Fate/EXTRA 汝、復讐の徒よ   作:キングフロスト

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希望の糸を、手綱へと

 

 レティシアたちとのお茶会を切り上げ、アヴェンジャーを追いかけたは良いのだが、アヴェンジャーは完全に機嫌を損ねてしまっており、「いま話し掛けたら焼き殺す」とばかりに不穏なオーラを放っていた。

 話をしたかったが、きっとろくに会話もできないだろう。

 

 アヴェンジャーとレティシア。二人の因縁は気になるが、そればかりを気にしている余裕は、私には無い。

 

 正体不明のサーヴァントと、そしてそのマスター。それは、対戦相手にだけ当てはまるのではない。

 他ならぬ()()()()()にも、同じ事が言えるのだ。

 

「……これじゃまるで、自分自身の真名を探ってるみたいだ」

 

 私に構わず、不機嫌なままマイルームに戻るアヴェンジャーの後ろ姿を見ながら、私はポツリと誰に聞かせるでもない自虐の言葉を吐くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 結局、あまり寝れずに次の日の朝を迎えた。

 相変わらず、頭の中はぐちゃぐちゃのまま。何から手を付ければ良いのやらという具合である。

 

 アヴェンジャーの正体、そして自分の正体……。それらがどうしても気になってしまい、敵の情報収集に身が入らない。

 昨日のお茶会は絶好のチャンスであったというのに、結局それも上手く活用出来ず終いだった。

 こんな事では駄目だと分かっているのだが……。

 

「どうしたのです? お顔の色が優れませんね」

 

 乱れた心に、日が差すような声を掛けられた。

 ふと気が付けば、私は廊下のど真ん中で思考に没頭していたらしく、そこへ通り掛かったレオからの呼び掛けで、思考の海から引き戻される。

 

「申し訳ないと思ったのですが、昨日のあなたとミス・トオサカとの会話、たまたま聞いてしまいました。図書室ではあなたの聖杯戦争への興味を優先したのですが、今日はどうにも曇った表情をされているので、もしや、と」

 

 聞かれていたのか、あの会話の内容を……!?

 だが、だからといって、それでどうなるという事でも無いのだが。レオにしてみれば、私がどんな存在であれ関係ないのだろう。ただ乗り越えていく障害の一つでしかないのだから。

 もしくは、私ごときでは、乗り越えるべき壁とすら思われていないかもしれない。

 

 謝罪しつつも威厳に満ち溢れる空気を纏う彼は、やはり王者の風格を持つと言わざるを得ない。謝られているのに、むしろ畏れ多く感じてしまう。

 

「僕もあなたは他のマスターと少し気配が違うと思っていましたよ。……あなたの様子から察するに、その事で悩んでおられるのですか?」

 

 そう──その通りだ。

 私は、悩んでいる。自分の正体が何か。自分が何者であるのか。『岸波 白野』とは一体何なのか。

 

 悩む私へ、今はまだ小さな王は、事も無げに一蹴する。

 

「自身の不明……。それは、そんなに思い悩むことでしょうか。自分が何者なのかを心得ている人間など、そう多くはないと思いますよ。それに、それが分からなくとも相応に出来る事はあるのではないですか?」

 

「出来る事……? いったい、どういう──」

 

「それは僕が答えるべきではないでしょう。あなた自身で見つけるべきです。そうでなくては、意味がない。与えられてばかりではいけない。ここは本来、戦場であるという事を忘れてはいけません。戦場において何が出来るのか、何をするべきか考え、そして行動に移し、答えを得る事。その行程にこそ、意味があるのだから」

 

 彼の言葉を深く考える暇も無く、レオはごきげんよう、と去っていってしまった。

 

「…………」

 

 去り際、彼のサーヴァントがこちらに視線を送った。その目に敵意はない。

 

 “(あるじ)の言葉を、どうか無駄にしないように”

 

 そんな騎士道精神に満ちた、憐れむような視線だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 悶々と、胸の内でモヤモヤとした何かがつっかえる感覚がある。レオとの会話を終えてから既にかなりの時間が経過していたが、未だにぐるぐると頭の中で先程の会話内容が渦巻いていた。

 どうにも、レオの言葉が引っ掛かる。

 

 今の自分に出来ること──

 

 私は──

 

 そうだ、少なくとも今、私は聖杯戦争に参加しているマスターだ。それが唯一の手がかり。

 今の自分に出来る事は、その手がかりを最大限に生かすこと。

 

 他のマスターの事を思い返してみるのがいいだろう。彼らと自分の違いがヒントになるかもしれない。

 

 

 

 ──慎二のことを思い出してみる。

 リアルの彼はアジアのゲームチャンプにして霊子ハッカー───年齢は八歳だったらしい。

 そして、予選の学園生活で、私の友人という役割を与えられていた。同時に私は、彼の友人という役割(ロール)を与えられていた。

 今になって思えば、よくあの高慢な慎二と友人関係を継続していたものだと言え……る……?

 

 ……本当に?

 

 慎二の友人だったのは本当に私か……?

 何故、そう思ったのか。私にもよく分からないが……。

 駄目だ──上手く思い出せない。記憶が(もや)に覆われている。それ以上進もうとすると、柔らかいが、断固たる力で押し返されてしまう。

 結局……何も思い出せないのか……。

 

 

 

 ──ダン卿のことを思い出してみる。

 彼は某国の軍人にして、霊子ハッカー。そして騎士だった。

 礼を重んじ、不義を良しとせず、堂々と正面から、自分に立ち塞がってくれた。

 記憶のない私に、師と呼べる人がいるとすれば、それは彼の事だ。

 今でも、彼の最後の言葉に背中を押される。

 後悔も、迷いもいい。ただ、自分の通った道行きだけは否定するな、と。

 ……そうだ。記憶が曖昧でも、戦う意義が未だに見出だせなくても、その言葉は胸に刻める。

 

 ……けれど、それだけ。

 どんなに前を見つめても、過去だけは取り戻せない……。

 いや、もしかすると……そもそも、私には……?

 

 

 

 ──ありすのことを思い出してみる。

 彼女はある意味、被害者だった。

 ネットゴースト。帰り道も分からず、遊び相手も居ない。寂しがり屋の、何処にでも居る子どもだったのだ。

 この無慈悲な月の電脳世界で、戦場とは唯一無縁であったはずの幼子。あの子と接している時だけは、戦いという厳しい現実と直面しないで済んでいたように思える。

 

 もっと彼女と話をしておけば良かった───。

 今更ながらに悔やまれる。自分の記憶とは別のところで、彼女とはもっと分かり合いたかった。

 

 “お姉ちゃんはわたしと同じだね”

 

 一人きりで寂しかっただろうに、強がって笑っていたあの少女と。

 

 しかし、もう遅い。

 彼女は消えてしまった。いや、違う。この手で、消してしまった。

 砂糖菓子のように脆く、儚かった少女の幻は、永遠に失われてしまった。他ならぬ、私自身の手によって。

 手がかりは、手のひらで受け止めた雪のように溶けてしまったのだ。

 

 結局……何も分からないのか……。

 

 

 

「……何よ。これまた深刻そうな顔をしてるわね」

 

 ふと声が掛かった。朝から姿を見せなかったアヴェンジャーが、いつの間にか目の前に立っていた。

 

「どうせ、私とアイツの関係とか、私の正体とか……それか、アンタ自身の正体について悩んでいたんでしょう? ……ハァ」

 

 アヴェンジャーはため息を吐く。それは決して呆れから来るものではなく、私や彼女を取り巻く現状へ対してのものであるように感じられた。

 そして、観念したかのように口を開くと、意外にも謝罪から始まった。

 

「……悪かったわね。私はアイツと顔を合わせると、どうしても苛立ちを隠せないし、燻る憎悪の炎を抑えきれなくなるのよ。アンタに八つ当たりする気は無かったけど、無意識にやってたみたい。……ゴメン」

 

 はっきり言って、その謝罪に度肝を抜かれたと言っても過言ではない。

 彼女の方から謝ってくれるなんて、普段の彼女を知る私にしてみれば、まさしく驚天動地のレベルでの異変と言える。

 だが、もしかすると──それだけ私という存在が、アヴェンジャーの内で大きくなっているのかもしれない。そう思うと、胸の奥がジンと熱くなってくる。

 私とアヴェンジャーは、しっかりと絆を結べている。それが、これまでの何より嬉しく思えた。

 

 呆然となる私に、もしくは知らずの内に目を潤ませていたかもしれない私に、アヴェンジャーは気恥ずかしげに口を尖らせる。

 

「べ、別に謝ったのはアンタの為にってワケじゃないから! ヘソを曲げられても困るし、仕方なくよ!? 分かったら返事!」

 

「……うん」

 

「分かればいいのよ。私の真名は──まあ、今すぐには無理だけど、必ず教える。アイツとの関係についても。それに、ここまで来たらもう腐れ縁みたいなもんだし、アンタが何者なのか、それを知る手伝いだってしてやるわよ。お互い()()()()()()の仲ってヤツ」

 

「何それ……ふふっ」

 

 二人で笑い合う。そうだ、私だって正体不明。アヴェンジャーはそんな得体の知れない私と契約してくれたのだ。

 彼女に疑念を抱くなんて、お門違いにも程があろう。

 

「……ありがとう、アヴェンジャー。ちょっと元気出たよ」

 

「それは何より。で、早速アンタのお悩み相談もとい解決に乗り出してやるわ。ほら、保健室に行くわよ。あの女、せっかく助けてやったんだから、せめて有効活用してやろうじゃない」

 

 うん、ちょっとその言い方はね……。

 でも確かに、アヴェンジャーの言う通りかもしれない。他者の話を聞けば、自分を見る、そのきっかけ程度にはなるかもしれないのだ。

 ひとまず、保健室に行ってみよう。ラニの具合も気になるし、何かが分かるかも知れないから。

 

 

 

 

 

 

 保健室へやって来た。ベッドの(しつら)えてある一角に行くと……彼女は相変わらずの硬い表情をこちらに向けた。

 だが、幾分かその目には感情の色が乗っているだろうか。

 

「──また、来たのですか?」

 

 ラニは、棘のある言葉で歓迎する。その声色(トーン)に少し戸惑いを隠せないでいると、彼女は澄ました顔で続けた。

 

「師を悪く言う人とは、話すことなどありません。……出て行ってください」

 

「待って。図々しいとは分かってる。それでも、聞いてほしい事があるの」

 

 ラニの拒絶を半ば無視して、言葉を被せる。ラニの感情(ほんね)をもう少し引き出すのなら、自分の考えを述べるのが筋だと思ったのだ。

 まあ、自分語りをする事で、自分自身が落ち着きたかったのかもしれないが。

 

「………」

 

 ラニはそれ以上は何も言わず、じっと私を見つめてくる。諦めの悪さに呆れているのか、それとも、何か思うところがあったのか。

 だが、聞いてくれる気でいてくれるようだ。

 

 ポツポツと、私はここ最近で私に起こった事を話し始めていく。

 

 ──どうやら、私は人間ではないらしい。

 遠坂 凛の装置によって、自分が人間とは違う──何か、別のものであること。

 そして、自分が何者かすら分からない事などを、ただ、独り言のように語る。

 

 ラニはその間、ただじっと見て黙ってこちらの話を聞いてくれた。

 ラニはそんな、何も無い自分とは違う。だから何故、『師の言葉』にそこまで縛られているのか───。

 そんな疑問を口にした時、ラニは静かに、しかし優しい口調で返した。

 

「師は……私の全てです。私を導き、生み出してくれた」

 

「……そうなんだ。ねぇ、ラニの話も聞かせてほしい。その師って人が、どんな人だったのか、教えてくれる?」

 

 少し師の話を聞いてみたくなり、それを伝えると、ラニは嬉しそうに話を続ける。

 

「私は、師によって生み出された道具。それなのに、師は人間(ひと)として私を育ててくれました。けれど、私には感情(なかみ)が無かった。だから……せめて師の期待に応える事で、私は満たされていた……のだと思います」

 

 大切な宝物を胸に抱えるように、懐かしい思い出を語るように、瞳を閉じて話を続けるラニ。すると、彼女は不意に顔を上げるや、私と視線が交差する。

 

「そう──岸波さんと私は同じ、空虚な器なのかもしれませんね」

 

 ラニと、同じ……。

 それはどういう───

 

 そう視線で問うと、少女の瞳が揺らいだ。

 ラニは暫し逡巡した後、まっすぐにこちらを見て、残酷な真実を口にした。

 

「先程の遠坂 凛との話を聞いて、ある仮定に至ったのです。岸波さんは、()()()()()のでは、と」

 

 本体が……無い?

 あまりにも予想外の言葉に、理解が追いつかない。

 

「……言葉通りの意味です。残留魔力を取得しても、脳に負担が掛からない……それはあり得ません。肉体を持つ霊子ハッカーなら、どうしてもダメージを負うもの。それは私でさえ例外ではない」

 

 待って。待って待って。いや、意味が分からない。

 それだと、私は人間ではないどころか、その存在自体がそもそも無いようなものではないか。

 私の混乱も治まらぬ内に、ラニは更に追い打ちを掛けるように、冷酷な現実を突き付けた。

 

「……ですから。もう結論は、一つだけなんです。肉体が無いなら、肉体へのダメージは通らない。岸波さんは、いま、データでしかない存在なのではないでしょうか」

 

 

 

 ─────いや。

 待ってくれ。いくらなんでも、それは、待ってほしい。

 

「…………っ、はぁっ、はぁっ!」

 

 息が詰まる。呼吸が上手く出来ない。全身からぶわっと汗が湧き出る。

 

 ──お前は、人間ではない。

 ──私は、人間じゃない。

 

 信じていた全てが、足元からガラガラと音を立てて崩れ去っていく。“私”という土台が失われていく喪失感──否。

 これは絶望だ。記憶喪失ではなく、人間では無かったのだから、元からそんなものは存在しなかった。

 私は、本当の意味で()()()()だった……?

 

 私の様子を見て、彼女にしては珍しく、慌てたようにラニが言葉を取り繕う。

 

「い、いえ、誤解しないでください。本体が無い、というのは、繋がっていない、という意味です。予選を通過した時にトラブルがあった、と聞いています。その時に、リンクが途切れてしまったのではないでしょうか。それなら記憶が曖昧なのも当然です。自分のデータベースである肉体と接続が途切れているのですから」

 

 ベッドから身を乗り出して、宥めるように私の背を撫でるラニ。病み上がりで自分の身体とて辛いだろうに。

 そのおかげもあってか、私は次第に落ち着きを取り戻していく。

 

 ……しかし、なるほど。

 記憶は思い出せないのではなく、肉体から引き出せなかっただけ、なのか。

 となると、後は途切れたリンクを回復させるだけなのだが……。

 

「……どうすれば、リンクを繋ぎ直せるの?」

 

「……岸波さんでは困難だと判断します。ですので……わ、私でよろしければ、お手伝いする選択も、ありますが」

 

 ラニが肉体とのリンクを手伝ってくれる……!?

 それが本当なら、こんなに頼もしいコトはない。思わずラニの手を握って、ありがとう、と熱弁してしまった。

 

「は、はい───乗り掛かった、船ですから。時間を作って、確実に、完璧なプランのもと、地上にある岸波さんの身体を、見つけだしますので」

 

 良かった……これで記憶が戻る。記憶が戻れば自分が何者なのかもはっきりする。

 何故この戦いに参加したのか。自分はどんな経歴を、どんな人生を歩んできたのか、知る事が出来る。

 

 そうすれば───自分もやっと、胸を張って戦えるはずだ。

 そんな思いを見透かしたように、ラニは柔らかく笑う。

 

「やっぱり、岸波さんは同じです。私も……ずっと探していたから。今──思い出しました」

 

 それは、何を?

 と問うたが、ラニは風のように微笑むばかり。

 こちらの困ったような顔を見て、楽しんでいるとでも言うのだろうか。

 戸惑いを隠せずにいると──

 

「少し、疲れました。それと……邪険にしたこと、お詫びします。明日も───お話出来ますか?」

 

 ラニの言葉に、反射的に首を縦に振る。

 

「もちろん。私も、まだまだラニとは話し足りないと思ってるから」

 

 ラニは満足そうに見つめ、「約束ですよ」と告げて眠りについた。

 身体が癒えていないのに、無理をさせてしまっただろうか。今はそっとしておこう。アリーナの探索もあるのだ。

 私はラニを起こさないように、静かにその場を離れる。

 

 部屋を出ようと振り返ると、保健室の(あるじ)である桜が心配そうにこちらを窺っているのが見えた。

 

「あの、大丈夫ですか? センパイのバイタルが急に不安定になったので、心配したんですが……」

 

「もう大丈夫。心配してくれてありがとう、桜」

 

 ホッと胸を撫で下ろすように、安堵のため息を吐く桜。

 不要な心配をさせてしまったようで、申し訳ない。

 

「聖杯戦争もこれで四回戦と、もう後半戦に突入しています。保健室のAIとしては、誰か一人のマスターに肩入れするのは規則に反しますが……せめて心配だけはさせてください。どうか、気を付けてくださいね、センパイ。いま残っているマスターは、その全てが優勝候補と言える人ばかりです。無理だけはしないでください」

 

「うん。肝に銘じておくね。それと、何かあったらまたお願い」

 

「はい! その時は、保健室の担当として、精一杯お助けさせていただきますね!」

 

 花開くような満面の笑みを受けながら、私は保健室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 気が楽になった私は、その足でアリーナ探索に向かおうと足を運ぶ。

 そして扉の前に来たところで、ちょうど探索を終えたらしいレティシアと鉢合わせた。いつもの明るさは少し影を潜めており、何やら疲れた顔をしているのが少し気になった。

 

「まあ、岸波さん。あなたもアリーナへ行かれるのですか? 私たちは今しがた帰ってきたところです。トリガーの取得は済んでいるのですが、鍛練をと思いまして。もしやそちらも? でしたら、お互い精が出ますね」

 

 先程僅かながら垣間見せた疲れ顔から、一瞬で元気そうに装うレティシア。ただし、()()という文字通り、完全には疲労を隠し切れていない。

 

「なんだかお疲れみたいだけど、何かあったの?」

 

「いいえ。何もありませんよ? むしろ元気いっぱい元気ハツラツ! くらいには元気が有り余ってます!!」

 

 アハハー、と彼女はいかにも嘘臭い笑い方をしており、絶対に何か誤魔化そうとしている。

 

「アハハハハー…………ハァ」

 

「いや明らかに疲れてるよね? 全然隠し切れてないからね?」

 

 隠し通せないと分かったのか、レティシアは腕をだらんと垂らすように、その場で脱力しながら立ち尽くす。

 やせ我慢していたようで、栓が抜けたように、大量の汗が彼女の頬を伝い床へと落ちていく。

 

「……確かに疲れています。魔力だってほとんど空に近いですし。ここが校舎の中で本当に良かった。もしアリーナで岸波さんたちと出会っていれば、きっと───あなたたちを殺してしまっていたから」

 

 ──その言葉は、嘘偽りではなく、おそらく本気の言葉だ。

 

 レティシアは私たちを殺す可能性があったと、驕りでも慢心でもなく、本当にそう思っているのだ。

 

 そして、その言葉の真意を問おうとした刹那、それは起きた。

 

 

 

「ガアアアァァァァァァッッッ!!!!」

 

 

 

 レティシアの背後で突如キャスターが現界したかと思えば、次の瞬間には私の目と鼻の先まで彼女の手が迫っていた。

 

「!! 待ちなさい、キャスター……!!」

 

「マスター!!」

 

 アヴェンジャーが咄嗟に霊体化を解き、旗を盾にするよう私とキャスターの間に割り込む。勢いを殺し切れず、アヴェンジャーの体は私ごとかなり後ろまで押し出され、倒れ込む。

 どうにか攻撃は防げたが、今のは紙一重だった。あと一秒遅れていれば、私は胸を抉り抜かれていただろう。

 

 なんとか体を起こし、次の攻撃が来ないか警戒するが、見れば、暴れようとするキャスターをレティシアが羽交い締めする形で取り押さえていた。

 両腕はキャスターの爪によって傷と血だらけになっている。廊下にもレティシアの血が飛び散っている程だ。

 

 だが、私はその光景よりも、キャスターのある部分から目が離せないでいた。正確には、その額から。

 

「落ち着きなさい、キャスター! まだ足りなかったんですか!?」

 

 必死にキャスターを宥めるレティシアだったが、今のキャスターによる攻撃を、セラフは許さなかった。

 すぐさま警報が鳴り響き、レティシアとキャスターへとステータスダウンのペナルティを下すアナウンスが流れる。その影響なのか、キャスターは少しずつおとなしくなり、最後には完全に沈静化され意識も失ったようだった。

 

「……やっと落ち着いてくれたようですね。お騒がせしてしまい、ごめんなさい。信じていただけないとは思いますが、こちらに攻撃する意思はありませんでした。完全にこちらの配慮不足です。本当にごめんなさい」

 

 血塗れの腕でキャスターを背負うレティシアは、少しふらつきながら去っていく。多分、マイルームで休むのだろう。

 

「……何よ、アレ。アレがキャスター? あんなの、どう見たってバーサーカーじゃない。どんな悪い冗談よ」

 

 アヴェンジャーは、キャスターの豹変ぶりに気圧されたのか、レティシアへの憎まれ口すら出て来ないようだった。

 

 あまりに突然すぎて理解が追い付かないが、場が落ち着いた事で、ようやく私は状況の整理を行える。

 

 まず第一に、キャスターに見られた異変。

 本来、キャスターというクラスは接近戦を得意としない。魔術による攻撃、または搦め手を主な戦法とするのが定番だ。

 前回戦った、ありすのキャスターも例に漏れずの戦闘方法だった。

 しかし、先程のレティシアのキャスターは、手先はまるで鋭利な刃物が如く、触れたもの全てを切り裂くような印象を受ける、非常に攻撃的な手だった。

 ユリウスのアサシンに近いものがあるかもしれない。あちら(アサシン)が拳で敵を粉砕するのに対し、こちら(キャスター)は爪で敵を引き裂く。そんな感じだった。

 

 キャスターの持つ美しい漆黒の瞳は狂気に染まり、思い返してみれば、瞳孔は縦に割れていたような気がする。猫科の獣が持つ瞳──それに近い目だ。

 

 そして、最も見逃すべきではない点が一つ。私がレティシアに取り押さえられた彼女を目にした時、どうしてもそこから視線を外せなかった箇所。

 普通の人間にあって良いはずが無い()()。いや、英霊とて、真っ当な存在なら有るはずが無いモノが、彼女の額にあったのだ。

 それは──

 

 

 

 ───天を衝かんとばかりに、彼女の額から真っ直ぐに伸びた、漆黒の角である。

 

 

 

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