俺がラブライブの世界に転生したと理解してから、数日後。
現在、俺は教室の扉の前にいた。
俺は小学四年生なので、通っているのはもちろん小学校。
まさか、もう一度小学生をやり直すとは思わなかったけど。
「ここに、あの穂乃果達が」
穂乃果達の前で気を失った後、あれから彼女達とはまだ会っていない。
だから、俺と朝陽が混ざってから初めての出会いになるわけだ。
「緊張するな……」
今の俺の心境を表すと、複雑という一言に尽きるだろう。
幼馴染みと会える喜び、俺に違和感を覚えないかという恐怖、憧れのラブライブキャラに会えるという高揚……その他諸々を含めた感情が、心中を渦巻いている。
「落ち着け、家族にもバレなかったんだ。今まで通りの雨宮 朝陽を演じろ」
震える手を抑え、小さく呟きを漏らす。
ゆっくりと深呼吸をして、思考をクリアにする。
そして頬を叩き、俺は教室の扉を開く。
「おはよー」
「おはよう、朝陽ちゃん。体はもう大丈夫?」
「あの時は顔色が凄く悪かったんですよ」
「ん、もう平気さ。だからこうして学校に来たわけだし」
「本当?」
「うん、心配してくれてありがとう」
心配そうな面立ちで駆け寄ってきた穂乃果達に、そう返して笑みを浮かべる。
実際に元気そうな俺の姿を見て、穂乃果達は各々がほっと安堵の息をついていた。
どうやら、穂乃果達は俺の言葉に納得してくれたらしい。
あの後、俺の身体にそれらしい異変はなかった事から、恐らく記憶が混ざりあった時に脳がオーバーヒートしたのだろう。
まあ、実際の真偽はわからないが。
「そういえば、朝陽。前と話し方が変わりましたか?」
「まあ、心機一転だと思ってね。変かな?」
「穂乃果は普通だと思うよ!」
「ことりはちょっと変だと思ったかなぁ」
「私も少し違和感を覚えました」
笑顔で告げた穂乃果に対して、ことり達は困惑気味に眉を寄せていた。
まあ、普通は変だと思うよな。実際に家族達も不思議そうにしていたし。
これは、俺の意識が女口調をしたくないと訴えていたので、妥協した結果この話し方になったのだ。
男口調は流石にまずいし、かといって海未のような敬語も俺には難しい。
だから、このようなよくわからない口調になってしまった。
もちろん家族を説得するのには難航したが、暫くするとこれが少し早い俺の厨二病だと思ったのか、段々と生暖かい眼差しを送りつつも理解してくれた。
その代わり、何か大切な物を失ってしまったような……
「朝陽ちゃん?」
「いや、なんでもない。ことり達が変だと思うのは、まだこの言葉遣いに慣れてないからだよ。その内気にならなくなるさ」
「そういうものでしょうか?」
「そういうものさ」
「朝陽がそこまで言うなら、とりあえず気にしない事にします」
完全に納得したとは言いがたいが、ひとまず海未はこれで納得してくれたらしい。
対して、先ほどからことりは頻りに首を傾げている。
「どうしたの、ことりちゃん?」
「……ううん、なんでもない」
「そう? あ、もう直ぐでチャイムが鳴っちゃう!」
「授業中に寝ては駄目ですよ?」
「昨日沢山寝たから大丈夫だよ海未ちゃん!」
「大丈夫かなぁ?」
「そこは穂乃果を信じよう」
「よーし、今日も頑張ろー!」
不意に教室にある時計を見て、そう告げた穂乃果。
その言葉を皮切りに、俺達は各々が自分の席へと向かう。
そして自分の席に着いた俺は、内心で安堵の息を漏らす。
とりあえず、なんとか穂乃果達に説明する事ができた。
後は、俺の意識をバレないように朝陽として過ごすだけだ。
ただ、あの時のことりの様子が少し不安だが……
「念のため、意識しておくか」
小さく呟きを漏らしつつ、改めて俺は気合いを入れ直すのだった。
「──だから、この問題はこうなって」
黒板に書いてある問題の解説をする先生を尻目に、俺は机の上に開いたノートへと視線を落とす。
左手で頬杖をつきながら、右手に握った鉛筆でノートに現状の考察を記載していく。
穂乃果達がいた事から、この世界がラブライブだというのに疑いはない。
また、穂乃果達の年齢から、物語の開始まで時間があるという事も理解している。
そして俺に示された選択肢は、大まかに二通りある。
一つ目、穂乃果達と積極的に関わっていく。
これは言うまでもないだろう。
憧れの穂乃果達と一緒に日々を過ごす。これほど心が踊る事もない。
正直、俺としてはこちらの選択肢の方が非常に魅力的だ。
しかし、それをすると一つの問題が起きてしまうわけで……
「物語が歪むんだよな」
今はまだ影響が少ないだろう。
小学生の幼馴染みなんて、少し疎遠になれば直ぐに忘れ去られる。
だから、今ここで穂乃果達と距離を置けば、物語の歪みを最小限にする事ができるはず。
そう。二つ目は言うまでもなく、穂乃果達と関わらない事。
これのメリットは、後にできるスクールアイドルグループ──『μ's』が殆どの確率で結成される事だろう。
俺が関わったばかりに、もしかしたらバタフライエフェクトでμ'sが結成されないかもしれない。
そう考えれば、俺が関わらない方が良い。
だから、二つ目の選択肢が良い事だとわかっているのだが……
「諦めきれない」
思わず呟きを漏らし、ため息をつく。
頭では理解しているのだ。穂乃果達にとっての最善は、静かに俺がフェードアウトするべきなのが。
でも、俺の理性に反して、本能が叫んでいるのだ。
──穂乃果達と一緒にいたい。ずっと友達でいたい、と。
確かに、俺はバタフライエフェクトを気にしすぎだろう。
しかし、穂乃果達には大事な使命がある。約束された輝きがある。
その輝きを、未来を、万が一で俺が奪っていいのだろうか。いや、奪っていいはずがない。
「はぁ……」
無意識に書いていた、二つの選択肢。
理性という文字と、本能という文字。
二つの間で鉛筆を行き来させていき、暫くしてから丸で一つの文字を囲む。
これで良いのだろうか。この選択肢が正しかったのだろうか。
神様でない俺には未来等わからないが、きっとこれで良いのだろう。
「──はい、じゃあ雨宮さん。前に来てこの問題を解いてください」
「わかりました」
先生に呼ばれたので、返事をして立ち上がる。
そして、視界に入った丸で囲まれた理性の文字を一瞥してから、俺はノートを閉じて黒板へと向かうのだった。
無事に授業が終わり、その日の放課後。
帰り支度をしていると、ランドセルを背負った穂乃果達が近づいてきた。
「朝陽ちゃん帰ろ!」
「穂乃果、また授業中に寝てましたね」
「いやー、なんだか今日は天気が良くて眠かったんだ!」
「今日は曇りだよ? ……どうしたの、朝陽ちゃん?」
不思議そうに尋ねてきたことりに、俺は申し訳ない表情を浮かべて首を横に振る。
「すまない。今日は用事があるから穂乃果達だけで帰ってほしい」
「え、先生に呼ばれたの?」
「そんな所かな。じゃあ、私は急いでいるのでこれで」
「それならしょうがないっか。またね、朝陽ちゃん!」
「またね穂乃果、海未、ことり」
笑顔で手を振る穂乃果達に手を振り返しつつ、俺は教室を後にした。
暫くしてから足に力を入れ、駆け足でこの場を離れていく。
そして、周囲に誰もいない事を確認した俺は、思わず歯噛みしてしまう。
「これでいい。この調子で穂乃果達と少しづつ疎遠になっていけば」
そう自分に言い聞かせ、胸に手を置く。
穂乃果達にとって自分は邪魔だ。イレギュラーなのだから、イレギュラーらしく脇役に徹しなければいけない。
もっと穂乃果達と色々な事をしたかったけど、俺個人の感情で動いては駄目だ。
そう、これでいいのだ。俺は脇役としてμ'sの輝きを遠くから見るだけで……
「だから、この痛みは俺が我慢すればいい」
胸に痛みが走り、思わず顔を歪めてしまう。
わかっている。
でも、仕方がないんだよ! 俺一人のイレギュラーで、穂乃果達の輝きを曇らせるかもしれないんだから! 全ては俺が我慢すれば何もかも上手くいくんだよ!
内心で本心へと叫び返しつつ、俺はひたすら駆ける。
暫くすると、自分がいつの間にか公園へと赴いている事に気が付く。
「この場所は……」
ここは、自分が初めて穂乃果達と出会った場所だ。
当時、やたら相手に突っかかっていた俺は、子供達からはぶられていた。
表面上は平気な顔をしていたが、心の中ではいつも泣いていた。
そんな時、穂乃果が笑みを浮かべて俺に手を差し伸べてくれたのだ。
『──穂乃果と一緒に遊ぼう!』
あの時の事は、いまでも鮮明に覚えている。
穢れを知らない太陽のような笑顔に、聞いた者を惹きつける純粋な言葉。
穂乃果のお蔭で、俺は反省して素直になることができたのだ。
あれからことり達とも仲良くなり、俺達はいつも遊んでいた。
だけど、それは今までの話。
これからは、物語を知ってしまったからには、穂乃果達の邪魔をせず大人しくするべきだ。
「あそこでは缶けりをしたな。あっちではかくれんぼ。あの滑り台では穂乃果が落ちそうになっていたな」
無意識に公園に足を踏み入れていた俺は、様々な遊具を見て頬を綻ばせた。
遊具を一つ見る度に思い出が蘇り、懐かしい気持ちにさせる。
ゆっくりと公園を廻りながら、俺は様々な思い出に浸っていく。
「そして、ここが俺と穂乃果が出会ったベンチ」
最後に、寂しく置いてあるベンチへと寄る。
所々塗装が剥げ、金属色が剥きだしになっている。
いつも通りなその姿に苦笑いしつつ、俺はベンチに座って天を仰ぐ。
「曇りか……夜だとここから星がよく見えるんだよな」
あの時は、夏休みの半ばだっただろうか。
突然穂乃果に呼ばれた俺達は、ここまで連れてこられたのだ。
夜に呼びだされて海未達は怒っていたが、それもここから星を見るまでだった。
『凄い……』
『ここからだと、星がいつもより綺麗に見えるんだ! それを皆に教えたかったの。ごめんね、急に連れてきて』
『ううん、連れてきてくれてありがとう穂乃果ちゃん!』
『全く、穂乃果は仕方ありませんね。ですが、良い景色です』
『えへへー』
写真のような星々の群生とはいかず、星は数えるほどしか見えなかった。
しかし、それでも俺達はこの輝きに心から魅入られていたのだ。
それは、ただ単に星が綺麗だったからか、はたまた穂乃果達と一緒に見たからか。
「あれ?」
ふと頬に手を触れてみれば、俺は涙を流していた。
涙は頬を伝い、ズボンに染みを作っていく。
「ははは、どうして泣いているんだよ……」
何度目を擦っても、涙が止まる気配はない。
すると、改めて泣いている事を自覚したからか、ゴチャゴチャとした感情が心の底から湧き上がってくる。
「う、うぅ……」
──どれぐらい涙を流しただろうか。
やがて涙は止まり、感情が落ち着いてきた。
そして、暫く自分の身体を抱きしめて震えを抑えた後、俺はゆっくりと深呼吸しながら立ち上がる。
「なんで弱気になってるんだよ」
たかが穂乃果達と疎遠になるだけじゃないか。
しっかりしろ、俺。精神年齢は穂乃果達より高いのだから、もっと本心に蓋をしろ、押し込めろ、押し殺せ。
「大丈夫。これがあれば俺は大丈夫だ」
胸に手を置き、瞳を閉じる。
何度もあの時の出来事を反芻して、気持ちを落ち着かせていく。
やがて、ある程度思考が冷静になった事を確認した俺は、瞳を開いてランドセルを背負いなおす。
「よし、帰るか」
呟きを漏らし、公園内を見渡しつつ出口に足を進めていく。
ここに来てよかった。改めて、自分の気持ちに整理をつける事ができたから。
『ねぇ、どうして一人で座ってるの?』
『……あんたには関係ない』
『だって、一人だと寂しいよ? だからさ、穂乃果と一緒に遊ぼう!』
『…………うん』
「──っ!」
頬を叩いて
そして、最後にベンチをもう一度だけ一瞥してから踵を返し、俺は公園を後にするのだった。