ありすとの戦いから一日が過ぎ、私は重い心のままに朝を迎えていた。
見えかけていたはずの何かは、依然として真っ暗となり、自分が本当は何者なのかも自覚できない。そんな自分がどんどん嫌になっていくのを感じていた。
何も食べる気がしない。朝だから、とかそんな理由ではなく、ただありすの事を想えばこそ、食事も喉を通らないといった感じだ。
覚悟して臨んだ決戦だったはずなのに。明確な目的も動機もなく、こうして自分が生き残るためだけに他者の命を奪っている現状を、現実を、昨日の戦いで嫌という程に再認識させられた。
でも、死なないためには、やはりこれまでのように、他人の命を、夢を、希望を奪ってでも戦い勝つしかないという事も理解している。
非情な現実に、心が押し潰されそうだった。
気分は乗らなかったが、マイルームに引きこもっているだけでは、心を病んでしまいそうな気がしたので、重い身体を無理矢理にでも動かして、私は外へと出ていく。
朝とは言っても、あと二、三時間もすれば午後になる。少し遅めの起床に、我ながら情けない。
「……?」
そして、掲示板前に通りかかった時の事だった。
そこは緊張に支配されていた。
この空気には覚えがある。対戦の組み合わせ発表のものだ。
しかし、自分の組み合わせ呼び出しはまだ来ない。
「……あ、」
そして気付く。掲示板の前には、見知った顔の二人。
一人は赤い服の少女、遠坂 凛。
もう一人は白い制服姿に褐色の肌。凛と同じか、少し年上くらいだろうか。───言わずもがな、その人物とはラニだった。
彼女らは一瞬だけ互いを確認しあい、殺気や会話の応酬もなく、ごく自然に視線を外し、左右に分かれた。
静かに、しかし運命は定められた。その日が来れば、彼女らのどちらかは死ぬのだ。確実に。
「……遠坂凛にラニ=
目撃者は自分だけではなかったようだ。
ユリウス。あの不気味な
「勝者も手の内を隠せる戦いではなかろう。見る事が出来れば、有益な情報になるな」
一人言、だったのだろうか。彼はこちらには一瞥もせず、去っていった。もしかしたら、彼のサーヴァントと話していたのかもしれない。
呟いた言葉の意味はよくわからないまでも、その姿は何故か不穏な物を感じさせる……。
その後も結局、特に何かをするでもなく、私は校舎をフラフラと宛もなく徘徊していた。
意識して行き先を決めていなかったが、気付いた時に居た場所を挙げるなら、教室、教会前の噴水広場、そして図書室───どれも、これまで私が戦ってきた対戦相手との関わりが印象深い場所ばかりだった。
予選の頃とはいえ、慎二と一緒によく過ごしていた教室。
初めてダンを目にしたのは、教会の前で慎二と口論をしているところだった。
ありすとは、図書室でジャバウォックや彼女のサーヴァントに関しての話をした。
………。
何故、これらの場所を私は訪れたのだろうか。自分自身の手で命を奪ってきた彼らに、私は無意識に救いを求めているのか……?
分からない。誰か教えてほしい。私は、このまま進んで良いのだろうか。進むべきなのだろうか。
───もしくは、立ち止まってしまうべきなのだろうか?
しばらく校舎をさまよい、何も答えを得られないまま、私はマイルームに戻ってきていた。
「……満足したかしら?」
「アヴェンジャー……」
マイルーム入り口である扉を背にして、アヴェンジャーは立っていた。
そういえば、朝から私はずっと一人で行動していた。いつもなら茶々を入れてくる彼女の存在がなかったので、つい忘れていたが、彼女は私に同行していなかったらしい。
「マスター。前にも言ったと思うけど、アヴェンジャーである私を従えるのなら、この私に相応しいマスターで居続けなさい。道に迷ったって別に構いやしないわ。アンタが人の道から逸れるのも、果ては外道に堕ちたとしても。私は一向に構わない。かくいう私だって自分が外道な自覚はあるんだし」
彼女にしては珍しい慰めかと思えば、そうではなかった。その目には、冷たさしか込められていないからだ。
「けどね、」
胸ぐらを掴まれ、私は体を軽く宙に浮かされ息苦しくなるが、彼女はそんな事には気にも留めないで続けた。
「いつまでもウジウジぐだぐだと悩んで、ただでさえ遅い歩みを止める事だけは許さない。迷いがあるなら、それを抱えたまま前に進め。聖杯戦争なんて極論を言えば単なる殺し合いでしかないのよ。そしてアンタは、その渦中に居る。たとえ訳も分からずに参加させられているのだとしても、参加した以上はもう逃げられない。勝って敵を殺すしか、それ以外に道はない。そうしてここまで勝ち進んで、殺した奴らの分までアンタは前に進む責任があるの。それを放棄するのは、単なる責任逃れ。そんなもの見苦しさしかないのよ」
それは、慰めでもなければ、激励でもなかった。
彼女が私へ抱く感情。それは怒りや憤りだ。彼女の言葉全てが、私の不甲斐ない現状への叱咤のように感じられた。
私がマスターとして相応しくないと見限れば、契約を切って主従なんてあっさり捨てるだろうに。だがアヴェンジャーはそれをせず、まだ私を見捨てずに叱ってくれている。
迷いはある。でも、それを抱えたままでも良いとアヴェンジャーは言ってくれている。
……サーヴァントに要らぬ心配をかけて、私はなんと情けないマスターなんだ。
「ごめん……。私は生きるためにも、この先も勝たなくちゃいけない。負ければそれで全て終わる。私が殺したマスターたちの分も、私はその彼らの死を背負って進まないといけないんだね。それが、殺した私が負うべき責任……」
義務ではなく、責任。
私は自分の意思で、彼らを倒した。仕方なかったとしても、私が自分で選んだ事なのだ。それから目を背けては、死んでいった彼らがあまりに報われない。
「迷いはあるよ。でも、私はこのまま進む。進んで、進んで、進んだその先に何があるのか分からないけれど。それでも、命を懸けて、命を奪ってまで戦ってきた理由を、私は見つけたい」
「それでいいのよ。私もアンタも、悩んで立ち止まってる暇はないんだから。がむしゃらにでも、ただひたすら前にだけ進めばいい。結果は後から付いてくるし。それは私が保証するわ」
先程まで燃えていた静かな怒りは何処へやら。一転、アヴェンジャーは得意気に胸を張っていた。まるでそういった体験談でもあるかのようだ。
「さて、いつまでも立ち話してないで、マイルームに戻って遅めの昼食にでもしましょうか。どうせ昼は食べてないでしょ? アンタが帰ってくるのが遅いから、私もまだ食べてないのよ。いくら呆けてたからって、時計くらいは見なさいな。もうとっくに正午なんて通り過ぎてるわよ?」
言われて端末で時間を確認すると、確かに昼なんてとっくに過ぎていた。正解もとい正確に言うなら、今はおやつの時間である。
人体とは不思議なもので、意識しだすと急に空腹感が涌いてきた。せっかく麻婆豆腐を買いだめしてあるのだし、麻婆パーティーと洒落こむのも一興か。
「あ、そうだ。アヴェンジャー、麻婆豆腐食べてみる? キャスターとの決戦の時に興味ありそうな口振りだったし」
「誰がそんなコト……言った、わね。念話でだったけど、うん。言ったわ私。言ったけど、本当に美味しいのアレ……?」
「うん。美味しいよ、辛いけど。でも逆にそれが癖になる味というか……。まあ、何はともあれ物は試しだし、アヴェンジャーも食べてみよう。何事も挑戦あるのみ! チャレンジの精神で行ってみよう!」
「なにその熱い推し……。ま、まあ? マスターがそこまで言うのなら、私も食べてみようかしら……」
麻婆豆腐に対し懐疑的なアヴェンジャーをどうにか説得し、私たちはマイルームへと帰還する。
重い気持ちも、あの辛さが払拭してくれるだろうと信じて。
───まことに残念ながら、アヴェンジャーは麻婆豆腐を口にしたその瞬間、発狂したのだった。
月の聖杯戦争。それは、かつて行われていた地上のソレとはまるで仕様が異なっている。
ムーンセルと呼ばれ、月に遥か昔から存在する人類史最古の巨大アーティファクト。──正確には、人類史が始まるより以前から存在し、異星の存在により設置されたと言われる『天の
人類を観測するという目的の為だけに稼働するムーンセルは、より効率的に人間という種を測るためにある様式を用いる事を選択した。それこそが聖杯戦争だ。
人間社会に争いが絶える事はない。故に、人間性を観察するには争いこそが最適な要素であると判断し、地上で行われた聖杯戦争を参考に、ムーンセルは独自の聖杯戦争を作り上げた。
本来の聖杯戦争では、七人のマスターがそれぞれにサーヴァントを召喚し、最後の一人になるまで殺し合うというものだった。
だが、月の聖杯戦争は規模がまるで異なる。予選で
地上では共闘有り裏切り有りのバトルロワイアルだが、月ではトーナメントの形式を取る。そのためルールも細かに規定されており、地上のものと比べて縛りが多いと言えるだろう。
加えて、こちらはより厳しい現実が待ち受けている。月の聖杯戦争の参加者は、最後の一人──たった一人きりの勝利者以外は全員死ぬ運命にある。地上であれば、マスターが絶対に死ぬという事はないが(大概は死んでいるので、一概に絶対死なないとは言い切れないが)、月では敗北が決定した時点で脳を焼き切られる事が確定事項となっている。
極めて例外的事例でもない限りは、確実に敗者は死ぬのだ。嘘だ、冗談だとナめて掛かっても、否応なく死という現実は非情にもやってくる。
たとえば、一回戦で消えていったシンジ。彼も、この月の聖杯戦争を単なるゲームとしてしか捉えていなかった。だから命懸けになれずに岸波白野というルーキー相手に慢心し、あまつさえ油断して負けて死んでいった。
これはお遊びではない。人間同士の殺し合いと何も変わらない。その手段が普通と少し違うだけなのだ。
はてさて、そんな聖杯戦争に酔狂にも参加したマスターの一人でもある私だが、今日ようやく三回戦の相手が発表された。
トーナメント形式ではあるけれど、全ての戦いが同時に行われる訳ではない。猶予期間を待たずして脱落する者も居るのだ。その影響で、戦いが始まるのにマスター毎に差異が生まれるのは必然。
同時進行ではなく、戦いの全てが並行して聖杯戦争は進んでいく。
その証拠に、昨日決戦を終えて校舎に帰還したマスターを私は目にしている。私の三回戦がまだ始まる前に、だ。
まあ、そんなコトはどうでもいい。
問題は、私の次の対戦相手。アトラス院最後の錬金術師にして、
アトラス院の連中はヤバい、というのが私たちの世界では有名な話だ。
一体何がヤバいのか。それは彼らのほぼ全員が持つキチガイな思想発想と、それを行動に移すトンデモな実行力。そしてその実績が彼らのヤバさを物語っている。
噂では、世界を七度は滅ぼす兵器を開発したとか。しかもそれが一つや二つどころではないとか。
だが、先程も述べたようにアトラス院は、既にラニを残して壊滅している。比喩でも何でもなく、ラニこそがアトラス院に属するただ一人のメンバーなのだ。
彼女が聖杯戦争に参加した目的は知らない。彼女を鋳造した錬金術師は既に没していると聞くが、その創造主の指示で聖杯戦争に参加したのではと噂されている。
アトラスが生み出した最後の稚児とは言え、いや、だからこそ何かしらの隠し玉を持っていてもおかしくはない。
単なる三回戦と捉えていれば、足元を掬われかねないだろう。
油断はしない。慢心もしない。手加減なんて論外。ここが決勝戦だ──と臨んで然るべき相手である事は間違いないだろう。
「アトラス院ねぇ……。あそこは情報の秘匿を徹底してたから、たいしたデータはどこにも転がってないのよね~。ラニがホムンクルスでアトラス院の錬金術師──ってコトくらいしか知らないし。三回戦の方針はサーヴァントから探っていくか。それともラニについて先に調べておくか……。どうしようかしら?」
『まずはアレだろ? マトリクスとやらを埋めるのが先決なんじゃねえの。有利に事を運ぶに越した事はねぇからな。ま、先入観無しで殺し合いに臨むってのもオレとしちゃあ本望なんだがね』
ハッキリとは言葉にせずとも、私が意見を求めているという事を汲んでサーヴァント───
そう、私のサーヴァントはランサーのクラスを割り当てられた英霊だ。聖杯戦争で召喚されるサーヴァントは通常七騎のクラスに分類される。
主に剣を武器として戦う『セイバー』。
弓、投擲物などの遠隔系宝具や逸話を有する『アーチャー』。
槍やそれに類する武具を用いて戦う『ランサー』。
生物や無機物を問わず乗り物であれば何でも乗りこなす『ライダー』。
魔術を得意とするが直接戦闘には不向きな『キャスター』。
暗殺、気配を殺す事に長けた、影に生きる『アサシン』。
理性を棄てる代償に、全クラス随一の優れたステータス補正を得る『バーサーカー』。
中でもセイバー、アーチャー、ランサーは聖杯戦争においては
戦う、という点で真っ向からの戦闘に向いているのがこれらであるのが理由の一つだ。
バーサーカーはステータス的には最強に近いのだが、魔力の消耗が激しいためにマスターの負担も大きいという無視できないリスクがある。それに理性が無い……つまり制御できれば意のままに操れるという事でもあるが、制御を失えば自滅しかねない。
バーサーカーというクラスは一種の賭けであると言えよう。故に、よほど優秀なマスターでもなければ扱い切れないのだ。
そして、これら七騎のクラス以外にも、岸波白野の契約する『アヴェンジャー』のような例外、エクストラクラスも存在するが、これらは数も少なければ該当する英霊も少なく、情報がほとんど無い。
故に、契約に関するメリットデメリットがまるで読めない。その点では対戦相手にとっては悩みの種と言えるだろう。
話を戻すと、ランサーの提案は妥当だ。マトリクスを埋めねば、戦いでの立ち回りも大きく変わってくる。相手のサーヴァントのクラス、そしてそのサーヴァントの真名。その英霊の持つ伝承に何かしらの弱点を見つけられるなら尚良し。
ラニ自身の事はマトリクスを埋めた後でも問題はない。むしろそうするべきとも言える。
結局のところ、決戦はサーヴァント同士で行うのだし、マスターが何かしらの切り札を隠し持つとしても、それが致命的になるという事はそうそうないのだから。
「……よし! じゃあ、マトリクスから集めましょうか。相手がアトラス院出身ってのはちょっと怖いけど、まさかトンデモな切り札を月に持ち込めるとも思えないし。そんなの使おうとしたらセラフが黙ってないでしょ。世界を滅ぼす級のアイテムなんて、ムーンセルそのものを壊しかねないのだし?」
『んじゃまあ、方向性が決まったんならさっさとアリーナに行こうや。猶予期間初日で、情報も何も無いのは向こうも同じだ。
ランサーは戦いたいという衝動を隠そうともしない。まったく、我がサーヴァントながら血気盛んで頭が痛い。
……まあ、それに見合う実力を持つサーヴァントなので、戦闘に関しては何ら心配はしていないのだけど。
三回戦の対戦相手がようやく決まった。
相手の名は遠坂 凛。この聖杯戦争に参加するマスターの中でも随一の実力者と噂されている。
彼女の事は月に来るまで知らなかった。いや、厳密に言えば、名を聞いた事がある程度の認識だ。
産みの親である我が師父は、ホムンクルスである私を除けば、あの人こそがアトラス院最後の錬金術師と言えた。その師父から、彼女が亡くなった後の事を考慮したのだろう、私は世界情勢について少し聞き及んでいた。
あの人が死んだ時。それはアトラス院最後の錬金術師が私になるから。
そして、魔力の枯渇した大地、そこに生きる人々。西欧財閥やその運営方針に反抗するレジスタンスについて、私は情報を聞き得ていた。
遠坂 凛については、レジスタンスの中でも特に過激かつ優れた
だが、この月の電脳世界において邂逅し、よもや対戦相手になるとは思いもしなかった。
交流はほとんど無い。たいした会話すらしていない。そもそも、二人きりで居た時間など皆無。
彼女がどんな人物で、どんな人生を歩んできたか。何を目的として月の聖杯戦争に参加したのか。何も。何も知らない。
でも、それは彼女にしても同じだろう。私が聖杯戦争に参加した理由を、目的を、その意味を彼女が知るはずもない。
互いに、決して無名という訳ではない。自分で言うのは憚られるが、どちらかといえば有名な部類に入るだろう。
片やレジスタンスのホープ。片やアトラス最後の錬金術師。
けれど、私たちはお互いの事をほとんど理解し合えていない。
友好というものが何か、私には良く分からない。我が師父は親であり師であり、決して友人ではなかった。
ただ、私はそれを知らなくて良かったとも思う。どうせ最後まで残るのはたった一人きり。友情などというものを理解し、育んでしまえば、私の意思は鈍っていたのかもしれないのだから。
友人……という単語で思い出したが、彼女───岸波白野。アヴェンジャーという特殊なクラスのサーヴァントと契約を結んだマスター。
彼女とは他のマスターと比べて、幾分交流が多かったように思う。いや……、むしろ彼女とのみ会話が続いたと記憶している。
師父は言った。新たに生まれ来る鳥を探せ、と。それが何を意味しているのかは分からない。そしてこうも言っていた。そのために星を詠め、とも。
聖杯戦争に参加した全てのマスター。その中で唯一霞が掛かり何も見通せなかったのは、岸波白野だけ。
彼女が私の探している人物なのか。それとも───。
いいや。まだそれを決めるのは早計だろう。彼女がそうなのか、それとも違うのか。それを見定める為にも、そして我が師より授かった使命を全うするためにも、私は勝ち続けなくてはならない。
故に負ける訳にはいかないのだ。
たとえ、この命を睹してでも───。
気付けば、三回戦が終わってからもう一週間が経とうしている。凛とラニ、二人の決戦もそろそろだろうか。
これまで何度も私に助言をくれた二人。そのどちらかが確実に───消える。
凛は割り切っていたが、私は彼女とは違う。そんな簡単には割り切れない。世話になり、恩のある人との別れ。まして恩人同士が殺し合うなんて、普通なら受け入れられるものではない。
……だがもし、私が彼女らと対戦相手として当たっていたら?
私はその時、凛やラニと戦えるのだろうか。ありすとでさえ、あんなに心を痛めたというのに、もし凛やラニとの戦いが実現してしまえば……私は、平静を保てるのだろうか?
四回戦の相手が決まるまでの間、私たちはまだ開放されていた三回戦時のアリーナで鍛練を続けていた。
迷いが無くなった訳ではなく、アリーナへと赴くのは余計な事を考えないようにするためという意味合いでも有った。
がむしゃらに。ひたすら無心に。経験値だけをまるで機械のように黙々と蓄積させていくだけの日々。
穏やかな日常ではある。それがこの月面世界においての非日常であるのだと理解もしている。まだ、次の殺し合いが始まっていないだけという事も分かっている。
私は、戦闘をこなす事で思考を制限しているに過ぎない。否応なし且つ確実に迫る四回戦。
せめて、それまでは……また思考の沼に沈まないように心掛けよう。
そんな、他人にとってはどうでもいいような決意をして、アリーナから帰ってきた時の事だ。
凛を見かけた。ただ、話し掛けられるような雰囲気ではなかった。ピリピリとした空気を纏い、私は肌でそれを感じ取る。
私は凛を見かけた瞬間、その時が来たのだと知った。
特別な素振りはないが、その冷淡な眼差しで伝わってくる。
戦いの日。どちらかが死ぬ戦いへ赴くのだと。
『……どうやら今日がそうみたいね。ツンデレ娘と褐色娘、一体どちらが消えるのかしら?』
特に感慨も無いといった具合に、アヴェンジャーは淡々とした口調で彼女らの結末を予想する。
いつもの調子なアヴェンジャーを不謹慎に思うと同時に、何故か彼女の態度に安心感を覚える私も、彼女に毒されてきたと言えるのかもしれない。
「……そういえば」
ふと、凛とラニが戦うと決まった日の事を思い出す。あの場に居たもう一人の存在───ユリウス。
そういえば、今日はユリウスの姿を見ない。……いつもの事なのに、何故か今日に限っては気にかかる。
凛とラニの対戦が発表された掲示板。あの時のユリウスの振る舞いが、今も心に引っ掛かっているのだ。
「アヴェンジャー、今日はユリウスを見かけた?」
『ん? あのアサシンのマスターの暗殺者? 見てないけど。……言われてみれば、あの陰険暗殺者が優勝候補同士の決戦だってのに何もしないってのは変よね』
そうだ。闇討ちでマスターを幾人も葬り、私でさえも殺されかけた。堂々とルールブレイクしてくるような彼が、手をこまねいているだけなんて考えられない。
……ユリウスを探してみたほうがいいだろうか?
なんとなく、思い立ったままにユリウスの姿を探し校舎を歩き回る。
教室、購買部、保健室、図書室───それらしい姿は見当たらない。
では屋上は? そう思い、三階へ上がってきた私だったが、まだ三階はどこも見ていない。屋上に行く前に三階も探してみようか……。
ラニがよく窓から空を見上げていた所にまで来た時だ。彼女が居たちょうど後ろ辺りの教室。正確には視聴覚室の前、微かだが声を聞いた。
戸に耳をつけ、中の様子を伺う。
「……!」
声はやはりユリウス。正確な内容までは分からないが、
『……やはり決戦場ともなると、セキュリティは最高レベルか。この
ぶつぶつと何かを呟き、そして次の瞬間には動く気配が。慌てて戸の傍から離れるが、隠れるまでの時間はない。
扉が開かれ、姿を現したユリウスと目が合う。
「気配があると思えば……貴様か」
心臓が凍りつくような殺気だったが、黒衣はあっさりと立ち去った。
一度は暗殺を試みた相手を前に、攻撃も、警告も、目を留める事すらなく、ユリウスは去った。
校内で戦う事のデメリットを考えたのか。あるいは彼にとって自分は、再度命を狙う程、意味のある相手ではないのだろうか。
『案外何も無く帰って行ったわね。でも、明らかにここで何かしようとしていたのは確かでしょう。どうせだし、アイツが何をしていたか確認してみる?』
私もユリウスが何の目的で視聴覚室に足を運んでいたのか気になっていた。アヴェンジャーに促された事もあり、戸に手を掛け中に入る。戸には特に仕掛けもされておらず、すんなりと進入する事ができた。
視聴覚室は、普通の教室より幾分か大きい。前には黒板を覆い隠すようにスクリーンが下りている。
本来なら天井にプロジェクターがありそうなものだが、代わりに置かれたのは旧式の映写機。電脳世界のくせに妙にレトロだ。
聖杯戦争に何ら関わりが無く、存在する意味すらも疑問なため訪れる機会もない場所なので、普段の状態はよく分からないが。見た感じは、特に変わった所も───
「古い映画館かってくらいレトロな映写機ね。……ちょっと待った。コレ、細工された跡があるわよ」
アヴェンジャーの指差す通り。部屋の中央に陣取るあの映写機。その周りの
彼女が言うように、何かの細工がされたのだ。おそらくはユリウスによって。
何が目的なのか。調べれば分かるだろうか、とつい手を出して───
「ちょっと! 不用意に手を出したら……!!」
アヴェンジャーの警告は既に遅かった。私が彼女の声に振り向いたのは、既に映写機に触ったのとほぼ同時だった。
「……ッ!!?」
纏転▲摩語螺CEL縫★務撥ネ戀ゥ覧◯♂角ひ隙タ総縲bュΦ◇髭√a縲闇呪獄楽§封・紋繧廛↓縺四◎縺窪㊧縺ィ雲ょ≪縺。雌▲縺ォ縲──!!
「っ……あ、ゥ」
突然の不意打ちに、たまらず膝をついて座り込む。もっと言うと、立っていられない。
……何かおかしな物に触れたらしい。攻撃的な
「なに?! なんなのよ!? マスター、アンタ何かやられたの!?」
「…………フゥ?」
アヴェンジャーが見た事が無いくらい取り乱して、私の顔を除き込んでいる。私はほんの少しの間だけ呆然していたが、しかし、先程のアレは突然に抜けていった。後は静かなもので、多少クラクラとはしたが、ダメージは全くない。
……なんだったのだろう?
ユリウスが残した罠……ではないようだ。
『──!! ──!!!』
『───! ───!!』
思索から、強引に引き戻したのは剣戟の音。振るわれた武器の、空を裂き地を割るその勢いには、必殺の意志がある。
ユリウスが戻ってきたのか、と身構えるが、彼の姿はここにはない。
網膜越しではなく、直接、電脳に映るのは──
ラニ。褐色の肌の美少女と、偉丈夫のサーヴァント。
受けるのは、遠坂 凛とそのサーヴァント。
コレは───二人の決戦場での戦いだ。
先程まで何も映していなかった映写機が、いつの間にかその光景をスクリーンへと映し出していた。
巨漢なサーヴァントは、見た目通りの凄まじいパワーを有しており、彼が振るう大きな槍らしき武器は、たとえ敵に直撃しなくとも強い風圧が巻き起こり敵を威圧する。
武器の叩きつけられた地面には、広範囲に渡り亀裂が生じる。彼が暴れるだけで地盤沈下が起きてしまうのではないかとさえ思わせる豪快さである。
反対に、凛のサーヴァントだが、相手に比べてスマートな印象を受ける。
───だが、勘違いしてはいけない。粗い画面越しでも分かる、引き締まった筋肉。その鍛え上げられた肉体は、一切の無駄が無かった。
彼の得物もまた朱い槍。刺々しくも美しいその槍から繰り出されるのは、敵の急所を次々と的確に狙って放たれる鋭い突き。時には相手の力強い攻撃を流し、隙を見ては胴に放たれる凪ぎ払い。
流れるような怒涛の連続攻撃は、見ていて見惚れてしまう程。彼にラニのサーヴァント程の豪快さは無い。だがその代わりに、彼の槍を扱う技術は敵よりも遥か上と言えるだろう。
それにしても……。
他者の戦いを見る。これは、敵の情報無しに戦わされる聖杯戦争において、圧倒的優位と言える。
無論、言うまでもなく
───しかし、それなら何故ユリウスは、半ばで立ち去ってしまったのか。
何か意図があるのか、それとも
「あれこれ考える余裕があるくらいには大丈夫だったみたいね。なら思索は後よ、アレを見なさいマスター。せっかく他人の戦いが見られるのだし、見逃す手は無いわ」
アヴェンジャーの言葉に、はっとして、画面に意識を戻す。
対峙する凛とラニ。そしてそのサーヴァント。不思議な事に、さっきは明晰に見えた映像は、今やノイズが酷くなっており、女性二人はともかく、その従者の姿は判然としなくなっていた。
画像が悪い───というより、
接続した直後だったから、僅かでもハッキリと見えていたのだろうか……?
ともあれ、二人のサーヴァント、どちらも槍を武器にしている。であれば、双方ともランサーという事になるが……。
その武器で互いに突き、弾き、薙ぎ払い、受け。軌跡を目で追う事も難しく、刃の散らす火花が戦いの熾烈さを証明している。
筋力においてはラニ側が勝っているが、凛のほうも押されてはおらず、勝負は全くの互角と思えるが──。
「凛って小娘の勝ちね、アレ。柔よく剛を制す、ってヤツ」
アヴェンジャーは、あっさりと凛の勝利を宣言した。
「サーヴァントは互角。でも言っちゃなんだけどマスターに差があるわ。あの女のが柔軟さでは勝ってる。搦め手が上手いのよ、アイツも、そのサーヴァントも。あんな細い成りで大男の猛攻をあんだけ捌けてるのが良い証拠ね。ラニもそれは分かってるでしょう。分かっているけど、それを覆す術がない。だから、どうしても押しきれない。さぞ歯痒い事でしょうね、フフフフ……!!」
アヴェンジャーの言葉通り、画面の凛には確かな自信が見える。
一方のラニは、無表情の中にも焦りの色が───
と。突然、剣戟が止んだ。
不鮮明な画像で、何が起きたのかは分からないが、両者の距離が開く。
動きがあったのは、ラニ。
サーヴァントが構え、力が、エネルギーが集まっていく。それは、この荒れた画面からでさえ見て取れる。桁外れの力だった。
「……アレ、ヤバいわね」
アヴェンジャーの視線が鋭くなる。さっきまでラニの劣勢に笑っていた彼女は、今やラニを侮っていなかった。
「ヤバい……? ラニ、何を……」
画面の中の彼女に、私の声は届かない。そうする間にも、ラニのサーヴァントへと魔力は集まり続けている───。
覗き見られているなど、決戦に臨む二人は露知らず。
凛が優勢に押していた戦いだったが、状況はラニの選択により一変する。
「……申し訳ありません、師よ。あなたにいただいた
悔やむ言葉を最後に、彼女の言葉から完全に感情が消え去り、機械的に言葉を紡ぎ始める。
「全高速思考、乗速、無制限。
システムアナウンスのような、抑揚の無い平坦な声。それに合わせるかのように、少女は胸元から光を発し、その輝きは徐々に強さを増していく。
いや、それだけに留まらず、魔力も光へと吸い寄せられるかの如く極端に高まりつつあった。
「これより、最後の命令を実行します」
これ以上ないまでに濃密な魔力を発しているラニ。その尋常ならざる様子に、凛も焦りを見せ始める。
「ちょっ、なにそれ……!? もしかしたらアトラス製のトンデモ礼装でも持ち込んでるかと思ってたけど、これまでそんな素振りも無かったから安心してたのに、ここに来てまさかの展開!? というかソレ、自爆しようとしてる!? アトラスのホムンクルスってのはそこまでデタラメなの!!?」
慌てふためく凛。それもそのはず、彼女の言うように、ラニは今まさに自爆しようとしている。
……馬鹿げている。自殺行為、なんてちゃちなレベルではない。
凛に追い込まれて奥の手を使おうというのだろうが、あれでは凛どころか、
それほどまでに、ラニの発する魔力は異常であり異様なまでの濃度を放っていた。
「令呪を使ったみたいね」
状況の読めない私とは対照的に、アヴェンジャーはずっとスクリーンを凝視しており、ラニが何をしたのか理解を示す。
全ての戦いを通して、たった二回だけの切り札。ラニはそのカードをここで切ったのだ。
……いや、それではまだ足りない。この恐ろしいまでの力は、ラニの体の中にあるもの。
彼女の心臓は、爆発寸前の炉そのものだ。この状況を目の当たりにすれば、誰にだって分かる。
ラニの体には、
無論、それを間近で見ている凛もすぐに状況を理解していた。
「魔術回路の臨界収束……! 捨て身にもほどがある、下手したらムーンセルそのものが吹っ飛ぶ可能性だってあるわよ!?」
「ヒュウ、
凛のサーヴァントが、緊迫した状況には不釣り合いな、飄々とした口調で尋ねる。
「いつの時代の話だってのよそれ! 軽口は後よ
「おう、らしくなく大盤振る舞いか! いいね、いよいよ決着だ!」
彼女の檄を受け、槍兵も構えを取り、力を溜める。
高まる力と力。その結果は───
「次で決着ね。あれだけの魔力の衝突ですし、令呪の剥奪を待つまでもなく、敗者は消滅するでしょうね。でも、だからといって勝者も無事で済むかしら? もしかすると、どちらも死ぬかも───」
そこまで言うと、アヴェンジャーは言葉を切り、こっちの顔を見つめると、つまらなそうに言った。
「……珍妙な顔をしていますね。まさかとは思うけど、アンタ、助けたいとか言い出したりしないでしょうね?」
いつの間にか、そんな表情をしていたのか。しかし今はそれよりも気になる事があった。アヴェンジャーの言葉の微妙なニュアンス。
救う手段などない。そういう言い方ではなかった。
……何か、あるのだろうか?
「……はぁ。言わなくても顔で分かったわ。ほら、あるじゃないの、そこに。……言いたくなかったけど、どうせ隠しても無駄だったでしょうし」
相当に嫌そうな顔をしつつも、少女は指差す。左手を。そこに浮かぶ令呪を。
「……令呪を?」
「そのスクリーンを通して繋がっている以上、あそこへ移動して、どちらかを救う事は可能よ。でも、実際には隔絶された場所。そこへ瞬間移動するとなったら、神霊クラスのサーヴァントでもない限りは令呪のサポートが必須でしょうね」
そう。そもそもは不可能な話。そんな不可能を可能にする、たった二回きりの奇跡。それが令呪だ。
「ここで行けば、帰りの分も要るかもね。この一時で二つの令呪を失う可能性がある、という事になるわ」
回数に限りのある切り札を全て失うかもしれない……と。
私、は…………。
「……はあ~。そんな顔しないでくれる? こんな問いかけ、本当ならするのも吐き気がするんだけど、仕方ないわね」
もはや諦めたとばかりに溜め息を吐くアヴェンジャー。そのあらゆる万物を射抜くかのような、冷たい黄金の瞳の中に私を映して彼女は選択を迫る。
「……敢えて聞くわよ。アンタ、本当にあの女どもを救う気?」