避不能かつ一撃必殺。

 

その斬撃で狙うは対象の急所。

特に頸部。

これをもって秘剣――虎落笛。

頸部を両断することによって、吹き上がる血飛沫の吹き上がる音から名づけた技である。

 

 

ブレインが待ちの体勢になったのに気付いたのか今度は名犬ポチからブレインへと進んでいく。

 

その無造作に詰め寄る行為。

それが断頭台への階段だと理解していないのだろうな、と。

 

あと3歩、2歩

……1歩。

 

瞬間、ブレインは全てを叩きつける。

 

 

「しぃっ!」

 

 

吐く息は鋭く短く。

 

鞘から刀が抜かれ、空気すらも切り裂きながら名犬ポチの首に伸びる。

その速度を例えるなら――雲耀。

光ったと認識したときには首が落ちる――それほどの速度。

 

取った。

ブレインは確信し、

その一撃を――ブレインは思わず瞠目した。

 

 

「わん(肉球白刃取り)」

 

 

名犬ポチはその名の通り両手の肉球と肉球でブレインの刀を軽々と挟んでいた。

 

何が起きたか気が付くとブレインの口から思わず言葉が漏れた。

 

 

「化け物っ…!」

 

 

その言葉に目の前の生き物は笑った。

確かに笑ったのだ。

獣の表情を見る自信はないがそれだけは分かった。

その時、やっと理解したのだ。

自分は遊ばれていると。

 

 

「あああああ!!!!」

 

 

なおも自分の領域内に存在し続ける名犬ポチへブレインは何度も秘剣を繰り出す。

 

だが今度は先ほどまでとは違った。

自分の爪をこちらの刃の軌道上に持ってきて、斬らせている。

爪をただ手入れするかのような気楽さで、いや事実そうなのだろう。

恐らくこいつは本当に爪の手入れの為に俺の剣を利用しているのだ。

 

 

「わん(おぉ、いい感じに斬れた。伸びてたの気になったんだよね)」

 

 

「うぉおおおおお!」

 

 

ブレインの喉から咆哮があがる。

いや、咆哮ではない。

それは悲鳴だ。

 

もう一度、嘘偽りなく自分の全身全霊をかけた一撃を放つ。

今度こそ届くようにと希望を込めて。

 

だがそれも無駄だった。

刃は再び止められた。

 

 

「わん(肉球白刃取り再び。てかもう爪も斬れたからいいよ)」

 

 

そうして名犬ポチは軽く手を捻る。

 

 

「わん(えい)」

 

 

それだけで冗談のように簡単に刀は折れた。

それと同時にブレインの心も折れたのだが。

 

ブレインはこの瞬間、完全に理解した。

世界の広さ。

そして本当に強い存在というものを。

 

山を刀で削りきることができるだろうか。

そんなことは不可能である。

どんな子供でも想像がつく当たり前のことである。

では目の前の生物に勝てるだろうか。

それもまたどんな戦士でも相対すれば理解できることである。

 

勝てるわけが無い。

 

人間の常識を超えた強さを持つ相手に、人間が勝てるわけが無い。

残念ながらブレインは人間としての最高域に達した戦士でしかない。

絶望に身を浸しながら、ブレインは肩で呼吸を繰り返す。

 

 

「…俺は、…努力して…」

 

 

両ひざから崩れ落ちる。

涙が頬を流れる。

嗚咽が止まらない。

地面に伏して子供のようにしゃくり上げる。

 

 

「わん(ふははは、こいつ泣いてる)」

 

 

笑われているのが分かる。

自分が否定される。

それもそうだ。

全てが無意味だった。

ブレインの人生に意味は無かった。

気の遠くなるほどの努力など何の価値も無かった。

本当の強者の前ではブレインなど自分が今まで嘲笑ってきた才能を持たぬ弱者と何も変わらない。

 

 

「俺は馬鹿だ…」

 

 

ブレインのその姿に名犬ポチの嗜虐心が刺激される。

こいつをもっと貶めたい。

もっと苦しませたい。

もっと、もっと、もっと。

 

そして名犬ポチはブレインの顔へ小便をかける。

あまりに幼稚であまりに低俗。

だが今のブレインへの追い打ちとしては十分だった。

ブレインの嗚咽はさらに酷くなる。

情けない。

これだけ無力を味わった後、顔に小便をかけられるなんて。

こんなみっともない存在は他にいないと。

 

 

「わん(あー、最高の見世物だったぜ)」

 

 

泣き叫ぶブレインに満足したのか名犬ポチはブリタの頭へと戻る。

そしてブリタへ指示し外へ向かって歩いていく。

 

 

(なるほど神よ、そういうことですか…)

 

 

名犬ポチが見えなくなった頃、ニグンはブレインへと近寄る。

 

 

「どうした、ブレイン・アングラウス。そんなものなのか」

 

 

「うるさい…、お前に何が分かる…」

 

 

「神はお前に慈悲を与えたのだ」

 

 

「…は?」

 

 

何を言っているかブレインは理解できない。

 

 

「とりあえず敗北したことを気に病む必要はない。あの御方はあのような姿なれど本物の神だ。人の力が及ぶところにはいない」

 

 

神。

今なら少し理解できる。

この男の言葉は決して妄言では無かったのだと。

 

 

「だ、だが、慈悲とは…なんだ…?」

 

 

「分からないか、あの御方はお前の顔に小便を掛けただろう?」

 

 

「っ! そ、それの何が慈悲だっ…!」

 

 

あのような侮辱を受けたのは初めてだ。

とてもじゃないが耐えられない。

 

 

「まぁあまり上手い方法ではないのは確かだがそれでも伝えたかったのだろうお前に。涙を流している暇などないと。だから神は自身の聖水で涙を洗い流してくれたのだ」

 

 

ブレインは心の中で、こいつ何言ってるんだ?と思ったがそもそも相手は人間ではないので人間の尺度で考えてはいけないのかもしれない。

 

 

「それにここへは野盗の討伐に来たのだがお前だけは見逃された」

 

 

「ど、どういうことだ…!?」

 

 

「他の者は全て捕え、この後エ・ランテルから来る救援の者へ引き渡す予定だが、神はお前だけは捕えなかった。これが何を意味するか分かるか?」

 

 

ブレインには全く分からない。

 

 

「分からないか? 神はお前に利用価値を見出したのだ。きっとお前がさらなる高みに昇ることに期待されているのだろう」

 

 

「なん、だと…?」

 

 

「お前は知らないかもしれないが今や人類には存亡の危機が迫っている。強者は一人でも多く必要なのだ。綺麗ごとを言っている状況ではない。ブレイン・アングラウスよ、神の期待に答えるのだ。お前の力はこの先間違いなく必要になる。その時まで牙を研いでおけ」

 

 

ニグンの言葉に混乱しつつもわずかに生きる希望が芽生えてくる。

 

 

「俺の人生は…無駄ではなかったのか…?」

 

 

「もちろんだ。お前は神の目に適ったのだ」

 

 

今は言われていることのほとんどが理解できない。

だがそれでも思い返す。

自分は人間を超える存在をこの身で知ったのだ。

きっと今なら昔よりも高みに昇れる。

それが遥か遠くだと知っていても、上があるということを知った瞬間から。

きっと知らない時よりは近づける筈だと。

 

ブレインはガゼフに会いに行こうと決める。

なぜだか無性に会いたい。

ずっと敵視していた存在だがそれはくだらないことだった。

あいつと剣を高め合うのもいいなと想像してブレインはくすりと笑った。

ブレインの足取りは軽かった。

まるで今までが重石を背負っていたかのように。

 

ブレイン・アングラウス。

彼はこの日を境に生まれ変わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブリタ達の仲間のレンジャーが呼んだ救援の部隊が到着し野盗達の引き渡しも無事終わった。

結果的に今回の出来事は冒険者側に一人の被害も出さず70人もの野盗を捕えるという大快挙であった。

しかも野盗のアジトからは性欲処理に使われていたと思しき女性も助け出され、エ・ランテルにて冒険者は市民から讃えられた。

 

表向きにはニグンの名前は出ておらず全ては冒険者の功績となっている。

だが裏では違う。

様々な報告が上がり、エ・ランテルの上層部では大騒ぎになっていたのだがこの時のニグン達には知る由もない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エ・ランテルに帰還し無事一息ついた名犬ポチとニグン、とブリタ。

 

 

「あ、あの~私いつまでここにいればいいんでしょうか?」

 

 

名犬ポチが一向に頭から離れてくれずブリタだけ未だに活動を共にしている。

 

 

「わん(俺ここ気に入ったんだよね、快適だわ)」

 

 

「神はお前を気に入ったと言っているぞ」

 

 

「えっ!? ど、どういう意味ですか、それ!?」

 

 

突然のことに狼狽するブリタ。

 

 

「どうしましょうか神、無礼にもこの女少し嫌がってますよ」

 

 

「わん(マジか、でもこいつ何でもするって言ってたぞ)」

 

 

「おい女、神はお前が何でもするって言ったと仰っているぞ」

 

 

「あ…、言われてみれば確かに言ったような気も…?」

 

 

「なにはともあれ良かったではないか。神に仕える栄誉を頂けたのだぞ?」

 

 

「え? え? え? そ、それって私どうなるんですか?」

 

 

「もう今日は遅いですね、そろそろ帰るとしますか」

 

 

「わん(そうだな)」

 

 

「ちょっと、ちょっと待って下さいよ! 本当にどうなるんですか私!?」

 

 

 

ブリタが仲間になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

宿屋に帰って休もうとしていた名犬ポチ達だが街が騒がしいことに気付いた。

 

 

「皆、今日は家から外に出るな! なんでも謎の集団がこのエ・ランテルへ向かっているらしい! 俺たち冒険者が対応するが数が多いらしく不測の事態も考えられる! 気をつけてくれ!」

 

 

冒険者と思われる男が市民へ呼びかけている。

話を聞くと、前代未聞とも言える恐ろしい集団がこのエ・ランテル近郊まで迫っているらしい。

 

 

「わん(面白そうじゃねぇかニグン)」

 

 

「ええ。それにこれは正体を見極めねばならないでしょう」

 

 

「え、え、怖いですし帰りませんか…?」

 

 

もちろんブリタに発言など許されていない。

3人は謎の集団を確認するため冒険者達の後へついていく。

だがそこで目にしたのは。

 

 

「き、きたぞー!」

 

「なんなんだあいつらは!」

 

「隊列を乱すな! やられるぞ!」

 

「援軍を呼べー!」

 

 

口々に冒険者が叫ぶ。

一体何なのだろうと名犬ポチとニグンが顔を覗かせるとそこにいたのは大量の裸の男達。

それが必死な形相で迫ってくる。

 

 

「や、やめろ! 武器をしまってくれ! 私は王国戦士長だ!」

 

 

「隊長ー! 隊長どこですかー!?」

 

 

それは見知った顔だった。

 

ガゼフ率いる王国の精鋭の騎士達。

そして法国が誇る陽光聖典の隊員達。

その数をあわせれば100をゆうに超える。

100を超える人類トップクラスの集団が裸で走ってくる様はなかなか圧巻であった。

 

 

「嘘をつくなー! 王国戦士長がこんなことをするはずないだろうがぁ!」

 

 

冒険者達から罵詈雑言が飛ぶ。

 

 

「ち、違うのだ! 諸事情で装備を全て失ったのだ! 信じてくれ!」

 

 

ガゼフの弁明虚しく、全員捕まる。

 

それを見ていた名犬ポチとニグン。

 

 

(やっべ、そういえば魔法打ちっぱなしであいつらの存在忘れてたわ!)

 

 

(しまった…! 神に夢中で隊員達の事を完全に失念していた…!)

 

 

やがて二人の視線が交差する。

 

 

「わん(帰るかニグン)」

 

 

「そうですね、今日は疲れましたし色々と気のせいでしょう」

 

 

彼らは逃避することを選択した。

 

 

 

そしてこの時、王都に向かうための準備をするためにエ・ランテルへ来ていたブレイン・アングラウスは宿命のライバルが逮捕される瞬間を目にしていたのである。

 

 

「ガゼフ…! なんで…。俺はずっと、お前を目標に…! こんなの嘘だ、うわぁぁあああああ!!!!」

 

 

ブレイン・アングラウスは二度泣く。

 

 

 

 

 




次回『一人師団と疾風走破』変態兄妹現る。



まさかのブリタヒロインルート突入!
そしてガゼフさん捕まる。
ブレインさん再び泣く。


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