魔術師による生存競争。
運命の車輪は回る。
最も弱きものよ、剣を鍛えよ。
その命が育んだ、己の価値を示すために。
私は無知なひよこです
空が焼けている。
家が溶けている。
人は潰れている。
これが戦いの源泉。これが再起の原風景。ここで『私』は、ただ一人生き延びた。
思い出すな/忘れるな。
忘却は至上の救いであり、最悪の罪である。
忘れるな。
地獄から『私』は生まれた。
これは忌まわしい夢。何処かであった、何処にでもあった、そして
多くの血が流れ、響き渡る
───それが、どうしても承伏出来なかった。何故、という疑問が消えなかった。
紛争と天災の違いはあれ、何故このような悲劇は起きるのか。何故誰をも救う事が出来ないのか。
いや、そもそも───何故世界は、この地獄を許すのか。
『当然でしょう? だって、世界は残酷なのだから。過ちが当然のように
……穏やかな雨が降る。カタチあるもの、生あるものは、ひとりを残して消え去った。
無力感と絶望の中、意識は薄れていく。胸にあるのは疑問と怒りと───
雨を頬に感じながら、瞼を閉じる。多くの人間の、人生の、時間の痕跡が、跡形もなく消え去った。
その犠牲を見て、死の淵でなお顔を上げた。認めない、と。
もし、もしもう一度、まだ命を与えられるのなら、今度は、今度こそは、決して───
だが二度はない。雨はほどなくして、焼けた大地を清めていった。
忘れるな。地獄から『私』は生まれた。その意味を───どうか、忘れないでくれ。
……何か、欠けた夢を、見ていたようだ。
目が覚めた。ここは学校の保健室。いつの間にか倒れて、運ばれてきたらしい。
それでは、あの扉の先の世界、行く手を阻む人形、そしてサーヴァント……。あれらも全て夢だった?
いや、この保健室は既に見慣れた日常のそれとは違っていた。似てはいるが、どこか異質で……。
状況が見えないが、とりあえず寝ていた体を起こし、ベッドに腰掛ける。制服に乱れもなく、寝ている間に……なんて、
「ようやくお目覚めですか。だらしないわね」
不意に、虚空から女性の声が聞こえた。聞いた事のある声。冷たく、突き放すような、その口振り。他人を見下し、馬鹿にする声を、私は知っている。
キョロキョロと周りを見渡すが、その声の主の姿は見当たらない。
と。
「まあ? 寝ている貴方の耳元で、邪悪な呪文を唱えるという嫌がらせは出来たので、イーブンといったところかしらね」
ベッドの横に、突然人影が現れた。忘れようもない、強烈な印象を残したその姿───
漆黒の甲冑に身を包み、背には端の焼け焦げた黒いマント。年相応以上に主張するその胸部には、若干羨ましく思ってしまう。いや、私だって、決してそこまで小さい訳ではない。……はず。
全身を包む黒一色とは真逆に、そのショートの白髪は、むしろ無色を連想させる程に禍々しいものを感じる。
……もっとも、外見の判断は意味がないのかもしれない。何しろ相手は人間ではないのだし。
「さて、闘いの時間には間に合った事だし、これからが聖杯戦争の本番です。私のマスターとなった以上、敗北は認めないから。……ところで、貴方……もちろん、聖杯戦争の事は分かって参加しているのよね?」
突如現れた少女は、「当然知ってるでしょ?」とでも言いたげに、『聖杯戦争』とやらについての知識の有無を尋ねてくるが、無論、私はそんな事を知るはずもなく。
「聖杯……戦争……?」
「……、…………」
少女は私の言葉に絶句し、ポカンと口を開いて、しばしの間、私と彼女は見つめ合う。しばらくの沈黙の後、その静寂を破ったのは黒い少女だった。
「───ま、さか。本当に? 聖杯戦争を知らない、と? そんなのでよく私のマスターになったものですね。呆れを通り越して、哀れに思える程よ」
え……。知らないってだけで、そんなに責められる?
というか、そもそも私がマスターになったというより、そっちが私を選んだんじゃ……?
そんな、私の反抗心を込めた睨み付けも、アヴェンジャーは一笑に伏してしまう。
「なんですか、その可愛らしい顔は? 言っておきますが、そんな顔で見られても、許してなんてあげないから。……私のマスターが聖杯戦争も知らないなど、これから先が心配だし、仕方ないから私が教えてあげましょう」
べ、別にそんな顔してないし。
私の意思は華麗にスルーされ、途端、教師面になった少女が頼んでもいない講義をレクチャーし始める。
「さすがに聖杯は知っていますね。忌々しい救世主の血を受けたとされる、あらゆる願いを叶える万能の願望機を」
聖杯……と言うと、あの聖杯だろうか。西欧の伝承の端々に現れる何かしらのシンボル。
アーサー王の探索譚などでも有名な、奇跡を起こす聖遺物だ。
「ま、もっとも、真作の所在は定かではありません。世に出てくるものは贋作……つまりは贋物ばかり。例えば、汚泥にまみれた呪いの杯だったり、単なる莫大な魔力の塊だったり。はたまた、聖杯が人間自身であったりとね」
「……喩えにしては、やけに具体的だね」
「ですが、そんな事は問題ではありません。それが願いを叶える願望機としての能力を持っていれば、贋物であろうとも、それは聖杯である……。かつて、そういった聖杯を巡る
聖杯戦争……。先程も、あの時も聞いた言葉……。
「もっとも。アレは儀式とは名ばかりの生存競争、所有権を決める殺し合いでありましたが。一方、この闘いはその聖杯戦争を模した闘いのようですね。そうでしょう? 魔術の途絶えたこの時代でなお魔術師と呼ばれる、新世代の
それにしても、聖杯戦争というのが殺し合いとは一体……?
「物分かりの悪いマスターね。いい? 聖杯を手にするのはただの一人だけ。互いに所有権を争う以上、敗北者は必然でしょう。仮にも『戦争』……。戦争とは互いが互いを殺し合う、シンプルな殺し合いなのです。当然、死は避けられないのが道理というもの」
なんだか、知らない間にとても物騒では片付けられないような、壮絶な状況に陥っている気がしてならない。
「よいですか。聖杯戦争の仕組みは至って簡単。選ばれた
思わず左手に目をやる。そこには紋章にも似た奇妙な模様が3つ、刻まれている。あの時の痛みは、今はもう無い。
「その勝負を繰り返し、最後まで残った者が聖杯へと至る───というのが、この聖杯戦争のシナリオでしょう。私も
いや。それほど簡単な話じゃないだろうし、素直に納得も出来ないけれど、とりあえずは理解した。
自分は好む好まざるに関わらず、その聖杯戦争とやらに、殺し合いとやらに参加してしまった事だけは。
「ふん。理解したのなら、ひとまずは良しとしますか。では、貴方───どうせサーヴァントとは何かも分かっていないのでしょう?」
見下したように蔑んだ笑みを零すアヴェンジャー。くっ……彼女の言葉が真実であるだけに、その嘲笑を見返してやる事は不可能だ。
ここは諦めて、素直に彼女から教えを請うとしよう。
「分からない……だから、教えてくださいお姉様」
「おね……!?」
急に、ヒクッとたじろいだ彼女に、私は疑問符を浮かべて首を傾げるが、すぐに体裁を整えると、一つ咳払いをして続きを話し始める。
「……こほん。元々サーヴァントとはこの聖杯戦争でマスターを勝たせるために呼び出された過去の英霊です。生前に名を馳せた英雄は後世にまで信仰される、神仏的な存在───英霊へと昇華されるのです。その存在を、聖杯の力によって世界に再現した姿がすなわちサーヴァント。サーヴァントは戦士です。呼び出した魔術師を守り、導く役割といったところでしょうか」
……いやいやいや。導く? それにしてはずいぶんと、そのマスターを蔑ろに扱っていませんか、あなた?
「元になった聖杯戦争のルールに従って、呼び出されたサーヴァントは7つの
と、自らの胸を持ち上げるような形で腕を組んで、勝ち誇った顔をするアヴェンジャー。
分かってしまった。分かりたくはないが、理解してしまった。彼女は『無知』と『無恥』を二重で使って私を乏しめたのみならず、『ムチムチ』と掛けて私の体型をも馬鹿にしたのだ!
それは非常に許し難き、言葉の暴力である。無論、私は抗議の視線で反抗するが、やはりアヴェンジャー相手に意味を為さず、むしろ彼女は私の睨みに嬉しそうにしている。
「話を戻しますよ、貧相なマスター?」
「失礼な! 私だって、それなりにはある! 着痩せするタイプなんだ!」
「セイバー。ランサー。アーチャー。ライダー。キャスター。アサシン。そしてバーサーカー……。このクラスというのは、用途の一本化です。英霊のパーソナルを全て搭載しては容量が足りなくなるので。クラスに応じた英霊のパーソナルだけを摘出し、カタチにするのです。要は、クラス名そのものが相手の特性と考えて問題ありません。蛇足ですが、セイバーにあたる者が最良のサーヴァントだと言われていますね」
ん……?
ちょっと待ってほしい。その理屈だと、アヴェンジャーたる彼女は、どのクラスにも該当しないではないか。
「そこは……この『私』に、この聖杯戦争での最適なクラスが他にありませんし……というか、この聖杯戦争で『ルーラー』とか、まず有り得ないし。そもそも
ええー……。なんという独裁者のような宣言か。まあ、初めて会った時から、そんな性格であろうというのは分かっていたのだが。
いや、むしろここまでくると、むしろ清々している分、気持ちが良い……か?
何はともあれ、性格に多少難はあるようだが、頼もしい味方である事は間違いない。
しかし……アヴェンジャーが英霊というならば、いったいどの英霊なのだろう?
「私の真名が気になると? 別に教えても減るものじゃなし。バレたところで私には問題のない名前ですが……、それはそれで、私がアイツと同一存在であると思われてしまうようで気に食わないわね。そうね、私の名は、貴方が我がマスターとして相応しいと認められるようになった時、教えてあげてもいいわよ?」
「じゃあ、教えてくれるのは当分先……?」
「その当分先があるかも心配になるのはこちらよ。まさか契約したマスターがこんなヒヨコ同然のド素人だなんて……」
途端に、私は不安に掻き立てられる。味方とはいえ、彼女はどこの誰とも知らない存在だ。しかも、復讐者などとたいそう不吉なクラス名を自称しているのだから、裏切られる可能性とて存在しうる訳だし。
「……っ。そ、そんな顔をしないでくれる? 分かった、分かったから。うう……相対者の憎悪や激情なら得意なのに、こういった消え入りそうな感じは苦手よ……。魔女が潔白なんて馬鹿げているけど、身の潔白は示してあげる。正直なところ、私にも今回の聖杯戦争がどんなものかは、まるで分かりません。ですが、願望機として機能し、サーヴァントを再現出来るだけの人類史を貯蔵しているのは確か。貴方は魔術師であり、私は復讐者の英霊であり、私達が手にするべき聖杯は真実です。今はその事実だけで満足なさい。その不安は、闘いが始まれば自ずと霧散せざるを得ないでしょうから───」
そういうと、サーヴァントは姿を消した。しかし、まだ自分の近くに存在している事は感じる。
用の無い時は姿を消しているのだろう。敵に見られて、正体を悟られない用心かもしれない。
いや、それはないか。ただ単に、無意味にマスターと接触したくないだけなのかも。なんたって、どう見てもあのサーヴァントはひねくれているし。
そうして、私とアヴェンジャーの二度目の邂逅は終わりを告げた。
それはいいが、私はこれからどうしたら……?
とりあえず、私はベッドから起き上がった時と同じく、次に取るべき行動として、ベッドから腰を上げる。いつまでもここで座っていても、事態は決して変わらない。何か、些細な事でもいいから、何か次に取るべき行動へのキッカケを掴まなければ……。
そんな時だった。
私が立ち上がったのとほぼ同時、私以外は無人だったらしい保健室に、来訪者が現れる。ガラガラとスライド式の扉を開けて中へと入ってきたのは、
制服の上に白衣を纏った、藤色の長い髪をした女の子だった。