PV撮影すると決めた翌日の放課後。
現在、俺達はことりがこっそりと撮影したビデオを見ていた。
ビデオに映っているのは、穂乃果の今日一日の行動である。
画面内の穂乃果は授業中に居眠りをしたり、美味しそうにパンを食べたりしていてフリーダムだ。
なお、涎を垂らして寝ていた事は彼女の名誉のために指摘しないでおこう。
「スクールアイドルと言えども、彼女は今をときめく高校生。普段はこのようにどこにでもいる少女なのだ」
「は、恥ずかしい……」
抑揚のない声色でナレーションをしていく希先輩。
対して、穂乃果は顔から蒸気を噴きながら、机に顔を伏せていた。
まあ、希先輩はありのままを撮ると言っていたが、これはあけっぴろげになり過ぎて羞恥心を感じるだろう。
流石に気の毒に思っているのか、海未も微妙な表情のまま穂乃果に注意をしないし。
「あ〜ん、バレないように撮影するのドキドキしちゃった〜」
頬に手を添え、笑みを浮かべることり。
しかし、その笑顔がやけにツヤツヤしている事から、撮影を大層楽しんだのだろう。
……穂乃果も可哀想に。
思わず同情の眼差しを送っていると、穂乃果はガバリと顔を上げ、うがーっと両手を振り上げる。
「どうして黙って撮ったのー! 撮るなら真面目に授業を受けたよ!」
「授業は毎日真面目に受けるものですが」
「パンだってもっと上品に食べたもん!」
「えー? それじゃあありのままの姿にならないよ?」
「そうですよ。普段からだらけないで真面目にしていれば、いつ撮られても問題ないはずです」
腕を組んで告げた海未に、穂乃果は頬を膨らませてビデオを手に取った。
どうやら、海未のビデオを見ようとしているらしい。
暫く穂乃果がビデオを弄っていると、やがて画面に海未の姿が映る。
「お、海未は弓道の練習をしているのかな」
「海未先輩カッコイイです!」
「そうね。凛としていて悪くないわ」
「そ、そんな事はないですよ」
海未は傍観していた花陽達に褒められ、満更でもない様子で目を逸らした。
確かに彼女達の言う通り、ビデオ内の海未はキリリとした表情で弓を構えている。
背筋も伸びており、まさに大和撫子のような立ち姿だ。
弓に矢をつがえ、弦を引く。そして静かな所作で放ち、残心。
その惚れ惚れするような一連の流れに、各所から感嘆のため息が漏れる。
「流石だよ、海未ちゃん!」
「素敵です!」
「凛も凄いと思うよ!」
「そんな、私なんてまだまだです。無心で矢を放つ境地に行っていませんし、他にも直すべき所は沢山あります」
皆からの賛辞を受けた海未は、どこか照れくさそうに頬を赤らめた。
ここまで言われると、普通なら自分は凄いと驕ってしまう。
しかし、海未は決して自惚れず、常に成長しようとしている。
自身に厳しく、地に足を着けて己を律す。
だからこそ、海未は凛としている魅力的な少女なのだろう。
そんな事を考えている間に、カメラ内の海未は鏡に目を向けた。
『……えへっ』
「わ、わああああああ!?」
可愛らしく頬に拳を添え、満面の笑みを浮かべたカメラ内の海未。
対して、目の前にいる海未は大声を上げてカメラの電源を落とす。
「えっと、笑顔の練習?」
「海未ちゃんかわいい〜!」
「プ、プライバシーの侵害ですっ!」
「えー? 可愛いからいいじゃん! ねぇ、真姫ちゃん?」
「どうして私に振るのよ!?」
ニコニコしていた穂乃果が、真姫に水を向けた。
真姫は口許をひくつかせており、涙目の海未に見つめられて居心地が悪そうだ。
「ま、真姫は私の味方ですよね?」
「……まあ、隠し撮りは駄目よね」
「大丈夫。ちゃんと顧問の先生に許可は貰ったから」
「私に許可を得てください! ……うぅ、一生の不覚です」
ことりに抗議した後、海未は両手で真っ赤になった顔を覆ってしまった。
花陽と凛はなんとも言えない表情を浮かべ、希先輩は楽しげにニヤニヤしている。
まあ、傍から見たら面白いだろう。
普段から真面目な海未が、一人の時は可愛らしい仕草をしている。
いつもと違うギャップに、俗に言う萌えを感じるのは否定しない。
ただ、海未本人にとっては、非常に不本意な感想だろうが。
「やっぱり君達は面白いなー」
「私は面白くありません!」
「うーん。でも、海未ちゃんは可愛い笑顔の練習をしてたんだよね?」
「そ、そうなりますかね?」
「だから、次は海未ちゃんのために、可愛い衣装にします! これなら可愛い笑顔がより栄えると思うんだ〜」
「ス、スカート丈を短くするのですか!? そ、そんなハレンチな服は着ませんよ」
「ことり先輩はスカートの事なんか言ってないわよ?」
「海未先輩はおっちょこちょいだにゃー」
呆れた様子で呟きを漏らした真姫達を尻目に、穂乃果は怪しい動きでことりの鞄に歩み寄る。
そして、ゆっくりとチャックを開きながら、邪悪な笑みを浮かべて口を開く。
「うひひ。ことりちゃんのプライバシーも見ちゃうよ〜」
「あんまりそういう事は良くないと思うけど?」
「えー、朝陽ちゃんも見たくない?」
正直、非常に気になります。
ことりの鞄の中を見た事はないが、なんとなく怪しい物が入っていそうな。
一般的な女子が持つ私物以外に、実はこんなのが……なんて。
ともかく、無言で穂乃果に頷くと、彼女も表情を引き締める。
「じゃあ、ご開帳!」
「どれどれ……なんだ、普通の物しかないね」
「本当だね。ことりちゃんのプライバシーに繋がるような物は……あれ、これって──」
隠されるように入っていた、一枚の写真。
室内を照らす光の加減のせいで、全体像を見る事は叶わなかった。
不思議そうな面立ちの穂乃果がそれを手にしようとした瞬間、俺達の視界から鞄が消え失せる。
穂乃果と揃って視線を上げると、ぎこちない笑顔のことりが鞄を背に隠していたのだ。
「もう、駄目だよ二人共! 勝手に鞄を開けちゃ」
「ねぇ、ことりちゃん。今の写真って──」
「や、やだなー。ことりは写真なんて鞄に入れてないよ?」
「え、でもさっき──」
「ナンノコトカナ?」
急に片言になると怪しいぞ、ことり。
穂乃果も納得がいっていないのか、微妙に不満げな表情を浮かべているし。
しかし、どうやらことりの方が一枚上手だったらしい。
口を開こうとした穂乃果を遮り、ことりは充分に黒さが篭った笑みを向ける。
「ひっ!」
「穂乃果ちゃん。写真なんてなかったよね?」
「う、うん。穂乃果の勘違いだったみたい」
「わかってくれて良かった〜。……うん、正直者の穂乃果ちゃんのために、明日はお菓子を持ってくるね」
「え、ことりちゃんのお菓子!? わーい、やったー!」
穂乃果は両手を上げ、全身で嬉しさを表現していた。
……ことりに誤魔化されているのだが、良いのだろうか?
そんな風に考えていると、微笑んで穂乃果を見つめていたことりが、視線を鋭くして俺に声を掛ける。
「朝陽ちゃんも、写真なんて知らないよね?」
「うん。メイド服を着たことりの写真なんて知らないね」
そう返すと、ピシリとことりの笑顔が固まった。
頬を痙攣させながら、ことりは不自然な笑みで俺の方に近づいてくる。
「ア、アハハ。アサヒチャンハナニヲイッテイルノカナ?」
「うん、だからメイド服──」
「わー! お願いだから待ってぇ!」
背に隠していた鞄を放り投げ、飛びついて俺の口許を抑えたことり。
その唐突な大声に、室内で談笑していた皆の視線が集まってしまう。
全員から注目された事を感じ取ったことりは、俺の肩越しに顔を出して笑みを張りつける。
「どうしたんですか、ことり?」
「な、なんでもないよ?」
「なんでもない声ではなかったけど」
「本当に大丈夫だから……あ、そうだ! ことりちょっと朝陽ちゃんに用があるから!」
「ちょ、ちょっとことり!?」
ことりは棒読みでそう告げ、俺を引っ張って部屋から出ようとした。
対して、俺は思わず抗議の声を上げるのだが、目が笑っていないことりの笑顔に気圧され、なすがままにされてしまう。
……素直に知らない振りをしておけば良かったかもしれない。
しかし、これはある意味チャンスでもある。
せっかくことりと二人っきりになれたので、この機会に不安に思っている事を聞くべきだ。
俺で力になれるだろうか……いや、なれるなれないではない。ことりの力になりたい。
独りで悩みを抱えているのなら、少しでもそれを軽くしてあげたいのだ。
「大事な話があるから、付いてきて」
「……うん、わかった」
「その、いってらっしゃい?」
「直ぐに戻るから!」
頭に疑問符を浮かべている海未達を尻目に、俺達は部室を後にするのだった。
「──ここなら大丈夫かな」
俺を引き連れていたことりは、そう呟くと手を離した。
現在、俺達は中庭にある木の下にいる。
わざわざここまで来る必要はないと思うのだが、ことりなりに何か考えでもあるのだろう。
「それで、話とは?」
まあ、おおよそ見当がついている。
先ほど俺が漏らした通り、何故ことりがメイド服を着ているかについてだろう。
チラッとしか見えなかったが、あれは間違いなくことりの写真だった。
そして、この時期にことりがメイド服を着ているという事は──
「……朝陽ちゃんは、見ちゃったんだよね?」
「そう、だね。メイド姿のことりが写っていた写真なら見たかな」
「やっぱり。だからあの時、ことりをからかおうとしたんだ」
静かに微笑んでいたことりは、俺から視線を外して木を見上げた。
風に靡く髪を抑え、憂いに帯びた表情で口を閉ざすことり。
辺りには沈黙が舞い降り、どこか気まずげな雰囲気が漂いはじめる。
「ことり?」
「聞かないんだね」
「ことりが言いたくないなら無理して聞かないよ」
「……やっぱり、朝陽ちゃんは優しい」
そんな事はない。俺が優しいなんてありえない。
俺が優しいのなら打算的な考えをしないし、メリットデメリットの計算もしないだろう。
優しいのは、むしろことりの方だ。
皆の事をよく見ていて、さり気ない気配りもしていて、いつも笑顔で癒しをくれていて。
ことりがいるから、μ'sは頑張れているのだ。
他の誰でもないことりが縁の下を支えてくれているからこそ、皆はバラバラにならない。
そんな風に考えながら、俺はことりの近くにある椅子に腰を下ろす。
「私は優しくなんてないさ。ことりの方が優しいよ」
「そんな事ない。ことりより朝陽ちゃんの方が!」
鋭く否定の声を上げたことりに、俺は手招きして隣に座らせる。
「どうして、そう思うんだい?」
「だって、ことりにはなんの取り柄もないから……」
「それはどういう事?」
思わず首を傾げると、ことりは俯く。
膝の上で揃えた両手をギュッと握り、自嘲の色が宿った声色で告げる。
「私には、なんにもないの。海未ちゃんみたいにしっかりしてないし、穂乃果ちゃんみたいに皆を引っ張ってもいない。朝陽ちゃんのようにμ'sを支えている訳でもない。ただ、皆に付いていっているだけ」
「ことり……」
もしかして、俺のせいか?
俺がμ'sに関わってしまったせいで、物語よりことりを追い詰めてしまった?
今のことりの様子は、吹けば飛びそうなほど危うい雰囲気がする。
辛そうなその横顔に、俺は思わず唇を噛み締めてしまう。
口内に広がる鉄の味。
しかし、そんな事はどうでもいい。
何故、なんで気づかなかった?
ことりが思い詰める事を知っていたではないか。
だったら、あらかじめフォローしておくのが当たり前のはずだ。
……それを怠ってしまったのは、単に俺が自惚れていたから。
知識の通り進めれば大丈夫、と無意識の内に甘えていたのだろう。
馬鹿か、俺は。俺というイレギュラーを考慮しろ。
極端な話、これでことりが俺達と会うのが気まずくなる可能性だってあった。
最悪、μ'sを辞めたいと思う可能性も。
……いや、後悔は後だ。
今すべき行動は、自己嫌悪する事ではない。
「だから、私はメイドをしようと思ったのかな……ごめんね、変な事を言って。うん、話したら少しスッキリしたかな。皆も待ってるし、戻ろ──」
「ことり!」
「──朝陽、ちゃん?」
作り笑いを浮かべ、立ち上がろうとしたことり。
しかし、咄嗟に彼女の手を取り、こちらへと引き寄せる。
不思議そうに目を瞬かせていたことりに、俺は内心の想いを伝えようと口を開く。
「付いていっているだけじゃない! ことりに何もないなんて事はない!」
「えっ?」
「μ'sの皆を支えているのはことりだし、一番気遣っているのもことりだよ!」
「そ、そんな事ないよ」
「体調が悪そうな人がいる時、最初に気づくのはいつもことりだよね? これって、皆の事をよく見ているからじゃない?」
「私が言わなくても朝陽ちゃんだって気づくと思うけど……」
瞳を揺らしていたことりの手を包み込み、しっかりと彼女を見据える。
「ううん。これはことりにしかできない事だよ。誰よりも優しくて、人一倍μ'sを気にかけてくれることりだけの長所」
「でも……」
どうやら、いまだにことりは自分に自信が持てないようだ。
悲しげに目は伏せ、声色は弱々しい。
……どうすれば、ことりの心を癒す事ができるのだろうか。
俺なんかが穂乃果の代わりを務めようなんて烏滸がましかったのか?
だけど、あんなことりを見て見ぬ振りできる訳がない。
この場に穂乃果がいない以上、俺なりのやり方でことりと向かい合うべきだ。
内心で決意した後、ことりの手を引いてそっと抱き締める。
「ことりはもっと自信を持っていいんだよ」
「朝陽ちゃん?」
「μ'sがバラバラにならないのは、ことりが皆を気にかけてくれているからだよ。皆が皆穂乃果みたいだとやりたい放題になっちゃうし、海未みたいだとまともにスクールアイドルなんてできやしない」
「確かに、穂乃果ちゃんばっかりだったら大変かも」
クスリと笑うことりの声が耳に入り、少しは気分が晴れた事が伝わった。
背中に回した腕の力を強めながら、俺は彼女の耳元で言葉を紡ぐ。
「一年生の中で最も慕われているのは、多分ことりだと思うよ」
「えっ?」
「私達の中で、ことりが一番気遣いをしているよね? 花陽達が言ってたよ、ことり先輩のお蔭でμ'sに直ぐに馴染めたって」
「そう、なんだ」
「皆はちゃんとわかってるんだ。ことりがμ'sを支えてくれている事を。何も取り柄がないんじゃない。穂乃果達が走っているなら、その背中を押しているのがことりなんだよ」
「朝陽ちゃん……」
「だから、付いていってるだけなんて悲しい事を言わないで。ことりは私……ううん、皆にとってかけがいのない大切な人なんだから」
そこで言葉を区切り、ことりの反応を窺う。
彼女は俺の肩に顔を押しつけているので、どのような表情をしているかわからない。
しかし、僅かに身体を震わせている事から、何かしら心境に変化があったのだろう。
「私、は」
「うん?」
「私は……私にも、何かがあるの?」
「もちろん。穂乃果達みたいに目立っていないけど、ことりもしっかりと皆を引っ張っているよ。……確かに、今までのことりは穂乃果達に付いていっていただけかもしれない。でも、少なくとも今のことりは違う。しっかりと自分の足で歩いて、穂乃果達を支えながら一年生達を引き連れている」
「っ!」
身じろぎすることりを身体から離し、その潤んだ瞳と目を合わす。
彼女の頬を伝っていく雫を拭い、俺は柔らかく微笑む。
「もっと自信を持って。ことりは自分の意志で立ち上がって、皆を引っ張ってくれる素敵な人だからさ」
「──朝陽ちゃんっ!」
勢いよく胸に飛び込んできたことり。
思わず抱き締めて頭を撫でると、胸元から嗚咽の漏れる声が聞こえてくる。
……少しは、ことりの不安を晴らす事ができただろうか。
自分なりに感じたことりの個性や良い所を挙げて、実際に何もない事はないと証明したかったのだが。
確かに、穂乃果は皆を明るく照らす太陽のような存在だし、海未もμ'sをより良くしようとしてくれている頼もしい人だろう。
しかし、それはことりにだって言える事だ。
まず、他の人ではできない衣装関係だけでも充分凄い。もちろん、それ以外にも……特に、サポート関係ではことりが一番だと思う。
だからこそ、ことりが自身を卑下する必要は全くない。
「落ち着いた?」
「……うん」
「私の言葉じゃ説得力がないかもしれないけど、穂乃果達も同じ気持ちだと思うよ」
「ううん。朝陽ちゃんのお蔭で、少し自信を持てたよ」
「なら良かった。……穂乃果達とことりは違うんだから、そうやって比較する必要もないさ。ことりはことりのやり方で、μ'sを支えていけば大丈夫だ」
「うん、ありがとう。やっぱり、朝陽ちゃんは凄いなぁ。今みたいにことりの事を励ましてくれたし」
胸元から見上げてきたことりの言葉に、俺は思わず言葉に詰まってしまった。
不思議そうな眼差しを送ってくる彼女から目を逸らし、無意識に強ばらせていた口許を緩める。
そして唾を呑み込み、ゆっくりと口を開く。
「……凄くなんてないさ」
「えっ?」
「私が凄い事なんてありえない」
「でも、朝陽ちゃんはいつもことり達を助けてくれているよ?」
ことりの顔をまともに見れない。
胃からせり上がる不快感に、内心で顔を歪める。
ああ、そうだ。俺が凄いなんて話がある訳ない。
俺がしている事は、己が曲げた道を戻そうと足掻いているだけ。
今回の話だって、元々は穂乃果達がことりを救ってくれた。
俺が何もしなくても、ことりはμ'sの言葉で吹っ切れたはず。
俺がしたのはただの真似事。誰にでもできる薄っぺらい言葉。
……ああ、気持ち悪い。物語に縛られてしまう自分の情けなさが。
知識がなければ何もできない自身の愚かさが。
表面上だけの中身がなんにもない己の滑稽さが──
「本当に、吐き気がする」
「朝陽ちゃん?」
「いや、なんでもない。それより、そろそろ戻ろうか。皆も心配してるだろうし」
「待って!」
いつもの笑みを浮かべ、ことりを離そうとした。
しかし、真剣な面立ちのことりに引き寄せられ、俺達は再び抱き合う格好になる。
「ことり?」
「朝陽ちゃん、辛そうな顔をしてる。悩みがあるなら聞くよ? 私の事を聞いてくれたみたいに」
「悩み? 私に悩みなんてないさ」
「嘘。朝陽ちゃんが悩んでいるのはわかるよ。だから本当の事を話して、ね?」
耳元で甘く誘惑してくることりの声。
……話したい。相談したい。縋りたい。何もかもぶちまけたい。
でも、駄目だ。俺個人の問題に巻き込む訳にはいかないし、何よりこんな荒唐無稽な話を信じるはずがないだろう。
理性ではそう考えているのに、そう思っているのに……
「ことりが言うように、私は凄くないんだ。皆のように輝いていないし、誰かのために頑張ってもいない。私が何もしなくてもμ'sは大丈夫で、むしろ私がいる事でややこしくなっていて。それに、ことり達が知らないだけで私は中身が空っぽだし、何より私は本来いては──」
はっと意識を戻すと、ことりは困惑気味に目を瞬かせていた。
「朝陽ちゃん……?」
「──って、夢を見たんだ。なんていうか、悪夢に近いのかな。そう誰かが囁いてくる夢を」
ことりから離れて立ち上がり、背を向けてそう告げた。
今の自分の顔を、彼女には見せられないと思ったから。
きっと、今は酷く澱んだ暗い瞳をしているだろう。
だから数瞬目を瞑り、思考をリセットして笑みを張りつける。
「朝陽ちゃんは変な風に考えすぎだと思うなぁ。夢は夢だから、難しく考えなくてもいいと思うよ?」
「うん、そうだね。ことりに話したら気分が晴れたかな。私はもう平気だから、早く穂乃果達の所に戻ろう?」
「……はーい」
どうやら、上手くことりを誤魔化す事に成功したらしい。
明るい声色で返事をした彼女は、柔らかい表情で俺の隣に並ぶ。
その際、俺達の距離が心なしか縮んだような気がする。
肩と肩が触れ合う距離で歩いていると、不意にことりは一歩前へと踏みだす。
「ことり?」
「改めて、朝陽ちゃんに言っておこうと思って──話を聞いてくれて、ありがとう」
後ろで手を組み、下から覗き込むように首を傾げ。
たおやかに微笑み、ことりはそう告げた。
穏やかな風が彼女の髪を撫で、ことりから柔らかい香りが漂ってくる。
対して、俺も笑顔を返して口を開く。
「何かあったらまた相談してきて」
「うん、朝陽ちゃんを頼りにしてるね? じゃあ、早く行こっ!」
「ちょ、ちょっ」
一つ頷いたことりは、俺の手を取って駆けだす。
慌てて歩幅を合わせながら、俺は内心で安堵の息をついていた。
とりあえず、ことりの表情からは思いつめた様子は見えない。
ある程度吹っ切れたのか、はたまた俺が内心を見抜けなかったのか。
ともかく、一応及第点は超えたと思う……いや、思いたい。
楽しげなことりを目に入れつつ、改めて俺はμ'sを気にかける事を決意するのだった。