朧さんとの鍛練を終えた私は息を吐き出す。
鬼だった朧さんは少しだけ優しくなったような気がする。
(もしかして、柩さんが何か言ってくれたのかな)
そう推測して、柩さんは怖いけど優しい人だなと思っていると、「……霞」と呼ばれた。
「骸ちゃん!」
骸ちゃんはあの日と同じようにポンデリングを差し出していた。私はありがとう!と受け取って、口をつける。
ポンデリングを食べ終えると、骸ちゃんは「……私」と静かに切り出した。
「奈落を抜けて、佐々木家に引き取られることになったの」
「えっ!?」
私は驚きの余り声を上げる。
「骸ちゃん、奈落を抜けるんだ……」
骸ちゃんは「そう」と返して、私をじっと見る。
「……奈落のことはどうでもいいけれど、あなたのことが心配」
「……へ?私?」
……私ってそんなに頼りないかな。
思って少し落ち込むと、骸ちゃんはすっと表情を消した。
「あなたは、人を殺せる?」
「……え?」
「奈落に居続けるためには、人を殺さないといけない」
無表情で言う骸ちゃんに、私は胸がざわつくのを感じて、俯く。
「……分からない」
私は、人を殺せるのか?
……そんなこと、考えたこともなかった。
「……人を殺せないのなら、奈落からは逃げた方がいいわ」
そう言う骸ちゃんは人形のようで、私が知らない人のようだった。
「…………」
私が黙っていると、骸ちゃんが微かに笑う気配がした。
「……あなたと話すのは退屈しなかったわ。あなたに会えて良かった」
顔を上げて骸ちゃんを見て、嗚呼、もうこの子と話すこともないんだと思い知り、私は骸ちゃんの手を取って握りしめた。
「佐々木家の人達と上手く暮らせることを願ってるよ」
骸ちゃんは目を見開いて、「……有り難う」と笑うと、あの時と同じように悲しげな顔をした。
「……やっぱりあなたは、此処にいるべき人間ではないわ」
あの時と同じことを言う骸ちゃんに、やはり私は何も言い返すことが出来なかった。
自室に戻った私は骸ちゃんに言われたことを考えた。
奈落に居続けるためには――此処で生き続けるためには、人を殺さなければならない。
此処に来る前に見た屍を思い出す。
(人を殺す、か……)
私に、それが出来るのだろうか。
考えても答えは出ず、私は目を閉じた。
鍛練に励む日々を送っていた私に暗殺の命令が下った。
初めての、暗殺。
その命令を下した朧さんは、机の上で手を組んで、「出来るな?」と問い掛けた。
「……はい」
頷くと、朧さんは感情の読み取れない目で私を見つめた。
「……大丈夫ですよ、私にはあなたに仕込まれた暗殺術がありますから」
私は笑おうとして、失敗した。
……正直、人を殺すのは怖い。
それが伝わったのだろう、朧さんは「出来なければ他の者に任せるだけだ」と淡々と告げた。
「……出来ます!やらせて下さい!」
強い口調で言うと、朧さんは「分かった」と返した。
(……ついに、この日が来たのか……)
奈落にいたら、いずれこの日は来ると思っていた。
(……大丈夫、やれる)
拳を握り締めると、朧さんがまだ私を見つめていることに気が付き、「何ですか?」と問い掛ける。
「……いや」
朧さんが私から視線を外したため、私はそれ以上は追及しなかった。
暗殺任務の当日、私はターゲットが住む屋敷に忍び込み、屋根の穴からターゲットを見据えた。
ターゲットは、幕府に敵対する組織の中心に立つ男。
その男を見据えながら、懐から毒針を取り出し、私は自分の手が震えていることに気が付いた。
(……怖い)
人を殺すことに恐怖を覚えていることに気が付き、眉を寄せる。
(何を怖がっているの!何度も鍛練はしたでしょ!)
そう、あの鬼――否、朧さんと何度も戦ったのだ。今更殺すことを怖がってどうするのだ。
(大丈夫、私ならやれる)
そう自分に言い聞かせて、意を決した私は屋根の穴から毒針を飛ばした。毒針はターゲットの男に刺さり、「ひぃっ!?」という悲鳴が聞こえた。
私は屋根を壊し、針が刺さった男の前に立ち、刀を突き付ける。
「何だ、きさ――」
男の言葉は声にならなかった。私が男の腹を斬り付けたからだ。
「があああ!!」
男の腹から血が吹き出し、私の服に掛かった。
「何事だ!?」
部下の取り乱す声が聞こえ、私は煙幕を張って屋敷を後にした。
夜の町を駆けながら、私は自分の手を見た。
(……簡単に、殺してしまった)
何処か他人事のように思っている自分に気付き、拳を握り締める。
――あなたは、人を殺せる?
かつて骸ちゃんに投げ掛けられた問い掛けを思い出す。
(……骸ちゃん、私……人を殺したよ)
このことを知ったら彼女はどんな顔をするだろうか。
(……悲しそうな、顔をするのかな)
骸ちゃんの顔が脳裏に浮かんで、私は走る速度を上げた。
奈落の隠れ家に戻り、首領室に入った私を見た首領は目を見開いて、感情が読み取れない目で低く告げた。
「任務を成功させたんだな」
よくやった。
首領の労りの声が、何処か遠くに聞こえた。
「……人を殺すって、簡単なんですね」
呟いて、何だ、これなら私にも出来るなと思っていると、首領は「……そうだな」と同意した。
「でも、何だか実感が沸きませんね」
手には、あの役人の男を斬った感覚がある。しかし、人を殺したことは何処か遠い出来事のように思えた。
「…………」
朧さんは押し黙る。
「すみません、こんなことを言って……。では、失礼します」
扉に手を伸ばすと、霞、と低く名前を呼ばれた。
「何ですか?」
「…………いや」
朧さんは何か言いたげだったが、口にはしなかった。
私はもう一度失礼しますと告げて、扉を開けて首領室を後にした。