そのまま肉を巡って争いが勃発するかに思えたが、希先輩の取り成しによって平和な焼肉パーティーとなった。
初めての焼肉に大喜びの亜里沙や、焼き加減を間違えて涙目になる絵里。他にも肉奉行と化した希先輩に、野菜も焼きすぎて苦そうにしていた絵里など。
概ね楽しく夕御飯は終わるのだった。
そして現在、俺は絵里の部屋で寝る準備をしていた。
後片付けや風呂も済ませており、後はもう眠るだけというわけだ。
にしても、まさか俺が絵里の部屋で一緒に寝る事になるとは思わなかったな。
てっきり希先輩とリビングで寝ると思っていたのだが、いつの間にかこのような配置になっていたのだ。
なお、希先輩は亜里沙と親睦を深めるために一緒に寝るのだとか。
「こっちの準備は終わったよ」
「私の方も用意はできたわ」
借りたお客様用の布団を敷き終わった俺は、絵里と向かい合って座り込む。
ベッドに腰かけている絵里から目を逸らし、この少々気まずい空気にため息が零れそうになる。
夕御飯を食べている時は、希先輩や亜里沙のお蔭でそこまで変な空気にならなかった。
しかし、今のように二人っきりの現状、やはりまだぎこちなくなってしまう。
それでも、つい最近までの剣呑な雰囲気と比べて雲泥の差なのだが。
……まあ、気まずく感じられる余裕ができたと思えば、むしろ俺としては少し嬉しい思いも湧き上がるんだけど。
思わず笑みを漏らしていると、困惑気味な絵里に声を掛けられる。
「なんで笑ってるの?」
「ん、いや。ただの思い出し笑いのようなものだよ」
「そう?」
視線を戻せば、小首を傾げている絵里の姿が目に入った。
いつもと違って髪を下ろしており、艶やかな黄金色の髪が煌めいている。
正直、今の絵里は俺の好みドストライクな出で立ちなので、初対面だったらキョドってまともに目を合わせられなかっただろうな。
まあ、今は女だからそんな意識もほとんどないし、そもそも大事な友達をそういう風には見られない。
……憧れとしてだったら、恐らくベストスリーに入るだろうけど。
と、こんな事を考えても意味がないだろう。
意識を切り替えた後、俺は笑顔で今日の出来事を振り返っていく。
「焼肉、美味しかったね」
「ええ、こんな料理があったなんてね。驚いたわ」
「絵里も肉や野菜を焼くのを楽しんでたし……大体焦がしていたけど」
笑みにからかい混じりの色を含ませてそう告げれば、絵里が頬を赤らめて目線を斜め上に逸らす。
「あ、あれは仕方なかったのよ! 初めてだったんだもん」
「それにしてもねぇ。『お肉はいっぱい焼けば美味しくなるに違いないわ!』って、普段料理をしている絵里ならダメだってわかると思うけど?」
わざとらしく声真似をして尋ねると、口をへの字にしてそっぽを向く絵里。
声音に羞恥の感情を混ぜこみながら、彼女はそわそわとした様子で指を立てて回していく。
「そ、それはね? お肉を焼くのが楽しかったというか、焼ける音をずっと聞いていたかったというか、朝陽とご飯を食べられてテンションが上がってたというか……」
「へっ?」
最後、俺に関しての事を言っていなかったか?
思わず素っ頓狂な声を発した俺を、絵里はキッと可愛らしく睨んで口を尖らせる。
「だから、朝陽と仲直りできて凄く嬉しかったのよ! それで、今日は朝陽をずっと見ていたかったの! もう、全部言わせないでよ……」
頬に桜を散らした絵里は、両手で顔を覆って恥ずかしそうに縮こまってしまった。
対して、俺は突然の不意打ちに全身が熱くなっていく。
ご、ご飯中にも絵里に見られている気がしていたが、つまり俺と一緒なのが嬉しかったという事か?
それで、肉を焼くのに集中しきれなくなり、結果として焦げてしまったと。
どうしよう。凄く恥ずかしい。俺も同じような事を考えていただけに、絵里の言葉は非常に共感できて羞恥心がマシマシだ。
……ああ、だから希先輩が砂糖を飲み込んだ表情を浮かべていたのか。
やたら俺や絵里の方を見てもどかしそうにしていたけど、つまり俺達の雰囲気が初々しい友達のやり取りにでも見えたのだろう。
友達に、だよな。まさか、絵里とカップルに見えたなんて事はないよな。
うん、そうに違いない。女の子同士なのにカップルなんてありえないし。
……希先輩がブラックコーヒーを飲みたそうな表情をしていたのは、きっと俺の勘違いだ。
呼吸を整えて感情の波を抑えた俺は、微動だにしない絵里に言葉を返す。
「私も、絵里と同じような事を考えていたよ」
「えっ?」
「その、やっと仲直りできたから、絵里と焼肉するのが嬉しかったし、こうして二人っきりで話せて今も顔がニヤけそうになるし」
「そう……そっか。朝陽も私と同じ気持ちだったんだ……」
頬を掻いてしどろもどろに告げた俺を見て、絵里は小さく頷いて頬を綻ばせた。
胸の前で組んだ指を忙しなく絡ませているその様子は、どこか花陽に似た愛らしさで可愛らしい。
しかも、それが普段はクールビューティー的な雰囲気を漂わせている絵里がしているので、自然と心臓を高鳴らせて直視できなくなってしまう。
さり気なく目を逸らしながら、俺は不自然にならないように話題の転換を試みる。
「亜里沙も焼肉を楽しんでくれたみたいだし、今日の希先輩の提案は大成功だったよね」
「そうね、流石希だわ。……あ、そうそう。どうして、水族館に希がいたのかしら? たしか、あの時はなんだか有耶無耶にされたような気がするのだけど」
顎に指を添えて首を傾けている絵里。
上手く話を逸らせたようだが、代わりに希先輩の行動に引っかかってしまったらしい。
確かに、希先輩は素直に尾行していた事を白状していたけど、ノリと勢いで話を強引に終わらせていたよな。
俺としては、どちらかと言えば希先輩サイドについていたので、絵里の問いに答える口は持ち合わせてないのだが。
いやまぁ、別に本当の事を言っても大きな問題はないけど。
「まあ、そこは希先輩だから」
「……希ならなんでもできちゃいそうよね」
「カードが告げるんや! ってね」
「ふふっ、確かに言いそうだわ」
指にカードを挟む仕草をしてドヤ顔を向ければ、絵里も笑みを落として頷く。
希先輩という言葉だけで誤魔化せたな。
流石希先輩と褒めれば良いのか、適当に纏められて不憫に思えば良いのか。
少なくとも、希先輩はスピリチュアルガールとしてのポジションを順調に築いている。
本人に言ったら、不服そうに眉を上げてワシワシしてきそうだけど。
ウチはどこかのネコ型ロボットのようになんでもはできない、と。
まあ、俺の事を受け入れている時点で、その度量の深さは窺えるのだが。
改めて、希先輩には感謝の念しか湧かない。
きっと、他の人なら希先輩のように俺の言葉を信じてくれなかっただろう。
いや、穂乃果辺りならケロッと信じそうだ。
海未や真姫など真面目なタイプなら、そう簡単にいかなかっただろうけど。
……いつか。いつの日か、俺の全てを皆に言える時は来るのだろうか。
心から信頼できて、なおかつ自身に勇気が持てて、皆と向き合う時が。
「朝陽?」
「ん、どうしたの?」
「……ううん。なんでもないわ」
黙って俺を見つめていたが、やがて絵里は頭を振って微笑んだ。
不思議に思って首を捻っていると、彼女はベッドから降りて手前に座る。
自然と距離が近くなり、絵里の方からふわりとした甘い香りが漂う。
「い、いきなりどうしたんだい?」
「んー。もう少し近くで朝陽を見たかったからよ。ダメかしら?」
「ダメじゃないけど……」
色々と心臓に悪い。
手を伸ばせば簡単に届く距離にいるし、真っ直ぐ見つめてくる絵里の蒼目に吸い込まれそうになる。
こうして間近で見ると、やはり絵里は凄く綺麗だよな。
肌はすべすべで弾力がありそうで、しっとりとした赤ん坊のような肌触りを容易に想像できそうだ。
顔立ちは恐ろしく精巧に整っており、思わず感嘆の息が漏れそうになる。
……やばい。意識したから絵里の顔をまともに見られない。
熱くなった顔を背けると、絵里の方から不思議そうな声が耳に入ってくる。
「どうしたの、朝陽?」
「な、なんでもないよ!」
声を上擦らせた俺の言葉を聞き、絵里は瞳に好奇心を宿して身を乗りだす。
「そんなわかりやすい嘘が通用すると思っているの? いいから、私に教えなさい」
「いやいや! 本当になんでもないから!」
「ますます怪しいわね……えいっ」
「へっ?」
ニヤリと口角を上げた絵里は、俺を押して横たわらせた。
意識の合間を縫われたため、あっさりと仰向けに倒れ込んでしまった俺。
呆然とした俺の腹に乗り、絵里は両手をワキワキさせながら口を開く。
「ふふふっ。素直に教えないと希直伝のワシワシMAXをするわよ?」
「や、やめてー! 本当にそれだけはやめて! 希先輩のはシャレになってないから!」
「じゃあ、どうして私から目を逸らしたのか白状しなさい」
どこか楽しげに笑っている絵里からは、Sっ気が見え隠れしている。
久しぶりの俺との交流だからか、絵里にとってこれはじゃれ合いの範疇らしい。
しかし、それは絵里の中の話であり、俺にとっては非常にまずい展開だ。
具体的に言うと、さっきまで意識しないと思っていた人を意識してしまい、そんな人に乗られているという状況。
俺でなくても取り乱してしまうと思いたい。
正直、こうやって現状を冷静に分析しているように見えるが、実際には一周回って悟りの境地にたどり着いたというか。
体勢から色々と見えてしまうような気がした俺は、慌てて顔を横に向けて口を開く。
「黙秘権を行使します」
「ダメよ。ここ最近の出来事で、朝陽も希みたいにコソコソするのが好きってわかったわ。前から私に色々と隠していたんでしょ?」
「そんな事は……」
ない、と否定する事はできなかった。
実際、隠れてμ'sと絵里の間を行ったり来たりしていたから、こうして絵里と喧嘩をしてしまう事態になっていたのだ。
まあ、希先輩のように上手く立ち回る事ができなかった違いはあるけど。
口篭る俺を見て、絵里は俺の顔の両脇に手をつき、ゆっくりと顔を近づけていく。
天井の照明に照らされ、絵里の顔全体に影が差す。
さらりと煌めく金髪が垂れ、俺の頬にかかる。
髪と同様に輝くサファイア色の瞳に決意を灯し、絵里は酷く真面目な表情で告げる。
「水族館で希と話した時。いつもと口調が違ったわよね」
「それはあの時に言ったように──」
「嘘」
「──っ!」
短く言葉を切り捨て、俺の左頬に優しく手を添えて顔を自身に向けさせる絵里。
横目で見ていた視線がかち合い、俺は有無を言わせない迫力に息を呑む。
絵里は本気だ。本気で俺から全ての秘密を聞こうとしている。丸裸にして隠し事を暴いてやる、という想いが瞳から溢れだしている。
「希は何か知っているみたいだけど、それは私には決して言えない内容なの?」
「……」
「私はどんな事でも、朝陽を拒絶したりしないわ。だから、教えて」
強い口調で告げる絵里の表情とは裏腹に、頬に添えられた手は僅かに震えていた。
恐らく、直接触られていたから気が付けたのだろう。
今までのただの親友とは違い、更に一歩踏み込んだ特別な関係。
今の絵里からは、正真正銘壮絶な決意が垣間見えていた。
……だけど、それでも。絵里に本当の事を言っていいのだろうか。
絵里が生半可な覚悟で聞いたわけではないと理解している。
しかし、どうしても本当の事を知った絵里の対応が怖い。
顔を抑えられて目を逸らせなかったが、そんな俺の気持ちが伝わったのだろう。
数瞬唇を噛み締めた後、絵里はほとんど密着するほどに顔を寄せ、睨んでいると言わんばかりに鋭い眼光で俺と目を合わす。
「もう一度言うわ、朝陽。貴女が抱えている悩みを全部教えなさい」
「……どうして?」
「決めたのよ。もう、迷わないって。貴女と喧嘩して、私は凄く辛かった。だから、今度はお互いに全てをさらけ出して、心から友達と思えるような関係になりたいの。……二度と、後悔したくないのよ」
微かに涙を湛えながらも、絵里は泣かない。
最後に告げられた言葉に、思わず俺は目を大きく見開いて驚愕を露にする。
そこに込められた想いの大きさを察したから、絵里の気持ちが痛いほど伝わったから。
完全に絵里の覚悟に呑まれた俺は、震える声で呆然と呟く。
「本当に……知りたいの?」
「ええ」
「どうして?」
「朝陽が大切な親友だからよ」
「知らなかった方が良かったと思うかもしれない」
「それはありえない。だって、朝陽の事をもっと知られたんだから」
打てば響くように、即座に帰ってくる絵里の返答。
徐々に視界が滲む中、俺は込み上がる想いに身をゆだねていく。
希先輩の時もそうだったが、絵里の場合とは違う。
俺にとっても、絵里は特別な人なのだ。
だからこそ、そんな彼女に求められるのは、耐えきれないほどの幸福感に包まれてしまう。
……俺の負けだな。
これ以上誤魔化すのは、絵里にとっての最大限の侮辱だ。
もう、意地を張って心に蓋をするのはやめよう。
少なくとも、絵里と希先輩の前では俺らしくいよう。
それが、ここまでの意志を見せてくれた二人の覚悟への返事になるのだから。
ふっと全身から力を抜いた俺を見て、絵里は俺が折れたと理解したらしい。
喜色に孕んだ様子で指を使い、俺の頬に垂れる涙を拭っていく。
「教えてくれるのね?」
「流石にここまでされればね。だから、もうどいていいよ」
「どかないわ。朝陽が逃げるかもしれないもの」
「……はぁ、もう勝手にして」
両手を挙げて降参の意を示した後、俺はできるだけ平坦に自身の秘密を明かしていく。
自分に男の意識がある事。ある程度今後の未来を知っている事。希先輩にそれらがバレてしまった事。元々、他の人に教えるつもりはなかった等々……。
真剣な表情で話を聞いている絵里を尻目に、俺は胸中に過ぎる恐怖と戦っていた。
絵里に拒絶されないか、気持ち悪がられないか、頭の病気を疑われないか、と。
特に、ある程度期待していた希先輩と違い、絵里はそういう事に耐性がない。
だから、下手すれば今日はこのまま家を追い出される可能性すらある。
考えてしまうネガティブな思考に、俺は泣きそうになるのを抑えながら、一通りの事を話し終えた。
一息ついて目を伏せていると、両頬に手を添えられる。
「絵里?」
「話してくれてありがとう」
「え、それだけ? なんかこう、もっと言う事がないの? キモイんだよとか」
目を丸くして尋ねるが、絵里は穏やかに目を細めて首を振った。
「まさか、私が朝陽にそんな酷い事を言うわけないじゃない」
「な、なんで!」
「いまだに現実感がないってのもあるけど……一番は」
絵里はそこで言葉を区切ると、ふわりと柔らかく微笑む。
「どんな秘密があっても、朝陽は朝陽でしょ?」
「──」
まさ、か……まさかまさかまさか。希先輩と同じ事を言うなんて!
確かに、希先輩は絵里達も同じような言葉を返すとは言っていたけど。
いまだに信じられない。絵里が俺を肯定してくれた事を。
文字通り頭が真っ白になっていると、絵里は堪えるように目を伏せて。
「朝陽はそんな辛い悩みを抱えていたのね。気づいてあげられなくてごめんなさい」
「そんな! 絵里は悪くない!」
「ううん。私がもっと朝陽の事をわかってあげられれば」
「はぇ?」
そう告げた絵里は、俺を優しく抱きしめた。
暖かな彼女の体温と混ざり合い、微睡みに包まれているような錯覚に陥る。
まともに反応もできないでいる俺の頭をゆっくりと撫でながら、絵里は慈愛に満ちた声色で話す。
「朝陽は私と会った時から……ううん、それよりずっと前から一人で頑張ってたのね」
「やめっ……やめて」
「朝陽は未来を知っている事が嫌みたいだから、あえて言うわ。未来を知ってくれて、ありがとう。貴女が未来を知っていたから、こうして私は大切な友達ができたのよ」
「ち、違う! 私が……俺がいなくても希先輩がいたから!」
何度も激しく否定するのだが、絵里は俺の意見を聞き入れようとしない。
「私と知り合ってくれて、ありがとう。私に秘密を打ち明けてくれて、ありがとう。孤独だった私に声を掛けてくれて、ありがとう」
「ぅ、ぁ……」
「──産まれてきてくれて、ありがとう」
最後に囁かれた言葉に、もう俺は溢れる感情を抑えきる事ができなくなった。
声なき泣き声を上げながら、絵里にみっともなくしがみつく。
今まで、常に心の奥底で渦巻いていた気持ち。
この世界の異物だといつまでも考えてしまい、理性では違うと理解していても、決して収まる事のないヘドロのような
だけど、絵里に肯定されたように思えて、貴女もこの世界の住人だと許してくれた気がして。
ようやく、自身と向き合えるようになれて。
「ぅぅぁ……!」
涙を流す俺の頭を、黙って撫でてくれる絵里。
その気遣いをありがたく思いながら、俺は場違いにも最近はよく泣くな、と頭の冷静な部分が考えてしまう。
絵里と喧嘩して慟哭しそうになり、希先輩に諭されて嗚咽を漏らし、絵里と仲直りできて喜びの涙を流し、そして絵里に肯定されて嬉しさのあまり号泣する。
一生分の涙を使い果たした気すらする。涙腺が緩くなっているのだろうか。
「ごめん、もう少しこのまま……」
「ええ、いいわよ。気が済むまで泣いてちょうだい」
「……ありがとう」
無理に落ち着かせようと思考を飛ばしていたのだが、やはり暫く涙が止まりそうにない。
改めて絵里に感謝しつつ、俺はこの暖かな感覚に浸っていくのだった。