決戦当日という事もあってか、保健室やアリーナ入り口は固く閉ざされ、中に入るのはおろか、ピクリとも動かなかった。
決戦前に桜とお茶でもして心を落ち着けようかと思ったが、残念ながらそれは出来ないようだ。
夕方──慎二との決戦まで、私はアヴェンジャーと共にマイルームで時間が来るのを待っていたが、私は迫る戦いへの緊張で、自然と無口になっていた。
アヴェンジャーも何も言葉を発する事はなかったが、私と違い、ただ静かに闘志を鋭く磨き上げているように見られる。
これが、戦闘を直に経験した者と、そうでない者の差なのか。
彼女の闘気とも殺気とも言えないような、曖昧だが痛烈に身に刺さる強く鋭利な意志が、時間が来るまでの間中、ずっと私の精神を圧迫してきていた。
永遠にも思えたこの時間も、やがて終わりを迎える。
「……時間だ」
手に乗せてずっと見つめていた端末に表示されている時計が、決戦の時間が来た事を告げていた。そろそろ決戦の地へと赴かなければならない。
「……」
「……行くわよ」
端的にそれだけ言うと、アヴェンジャーは返答するよりも前に、私より先にマイルームを後にした。
私は、まだ決心も踏ん切りもついていない。そんな状態で戦場に向かって、彼女の足を引っ張ってしまうのではないかと、一抹の不安を胸に抱えたまま、マイルームを出たのだった。
相変わらず、校舎の中はシーンと静まり返っており、他のマスターの姿はない。既に決戦の終わった組は確実に存在するはずだが、それでも、その姿は影一つ掴めなかった。
静寂。それでいて何か大きな威圧感のようなものが、一階に降りるにつれて強く感じられ始める。その正体が何であるのか、それは目的地の手前に来て、すぐに分かる事となる。
階段を降りてすぐに、言峰神父が立っているのが視界に入った。彼自体に別段おかしなところは見られない。いつもと変わらぬ胡散臭さを纏って、彼は用具室の前に佇んでいる。
そう、問題は彼ではない。彼の後ろの用具室こそが、強烈な違和感と威圧感の正体だったのだ。
普段は何の変哲もないそこは、今は光り輝く鎖で封鎖されており、扉の中心の部分に二つの穴があって、そこが不自然な程に光を纏っていた。
そういえば、その部分の大きさがちょうどトリガーと同じくらいのサイズのように思われるが、もしかすると、ここがその鍵を使う場所──つまりは決戦場への入り口、という事なのかもしれない。
「ようこそ、決戦の地へ。身支度は全て整えたかね?」
私とアヴェンジャーに気付いたらしい彼は、それこそ聖杯戦争の監督役らしく、最後通告を行ってきた。
「扉は一つ、再びこの校舎に戻るのも一組。覚悟を決めたのなら、
今更、引き下がるなんて出来るはずもない。覚悟がどうあれ、私には進む他に道はない。
言峰神父の問いに頷いて返すと、彼は満足そうに、または不敵に笑ってみせた。
「いいだろう、若き闘士よ。決戦の扉は今、開かれた。ささやかながら幸運を祈ろう。再びこの校舎に戻れる事を。そして───存分に、殺し合い給え」
神父の言葉にしては、いささか不謹慎に過ぎるとは思ったが、そこには彼なりの真摯な気持ちが込められているような気がして、不思議とツッコみたい気持ちは起きなかった。
「………」
アヴェンジャーはマイルームを出てから終始無言を貫いている。私は、言峰神父が扉の前を譲ったのを見届けて、端末を扉へとかざした。
すると、端末の画面が光を放ち始め、そこから飛び出すように、アリーナで取得した二つのトリガーが扉の光る穴へとはめ込まれていく。
そして、トリガーがガチン、という音を鳴らしてはまった瞬間、解錠音のようなものが鳴り響く。それと同時に、光り輝く鎖は消滅していき、気付けば用具室の扉は、エレベーターへと変貌を遂げていた。
静かに開いたエレベーターの中からは、厳かな空気が外へと溢れ出している。やはり、そこは決戦への入り口に他ならなかった。
ゆっくりと、私はエレベーターに足を踏み入れる。それに続くように、アヴェンジャーも静かに私の隣に並び立った。
マスターとサーヴァントが乗り込んだ事を認識したのだろう、エレベーターは私達が乗り込んですぐに閉ざされる。これでもう、本当に後戻りは不可能となった。
ゆっくりと、私達を戦場へと運ぶ箱は、真っ暗のままに下へと降りていく。いや、沈んでいく。なんとなく、感覚的にそうなのだと分かる。
深みへと、今私達は当に沈んでいる最中だった。
やがて、深淵へと向かう箱舟の中で、私は、ここに居る人間が私
私達とは対面に位置する暗闇。そこに、暗闇であるというのに、ぼんやりとした人影のようなものがあると分かる。目が闇に慣れたからかもしれない。
向こうも、こちらと同じく、私達の存在に気付いたらしく、少し警戒したような気配が漂い始める。
そして、ようやくお互いにその姿を視認する事になる。
「やっぱり、岸波だったか。ふーん、なんだ、逃げずにちゃんと来たんだ。ああ、そういえばそうだったね、学校でも生真面目さだけが取り柄だったっけ」
声の主──慎二が、いつもと変わらぬ態度で私を見下してくる。何故か、それが私にはとても安心感をもたらしていた。
互いが互いに認識したからか、暗闇は薄れていき、完全に闇が晴れたこの場の全景が露わとなる。
私と慎二の間を隔てるように、半透明な壁があり、人が四人も乗るには少しばかり広い空間だった。
エレベーターに揺られながら、私達はどこまで降りていくのかも分からない状態で、到着を待たざるを得ないという事か。
「でもさ、学校でも思ってたけど、空気読めないよねホント。せっかく僕が忠告してやったのに」
それは慎二も変わらない。話しかけずとも、向こうから話しかけてきた。
「悪いけど、君じゃあ僕には勝てないよ。どうせ負けるんだから、さっさと棄権すればよかったのに」
ムカ。
いくら覚悟がまだ出来ていなくても、流石の私もイラッとくるのは仕方ない。
言い返さないのも、それはそれで癪だ。
「そんな事、やってみないと分からないよ」
「……は?」
壁ごしに、慎二の間の抜けた顔が見て取れる。こちらに触れないと分かっているはずなのに、慎二は堪え切れず、バカにしたような笑いを浮かべて近寄ってきた。
「なに言ってるんだお前? 僕との差を考えろよ。学校でだって、一度も僕には勝てなかっただろ? 何度も言ったよね。凡人がいくら努力しようと、天賦に届く訳ないんだって。まあ、相手が誰であれ関係ないか。僕には誰も勝てやしないんだから」
いつもの事ながら、この自信は一体どこから来るのか。いくら友人とはいえ、ナルシストも度が過ぎれば、果てしなくウザさ極まるな。
こちらの少々冷たい視線に気付いた様子もなく、慎二の口は止まる事を知らない。
「僕と僕のエル・ド……サーヴァントは無敵だからね」
「今更言い直したところで、無駄ですが。この子、そのサーヴァントの真名を見抜いてるし」
「……な!?」
自適悠々と語る慎二に、突然横から口を挟んだアヴェンジャー。彼女の言葉に、慎二はあからさまに取り乱していた。
「僕のサーヴァントの真名を……見抜いただって!? は、ハッタリだ。そんなのハッタリに決まってるさ!」
「フフン。なら、言ってやりなさいな、マスター? あの海賊女が、一体誰であるのかを!」
いやなんでアヴェンジャーが自慢気に話しているのか分からない……事はないのだけれど。まあ、私はあなたのマスターな訳だし?
少しばかり自分のマスターの出来るところを見せびらかしたいという気持ちは、分からないでもない。
別にアヴェンジャーの威信の為にという訳ではないが、ライダーの真名が何であるのかを答えるくらいなら良いだろう。
「分かったよ、アヴェンジャー。言うね、ライダー。あなたの真名は───『フランシス・ドレイク』。七つの海を股に掛け、当時無敵とされたスペイン艦隊を破った大海賊。そして、世界で初めて、航海で世界一周を成し遂げた偉大なる冒険家。それが、あなたの正体だ、ライダー」
「!!?」
「………」
私がライダーの真名を口にすると、慎二の顔にみるみるうちに大量の脂汗が浮かび始める。
しかし、そんな彼女のマスターとは対照的に、名前を言われた当の本人たるライダーは、無言のままに私の事をジッと見つめていた。
「……っは」
「……?」
一瞬、彼女が小さく言葉を発したかと思った次の瞬間、
「アッハハハハハハハハハ!!!!!!」
それはもう、楽しそうに、愉しそうに、快活に大笑いでもって私への返答としていたのだ。
「ハハハハハハ!! いや、笑った笑った! シンジが抜けてるとはいえ、少ない情報からよくアタシの真名を見抜いたもんだよ! こりゃお見事、としか言いようのないくらい、
……、認めた。ライダーは、自らがフランシス・ドレイクその人であると、高らかに肯定した。
「お、おいぃ!? おま、何認めちゃってるワケ!? とぼけるくらいしろよお前ぇぇ!!」
「アン? なんだい、情けないねぇ。当てられちまったもんは仕方ない、ならキッパリスッパリ認めちまいなぁ!! それに、だ。アタシの名が知られたところで、ここで勝ちゃあいいんだよ。それともなにか? アンタにはそれが出来ないってのかい?」
慌ててライダーへと詰め寄る慎二だったが、それを軽くいなして見せるどころか、挑発的に慎二を煽って、むしろやる気を引き出そうとしている。
流石は大海賊の船長。こうやってクルーの士気を上げていたのだろう、当時の情景が目に映るようだ。
「くっ……そ、そんなの当たり前だ! 僕が負けるはずがない。たとえ真名を知られようと、実力は僕の方が上なのは変えようのない事実なんだからね!」
ライダーの誘導に上手くノセられた慎二は、落ち着きを取り戻すと、先程よりも更に落ち着いたように見える。船長のカリスマ恐るべし。あの慎二をこうも簡単にコントロールしてみせるとは……。
アヴェンジャーもアヴェンジャーで、自慢する事で相手のペースを乱そうという目論みでもあったのだろうが、当てが外れて面白くなさそうにしていた。
「それにしても、お前も運が悪いよな。一回戦目から僕に当たるなんて。もしこれが決勝戦だったら、友人のよしみでちょっとくらいは見せ場を作ってあげても良かったんだけど───」
言いかけて、途中で何か思いついたらしい。慎二は嬉々として、それを提案しようとしてくる。
「ああ、そうだそうだ、いいコト思い付いた! これからの戦いで、君に得になる話だけど、聞くかい?」
慎二の事だ、どうせロクな話ではないだろうが、聞くだけ聞いてみるか。聞くだけならタダだし。
「一応、聞かせて」
「賢明だね、それでこそだ。……まあ、こういうコトを僕から切り出すのはちょっと気が引けるんだが……」
それなら言うな、というツッコミたい気持ちを必死に抑えて、続きを聞く。
「……君さ。この戦い、わざと負けない?」
ほんの僅かな間だが、一瞬、私は固まった。彼が何を言ったのか、それを頭で再確認する必要があったからだ。
「何を、言ってるの……?」
「だって無駄じゃないか! 真名がバレたところで、僕の圧勝は目に見えてるけど、それでもほんとに少しは消耗するからな。戦いってのは如何に戦力を温存するかだ。勝ちが見えている戦いでも、勝者はカードを切らなくちゃいけない」
なんだ、その上からの物言いは。戦う前から、もう結果が見えている? そんなの、やってみなくちゃ分からないじゃないか。
「勝つにしても、そこが辛いところなんだが……ほら、君がわざと負ければ僕は力を温存出来るし、君も痛い目に遭わずに済む! どうだい? 実に合理的だ! 君も無意味に負けるよりは、僕の役に立った方がいいだろう? 余計な怪我をさせる事もないしね。本当に戦うとなると、僕のサーヴァントは手加減が出来ないからな。そうだ、大サービスで、優勝賞金を分けてあげてもいい。僕が欲しいのはタイトルだけだしね」
慎二からすれば、この提案は私への温情のようなものなのだろう。だから、怪我の心配や賞金の分け前などを引き合いに出してきたのだろうし。
だけど、それはアヴェンジャーの事を完全に無視した提案でしかない。彼女は、何か目的があったからこそ、この聖杯戦争に参加し、私をマスターとしてくれた。
その彼女を無視したような提案を、私が受けると思っているのか、慎二は?
「どうだ、夢みたいな話だろ? 友人同士、手を取り合って先に進もうじゃないか!」
そう言って、決して触れる事は叶わない手を差し出してくる慎二。私は当然、彼に対してこう答える。
「断るよ。私は、その提案を受け入れられない。ううん、受け入れるべきじゃない。受け入れちゃいけないんだ」
「ちゃんと戦うって? ……はあ。お前って本当にバカなんだな」
心底、残念だと言わんばかりに溜め息を吐く慎二。あまりにもわざとらしいそれに、こっちこそ呆れて言葉も出ない。
「呆れを通り越して哀れだよ。……そっか、分不相応の力を手に入れて、僕に勝てるとかドリームを見ちゃったのか。おい、そこのサーヴァント。お前からも言ってやれよ、諦めた方がいいって」
私が提案に応じないと分かるや、今度はアヴェンジャーに説得するように持ちかける慎二だったが、彼こそバカなのではないかと思いたくなる。
そんな提案、今までのアヴェンジャーとのやりとりで、どう返されるかなど分かっているだろうに。
当然、アヴェンジャーは慎二の方を見ながら、ありったけの嘲笑を加えて答えた。
「やっぱり海藻類はどこまで行っても海藻類なのですね。海に揺られてたゆたううちに、脳細胞が死滅したのかしら? ……あ。これはごめんなさいね。ワカメには脳細胞どころか、考える為の脳すらありませんでしたね」
毒舌に毒舌を上乗せしたような毒を吐いたアヴェンジャーに、慎二は今まで見た中で一番と言える程の怒り顔になる。効果抜群すぎて、ちょっと怖いんだけど。
「な……!! ぼ、僕になんて口を!! 所詮は使い魔の、サーヴァントの分際でっ!!!」
「アハハハ、言われちまったなぁ、マスター」
自分のマスターが盛大に貶されたというのに、面白そうに笑うライダー。当然、それに慎二は更に怒りを爆発させる。
「お、お前! どっちの味方なんだよ!?」
「そりゃアンタに決まってるだろ。アタシはアンタの副官だよ? 金額分はきっちり働かせてもらうさ。でもなぁ、八百長なんざツマらないだろ? 手加減とか出し惜しみとかよしてくれ。アタシゃ宵越しの弾は持たない主義さ。いいじゃないか、食い物も男も女も殺し合いも、真っ向勝負が一番気持ちいいんだからさ!」
マスターである慎二とは違って、ライダーはここで完全に決着をつけたいらしい。何度となく小競り合いをして、時に押し、時に押された相手───アヴェンジャーと。
「どうせアタシら悪党だろう? 悪党の利点なんて、食い散らかせるコトだけじゃないか。湿気った花火なんざ誰も喜ばない。アンタも悪党なら、派手にやらかせばいいんだよ」
「誰が悪党だよ! ぼ、僕をお前なんかと一緒にするな、この脳筋女!」
「はっはっは! いいね、その悪態はなかなかだよシンジ! アンタ、小物なクセに筋はいいのが面白い!」
慎二の悪口を受けて、ライダーは怒るどころか彼を褒めた。そればかりか、少し乱暴な手付きではあるが、ワシャワシャと慎二の頭を豪快に撫で始める。
「ちょ、やめろ、やーめーろーよー! 頭撫でるな、この乱暴者! あと酒臭い! 真面目にやれよな!」
……。
この二人、実は良いコンビなのかも知れない。マスターとサーヴァントは相性の良さで選ばれるというが、慎二にとってはこの手の豪快な女性が“共闘に適して”いるのだろうか?
なんだか分かる気がする。二人を見ていると、調子に乗っている弟分を軽くあしらう豪快な姉貴分──という構図が浮かんでくるからだ。
そうこうしている間も、エレベーターは決戦の地へと着実に近付いていた。私達が、それを実感する事もなく、唐突に終わりはやってきた。
ゴウン、という軽い振動と共に、エレベーターが止まる。いつの間にか終着点まで来ていたようだ。
扉が開かれ、これで本当の意味で、戦場への道は開かれた。この先に進めば、いよいよ慎二達との決戦が始まる。
自然と私達は、互いに壁ごしにマスターとサーヴァントで並んで向かい合っていた。ついに、刻は来たのだ。
「……ふん。素直に降参しとけば、トドメの一発くらいは勘弁しといてやろうと思ったのにな。いいよ。お前がその気なら、遠慮なくやってやる。圧倒的な実力差ってヤツを思い知ればいい。僕のエル・ドラゴのカルバリン砲でボロボロになって後悔するんだね!」
自信たっぷりに言い放ち、慎二はライダーと共にさっさと扉を抜けて行く。
「私達も行きますよ、マスター。あの軽薄なワカメとは、ここで完全にケリをつけましょう」
アヴェンジャーはゆったりと、そして堂々と扉を潜る。ここまで来たら、いや、来てしまったら、もう行くしかない。後戻りなんて最初から出来ないと分かっていた。
ここから校舎に帰れるのは、たった一組のみ。負ければ、死。それが本当かは分からないけど、その一点においてのみ、何故か確信めいたものが、私の胸にはあった。
私は生きたい。ただそれだけの理由の為に、今は戦う。目的も、この先も戦う覚悟なんてないけど、とにかく、今を生き残る為に私は───
────友と戦う。