「はぁ……寒い」
首筋を撫でる冷たい感覚に、俺は思わず肩を竦めた。
首に巻いてあるマフラーを巻きなおし、コートのポケットに手を入れつつ、急いで待ち合わせ場所に向かうべく足を速めていく。
秋葉原で衝撃的な出会いを経験してから既に二年が経っており、俺は中学三年生となった。
そろそろ受験シーズンを迎え、学校でも勉強の話題が頻繁に上がるようになっている。
「高校、か」
やはりと言うべきか、穂乃果達は音ノ木坂に進学するらしい。
皆は俺も同じ高校に進学すると思っているようだが、残念ながら俺は別の高校に入学しようと考えている。
もちろん、穂乃果達が嫌いになった訳ではない。俺自身も音ノ木坂の雰囲気は凄く好きだし、音ノ木坂に入学したい気持ちは大きい。
しかし俺が音ノ木坂へと進学すると、本格的に物語の歪みが大きなってしまい、やがてそれは無視できないうねりとなるだろう。
「いや、もう既に歪んでいるか」
未来を知っているというのも考えものだ。
俺の思考は、必ず物語が中心として展開されている。
ここまでくると、予知などと言った可愛いものではなく、もはや呪いに近い。
穂乃果達がこの事を知ったらどう思うだろうか。
物語を通してでしか見れない、
「ま、答えは決まっているか──ん?」
自嘲の笑みを漏らしながら歩いていると、前方で一人の少女が座り込んでいる事に気が付く。
病気か何かで動けないかと思って駆け寄れば、俺の足音が耳に入ったのか、少女は俯いていた顔を上げる。
「なに?」
「や、君が座っていたから心配になってね」
「それなら平気よ。私はなんともないから、気にしないで」
鮮やかな赤髪を揺らし、紫色の瞳でこちらを見つめる少女。
見覚えのあるその姿に、俺は思わず頬が引き攣ってしまう。
嘘だろ……どうして、何故このタイミングでこの子と出会ってしまったんだ?
「じゃ、じゃあ私はもう行くから」
「……」
不審そうな眼差しを送る少女を努めて無視して、俺は足早にこの場を離れていく。
まさか、こんなありふれた道のど真ん中で彼女と出会うとは。
これは運が良いと言ってもいいのだろうか?
正直、傍から見たら運は良いのだろうが、俺からすれば運が悪い。
まあ、彼女とはもう一生出会う事もないだろうし、このまま何事もなくこの場を去れば……
「……もしかしなくても、だよなぁ」
足元に落ちていたトマトのキーホルダーが着いた鍵を拾い、掌で弄ぶ。
この場でしゃがんで何かを探す素振りをする少女に、この高価そうなキーホルダーが着いた鍵……どう考えても、少女の私物だ。
「仕方ない、か。おーい、探しものはこれかな?」
大きなため息を零してから気持ちを切り替え、振り向いて少女を呼んで手招きをする。
少女は疑わしそうな足取りでこちらまで近づいてきたが、やがて俺の手の中にある鍵を見つけると目を丸くする。
しかしそれも数瞬の事で、直ぐに澄ました顔に戻ると少女はそっぽを向く。
「ち、違うわ。その鍵は私のじゃないから!」
「じゃあ、これは交番に届けるよ」
「えっ?」
「君の邪魔をしてすまない。では、私はこれで」
「あっ……ま、待ちなさい!」
手を振って踵を返した俺を見て、少女は慌てたような声で叫ぶ。
対して、俺は掌にある鍵を少女へと放り投げて渡す。
目を白黒しつつも鍵をキャッチした少女を確認してから、俺は足を進めながら口を開く。
「それは君のだろう? 無理して取り繕わなくてもわかるさ。次からはちゃんと鍵を落とさないようにね」
「わ、わかったわよ……じゃなくて! 色々と言いたい事はあるけど!」
背後から聴こえる声を無視している俺に、少女は苛立つような声を上げ、俺の前へと回り込む。
そして、俺の前へと躍り出た少女は、こちらを睨みながらも声を掛ける。
「改めて鍵を拾ってくれて、その、ありがとう」
「どういたしまして。話はそれだけかな?」
「まあそれだけだけど、貴女には色々と言いたい事があるわ。主に鍵を投げた──」
「話がないならもういいね」
「──事とかって、待ちなさいよ!」
「私は急いでいるので、ここで失礼するよ」
「ああっ、もう! 次に会ったら覚えておきなさいよっ!」
ジト目でこちらを見てくる少女の横を通り抜け、俺は全速力で脚を動かしていく。
背後から聞こえてくる悔しそうな叫び声を耳に入れつつ、俺は内心でため息を零す。
よりにもよって、物語の重要キャラクターである彼女に会うとは。
先ほどの少女は、ラブライブでμ'sの作曲担当にあるメンバーだ。
素直になれないツンデレであり、だけど内心では熱い想いを秘めている人。
その少女の名は──西木野 真姫。
「根に持たれただろうなぁ」
次に会ったら色々と文句を言われそうだ。
大いにありえる未来に嘆いた俺は、再び大きなため息を漏らすのだった。
「はぁ……はぁ……待たせたね、すまない」
「それはいいんだけど、凄い汗ね?」
あれから、無事に待ち合わせ場所である喫茶店へとたどり着いたので、俺は鞄からタオルを取り出して汗を拭っていく。
驚いたようにこちらを見つめていた絢瀬に笑みを返しながら、コートやマフラーを外してから着席する。
そして、注文を聞きにきた店員に紅茶を頼んだ後、美味しそうにチョコを頬張っている絢瀬へと目を向ける。
「絢瀬は本当にチョコが好きなんだね」
「もちろんよ! チョコが主食と言っても過言ではないわ」
「流石にそれはない」
「え? こういうのがジョークなんでしょ?」
「うーん、間違ってはいないかな?」
「ハラショー! やっぱりこの本に書いてある事は正しかったのね!」
笑顔になると、鞄から一冊の本を取り出した絢瀬。
そのまま取り出した本を渡されたので、試しに目を通していく。
えっと、『猿でもわかるジョーク集〜これで友達百人作ろう〜』……胡散くせえ。
本の内容も寒い親父ギャグばかり載っているし、とてもではないが役に立つ本だと思えない。
なんていうか絢瀬って、純粋だな。残念美人の本領発揮と言うべきか。
まあ、俺は今のようなポンコツエリーチカでも良いと思うが。
……そういえば、絢瀬のあの口癖は直ったのだろうか?
「賢い可愛い?」
「エリーチカ! ……はっ、また言ってしまったわ」
「まだ反射的に答えてしまうのかい?」
「もう癖になっちゃってるのよ。とりあえず、朝陽が言うのを止めればいいと思うのだけど」
「ふふっ、それはできない相談だね」
「うぅー」
不満そうな唸り声を上げ、ジト目でこちらを見つめてくる絢瀬。
頬を膨らませて可愛らしい仕草をする絢瀬を微笑ましく思いつつ、俺は店員が持ってきた紅茶を口に含んで笑みを返す。
すると、俺をジト目のまま見つめていた絢瀬は、やがて諦めたようなため息をつく。
このやり取りも恒例になっているからな。絢瀬も俺が止めない事を悟ったのだろう。
ともかく、それから暫く絢瀬と雑談を交わしていると、不意に彼女が真面目な顔つきに変化する。
「どうしたんだい、絢瀬?」
「あのね、朝陽ってどこを受験するか決めた?」
「……ああ、その事か」
一瞬言葉に詰まるも、直ぐに取り繕って視線を落とす。
このタイミングで話を切りだしたという事は、絢瀬は俺に音ノ木坂へと進学して欲しいのだろう。
俺としても、絢瀬や穂乃果達と同じ高校に行きたかった。
だが、やはり物語の事を考えると音ノ木坂に行かないべきだ。
……物語の事を考えるくせに、絢瀬と交流を続けている自分に呆れてしまうが。
──もう少し、もう少しだけなら大丈夫。絢瀬と交流するだけならμ'sは結成される。絢瀬が高校で親友を作るまでの間だけ。
そうやって自分に言い聞かせ、絢瀬との交流をズルズルと続けていく。
……孤独感に飢えているのはどっちだよ、全く。
今思えば、絢瀬も俺と同じ気持ちだって勝手に決めつけて、俺の孤独感を埋めるための言い訳にしていたのかもしれない。
「本当に俺って最低だ……」
「なにか言ったかしら?」
「や、なんでもない。絢瀬には申し訳ないが──」
首を傾げている絢瀬に入学しない趣旨を伝えようとした矢先、俺の携帯電話が鳴りはじめた。
絢瀬に許可を貰ってから携帯の画面を見てみると、どうやら穂乃果からの電話らしい。
突然の電話を不思議に思いつつ、通話ボタンを押して耳に携帯を当てる。
「もしもし」
『もしもし、朝陽ちゃん? 穂乃果だよ!』
「いや、それは知っているよ」
『えへへ、一回言ってみたかったんだ』
『ことりもいるよ〜』
『私もいますよ』
「二人もいるのか」
ことり達がいるという事は、場所は穂乃果の家だろうか。
きっと三人で遊んでいるのだろう。
『うん。今は皆でお喋りしているんだ!』
『違います。受験勉強をしているのでしょう?』
『穂乃果ちゃんが疲れたって言ったから休憩しているんだよ?』
『ご、ごめーん! だって朝陽ちゃんの事が気になっちゃったんだもん!』
「私が?」
俺の予想に反して、穂乃果達は真面目に受験勉強をしていたようだ。
その事に驚きながらも、俺は穂乃果の言葉に思わず声を上げてしまう。
『うん。最近、朝陽ちゃんって穂乃果達を避けている気がして』
「それ、は」
寂しげな穂乃果の言葉に、俺は咄嗟に返事をする事をできなかった。
確かに、俺は絢瀬と出会ってから穂乃果達と会う頻度を下げている。
絢瀬と仲良くなる事とは反比例して、穂乃果達とは徐々に距離を離していっていたのだ。
きっと、絢瀬と会っている事に後ろめたい気持ちがあったのだろう。
だから、物語の歪みの帳尻合わせのために、代わりに穂乃果達とは会わないようにする。
そして、穂乃果達と会えない寂しさを埋めるためか、俺は余計に絢瀬と交流を増やしていく。
……絢瀬には申し訳ない事をした。穂乃果達の代わりのように交流をして。
いや、絢瀬と会うのはいつも嬉しかった。俺の中では、絢瀬は一番に近いほど心を許しているだろう。
でも、それと穂乃果達の代わりをした事は別なわけで。
やはり、俺は絢瀬と関わるべきではなかったのだろう。
「朝陽? 顔色が悪いけど、大丈夫?」
「平気さ。少しばかり驚いてしまっただけだよ」
「そう? あまり無理はしないでね?」
心配そうにこちらを見つめていた絢瀬だったが、やがて再び追加注文したチョコを頬張りはじめた。
ああ、取り繕う事ばかりを覚えていく自分に反吐が出る。
そして、また穂乃果に自己満足の嘘を重ねていく自分のどうしようなさにも。
「それは、きっと穂乃果気のせいだよ」
『そうなのかなぁ?』
「そうさ」
『……うん、朝陽ちゃんの言葉を信じるよ!』
止めてくれ。こんな俺を信じるなんて言わないでくれ。
物語を通してでしか見れない俺を、簡単に信じないでくれ。
軋みはじめる感情の蓋に鎖を巻きつつ、表情に仮面を被り、表面上を取り繕う。
「それで、もう用事はもう済んだのかな?」
『あ、うん。用事は──ことりちゃん?』
「うん?」
俺の疑問に穂乃果は肯定の声を上げたのだが、どうやらことりからも話があるらしい。
暫く電話の向こうで物音がした後、ことり特有の甘いボイスが耳に入ってくる。
『もしもし、朝陽ちゃん?』
「どうしたんだい? 何か聞きたい事でもあるのかな?」
『えっと、その』
「ことり?」
迷うように言葉を泳がせていたことりは、やがて悲しげな声色で告げるのだった。
『──朝陽ちゃんって、音ノ木坂に入学しないつもりだよね?』