「──もう嫌だぁー!」
突然穂乃果がそう叫んだかと思えば、ペンを投げだしてテーブルに突っ伏してしまった。
それを見たことりは苦笑いをして、海未は呆れたようなため息をつく。
「穂乃果ちゃん……まだ三ページしかやってないよ?」
「穂乃果は堪え性がなさすぎます」
「だってだって穂乃果が数学わかるわけないじゃん!」
「でも残っているのは数学だけではないだろう?」
「ぐっ……」
俺がそう呟くと穂乃果は言葉に詰まり、そっと目を逸らして口笛を吹きはじめた。
しかし、思ったより動揺していたのか上手く口笛が吹けていない。
「それより穂乃果。早く続きをやらなければ終わりませんよ」
「そうだよ〜、夏休みが後十日しかないんだから」
「わ、わかってるよぉ……」
ことり達に宥められて、穂乃果は渋々といった様子で再びペンを手に持った。
そんな幼馴染み達のいつもの光景を横目に、俺は手元の本に視線を落としながら記憶を掘りかえしていく。
俺が音ノ木坂へ入学すると決めてから早いもので、既に半年が経過している。
現在は八月の半ばで、先ほどことりが言った通り夏休みも残り僅かだ。
この半年間も中々濃い出来事が多かったが、その辺は置いておこう。
「そういえば、朝陽は何を読んでいるんですか?」
「あ、ことりも気になる〜。もしかして恋愛本!? そんな朝陽ちゃんに恋人がいたなんて知らなかった──」
「ん? ああ、これだよ」
そのまま一人で妄想に耽ることりを努めて無視しつつ、不思議そうな顔をしている海未に本を渡す。
素直に受け取った海未が本に目を通すと、瞬く間に顔色を真っ赤に染めていく。
うん、海未ならいいリアクションをしてくれると思っていた。そのためにわざわざ本を渡したんだからな。
「なぁっ! ああああ朝陽これは一体なんですか!?」
「なんですかとは?」
「何故朝陽が私のノートを持っているのですか!?」
「え、海未ちゃんの!? ことり見たい!」
「だ、駄目です! これは私にとって大事な──」
「これは海未のポエむがっ!」
「──なななな何を言おうとしているんですかっ!?」
いつの間にか妄想から帰ってきたことりに内容を教えようとした瞬間、機敏な動作で海未が俺の懐に入り込み、口許を手で抑えてきた。
海未が近づいてきたので必然的に至近距離で見つめ合う事になり、海未の真っ赤な顔が間近に見える。
「むごっ……何ってことりに教えようとしただけだが」
「私のプライバシーは!?」
「ない」
「理不尽ですっ!」
海未の手を退かしてから正直に言うと、海未は小声で怒鳴るという器用な真似をしてくる。
鼻腔を擽る海未の清涼な匂いに内心でドキドキしつつ、小声で俺達は言葉を交わしていく。
「とは言っても、海未の母親に許可を貰ったんだよね」
「わ、私は許可してませんよ!」
「海未なら気にしないと思ってさ」
「気にするに決まっているじゃないですか!?」
「そうなのか。それはすまなかった、申し訳ない」
「うっ……わ、わかればいいのです。これからは私に許可を貰ってからにしてください」
弄るのはこの辺にして頭を下げれば、海未は一瞬怯んだ様子を見せた後、俺の肩に手を置く。
そして、海未はそのままずいっと顔を近づけてくる。
「それはわかったけどさ……」
「本当ですか?」
「うん。だからさ、そろそろ顔を離そう」
「へ? ……ひゃぁっ!」
目を逸らして告げた俺の言葉に、ジト目をこちらへ向ける海未は素っ頓狂な声を上げていたが、数瞬経つと今度は可愛らしい悲鳴を上げて後ずさった。
海未って普段は凛々しいくせに、こういう時は可愛い様子を見せるよな。
かっこよくて可愛いとか反則だわ……あれ、これって前にも思った気がする。
「ちょっと聞きましたかことりさん? ひゃぁっですってひゃぁっ。とっても可愛らしい悲鳴を上げていましたねぇ」
「そうですねぇ。あの海未ちゃんからひゃぁっなんて言葉が出てくるとは思いませんでしたよ」
海未の悲鳴を聞いていたのか、いつの間にか身を寄せあっていた穂乃果達は、悪どい顔をして小声で囁きあっている。
しかし、残念ながら俺達にまで声が届いているんだよな。ほら、海未が顔を真っ赤にして俯いているし。
「…………」
「うひひひひ、このネタを使えば夏休みの宿題をしないで済むかも!」
「ほ、穂乃果ちゃんもうそのくらいで……ことり知ーらない」
口許に手を当てて不気味な笑い声を零しているが、穂乃果は海未の変化に気が付いていないようだ。
ことりは流石と言うべきか身の危険を感じたようで、いつの間にかさり気ない動作で俺の元に来ていた。
「……穂乃果」
「どうしたの海未ちゃ……ん……?」
やっと穂乃果は自分が海未を弄りすぎたと理解したらしい。
涙目でこちらへと視線を送ってくるが、俺達が揃って首を横に振ると絶望した表情を浮かべた。
「どうやら穂乃果に甘くしすぎたらしいですね」
「う、海未ちゃん? 落ち着いて、ね? もうひゃぁって可愛いなあとか、海未ちゃんって偶にメルヘンチックな所があるなあって思ったりしないから! ……あ」
「あぁー、穂乃果ちゃんやっちゃったー」
自ら墓穴を掘るとは流石穂乃果だ。
この後の惨劇を予想したのか、ことりは顔を両手で覆っているが、指の隙間から楽しげな瞳を隠しきれていない。
まあ、かく言う俺も高みの見物をしているけど。
「ふふふふふふ……ところで穂乃果?」
「な、何かな海未ちゃん?」
「私は思ったのですよ。夏休みの宿題をするだけでは穂乃果のためにならないと」
「そ、そんな事ないと思うなあ」
「いいえ。ですから、これから私が二十四時間穂乃果を監視して数学を克服させます!」
「に、にじゅっ!? それは無謀というものだよ海未ちゃん!? そ、それに海未ちゃんも大変でしょ?」
「穂乃果のためなら徹夜ぐらいできます! さあ今からキリキリとやりなさい!」
「ひぇぇ……助けてことりちゃん、朝陽ちゃん!」
「あはは〜、これ面白ーい」
鬼の笑みとはまさにこの事だろうか。
いっそ清々しいと言えるほどの爽やかな笑顔をしている海未が宣告した内容に、穂乃果は悲鳴を上げた後、瞳に希望の色を宿して俺達を見つめてきた。
しかし、見つめられたことりは既に漫画を読んでおり、どこか棒読みで声を上げている。
「あ、朝陽ちゃんは助けてくれるよね……!?」
「あ、あー。残念だけど、私はこの後用事があるのでね。頑張ってくれたまえ」
「そんなぁー!?」
わざとらしく部屋の時計を見てから、立ち上がって俺がそう告げると、穂乃果は愕然とした声を上げて頭を抱えてしまった。
まあ、予定があるというのは本当で、時間的にもそろそろだったので、好都合と言えば好都合だった。
「どこに行くの朝陽ちゃん?」
「内緒。では海未、穂乃果の事を頼んだよ」
「えぇ〜、教えてよ〜」
「任せてください、穂乃果に
何か海未の言葉に違和感があった気がしたが、気のせいか?
頬を膨らませていじけることりに笑みが漏れつつ、海未に声を掛けてから扉を開ける。
「本当に行っちゃうの朝陽ちゃん!?」
「さあやりますよ穂乃果。ふふふ、しっかりと穂乃果を見ていますからね」
「い、嫌ぁー!」
扉が閉まる間際に穂乃果の叫びが聞こえたが、まあ大丈夫だろう。
長年の付き合いであれは海未なりの仕返しだとわかっているので、穂乃果が反省したらほどほどにしてくれるはず……はずだよな?
先ほどの鬼の笑顔に思わず不安になりつつ、俺はある場所へ向かうべく足を向けるのだった。
「──着いた着いたっと」
あれから秋葉原へと赴いた俺は、アイドルショップを見上げながら呟きを漏らした。
物語が始まるのも残り約半年となっており、もう俺にできる事はそう多くない。
しかし、アイドルの知識なら今後の役に立つかもしれないので、高校に入学してから力を入れて調べているのだ。
まあ、これから穂乃果達と出会う
「早く行こうよ凛ちゃん!」
「待ってよかよちーん!」
「次はあっちに行くよ! あの店に凄いお米があるんだって!」
「だから待ってってかよちんー!」
「そうそうあんな感じの……ん?」
アイドルショップから勢いよく出てきた人達は、そのまま機敏な動作であっという間に走り去っていった。
どこかで聞き覚えがあるようなないようなその声に、思わず首を傾げつつ俺はアイドルショップに入る。
「お、あったあった。やっぱりA-RISEは凄いな」
店内の一番目立つ場所にA-RISEのグッズが置かれており、その中の新作アルバムを手に取る。
手に取ったアルバムの隣には限定バージョンのアルバムもあるのだが、別に俺はA-RISEのファンというわけでもない。
だから、限定バージョンは別に手に入れなくてもいいかなってのが、俺の正直な気持ちだ。
それに、やっぱり俺としてはA-RISEよりμ'sの方が好きだ。まあ、まだグループができてすらいないけどね。
「楽しみだなあ──」
「ねぇ、そこの貴女」
「──ん? もしかして私の事かな?」
「そうよ」
未来に思いを馳せていると、背後から声を掛けられた。
それに振り向いた俺の視界に入ったのは、明らかに変装です! って直ぐにわかる服装をしている女性だった。
えっと、俺って何かしたっけ? 特にこの女性に会った覚えもないし、そもそもこんな不審者のような知り合いはいない。
「私に何か?」
「ちょっと気になる事があってね」
「それは?」
「どうしてそのCDを見て笑顔になっていたのかがね」
「笑顔なら普通ではないかな?」
そのある意味当然な問いかけに、女性は首を横に振る。
そして、女性はサングラス越しに俺を見つめ──
「私が気になったのは貴女が不敵な笑顔をしていたからよ。そうね……簡単に表すと──頂点を蹴落とす機会を窺う挑戦者と言った所かしら」
「っ!」
──そう告げた。
その女性の言葉に俺は思わず納得してしまった。
確かにあの時は、μ'sがA-RISEを越えてラブライブを優勝する瞬間を思い浮かべていた。
それを間近で見られる幸運に感謝するのと同時に、あのA-RISEにμ'sが勝つ瞬間。
その時の気持ちが表情として表れていたのだろう。
と言っても、俺が舞台に上がるわけではないので、結局の所俺の独り相撲というわけだが。
俺がそんな事を考えていると、女性はすっと目を細める。
「その様子だと図星のようね」
「……そうだね」
「ふぅん……貴女、面白いわね」
「私が?」
思わず尋ねかえせば、女性は笑みを浮かべて頷く。
「そう。見た所、貴女が挑戦者という感じではない。でも、それだとさっきの表情と辻褄は合わない。という事は、貴女は期待しているんじゃないかしら、頂点が蹴落とされる瞬間を」
「……凄いな、そんな事までわかるのか」
「これくらい普通よ。でもまあ、残念だけど貴女の期待には添えそうにないわ」
「それは一体どういう事だい?」
今の発言ではまるで女性が頂点だと言っているようなもの──っ!
「──何故なら次も勝つのは私達だからよ」
その圧倒的な威圧感に思わず身構える俺を見て、女性は獰猛な笑みを浮かべた。
まさか、まさかまさかまさか! 彼女はA-RISEの──
「その様子だと気が付いたみたいね……そろそろ私は行こうかしら。貴女は中々面白そうだから、期待しているわ」
そう告げると女性……いや、綺羅ツバサは手を振りながら去っていった。
綺羅ツバサが見えなくなるまで見送り、やがて視界から完全に見えなくなった事を確認してから、俺は無意識に安堵の息を零す。
こんな所でスクールアイドルの頂点に会うとは思ってもいなかった。
しかも、何故か綺羅ツバサに目をつけられる始末。
これがスクールアイドルの頂点か……改めて生身で見ると、やはり存在感が違う。
なんていうか、俺とは住む世界が違うというか。これに勝ったμ'sって凄かったんだなあ。
「はぁ……さっさとCDを買って帰ろう」
ため息をついて気持ちを切り替え、そのまま重い足取りで店のレジへと向かっていくのだった。