戦いは終わった。
自分が勝ち、慎二が負けた。その結果、慎二は消滅───死を迎えた。
……本当に?
間際の姿をはっきりと見たが、どうにも実感がない。
本当に、命が一つ、永久に消え去ったのか?
自分が勝っただけで?
何の説明も、何の価値もないままで?
慎二の消滅を目にし、茫然となる私をアヴェンジャーが無理にエレベーターに押し込め、校舎へと帰る箱に揺られる中で、私はそんな事ばかりを繰り返し思考していた。
「一回戦、終わったみたいね」
どれだけ呆然と立ち尽くしていたのか。気が付けば、遠坂凛がこちらを睨み付けていた。
どうやら知らないうちに、私は校舎へと戻ってきていたらしい。
「シンジはアンタと戦うって言ってたから、負けて死んだのはアイツの方ね。アジア屈指のゲームチャンプも形無しか。まあ、命のやりとりなんて話、あのバカには未体験だっただろうけど」
さも、当然だと言わんばかりに、慎二が死んだのだと確定したように語る凛。
一流の中の一流とも言うべき、その凛がそれを口にした事で、慎二の死という事実が、私の胸に重くのしかかる。
「遊び気分でこの聖杯戦争に参加した
「……っ!」
死者を冒涜する言葉に、私は反射的に言い返そうと口を開いたが、
「ここは戦場なのよ。敗者に肩入れしてどうするの」
彼女の言葉と、眼差しが告げていた。
戦場では負けた者がただ死ぬ。それだけの事。
アヴェンジャーだって、ライダーだって言っていたはずだ。この聖杯戦争は殺し合い、負け
誰もがそんな事は分かっていて。分かっていない慎二や自分が、場違いであり、異常なのだと。
もう、何度もそれを感じたはずではないか。
「聖杯戦争で勝利した一人は、手にした聖杯でどんな願いでも叶える事が出来る。だからこの場所に来た者達はみんな、願いを、望みを、どんな事があっても叶えたい目的を持っているのよ。もちろん、そのために命を奪う覚悟、敗れた時に命を失う覚悟も持ってる」
聖杯戦争に参加する
それは、軽はずみに参加した者達にも余儀なく義務付けられた、言わば宿命なのだ。
ここに入った時点で全員死んだようなもの───ライダーが死の間際に言っていた言葉だ。
承知の上で聖杯戦争に参加した者も、知らずして命懸けのデスゲームに参加してしまった者でさえも、等しく同じ運命を辿る。
そこには慈悲などなく、本当にたった一人だけが、勝利と栄光、そして万能の願望機を手に入れ、そして残り全ての人間は漏れなく死が待っている。
もはや知らなかったで済まされる話ではない。参加してしまった以上、殺し合いをする覚悟を、嫌でも持たなければならないのだ。
「その様子じゃ記憶、まだ戻ってないんでしょ。……それはいいわ。目的が無いのはいい。けれど、覚悟くらいは持っていなさい。覚悟もなしに戦われるのは目障りなの。死ぬ覚悟も殺す気概もないのなら、世界の隅で縮こまっていて」
凛のこれは、決して忠告ではない。警告だ。
死ぬ覚悟も、殺す覚悟も持てないなら、ハナから参加するな、と。
そうでなければ、私など戦うに値しないのだ、と。
邪魔だ。端的に、そう言われているのだ。
だけど、私だって人間だ。それも、記憶すら戻っていない素人でしかない。当然ながら、いきなり覚悟を持てと言われて、持てるかといえば、容易な事ではない。
まして、慎二の死を目の当たりにした直後。今までの決意や覚悟も、あの無惨な最期を前にして簡単に瓦解した。
「そんな事、急に言われても……」
「現実逃避もいいけど、布団を被って丸まってても、二回戦は必ずやってくるわ。覚悟もなしに勝てるようなマスターなんか、もう残ってないわよ」
何もかもが、凛の言う通りだった。
この場にいる者は、みな強い意志を持って立っている。
そんな相手を前に、流されるまま戦っていては勝てるはずもない。
自分には、まだ、勝つ理由が存在しない。
覚悟以前の問題だ。そんな自分に、彼らの願いを踏みにじる権利があるのだろうか……?
遠坂凛は押し黙ってしまったマスターに溜め息一つを残して、そのまま階段を上がって行った。どうせまた屋上にでも行ったのだろう。
マスターは、遠坂凛が既にこの場から居なくなっている事にすら気付いた様子はない。
頭の中で、遠坂凛に言われた言葉を何度も反芻しているのかもしれない。
俯いたまま、瞬きもほとんどせず、焦点がどこか定まらない、少しばかり虚ろな瞳には、一体何が映っているのだろうか。
十中八九、あのシンジとかいうワカメマスターの残像だろう。あの男はくだらない、実に人間としても
だが、マスターからすれば、あんな男でも一応は友人だったのだ。それを、自らの手に掛けた事を、まだウジウジと引きずっているに違いない。
友人。
私からすれば、それが何だという話ではあるのだが。
そんなもの、殺し合いに邪魔なだけだ。友情などというあやふやなものに惑わされ、挙げ句殺されては良い笑い物でしかない。
友など、いつ裏切るかも分からない。自分の利に反する時には、友だろうと大概の人間は裏切りに走る。
ましてや、この月の聖杯戦争において、友情など不要の長物。互いに殺し合いを強要された時、果たして友情は成立するか?
成立などするはずがない。人間は誰しも自分の身が可愛いものだ。他人の命と自らの命を天秤に掛ける時、大抵の人間は我が身可愛さ故に、他人を犠牲にする。それが普通なのだから。
我が子なら、流石に話が変わるかもしれないが、友など所詮は赤の他人。切り捨てて然るべきなのだ。
だけど、それが出来ない人間も当然いる。残念ながら、我がマスターがその良い例だ。
確かに敵であった間桐慎二をマスターは倒した。だが、そこに殺意があったかと言えば、否である。
殺すつもりはなかった。殺したくもなかった。だけども殺してしまった。
故意ではないが故の罪悪感。友を我が手に掛けてしまった事への虚脱感。友の死を目の当たりにした絶望感。
それら全てと、その上、記憶が戻らないがためにこの聖杯戦争に目的も意味も見出せない事が絡み合い、マスターを更なる虚無へと誘おうとしている。
無知は罪というが、はて、マスターはこの罪にどう抗うというのかしらね?
このまま、目的も思い出せないまま聖杯戦争を無為に突き進むのか、それとも、何か意味を見つけて勝つ事を望むのか……。
契約した以上、サーヴァントとして貴方の行く末を見届けてあげる。
どの道、復讐者と契約したマスターには私と同じ、地獄が待っているのでしょうけど、ね。
さて、そろそろマスターにも動いてもらわないと。いつまでも下を向いたまま、こんなところで立ち尽くされていても困るのだし。
『マスター。遠坂凛に言われたでしょう? どんなに足掻いたとて、次の戦いは必ずやってくる。別に悩むのなら、好きにすればいいわ。だけど、これは貴方だけの聖杯戦争ではないのよ。これは私にとっての聖杯戦争でもある。それだけは常々忘れない事ね。さもなくば、私に寝首をかかれる事になると思いなさいな』
霊体化したままで、私はマスターに声を掛ける。マイルームに戻れば、そこに備わった自動修復機能によって傷も完治するが、かなりのダメージを負った状態で現界し続けるのは負担が大きいからだ。
「………あ、……ごめん」
半ば脅しにも近い私の言葉にも、考えがまとまらないのか、マスターは渇いた返事だけをして、覚束ない足取りで歩き始める。
見ていて危なっかしいが、生憎こちらとて肩を貸すだけの余力は無いし、そもそも肩を貸す気もサラサラない。
まあ、校舎内ではよっぽどの事でも無い限り、死ぬような心配はいらないだろう。せいぜいコケて痛い思いをするくらいだ。
……。それにしても、マスターがあの調子ではまるで張り合いがない。
戦闘に支障さえ無ければ別に問題ないが、いつまでもあの状態でいられるのは鬱陶しい事この上ない。
さっさと振り切ったら良いものを……これだから人間は面倒くさいのよ。
聖杯戦争、全ての一回戦は終結を迎えた。
これでほとんどの甘い考えを持ったマスター、そして実力の伴わなかったマスターは敗退し、消滅した事になる。
これから先は、真の意味での殺し合いの幕開けだ。聖杯戦争の重みを知る者達の、本当の殺し合い。
単なる生存競争ではなく、聖杯を求めてまで何らかの願いを叶えようとする、一流の者達による欲望の競い合い。
それこそ、聖杯戦争に相応しきものだ。
自らの欲望を満たすために、欲望同士がぶつかり合い、殺し合い、戦いの末に最も強き欲望を持った者が、聖杯を手にする。
欲望の塊である人間だからこそ、それを観測するために開かれたこの聖杯戦争。
さあ、本当の戦いはこれからだ、全てのマスター諸君。
持てる力の全てを以て、その巨大な欲望を白日の下に晒け出すがいい。
浅ましき欲望をこそ、ムーンセルは肯定し、受け入れる。それが人間の原動力であると知っているからこそ、ムーンセルは利用し、観測するのだから。
「………む? これは……」
全ての一回戦の
全てのマスターによる決戦自体に不備はない。滞りなく終了した事に間違いはない。
だが、これはどういう事だ?
128人のマスターが二人一組で殺し合ったはずだ。なのに、何故──残ったマスター数が
「……。何かのバグか、それとも何らかの不正か。もしくは……いや、まだ結論を急ぐのは早いか。仕方ない、全ての運営委員会メンバーを召集し、問題解決に当たるとしよう」
全くもって面倒なものだ、聖杯戦争運営管理責任者というものは。
これならば、聖杯戦争に参加していた方がまだ幾分気楽というものだろう……。
「単なる表示ミスであるなら、余計な面倒もなくて良いのだがね。さて、一体何が潜むのやら……」
「……ここは?」
ふと、彼女は深い微睡みから目覚めた。
彼女のぼやけた視界には、何も映らない。
いや、映らないのではない。視界は黒く覆われ、そこには何も無いのだ。
何も無いから、何も映らない。見るべきものが無いのだから、何も見えないのも自明の理というもの。
「っつう……頭が痛い」
光すら届かぬ闇の中で、彼女の思考は頭痛によりクリアになっていく。
「アタシは……死んだはずだ。ってコトはアレか? ここはあの世ってか? シャレになってないねぇ」
彼女──ライダーは頭を押さえながら、アヴェンジャーに貫かれたはずの胸に手を置いた。
しかし、やはりそこには抉られた傷跡が残っており、これが現実であるのだと認識せざるを得ない。
「……負けたサーヴァントは、誰彼構わずここに落とされるってコトなのか? いや、それにしたってアタシだけしか居ないってのは妙だ。……一体ここは何だ?」
闇の中というだけで、もしかしたら自分のように負けたサーヴァントが居るだけかもしれない。もしくは、個別にこの暗闇の空間に閉じ込められるのか。
どちらにせよ、どれも憶測の域でしかない。他に情報もない現状、確かめようにも不可能だ。
「八方塞がり…か。シンジはどうなったんだ? アイツもどこかに捕まっちまったか?」
「居ない」
不意に、ライダーの耳に少女と思しき声が届いた。
驚く事に、それは彼女のすぐ近くから聞こえ、だけどもその姿を視認する事は叶わない。
「誰だい、アンタ……」
当然、ライダーは警戒を露わに、自然と身構えていた。この何も見えない闇の中、いつ攻撃されても対処するのは難しい。
それでも、警戒だけは怠る訳にはいかないのだ。
警戒心を全開にする彼女に対し、闇に溶け込んだように姿の見えない少女は、気にした様子もなく、最初のライダーが発した疑問にのみ答える。
「慎二は居ない……。ここに招いたのは、あなただけ……」
淡々と最初の疑問に答えるその声音には、まるで感情が籠もっていない。表情が窺えない以上、その声から喜怒哀楽の感情を読み取るしかないというのに、彼女はそれすら許さない。
声の主である少女が敵なのか、判断に困るライダーだが、ひとまず情報を集める事に専念する。
「そうかい。つまり、シンジの野郎は御多分に漏れず、他マスター同様にくたばってるか。んで、
「……そんな事も分からない? 星の開拓者であり、嵐の航海者、フランシス・ドレイクともあろう英雄が……」
少女は迷わず、ライダーの真名を口にした。それが何を意味するかを分からぬ程、ライダーも阿呆ではない。
「お前、何でアタシの真名を知ってる?」
知っているのはマスターである慎二、元々知っていたらしいアヴェンジャー、そして推測の末に言い当てた岸波白野だけのはず。
遠坂凛のように、慎二が自ら絡みに行ってバレたという例外もあるが、それも彼女だけだったはずなのだ。
故に、その四人以外に知っている者が居るなど有り得ない。
なのに、どうして少女は知っている。知るはずのない真名を、何故把握出来ている?
警戒心はもはや最大限にまで高まり、ライダーはすぐにでも迎撃出来るように拳銃に手を伸ばす。
「無駄だよ、ライダー……」
「! ッグァァァッ!?」
伸ばしたところで、手の感覚が消失した。正確には、腕から先の感覚が。
途端、凄まじい激痛に襲われる。胸に空いた穴は痛みすら感じないというのに、失われた腕の断面からは経験した事のない痛みを。
そうだ、何か剣のようなもので、腕から先を斬り落とされたのだ。
「グゥゥゥゥ!!!? て、テメェ、何モン……!?」
「さあ、もう一度殺してあげる。今度はもっと痛いよ……? もっと、悶え苦しむよ……? だけど、きっと愉しいよ……?」
闇の中であるというのに、苦しむライダーの姿が見えているとでもいうのか、先程までの感情の無い声音は、それはもう無慈悲で楽しそうな感情を孕んでいた。
「ふざけ、───ァ」
そして、ライダーの声は途絶えた。この世界から、完全に『フランシス・ドレイク』という英雄が消えた。
英雄フランシス・ドレイクという概念が、ではなく、『彼女』という存在が。
「……まだ足りない。まだまだ足りない。もっと、もっと……。さあ、どうか勝ち進んで、岸波白野……。ふふ、うふふふふふふ」
笑い声だけが不気味に闇へと響き渡る。
月の聖杯戦争は、薄暗くどす黒い願望すらもその内に秘めて、その第一回戦がここに終結した───。
これにて、第一回戦は完全に終結です。
様々な思惑が渦巻く月で、
まだ始まったばかりです───。