彼女は私の返答を受けるや、その手に持った旗の柄の先端を差し出してくる。どうやら、それを掴んで立てという事らしい。
鋭く尖った先端を持つのは、少々躊躇いがあり、勇気が必要だったが、せっかく差し出してくれているのだから、その柄の先端を掴み、まだへたり込んでいた体を無理やり起き上がらせる。
と、握った手が僅かに発熱した。……鈍い痛み。一瞬手の平を切ったかと錯覚するが、すぐにそうではないと気づく。手の平ではなく、手の甲。そこに、何かを刻まれたような、そんな痛み。
そこには、3つの模様が組み合わさった紋章にも見える、奇妙な印があった。刺青のように皮膚に染み込んでいる。
呆気にとられて、その模様と目の前の人物を交互に見る。何が起こったのか、さっぱり分からない。
と。
ギシリ。
背後の物音で我に返った。振り向くと、そこには先程闘ったあの人形が身構えていた。
惨敗を思い出し、思わずたじろぐ。すると───漆黒の少女は、たじろぐ私の姿を鼻で笑って、私の前に立った。
「まったく、情けないマスターだこと。何を恐れるというのです? あんな木偶人形に、我が憎悪の炎がせき止められるとでも?」
面白くなさそうに、少女は大きな旗を掲げて、人形へとその旗の尖った切っ先を向ける。そして、声高々に宣言する。その声に、ありったけの侮蔑と憎しみを込めて。
「私は竜の魔女。復讐を果たす者。たとえ神だろうと、聖者だろうと、我が憎悪と憤怒の炎で焦がし焼き尽くすのみ! さあ、愚かなるマスター。光栄に思いなさい? 貴方に私の指揮をとらせてあげる。凡人らしく、無様に運命に抗ってみせなさい!」
黒き魔女は、私に指揮を任せると、そう言った。邪悪な笑みを浮かべて、私に足掻けと宣った。
……いいじゃないか。ここまでバカにされては、流石の私も黙ってはいられない。この高慢知己な魔女に、少しでも見直させてやろうではないか!
「行くよ! アヴェンジャー!!」
私は覚悟を決めると、アヴェンジャー、そして人形へと意識を集中する。同時に、アヴェンジャーの纏う空気も戦闘態勢に移行した事で、より重圧で濃厚な殺意を帯び始めた。
その時。先制攻撃とばかりに、人形がアヴェンジャーへと突撃を仕掛ける。大きく振りかぶった腕がアヴェンジャー目掛けて振り下ろされようと───
「アヴェンジャー、ガードして!!」
その刹那、私は叫んでいた。私のがむしゃらで必死の叫びに、アヴェンジャーはニヤリと口の端を曲げると、その手にした旗の柄で、人形の腕を受け止めた。
ガードされ、動きを一瞬止められた人形。すかさず私は次の指示を飛ばす。
「アヴェンジャー、そのまま人形を足で押し出して、そこに旗をお見舞いしてやって!」
「ふん……」
指示の通り、アヴェンジャーは人形の胴体に蹴りを入れ、がら空きの胴に綺麗にキックが炸裂する。蹴飛ばされ、怯んだ人形の背をその頭上から大きな旗の柄が襲いかかった。
「今度は柄で足下をガード! そのままガードした柄で人形に思い切り殴りつけて!!」
強烈な一撃を受け、地面に倒れ伏した人形は、回転する要領で起き上がりと同時に蹴りを放とうする。
しかし、そこには既に旗が立てかけられており、蹴りはアヴェンジャーへと迫る事はない。
そして、またしても攻撃を防がれて一瞬止まった人形の腹に、槍の柄の先端が叩き込まれる。
人形は旗の殴打を受け、大きくアヴェンジャーから離されるように転がっていった。そんな人形へ追撃を掛けんと、アヴェンジャーは転がる人形を追走し、起き上がった人形へと旗を叩き付けようした。
「! アヴェンジャー、ガードされる! 突き崩して!!」
「……!!」
立ち上がる瞬間、人形が追撃を防御しようとする素振りが見えた私は、即座にブレイクの指示を出す。アヴェンジャーも私の声に咄嗟に反応し、旗を叩き付けられる瞬間、そのまま叩き付けずに、旗と一緒に大きく体全身を振り子の原理で回転させ、より勢いを増した旗の一撃を繰り出した。
腕をクロスさせるように守りを固めていた人形は、その腕を砕かれ、肩へと強烈な振り下ろしが直撃する。メリメリとめり込んだ旗の柄を、摺り下ろすように抜き取ると、アヴェンジャーは膝をついて崩れた人形の肩に乱暴に足をかけ、尖った柄の先端を、その脳天目掛けて突き刺した。
「準備運動……といったところでしたが、まあ、良いでしょう。これで幕引きとしましょうか。さて、さっさと燃え尽きろ。この出来損ないの木偶人形」
言葉の終わりと同時、柄の先端が刺さった脳天から、ゴウッと勢いよく烈火の炎が立ち上った。
頭部から胸へ、胸から足へ。その全身に炎が回り、人形の体を焼き尽くさんと轟々と炎は燃え盛る。それこそ、地獄の業火とでも表現するのが正しいような。
不思議と、炎を生み出したアヴェンジャーは、未だに燃える人形に足をかけているというのに、炎が燃え移る気配は一切ない。
それどころか、その姿はまさに火炙りを楽しむ悪魔のようにさえ見える。人形が灼かれる様を、醜悪な笑顔で見つめて、本当に魔女であるかのごとく。
人形は、もう動かなくなった。……ここまで黒こげに焼き尽くされれば、動きようもないだろう。
「……ハア。でもやっぱり、人形ごときでは心の底から楽しめない。悲鳴も絶叫も、断末魔も聞けない火刑ほどツマラナいものはないわね」
彼女が何やら言っている。……が、その声は、ろくに耳に入ってこなかった。左手に刻まれた印の発熱。先程までは戦闘指揮による興奮で、あまり気にはならなかったが、今は違う。
戦闘が終わり、一息つけたと思った瞬間、忘れていた熱が一気に全身を支配する。
気づかなかっただけで、それは闘いの最中も徐々に強まり、今や耐え難い激痛となって、意識を白く焼き焦がす。
『手に刻まれたそれは令呪。サーヴァントの主人となった証だ。使い方によってサーヴァントの力を強め、あるいは束縛する、3つの絶対命令権。まあ使い捨ての強化装置とでも思えばいい。ただし、それは同時に聖杯戦争本戦の参加証でもある。令呪を全て失えば、マスターは死ぬ。注意する事だ』
再度あの声が聞こえてきた。どうにか痛みを堪えつつ、言葉に耳を傾ける。
『困惑している事だろう。しかし、まずは……おめでとう。傷つき、迷い、辿り着いた者よ。主の名の下に休息を与えよう。とりあえずは、ここがゴールという事になる。随分と未熟な行軍だったが、だからこそ見応え溢れるものだった。いや、私も長くこの任に就いているが、君ほど無防備なマスター候補は初めてだ。誇りたまえ。君の機転は、臆病ではあったが蛮勇だった』
……あらためて注意を傾けると、声はどことなく癪に障る。厚みを持った声は三十代半ばの男だろうか。こちとら霞む意識を必死にへばりつけて聞いているというのに、ムカつくことこの上ない。
場所が場所なだけに、重苦しい神父服をイメージさせる。神父のくせに人をイライラさせるとは、一体どういう了見か。
……いや、本当に神父かどうかは知らないが。
『おや、私のパーソナルが気になるかね? 光栄だが、そう大したものではない。なにしろただのシステムだ。私は案内役に過ぎない。かつてこの闘いに関与した、とある人物の人となりを元にした定型文というヤツだ。私は言葉であり、君が今超えた峰であり、かつて在った記録に過ぎない』
「ああ……人理記録に在った『冬木の聖杯戦争』の……。ま、私にとって、そんな事はどうでもいいのだけど」
アヴェンジャーは何か知っているような素振りを見せるが、すぐに興味なさそうに、焦げた人形をゲシゲシと蹴り始める。……非常に、嗜虐的です……。
と。そんな事より。
記録───では、この声に文句を言っても、何の答えも返ってこない、という事だろうか?
『そうだ。───だが、これもまた異例だな。君に、何者からか祝辞が届いている。“光あれ”と』
どこの誰かも分からない、何者かから贈られた言葉。……たった一言のそれが胸を衝くのは、込められた気持ちが真実だからだ。ただ“君に期待する”と。それは短くても、祈りのような言葉だった。
『では洗礼を始めよう。君にはその資格がある。変わらずに繰り返し、飽くなき回り続ける日常。そこに背を向けて踏み出した君の決断は、生き残るにたる資格を得た。しかし、これはまだ1歩目に過ぎない。歓びたまえ、若き兵士よ。君の聖杯戦争はここから始まるのだ』
声の語る内容は、全く意味が分からない。
聖杯戦争……?
生き残る資格……?
『然り。かつて地上には全ての望みを叶える、万能の願望機が存在した。人々はその奇跡を“聖杯”と呼称し、多くの欲望が無限を求め争い、しかして、至れる者は一人のみ。この闘い───このシステムは、そのカタチを継承したもの。聖杯を手にするただ一人になる為の、魔術師達の命を賭した戦争。君は今、その入り口に立ったのだ』
……全くもって、意味が分からない。だが、私の思考を無視して『声』は続ける。
『聞け、数多の魔術師よ。己が欲望で地上を照らさんと、諸君らは救世主たる罪人となった。ならば殺し合え。熾天の玉座は、最も強い願いのみを迎えよう』
その声はまさしく主の御言葉のように、不視の伽藍に響き渡った。
殺し合い……?
魔術師……?
願いを叶える聖杯……?
そんな、頭に渦巻く多くの疑問の全てを、この体に刻み込むように。
『闘いには剣が必要だ。それはマスターに仕えるサーヴァント。敵を貫く槍にして、牙を阻む盾。これからの闘いを切り開く為に用意された英霊。それが君の隣にいる者だよ。……しかし、また契約したサーヴァントがアヴェンジャーとはね。いやはや、一体どんな因果を持ったというのやら』
人形を蹴り遊ぶ黒鎧の少女を見る。彼女は特に顔を向けるでもなく、ひたすらに焦げた人形をイジメていた。
彼女が、サーヴァント……。そして、アヴェンジャー……?
『君の決断は、既に見せてもらった。もはや疑うまい。その決意を代価とし、聖杯戦争への扉を開こう』
その時。印───令呪と呼ばれていたそれが、再び痛みを増してきた。
駄目だ。もう耐えられない。
限界が来て、思考がホワイトアウトしていく。そのまま気を失う一瞬前に、あの声の、最後の言葉が聞こえた。
『では、これより聖杯戦争を始めよう。いかなる時代、いかなる歳月が流れようと、闘いをもって頂点を決するのは人の摂理。月に招かれた、電子の世界の魔術師達よ。汝、自らを以て最強を証明せよ───』
ここで、本当の、本当に、私の意識は途絶えた。自分の身に何が起きているのか。何が起ころうとしているのか。何をしなければならないのか。
漠然と、ただ『闘え』という言葉のみが、頭から焼き付いて離れなかった───。
「さあ、これでようやく聖杯戦争の始まりです。復讐者と契約を結んだ、哀れで愚かなマスター。後悔なんてさせてあげないから。そんな暇も無いほどに、私が貴方を憎悪で黒く塗り潰してあげる。……フフ。
アッハハハハ!!!!」