オーバードッグ 名犬ポチ《完結》   作:のぶ八

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神の奇跡

冒険者ギルドから這う這うの体で逃げ出した名犬ポチ達。

この都市のトップ連中は頭がおかしいと判断した名犬ポチは冒険者になることを断念した。

仮にやるとしても別の都市だなと考える。

そんな事を考えているとニグンが名犬ポチに言う。

 

 

「何やら街の様子がおかしいですね…」

 

 

ニグンのその言葉を肯定するように走り回る衛兵達の姿が目に入った。

その衛兵達は必死に市民へ向けて退避勧告をしている。

どうやら墓地のほうで大量のアンデッドが発生したとこのこと。

すでに城壁の一部が破られ、都市内にまでアンデッドが侵入しているらしい。

 

 

「わん(へー、やべぇじゃん)」

 

「神、どう致しましょうか?」

 

 

何か考え込むような名犬ポチ。

返事は返ってこない。

ニグンは真摯に神の返事をただただ待ち続ける。

 

先ほど慌てて逃げてきた冒険者ギルドからは中にいたであろう冒険者達が完全武装で外へ飛び出していく。

そして次にギルドの職員達の何人かが飛び出していった。

ギルドの入り口では受付嬢のイシュペンが張り裂けんばかりに声を上げている。

 

 

「冒険者の皆さん! 緊急任務です! 墓地で大量のアンデッドが発生しました! すでに都市内にも侵入されているとの情報が入っています! アンデッドの駆逐、市民の避難に協力した冒険者にはギルドが報奨金を出す事を約束します! すでに現在、都市の一部の機能が麻痺! 場所によっては情報の伝達も難しくなる可能性があります! かなり危険な任務となりますがどうかご協力お願いします! これはエ・ランテルの全ての冒険者への要請です!」

 

 

イシュペンはその台詞を繰り返し叫ぶ。

外に出ていった職員達も遠くで同じ台詞を叫んでいる。

 

 

「これかなり不味いんじゃないですか!? 私達もすぐに行かないと!」

 

 

狼狽するブリタは二人へと問いかけるが。

 

 

「わん(いや、俺冒険者じゃねぇしな…)」

 

「……そうですね、冒険者としての要請には答える必要はないかと…」

 

 

その言葉にブリタは衝撃を受ける。

ブリタはニグン達のことを英雄だと信じていたのだ。

変人ではあっても、実力があり情に厚く誰もが夢見る英雄だと。

昨日の野盗から自分達を助けてくれたように、きっと今回も人助けをするのだと期待したのだ。

だが今の様子からはそれを感じられない。

 

 

「ま、待って下さい! ま、まさか見殺しにするんですか!? どこかで犠牲になっている人がいるかもしれないんですよ! ニグンさん! 貴方なら簡単に助けられるんじゃないんですか!?」

 

「全ては神がお決めになることだ…。我々はただ待つのみ」

 

 

だがブリタの言葉にニグンは応とは言わない。

ブリタは愕然とする。

勝手に期待したのはブリタだがそれでも答えて欲しかった。

先ほどのギルドのやり取りでもニグンが想像以上に規格外の人物であることは理解できた。

そう、それこそ国家レベルの。

だが今起きている事件はそのニグンでも躊躇するというレベルなのか?

そう考えると恐怖で体に悪寒が走る。

だが、それでもブリタは。

 

 

「もういいです! ニグンさんには失望しました!」

 

「お、おい急に何を…」

 

「私は確かに弱いです! 弱いけど! それでも人の役に立とうと! 英雄に憧れて! 英雄みたいになりたいって! それはただの願望でニグンさんみたいにはなれないかもしれない! でも! それでも! 例え強くても私は人を見捨てるような人間になんてなりたくない! ニグンさんは違うかもしれないけど私は冒険者です! 鉄級の冒険者です! まだまだ人の役になんて立てる実力じゃないのは分かってます! それでも困っている人をただ見捨てるなんてできません!」

 

「ま、待て何を…ぶふっ!」

 

 

ニグンの顔にブリタの拳がめり込む。

 

 

「逃げたければニグンさんだけで逃げて下さい! 私は行きます!」

 

 

そうしてブリタは頭の上にいる名犬ポチを振り払うと一気に駆けていく。

ブリタの頭から叩き落された名犬ポチは勢いよく地面に激突する。

 

 

「わん!(ぎゃあああ!)」

 

「神ィィィーー!」

 

 

ニグンはすぐに名犬ポチへと駆け寄る。

まぁ名犬ポチもびっくりしただけでダメージなどもちろんないのだが。

 

 

「わ、わん!(な、なんだぁ。あいつめっちゃキレてんじゃん…!)」

 

 

体に付いた埃を払っていると名犬ポチははっと気づく。

 

 

「わん!(しまった! ブリタ見失っちまった! あいつ結構足速ぇなクソ!)」

 

 

その時すでにブリタは人混みの中へと消えてしまっていた。

昨日、不意を突いたとはいえ目的地まで野盗から逃げおおせた脚力は本物である。

人々は慌ただしく動いており、名犬ポチの鼻をしてもすぐの捜索は難しかった。

 

 

「わ、わん!!!(お、俺のソファーが! 最高のソファーが!)」

 

「か、神よ落ち着いて下さい! す、すぐに後を追いましょう!」

 

 

だが名犬ポチは首を縦には振らない。

 

 

「わん(そ、そうしたいところだが、俺さっき考えてたんだよ。この混乱に乗じてお前の隊員達を助けに行こうぜ。今なら囚人の見張りだって手薄になってんだろ?)」

 

 

本当は隊員達を助けたらそのままエ・ランテルとはおさらばする予定だった。

この都市がどうなろうと名犬ポチには全く興味が無かったからだ。

しかし今となってはブリタの捜索をせねばならないだろう。

とりあえず隊員達を先に開放すればブリタの捜索も楽になるだろうという計算だ。

ちなみに隊員達の事を助けようと思ったのは単純にニグンの部下だからである。

極悪非道の名犬ポチだが身内には優しいのだ。

 

だがそんなこととは知らずニグンは神の言葉に涙を流す。

 

 

「あぁっ! まさか、神…! そのことをお考えになって下さっていたのですか!? ああ、なんと慈悲深く寛大な御方…! 下々の者達のことまで考えていて下さるなんて…! このニグン、さらなる絶対の信仰を誓います…!」

 

 

それと同時にニグンは神の考えを察する。

実は先ほどまではブリタと同じく、不敬ながらも名犬ポチがすぐに人々を救済しに行かないことについてわずかながら疑問を抱いていたのだ。

だがそんな疑問は一瞬にして氷解する。

そしてわずかでも神を疑ってしまった自分を恥じる。

神がここで陽光聖典を解放する理由を考えればすぐに答えに行き当たるのに。

殲滅戦を得意とする陽光聖典を解放する理由、それは。

 

 

「さ、さすが神っ! 愚かにも私はこんな簡単なことにも気づきませんでした! 分かりました! 隊員共々必ずや神の期待に答えてみせましょう!」

 

「わん(えっ)」

 

 

ブリタを探して欲しいだけなのになぜニグンはこんなに意気込んでいるのだろうと疑問に思う。

まぁやる気があるのはいいかと判断し特に何も言わないことにする。

 

そうして名犬ポチとニグンは陽光聖典の隊員達を助けに向かう。

 

 

 

 

 

 

エ・ランテルのほぼ中心に位置し最も高い場所にある城壁塔。

遠くまで見渡せるように建てられたその砦は軍の駐屯地もである。

その地下には囚人達を捕える牢屋があった。

 

 

「ガゼフ隊長、何やら外が騒がしいですね…」

 

「うむ、外で何か事件が起こっているようだな。くそ、こんな状態でさえなければすぐにでも駆けつけるのだが…!」

 

 

部下の言葉に悔しさから唇を噛み締めるガゼフ。

そもそもまさか逮捕されるとは考えていなかったガゼフ。

最初に助けを求めたカルネ村でも石を投げられ追い出されたことを考えると何らかの手段を考えるべきだったがエ・ランテルなら話が通じるだろうと楽観視していたガゼフ。

だがそもそも自分が王国戦士長だとさえ信じて貰えないとは考えていなかった。

 

ガゼフは知るべきだった。

普通に考えて素っ裸の男の集団が大挙して押し寄せた場合、普通は捕まる。

それに自身の隊に加えて陽光聖典の者も加わっているのだ。

カルネ村からしてもエ・ランテルからしても彼らが知っているガゼフの隊とは人数が合わない。

全然別の集団だと考えられてもおかしくはない。

それに全員裸で誰が誰だかも周りから見れば判別がつかないのもそれに拍車をかけた。

 

陽光聖典の者達は隊長もいないこともあってもう交戦する意思はなかったようで、裸のよしみもありなんだかんだ仲良くなってしまっていた。

 

ガゼフが今、最も懸念していること、それは。

 

 

(俺は王になんと申し開きをしたらいいのだ…。間違いなくこのことは貴族連中に突っ込まれる…。もし私のせいで王の立場が悪くなってしまったら…)

 

 

ガゼフの考えは当たっていた。

このことが露見すれば王にとって大変なことになるだろう。

あくまで露見すれば、だが。

 

 

牢屋へと続く階段を誰かが降りてくる。

ガゼフは処刑を待つ罪人のような顔でその者を見た。

それは見知った顔であった。

今自分達と共に捕えられている陽光聖典達の隊長にあたる人物である。

 

 

「た、隊長ー! ニグン隊長ー!」

 

「助けに来てくれたんすね! 俺信じてました!」

 

「うぉぉ! ニグン隊長万歳ー!」

 

 

陽光聖典の者達が声を上げた。

 

 

「うむ、お前達、待たせてすまなかったな」

 

 

そうしてニグンは陽光聖典の隊員が捕えられている牢屋の鍵を開けていく。

だがガゼフを見つけると嘲るような表情で言う。

 

 

「おお、王国戦士長ガゼフ・ストロノーフではないか! こんなところで会うとは!」

 

 

悔しい思いをしながらもガゼフはニグンを警戒する。

元々は自分を殺そうとしていた者なのだ。

もしかするとここでも殺そうとしてくるかもしれない。

だが。

 

 

「カルネ村では悪かったな。ついでだ、お前達も出してやる。このまま捕まればマズイのだろう?」

 

 

その言葉にガゼフは驚きを隠せない。

わずか数日前のことだというのに何が起きたというのか。

 

 

「納得していないといった顔だな。まぁ本国からはそう命令を受けていたが今は事情が変わったのだ。もうお前とは敵対するつもりはない。それに今、都市の中にはアンデッドがはびこっている。私に構っている場合ではないだろう?」

 

 

ニグンの言葉にガゼフは驚きを隠せない。

 

 

「アンデッドだと!? 一体何が!?」

 

「詳しくは分からないがおかげでこの都市は大混乱に陥っている。ここの見張りもほとんどいなかったぞ? 各地で冒険者や衛兵達が頑張っていたがこのままではどうなることやら…。都市が墜ちるのも時間の問題だな」

 

「なんということだ…! 皆聞いたか! 我々はすぐに市民を助けにいくぞ!」

 

 

ガゼフの言葉に隊員達が即座に返事をする。

だが重要な問題に気が付く。

未だ全裸なのだ。

 

 

「くっ…!」

 

 

このままではまた捕まってしまう。

そのことに顔を歪めるガゼフだったが。

 

 

「わん(まぁそうだろうなとは思ってたよ)」

 

 

そうして砦にあった衛兵の装備の予備を1セット持ってきた名犬ポチは魔法を発動する。

 

 

「わん《おかわり/再入手》」

 

 

その言葉と共に一瞬にして衛兵の装備と全く同じものがそこに出現した。

 

 

《おかわり/再入手》

これは第8位階に属し、アイテムの複製ができる魔法である。

もちろん制約はあり、ワールドアイテムは不可能。

神器級、伝説級のアイテムはそれぞれ制限時間が付き、時間が経過すると消滅する。

ちなみに神器級は時間が短すぎて運用するのは現実的ではないのだが。

しかし聖遺物級以下のアイテムは永続的な複製が可能なのである。

もちろんユグドラシルでは売買、エクスチェンジボックスでの使用不可等の制限があった。

 

 

この魔法により名犬ポチはガゼフとその隊員達の人数分の装備を複製する。

こんな低レベルの装備を複製するのに何度も魔法を行使するのは正直つらかった。

しかし名犬ポチはガゼフにちょっと悪い事したなと思っていたので何も言わず複製した。

 

ガゼフ達は驚きながらも今は緊急事態なので簡単な礼をしてすぐに外へ出ていく。

 

ガゼフ達は魔法についてあまり詳しくないため「おぉ、魔法とは凄いな」といったレベルのリアクションであったがニグンと陽光聖典は違った。

 

 

「な、なんと神…! アイテムを創造することができるのですか…!」

 

「か、神…?」

 

「まさか本当に…?」

 

「この御方が神…?」

 

 

ニグンに続いて陽光聖典からも感嘆の声が上がる。

最初合った時は名犬ポチの凄さを全く理解できなかった陽光聖典だがこうして魔法を見せられるとニグンの言う通り神なのではという気持ちが徐々に沸き上がってくる。

 

 

(いやあんなクソアイテム複製したの驚かれてもな…)

 

 

そう思いながら名犬ポチは自身のアイテムボックスの中を探る。

陽光聖典は魔法詠唱者(マジックキャスター)なのでそれに相応しい装備を探していたのだ。

そしてアイテムボックスからやっと見つけた聖遺物級のローブと杖を取り出す。

 

 

「わん(あぁ、あった。すごい昔使ってたやつだけどこれでいいだろ)」

 

 

聖遺物級は上位アイテムに比べ制作なども容易だが性能がかなり落ちるアイテム。

途中で時間切れがあったら困るので聖遺物級にしただけで本当はこのレベルでは心もとないと名犬ポチは感じていた。

だがこの世界では違う。

 

 

「ま、魔法の武器と防具…!?」

 

「なんという魔力…!」

 

「さすが神このようなアイテムをお持ちとは…」

 

「はっ! ま、まさか…」

 

 

この世界でこれより上のアイテムは一部の例外を除き存在しない。

そしてここにいる者が想像した通り、名犬ポチはこの装備を人数分複製していく。

 

 

「あぁあああぁぁぁああ! か、神ぃぃぃいいいいい!!!」

 

「うわぁぁぁあ! すげぇえええ!」

 

「えええええ! ま、魔法のアイテムがこんなにぃぃ!?」

 

「びゃああぁあぁああ!」

 

「なにこれぇえええ!」

 

 

ニグンに続いて陽光聖典の隊員達からも悲鳴が漏れる。

 

それを見た陽光聖典の隊員達はこの時確信した。

目の前にいるのは本物の神なのだと。

伝説に謳われるアイテムをこんなに簡単に創造する存在が神以外のものであるはずがないと。

 

 

そしてここにいる陽光聖典の隊員達全員が聖遺物級の装備を身に纏った。

 

 

漆黒聖典のメンバーにはこれより上のアイテムを装備している者もいたが、規模で考えるとその比ではない。

今の陽光聖典は全員が伝説の装備を身に纏っているのだ。

これだけの規模でこの装備を身に着けている集団はこの世界に存在しない。

 

この時を持って陽光聖典は神の部隊に相応しい存在となった。

 

 

「わん(ニグン、わかってるよな?)」

 

 

ブリタを探すんだぞ、と目で訴える名犬ポチ。

 

 

「分かっております! これほどの装備を下賜された我々に、もはや敵はおりません!」

 

 

ニグンは深く息を吸う。

そして。

 

 

「各員傾聴! これよりこのエ・ランテルを神の名において救済する! 現在アンデッドは都市中に溢れかえっている! それぞれ各地に散り、溢れかえるアンデッド共を全て殲滅するのだ! 全てだ! 今の我らに敵はいない! さぁ行け! 汝らの信仰を神に捧げよ!」

 

 

ニグンの言葉に隊員達が頷く。

 

 

「開始!」

 

 

ニグンのその声と共に隊員達がエ・ランテルに散っていく。

ただのアンデッドに後れを取る陽光聖典ではない。

この時点でエ・ランテルが墜ちる可能性は消えた。

 

 

「わん!(えぇええぇえええ! 救済って何!? は、早くブリタを探すんだよ!)」

 

「大丈夫です神よ、全て仰られずとも貴方の御心は理解しております。それにエ・ランテルを救済した際にはブリタもすぐに見つかるでしょう」

 

「わ、わん(な、なるほど…)」

 

 

いまいちよく分からないが確かにアンデッドを駆逐した後の方が捜索がしやすそうだなとかろうじて納得する名犬ポチ。

とは言っても名犬ポチもただ指を咥えて待つつもりはない。

早く見つかるにこしたことはないのだから。

 

 

「わん!(よし! 俺らも行くぞニグン!)」

 

「もちろんです! 神よ!」

 

 

 

 

 

 

リィジー・バレアレは未だその場から動いていなかった。

家の前でただただ死んだように座り込んでいる。

 

すでに周囲に人影は無くこの辺りの避難は終わっていた。

この地域は市民の避難が完了しているため防衛のための衛兵や冒険者は一人もいない。

そのためアンデッドの一部が何の抵抗も無くここまで侵入してきていた。

 

リィジーの視界にアンデッドの姿が映る。

だがもはや彼女にはどうでもよかった。

食われるならそれでもいい。

孫がいないのならばもうこの世に未練はないのだ。

そしてアンデッドの手がリィジーの近くまで迫った時。

 

 

「わーん!(ブリタどこだぁーっ! なんだ、邪魔だテメェ!)」

 

 

アンデッドの頭部が吹っ飛んだ。

そして近くにいたリィジーに名犬ポチが気付く。

 

 

「わん!(ブリ…! なんだ違うな、ただの婆さんか、ってえぇええ!!!)」

 

「ど、どうしました神よ!」

 

 

他のアンデッドを倒していたニグンが名犬ポチの驚く声に慌てて駆け寄ってくる。

 

 

「わ、わん(ニ、ニグン、この婆さんって…!)」

 

「なっ!? リ、リィジー・バレアレ殿!? なぜここに!? なぜ避難していないのですか!?」

 

 

まさか冒険者ギルドで狂乱を見せつけた婆さんとこんなところで遭遇するとは想定していなかった名犬ポチとニグン。

 

 

「もうわしのことは放っておいてくれ…。わしはもうどうなってもいいんじゃ…」

 

「わん(ならいいか)」

 

 

リィジーがそう言うので放っておくことにする。

だがその時、家の中から嗅ぎ覚えのある匂いがすることに気付く。

これは誰だったかなと気になった名犬ポチは家の中へと入っていく。

そこには4人の冒険者の死体があった。

一番手前に転がっている女の死体。

他はうろ覚えだがこの女だけは記憶に残っている。

 

愚かにもかつてこの自分に屈辱を与え冷静さを失わせた罪深き女。

あの骨の恨みは忘れていない。

だが自分が復讐する前にどこかの馬鹿が先にこいつを殺してしまったようだ。

名犬ポチは無意識に呟く。

 

 

「わん…(少し、不快だな)」

 

 

後ろにいたニグンは名犬ポチの言葉に聞き入る。

一介の冒険者が命を落としただけでここまで心を痛めるとはなんと優しい方なのだと。

 

名犬ポチは己の手から逃れるのは許さぬとばかりに女の死体に手を触れ蘇生させようと試みるが…。

 

 

「わんっ!?(アンデッド化されているだと!?)」

 

 

アンデッド化した者は蘇生することができない。

 

それが一般の認識であり、その通りである。

この女は結果的にとはいえ、名犬ポチの魔の手から完全に逃れた。

認めない。

この名犬ポチに屈辱を与えた者をこのままでは許す事と同義になる。

そんなことは名犬ポチには認められないのだ。

名犬ポチを怒りが支配する。

もし今ここに、この女をこうした元凶がいたならばどんな目に遭わせているかわからない。

 

だが名犬ポチはなんとか冷静さを保つ。

この問題と向き合う為に。

 

 

(考えろ…。アンデッド化した者を蘇生させることは本当に不可能なのか…?)

 

 

そして名犬ポチは一つの仮説に辿り着く。

 

ユグドラシルと違ってこの世界はゲームではない。

その為に自分の持っている魔法やスキルもそれに合わせてなのか少しばかり変化している。

逆に考えればゲームと違い、現実の法則に作用されることもあるはずだ。

 

そしてカルネ村で村人を蘇生した時に一つ気付いたことがある。

それは魂の存在。

蘇生させる際に魂を引き戻し肉体へと戻す感覚を味わっている。

これが本当に魂かどうかは分からないが、とりあえずこの世界においては生命の核を為す部分であるので便宜的に魂と呼ぶことにする。

そしてこの魂が存在する以上、肉体は器に過ぎない。

だがアンデッド化した場合は入るべき器が変容してしまうために魂が肉体に戻れなくなるのではないだろうか。

ならばその問題をクリアできれば蘇生できるかもしれない。

 

そして名犬ポチは次に肉体の損傷について考える。

治療にしろ蘇生にしろ、傷つき、無くなった肉体は魔法で修復できる。

どういう過程でそうなるのだろうか?

名犬ポチは詳しくは知らないが生物の体は細胞からできている。

もし回復という行為が細胞分裂を促す、あるいはそれに準じた行為ならば肉体の一部があれば体を回復させることができるのではないだろうか。

 

その仮説に辿り着いてからの名犬ポチの行動は早かった。

 

 

「わん(《マス・ターゲティング/集団標的》《マキシマイズマジック/魔法最強化》《ヒール/大治癒》)」

 

 

名犬ポチは4つの死体に回復魔法をかける。

回復魔法はアンデッドへダメージを与える効果がある。

そして名犬ポチのレベルでこの魔法を使えばアンデッドの体を完全に消滅させることが可能。

この魔法によって周囲に零れていた血や肉片も全て綺麗に消滅した。

後に残ったのは彼らの装備だけだ。

 

ここからだ。

 

名犬ポチは部屋中の床を嗅ぎまわる。

何かを探すように。

 

 

「か、神、何を…!?」

 

 

ニグンの言葉に名犬ポチは返事をしない。

今は一刻を争うのだから。

その時、なぜか消滅せずわずかに床に残っている血を発見する。

そしてそれが本当に、本当に少しずつだが消えていっていることに気付く。

当たりだ、とポチは思う。

アンデッドの肉体とその血や肉片は魔法で即座に消滅したのに一部の血は消え去っていない。

これの意味するところは。

アンデッド化する前に、肉体から離れた体の部位はアンデッド化していないということだ。

それはそうだろう。

体から離れた時点でそれはただの物に成り下がる。

だが世界の法則なのか元の肉体がアンデッド化するなどのように存在が変容した場合、元々体の一部であったものも引きずられ消滅してしまうようだ。

 

これがアンデッド化した者が復活できなくなるメカニズムかと推測を立てる。

 

ならば。

その後も部屋中を懸命に探し回り、4人の血液をなんとか発見する。

どれが誰のものかは判断できない為に4人全員の血液を探していたのだ。

 

そして名犬ポチの仮説が正しいならば。

アンデッド化した存在でも、それ以前の肉体の一部が残っておりかつ、それが消滅する前に蘇生魔法を試みたらどうなるのか。

ここからは賭けだ。

4人のアンデッド化していない血液へ魔法を唱える。

 

 

「わん…!(《マス・ターゲティング/集団標的》《グレーター・レイズ・ドギー/犬の上位蘇生》…!)」

 

 

次の瞬間、部屋の中が眩しい程の光に包まれる。

 

名犬ポチを中心に光の粒子が4人の人間の体を形成していく。

 

 

「あ…、あぁ…、あぁぁあ…!」

 

 

それを見ていたニグンの口からなんともいえない悲鳴が漏れる。

 

まさにそれは奇跡だった。

死者を復活させる。

それだけでも十分に凄いが一部の神官や冒険者でも辿り着くことのできる境地でもある。

 

だがアンデッドを蘇生させるなど聞いたことがない。

アンデッドがアンデッドとして復活することはあるかもしれない。

だが今ニグンの前で徐々に形成されている肉体の肌や血色をみる限りそれがアンデッドだとは思えない。

もしアンデッド化した存在を生前の姿で蘇生させたのだとすれば、人の理解を超えている。

まさに神の与え給う奇跡。

名犬ポチが必死に考えていた仮説など知らないニグンからすればそれはまさに奇跡。

人知を超えた領域に他ならない。

 

名犬ポチは肉体の再生が終わった4人を静かに見守る。

後は目を覚ますのを待つだけだ。

これで目を覚ませば名犬ポチの仮説が正しかったと証明される。

 

少し待つ。

 

しばらく待つ。

 

だが誰も目を覚まさない。

魂を肉体に戻す感覚はあった。

理論的には成功のはずだ。

だがやはり無理があったのか。

そう諦めかけた時。

 

 

「かはっ!」

 

「ゲホッ!」

 

「ぐっ!」

 

「ゴボァッ!」

 

 

四人が同時に息を吹き返した。

 

 

「わん!(やった…! やったぞニグン! 成功し…)」

 

 

後ろを振り返りニグンを見る名犬ポチ。

だがニグンの顔を見て思わず言葉が止まる。

 

 

「は…、はわわわ…、あ、ああぁ、か、神、神ぃぃ…」

 

 

やばい顔をしていた。

目には涙を浮かべており、口はアホみたいに開き鼻水とヨダレも垂れている。

言葉では形容できないほどみっともない顔だ。

名犬ポチがこいつこんな顔してたか?と疑問に思うほどに。

そして爆発する。

 

 

「んぁぁあああみっぃいぃいいい!!! くわぁぁみぃぃぃぃいいい!! きゃみぃぃぃぃいいいいい!!! すんびゃらしぃぃぃいいいおちくわらぁぁああああ!!!」

 

 

疾風の速さで名犬ポチへ飛びつき抱きつくと名犬ポチの体中を激しい勢いで舐め始めるニグン。

 

 

「きゃいーん!(いやぁぁああああぁ!!! やめて助けてぇぇええええ!!)」

 

 

ニグンのファーストインプレッションを鮮明に思い出した名犬ポチは再び恐怖に体を震わせていた。

そのまま抵抗もできずにニグンの唾液塗れとなったのだ。

 

復活したばかりの4人は唖然としてただそれを見ていただけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらくして落ち着いたニグンは復活した4人へ現状の説明をしていた。

 

 

 

「そういうことだったのですね…」

 

「やはり死んでしまったようであるな…」

 

「はぁー、情けねぇー…。一撃なんてよー…」

 

「で、でもわざわざ蘇生して頂けるなんてなんとお礼を言ったらよいか…」

 

 

4人から感謝の言葉が次々とニグンへと告げられる。

ちなみにアンデッド化からの復活に関しては話していない。

ややこしくなりそうだったのでただの蘇生ということにしている。

 

この時4人は感謝を告げると共に、最初に見たニグンの狂乱には触れないでおくことにしようと言葉も無しに全員の思考がシンクロしていた。

後ろではいまだに部屋の隅っこで震えている子犬がいる。

 

 

「しかし今はこのエ・ランテルを未曾有の危機が襲っています、貴方達もすぐに避難して下さい」

 

 

だがニグンの言葉に誰も頭を縦に振らない。

 

 

「私たちも冒険者ですよ?」

 

「うむ、この街のために今からでも動くのである!」

 

「死んで情けない姿見せちまったけどだからこそ挽回しなきゃだからなー」

 

「体の不調は感じないので大丈夫だと思います!」

 

 

その言葉に驚きつつも人間の強さを感じ取り表情が緩むニグン。

さすがは神がわざわざ蘇生させるだけの人間であるとの評価を下す。

ついでに4人にはリィジーを退避させることをお願いしておく。

4人はすぐに外へ駆けて行った。

 

未だ震える名犬ポチへニグンが申し訳なさそうに近づく。

 

 

「も、申し訳ありません神よ、あまりの素晴らしいお力に自分を制御できずに、つい…」

 

「わわわん!(うっさいバカ! ニグンなんてもう知らない! あっちいけ!)」

 

 

完全にヘソを曲げている名犬ポチ。

だがここで新たなことに気付いてしまった。

 

 

(あ、今回は間にあったからいいけどもしブリタもアンデッド化されてたらやべぇぞ…)

 

 

慌てて立ち上がる名犬ポチ。

実際にはブリタは弱すぎて前線に出してもらえず後方支援に徹していて全然危険は迫っていないのだがそんなことは名犬ポチには知る由もない。

 

最悪を想定する名犬ポチ。

そしてそれを回避するために全力を尽くす。

ブリタが少しでもアンデット化する可能性を下げるために。

 

 

そして手を、肉球を天に掲げ魔法を発動する。

 

 

「わん…!(《ピー・テリトリー/犬の縄張り》…!)」

 

 

名犬ポチを含め、周囲が、いや、エ・ランテルの大部分が天から降り注ぐ光に包まれた。

 

その光は範囲内にいる全てのアンデッドを瞬く間に消滅させた。

さらに範囲内の人々の傷が徐々にだが癒えていく。

 

この様子をニグンも見ていた。

外に見えるアンデッドが光に包まれ一瞬で消滅していくのを。

 

そのあまりの神々しさ、輝き、眩しさ。

まさに神の威光。

そしてこの中にいることで神から守られているかのような安心感。

ニグンの心をかつてないものが包んでゆく…。

 

 

 

 

 

 

ガゼフとその部下達。

 

 

「皆! なんとしでも耐えろ! ここを突破されたら市民に被害が出る!」

 

「ダメです戦士長っ! 数が、数が多すぎます!」

 

「もう無理です! 持ちません!」

 

 

ガゼフの部隊が瓦解する寸前。

 

天から光が舞い降りた。

 

視界全てに降り注ぐその光。

それを受けたアンデッド達が全て消滅していく。

 

あまりのことに誰も言葉が出ない。

彼らには何が起きたのかすら理解ができなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

各地に散った陽光聖典の隊員達。

 

彼らにとってアンデッドは敵では無かった。

とはいえこのエ・ランテルは広い。

各地に散ったとはいえ、流石に全ての地域には手が及ばない。

都市は墜ちずとも犠牲が出るのを防ぐことは不可能だった。

だが犠牲は出ずに終わる。

 

突如、天から降り注いだ光が都市内のアンデッドを消滅させていく。

彼らはすぐに理解した。

 

神が力を行使したのだと。

 

あまりに壮大で規格外。

人から聞いた話ならば欠片も信じられないだろう。

 

神の威光にひれ伏し、涙を流す隊員達。

そして彼らの頭に一つの思いがよぎる。

 

この世に伝わる神話や御伽噺はもしかすると真実なのではないか、と。

 

 

 

 

 

 

 

《ピー・テリトリー/犬の縄張り》

第10位階に属する最高の魔法の一つ。

これは使用者がこの魔法を発動するより一定時間前にマーキングをした場所を線で繋ぎ、テリトリー化するものである。

制限時間はさほど長くないが、この範囲内では敵対する雑魚モンスターは一瞬で消滅する。

高レベルのものには効果がないのだが現在エ・ランテルにいるアンデッドは名犬ポチからすれば全て雑魚である。

加えて雑魚モンスターが新たに侵入しようとも光に触れただけで消滅してしまう。

そして仲間と判断している者に関してはリジェネの効果が発動する。

PVPにおいてはそこまで有用とは言えないが攻略や籠城の際に効果を発揮する魔法である。

 

 

 

(エ・ランテルを散歩してる時に各地におしっこをしていたのがこんなところで役に立つとはな…。これならエ・ランテル内はほとんど安全だろう。後は墓地を制圧すれば危険な場所はほぼないな…!)

 

そして完全に自信を取り戻した名犬ポチ。

その立ち振る舞いは神に相応しいものであった。

 

 

「わん!(行くぞニグン、後は墓地だけだ!)」

 

「……」

 

「わん…?(ニ、ニグン…?)」

 

 

顔を伏せ、無言のまま両ひざを地面に付いているニグン。

その股間は濡れ、彼の下には大きな水溜まりが出来ている。

両手で強く体を抱きしめており、小さく痙攣している。

 

不意にゆらりと幽鬼のように揺れるニグン。

だが力なく前へと倒れ込む。

だが動きは止まらない。

四つん這いのまま凄まじい速さで名犬ポチとの距離を詰める。

 

そして。

 

 

「-------------------------------------------------------------------!!!!!!!!!」

 

 

聞き取れない程の奇声をあげながら名犬ポチへと覆いかぶさるニグン。

名犬ポチはあまりの恐ろしさに少しだけ意識を手放した。

 

 

 

悪夢は何度でも続く。

 

 

 

 

 

 




次回『救済の螺旋』決着っっ…!


次でエ・ランテルの話は終わる予定です。

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