インフィニット・ストラトス───通称ISと呼ばれる兵器の登場により、世界は一変した。既存の兵器を遥かに上回る性能を持ち、核に次ぐ抑止力となったIS。圧倒的な力を誇るそれのパイロットを育成する機関が誕生するのにさして時間は掛からなかった。
それがIS学園である。
有望な操縦者を育てるべく、世界中から多くの人間が集まるこのIS学園。その規模はマンモス校というレベルではなく、最早小規模の都市とも形容出来るだろう。更にISの性質上、教師をも含め女性しかいない学園はまさしく世間とは隔絶された特別な機関なのだ。
そんな大量の女性を相手にする男が一人、ここには存在していた。
教師でも、用務員でもない彼が女だけの学園で汗を流す場所────それは日々の活力となり、同時に心を癒す憩いの場となる学園食堂だ。
皆に笑顔を届ける為、美味しい料理を作り続ける男の物語が、今幕を開ける────。
◇◇◇◇◇
────ppppppp!!!
耳を劈くアラーム音。起床時刻を告げる時計のボタンを押し、森山 ヒロは大きな欠伸と共に起き上がった。
現在の時刻は午前四時半。まだ外は薄暗く、日は昇ったばかり。普通ならもう少し寝ていても文句は言われないが、しかし彼の朝は早い。眠気に目をこすりつつも、いそいそと身支度を始める。
顔を洗い、歯を磨き、さっぱりとしたところで自身の仕事着に袖を通していく。白の調理服とエプロン、最後にやや短めのコック帽。部屋にある鏡を見ながら乱れていないかを確認する。何をするにもまず恰好から、衣服の乱れは心の乱れであり、身だしなみは料理においても大切なことだ。
「……よっしゃ」
入念に衣服をチェックし、乱れがないことを改めて確認。頬をパチンと叩き、気を引き締めたヒロは自分の職場へと向かった。
前述の通り、IS学園は島に設立されている。ここへ来る為にはモノレールを使用するのだが、あいにくこんな朝早くには走っていない。それにただでさえ広い敷地なのだ、いちいち島外から通勤していては時間が掛かる。そういう理由もあって、特例としてヒロは学園内に自室を与えられていた。なるべく職場にちかい場所に確保してもらったので、ものの数分で出勤が出来る。まだニワトリも鳴かないような早朝では生徒の影もなく、広はすぐに食堂へと着いた。
「さーてと………さっそく始めますか!」
学園の食堂は大規模だ。生徒全員は流石に入り切らないが、それでも数百人は余裕で席に付ける。それに見合うかのように厨房の広さもかなり大きい。普段は広に加え、パートのおばさん達も料理を作る為に二十人以上入っても何ら支障はない。そんな広々とした厨房で一人、広は作業に取り掛かった。
食堂が開くのは午前六時半。早起きな生徒ならばその十分前には足を運んでいる。それに合わせ、ある程度の仕込みや調理をしていかなければならないのだ。尤も前日には大まかに準備してあるのでそこまでの量ではない。あくまで最終的な用意というだけだ。
「おはようございまーす。ヒロくん今日も早いねぇ」
「よーし!今日も頑張るわよー!」
せっせと事前準備に勤しむ中、厨房内に元気な声が響き渡る。入ってきたのは柔和な笑顔がの女性達。この食堂で自慢の腕を振るうスタッフ達だ。彼女達のやる気には歳若い広でさえも感服する程のもの、ある種戦場と化すこの食堂においてこれ程心強い味方はいない。
「皆さんおはようございます。さっそくですが朝礼を始めますので集まってください」
いつものメンバーが揃ったのを確認し、周りにスタッフを集める。彼ら調理職員の一日は調理リーダーであるヒロの朝礼から始まるのだ。
「えー、改めましておはようございます。今日も長い一日が始まります。朝昼晩とてんやわんやだとは思いますが、私達は美味しい料理を届けるのが何よりの仕事。一人でも多くの人を笑顔にする為にも頑張って行きましょう!」
『はい!!』
簡素な挨拶だが、やる気に満ち溢れる快活な声はこの場にいる全員の活気を引き上げる。広を含め十二人、数百人の生徒を相手取るには些か人手は足りないが、そこはありあまるやる気を原動力に働くのみ。皆が元気な笑顔を浮かべ、それぞれの作業に入る。
米を炊き、
パンを焼き、
味噌汁を作り、
コンソメスープを作り、
魚を焼き、
ベーコンを焼き、
サラダを盛り。
多種多様な国のニーズに合わせ、出来る限り多くの品々を作り上げていく。日本人なら和食、アメリカ人なら洋食、中国ならば中華と国々の文化に則って作るのがここのポリシーだ。当然作る料理の数も増えていき、厨房はいつも大わらわのてんてこ舞い。忙しなく人が行き来し、声が飛び交う様はまさしく戦場。包丁を握り、フライパンを振るう姿はさながら銃撃する兵士そのもの。
全てはお客様の笑顔の為に────彼らは料理に命を賭ける仕事人なのである。
「皆さーん! 間もなくオープンしまーす!」
時間が経つのは早いもので、準備に勤しむ間にいよいよ時刻は六時半。広達にとっての戦いの火蓋が切って落とされた。
厨房から顔を出し、人の入りを伺うヒロは今日はいつにも増して人が多いことに目を見開いた。オープンしたばかりだというのに券売機の前には既に行列が出来ている。学園食堂は多くの券売機を設置しているにも関わらず、その大半が埋まっている有り様だ。
これは忙しくなりそうだ。まだまだ一日は始まったばかり、ふんすと鼻息荒く気合いを入れ、ヒロはエプロンの紐を固く結び直す。
「すいませーん。鮭の塩焼き定食お願いしまーす」
「あ、こっちはサバ味噌でー」
「私はサンドイッチー」
「私は────」
怒涛の勢いでなだれ込むオーダー。一つのメニューに固定されていない分一苦労だ。何せ数が数、一辺に捌くのは厳しい。ある程度の共通項があれば料理もスムーズに進むが、バラつきがある以上はそれも出来ない。
しかしここのスタッフ達は優秀だ。リーダーの広を筆頭に、全員が無駄なく的確に料理を作っていく。大量の注文も何のその、熟達した技術を持つからこそ出来る業だ。
「片岡さん!鮭定食行けますか!?」
「出来たわよー!お願い!」
「安田さんサバ味噌は!?」
「今上がる!」
「田辺さんサンドイッチ!」
「はいはーい!」
嵐の如き忙しさの中でも広の手が休まることはない。人一倍の仕事量があるのをものともせず、またその中でも周囲の人間に指示を出していく。これくらいの事が出来なければリーダーは務まらないということだ。
「皆さんスパート掛けていきましょう!頑張り時ですよー!」
『はい!!』
午前七時半。この時間帯は最も込み合うピークタイム。先の人数の倍近くは朝の活力を求めにやって来る。ここが調理職員の踏ん張りどころ、玉のような汗を流し、ヒロは次々とオーダーの料理を作り上げていく。そのスピードたるや三ツ星のコックにも劣らぬ凄まじいものだ。
もちろん他の面子も負けてはいない。広の倍は生きているご婦人方の腕前はハンパではなく、また彼女ら特有の見事な連携で皿へ盛り付けていく。息の合ったチームプレーは流石と言えるだろう。
こうして今日の朝の戦いは無事終了したのだった。
だが戦いはこれで終わりではない。まだ昼と晩が待ち構えている。残りあと二戦、気を緩めるのは禁物なのだ。
とはいえまずは第一関門は突破。午前の授業が終わるまでの間はそれなりに休憩が出来る。四時限分というさほど長くはない時間だが、しっかりと休むことで午後の仕事も出来るというもの。帽子を脱ぎ、エプロンの紐を緩められるこの時間が唯一無二の安らぎなのである。
「ふぅ……それじゃあ皆さん、朝ごはんにしましょうか」
冷えたお茶を流し込みながら、ヒロはスタッフに朝食の旨を伝える。早朝に起き、すぐさま作業に入る彼らに朝食の時間はあまりにも足りない。その為皆朝は軽く腹に入れる程度しか出来ないでいた。生徒達が授業を始めたこのタイミングで初めて朝食が取れるという訳だ。
「はぁー、やっとご飯が食べられるわぁ」
「ほんとほんと。もうお腹減ってどうにかなりそうだわアタシ」
「すぐに作るので少し待ってて下さい。即席なんで大したもんじゃないですけど」
「いいのよヒロ君。アンタの作る料理なら何だって大歓迎よー」
「ハハハ、そう言われると嬉しいです」
口々に疲れを零す奥様方。お世辞にも若いとは言えない年代が殆どな為、こういった体力仕事には辛い部分も多いようだ。大半の人は調理に慣れてはいるが、そうであっても限界はある。朝のエネルギーを入れていないのなら尚更だ。
だからこそ、ここがヒロの腕の見せどころである。頑張ってくれた彼女達が午後も更に腕を奮ってくれるよう、多くのガソリンを注ぎ込まねばならない。かと言って単純に量が多いだけでは行けない。年配の方にも食べやすく、かつエネルギーになりやすいような工夫を凝らしていく必要があった。となればおのずと最適解は見えてくる。
「えーっと鮭の切り身はー………あったあった。んでもってと………」
あちらこちらを開けながら、テキパキと準備を進めていくヒロ。ひとしきり材料を揃え、調理を始める。
今回作る料理は至ってシンプル。調理法自体は小さな子供でも簡単に作れるものであり、そして日本人に馴染み深い料理───お茶漬けである。
まずは鮭の切り身を手でほぐし、身を細かく分けていく。切り身は朝食で余ったものなので既に火は通っており、味・衛生面は問題ない。必要な分だけバットにほぐしていき、ほんの少しだけ醤油を垂らして軽くあえていく。醤油は何にでも合う万能調味料で、中でも魚介類とは相性抜群。鮭の風味と醤油の旨みが合体し、えもいえぬ味を生み出すのだ。
これで大まかな準備は終了、次はほかほかに炊けた白米を人数分の茶碗に盛っていく。
米の銘柄は北海道原産の"ななつぼし"。強い旨みを持ちながらあっさりとした味わいで、おかずとのバランスが絶妙。お茶漬けにはこの上なく適した食材だといえよう。
そしてそのご飯の上に鮭を乗せ、温かいお茶……ではなく出汁を掛けていく。
確かにお茶でも十分美味しい。しかしせっかくの焼き魚、素材の味は完璧に引き出したい。ならここはお茶ではなく、鰹節と昆布でとった美味しい出汁を使うのがベストだ。そうすることで鮭の脂が出汁に溶け出し、より深みのある味わいになるのである。さしずめ出汁茶漬けといったところだろうか。
最後に刻み海苔と白ゴマを掛けて完成。風味豊かな"鮭の出汁茶漬け"の出来上がりである。
「………出来た! 皆さん取っていって下さーい!」
「待ってました!」
「んん〜いい匂いだわぁ」
食欲を刺激する鮭の香ばしさと出汁の染み渡るような香り、そして刻んだ海苔の芳しい匂いが鼻を突き抜ける。これは何としても熱いうちに食べたいところ、手早く食卓に並べてゆき、ヒロも席に付く。
「それでは皆さん、頂きます!」
『頂きます!』
食事の挨拶をし、いよいよ本日の朝食を口に運んでいく。
美味い。
鮭の程よい塩気と魚の旨み、出汁の豊かな風味、噛めば噛むほど甘くなる白米。その全てが口の中で混ざり合い、完璧なハーモニーを奏でている。脂が出汁に溶けることで魚の濃厚さが加わり、それをご飯の素朴な味と甘さが一層引き立てていく。それでいてしつこくなく、さらさらと喉越しが非常にいい。強く濃い味なのにさっぱりしていて何杯でも食べられそうだ。
空きっ腹な時にものを入れると胃がびっくりして食べられないのが普通である。しかしこの出汁茶漬けは決してそんなことはなく、一気にかき込んでも何ら問題はない。程よくお腹に溜まり、心地よい満腹感に満たされていく。
「ふぃー………ごちそうさまでした」
二十代後半とはいえまだまだ若輩、勢いのままヒロはあっという間に完食した。自分で作った料理なので大きな声では言えないが、こんなに美味い飯なら一瞬でたいらげてしまうのも無理はない。
「はぁー……美味しかったわぁ。やっぱりヒロ君の料理はいいわねホント」
「暖まる、っていうのかしら?何だか落ち着くのよねぇ」
「ごちそうさまヒロ君!」
「はい、お粗末さまでした」
そんなヒロに続き、彼女らもどんどん茶碗を空にしていく。この年になると沢山ものを食べられなくなってくるが、しかし今回の料理はその限りではなかった。食べやすい上にこの満腹感、疲労困憊だった身体が一気に覚醒したようだ。
「それじゃあ皆さん!朝はお疲れ様でした。この後も昼、晩とかなり忙しくなります。この休憩でしっかりと力を溜めて、また頑張りましょう!」
『はい!』
美味しい朝食を食べ、活気に満ち溢れるヒロ達調理職員一同。この後もまだまだ戦いは残っている。毎日の食事を提供する彼らに休むヒマはないのだ。
彼らの一日はまだ始まったばかりである────!