うだるような夏の暑さ、炎天下の下に晒されたアスファルトはまるで焼け石のような温度になっていた。
時間はまだ昼を回ったばかりの午後、つまり今が一番暑い時間帯であった。
そんな猛暑の中、冷気で丁度いい温度まで冷やされた部屋の中で、その主である少女フェイトは買出しに出ている親友三人の事を考えていた。
今日、この部屋には午前からフェイトを入れた五人の少女が集まっていた。
少女達が集まっていた理由は一つ、学生の夏の最大の敵、夏休みの宿題と戦うためであった。
昼食を済ませたしばらく後に彼女たちの一人が唐突に甘いものが食べたいと言い出し、誰が買出しに行くか決めるためにジャンケンをすることになり、言いだしっぺのはやて、そしてアリサ、すずかの三人がこの炎天下の下に出ることになった。
(たぶん、今が一番暑いよね、はやて達早く帰ってくればいいのに)
自分の宿題の大半を片付けているフェイトは窓から外の風景をボーと眺めながらそんな事を考える。
少しの間外の風景を眺めていたが、次第にそれにも飽きたのかまた自分の前に広がっている宿題に視線を送る。
しばらく部屋には教科書をめくる音とノートにシャーペンを走らせる音しか無くなっていた。
しかし次第にフェイトの視線はノートから別の物へと釘付けになっていた。
自分の対面に座る綺麗な茶色の髪をサイドポニーで一つにまとめている少女、なのはにその視線を奪われていた。
彼女はしばらく、自分の苦手な教科と格闘していた。
苦手な科目が解ければ嬉しそうな仕草をし、逆に詰まってしまうと困ったような仕草になる。
このころころ変わる一喜一憂の仕草がおかしく、フェイトは思わず自分の宿題そっちのけで彼女に視線を送り続けいてる。
そんな彼女の視線を知ってか知らずか、なのははその左でまとめているサイドポニーを時折小さく揺らしながら問題を解いてゆく。
フェイトはその揺れる髪を見て小さく、目の前の彼女にばれないぐらい小さく頬を緩めた。
こうなってしまってはもはや自分の宿題に手をつける気にもなれず、自らが持っていたシャーペンをテーブルの上に置いた。
しかしすぐに、まるでフェイトの後を追うようになのはも自らの持っていたシャーペンを置き、そして窓の外に視線を送る。
今度はフェイトがなのはを追うように窓の外に視線を送ると、先ほど自分がしていたみたいに意味も無くただ外の風景を眺めているのかと思ったが、すぐにそれは違うということに気がついた。
彼女が、なのはが見ているのは確かに外だが風景ではない、なのはは空を眺めているのだとすぐに気がついた。
それもそのはずだ、あの青くどこまでも広がる大空を彼女は好きなのだから。
彼女は空を愛し、そして空にも愛されているとフェイトはそう思っている。
現に彼女が空を飛ぶ時、自分やほかの親友、仲間たちに見せる顔とはまったく別の、本当に楽しそうに、幸せそうな表情をしているのをフェイトや仲間たちは知っていた。
フェイトにはこの表情を見せながら空を飛ぶなのはの姿がとても美しく見えていた、そしてそんななのはに心惹かれている自覚も確かにあった。
この気持ちが家族や親友に向ける好意なのか、それとも特別の意味を持つ好意なのかはフェイト自身にもまだ分かっていなかった。
唯一つ確かなことは、フェイトはなのはと二人だけで空を翔ける時は特別な時間でたまらなく好きという事だ。
二人でいる時にはなのはの視線を独り占めできる、その時の彼女の表情はまた別の、空を見る時とはまた別の自分だけに向けてくれる特別な表情であった。
自分にだけ向けてくれている表情がある、この事実だけでフェイトは嬉しくてたまらなかった。
きっとこの時の自分の表情もなのはにしか見せないような表情をしてるかも知れない、けれどそれも特別な時間に相応しいとフェイトは考えている。
無意識にフェイトはなのはとの二人だけの特別を求めていた、それは好きな人や恋人に求める絆というよりは、彼女が自らの翼で何処か自分の手の届かない所へ行ってしまわないよう繋ぎ止めるための絆を作ろうとしているのかもしれない。
しかしその絆でも彼女の翼を止めることはできないのかもしれない、なぜなら彼女は時間を重ねるごとに、自らの翼で飛ぶたびに、新しい日を迎えるたびその大空に魅了されているのだから。
彼女は普段から空をよく眺めている。
どうしたの?と聞くと何でも無いよといつも彼女は答えた。
その時のなのはの顔は何処か寂しそうに、とても愛おしい物を見る顔で、この地面に縛られるのが嫌で今にも飛び立ってしまいそうな様子であった。
以前なのはの母親が言っていた事がある。
―なのはは昔から空ばかり見ていて、その姿はまるで空に連れて行って貰いたいように見えた―
その通りだ、よく彼女の隣にいるフェイトも同じ事を考える事があった。
以前彼女が撃墜された時、本当に連れて行かれたのかと怖くなった。
何とか一命を取り留めたが、もう二度と飛べなくなるかも知れないと聞いてフェイトは何処か安心した。
これでもうなのはは連れていかれない、また重力に従い、地上から見上げる事になるけど連れて行かれ、もう二度と会えなくなるよりいい。
そう自分勝手な事を考えた事もあった。
しかしそんな思いを裏切るように彼女はまた空を目指した。
看護婦から聞いた話では、なのはは意識を取り戻してからというもの、毎日病院のベッドから空を眺めていたらしい、実際お見舞いに足を運ぶ度その姿をフェイトは目撃していた。
リハビリが許された瞬間から彼女はすぐに歩く練習を始めた。
毎日毎日歩く練習をし、早々に自分の足で立てるようになった後も決して満足はしなかった。
翼に怪我を負った鳥のように彼女は歩き、そして同時に飛ぶために魔法の練習も欠かさずに行っている。
しかし一度落ちたら空に戻るのは容易では無い。
また戻りたいと思っても恐怖が付きまとう、それは空を愛しているなのはも同じであった。
フェイトはなのはの復帰後、最初の飛行に立ち会っていた。
その時の彼女はまたあの場所に戻れると期待と喜びに満ちている様子だったが、フェイトは気がついていた。
彼女が震えている事に、最初は嬉しくて震えているのかと思った。
けれどそれが喜びではなく恐怖で、再び空を飛ぶことにたいしての恐れで震えているのだとすぐに気がついた。
最初はそのまま飛ぶこと自体中止してしまおうとフェイトは考えた。
―まだ怖いよね、大丈夫次はきっと飛べるよ―
そう励まそうとし、なのはの方に視線を向けるとそこには笑顔があった。
その笑顔を見たら考えて、口にしようとした心配なんてもう頭から消えていた。
ただ気がついたときには彼女に自分の左手を差し出していた。
その差し出された左手をなのはは一瞬驚き、そしてすぐに嬉しそうに己の右手で取る、そうして重ねられた手からは震えなど全く感じなかった。
そうしてフェイトは再びなのはを空へと導いた。
それから数年の月日がたった今でも、あの時手を差し出した事は本当に正しかったのか。
その答えをフェイトは未だに出せずにいた、自分の選択でまたなのはを苦しめる事になってしまっているのではないか。
そう一人で悩み、眠れない夜もあるほどであった。
ただ彼女が空を飛んでいる姿を見ていると何処か心躍る自分がいるのも事実であった。
その姿はフェイトの悩み何て無駄な心配だと思わせるほどに綺麗で見惚れるほどである。
今目の前で空を眺めている彼女の横顔にも同じ美しさがあった。
ただその横顔に見惚れているだけの時間が過ぎて行く。
どれくらいの時間が過ぎただろうか、不意に見つめられていた側の口が開いた。
「ねぇフェイトちゃん」
「…どうしたのなのは?」
「もしも、私があの大空に連れて行かれたらどうする?」
「………」
唐突な問いにフェイトはすぐに言葉を返すことができなかった、なのはと同じように窓の外の大空を眺め、そして
「……たぶん、気が狂いそうなほど嫉妬すると思うな」
「………そっか」
納得の行く答えがもらえたのか、なのははそれ以上は何も言わずに口を閉ざし、フェイトも何も聞かず、詮索もせず同じように口を閉ざす。
二人が作り出した沈黙は決して気まずいものではなく、ただ静かにその時間だけが過ぎて行った。
この二人だけの緩やかな特別の時間はこの直後に帰宅した買出し班が、騒がしさを持ち込むまで続いていった。