Fate/EXTRA 汝、復讐の徒よ   作:キングフロスト

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プロローグ 始まりの時

 

 気が付けば、目覚めはいつも唐突だった。夢を見た感触もない。知らぬ間に、いや、()()()()()()()()()()通学路を歩いている。

 

 ただ、いつもと違うとするなら、頭痛が酷いという事だろうか。少し前から、日増しに頭痛は強さを増していき、そして今日。頭痛はついには警鐘のごとく脳に鳴り響いた。

 

 その日。あまりに強い痺れに、平時より二分だけ早く目が覚めてしまうくらいには、身体への影響があった。

 

 

 朝の通学路を行く。時刻は午前七時半、まだ余裕を持てる登校だ。雲一つない晴天。なのに季節ははっきりとしない、曖昧なもの。暑くもなければ寒くもない。

 今が何月の何日なのかを考えようとするが、狙ったかのように目眩で全てが真っ白になる。気を抜けば昏倒して、朝のベッドに戻っているかもしれない───

 

 なんて、そんな事は有り得ないのだろうが。倒れたなら、次に目を覚ました時にまず視界に入るのは、保健室の天井か、病院の天井か。はたまた『知らない天井が目に映った』という決まり文句を呟かなければならないかもしれない。

 

 急ぎ足のクラスメート達は、我関せずとばかりに先へと駆けて、あるいは歩いていく。それはそれで冷たいとも思わないでもないが、実際に倒れた訳でもなし。ぼーっとしている人間に声を掛けるような物好きは、そうは居ないだろう。

 そう、いつも通りの登校風景。お喋りで賑わう通学路。何一つ変化がない。何一つ変化はない。

 

 深く考えると、また目眩で視界が真っ白になりかける。

 

 

 今日は、校門の前は登校する生徒達で混み合っている。どうやら登校してきた生徒達が呼び止められているらしい。

 

 何が起こっているのかと言えば、校門には黒い学生服が一人。生徒会長である、友人でもある柳洞一成の姿が見える。どうやら彼が生徒達を呼び止めているようだ。

 

 そして、()()()()()()()()()()()()()()()。一成は視線に気が付くと、人波をかき分けてこちらにやってくる。

 

「おはよう! 今朝も気持ちのいい晴天でたいへん結構!」

 

 黒い学生服に似合い、黒い短髪と眼鏡がよく映える男子生徒。他の一般生徒は黄土色の制服を着用しているが、彼ら『生徒会』のメンバーは、黒い学生服の着用を義務付けられていた。

 ちなみに、控えめに言っても、イケメンの部類に入る彼は、その真面目で勤勉な性格と人当たりも良い事から、多くの生徒達からも慕われている。

 

「ん? どうした、そんなに驚いた顔をして。先週の朝礼で発表しただろう、今日から学内風紀強化月間に入ると」

 

 そんなつもりもなかったが、顔に出ていたのだろうか。彼は初めて開示する情報のように、丁寧なチュートリアルを口にした。

 

 知っていた。知っている。この展開は()()()()()。もう、幾度となく知っている。

 

 

 瞬間。思考したと同時、頭痛がする。目眩で、一日の開始に戻されそうになる。その強制退出に、意識をかみ殺して堪えた。

 

「では、まずは生徒証の確認だな。言うまでもないが、校則では携帯する義務がある」

 

 おまえは誰だ、という質問。決まっている。いつもは目眩で曖昧にされる質問に、はっきりと回答する。

 

「これでいい?」

 

 ポケットの中から生徒証を取り出し、突き出すように、顔写真と名前の入っている表を面にして一成に見せる。

 彼は提示された生徒証を軽く眺めると、爽やかな笑顔で、

 

「よろしい。天災はいつ起こるか分からんものだ。有事の際、身分証明が確かだと皆が助かる」

 

 確認が取れたので生徒証をポケットに突っ込むように押し込む。しかし、それにしても、どうにも吐き気がする。気分が悪いのは自分の体調不良とかではなく、吐き気がするのは、自分以外の全てだ。

 

 この世界そのものが、同じすぎて気持ちが悪い。

 

 だが、それとはお構いなしに、今度は一成による身だしなみチェックが入る。

 

「それでは制服へ移ろう。……襟よし! 裾よし! ソックスも……よーし!」

 

 気前よく確認の声を上げる彼の言葉が、今は無性に気分を悪くする。退いてほしい。その繰り返しをやめてほしい。黒い制服を押しのけて先に進む。

 乱暴に押しのけられた彼は、

 

「次は鞄の中身だが……、……うむ。ノート、教科書、筆箱、以上! 違反物のカケラも見つからん。爪もきっちり揃えられているし、頭髪も問題はない……と。うむ、実に素晴らしい。どこから見ても文句のつけようのない、完璧な月海原学園の生徒の姿だ!」

 

 誰もいない虚空に向かって、高らかに独り言を言っている。

 

 

 頭痛がする。悪寒をのむ。確信がある。

 

 ここは違う。ここは、決して自分の知る学校じゃない……!

 

 行かないと。早く目覚めないと。何もかも手遅れになる。何故───理由は分からない。けど、漠然とした中で、その確信だけはあった。

 

 目覚めは───一体、誰の為に───

 

 

 

 

 

 

 

 焦燥感と頭痛は増すばかりだ。けれど、このおかしな状況の突破口を見つけられないまま、結局、夕方になってしまった。授業も隣人の言葉も、全く頭に入ってこなかった。いや、()()()()()()()()()()より、この状況を脱する事こそがもっと大事な事だ。

 視界は相変わらずノイズに覆われている。

 

 違和感。空疎間。空虚感。

 

 誰か説明して欲しい。教えて欲しい。この感覚の正体を。でも、その答えを周りにいる他者からは得られない。それだけは確実に言える。

 

 どこかに……あるのだろうか。この感覚に答えを与えられる鍵のようなものが──

 

 教室には数える程しか生徒が残っていない。ここに得るべきものは最早ない。自分も早く行かなければ。

 教室を出ようと、扉に手を掛けた所で、背後から声を掛けられる。まだ残っていた女生徒のようだ。

 

「ねえ。岸波さんもおかしいと思わない? いつも居た子もどんどん休みになっていくのよね。ねえ、この学校ってちょっとヘンじゃない?」

 

 後ろを振り返り、女生徒の顔を見るが、もうノイズにまみれてどんな顔か判別も認識も出来ない。時間が無い。いちいち受け答えしている時間が惜しい。

 彼女の問いに答える事なく、手に掛けていた扉を開いて廊下へと出る。どこに行くべきか。どこに行かなければならないか。

 廊下は普段の夕方にしては、恐ろしいくらいひっそりと静まり返っており、分かる範囲に人は居ないようだった。

 ひとまず、何でもいいから情報が欲しい。ここは二階の廊下で、教室を出てすぐ右手には一階と三階へ繋がる階段と、そこを過ぎると図書室があった。ちなみに、自分のクラスは2-Aの教室だ。

 

 まずは図書室へと向かう。この時間なら、まだ図書委員や勉強している生徒が少なからず居るはずだ。

 何か無いかと期待を込めて、吐き気を堪えて図書室の扉を開く。教室で言えば二部屋分の広さを持つ図書室であるが、中はたくさんの本とそれらを収納する本棚。読書や勉強に使う机と椅子、そして本の貸し借りを受け付けるカウンターがあるのみ。

 そう。人間は誰一人として居なかった。無駄に広い空間は、人気無く空虚感で覆い尽くされている。

 

 ここじゃない。違う場所に行かないと。

 

 焦り図書室を後にすると、階段横の掲示板がふと目についた。普段何気なくスルーしているそれ。何故か、今は無性に見なければ、という焦燥感に駆られたのだ。そこに、大事な何かがあるような気がして───

 

 視界はノイズで邪魔されて、間近に行かなければ文字を読む事すら難しい。急ぎ掲示板の前まで走ると、目を見開く勢いで内容に目を通していく。

 

『月海原学園新聞 最終号

 「怪奇 視界を覆うノイズ」

 学園内に残った生徒達にお知らせデス。

 予選期間は、もうすぐ終わります。

 はやく真実を見つけだして、きちんとお家に帰りましょう。

 さもないと───

 

 

 

 一生、何処にも帰れません』

 

 

 その文面に、背筋が凍るような寒気を感じた。意味不明な内容のはずなのに、何故か、それを無意識下に受け入れている自分がいる。決してデタラメなどではない、この掲示板に貼られた新聞は真に忠告……いや、警告を発しているのだ、と。

 

 焦りばかりが募っていく。早く糸口を掴まないと、本当に手遅れになってしまう。上と下、どちらに行くかを考えて、直感的に一階に行く。三階には縁も無ければ行った機会もほぼ無い。それなら、まだ違和感の強い一階の方に行くべきだろう。

 

 そうと決めると迷わずに階段を駆け下りる。普段ならはしたないと一成あたりから注意を受けるだろうが、そんな気を回すほど余裕は無かった。

 

 そして、

 

「!!」

 

 一階に下りた瞬間、強烈な違和感に襲われた。階段の右手へと歩いていく誰か。紅い服を纏った生徒───そんな目立った格好を忘れるはずもない。同じクラスで転校生の、レオだ。

 彼が視界に入った瞬間に、締め付けられるような威圧感に挫けそうになる。普段のレオからは感じた事のない、圧迫されそうなほどのプレッシャー。やはり、何かがおかしい。

 

 そして、彼を追っていく生徒の姿があった。あれは……同じクラスの──

 

 

 そうだ、この学校を支配する違和感。レオからだけではない、思い起こせば、様々な空虚感があったはずだ。

 

 

 思い出せ。居るはずもない人間、消えていく生徒。剥がれていく世界観。

 

 目を背けるな。真実は何か。

 

 目を  るな。お前の知る世界は何なのか。

 

 目を背けるな。ここに居る、その意味を。

 

 追おう。この目覚めを、裏切らないために──。意味の無かった事にしないためにも───。

 

 彼らが消えていった廊下へ、自分もレオを追っていた彼と同じように走る。一年生の教室があるその廊下、そしてその先は行き止まりとなっていたはず。

 

 そして案の定、すぐに廊下の先で、レオと、同じクラスの男子生徒の姿が目に入ってきた。何やら会話しているらしく、意図せず気配を殺して様子を窺ってしまう。

 紅い制服……おそらくは改造、あるいはオリジナルのものであろう。その制服には金髪がよく似合っており、彼は後ろの男子生徒に背を向けたまま、壁に手を当てて話しかけていた。

 

「本当によく出来ていますね。ディティールだけじゃなく、ここは空気でさえリアルだ。ともすれば、現実より現実らしい。ねぇ……貴方達はどう思います?」

 

 貴方達? 一瞬気づかれたかと思い、ドキリとする。思わず口を両手で覆い、意味が有るのかも分からないのに今更ながら息を潜めて。

 

 が、レオは自分を無視して、振り返り彼と話し始めた。むしろ、こちらに気づいてなどいないのでは……?

 

「こんにちは。こうして話をするのは初めてですね」

 

 敵意など全く感じさせない笑顔を彼に向けるレオ。だが───その背後には、もっと別の何かが潜んでいる。さっきの恐ろしい程の重圧……それが関係している。何故か、そう思った。

 

「ここの生活も悪くはありませんでした。見聞の限りではありましたが、学校というものに僕は来た事がなかった。そういう意味ではなかなかに面白い体験が出来ましたよ」

 

 レオの言葉に、自分だけでなく、男子生徒でさえも意味が分かっていないようだが、構わずレオは続けた。

 

「……でも、それもここまでです。この場所は、僕のいるべきところではない。寄り道はしょせん寄り道。いずれは本来の道へと戻る時がくる。それが今……。少し楽しみすぎましたね。こんなにも遅れてしまうなんて」

 

 それだけ言うと、レオは踵を返し、こちらに背を向けた。

 

「さようなら。───いや、違いますね。お別れを言うのは間違いだ。今の僕は理由もないのに、また、貴方に会える気がしている。だから、ここは、『また今度』と言うべきでしょう」

 

 ますます訳が分からないレオの言葉。困惑する暇も無く、レオは別れを、いや、再会の約束を告げる。

 

「では、先に行きますね。貴方達に幸運を」

 

 そう言ったレオは、一瞬、確かに、こちらに視線を向けた。()()()()()()()()()()()()()、だ。

 やはり、自分が覗き見ていたのはバレていたらしい。そんな事を考えているうちに、壁に向かったレオは───その場から消えてしまった。否、壁へと向けて消えていったように見受けられる。

 

 そして、もう一人の男子生徒も、レオと同様に壁に手をかけ、消えてしまった。

 彼らが消える瞬間、ジジッと、視界のノイズが強くなり、脳幹に衝撃が走った。これは一体……どういうことだ?

 ここが、この違和感の終着点、という事なのだろうか……。

 

 自分以外誰も居なくなった廊下の先で、自分もまた、彼ら同様、吸い寄せられるように壁に手をかける。

 そうだ、ここが終着への出発点。真実を、この違和感の元を──。

 

 真実に目を凝らさなければならない。

 

 

 決意した瞬間に、場の空気がガラリと変わった。コンクリートの壁だった場所に姿を現した扉。それは入り口。それはこの世のモノに非ず。この入り口から行けるのは、ありえない世界に違いない。

 

 けれど、行かなければならない。偽りの日常に別れを告げ、自らがあるべき場所へと足を踏み出す──

 

 

 

 

 

 

 異界の入り口───

 

 扉の先は、その表現がぴったりの場所だった。一見、ただの用具室にしか見えないが、それにしては張り詰める空気は冷たく異質だ。そして何より、それを裏付けるかのように、目の前には、つるりとした肌の人形。それも、自分と同じくらいの大きさを持つソレが、静かに自分に体を向けて立ち尽くしていた。

 

 これは、この先で、自分の剣となり、盾となるもの……。どこからともなく、そんな声が聞こえてきた。

 何かが分かった訳ではないが、何をすればいいのかだけは示された。この先に、少なくとも違和感の手がかりがあるのだろう。

 ───奇妙な人形の従者と共に、とにかく、先へ進む事にしよう。

 

 

 

 

 道の先は暗く、果てしない闇が広がっている。幸い、足元は光る通路であったおかげで、なんとか先に進めていた。

 なんとも奇妙な感覚だ。空中を歩いているような、浮遊感のような感覚に囚われる。確かに地に足はついているというのに。

 

 少し進むと、周りの風景に変化が現れる。今度は電子データの中に居るかのような錯覚を起こさせる景色の数々。それらが自分よりも速く周囲を通り越していく。

 

 そして、再び景色が変わる。今度は半透明な足場と壁に覆われて、変調もない景色に覆われた少し狭い廊下。

 最早あの学校の面影など、微塵も残っていなかった。床も壁も、空気、気配、全てが違っていた。

 いつ物陰から怪物が現れてもおかしくない異様な空間。この場所を形容するには、ダンジョンの語がぴったりだろう。

 

 少し開けた空間へ出ると、再びあの声が聞こえてくる。入り口で聞いた、あの声だ。

 

『ようこそ、新たなマスター候補よ。君が答えを知りたいのなら、まずはゴールを目指すがいい。さあ、足を進めたまえ』

 

 怪しさが拭えないが、今はこの声に従う他ない。言葉通り、歩を進める事にしよう。

 

 それからすぐの小部屋へ到着すると、その部屋の中心に四角いキューブらしきものが目に映る。半透明で、そのキューブの中心が光りを放ち輝いていた。

 

『目の前に光の箱があるだろう? それはアイテムフォルダと呼ばれるものだ。試練を受ける者達への餞別として、君に贈ろう。触れて、開けてみたまえ』

 

 言葉のままに、そのキューブに手をそっと添えてみる。すると、ロックの解除が外れたかのように、キューブはバラけると中で光り輝いていたものが手元へと流れるように入ってくる。

 

『それはエーテルと呼ばれるマナの塊、その欠片だ。それを使えば、傷ついた君の人形を回復させられる』

 

 エーテル……? マナ……? 回復……?

 

 不可思議な単語と、物騒な言葉に頭を傾げながらも、次の通路へと足を向ける。しかし、そこには何やら浮かぶ球体が無作為に飛び回り、行く手を阻んでいるらしかった。

 

『それは敵性プログラム……エネミーだ。君に敵対行動をとるように出来ている。触れるとすぐに戦闘になるだろう』

 

「!!?」

 

 とうとう、物騒だと訝しんでいた事が現実となる。エネミー、つまりは敵。倒さなければ、先へは進めないという事。しかし、どうやって……。

 

『……といっても、実際に闘うのは君ではない。先程与えた人形だ。君はあまりに非力だからね。別に君が闘うなどという心配は必要あるまい』

 

 馬鹿にされている気がしないでもないが、しかしその言葉は事実。だからこそ、それを代行する者としてこの人形が居るのだろう。

 

『人形が攻撃を受け続け、もし壊れるような事があれば……君を守る者はもういない。すなわち、死だ。注意したまえ。なに、怖がる事はない。人形が勝手に闘い、倒されるのではない。君が人形に指示を出し、人形が指示通りに行動するだけだ。さあ、やってみたまえ』

 

 簡単に言ってくれるが、こちとらただの学生で、戦闘に関してはド素人なのだ。何をどうするなんて、全く分からない。

 

『……ふむ。仕方ない。しばらくは私の言葉通りにやってみたまえ』

 

 そうして、お手本を掲示されながら、エネミーの討伐、如いてはダンジョンの先を進む事になった。

 簡単に言えば、戦闘で指示を出すのはおおよそ三つ。攻撃、防御、突破である。分かりやすく言うと、アタック、ガード、ブレイクと言い換えられる。それらを状況に応じて指示を出してやればいいとの事らしい。

 うむ、実に簡単だ。これなら素人でもある程度は立ち回れるだろう。

 

 

 

 

 気がつけば、周りの風景にも変化があった。さっきまでの虚無かのような真っ黒な世界は消え、代わりに海の底にでも居るかのような、深い深い青が周りを囲んでいる。いわば、海だ。水が入ってこないのは、この不思議な半透明の床と壁のおかげだろうか。

 時折、恐竜の骨のような、化石のようなものが漂っており、深海と相まって不気味に映って見える。

 出来れば早くこんな場所からおさらばして、目的地、終着点へと辿り着きたいものである。

 

 

 何度かのエネミーを倒し、ようやく終着点、『最後の間』らしきものが見えてくる。渦潮のようなものに覆われたそこに、意を決し足を踏み入れて、中へと進入する。不思議と、渦潮は触れても何も感触はなく、すんなりと通り過ぎる事に成功する。

 さあ、これでようやく答えを得られる時が来た。この違和感の正体を、ノイズや目眩の原因を───。

 

 

 

 

 

 

 そして、辿り着いた。

 

 壁に出現した扉を抜け、長い長い通路を辿った先の先……。そこは、息苦しさすら感じる荘厳な空間。今は失われた、聖霊の宿る場所。ここがゴール。そう思えた。

 

 ふと目を周囲に向けてみれば、そこに、誰か倒れていた。顔を確認すると───先程レオを追っていた男子生徒だ!

 

 声を掛けてみるが、返事は無い。ゆすり起こそうと体に触れ、気付く。

 

 ───冷たい。

 

 思わず、先程の言葉を思い出した。

 

 

『すなわち、死だ』

 

 よくよく見れば、彼のすぐ側には自分と同じ人形が、膝をついて倒れているではないか。それと彼の冷たさが意味する事とは、つまり───

 

 目の前の事実に頭が混乱する。そのときだった。

 

 ギシリ。

 

 関節の軋む音を立てながら、彼の傍らに崩れていた人形が、カタカタと音を立てて立ち上がる。

 何度かエネミーと闘った今なら分かる。あれは、敵だ。

 

 人形は、大きく体を振ったかと思うと、そのままこちらに突進してきた。

 

「く!?」

 

 突然の突撃に、当然ながら怯んでしまう。焦り、人形に指示を出すが、焦りのせいで読み違えてしまう。

 敵の攻撃をガードするように指示を出したら、その瞬間に敵はガードを突破するための勢いよい回し蹴りを放ち、こちらがガードを崩すように指示を飛ばせば、大振りの隙を狙って、攻撃を放つ前に敵から攻撃されてしまい……。

 

 どの指示も、悉く弾かれてしまう。そうこうするうちに、こちらの人形はどんどんボロボロになっていく。それが余計に焦りを募らせ、敵の動きを読み違えるといった悪循環に陥ってしまう。

 

 そして───

 

「───あ、」

 

 人形は、敵の大きな蹴りを受けたのを最後に、ガタンと床に崩れて落ちてしまった。負けた。闘える者は居らず、残された自分に待つのは死───。

 

 絶望に支配され、思わずその場に人形と同じく崩れ落ちてしまう。終わった。何もかも。全て。もう何も残されていない。ここで、このまま死を待つばかり……。

 

『……ふむ、君も駄目か』

 

 倒れ伏す身に、遠くから声が聞こえた。

 

『そろそろ刻限だ。君を最後の候補とし、その落選をもって、今回の予選を終了としよう。───さらばだ。安らかに消滅したまえ』

 

 声はそう言い放った。残念そうに、かつ、祈りを捧げるように。この結末が覆らないと断言しているかのように。

 

 否定する力もなく、ぼんやりと床を見つめる事しか出来ない。その言葉通りに、このまま死んでいくのだろうか。

 突然、霞んだ視界に、土色の塊がいくつも浮かび上がった。いや、今になって見えただけで、元からそこにあったのかもしれない。

 それは、その塊は、幾重にも重なり果てた月海原学園の生徒達だった。

 

 どうやら、ここで力尽きたのは先程の彼だけではなかったらしい。ここまで辿り着き、しかしどうにも出来ず、果てていった者達は。

 ……そして間もなく、自分もその仲間入りするのだろう。

 

 

 ───このまま目を閉じてしまおうか。そうすれば楽になれる。

 

 やれる事はやった。これ以上何を望む?

 

 もう終わりにしてもいいのかもしれない。本当に?

 

 

 

 本当に、これで終わってしまって良いのか?

 

 

 

 

 答えは“否”だ。諦めたくない……。そう思って、起きあがろうと力を入れた。けれど、体中に激痛が走り、まったく動かない。人形の敗北=使役者の死とはこういう事でもあったのだろう。

 それならば……いや、それでも───

 

 

 このまま終わるのは、許されない。全身に駆け巡る痛みは、もう許容外の感覚だ。あまりに痛すぎて、目から火が出るどころの話じゃない。痛覚だけで眼球が燃えている。五感は指先から断裁されていく。

 恐い。痛みが恐い。感覚の消失が恐い。先程見た死体と同じになる事が恐い。

 

 ……そして。無意味に消える事が、何よりも恐ろしい。

 ここで消えるのはおかしい。おかしいと、ノイズにまみれた意識が訴える。ここで消えるなら、あの頭痛は何のために。ここで消えるなら、彼等は何のために。

 

 

 ───立て。

 恐いままでいい。痛いままでいい。その上でもう一度、考えないと。

 

「だってこの手は、まだ一度も、自分の意志で闘ってすらいないのだから───!」

 

 

 

 

 

 

 

「へえ……? 死を前にしてなお、立ち上がろうと? これはまた、酔狂な人間の居た事です。ですが……嫌いではないですね、その反逆の意志。どうせ貴方が最後の候補なのだし、私の為にも、せいぜい利用させてもらいましょうか。さあ、立ちなさい。その魂、私が貰い受けましょう」

 

 

 

 

 ガラスの砕ける音がして、共にさっきまで薄暗かった部屋に光が灯った。軋む体をどうにか起こし、頭痛に耐えながら辺りを眺める。

 部屋の中央には、いつの間にか、ぼうっと何かが浮かび上がりつつあった。

 

 その姿は───

 

 外見はほとんど普通の人間と変わらない。だが違う。明らかに。

 ここへ来るまでに出会った敵などとは比べ物にならぬ程の、人間を超越した力。触れただけで蒸発しそうな、圧倒的なまでの力の滾り。それが体の内に渦巻くのが、嫌でも感じ取れる。

 

 漆黒の鎧を纏い、何かを象った紋章を旗に掲げる美しい少女。それでありながら、狂おしい程の憎悪、絶望、憤怒といった負の感情が、彼女の周りから吹き荒れるように自身へと叩きつけられるような錯覚。

 冷たい美貌を身に着けた彼女は、その顔にニヒルな笑みを浮かべて言う。

 

「一応、形式的なものらしいので、仕方ないですが尋ねましょうか。それでは、問いましょう。貴方が、私のマスターですか?」

 

 『マスター』という単語、嫌々そうに口にする彼女に、

 

「はい」

 

 すごくスマート過ぎる回答をもって応えた。

 

「……ふん。まあ、これで契約完了としますか。それでは……サーヴァント、『アヴェンジャー』。ここに参上しました。せいぜい無様に足掻きなさい、その可愛らしい顔を歪ませて、ね」

 

 

 ここに、最後のマスターと、そのサーヴァントが契約を果たした。0から10へと至る少女と、その従者たる復讐者の物語が始まりの鐘を鳴らしたのであった。

 

 


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