そういえば、と私は足を止める。
アリーナから帰ってきた私は、ふと思い出した事があった。実は昨日、エンシェントゴーストを倒した後に、トリガーを入手してすぐにフカヒレを拾っていたのだ。
シリアスな場面であり、エンシェントゴーストの印象が強すぎたため、場面としては明らかに場違いなフカヒレに関しては完全に霞んでしまっていた。今日も今日とて、レティシアたちとの件もあり、そこまで頭が回らなかった。故に、忘れていた。
忘れていたのは私のせいじゃない。悪いのはエンシェントゴーストである。
そこっ。責任転嫁とか言わないように。
とにかく、男子生徒に依頼されていたフカヒレを届けるため、私は疲れた体に鞭を打つ。
校庭に出ると、前回と同じ場所に彼は佇んでいた。
「それは……フカヒレか! ――よし分かった。現物を持って来られちゃ仕方ない。腹を括ってタイガーの呼び出しに応じるよ。でも後で行くから、とりあえず先に食わせてくれ」
男子生徒はフカヒレを受け取ると、一目散に校内へと駆け込んでいった。一応はタイガーからの依頼は達成出来たと見て良いだろう。
疲労困憊の私は、まだ日は暮れていなかったがマイルームへと真っ直ぐ戻る。私はともかく、アヴェンジャーは疲れだけでなく、かなりのダメージも受けていたので、早く休ませたい。
戻るなり、私は倒れ込むように机へとしなだれかかった。堅い机が少し痛いが、そんな事はどうでもいい。
どうにも、あの戦いでは決戦の時並みに神経を擦り減らしていたらしく、極度の疲れから眠気すら出始めている。思考が弛むが、姿勢を正し頬を叩いて気を引き締める。
今日の戦いで判明したキャスターの特徴や戦い方、それらを吟味しなければならない。
アヴェンジャーには休むよう伝えたが、このくらいの傷は平気だと強がりを言って、私の考察に付き合ってくれるようだ。
「さてと。じゃあ、まず一番重要な点から。キャスターは間違いなくヒトじゃない。少なくとも普通の人間とは思えない。あの角と、異常なまでの再生能力から見て、怪物に分類される英霊なんだと思う」
「そうね。あの巫女装束からして、おそらくは日本出身。そして日本で角のある怪物と言えば、まず真っ先に挙がるのは”鬼“って妖怪だったかしらね」
日本の有する妖怪史において、鬼は外せないメジャーな妖怪だ。鬼といっても種類、分類は多岐にわたる。
たとえば、陰陽道に連なるものだったり、地獄の獄卒であったり。それこそ、平安の世を脅かした酒吞童子などのような、怪異としての鬼であったり。
民俗学、仏教、山岳宗教など、様々な分野においても鬼は扱われており、その諸説も数多く存在する。
キャスターが鬼であると断言すべきではないが、可能性はかなり高いと見ていいはずだ。
とすると、キャスターがどの年代の人物であったのかが分かれば、おのずとその真名も見えてくるだろう。
「キャスターは銅鏡らしきものを持っていた。銅鏡が主に使用された時代っていうと、弥生時代から古墳時代辺りだったかな?」
「ん〜、そこら辺は私じゃ分からないわね。聖杯から知識としては得てるけど、国も違えば時代だって違いすぎるし。まるでピンと来ないわ。でも、さっきも言ったけど、あのキャスターには引っ掛かるというか……。具体的にはあの戦い方なんだけど、既視感があるのよね……」
アヴェンジャーの所感はともかく、銅鏡の用いられた時代から考えると、女性で巫女なんて二人しか思い当たらない。
邪馬台国の王にして、日本最古の女王である”卑弥呼“。もしくは、その宗女であり王の座の後継者でもあった”壱与“か。
だが、そうすると鬼と巫女とが相反する要素となってくる。どちらかがキャスターだと仮定した場合、史実では語られなかったが本当は鬼だった……という事は考えられないだろうか。
……うーん。分からない。分かりそうで、あと一歩届かない。決め打つには、あと少し材料が足りないといった具合だ。
「真名に関してはその辺で置いといて、次はアイツの戦闘スタイルへの考察と行きましょうか」
「というと……キャスターにしては、意外と肉体派だった事とか?」
「それもだけど。一番厄介なのは光を介した転移ね。光である程度のタイミングが計れるとしても、アドバンテージは常に向こうにある。対策を取ろうにも現状だと手が浮かばないわ。で、次点で鏡を使った攻撃の反射。遠距離攻撃だけに対応するのか、近接攻撃にも対応しているのか、そこはやってみないと分からない。ていうか、デフォルトで反射スキル持ちとか姑息よ! 私なんて宝具の真名解放しないと出来ないのに!」
え? アヴェンジャーも攻撃を反射出来る宝具とか持ってたの? 初耳なんだけど。
私が驚いて彼女を凝視していると、気付いたアヴェンジャーはバツが悪そうに視線を逸らした。
「……真名を明かしたのは最近の事だし、宝具について言うタイミングが無かったのよ。宝具に関しては……明日、使う事になるかもだけど」
明日……?
あ、大型エネミーか。確かに、姿すら視認していないのに、これまでにない強敵だと理解る程の重圧の持ち主だ。普通に挑んでも勝てる見込みは無いかもしれない。
宝具の真名解放。サーヴァントにとって切り札と言うべき、そのサーヴァントを象徴するもの。
それさえあれば、逆転の可能性は見えてくる。……かもしれない。
「まあ良いわ。説明するよりも、実戦で見せてあげる。とりあえず今日はこの辺でお開きにするわよ。流石に私ももう寝たいし。アンタ、気付いてないかもだけど、体が舟を漕いでるわよ」
言われて初めて気付く。頭はなんとか稼働しているが、体はもう限界が近かったらしい。明日も今日と同じ、もしくはそれ以上に大変かもしれないので、無理はせず休む事にしよう。
―――夢を見ている。
自分が立っていたのは、辺り一面に広がる瓦礫の郡の中心。
無数の黒煙が空に立ち昇る。焼き付いた血の臭いと、焦げた鉄の匂いがする。
炎はまだ燃えている。家屋は焼け落ち、木々は燃え尽き、数多の人間は既に息絶えている。
死の街だ。ここには”死“だけが蔓延っている。
中世のような街並みは、もはや見る影もなく破壊されていた。
ふと、空を見上げる。空には無数の何かが翔んでいた。
その姿をよく観察する。
ソレはほぼ全身が鱗で覆われていた。
ソレは凶悪な牙と鉤爪を備えていた。
ソレは、空想の中に存在するとされたモノだった。
ソレ―――すなわちワイバーンが、空を覆わんとする程の大群で、死の街を嘲笑うように飛翔していた。
これが夢でなくて、何だというのか。現実に存在しない生物が我が物顔で世界を謳歌しているなんて、あっていいはずがない。
夢だ。私は夢を見ている。
では、この夢は何だろう。何故、私はこんな悪夢を見ているのか。
思考は突如として鳴り響いた怒号のような咆哮で、強制的に中断させられる。
ワイバーンの群れを割くようにして、巨大な影が舞い降りる。それはワイバーンが霞んでしまう程の巨体さで、その姿を夢の中の
ゆっくりと降下してくる影に、
『喝采を。我らの憎悪に喝采を! この世界に遍く全てを! 私とお前の炎で灼き尽くす!! 復讐を!! 人間に、世界に、我々を排斥した全てに!! 与えられて然るべき権利を以て、我らは復讐する!!』
手にした旗が風にはためく。竜を象ったような黒い紋章は、薄暗い空の中で異色の存在感を放っていた―――。
―――目が覚める。
悪い夢を見ていたようだ。
全身に汗を感じる。よほど悪い夢でも見ていたのか、気分があまり良くない。時間を確認すると、いつもより少し早い時間だった。
夢の内容をはっきりと思い出せないが、見覚えのある旗が出てきたような気がする。
竜の魔女の掲げる旗。アヴェンジャーの主武装である旗だったように思う。ならば、あの夢はアヴェンジャーの過去を映したもの……?
アヴェンジャーの方を見る。彼女は穏やかな寝息を立てており、まだ寝ているようだった。うなされていないようだし、あちらは悪夢は見ていないらしい。
急に何故、あんな夢を見たのだろう。もしかして、昨日発生したという大型エネミーの影響か?
アリーナを埋め尽くすような圧迫感と、アヴェンジャーに縁のある存在だったから、あの悪夢を見てしまったのだろうか。
さっき見た悪夢に一抹の不安を感じながら、私は寝汗で気持ち悪くなった衣類を着替えていく。着替えが終了した頃には、アヴェンジャーも目覚めたようだった。
「……ん。良く寝た……。あら? アンタにしては早いわね。もう支度も済んでるなんて」
「ちょっと夢見が悪くて。今日が
「はいはい。分かってるわよ。アイツ相手に負ける気はないけど、死ぬ気で臨むわよ」
存外に、そうでなければ勝てない、と言っているようなものだ。決戦前日に、私たちは決戦と同じくらいの心持ちで、準備を始める。
そういえば、アヴェンジャーは大型エネミーに心当たりがあるようだが、どんな敵なのか聞いていなかった。アヴェンジャーだけでなく、私も予め知っておけば、ある程度は有利に事を進められるかもしれない。
「次のターゲット? ……エネミーとしては規格外もいいところね。でも、私の予想が合ってたらの話だから、実物を見るまでは断言しないでおくわ。いざ対面して違うヤツだったら、先に戦略なんて立てておいても無駄になるし」
む……。そう言われてしまうと、何とも言えなくなる。仮に、もし想定していた敵と違ったら、予め戦略を固めてしまうと逆に対応が鈍くなるのだと、アヴェンジャーは言いたいのだろう。
悪夢を見たせいか、嫌な予感がしてしまう。戦略を練っておきたいが、練ろうにも対策の立て様がない。
これまで私たちは行きあたりばったりでありながらも、幾度となく乗り越えてきた。不安は残るが、アヴェンジャーを信じるとしよう。
支度を済ませた私たちは、マイルームを出て一階に降りる。アリーナへと向かう前に、ラニの顔を見ておこうと私は保健室へと立ち寄る。アヴェンジャーはアリーナ前で待機するとの事。彼女を待たせると後が怖いので、早めに切り上げなくてはならない。
保健室に入り挨拶をすると、ラニは昨日より少しだけ元気そうに返事をした。体調も徐々に良くなっているのだろう。一週間前に比べると、その顔色もずっと明るい。
昨日、あれから起きた事をラニに話す。この流れも、今や当たり前の事となっていた。
「銅鏡、光を介した瞬間移動、そして鬼の力の封印が解かれた……ですか。なるほど……」
ラニは目を閉じて考えている様子だった。暫しの沈黙の後、その双眸が開かれる。何かの閃きでもあったかのように、瞳に強い意思を宿していた。
「キャスターは鬼であると断定して間違いないでしょう。気になるのは、その強大な力を誇示するでもなく、隠すように封じていたという点でしょうか。キャスターが封印を解いたその姿を醜いと自嘲していたのなら、おそらく鬼の姿はキャスターにとって他人に見せたくない姿。そこに、彼女の真名を知るヒントが隠されているかもしれません」
おお……! 少ない情報で、更には聞いただけでそこまで推理出来るとは、なかなかの切れ者だ。探偵と名乗っても良いのでは?
「いいえ。私はアトラスの錬金術師。それ以外の称号など、私には無用かつ不要です。ですが、褒め言葉として受け取っておきましょう」
敢えなく撃沈してしまった。私との会話を続ける中で、少し人間味は見られるようになってきたが、まだ冗談などは通じないようだ。そこは追々、といったところか。
キャスターが何者なのか。それはまだ分からない。
でも、ラニと話して分かった事がある。
自分が何者なのか。
つまりは、何も無いという事を知ったのだ。その上、私にはラニが、そしてアヴェンジャーが居る。
だから、相手が何者であろうと、私は負ける気はない。共に歩み、戦う同士が居るのだから。
「―――はい」
ラニは、優しく笑ってくれた。
そう、私は一人じゃない。だから、負けるはずがない。
「やはり―――あなただったのですね。師の言う事は、やはり正しかった。勝って下さい。勝って……またたくさん―――お話をしてください」
ああ、もちろんだ。
相手が鬼であろうと、再びこの校舎に戻ってくるのは、私たち。
だから、猶予期間の最後の一日をしっかりと過ごそう。再び、ラニと話をするために―――。
「岸波さん、ちょうどいい所に! どうだった? 例の子に話は通してくれた?」
せっかく良い感じになって、アリーナへ向かおうとしていた私の首根っこを捕らえたのは、獰猛なタイガーだった。
「ぐぇっ。……は、はい。ちゃんと話は付けてきました。多分今日のうちに来るのではないかと」
「え? 例の子に、私の所に来るよう言ってくれたの? ありがとー! じゃあ、お礼にインテリアをあげるわ。お部屋に飾ってね」
と、藤村先生は報酬として写真立てをくれた。どんどんタイガーグッズがマイルームを侵食しつつある気がする。
「悪い子には、お仕置きが必要よね。何時間でも、お説教してあげるわ。じゃあ、アリーナ探索がんばってねー!」
意気揚々と、藤村先生はスキップしながら去って行った。怒っていたんじゃなかったのか。
……私も、タイガー呼びが先生にバレないよう気を付けよう。何時間も拘束されるのは勘弁願いたい。
「話は終わったみたいね」
アリーナ入口に行くと、アヴェンジャーが待ち構えていた。どうやら怒っていないようだ。
「……? なんか疲れた顔してない?」
途中でタイガーに捕まった事を説明すると、アヴェンジャーは同情的な目で私を見ていた。
「ご愁傷さまな事で。大物狩りを前に災難に遭うなんて、アンタも運が無いわね」
藤村先生を災難呼ばわりとかだけは、本人の前では絶対にしないようアヴェンジャーに釘を刺しておく。もし耳に入ろうものなら、タイガー呼び以上の罰を下されるのは想像に難くない。
「ま、なんでもいいわ。じゃ、そろそろ行くわよ。決戦前日の大一番を取りにね」
アリーナに進入すると、昨日と同様、凄まじいプレッシャーを全身が襲う。改めて、よくこんな重圧の中でキャスターと戦闘できたものだと思う。
逆を言えば、レティシアとキャスターも平然とこの重圧を受け流していた事に驚きを禁じ得ないのだが。
大型エネミーの気配は、奥に進む毎に濃くなっていく。昨日はすぐにレティシアたちと邂逅したため気付けなかったが、気配が濃厚になるのに比例するように、外の景色も次第に色を失っていき、群泳する魚はおろか、エリア外の主である鮫でさえ姿を見せなくなる。
これらから推測できるのは、大型エネミーがアリーナそのものに影響を与えているのだ。そう考えると、なるほどトンデモナイ大物だ。テクスチャの書き換えにも匹敵する影響を及ぼしているのだから。
そして一昨日、エンシェントゴーストを討伐した地点までやってきたのだが、驚く事に、この前までは無かった道が出現していた。海中から海上を目指すように上に天へと伸びる坂道。暗い海中で、その道は海上の光を目指しているかのようだった。
私たちは意を決して、坂道を駆け上がる。
長く長く、どこまでも長く伸びる坂道。どれだけ走っても終わりが無いかの如く。だが、確実に進んでいる。何故なら、進む毎に薄暗かった景色が光を取り戻しているからだ。
どれくらいの時間を走っていたか。疲労が溜まり始めた頃、ようやく視界に決定的な変化が現れる。海中はもうほとんど明るくなり、見上げれば、もう間もなく海面に達するという深度まで達していた。
だが、あと少しで海上に出るというところで、長い坂道はついに終わりを遂げた。
そして、私たちはソレを目にした。
登りきった先には、これまでの迷宮のようなアリーナには似つかわしくない程の、とてつもなく広大なエリア。その中央に鎮座するのは、とても大きな黒い塊だった。
―――いいや。単なる塊ではない。
ソレには大きな翼があった。
ソレの全身は厚い鱗で覆われていた。
ソレは溶岩のような熱を吐き出していた。
ソレは―――
―――巨大な一匹のドラゴンだった。
「―――ああ、やっぱりアンタだったか。久方ぶりね―――
―――ファヴニール!!」