名犬ポチの至高かつ恐ろしい計画に恐れおののくデミとアルベド!
それはまだ数日前のこと。
竜王国唯一のアダマンタイト級冒険者チーム「クリスタル・ティア」のリーダー、“閃烈”セラブレイトは決断を迫られていた。
今年はビーストマンの侵攻が激しく、例年とは比べ物にならぬ大軍で攻めてきている。
しかも法国は滅び、もう助けは来ない。
今回の侵攻ですでにいくつかの都市が落とされているが、この都市も持ちそうにない。
すでに門は破られビーストマン達が侵入してきている。
未だ逃げ遅れた人々がいるがもはや構っている暇はない。
一刻も早く撤退し次の拠点で態勢を立て直さねばならない。
ならないのに。
「リーダー! 何やってるんだ! 早く逃げないと! もうこの都市はダメだ!」
「そうだ、もう逃げ遅れた人は見捨てるしかない!」
チームのリーダーであるセラブレイトへ向けて仲間達が叫ぶ。
見捨てるしかない。
そう、もうこの状況では人を助ける場合ではないのだ。
大勢は決した、この都市は落ちる。
ビーストマンの数と力は圧倒的だ。
残念ながらこの国の兵士では相手にならない。
唯一戦えるのはクリスタル・ティア含めいくつかの冒険者チームのみ。
しかもクリスタル・ティアはこの国唯一のアダマンタイト。
竜王国最強の冒険者チームである彼らは絶対に死んではならないのだ。
最高の戦力であり、この国最後の希望。
彼らが死ねば間違いなく国が滅ぶ。
だから彼らは生き延びねばならない。
助けを求める人々の声を無視してでも。
「くそっ…!」
諦め撤退しようとしたセラブレイトの目に車椅子に座った老人が映る。
その老人は動けないようでただただ前を見つめているだけだ。
もうそこにはすでにビーストマン達がせまってきているというのに。
(なんてことだ! 置いていかれたのか…!)
セラブレイトは逡巡する。
その老人はまだ自分の手の届く場所にいる。
まだ間に合う。
助けられる。
そう思うと同時に無意識に体は動いていた。
「リーダー! 正気か!?」
「無茶だ! その人を連れて逃げ切れるわけがない!」
彼らにはわかっていた。
彼らがリーダー・セラブレイトはそうすることを。
今までもそれで無駄な怪我や、窮地に立たされたこともある。
それでも彼は戦う。
ろくに金も無いこの国で常に命がけの戦いに身を投じている。
人を見捨てることを良しとせず、弱い者へ手を差し伸べる。
少なくとも手の届く範囲にいる人を見捨てることはしない。
彼は高潔な人物だった。
たとえ彼がどんな性癖を持っていようとそれは間違いないのだ。
そう、どんなに変態であっても。
繰り返すがどんなに変態であっても彼の高潔性が失われるわけではない。
恐らく。
しかし今回ばかりは事情が違う。
この都市の4つの門のうちすでに3つが破壊され侵入されている。
現在地は都市のほぼ中心。
すぐに残りの一つから撤退しなければ囲まれるのは時間の問題。
今回のような大軍であればたとえアダマンタイト級でも死に関わる。
この老人を助けたとしても、担ぎ上げ都市の外まで逃げ切るのは不可能だ。
それが現実。
だからチームメンバーの一人がセラブレイトの体を後ろから掴み強引に止めた。
「やめろっ! 離せっ!」
だが仲間はその手を放さない。
それはこの国の終わりを意味するから。
「あっ…」
そのやり取りの間に老人の元にビーストマン達が殺到する。
舞う血飛沫。
肉体が裂かれ、千切れる音が響く。
だが悲鳴は聞こえなかった。
最後に老人がこちらを見て微笑んだ気がした。
まるで最初からそうなると理解していたように。
「ああああああああ!!!!」
絶叫するセラブレイト。
メンバーがそんなセラブレイトを無理やり引っ張りなんとか逃げ出す。
そのままセラブレイトを連れ必死で脱出口の門まで駆けるクリスタル・ティア。
彼等の耳にはずっと聞こえていた。
幾多もの人々の悲鳴と助けを呼ぶ声が。
都市を脱出するまでの間ずっと。
痛い痛い痛い
やめて助けて
嫌だこんなの嫌だ
待って置いていかないで
誰かお願い
ママが動かないの
子供だけはやめてくれ
なんで俺が
なんで私が
死にたくない
見捨てないで
それは呪詛のようにクリスタル・ティアの耳にこびり付いて離れなかった。
都市を脱出したあとも。
それから何日が過ぎても。
彼等の耳には今でも人々の叫びが聞こえている。
一つ分かることは今、あの都市では地獄のような宴が開かれているということだけだ。
あの局面では逃げるしかないと分かっていてもセラブレイトは罪悪感に押しつぶされそうだった。
そうやって人間性を摩耗していくうちにいつしかそれらは憎しみへと変わっていく。
そうして彼は心に決めた。
いつかビーストマン達を根絶やしにしてやると。
◇
竜王国の首都を残し、他の都市を全て制圧したビーストマン達。
その最前線には彼等の王がいた。
ビーストマンの中で最も強き者。
彼等の王であり、歴代最強とも名高きビーストマン。
他のビーストマン達より一回りも二回りも巨大な体躯。
立派な牙に爪、毛並みも一目で他と違うのが見て取れる。
その王は獣王と呼ばれていた。
「獣王様! 兵たちの用意が整いました! いつでも攻撃できます!」
「うむ、いよいよか…」
目を瞑り、思いを馳せる獣王。
竜王国を落とせば彼等の悲願に一気に近づく。
「長かった…、我々が迫害されてから600年か…。だがやっと、やっと先祖代々の悲願を叶える時が来たのだ…!」
「獣王様…」
「最後に兵たちを鼓舞する。旗を持て」
「はっ!」
獣王は心の中で間に合った、と胸を撫で下ろす。
今年ビーストマンの侵攻が激しかった理由は他でもない。
滅亡の危機。
彼等の国にはもう食料が残っていないのだ。
かつて人間達に迫害され土地を追われた。
それからずっと実りの少ない大地で必死に生きてきたのだ。
最初は良かった。
慣れない新天地でもなんとか生きていくことができ、十分に繁栄もできた。
しかしそれは永遠には続かない。
今思えばきっかけはあれだったのだろう。
かつて三体のソウルイーターに都市を襲われ十万を超える被害を出したことがあった。
そこからビーストマン達の斜陽が始まった。
何年も不作が続いた。
山からは動物達が姿を消し始めた。
大地は枯れ、川は干上がった。
気付くと彼等には食べる物は残っていなかった。
どこかを襲う以外には。
決してビーストマン達は強くない。
人間に比べれば個体としては強いが亜人種の中にはもっと強いものが沢山いる。
他の種族が支配している土地に攻め込むことも考えたが勝算は薄かった。
だから選択肢など無かったのだ。
人間を襲って食べるようになるのは必然だった。
しかも人間達はかつて自分達の先祖を迫害し追いやった憎き相手だ。
いくら殺そうが罪悪感など無い。
エサとしてはこの上なく都合の良い相手だった。
そしてもう彼等の住む大地に恵みは残されていない。
だからこそビーストマンは捨て身で今回の侵攻を行ったのだ。
兵士だけでなく全ビーストマンを連れての大侵攻。
今まで住んだ土地を捨て、まずは竜王国を乗っ取る。
竜王国の人間共を食べつくしたら次の国へ行く。
そして最終的には神の地を取り戻す。
それが彼等の計画。
彼等は、いやビーストマンという種族はその全てをかけて死に物狂いで侵攻してきたのだ。
いつだってそういった相手は生半可に止められるものではない。
法国の助けが無くなった竜王国ならなおさら。
「獣王様、旗でございます」
「うむ」
古ぼけた旗を手に取り、それを天高く掲げる獣王。
「聞け! 誇り高き兵たちよ!」
獣王が眼前に待機する十万を超えるビーストマン達へ向かって声を響かせる。
「時は来た! この戦いに勝利すればこの国は我らが物となる! ようやく我らが悲願への足掛かりを手に入れることができるのだ!」
大きな歓声が上がる。
「憎き六大神の残りカス、我らが神を愚弄した末裔! そう人間だ! 奴等は皆殺しだ! 我らが神から全てを奪ったゴミ共に与える情けなど欠片も無い! 殺して喰らって根絶やしにするのだ! 神から受けた恩を忘れ、六大神に阿り、神を裏切った人間共に慈悲などない! 人間共に死を!」
「「「人間共に死を!」」」
「「「人間共に死を!」」」
「「「人間共に死を!」」」
獣王の叫びを受けビーストマン達が高揚していく。
「この旗に誓って必ずや取り戻すのだ! 我らが神の地を! 奪われた大地を再びこの手に! そうして初めて我らは前に進めるのだ…」
獣王が掲げる古ぼけた旗には一つの紋章が刻まれている。
汚れや傷で見づらくなってはいるものの、それは彼らが神の証。
神の紋章。
人間達に裏切られ殺された神の残した遺産。
代々ビーストマン達に受け継がれてきた秘宝である。
「神に祈りを! 神に栄誉を! 神に大地を! 神万歳!」
「「「神万歳!」」」
「「「神万歳!」」」
「「「神万歳!」」」
熱狂するビーストマン達を満足気に眺める獣王。
「神よ、待っていて下さい。貴方様の大地は私達が必ず取り戻します。例えそこが今や死の大地となっていようとも…」
種族の違いという意味ではなくだが、人間達とビーストマン達には一つ違いがある。
歴史観に関してで言えば彼らは正しい。
彼等は野蛮で知性や品性に欠けるかもしれないが人間達のように歴史を都合よく改ざんすることはしなかった。
良くも悪くも愚直、嘘を吐くという概念が存在しなかったのだ。
だから彼らは知っている。
600年もの月日が経とうとも。
人間達によって歴史から消された神の存在を。
今となっては歴史の片隅にその残滓だけが残っている。
◇
時は戻り、ニグン達が竜王国の都市の一つへと攻め込み制圧した直後。
「ニグン様おかしいですね、こいつら弱すぎます」
「うむ…」
部下からの言葉に思わず頷くニグン。
もちろん神から与えられた装備によって自分達が強くなったというのは分かる。
結果として、以前とは段違いに彼らは強くなった。
だがそうではないのだ。
今まで何度もビーストマンと戦闘したことのあるニグン達には分かる。
ここにいるビーストマン達は明らかに弱い。
「ニグン殿!」
「おお、クアイエッセ殿、そちらはもう終わったか」
遠くからクアイエッセが使役するモンスターと共にこちらへ向かってくる。
「ニグンちゃーん、こっちも終わったよー」
それと同時に反対側からクレマンティーヌと彼女に着いていった純白のメンバーが現れる。
三手に分かれて行動した為、効率的に都市内を掃討することに成功した。
「ねぇねぇ、おかしくなーい? ビーストマンってこんなに弱いの? 聞いてた話と違うんだけどー」
「そうですね、私の方でもまるで手応えがありませんでした。このレベルならば竜王国といえど苦戦しないのでは?」
疑問を口にするクレマンティーヌとクアイエッセ。
「いや、かつて戦った時はここまで弱くはなかったのですが…、一体…」
二人の疑問を否定するニグン、しかし謎は残ったままだ。
「ニグン様!」
部下の1人が声を上げながらこちらへ駆け寄ってくる。
「どうした?」
「そ、それが…、大量のビーストマン達が立てこもっている建物を発見したのですが…」
「何だと!? すぐに掃討に向かうぞ! どこだ!」
「い、いや、それが…」
困惑する部下を怪訝に思いながらその場所へと向かう。
着いた先で部下の様子がおかしかった理由を理解するニグン。
「これは…」
建物の扉を開き中を見て驚く。
中にいたのはいずれもまだ子供のビーストマン達だったからだ。
「ニ、ニグン様、亜人種は我々人類の敵ですがその…、このような子供まで殺すのですか…」
「あー? 何ヒヨってんだお前?」
「やめろクレマンティーヌ」
横からクレマンティーヌが睨みを利かすがすぐにニグンが制止する。
「はぁ? ニグンちゃんまでどうしちゃったのさ、さっさとこいつら殺して次行こーよ。次があんだからモタモタしてる暇なんてないでしょ? 早くしないと神様に良いとこ見せれないしさー」
横でブーブー文句を言うクレマンティーヌ。
そこへ小さな石や家具が飛んできた。
「う、裏切り者の人間達めっ…!」
「ママを返せよっ…!」
「よくも爺ちゃんと婆ちゃんを…!」
投げられた物がぶつかっても純白の面々にはダメージなど無い、が彼等は唖然としていた。
ここに子供がいたのも予想外だが彼等の言葉の意味を理解したからだ。
この都市にいたビーストマン達は戦闘員ではなかった。
今までこんなことが無かった為、ニグンはその可能性を完全に失念していた。
竜王国を助ける為に派遣された時、戦う相手はいつでも戦士たちだった。
それが当たり前でそれしか知らなかった。
当たり前だ、戦場には戦士しかいないのだから。
もちろん作戦の一環でビーストマン達が近場に作った巣を襲撃したこともあった。
その時に老いたビーストマンやまだ子供のビーストマンを手にかけたこともある。
あの時は何も疑問に思わなかったがなぜ今ここで躊躇するのか。
それはこれだけの数のビーストマンの子供を見たからなのか。
それともその子供たちが殺された家族の為に泣いているからなのか。
それともその反応が自分達人間とさほど変わらないように見えたからなのか。
あるいは。
名犬ポチと出会ったからか。
名犬ポチと出会ってからニグンの中の価値観は大きく変わっていった。
そして惹かれ、焦がれ、崇拝し、心酔している。
なぜそうなったのか。
簡単だ。
名犬ポチの救済がただただ圧倒的だったからだ。
死など振りまかず、どんな犠牲も出さず、遺恨など欠片も残さず余すことなく救済する。
それが名犬ポチ、彼が信仰する神の御業。
悲しむ者など誰もおらず、周りの全てに幸福を振りまく。
ニグンの考える救済など置き去りにするほどに。
それに対して自分達はどうだ。
血に塗れ、他者からの憎しみをその身に受けている。
昔は疑問にも思わなかった。
亜人種をどれだけ殺してもそれが人類の為だと思えば清々しい気分でさえあった。
なぜならそれが正しいことだと信じていたからだ。
呪詛の言葉など軽く流すことができた。
だが今はもうできない。
知ってしまったからだ。
本当の救済というものを。
自分達が今までやってきたことの不完全さに改めて気づかされた。
今この都市には数多のビーストマンの死体が転がっている。
吐き気を催す血の匂いに、散らばる肉の欠片。
死臭が蔓延し、死を振りまく強者だけが闊歩している。
人はそれをなんと呼ぶだろう。
往々にして人はそれを地獄と形容する。
もちろん少し前までは逆だった。
ビーストマン達に人間達が蹂躙されていたからだ。
それも紛うことなき地獄だった。
ならばニグン達は地獄を変えることができたのか?
答えは否。
ニグン達は地獄を別の地獄で塗り替えただけだ。
なぜ神の体が白いのか不意にニグンは理解できた気がする。
白とは穢れなき色、その証。
正しくある為には汚れてはいけないのだ。
それに反して自分達は汚れている。
『純白』など名ばかり。
返り血で赤く染まった衣類はいつの間にか呪いのように黒く変色している。
「……」
押し黙るニグンに部下達もどうしていいかわからず困惑する。
「も~何やってんのさ! ニグンちゃんがやらないなら私がやるよ!」
そうしてクレマンティーヌが武器を抜こうとするがクアイエッセが止める。
「やめろ、お前も薄々気が付いているんじゃないか? 昔のお前なら宣言などせずにとっくに皆殺しにしていたのと思うのだがな」
「……っ!」
図星を突かれたというようにクレマンティーヌの顔が引きつる。
彼女も薄々気が付いていたのだ。
自分達が行っていることは本当に神が望んだことなのか、と。
まぁクレマンティーヌに関しては罪悪感というよりも神の意に反しているのではないかという想いが強いだけなのだが。
「とはいえニグン殿、ここまで来ては引くわけにはいきません。この場は私が…」
「いや、それには及びませんクアイエッセ殿」
クアイエッセの言葉を遮りニグンが前に出る。
「この者達が人間の敵であるのは間違いのないこと。もし非力な者を殺さねばならないとしたらその責を負うべきは私でしょう。私がやります」
「ニグン殿…」
そうして皆を下がらせニグンは建物に火を放つ。
その時に泣きながらこちらを睨みつけていた子供達の姿が目に焼き付く。
目を閉じてもその耳には甲高い子供の叫び声が聞こえてくる。
戦士とは違い、戦いの場に上がってきていない者を一方的に蹂躙する。
それは正義なのだろうか。
いいや正義だ、正義のはずだ。
今までそうやって生きてきた。
人間という種族が生き残る為ならば他のどんな種族を犠牲にしてもいい。
それが法国の教えなのだから。
だが今やその法国は無い。
しかしニグンは立ち止まるわけにはいかない。
なぜならニグンはそれしか方法を知らないからだ。
それしかできる力がないからだ。
だから人間の為に他者を排除する以外には選択肢など選べない。
「皆、時間が無い。生き残っている者の手当てが終わり次第すぐに次の都市へ向かうぞ」
ニグンの言葉に異論などあろうはずもないのに、心にしこりが残る面々。
一つの都市を救ったという晴れやかな気持ちなど何もなく純白は次の都市へ向かう。
再び地獄を作るために。
◇
「わ、わんっ(ひっ、ひぃ、ひぃ、ひぃぃぃ…)」
息を切らしてその場にへたり込む名犬ポチ。
それもそのはず。
もう5km以上走っているのだ。
エ・ランテルの時はここまでの距離は走らなかった。
「か、神様、どうしたんですか?」
へたり込んだ名犬ポチにブリタが駆け寄り顔を覗き込む。
「わ、わん(お、お前こんだけ走っても平気なのか…、ば、化け物だな…)」
ちなみに普通の冒険者ならばこれくらい走れるのは普通である。
ていうか少し動ける人間ならば皆走れる距離である。
「わん…(そ、そうだ、お前の頭に乗せろ、それでお前が走れ)」
身振り手振りでブリタに意思を伝える名犬ポチ。
「ええ!? 神様を乗っけて走るんですかぁ!? いやいいですけどどこまでです?」
ブリタの疑問も当然だ。
ブリタはただ急に走り出した神を追っていただけなのだから。
そして名犬ポチの指さす方向を見て顔面蒼白になる。
「えっ!? 向こうってビーストマンの大軍がいた所ですよね!? まさかそこに向かってるんですか!? 無理ですよ! いくら神様だって殺されちゃいますよ! あんな大軍相手に戦えるわけないじゃないですか! 神様が強いのは分かってますけど無理がありますよ! せめてニグンさん達と合流しましょう!」
「わん!(うるせぇ! そんな暇ぁねぇんだよ! 命がかかってんだよこっちはよぉ!)」
怒る名犬ポチの迫力にたじろぐブリタ。
渋々とその言葉に従う。
「ていうか凄く遠いですよ。高台からだから見渡せてるだけで実際にいくとなるとかなり時間かかりますよ」
ブリタの言葉にそれもそうかと冷静になる名犬ポチ。
とりあえずもう一度様子を見ようと近くの丘にブリタを上らせる名犬ポチ。
その頭にはすでに乗っている。
そして再び首都まで見渡せる場所に着くと改めてその距離に気付く。
「わん(そうだなぁ、やっぱり遠いなぁ。とてもじゃないけどあそこまですぐには行けそうにないな。やべぇ、どうしよう)」
「あ、神様、動きだしましたよ」
「わん(何ぃ!?)」
ブリタの言う通り目を凝らすとビーストマンの大軍が竜王国の首都に対して歩を進めているように見える。
「わん!(わぁマジかよマジかよ! 戦争始まっちゃうじゃん!)」
どうしていいかわからず頭を抱える名犬ポチ。
もう猶予は無い。
◇
次の都市を最初の都市と同じく制圧した直後の事、ニグンは最初に名犬ポチとしたやり取りを思い出していた。
竜王国がビーストマンに襲われているところを目撃した時。
神はなぜあの時、竜王国の人々を救済するのを躊躇われたのだろうかと。
これは自分達の力を試す為だと思っていた。
人は人の手で救え、と。
神の力は軽々しいものではないと。
そう言っているのだと思った。
だが本当にそうだったのだろうか。
自分の思い違いでなければ竜王国を救おうと言い出した時、神は嫌がっていたようにも思える。
いや、今ならばそうとしか思えない。
まさか神はこうなることを知っていたのか…?
ニグンの中に様々な思いが去来する。
この都市にも戦士のビーストマンはいなかった。
故に最初の都市と同じく純白によって新しき地獄へと塗り替えられた。
それと同時に心に残ったしこりはどんどん大きくなっていくばかり。
だが止めるわけにはいかない。
そうしなければ人間が殺されるからだ。
人間を救う為にこの殺戮は行われているのだから。
その証拠にこの都市にいたビーストマン達もニグン達が来たときに人間達を貪っていた。
だからだ。
正しいはずだ。
人間達を食い物にする悪しき者など殺して当然なのだ。
だがなぜだろう。
そう思いながらも、結果的にビーストマンとやっていることは変わりないのではないかと。
ビーストマンが人間を殺し、人間がビーストマンを殺す。
そこに違いはあるのか、と。
いや、ある。
ビーストマンは人間を喰う。
だが果たしてそれは悪いことなのだろうか。
人間から見ればもちろん悪いことだ。
だが生きる為に他者を喰らうのは当然の摂理だ。
人間だって動物を喰らう。
客観的な視点で見ればビーストマンは悪なのか?
むしろ、喰いもしない者を殺すほうが悪なのではないか。
ふとそんな思いがよぎる。
おかしい、自分はおかしい。
そう思ってニグンは必至に考えないようにする。
なぜこんなことを考えてしまうのか。
あれだけ信仰に厚かった自分が、神に触れることによってなぜこんなに揺らいでいるのか。
もうわからない。
ニグンには何が正しくて何が間違っているのか。
今はただ、ここにいない神に心の中で必死に祈るだけだ。
神よ、どうか私を導いて下さい。
どうか正しい道を示して下さい。
ああ、私はあまりにも弱いです。
神が、あなたがいないとすぐ道に迷う。
道を見失ってしまう。
「神よ…、私は今ビーストマンに襲われた都市を救っています…。多くの人々の命はすでに失われていましたがわずかな命は助けることができました…。私は正しいことをしています、そうですよね、そうだと言って下さい…! 神よ、どうか私達を…」
だがここに神はいない。
「あ…」
神がなぜここにいないのか。
不安に駆られたニグンにはそれが自分を否定しているような気がした。
「ニグン様!」
部下の1人が自分へと駆け寄る。
「どうした?」
不安を表に出さないように気丈に振舞うニグン。
「周囲を確認させに見張り台に向かわせた者から報告が! 竜王国の首都前に待機していたビーストマンの軍団が動き出したようです! このまま首都を攻めるものかと!」
「そうか…、動き出したか…!」
ニグンは逡巡する。
とてもではないがここから首都までは遠すぎる。
今から行っても間に合うかどうか。
このまま都市を順々に解放していき首都へ向かう予定だったがとてもそんな時間は無い。
流石にそこまで都合よくいかないかと歯ぎしりするニグン。
「ど、どうしましょうかニグン様…」
ハッキリ行って手詰まりだ。
とてもではないが間に合いそうにはない。
首都に向かってもその時にはもう陥落しているだろう。
「くそっ…」
初めから自分達には無理だった。
自分達では竜王国を救えない。
そして部下からの報告によると首都前に待機するビーストマンの数は10万以上。
恐らくそこにいるのが戦士たちなのだろう。
今回に限りなぜ戦士以外のビーストマンがいるのかは置いておくとして。
仮に戦いになったとして、神から賜った装備があろうとその数を殲滅できるのか。
流石に不可能だ。
体力が、魔力が持たない。
ニグンの目の前が真っ暗になる。
信仰に殉じるのは怖くない。
ただ、人々を救えない、それは。
とてつもなく、つらい。
◇
異変に気づいたのは最後尾の戦士だった。
竜王国の首都の前に座するビーストマンの大軍団。
その最も後ろに配置された戦士。
ある意味でそれは最下級の戦士であった。
ビーストマンの中では強い者が偉い。
そして偉い者はその武を持って部下達を鼓舞する為に先頭で戦う。
だから彼らが王である獣王はこの最前線にいる。
もし獣王がここにいれば少しは違った結末になったのかもしれない。
いや、やはり変わらなかったかもしれない。
「ん?」
妙な呼吸音が不意に聞こえ、後ろを振り返るビーストマンの戦士。
そこには息も絶え絶えになったびしょ濡れの人間の女がいた。
先ほどまで絶対に誰もいなかったはずなのに。
「神様…、酷い…」
そう言い残すとまるで糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
ドチャッという酷く湿った音が特徴的だった。
「わん(悪かったよ、さすがに無理させすぎたな)」
謎の鳴き声が聞こえたかと思うとその人間の頭から謎の白い生き物が姿を現した。
「わん(後で魔力が残ってたら回復してやるよ、だから少し待ってろ)」
この白い悪魔、いや名犬ポチはやはり極悪非道。
今この場に間に合う為に恐ろしい行為を働いたのだ。
《タイム・ストップ/時間停止》を駆使しひたすらブリタを走らせるという他者のことなど微塵も考えないえげつない行為。
もちろんブリタには時間停止対策のされているアクセサリーを装備させた上で。
さすがに距離がありすぎて魔力が持たなくなったので時間停止中にも何度か立ち止まりMP回復もしつつ。
要はそれだけの距離をブリタはひたすら走らされ続けたのだ。
そりゃ汗塗れにもなる。
到着した時に、「あ、疲労無効の指輪渡しておきゃ良かった」と思ったが後の祭りなので気にしないことにする。
名犬ポチは前向きなのだ。
「わん(さてと、お前達の偉い奴に合わせてくんねーか? 平和的に話し合いで解決しよーや)」
もちろん交渉が決裂した場合はボコボコにする気満々である。
ただそれ以前に自分の言葉が通じないことを思い出した。
ここにきてニグンがいないという失態に気付く。
やべぇどうしよう、もう面倒だからボコすか、そう考えていた名犬ポチだったが。
「あ、あ、あ、あ…」
なぜか名犬ポチを見て震えるビーストマンの戦士。
その表情は恐怖に彩られ、お漏らしもしている。
強さを感じ取ったわけではない。
名犬ポチの強さを感じ取れるレベルにはいない末端の戦士、それが何故にここまで怯えるのか。
エ・ランテルで起こした奇跡を知っているわけでもない。
まだ竜王国までその噂は轟いていない。
ならばなぜか。
それは。
「おい、どうし…うわぁぁあああ!!!」
「なんだ騒がし…いひゃああああああ!!!」
異変に気付いた者達が名犬ポチの姿を見ると次々に叫び声を上げ腰を抜かしていく。
「わん(え、いや何?)」
困惑する名犬ポチ。
もちろん何かスキルを使っているというわけでもない。
正真正銘、名犬ポチは何もしていない。
「じゅ、獣王様に伝えろ! あ、悪神が、悪神が出たぞっ!」
「い、言い伝えは本当だったのか…!」
「まさか、お、俺たちを滅ぼしに…!?」
ビーストマン達の混乱はあっという間に伝播していく。
わけがわからなのでとりあえず歩を進める名犬ポチ。
名犬ポチから逃げようと多数のビーストマンが必死で距離を取る。
その為まるで道を作るようにビーストマン達の軍団が割れていく。
名犬ポチを邪魔する者は誰もいない。
十万ものビーストマンの軍団が何をすることもなく名犬ポチを中心に真っ二つに割れる様は壮観でさえあった。
「わん(なんかわかんねぇけど結構話の分かる奴等じゃねぇか)」
そんなことを考えながら呑気に歩を進める名犬ポチ。
これだけの数が自分の為に動き道を作る。
ほんのちょっとだけ名犬ポチは気持ちよくなっていた。
◇
「獣王様ぁああああ!!!」
獣王の元へ一匹のビーストマンが慌てながら駆け寄る。
あまりにも慌てすぎて獣王の前で転んでしまうぐらいに。
「どうしたみっともない。もう進軍の指示を出した。俺もこれから攻めに参加する。急ぎでなければ後にしろ」
「そ、それが…それが…!!!」
部隊の後方であったことを伝えるビーストマン。
その報告を聞いた獣王の顔には次第に恐怖が宿っていく。
先ほどまでの威厳など嘘のように弱々しく震えだす。
「な、なぜだ…! や、やっと、やっと我らが悲願が叶うというのに…! なぜ今になって現れる…! いや今だからか…! 今だから現れたのか…! やはり神の言い伝えは本当だった…! 我々を…、いや! 神の痕跡を全て消しにきたか…!」
ビーストマン達には恐れる者がいる。
それは彼らが信仰する絶対の神と対を為す悪の化身。
神と何度も覇を競ったと言われる悪魔。
その姿形は神から聞かされており今のビーストマン達にも寸分の狂いなく伝わっている。
「ま、まさか獣王様…、ほ、本当に…!?」
「ああ…。間違いないだろう…。しかしなぜ600年前には姿を現さなかった奴が…。はっ! ま、まさか人間達もいや六大神すらも手駒に過ぎなかったというのか…! 全てあやつの掌で踊らされていたということか…! な、なんということだ…! くそっ…!」
「ど、どういうことですか獣王様!?」
「あの者はこの世全ての悪、きっと我々に希望を持たせておいて、それが叶う瞬間に最高のタイミングで希望を摘む為に現れたのだ…! も、もう終わりだ…! わ、我々は…ビーストマンの歴史はここで終わる…!」
情けなく取り乱す獣王とその部下達。
そこに足音が近づいてくる。
一歩一歩、ゆっくりとしかし確実に。
ビーストマンを根絶やしにするのが楽しみとばかりに。
「き、来たか…!」
獣王が後ろを振り向きその姿を確認する。
それは言い伝えの通り、この世全てを否定するかのような白。
その小さき体にはこの世全ての悪意が詰まっている。
神の力を持ってすら排せない魔。
諸悪の根源。
許されざる者。
「あ、悪神ヴェイルキンパーチ…!」
「わん(誰だそれ)」
その神は知らないだろう。
かつて酒の席で言ったただの悪口がこんな風に伝わるとは。
酒はほどほどに。
とはいえ。
あながち間違ってもいない。
次回『世界の中心、名犬ポチ 後編』種の終わり。
ニグン「迷子です」
獣王「おわた」
ポチ「わけわかめ」
最後に出てきた名前自体に特に意味はありません。
ちょっと言いたかっただけです。
メイケンポチ…ヴェイケンパチ…ヴェイルキンパーチ…
とはいえ今回も1話で収まりそうになく2話構成を予定しております。
よしなに。