「──じゃーん!」
満面の笑みで穂乃果が取り出したのは、赤点を免れた数学の答案用紙。
改めて、無事にラブライブ出場できる事を実感したのだろう。
部室内にいた皆が喜色に孕んだ表情を浮かべ、思い思いに心境を吐露していく。
「おめでとう、穂乃果!」
「凄いよ、穂乃果ちゃん!」
「これで凛達は練習ができるにゃー!」
「たかがテストだけで大袈裟ねー、まったく」
「そういうにこ先輩も、かなりヤバかったんだけど?」
「あはは……」
姦しく騒ぎはじめたμ'sの面々を見て、海未は手を叩く事で視線を集める。
「喜ぶのはまだ早いです。これから、理事長にラブライブ出場の許可を貰わなければいけないんですから」
「そうそう。勝って兜の緒を締めよ……むしろ、ここからが本番だからね?」
海未の隣でそう告げれば、穂乃果達は表情を引き締めた。
「うん。このラブライブで、廃校を阻止してみせる! だから、早く理事長のところに行くよー!」
拳を握って退室した穂乃果に続き、μ'sの面々は部屋を後にしていく。
最後に俺が扉を閉め、待っていた海未と並んで穂乃果達を追いかける。
「……大丈夫でしょうか」
明るい雰囲気の皆を見て、不安げな言葉を落とした海未。
言外に含まれた意味を感じた俺は、窓から覗く太陽を見ながら口を開く。
「なるようになるさ。そのために海未をこちら側に引き込んだんだし」
「まったく、朝陽も人が悪いですね」
「否定はしないよ」
口調の割に、海未の顔は綻んでいた。
目元を優しげに下げ、ここにはいない誰かに思いを馳せるように笑う。
「みんな、頑固者です」
「その筆頭が海未だからねぇ」
「そ、そんな事はありませんよ! 私はただ、少々羞恥心が他人より強いだけで」
「ふふっ、そういう事にしておくよ」
「朝陽!」
海未の声を無視して、俺は勢いよく扉を開けて中に入る穂乃果に続く。
室内には、先ほど入室した穂乃果の他にも絵里と理事長がいる。
困った様子で眉尻を下げる理事長に、厳しい表情を浮かべている絵里。
……ついに、ここまで来たか。
「廃校ってどういう事ですかっ!」
「穂乃果、落ち着いて」
「っ……朝陽ちゃん」
いきり立つ穂乃果の肩に手を置き、俺はこちらに顔を向ける絵里に頷く。
対する彼女も小さな頷きを返し、手を組んで肘をつく理事長に声を掛ける。
「二週間後のオープンキャンパス。その時に良い結果を出せれば、廃校は見送られますよね?」
「ええ。廃校になるかは、オープンキャンパスに来てくれた方々のアンケート結果次第です」
「ま、まだ決まったわけじゃないんだ。良かったぁ」
胸を撫で下ろす穂乃果の顔を、絵里はじっと見つめていた。
口を何度か開閉させた後、首を振って理事長に頭を下げる。
「お願いします。オープンキャンパスの内容を生徒会に決めさせてください」
「絢瀬さん……あなた」
絵里の変化に気が付いたのだろう。
目を見開いて驚きを露わにしていた理事長は、ふぅと息を吐きだして微笑む。
「許可します。どうか、音ノ木坂をお願いします」
「……はいっ!」
決意に満ちた面立ちで返事をし、絵里は踵を返して扉へ向かう。
途中で、自分達の様子を静観していた穂乃果とのすれ違いざま、様々な感情が乗せられた言葉を囁く。
「見せてちょうだい、貴女達の輝きを」
「えっ?」
穂乃果が慌てたように振り返るが、既に絵里はこの場を去っていた。
まあ、いきなり意味深な事を言われたら戸惑うよな。
しかも、絵里はμ'sと仲が良かったわけでもないし。
「穂乃果、私達も行こう」
「あ、うん……失礼しました」
「失礼しました」
「──」
退室する間際、理事長が何か呟いた気がしたのだが。気のせいだろうか?
廊下に出た俺達の元に集まるμ'sのメンバーに、部室へと向かいながら話の結果を伝える。
一旦、皆で席について落ち着き、改めて今後の方針を話し合う。
「さて、私達に残された時間は二週間となったわけだけど」
「オープンキャンパスかぁ……」
「まあ、いつも通りライブをするだけじゃない?」
髪の毛を巻いて呟く真姫の言葉を聞き、凛は大きく頷いて追随。
「そうだよ。凛達がライブをして音ノ木坂の良い所を教えれば、きっと廃校も阻止されるはずだにゃ!」
「そうねー。みーんなのアイドル、にこがいれば廃校なんかにはならないにこっ」
「あ、そういうのはいらないよ」
「ちょっと、凛! いきなり真顔になってどういう事よ!」
「えー、だってぇ」
そのままじゃれ合いを始めた二人は置いておいて。
真剣な表情で考え込む皆を尻目に、俺は海未に目を向けて頷く。
無事に込められた意味を察したようで、彼女はどこか緊張を滲ませた声音で告げる。
「皆さん。廃校阻止を目指すにあたって、私から提案があるのですが」
「んー、どうしたの海未ちゃん?」
全員の視線が集まったのを確認した海未は、ふぅと息を吐いてから、
「生徒会長さんに私達μ'sの指導をしてもらいたいんです」
『生徒会長に……?』
恐らく、この場の全員の脳裏には同じような内容が過ぎっただろう。
堅物でμ'sに良い感情を持っていなさそうな、一人の少女の姿が。
自然と海未に訝しげな眼差しが送られ、代表してにこ先輩が問いかける。
「なんであいつの名前が出るわけ?」
「それについては私から説明しよう」
「朝陽ちゃんが?」
疑問の声を上げたことりに頷き、俺は顎に手を当てながら口を開く。
「私は生徒会長……絵里とは友達で、絵里が昔にバレエをしていたと知っているんだ。だから、海未は絵里からダンスを教わろうとしたんだよ」
海未の話に説得力を持たせようとしたのだが、逆に真姫に疑問の種を植えつけてしまったらしい。
眉尻を跳ね上げた彼女は、腕を組んで鋭い眼光で俺を見つめる。
「ちょっと待ちなさい。この際、貴女が生徒会長と仲が良かった事についてはどうでもいいわ。だけど、どうして海未先輩までバレエの事を知っているの?」
「それに関しては、海未から直接聞いた方が早いかな?」
そう返して海未にバトンタッチすると、彼女は真姫に目をやって。
「はい。私はつい最近、生徒会長と話す機会に恵まれました。その時に、生徒会長のダンスとμ'sに関しての気持ちについて聞いたんです」
「ふぅん……ま、私達に内緒で行動していた事には納得いかないけど、とりあえず理解はしておくわ」
背もたれに寄りかかり、俺から視線を外した真姫。
ほっ、なんとかなったようだ。特に緊張する場面でもないのだが、気が強い真姫に詰問されると心臓に悪い。
海未も同じ気持ちだったのか、表情がやや強ばっていたし。
俺達が密かに安堵している中、ことりは先ほどから黙ったまま思案にふけており、やがて何かを察したと言わんばかりに目を見開く。
「そっか……」
「ことり?」
首を傾げる海未を意に介さず、無言で俺の顔を見つめることり。
様々な色に染められたその瞳の内、寂しげな感情だけは色濃く滲んでいた。
目を合わせていたのは、数瞬ほどだろう。
ことりの方から目を逸らし、海未に向かってにこりと微笑む。
「なんでもないよ、海未ちゃん。それで、生徒会長さんに習うって事でいいのかな?」
「はい、そうです。絵里先輩から学ぶ事ができれば、μ'sは更に良くなると思うんですが」
「私は反対よ」
食い気味に否定の声を上げたのは、真姫だ。
そっぽを向いて虚空を眺めながら、彼女の口からそう考えた理由が話されていく。
「付き合いが浅いから正確にはわからないけど、あの人って私達μ'sをよく思っていないでしょ。だから、あの人がその頼みを受けてくれる確率は低いし、そもそも受け入れてくれたとしても潰されかねないわ」
「おぉー! 真姫ちゃんが凛達を心配してくれてる!」
「なっ!? ち、違うわよ! 私はただ、最悪の展開を考えようとしただけで!」
嬉しそうな笑顔の凛から逃げるためか、真姫は顔を反対方向に逸らした。
しかし、優しげに目を細めた花陽と視線がかち合う。
「ふふっ。真姫ちゃん、ありがとう」
「ゔぇぇ!」
どこか和やかな雰囲気が漂いはじめた一年生組を尻目に、眉間に皺を寄せているにこ先輩が首を横に振る。
「私も反対。わざわざ敵を呼ぶ必要なんてないわ。あいつらはあいつらで、私達は私達で廃校阻止の案を考えればいいんだから」
「いえ、それでは駄目です」
「駄目な理由は?」
にこ先輩が端的に尋ね返せば、海未はどこか悔しそうに唇を噛み締める。
「絵里先輩の踊りを見てから、私達μ'sの踊りが物足りなく感じてしまうんです」
海未の言葉がよほど意外だったのだろう。
にこ先輩は唇の片側を吊り上げ、ひくりと頬を痙攣させて眼差しを鋭くする。
「……本気で言っているわけ?」
「はい」
「冗談で言っていたとしたら、怒るわよ」
「いえ、本気です。私は、今のμ'sから絵里先輩ほどの感動を抱けません」
きっぱりと断言した海未を見て、にこ先輩は背もたれに深く寄りかかった。
天井を仰いで大きなため息を一つ。腕を組みながら、海未へと声を掛ける。
「はぁ……私達のダンスをよく見ているあんたがそこまで言うなら、そうなんでしょうね」
「私達に足りないもの。それを絵里先輩が知っていると思うんです。今のμ'sに必要なものを」
「あいつが持っているものねぇ。厳しい規律とかなんじゃないの?」
にこ先輩の言葉はあながち間違っていないかもしれないな。
真面目な絵里がリーダーだとしたら、μ'sはもっとガチガチしていただろうし。
いや、ポンコツグループとして名を馳せていた可能性もあるか?
……それはそれで、ありかも?
なんて一人で馬鹿な事を考えていると、花陽がおずおずといった様子で手を挙げる。
「私は海未先輩の話に賛成です」
「はぁ!? 花陽、私の話を聞いてた?」
ガタリと身体を揺らした真姫。
愕然とした声を上げた彼女に、花陽は頷いてきゅっと胸元に両手を乗せる。
「うん。正直、生徒会長とはあんまり話した事がないから怖いよ。でも、私も廃校を阻止したいし、なによりμ'sがもっと輝けるなら、生徒会長に怖がっていられないと思う」
「かよちん……」
恐らく、今までの花陽なら怯えて反対していただろう。
しかし、μ'sに加入して成長したからか、今の彼女からは確固とした決意が滲みでていた。
幼馴染の変化を目にした凛は、嬉しさと寂しさが半々に入り混じる顔で笑う。
そして、ここにも一人。今までよりも一歩踏み込んだ意見を述べる少女がいた。
「私も、賛成かな」
「ことり先輩まで!?」
目を瞠る真姫を一瞥した後、ことりは頬に指を添えて眉尻を下げる。
「これは勘なんだけど、生徒会長は信用できると思うんだ。だから、生徒会長からダンスを教わるのが廃校阻止の一番の近道だと思うよ?」
「に、にこ先輩は? さっきまで反対してたわよね?」
説得は無理だと諦めたのか、真姫は話の矛先をにこ先輩に変えた。
天井を見上げたまま微動だにしていなかったにこ先輩だったが、やがて顔を下ろすと目を瞑って深々とため息を漏らす。
直後に瞳を開けた彼女の口許には、不敵な笑みが浮かんでいた。
「上等じゃない。海未にそこまで言わせる実力、このにこがしっかりと見てあげるわ」
「まさか……」
「悪いわね。私の中ではμ'sが一番なのに、可愛い後輩に感動できないなんて言われたんだから、あいつから技を盗んでその言葉を撤回させたいのよ」
これで、賛成が海未に花陽にことり、そしてにこ先輩の四人だ。
凛は花陽よりに傾いており、俺は言うに及ばず。
つまり、残りは反対派の真姫と──
「穂乃果はどうなんだい?」
俯いたまま沈黙を保っていた穂乃果。
自然と場の視線が彼女の元に集い、告げられるであろう言葉を待つ。
俺の促しがきっかけだったのか、ようやく穂乃果は顔を上げ、強い輝きに満ちる瞳を真姫に向ける。
「真姫ちゃん」
「っ……なに?」
「真姫ちゃんの気持ちもわかるよ。絵里先輩、私達に何か含むものがあるみたいだし」
「なら──」
「でもね」
真姫の言葉を遮り、穂乃果は穏やかに笑う。
「それはきっと、絵里先輩が素直になれないからだと思うんだ」
「素直になれない?」
「うん。真姫ちゃんと一緒で、本当の思いを心に押し殺してる」
「なっ!?」
「朝陽ちゃんは、そんな絵里先輩が心配でこんな事を考えたんだよね?」
「え?」
不意に水を向けられ、俺は素っ頓狂な声を上げてしまった。
皆が疑問符を頭に浮かべる中、穂乃果は真っ直ぐとこちらを見つめて。
「わかるよ。朝陽ちゃんが絵里先輩を大切に思っている事ぐらい」
「い、いや、なんでそう思ったの?」
「うーん、なんとなく?」
疑問符をつけて尋ねられても困るんだが。
ともかく、穂乃果なりに俺の心境を察していたという事なのだろう。
言葉を返せない俺を見て、穂乃果はぱっと表情に花を咲かせて皆を見回す。
「とりあえず、絵里先輩に頼むだけ頼んでみようよ。きっとその方が良いと思うんだ」
「…………はぁ。これじゃあ、いつまでも意固地になってる私が馬鹿みたいじゃない」
「真姫ちゃんっ!」
喜色の声を上げた穂乃果に、真姫は諦めた素振りで肩を竦めた。
「わかってるわよ。むしろ、見方を変えればこれはチャンスだわ。あの人に私達を認めさせて、大々的にμ'sを宣伝させるためのね」
「なーんだ。真姫ちゃんも色々と考えてたんだ~」
「からかわないでよっ!」
再びじゃれ合いを始めた真姫達だったが、それも直ぐに収まる事となる。
「よーし! 皆が賛成してくれた事だし、さっそく生徒会長のところへ行こー!」
満面の笑みで告げた穂乃果の掛け声により、μ'sの皆は慌ただしく部屋を後にしていった。
部室内に残ったのは、出遅れた形となった俺と海未。
「さて、私達もそろそろ行こうか。そっちの方の状況はどんな感じ?」
「そうですね……六割がたは完成したと思いますよ」
「え、もう六割?」
驚いて目を丸くすると、海未は苦笑いして頷く。
「はい。正直、想定以上に順調ですね」
「まあ、順調に越したことはないでしょ。じゃあ、私達もツンデレお姫様を迎えにいきますか」
おどけた仕草で立ち上がり、海未を連れて退室。
穂乃果達が向かったであろう生徒会長に足を向けつつ、俺は今後の計画を脳内で何度も反芻していく。
外堀は埋められたし、後は穂乃果達の気持ちと結果を待つのみか。
問題はないと思う……思うけど、やはりどうしても不安が募ってしまう。
そんな俺の内心が顔に表れていたのか、隣で歩く海未がクスリと微笑む。
「大丈夫ですよ、朝陽。私も、今回の計画は成功すると確信できましたから」
「そっか。海未のお墨付きなら、大丈夫そうだね」
「ええ、任せてください」
「……なんだか、さっきと逆転しちゃった」
不安になっている人と、それを吹き飛ばしてくれる人の立場が。
海未も思い至ったのだろう。パチパチと目を瞬いてから、瑞々しい唇に弧を描いて。
「ふふっ、そうですね。私達二人とも、なんだかんだ言って心配だったという事ですか」
「まあ、お互いのお蔭でその心配事は消えたけど」
「確かに、私の不安は朝陽が消してくれました。それに、これはなるべくしてなったとわかりましたし」
「うん?」
絹のような青髪を揺らし、海未はどこか遠くを見るような眼差しで呟く。
「欠けたパズルのピースが埋まるような、なくした半身を取り戻したような。……いいえ、ようやく噛み合ったと言うのでしょうか。恐らく、遅かれ早かれ起きていた事なのでしょう」
「さっきから随分と抽象的だけど、どうしたんだい?」
言っている意味がほとんど理解できない。一体、海未は何を言いたいのだろうか。
思わず首を捻って尋ねる俺を見て、海未は小さく手を振って口を開く。
「いえ、独り言です。とりあえず、早く穂乃果達の元に追いつきましょう」
そう告げた海未が足を速めるので、慌てて俺も追随する。
さっきの意味深な言葉が気になるけど、海未に誤魔化されちゃったしまあいっか。
まずは、目の前の事に集中しなければ。
気合を入れ直した俺は、海未と共に穂乃果達を追いかけるのだった。