「──もう、大丈夫?」
「うん、ありがとう」
あれから、一頻り泣いた後。
ひとまず落ち着こうと、俺達は並んで腰を下ろしていた。
辺りには先ほどは違って、どこか心地よい雰囲気が漂っている。
「それで、どうしていきなり泣いたの?」
「絵里に私も救われたって事さ」
「そ、そうなの?」
「うん、そうなんだ」
よくわからないが、俺が言った内容が嬉しかったのだろう。
俺から目を逸らした絵里の口許は、僅かに綻んでいた。
改めて頷けば、彼女は僅かに頬を赤らめて咳払いを落とす。
「ま、まあいいわ。話を戻すけど、μ'sに嫉妬した私は身勝手な思いを抱いたの。そして、そんな彼女達と一緒にいる朝陽にもね」
「でも、あれは私に原因があったから絵里は悪くないよ。むしろ、当然の反応だと思う」
当たり前の事を言ったのだが、絵里の表情は芳しくない。
緩やかに顔を伏せながら、言い聞かせるように口を開く。
「違うわ。あの時のは、私が勝手に朝陽を目の敵にしただけなの」
「いや、私が絵里を蔑ろにしていたから仕方ないんだって!」
思わず声音を鋭くした俺に、絵里の方も眉尻を上げて言葉を返す。
「さっきから違うって言ってるでしょ。もう、朝陽の頑固者!」
「そっちこそ! 絵里のわからず屋!」
「わからず屋ってなによ! 朝陽に酷い事をしたのは私なの!」
「だから、それは何度も言うように私に問題があったって言ってるじゃん!」
絵里と言い合っていると、不意に彼女の胸元に伸びる手に気が付く。
思わず目を丸くした俺を見て、絵里も同じような表情を浮かべる。
瞬間、俺達の
「──喧嘩両成敗や」
「ひゃぁっ!?」
「きゃぁっ!?」
胸を掴まれる感触を覚えた俺は、咄嗟に前方へ向かって宙返り。
しかし、思ったより動揺していたのか、途中で手が滑って頭を床にぶつけてしまう。
「いたぁ!?」
視界に散らばる星屑に、頭に走る鋭い痛み。
頭を抑えながらしゃがみ込み、涙目で緩々と頭を上げる。
滲む視界に映ったのは、赤面して身体を抑えている絵里と、バツが悪そうに両手を合わせている希先輩だった。
というより、帽子を取って良かったのだろうか。希先輩の変装が解けて絵里にバレてしまうけど。
「ごめんね、朝陽ちゃん。まさか、こんな事になるとは思わなかったんよ」
「の、の、希!? どうしてこんな時にワシワシするのよ! ていうか、なんで貴女がここにいるの!?」
「ほ、本当だよ……しかも、私達二人同時とは」
「フフフ。ワシワシは日々進化しているんや。今のウチなら二人同時など容易い」
ど、どうでもいい。
不気味な笑みで手をいやらしく動かしている希先輩に、絵里は心底軽蔑した眼差しを送っている。
「希。今の貴女、正直薄気味悪いわ」
「え、絵里ちも随分と言うようになったやん。……それにしても」
「な、なんですか?」
頬を引き攣らせた後、希先輩は俺に目を向けた。
思わず後ずさる俺を見て、彼女はニヤァっと口許を歪める。
「いやいや。朝陽ちゃんも可愛らしい声を出すんだなって」
「なっ!?」
「何言ってるのよ。朝陽だって女の子なんだし、当たり前じゃない」
不思議そうに首を傾げる絵里だが、希先輩が言いたい事は違うのだ。
つまり、男の意識がある俺が女の子の悲鳴を出した、という事を指摘しているのだろう。
これからは希先輩に色々と弄られるんだろうな……今から気が重い。
「うぅ……」
「あはは、ごめんごめん。ちょっと意地悪しすぎたね」
「本当ですよ、全く」
近寄ってきた希先輩に悪態をつくと、耳元で囁かれる。
「でも、絵里ちに言わなくていいん? 今なら勢いで言えると思うんよ」
「……すみません。まだ、言えません」
「そっか……」
小さく首を横に振る俺を見て、希先輩は残念そうに呟きを漏らした。
絵里に俺の事を言おうかどうかは迷っていたが、流石に前世云々は信じて貰えないだろう。
正直、希先輩ならもしかしたらという気持ちがあったのも否定しない。
しかし、絵里は真面目な性格だ。普通に考えて気が狂ったとでも思われるだろう。それに、絵里はオカルト関係が苦手だし。
……いまだに、俺は絵里に打ち明ける事ができなかった。
「ねぇ、なにコソコソ話しているの?」
「朝陽ちゃんにワシワシされた感想を聞いただけだよ? もっとやって欲しいなんて、朝陽ちゃんもワシワシの魅力にハマったん?」
「そんな事言ってないでしょうが! 変に捏造するのはやめてください!」
希先輩のせいで、こちらはペースを乱されっぱなしだ。いつの間にか、この辺りの雰囲気が明るくなっているし。
まあ、これが希先輩なりの気遣いだというのはわかっているが。
感謝半分呆れ半分のため息をついた後、悪びれもしない希先輩に声を掛ける。
「で、いつからここにいたんですか?」
「えーっと、朝陽ちゃんが絵里ちと水族館に入った時から?」
「ほとんど最初からじゃない! ……あれ? という事は、希はずっと私達をつけていたって事? どうして、希は用事で行けなくなったって言ってたのに。じゃあ、あの話は嘘で希が私達を騙していた?」
頭を抱えて独り言を漏らしている絵里を尻目に、希先輩は砂糖を飲んだような表情で。
「二人が付き合いたてのカップルみたいな雰囲気を出していて、見ていたウチは胸焼けしそうだったんよ。チラチラお互いに目を合わしたり、よそよそしく会話したり」
「は、はぁっ!? カップルとか、そんな雰囲気じゃなかっただろ!」
腕をさする希先輩の言葉に、思わず俺は声を荒らげてしまう。
あの時の空気をどう読めば、そのような馬鹿な考えに飛躍するのだ。
現に絵里も呆れた表情で……呆れた表情ではなく、何故か頬を赤らめていた。
「ま、全く。希は何を言っているのよ。私達はただの友達よ? それに、女の子同士なんだからカップルのわけがないじゃない」
「……本音は?」
「朝陽が男の子だったらなってちょっと思ったけど……あっ」
思わずといった様子で口を抑える絵里。
しかし、吐きだされた言葉は俺の耳に伝わってしまった。
胡乱げな眼差しを送ると、絵里はついっと目を逸らす。
冗談、だよな? 流石に、俺を恋愛対象に見るわけないよな?
うん、俺の自意識過剰だろう。いくら女同士の恋愛があるとはいえ、まさか絵里がそのような感情を抱くはずがないだろうし。
腕を組んで頷く俺に、何故か希先輩は白い目を向けてくる。
「朝陽ちゃんって、やっぱり鈍感やね」
「失礼だな!」
「まあ、今は朝陽ちゃんの考えであっていると思うけど、気が付けば……なんて事もあるんよ?」
「そ、そういえば! どうして、朝陽はいつもと喋り方が違うの?」
「あっ」
希先輩に意識を向けていたからか、絵里の前で男口調を使ってしまった。
気が抜けすぎだろ……どうしよう。とりあえず、今はなんとか誤魔化す事にしよう。
「これは、前にテレビで見た時に気に入ったから真似してみたんだ」
「……本当の事は教えてくれないのかしら?」
「うっ」
「なんだか希と仲良くなったような気がするし、私にはその理由を教えてくれないの?」
捨てられた子犬のような瞳で見つめられた俺は、助けを求めて希先輩の方に目を向ける。
すると、彼女は顎に手を添えて悩む素振りを見せた後。
「絵里ち。悪いんだけど、今日泊まりにいってもいい?」
「え? まあ、亜里沙も喜ぶと思うから構わないけど」
「ありがとう! じゃあ、朝陽ちゃん。ウチらも準備をしよっか?」
「へっ? どういう事ですか?」
「どういう事も何も、ウチと朝陽ちゃんの二人が絵里ちの家にお邪魔するんよ?」
「……なんでですか?」
疑問の声を上げた俺に、希先輩は楽しげな笑みを向けるのだった。
「──もちろん、絵里ちと朝陽ちゃんの仲直りパーティーや!」
絵里との水族館デートをした日の夕方。
結局、あれよあれよという間に希先輩に丸め込められ、俺も絵里の家に泊まる事になってしまった。
迷惑ではないかと再三確認したのだが、当の絵里本人は満更でもない様子だった。
「全く、希先輩は何を考えているのか」
いまだに少しぎこちないとはいえ、絵里とは概ね仲が修復されたはず。
結果的に希先輩の言葉が正しかった以上、この泊まりにも何かしら意味があるのだろう。
微妙に納得いかない思いを抱きながら、俺は絵里宅のインターホンを鳴らす。
暫くすると玄関が開き、中からひょっこりと亜里沙が現れる。
「こんにちは、朝陽さん! お姉ちゃんから話は聞いています」
「こんにちは、亜里沙。突然で申し訳ない」
「全然平気ですよ。どうぞ、中へ入ってください」
「お邪魔します」
亜里沙に案内されて、俺はリビングへと入った。
室内には絵里がおり、何やら忙しそうに準備をしている。
しかし、直ぐに俺が来た事に気が付いたようで。
「いらっしゃい、朝陽。ちょっとその辺に座って待っててちょうだい」
「あ、うん」
大人しく椅子に座って絵里を眺める。
真剣な表情の彼女は、頻りにテーブルの上にあるホットプレートを動かしていた。
どうやら、自分が納得がいく場所に置けないらしい。
一体、絵里は何がしたいのだろうか。いや、夕御飯の準備をしているのはわかるのだが、そんな細かい所を気にしても仕方ないと思う。
うーん……ホットプレートに、野菜が置かれたお皿。そして、希先輩がメイン食材を用意すると言っていたな。
やっぱり、夕御飯は焼肉という事だろうか。
まあ、希先輩は焼肉が好きだし、自ずと察せられるけど。
そんな風に考えている間に、絵里の納得のいく配置ができたようだ。
満足そうに頷いた後、絵里は亜里沙と共に手前の席に腰を下ろす。
「さて、これであとは希が来るのを待つだけね」
「焼肉楽しみだよね、お姉ちゃん!」
「そうね。希に野菜を用意しとけって言われたけど、焼肉って一体どんな料理なのかしら。朝陽はどんな食べ物か知ってる?」
「えっ?」
もしかして、絵里って焼肉を食べた事がない?
いやいや、流石に焼肉ぐらいならどういう料理か知っている……知っているよな?
え、嘘。本当に焼肉を知らないの?
密かに愕然としている俺を尻目に、絵里と亜里沙はキャッキャと話していく。
「きっと、焼肉という名前からお肉を焼く料理よ!」
「ハラショー! じゃあ、このお野菜は何に使うんだろう」
「うーん、そうねぇ。多分、お肉で野菜を包むんじゃないかしら? そうすれば、お肉と野菜の両方を摂取できて、栄養バランスもいいし」
「お姉ちゃん! 焼肉って凄い料理なんだね!」
「そうね。希も中々センスのある料理を選んだじゃない」
感心した素振りを見せる絵里と亜里沙に対し、俺は酷く微妙な表情を浮かべてしまった。
いやまぁ、絵里達の予想で和んだのは事実なんだけど。どこかポンコツ具合が漂っている感じが、なんというか涙を誘う。
思わず目頭を押さえていると、この家のチャイムが鳴り響く。
「希が来たようね。迎えに行ってくるわ」
「行ってらっしゃい」
席を立った絵里を見送っていた俺は、嬉しそうに笑う亜里沙に声を掛けられる。
「朝陽さん。ありがとうございます」
「ん? いきなりどうしたんだい?」
突然の言葉に首を傾げた俺を見て、亜里沙は絵里が出ていった扉に目を向けて口を開く。
「今日のお姉ちゃん、凄く嬉しそうだったから。きっと、朝陽さんのおかげなんだろうなぁって思ったんです」
「いや、私は特に何もしていないよ」
「そんな事ないです! 最近のお姉ちゃん、いつも難しい顔をしたり、悲しい顔をしたりしていたんです。だから、今日みたいにお姉ちゃんが嬉しい顔をしたのは、朝陽さんのおかげです!」
「……むしろ、お礼を言いたいのは私の方だよ」
「えっ?」
目を瞬かせる亜里沙が何か言おうとしていたが、部屋に絵里と希先輩が戻ってきた事により、その言葉は声にならなかった。
希先輩はニヤリと口角を上げ、手に持つ袋をテーブルの上に置く。
「今日のお肉は美味しいやつや!」
「希、早く焼肉というものを食べましょう!」
「まあまあ、絵里ち。ここはウチに任せて絵里ちは座ってて」
「むぅ……わかったわよ」
渋々といった様子で絵里が座るのを見た後、希先輩はキラリと瞳を光らせる。
「じゃあ、さっそく焼肉パーティーをするよ!」
この言葉がきっかけで、仁義なき戦いが始まってしまうのだった。