早朝練習をした日の放課後。
現在、俺はアイドル研究部の扉の前にいた。
あれから色々考えた結果、やはり俺にできる事はなんでもしようと思ったのだ。
未来が変化する事は怖いが、穂乃果達のファーストライブは成功してほしい。
そう思った俺は、まずは矢澤先輩にライブを見る事を確約してもらうために、ここに赴いたというわけだ。
……俺の存在というバタフライエフェクトのせいで、矢澤先輩がライブを見にいかない可能性もあるしな。
そんな風に考えつつ、俺が扉をノックすると段々と足音が近づいてくる。
「はいはいどなたって、誰かと思えば雨宮じゃない」
「どうも、矢澤先輩。少し話したい事があるので、中に入らせてもらってもいいでしょうか?」
「別にいいわよ、まあ中に入りなさい」
「ありがとうございます」
俺の言葉に快く頷いてくれた矢澤先輩。
そして、俺はアイドル研究部の部室に入り、矢澤先輩と向かいあって座る。
「それで、話って何?」
「その前に、これを」
「ああ、そういえばあんたにDVDを貸してたわね」
鞄から取り出したアイドルDVDを渡すと、矢澤先輩は口許を緩ませながら受け取った。
そのDVDのタイトルを暫し見つめた後、矢澤先輩は俺へと楽しげな視線を送る。
「それで、このグループはどう思った?」
「そうですね……個人的には、センターの子より右にいた人の方が好きですね」
「歌声が綺麗と評判の子ね。確かに私もあの子の歌声は好きだわ」
「矢澤先輩は左の人が好きなんでしたっけ?」
「そうよ。やっぱりあの子のキレのあるダンスは素晴らしいわ! このグループはここ最近できたんだけどね──」
俺の問いかけに頷いた矢澤先輩は、楽しげな笑顔のままこのグループの魅力を語っていく。
それに対して、俺は相槌を打ちながら矢澤先輩の知識に内心で舌を巻いていた。
物語での知識でも知っていたし、実際に交流を持つようになって実感していたが、やはり矢澤先輩のアイドル知識は凄い。
そして、本当にアイドルが好きなんだって気持ちがこちらまで伝わってくる。
「──それで、このグループは」
「あの、矢澤先輩」
「何よ、今良いところなのに」
途中で話を遮られたからか、不機嫌そうな顔になる矢澤先輩。
矢澤先輩の話は面白いし好きだけど、そろそろ本題に入りたい。
そう考えつつ、俺は鞄から一枚の紙を取り出す。
そして、その紙を矢澤先輩が見やすい位置に置く。
「まずはこれを見てください」
「何よこれ……って、あんたこれ!」
俺がそう告げると、矢澤先輩は胡乱げな顔つきで紙を手に取った。
そのまま暫く紙に目を走らせていた矢澤先輩だったが、やがて弾けるように顔を上げると俺を睨みつける。
うん、矢澤先輩がそんな顔をする事は大体想定内だ。
「そうです。その紙に書いてある通り、私達は一ヶ月後の講堂でライブをする事になりました」
「そういう事を聞いてるんじゃないわよ! なんでそれを私にわざわざ教えにきたのよ!」
机を強く叩いて立ち上がった矢澤先輩は、俺を鋭い目つきで射抜く。
それに俺が笑顔で返せば、矢澤先輩は益々視線を鋭くする。
「矢澤先輩の事情は前に聞きました」
「あんたには一応話したわね」
「はい。その時は詳しく聞きませんでしたが……」
そう。俺は半年前に矢澤先輩から大まかな事情を聞いていたのだ。
その事を理解しているからこそ、矢澤先輩は俺がこれを渡したのが許せないのだろう。
かつて、自分が目指した夢を目の前で見せつけられる。俺だってそんな事をされたら怒ると思う。
でも、だからこそ矢澤先輩にはちゃんと見てほしい。
穂乃果達の頑張りをその目で見ているから、その成果をアイドル関係で一番信頼している矢澤先輩に見てほしいのだ。
「一体どういうつもり? にこをからかっていると言うのなら、その喧嘩を買うわよ」
「矢澤先輩にとって、アイドルとはなんですか?」
「はぁ? 何よ突然」
「答えてください、矢澤先輩」
素っ頓狂な声を上げる矢澤先輩。
そのまま訝しげな表情でこちらを見つめてくるが、俺の真剣な思いが伝わったのか、やがて矢澤先輩はため息をつく。
「はぁ……にこにとってのアイドルとは、ファンの皆を笑顔にする存在よ。これも前に言わなかったかしら」
「そうですね。矢澤先輩らしい素敵な答えです」
「ふ、ふん! 褒めたって誤魔化されないわよ」
そう呟くと、矢澤先輩は腕を組んでそっぽを向いた。
しかし、矢澤先輩は強い口調で取り繕っているが、それに反して彼女の口許が僅かに綻んでいる。
うん、矢澤先輩って褒められるのが好きだよな。
ともかく、矢澤先輩から望む答えが聞けて自然と笑顔になった俺は、紙に書かれている項目へと指を這わす。
「ここを見てください」
「何よ。ただ新入生の歓迎会にライブをやるって書かれているだけじゃない」
「はい。矢澤先輩にはこのライブを是非見てもらいたいな、と」
「はぁ……薄々感づいてはいたけど、まさか本当にライブを見にこいって言うとはね」
呆れたようにため息をついた後、席に座りなおした矢澤先輩は頬杖をつく。
まあ、ここまであからさまに見せれば気が付くか。
正直、矢澤先輩にこの事を伝えるかは少し悩んだ。
物語の通りに進むなら、矢澤先輩は穂乃果達からライブ開催のチラシを貰ったはず。
そして、スクールアイドルが結成される事が気に食わない矢澤先輩は、敵情視察のような心境でファーストライブを見にくると思う。
だが、それは物語の中の話であって、今ここいる俺達の世界の話ではない。
そこで、矢澤先輩がライブに来ない可能性を考えて念押しに来たというわけだ。
「矢澤先輩にとってこれは酷なお願いだという事はわかっています。でも、私は矢澤先輩に見てほしいんです──穂乃果達の輝きを」
「……輝き、か」
暫しの間、矢澤先輩は漏らした言葉を反芻するように口を動かしていた。
やや目を伏せて考え込む様子を見せる矢澤先輩に、俺はここが押し時だと思い畳みかけていく。
「矢澤先輩がいつも言っているように、アイドルはそんな甘くないです。穂乃果達の動きはまだ素人臭く、とてもじゃないですがアイドルとは言えません」
「ならなおの事このライブを見る必要が──」
「でも! 穂乃果達は確かに輝いているんです! 目が離せなくなるような、いつまでも応援したくなるような輝きが!」
「──っ!」
俺の声に驚いたように目を見開く矢澤先輩。
そんな矢澤先輩から目を逸らさず、俺は想いを瞳に込める。
そのまま暫く矢澤先輩と見つめあっていると、不意に矢澤先輩は表情を和らげて口を開く。
「あんたがそこまで入れ込むとはね」
「すみません。大声を出してしまって」
「別にいいわよ。……そうね、雨宮がそこまで気に入るそのスクールアイドル、興味が出てきたわ」
「じゃあっ!」
「勘違いするんじゃないわよ。あんたの熱意に免じて見にいくだけだからね! スクールアイドルについてはまだ認めていないわ!」
嬉しさから満面の笑みになる俺を見て、矢澤先輩は慌てたようにそう告げてきた。
そんなどこかのツンデレが言いそうな言葉に、俺は思わず吹きだしてしまう。
それを見た矢澤先輩は、むっとして俺をジト目で見つめる。
「あんた、今くだらない事で笑ったでしょ」
「そ、そんな事ありませんよ」
「声が震えているわよ」
おっと、これ以上は墓穴を掘ってしまう。
とりあえず、気を取り直して紙に指を置いて矢澤先輩の注目を集める。
「開催日時や場所はここに書いていますので」
「はいはい、後で見ておくわ。で、このグループ名はなんて言うわけ? 当然あるんでしょうね」
「……現在募集中です」
「はぁっ? 流石にそれは舐めすぎじゃない?」
矢澤先輩と目を合わせないでいると、彼女は呆れたような眼差しを送ってきた。
うん、矢澤先輩の言っている事は正しい。グループ名がないアイドルとか前代未聞だもんな。
ま、まあ今頃どっかのスピリチュアル巫女さんが、投票箱にグループ名を入れているだろう。
「グループ名は近いうちに決まるので大丈夫ですよ」
「ふぅん。なんていうか、随分と行き当たりばったりね」
「自覚はしています」
「まあ、私からすればどうでもいいんだけど。それより、このチラシってあんたが作ったの?」
興味深げにライブ告知のチラシを眺めていた矢澤先輩は、顔を上げてそう尋ねてきた。
それに俺が頷きを返せば、矢澤先輩は意外そうな表情を浮かべる。
「なんですか、その顔は」
「いやね、あんたがチラシを作るなんて意外に思って」
「まあ、ことり……私の友人達にも手伝ってもらいましたけど」
「そうよね。あんたがこんな可愛らしい絵を描けるわけないしね」
そう告げると、矢澤先輩は嫌らしい笑顔を俺の方へと向けた。
くっ……事実だけに言い返せない。
そういえば、前に矢澤先輩と絵を描く事になった時、俺の絵を見て矢澤先輩が大笑いしたんだよな。
俺の場合、何を描いても何故か気持ち悪い絵になってしまうのだ。
前世ではそんな事はなかったんだけど、本当に不思議だ。
ともかく、この流れを変えるために俺は強引に話を打ちきる。
「とりあえず、矢澤先輩はファーストライブに来てくれるって事でいいんですよね?」
「話を逸らしたわね」
「ファーストに来てくれますよね?」
再度念押しをする俺を見て、矢澤先輩は呆れたように頷く。
「はいはい、何度も言わなくてもわかっているから」
「ありがとうございます。やっぱり矢澤先輩は頼りになりますね、尊敬します!」
「なっ!」
矢澤先輩の目を真っ直ぐ見つめてそう告げれば、彼女は驚愕した声を上げた。
そして、そのまま頬を赤らめて硬直した矢澤先輩を尻目に、俺はさっさと椅子から立ち上がり扉へと向かう。
「では、矢澤先輩。ファーストライブをよろしくお願いします」
「ちょ、ちょっと待ちなさ──」
扉が閉まる間際、矢澤先輩が何かを言っていた気がするが、気のせいだろう。
扉に勢いよく何かがぶつかる音もしたが、それもきっと気のせいだろう。
ともかく、とりあえず矢澤先輩から確約を取れた事に思わず安堵の息を漏らす。
「これで、第一関門はクリアか」
矢澤先輩に関してはもう問題ないはず。
矢澤先輩は、例え口約束でも約束を破るような人ではないから。
となると、次は他の人達への宣伝か。
そう考えながら振り向いた瞬間、何かがぶつかるような感触を感じた。
「きゃっ!」
「す、すまない! しっかりと周りを見ていなかった」
「私も不注意だったから、お互い様よ」
尻餅をついた女性の手を取って立ち上がらせれば、彼女は制服を軽く叩きながらそう告げた。
とりあえず、怪我はしてなさそうで良かった──げっ!
「で、では私はこれで」
「……ちょっと待ちなさい」
女性の全体像を見て、俺は内心で呻いてしまう。
このままだと面倒くさい事になりそうなので、さり気なく女性から離れようとする。
しかし、どうやら少々行動に移すのが遅かったらしい。
「な、何かな? 私の腕を掴んで」
「貴女、どこかで会わなかった?」
「さ、さあ? 他人の空似ではないかな?」
その言葉に、無言で俺の顔を見る事で応える女性。
やがて、女性は驚きからか徐々に目を見開いていき、俺を勢いよく指差す。
「あ、ああっ! 貴女ってあの時私から逃げた人!」
「逃げた?」
「そうよ! あれから貴女を探すのにどんだけ苦労したと思ってるのよ!」
「離してくれないかな?」
「嫌よ。どうせまた逃げる気なんでしょう」
女性はそう叫ぶと、俺の右腕を身体全体でがっしりと掴む。
いや、もう逃がさないみたいな表情をされても。
どうやら、女性は俺がまた逃げると思ったようで、これで捕まえているつもりなのだろう。
「もう逃げないから、離してくれないかな」
「話はどこで聞くのがいいかしら……やっぱり、音楽室ね。あそこなら誰も邪魔が入らないし」
「私の話を聞いてる?」
「じゃあ早速音楽室に行くわよ。ほら、早く歩きなさい!」
そう告げた女性──西木野は、上機嫌な足取りで俺を引っ張り、音楽室まで連行していくのだった。