ダン、アーチャーのコンビとの一悶着を経て、明くる日の朝。
つまりは今日が決戦前日。
やり残した事があれば、今日のうちに済ませておくべきだが、トリガーは既に二つとも回収を終え、マトリクスも後はアーチャーの真名を暴くのみ。
まあ、その真名を推理するのが少々厄介ではあるのだが……。
「明日はいよいよ決戦ですね」
ふと、マイルームで寝起きに朝ご飯の焼きそばパンを頬張っていた私に、アヴェンジャーが声を掛けてくる。
どことなく、憂いを帯びたような顔つきに、茶化すべきではない雰囲気なのだというのが、起きたばかりではっきりとしない頭でもよく分かる。
「正直に白状しますが、今回の敵はマスター、サーヴァント共に私達にとって強敵であり難敵です。認めたくはないけど、敵は私達よりも遥かに上手……」
アヴェンジャーの告白を、私は黙って聞いていた。だって、あのいつでも強気な彼女がこんな弱音を吐くとは思わなかったから。
「ただ、今回は相手が令呪でステータスに自制を掛けてくれたので、勝機は十分に見出せましたが……マスター、貴方を守るためには、私もいつか、本領を発揮せざるを得ないのかもしれません──」
それは───宝具を使わなければならない、という可能性か。
いずれは当然あるべき選択肢。
だが、これまで一緒に戦ってきて感じていたが、彼女の瞳には躊躇いが感じられる。
「……どうして、それを躊躇うの?」
何を躊躇う必要があるのだろうか。マスターの力量の差は明白、打倒出来る手段など、私達には限られているのに。
「躊躇う、か……。そうね、確かに私は躊躇いを抱いています。その理由を今の貴方に教える気はありませんが、ですが真名が露見する事を恐れているのではないという事を───それだけは覚えておいて」
どこか寂しそうに笑うアヴェンジャー。彼女の事情は解らないし、それを彼女が教えてくれる気が、今のところは無いようだが、何かあるとでも、言うのだろうか。
「いずれにしても、きっと必要に迫られる刻が来るでしょう。その時は、私の真の姿でも何でも見せてあげるから、気長に待つコトね? ま、それまでに敗北しなければ良いのだけど」
……。
どこか腑に落ちない、脳に微かな疑問を感じつつ、時は過ぎる。
いずれにせよ、いつの日か、一つの決断をせねばならないのかもしれない。
昼になり、私は昨日得たキーワード、『シャーウッドの森』と『顔のない王』について調べるために図書室に訪れていた。
ここに来るまでに廊下を通ってきた訳だが、明日が決戦という事もあってか、他マスターは浮き足立っている者も居れば、重苦しい空気を纏う者も居て、それだけで彼ら彼女らの状況というものが伺い知れるというもの。
「えっと……」
本棚から目的のものを探し出し、それらの記述があるものを見つける。
『シャーウッドの森───イギリス、ノッティンガム近くの森。深い森には、今も古い教会や、古の義賊が集ったと言われるオークの大木が残り、神秘的な空気を留めている。また、かつて、暴君ジョン失地王に対抗したある義賊が活躍した森。ドルイド信仰に満ちた、精霊の森』
……イギリス出身の英雄?
教会に義賊、ドルイド、そしてジョン失地王か。アーチャーと何か関連があるのかもしれない。
『顔のない王───古代ケルトにおいて、春の到来を祝うベルティーン祭に現れるもの。森の精霊とも、自然の化身とも言われる。グリーンマン、ジャッコザグリーン』
ケルト系の英雄?
森の精霊や、自然の化身───イチイの木と言い、木々と密接な関わりを持っていたのは間違いない。
ドルイドにケルト、そして森との関わりが深い英霊……。これらの情報を整理すれば、その正体に迫る事も可能かもしれない。
だが、まだ一日残っているし、可能な限り情報を集めてからにしよう。
それが出来れば、の話ではあるが。
アリーナに行く前に、一階に降りてすぐの所でタイガーの姿が視界に入る。
そういえば、この前アリーナでメガネを見つけたんだった。二回戦の間に、という事だったので返しておくのなら、今がその最後のチャンスか。
「タイ……藤村先生。これ、アリーナで見つけました。早く持ち主に返してあげて下さい」
「あ、メガネ見つかったのね。ありがとー。……何か言いかけたのが気になるけど、助かったわ」
魔眼殺しの眼鏡を手渡し、タイガーはゴソゴソとポケットに雑に突っ込むように仕舞う。
いやいや、その仕舞い方はさすがに雑過ぎるにも程が無かろうか。いや、ある。
「変な倒置法になってるけど大丈夫、岸波さん? っとと、そうだった。じゃあ、お礼に、観葉植物をあげる。お部屋に飾ってね」
そう言って、タイガーの指先からデータ“タイガー植木”が私の端末へと転送される。
なにげにスキルが高いような気がするぞ、この虎……。
「それじゃね。あ、メガネはしっかりと私から返しておくから、安心してね~?」
そして、タイガーは鼻歌交じりにスキップしながら、玄関を出て校庭へと消えて行った。
問題が解決して上機嫌にでもなったのだろう。けっこう単純なところがあるのは、やはりその内に野生が溢れる故か……?
さあ今度こそ、とアリーナに行こうと方向転換をしたところで、
「きゃっ」
「うおっ」
振り向き様に誰かとぶつかり、勢い余って私は尻餅をついてしまう。
誰かと思い、見上げて顔を見てみれば、購買でよく見かける男性マスターだった。
このマスター、何の目的かは知らないが、いつも購買のカウンター前に居て、そのために私も彼の顔を覚えてしまったのだ。
「すまん。ちょっと注意散漫になってた。ほら、立てるか?」
差し出された手を取り、私は彼に引っ張り起こしてもらう。それにしても、どことなく浮かれたような感じに見えるのだが、何か良い事でもあったのだろうか。
と、私が聞くまでもなく、彼の方からその理由を語り始める。
「ところでさ、お前も聞いたか? ついにあの『激辛麻婆豆腐』の情報を掴んだんだけど、どうやら言峰神父の発案らしくてさ。次か、その次の戦いの時に購買で発売されるらしいんだ。辛い匂いだけで五杯はメシを食える、ってレベルらしい。た…楽しみだ…これは勝ち残らないと!」
興奮を抑えきれないとばかりに、彼は鼻息荒く、言うだけ言って購買へと降りて行った。
麻婆豆腐、それも激辛か。ちょっと興味があるな、私も。
『ま、まさかとは思うけど、買わない…わよね……?』
「……? なんで?」
姿を消したまま、アヴェンジャーが訊ねてくる。が、何故か戦々恐々としたような声色なのは、一体何故?
『んん! べ、別に何でも。ただ、私は絶対に食べませんから。絶対に』
……なんだろう。決戦の時よりも必死な気がするのは、私の気のせい?
なんだかんだとあったが、アリーナにやってきた私達。
このアリーナに来れるのも、今日で最終日なのだが、アーチャーやダンの気配はまるで感じられない。
それはアヴェンジャーも同じらしく、少しの間キョロキョロと遠くに視線を送っていたが、結局何も感じるものはなかったらしい。
どうやら、もう新たな情報を得るのは見込めないようだ。
「せっかくのアリーナです。敵サーヴァントも居ないようですし、思う存分エネミーを狩るとしましょうか。
いや、それ逆。
でも、まあ、それもそうか。経験値は幾ら有っても良いし、それどころか私に圧倒的に不足しているものだ。
アヴェンジャーの能力を取り戻すためにも、今日だけはエネミーを倒す事だけに専念しよう。そういう日があっても、別にいいはずだから。
そして。
ひとしきりエネミーを倒し、アリーナから帰ってくる頃には、日は既に傾いていた。他のマスターの姿も最早まばらにしかなく、寂しい校舎内の風景は、嫌でも明日が決戦の日であるのだと訴えかけているようだ。
明日、ついに二回戦が終わりを迎えようとしている。
彼らの遺物を探し回り、毒には侵され、けっこう散々な猶予期間だった気がしないでもないが、それも全ては明日で結実するのだ。
「いよいよ、明日はあの老騎士との決戦ですね。ま、あまり気負いしないように。敵が何であれ誰であれ、一回戦同様に殺すだけなのだし」
殺す、か。
明日、私とダン、そのどちらかが死ぬ。それはもう避けられない運命。
そして残る全てのマスターも同様に、決戦が終われば更に半数がこの学校から姿を消すのだ。
見知った顔も、一度二度だけしか顔を合わせた事のない者も、顔すら知らない者も、
敗者を許さぬ月の聖杯戦争。それがこの世界のルールであるのなら、果たして救いはどこにあるのか。
救われるのは、勝者だけしか、本当に許されないのだろうか……。
「……寝よう」
考えても答えは出ない。いや、答えなんて存在しないのかもしれない。
今はただ、目の前の現実を見据えよう。あれこれ考えるのは、戦いが終わってからでいい───。
「いよいよ決戦の日だが、準備は滞りなく順調かね?」
背後からの声に振り返る。
神父の服装をしているが、心の深層、脳の根幹に直接刺さるような声は、朝からでなくとも、いつも、心臓に悪い。
そう、もう翌朝。決戦当日だ。
色々と頭の中でグルグルと蠢いていたせいで、あまり快眠とは言い難いが、それでも日は巡る。マイルームで籠もっているのが嫌で、自然と足は教室に向かっていた。
「今回の君の決戦は正午からだ。時間になり、準備が出来たら、一階まで来たまえ。購買部で身支度を整える程度の時間は許されている。……まあ、これは前回も言ったような気がするがね」
言うだけ言うと、彼は教室の扉を開けて出て行った。
それにしても、あの気配の無さは何なのだろうか。アサシン顔負けの気配遮断ぶりは、やはりあの神父がただ者ではないと認めざるを得ない。
さあ、準備を整えよう。購買も教会も、昨日アリーナから帰ってくる時に立ち寄って用事も済ませてある。
あとは、集めた情報を整理し、敵サーヴァントの真名を暴くのみ。
そして、全ての準備が整ったら、言峰の元へ行くとしよう。
マイルームへと戻った私は、既に戦闘の支度を終えていたアヴェンジャーに出迎えられる。
「戻ったのね。気負いするなと言ったけど、やっぱり無理だったかしら? だって、貴方は魔術師やマスターである前に、一般人だものね」
心配してのものか、はたまたいつもの挑発か。だけど、彼女の言葉から悪意は感じない。彼女なりに、私に気を遣ってくれているのだろう。
さて、一息ついたところで……それでは、これまでの情報を整理しよう。
ダン・ブラックモア。
今回の相手は、老練な軍人だ。経験の差は、この短時間では埋められない。マスターとしての力量では完全に負けている。
しかし、サーヴァントの差なら別だ。彼のサーヴァントのクラスは、そう……アーチャーだったはず。
あの日、アリーナで撃ち込まれた毒矢。寸分違わぬ正確さで飛来したそれは、敵のクラスをアーチャーだと理解させるに十分だった。
だが、それは同時に、彼のマスターとの溝を明らかにする一撃でもあったのだ。
毒矢の使用を知ったダンは、あろうことかそれを撃ち出した弓───宝具の使用に制限を掛けたのだ。
そう、その時制限された宝具の名とは……いかなる位置に居ても、寸分違わず命中させる必中の弓、その名は『祈りの弓』。
ダンは、猶予期間にそれを使ったアーチャーに対し──令呪を使ってまで制限を掛けた。
正々堂々と戦え、と。
誇りを持って正面から戦う事。それはアーチャーの生前の戦い方もあって、彼に葛藤を与えていたのだろう。
それを教えてくれたのは、いつも三階で空を見ていた少女、ラニ。
人を知りたいと言った彼女は、アーチャーの残した矢の残骸から、彼の生前親しんだ森の情景を見せてくれた。
その森の名とは──そう、その名はシャーウッドの森。
そして、そこで活躍した英雄と言えば一人しかいない。
『ロビンフッド』。
それがアーチャーの真名に間違いない。
マトリクスを確認すると、どうやら正解であったらしい。アーチャーの項目に新たな書き込みが加えられているのが認められた。
ギリシャ神話のオリオンとケルト神話の妖精達、そしてドルイド信仰とが融合して誕生した義賊。モデルとなる人物は存在するが、それが複数混合した結果、『ロビンフッド』という概念───英雄が誕生したのである。
ロビンフッドはもともと、度重なる諸外国からの侵入を受けたイギリス人達の『祈り』から生まれた顔のない英雄。古代ヨーロッパに登場する森の人グリーンマンの化身として考えられるのは、彼が民衆が生んだ“願望”である事を示唆している。
その時代にいた小さな英雄が、人々の願いを受けて顔のある英雄・ロビンフッドの名を襲名していた。このアーチャーも、そんな“英雄を襲名した”名も無き狙撃手の一人なのだ。
言わば、名も無き人々から選出された、彼自身も名も無き英雄。人々が選んだ、ロビンフッドという
それが、このロビンフッドという英霊・アーチャーの正体に他ならない。
しかし、真名が判り、不和を感じるとは言え…自分達は勝てるのか。
力を貸してくれる英霊に差があるのではない。ただ、マスターたる自分が、力を十全に引き出してやれるか──。
その一点において、聖杯戦争が始まってからというもの、私の中で常にネックとなっていた。
「どうやら、今回も無事にあのアーチャーの正体を突き止めたようですね。ロビンフッド……村を守るために、王や軍を相手にたった一人──いいえ、独りきりで戦った孤独なる英雄。ともすれば、復讐者の資格すら持つかもしれない彼が、まさか騎士道を良しとするようなマスターのサーヴァントになるとは、正直なところ驚きでしたけど」
「アヴェンジャー、やっぱり、今回も彼の事を知ってたんだね」
知ったように語る様を見れば、深く考えずとも理解出来る。
知ったようにではない。まさしく
それこそ、彼の正体を知るよりも前から。
「そうね。知っていたわ。だけど、それが何か? 言ったわよね、英霊の知り合いが居るって。あのアーチャーに関しても、私の知る英霊の内の一人に過ぎないってだけの話よ。ま、向こうはそんな事なんて知りもしないのだろうけど」
悪びれるでもなく、開き直っているようなアヴェンジャーの口振りに、だけど疑問を抱く。
アヴェンジャーは彼を知っていた。だけど、彼はその事を知らない?
それは、何故?
それこそが、彼女が抱えている秘密、宝具を使う事を渋る理由なのではないか。
でも、彼女がそれを話そうと思わない限り、私には真相を知る由もない。
それに、令呪を使えば無理やりにでも話させる事も可能かもしれないが、そんな事をしてアヴェンジャーとの仲が悪くなるのだけは御免だ。そうなるくらいなら、このまま真実なんて知らなくても構わない。
「……ううん。何でもない。ただ知ってたってだけ、だもんね?」
なら、聞かない。今はまだ、彼女の嘘に付き合おう。いつか話してくれる、その時まで。
「……そうよ。知ってるってだけ。それ以上でも、それ以下でもない。ただそれだけよ」
面白くないと言わんばかりに、アヴェンジャーは舌打ちをして、そっぽを向いた。
今ので少し機嫌を損ねてしまったようだ。
「で、一昨日にもアーチャーと戦闘があった訳だけど、今日は決戦。そろそろこちらの策がバレないようなやりとりを決めないと、奴ら相手には相当キツいわよ」
と、不機嫌ながらもアヴェンジャーが進言してくれる。
そうだった、それについても考えないといけないんだった。どうせなら、昨日は時間もたっぷり有ったのだし、昨日に考えれば良かったのだが、つい失念していた。
「うーん……どうしよう?」
「どうしようって……アンタねぇ」
呆れて物も言えないとは、こういう事を言うのだろう。アヴェンジャーは大きく溜め息を吐いて、残念なものでも見るかのような視線を私に向けてくる。
だ、だって仕方ないじゃない? 私、素人のマスターだし。
そんな急に相手にバレないようなやりとりの手段を考えろなんて言われても……。
「ちなみに決戦の時間は?」
「えっと、お昼ちょうど」
「もうそんなに時間が無いじゃないの!? このおバカ!!」
おお、復讐の魔女が天を仰ぐかのように、慌てふためいて私を罵倒してくる……。
「チィッ。こうなれば、癪だけど背に腹は代えられないわね。早速探しに行くわよ、マスター!」
……、え、何を?
「とぼけた顔してんじゃないわよ! あのトオサカリンとかいう女を探しに行くっつってんの! もしくはラニとかいう女!」
なにその困った時は凛頼みみたいな思考。しかもラニもとか。人を頼りしているにも程がありすぎない?
「散々相談なりでアイツ等に頼ってたクセに、今更良い子ちゃんぶってんじゃないわよ!!」
怒鳴るアヴェンジャー。そして引っ張られる私。
強引に手を掴まれ、そのままアヴェンジャーは私を引きずりながらマイルームを退室していく。
というか痛い。
「ところで、凛……かラニに何を頼むの?」
私の疑問に、またも呆れた顔で見下した眼差しを向けてくるアヴェンジャー。そんなに愚かな質問だっただろうかと反論したいところだ。
「話の流れで察しなさいよね。決まってるでしょ、敵にバレないやりとり───
『念話』の方法を聞きに行くのよ」
今年の夏イベにて静謐ちゃんが水着になる事を祈願して、同じく毒の使い手である緑茶を邪ンヌ様に屠ってもらいましょう。
というわけで、そろそろ第二章も終わります。あと五話もないでしょうが、苦手な戦闘場面を上手く書けたらいいな……。