μ’sのPVを撮影した日から月日が流れ。
季節も移り変わり、生徒達も夏服を着るようになったある日の事。
部室でいつものように全員が揃うのを待っていた俺達。
思い思いに作業をしていると、唐突に扉が勢いよく開かれる。
自然とこの場にいる人達の視線が集まる中、入ってきた花陽は肩で大きく息をした後。
「大変! 大変なんですっ!」
「大変って何が?」
「ラ、ラ、ラ……」
「ラ?」
首を傾げた穂乃果を、花陽はクワッと開いた目で射抜く。
「ラブライブですよラブライブッ! ラブライブが開催されるんですっ!」
ああ、そういえば。そろそろラブライブの開催をμ'sが知る季節だったんだっけ。
穂乃果達μ’sにとって、この大会は非常に大事になるものになるだろう。
優勝すればもちろん、上位入賞でも音ノ木坂へと入学希望する人が激増するはず。
結果、音ノ木坂の廃校を阻止できるというわけだ。
つまり、この大会はμ'sだけではなく、音ノ木坂の存続もかかった大事な存在なのだ。
「ラブライブ?」
「知らないんですか!? ラブライブとは簡単に言うとスクールアイドルの甲子園のようなもので──」
と、言いたい所なのだが。
現時点のμ'sでは、ラブライブの優勝は夢のまた夢であろう。
出場できれば、上位入賞辺りまではいけるとは思っている。
しかし、そこまでだ。九人が揃っていないμ’sでは、とてもではないがあのA-RISEを下せない。
そう。希先輩と絵里の二人がいるμ’sじゃなければ……
「──という事ですっ! はぁ……まさに夢のイベントですぅ。いつチケットが発売するのかなぁ」
「もしかして、花陽ちゃん見にいくつもりなの?」
「当たり前ですっ! アイドル史に残る一大イベントなんですよ! 見逃せるわけないじゃないですかっ!」
「あ、あはは……やっぱり、アイドルの話になると花陽ちゃんってキャラ変わるよね」
「凛はこっちのかよちんも好きだけどにゃー」
絵里……。
あれから、絵里と会うたびに気まずい空気が流れてしまう。
互いに目を合わせられず、ぎこちない仕草で会釈をする。
希先輩にも心配されてしまったが、これは仕方ない。
絵里の事にも半端で、μ’sに対してもどこか煮え切らない態度で。
こんな中途半端な俺なのだ。絵里に嫌われてしまっても無理はない。
「えー? 穂乃果はてっきり、μ'sも出場を目指して頑張る! みたいな事を言うのかと思ってたんだけどな~」
「えぇっ!? そそそんな、私が出場するなんて恐れ多いです!」
「またキャラが変わってるわよ」
「凛はこのかよちんも大好きだにゃー!」
それに、問題は絵里の事だけではない。
俺の記憶にある限り、そろそろテストの日が近づいていたはず。
知識の方では忘れてしまったが、普通に考えて赤点を取ると、μ'sは出場停止を食らってしまうだろう。
今回の場合、穂乃果と凛ににこ先輩の三人。そして、ここ最近の成績が落ちている俺の四人が危ない。
……テストの事を、今まですっかりと記憶の彼方に飛ばしていた。
μ'sや絵里の事にかかりっきりになっていたとはいえ、学生の本業である勉学を疎かにしてしまうとは。
はぁ……本当にどうしよう。
μ'sそのものは順調であるが、俺の内心ではどんよりとした曇り空のようだ。
「ですが、スクールアイドルをしている以上、上を目指すのも悪くないんではないでしょうか?」
「おお! 海未ちゃんが意外と乗り気!」
「ち、違いますよ! 私はただ、廃校を阻止するためにラブライブに出場すれば良いと考えただけです」
「うんうん。ことりはちゃーんとわかってるよ? 海未ちゃんが可愛い服を着て踊りたいって事を」
「全然わかっていないじゃないですか!? 今の発言からどうしてそのような発想に飛躍しているんですか!」
「全く……いい加減、海未先輩も慣れれば? 何回もライブをしたんだし、これからだってするんだから」
「あ、安心して。ちゃんと真姫ちゃんの分もとっても可愛くするからね?」
「ゔぇぇ!?」
「あっ! μ'sの順位が上がってる!」
「えっ!? どれどれ──」
……怖い。
もしかしたら、絵里がμ'sに加入しても仲直りしてくれないかもしれない。
前のように雑談したり、休日に喫茶店へ寄ったり、笑顔で楽しみ合ったり。
また、俺に微笑んでくれなくなってしまうのだろうか。俺の記憶が戻った日の時のように、孤独を感じて独りになってしまうのだろうか。
僅かに震える身体を抱き締め、目を閉じて深呼吸していく。
大丈夫、大丈夫。誰も俺を置いていかない。見捨てない。独りにしない。俺が皆の力になっている間は、ちゃんと俺の事を……”雨宮朝陽”としてではなく、その奥の俺自身を──
「──朝陽ちゃん?」
「っ……な、なんだい?」
「何って、さっきから呼んでるのに朝陽ちゃんが返事をしなかったんでしょ?」
ふと気が付けば、ことりが心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。
視線を巡らせると、他のメンバーも俺へと目を集めている。
咄嗟に笑みを張りつけ、なんでもない様子を装って立ち上がる。
「すまない。ちょっと、昨日のテレビを思い出していてね」
「あ、それってホラー特集の番組? あれ怖かったよねー」
「そんなのがやってたんだ。知らなかったな。かよちんは?」
「私はにこ先輩から借りたDVDを見ていたから」
よし。どうやら、皆の気を逸らす事に成功したらしい。
思い思いに言葉を交わしはじめた穂乃果達を尻目に、俺は扉の方へと向かう。
そんな俺の動きに目敏く気が付いたようで、背後からことりが声を掛けてくる。
「あれ、どこ行くの?」
「ちょっとお手洗いに。ことりはにこ先輩にラブライブの事を説明しておいてね」
「わかったけど……本当に、朝陽ちゃん大丈夫? さっきから顔色も悪いし、もしかして具合でも悪いの?」
「平気さ。私の事は心配しなくても大丈夫。それより、ことり達はこれからの事を考えなきゃね。じゃあ、後はよろしく」
「あ、朝陽ちゃん──」
一方的に告げると、さっさと部室を後にした。
瞬間、張りつけていた笑みが剥がれ落ち、思わず顔を歪ませる。
なんとかことり達を誤魔化せたはずだ。いつもの笑顔を作れたと思っているし、あの一瞬ではことりも察しないだろう。
……こんな所で、余計な詮索をさせる訳にはいかない。
μ'sは絵里や廃校、そしてラブライブの事を考えているべきだ。
いつも通り、いつものように俺はμ'sを……絵里達の手伝いをする。
「そう。それでいい」
例え、絵里に嫌われていようと。これから、皆との仲が悪くなってしまうとしても。
俺がやるべき事は、常に変わらない。
μ’sの雑用を引き受け、廃校阻止の案をひねり出し、絵里達皆の未来が物語より悪くならないように足掻く。
そう考えると、なんとなく頭がスッキリしたような気がする。
無駄に悩まなくても良くなったというか、改めて目標を再認識できたというか。
「ふぅ……よし!」
頬を叩いて渇を入れた後、俺はトイレの方へ足を向けるのだった
「──あれ?」
トイレで所要を済ませた後。
部室に戻った俺は、机の上で項垂れる穂乃果達の姿に、思わず首を傾げた。
先ほどはラブライブに向け、随分と張り切っていた様子だったのだが。
「あ、おかえりなさい」
「遅かったけど、何かあったの?」
「あー、うん。ちょっとね。それより、穂乃果達は一体どうしたんだい?」
「ああ、それですか」
表情に呆れの色を滲ませ、チラリと穂乃果達に目を向けた海未。
額に手を置き、苦笑いすることり達と一緒にため息を零して。
「朝陽がいない間に理事長室に行ったんですが」
「ラブライブの出場を認めてもらうためにね」
「生徒会長だと出場させてくれないかもって話になったんだ」
「それで、無事に出場の許可を得れそうな所まで行ったんですが」
そこまで海未が告げた時、ガバリと顔を上げた穂乃果達が頭を抱える。
「勉強やりたくなぁい!」
「テストなんて消えるにゃー!」
「学校滅びろ!」
表情を絶望一色に染めた三馬鹿を捨て置き、海未は疲れたように眉間を揉む。
「……つまり、次のテストで赤点を取らない事が出場の条件になったんです。で、この三人はテストに自信がないようで」
「ま、まあまあ。他の人は大丈夫そうだし、皆で穂乃果ちゃん達を教えよう? そうすれば、赤点回避もできるよ。ね、朝陽ちゃん?」
「……そ、そうだね」
フォローしようとしたのだろう。宥めるように水を向けることりだったが、サッと目を逸らした俺を見て、徐々に頬が引き攣っていく。
当然海未もその事に気が付き、まさかという表情を浮かべて。
「も、もしや。いえ、まさか朝陽に限って勉強を疎かにしているわけありませんよね? 前回のテストではそれなりに上の順位でしたし」
「あ、あはは。当たり前じゃないか。ちゃーんと予習復習はしているよ」
「声、震えているわよ」
額から一筋の汗が伝う。
ジト目の真姫の言葉に、俺はぎこちない笑みを返す事しかできなかった。
確かに海未の言う通り、今までの俺はしっかりと高点数をキープしていた。
予習復習もしていたし、前世の記憶も相まって問題はなかったのだ。
しかし、μ's関連に時間を割いたり、いつも家で今後の展開に頭を悩ませたり。
最低限やるべき事以外は勉強に時間を絶やさなかった結果、現在の俺は割と成績が落ちていると思う。
……いや、これも言い訳か。
勉強の時間を後回したのは、俺の意思。
である以上、成績が落ちたのも俺の責任となるべきだ。
「そんな……朝陽までが穂乃果達側に行ってしまうとは。どうしましょう。三人だけでも大変ですのに、四人に増えてしまったら誰かしらが赤点を取ってしまうかもしれません」
そんな事を考えている間に、海未は穂乃果達と一緒に頭を抱えていた。
暫くウンウンと唸り声を上げた後。
おもむろに顔を上げ、決意の表情を浮かべる。
「海未ちゃん?」
「私がなんとかしてみせます! これは、穂乃果の勉強嫌いを克服させられなかった私にも責任があります。ですから、皆の勉強を二十四時間私が見ます!」
「ええっ!? なんで海未先輩が凛達の勉強を見るの!?」
「そうよ。一年生なら、私と花陽が凛に勉強を教えるわよ?」
愕然とした声を上げた凛に、首を傾げた真姫。
ある意味当然な二人の言葉を聞いて、海未は何度か目を瞬かせてから頬を赤らめる。
「す、すみません。つい、気合いが入りすぎちゃいました」
「よ、よかった〜。海未先輩に勉強を教えてもらわなくて。海未先輩が教えると鬼のように──」
「私が、なんですか?」
「──う、海未先輩って教えるのが鬼のように上手そうって言ったんです!」
突如として無表情に変わった海未に、凛は身体を震わせながらそう告げた。
目を向けられているのは凛なのだが、俺達の方まで異様な雰囲気が伝わってくる。
現に、花陽は微妙に涙目になっているし。
暫く瞬き一つせずに凛を見つめていた海未は、やがて落ち込んだように肩を落として。
「そんなに、私って怖そうですかね……」
「そんな事ないよ! 海未ちゃんはとーっても可愛いから大丈夫!」
「そ、その。海未先輩はいつも私達に優しいから、怖くないと思いますっ」
「ことり……花陽……」
二人の言葉に、感激した様子で目を潤ませる海未。
傍から見れば感動的な光景なのだが、俺は素直に微笑ましいとは思えなかった。
その原因である、穂乃果へと目を向ける。
彼女は虚ろな目で自身の身体を抱き締めており、近寄るとブツブツと言葉が耳に入ってくる。
「──勉強怖い勉強怖い勉強怖い勉強怖い勉強怖い」
「い、一体海未は穂乃果にどんな勉強をしたのかな?」
「さあ? 少なくとも、私は聞きたくないわね」
「やっぱり、海未先輩から勉強を教えてもらわなくて良かったにゃ」
しみじみといった様子で凛が頷いた瞬間、部室の扉が開かれた。
自然と全員の注目が集まり、開けた本人である希先輩が笑顔で手を振る。
「やっほー。お邪魔するよー」
「どうしたんですか、希先輩?」
「んーと、テスト勉強に皆が困ってると思ったんよ。だから、ウチも手伝おうかと」
「それはありがたいんですが、迷惑じゃないでしょうか?」
「大丈夫。にこっちに教えるついでに、ウチもテスト勉強するから」
「まあ、せっかくだしお願いしたら? 私達じゃにこ先輩に教えられないだろうし、そもそもにこ先輩も……ゔぇぇ!?」
にこ先輩の方に顔を向けた真姫が、素っ頓狂な声を上げた。
釣られて俺達もそちらに目を向けると、教科書を手に持って勉強しているにこ先輩がいたのだ。
先ほどまではテストに嘆いていたのに。一体どういう心境の変化だろうか。
揃って驚愕した表情を浮かべた俺達に、にこ先輩は顔を上げて不敵に微笑む。
「ふふん。私だってやればできるのよ。だから、希の力なんて必要ないわ!」
「……にこっち。教科書が逆さまやん」
「うぇっ!? ま、まあ? にこは教科書を逆さまに読むのが癖だから、これでいいの」
「……駄目そうですね。すみません、にこ先輩をお願いしても?」
「任せて!」
「ちょ、ちょっと! だから私一人でもなんとかなるって──」
抗議の声を上げるにこ先輩を見て、希先輩は手をワキワキさせながら呟きを一つ。
「うん、ワシワシしよっか」
「──思ってたんだけど! どーしても希がにこと勉強したいって言うから、特別に一緒に勉強してあげるわ」
「顔色が真っ青ですよ、にこ先輩」
「う、うるさいわね!」
とりあえず、にこ先輩の事は希先輩に任せても良さそうだ。
穂乃果は海未とことりが、凛は真姫と花陽が面倒を見るだろう。
つまり、これでμ'sのテスト対策は万全。
……俺も、しっかりと勉強をしなければ。
自業自得とはいえ、テスト勉強をする事になった自身の迂闊さにため息を零しつつ。
涙目で逃げようとして海未に捕まった穂乃果を尻目に、俺も鞄から勉強道具を取り出すのだった。