最終日のアリーナ探索、もとい特訓も終了し、私たちはマイルームへと帰ってきた。
明日。泣いても笑っても、明日で最後となる。
私が敗れて消えるか。それとも私が勝ってありすを殺すのか。
どちらの結果であろうと、私には苦痛が待ち受けているだろう事は想像に難くない。
「……さて。決戦前に、あの子の正体が分かったわね。いい? 亡霊であれ、アンタにとっては戦う相手。妙な情けは不要よ」
ありすに思うところのあったらしかったアヴェンジャーも、もはや吹っ切れたのか、私情を挟まず戦うつもりらしい。
でも、私は私情とか関係なしに、あの子を殺すという事実を受け入れられずにいる。私も、アヴェンジャーみたいに割り切れたらどれだけ気が楽か……。
決戦に備え英気を養うためだろう。アヴェンジャーは帰るなり、言う事を言ってすぐに寝てしまった。
私も今日は早めに休む。昼に買った麻婆豆腐も、今は食べる気にはなれなかった。いや、何であれ食べる気がしない。無理にお腹に入れて吐くよりかは、このまま食事を抜いて寝たほうがまだいいだろう。
「……」
アヴェンジャーの寝息が聞こえる。私はといえば、なかなか寝付けないでいた。
まあ、それもそうか。苦悩を抱えたまま簡単に寝れるほど、私はバカじゃないつもりだ。
でも、しっかり寝ないと。あれこれと考えたところで解決しない悩みで寝不足になり、明日に響いていては元も子もないのだから。
「いよいよ決戦の日だが、準備は滞りなく順調かね?」
もうこれで三度目になるやり取り。例のごとく、教室でかつての自分の席に座って、時間が来るのを静かに待っていると、横合いから声がした。
神父の服装をしているが、心の深層、脳の根幹に直接刺さるような声は、いつも心臓に悪い。
「準備が出来たら、一階まで来たまえ。購買部で身支度を整える程度の時間は許されている。……贔屓するつもりはないのだがね。キミには個人的に期待しているのだよ。私が長い期間をかけて作り上げた───再現したと言うべきか───あの麻婆豆腐を購入したのは、今のところキミを含め僅か数人だけだ。あの至高の一品を30食分も買い上げた猛者はキミが唯一ではあるが……。……私とした事が、つい熱が入ってしまった。話は以上だ。健闘を祈っているよ、若きマスター」
言うだけ言うと、彼は教室の扉を開けて出て行った。
麻婆の神に祈る勢いさえあったが、彼の助言通り購買部にでも行っておいたほうがいいだろうか。あと、神父の服装で思い出したが、教会にも最終調整として念のため行っておくか……。
それと、忘れてはならないのは、敵サーヴァントの情報を整理する事だ。これはいつものように自室で行おう。
そして、全ての準備が整ったら、言峰の元へ行くとしよう。
たとえ、ありすを殺す覚悟がまだできていないとしても。
購買部で必要な物資を調達し、教会で魂の改竄も済ませた。あとは、マトリクスを完全なものにするだけ。自室へと戻り端末を手にする。
……いよいよだ。
あの、無邪気な笑顔を向けてくれた小さな相手を乗り越えなければ、命の灯を消されるのは、自分だ。
突き付けられた二者択一の現実は、幾度考えても眩暈がするほど残酷だが、負けるわけには……いかない。
一つずつ、今までの出来事を整理していこう。
まず、ありすが“お友達”と呼んだ怪物───。それを私は……バーサーカーだと思った。
あの巨体、凶暴さから、はじめはバーサーカーだと思ったのだ。
そして、ありすはアリーナに固有結界を展開した。アリーナの半分を覆うほどの巨大な固有結界───。
その力は……自我と共に存在を消すものだった。
ありすは人の名前が分からなくなる、とだけしか言わなかったが───あれは、対象者の自我と共に存在が消されるという恐ろしいものだった。
しかし、仮にあの怪物をサーヴァントとするなら、ありすは双子のマスターということになってしまう。
聖杯の定めた規定では、マスターとサーヴァントは一対。にもかかわらず、ありすは二人存在し、怪物は呼び出された。
その疑問に対する答えは……一方のありすがサーヴァントである、という事。
蒼崎橙子が指摘した、バーサーカーに固有結界は使えないという点。そして、図書室でジャバウォックという、あの怪物の名前を調べ当てた時、ありす自身が言った、ジャバウォックはサーヴァントではないという言葉。
それらから導き出される解答は───“全てが同じモノ”であるコト。
ジャバウォックも固有結界も、もう一方のありすが使った『宝具』だったのだ。
……そして。
おそらく、あの少女の在り方自体、既にサーヴァントに取り込まれている。
ありすのサーヴァントは、ありすの夢が無ければ動かないが、あのありすも、サーヴァントが居なければ生きていられない。
死に伏した、あるいは、既に死亡した少女の想いの終着点。
最期の希望、最期の夢を叶える
それがあのサーヴァントの正体だ。アレが何と呼称されるかは定かではないが、あえて名付けるのなら、それは───
「
「アヴェンジャー……?」
「ここまで、自分だけの力でたどり着いた事へのご褒美よ。本当は真名に関してだけは口出ししないつもりだったけど……。今回だけは特別。あのサーヴァントの正体を言い当てるのは、この聖杯戦争に参加した全てのマスターでも困難極まるでしょうから。それに、どうせマトリクスはさっきの推測で埋まっただろうしね」
確かに、マトリクスは私の推測が正しかったと示すように、最大レベルにまで上がっている。
それにしても……まさか、黒いアリスの正体が、ナーサリー・ライムだったとは。架空の存在を英霊にしたサーヴァントだとは予想していたが、そもそも英雄、人ですらない存在だとは思わなかった。
ナーサリー・ライムは実在の英雄ではなく、実在する絵本の総称だ。先の対戦相手だったダン・ブラックモアの祖国でもあるイギリスで、深く愛されたこのジャンルは、多くの子どもたちの夢を受け止めていたと思われる。
ここから想定されるのは、子どもたちの夢を受け止めていくうちに一つの概念として成立し、“子どもたちの英雄”としてサーヴァント化したのではないか、という事。
二回戦で戦ったアーチャー、あのロビンフッドは“ロビンフッドを名乗った数多くいるうちの誰か”だった。ロビンフッドという概念を纏った、名も知れぬ青年。それこそが彼の正体。
彼もまた、ロビンフッドという英雄の概念で自身を覆う事でサーヴァントとして成立していた訳だが、ナーサリー・ライムはそれとは別種の、異例な英霊としての成り立ちをしていると思われる。
物語がサーヴァントと化した存在。子どもたちの英雄。
なるほど、ならば納得できる。
ありすの素性も、彼女の歩んだ短かったであろう人生も、私には分からない。けれど、彼女がサイバーゴーストであるのなら、きっと幸せな最期を迎えた、とはとても思えない。
あの幼さで、ネットワークを漂うだけの虚ろな存在になるなんて、あまりに悲しすぎるからだ。
そんな悲しい少女に寄り添ったのが、子どもたちの英雄であるナーサリー・ライムだったのだろう。
子どもたちの夢を受け止め続け生まれた英雄が、ありすを見過ごすはずもなく、そして契約は結ばれた。
あの姿になった理由までは分からないが、それでも、アリスは倒さなければならない。たとえマスターと同じ、儚くも愛らしい少女の姿を取っていても、その在り方がありす自身をも取り込んでしまっているのなら、いずれマスターとサーヴァントの区別が本人たちでさえもつかなくなってしまうだろう。
そうなってしまてば、おそらく正気を保てない。あとは自壊していくのを苦痛と共に待ち続けるだけ。
でも、私はありすに苦痛無く旅立ってほしいと願わずにはいられないのだ。
───ならばこそ、彼女らが本物の怪物と化してしまう前に、私の手で引導を渡す。
それが、私なりの、彼女たちの対戦相手となった者としての、せめてものケジメである。
「……決心はついたみたいですね。じゃあ、行きましょうかマスター。夢はいつか終わるもの。あの子の夢が怪物に成り果ててしまう前に、私たちであの子
「……うん。行こう、アヴェンジャー。私たちで、ありすの夢を終わらせよう」
殺したくはないけれど、それしかサイバーゴーストであろう彼女を解放する術がないのなら、私は心を殺してでも戦おう。
部屋を出ていくアヴェンジャーの後を追う。
ふと、私はマトリクスに追加された文章を思い出した。意味までは理解できなかったけれど、きっと、ありすたちの事を綴っているのだろう。
『ナーサリーライムは童歌。トミーサムの可愛い絵本。マザーグースのさいしょのカタチ。寂しいアナタに悲しいワタシ。
最期の望みを、叶えましょう』
もう三度目の決戦日。静けさに包まれた校舎内で、私はもはや見慣れた少女に遭遇した。
「狭い校舎と言えど、よくよく出会うものよね、私たち」
遠坂 凛。助言を乞う形で何度か助けてもらった彼女もまた、間もなく誰かとの決戦が待ち受けている。
「まさかあなたが三回戦にまで勝ち進むなんて、初めて会った頃を思うと信じられない話だわ。能ある鷹は爪を隠す、とは言うけど、あなたの場合は卵から孵化したばかりのまだまだヒヨコだったっていうのに。ヒヨコはヒヨコでも、もしかして魔獣の類いだったのかしら。それとも、ただの偶然? 運が良かっただけでここまで勝ち残れたとでも?」
確かに、私に実力が伴っているとは思わない。慎二に勝てたのも、ダンを倒せたのも、全てはアヴェンジャーの活躍有ってこそ。
どちらの戦いでも、文字通り彼女が身を削ってでも戦ったからこその勝利であり、結果だ。
そう考えると、私は運が良かったのだろう。アヴェンジャーと契約できたから、私はこうして今も生きる事が叶っているのだから。
だけど、そんな私の思考を、いま自分が口にした言葉すらも、凛は否定した。
「いいえ、それは違う。シンジはあんなだったけど、マスターとしては優秀なほうだった。ダン・ブラックモアだって魔術師としてはともかく、マスターとしてなら優勝候補の一角に数えられる実力の持ち主よ。その二人を、単に運が良かっただけで倒せる訳がないじゃない? サーヴァントはマスターがあってこそ、その力を引き出せるもの。それこそ、相性の良いペアなら、その能力も十全にだって引き出せる。そして、あなたの存在がそれを証明しているとも言える。───ここにあらためて宣言するわ。岸波白野、私はあなたを一人の敵として、マスターとして警戒する。一人の強力なライバルであるのだと認識するわ」
「凛……」
お前は敵に値する。凛は私に対しそう断言した。
敵認定されたというのに、何故だか分からないが嫌悪感よりも不思議と嬉しさがあった。これまで未熟者としてでしか接してもらえていなかったのに、私は凛にとって彼女の敵足り得るのだと。ライバルとして認めてもらえたのだと。
一人前とはいかなくとも、私自身を彼女ほどの人間に認められたという事実に対し、沸々と胸の奥底から高揚感が沸き上がってくる。
「……ま、そういうコトだから。せいぜい頑張りなさい? 私としては、ここで負けてくれたほうがライバルが減ってありがたいんだけど!」
自分の台詞に恥ずかしくなってしまったのだろう、凛は早口に話を切り上げ、そっぽを向いてしまう。
いい話風だったのに、ここにきてなんというツンデレのテンプレか。
そのまま立ち去るのかと思っていると、凛は振り返り、何かを思い出したように口を開く。
「そうそう。最近セラフで不穏な空気が漂ってるのは知ってるわよね。ほら、運営でも様々な不具合を関知してるって話。アレ、今のところは聖杯戦争に大きな影響は出てないけど、あまり看過していい問題じゃないと私は思うのよ。長年レジスタンスやってるワケだし、そういったキナ臭いのには敏感なのよね私」
「……何か知ってるの?」
「……多分それとは関係ないとは思うけど、あなたの対戦相手のありすって子、正確には黒いほうの。さっきチラッと見かけたけど、ちょっと様子が変だったの。最初から浮いた存在ではあったけど、今日はいつにもまして異常さが際立ってたっていうか……。正直あの子と当たりたくないから、さっきはああ言ったけど、あなたには勝ってほしいかも」
話はそれだけよ。と言い残し、凛は去っていった。
それにしても、アリスの様子が変だった……? 昨日は特にいつもとそこまで変わりなかったと思うが、あの後に何かあったのだろうか。
『この場面でライバル認定宣言とか、何ともフラグ感が否めないわね。もしかしたら三回戦で敗退するんじゃないアイツ? まあ、そっちはどうでもいいとして、あの女が言っていたこと、少し気になるわ。不穏な空気云々はともかく、キャスターの様子がおかしいのは、一体どういう事かしらね?』
アヴェンジャーも凛の言っていた事が気にかかるらしく、霊体化したままで話しかけてくる。
「分からない。でも、注意だけはしておこう、アヴェンジャー」
『……フン。サーヴァントと戦うのよ? どんな相手であれ、警戒は怠らないわ。それがたとえ幼子の姿をしていても。知っている顔だったとしても、ね』
気掛かりではあるが、実際に目にしてみない事には分からない。どのみち、決戦場へと向かうには必然的にありすたちと顔を合わせるのだ。
凛が嘘を言っているとは思わないが、彼女の言葉の真偽を確かめるためにも、とにかく今は先を急ごう───。